第二章
「どういうことだ、長門?」
机とカーテン以外何も見当たらない殺風景な部屋に無口な読書好き文芸部員、谷口曰くトリプルAランクを公式認定された美少女、そしてSOS団という狂った異臭を放つ空間の中で唯一正常かつ常識的な肩書きを持っている、とも断定できないが。
クラスでは唯一涼宮ハルヒと会話を成立させる変人ということになっている男がそれぞれ机の辺の部分に座っていた。
机の構造上こういう座り方だとあと一人欲しくなってくるのは俺だけではないと思っておこう。
「情報統合思念体によって修正プログラムがアップロードされて二ヶ月が経過した。
その中で修正プログラムによるものと思われる任務外行動の量が増え、任務である涼宮ハルヒの観察結果報告が通常連絡時刻から二時間三十七分三十二秒遅れるという異常事態が発生した。」
今回の長門のしゃべりはいつものような淡々とした文字の羅列ではなく少し怯えがかった細く震えがちな声で言った。
文字の羅列もしゃべり方ひとつでこんなに理解度が変わるもんなんだな。
珍しく長門が何を言っているかこぼれた単語を拾い集めながらでありつつも理解している俺である。
授業ももうちょっと先生のしゃべり方を変えたらわかりやすくなるだろうに。
大体わかりづらい言い方で小難しいことを言われたって耳が拒絶反応を起こすに決まっている。
そうだ。俺の成績は俺の授業態度にあるわけでは断じてないぞ。授業内容としゃべり方が悪いんだ。
限りなく言いがかり&八つ当たりだと自分でも思うが。
「観察結果報告は私たち対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースにとっては最重要な事柄のひとつなの。
その最重要任務に支障が出るようなら修正プログラムを長門さんの情報の中から抹消してしまおうということが統合思念体、まあ穏健派の中だけど、で決定したのよ。
だけど長門さんはそれを拒絶した。統合思念体は修正プログラムを抹消するついでに観察に支障をきたすようなものも全て抹消すると決められたの。
その邪魔なものと判断されたのが今までで芽生えた感情ってわけ。」
朝倉が追加説明を入れた。
そもそもなぜこんな真剣な雰囲気の話になっているかというとその理由は順を追って説明する必要がありそうだ。
というわけであのパトロールの次の日のことだ。
いつもと同じく妹のボディダイビングを受けたことと昨日のハルヒによる暴行で鈍い痛みを腹に抱えながら俺は朝の支度をする羽目だ。
適当に朝飯をかっこんだにも関わらずその分のエネルギーを毎朝学校前の坂で消費してしまうのはどうも燃費の悪いことだと思うんだが。
いつもの席でいつものように座っているハルヒに朝の挨拶を交わし自席に着いた。
最近の俺は特に考えることもなく授業を受けるという非常に平和的な態度をとっているためか授業内容の理解度もちょっとぐらい上がったような気がする。
些細なことだが次のテストを受けるのが楽しみだ。
そのおかげか昼食までの時間を腹の痛みの治癒に使うことが出来たのは幸いというやつだろう。
四限終了とともになんとか治癒が終了し痛みが消え去った腹に弁当を流し込んだ俺は何をするでもなく斜め前を眺めている。
最近ハルヒは弁当持参で登校というハルヒにしては珍しいスタイルをとっており毎日弁当のたびに首を捻りながら味の研究でもするかのようなロースピードで箸を口に運んでいる。
そんなハルヒを見ているのは目の肥やしに、まあ誤解されるから今のは言わなかったことにしておこう。
そんなハルヒを見ているのはいつもの迷惑散布機と化しているハルヒの同行者として近くにいるよりはよっぽど平和的で俺が望む日常だ。
その後の午後の俺の予定表には何も記入がなく、こんなに平和でいいのだろうかと逆に不安になってしまいそうなほどである。
部室に足を運ばせてみた。
そこにはいつもの光景として最近修正プログラムで感情を持ち始めており珍しく読書をせず俺と古泉を見つめている長門、
もう恥ずかしいという感情を失われてしまったんではないかと思われるメイド服に身を包んだSOS団専属メイドのマイエンジェル朝比奈さん、
長門と同じく俺と古泉のゲームの進行模様を楽しげに見つめている朝倉が寄生虫のように文芸部室に住みついている。
特に変わったことといえば古泉が挑んでくるゲームの種類と長門の行動もとい仕草ぐらいだ。
おっとここで追加説明。今回古泉が持ち込んだゲームというのは将棋なんだがこいつはなかなかのやり手だ。古泉が強いゲームを見つけることが出来る確立はすでに天文学的数字だろうと思っていたんだが。
俺もじいさんに教えてもらっていたことがあり、すでに二段ほどの実力は兼ね備えている。
だがそんな俺と同等以上の戦いを繰り広げている天然記念物並みに珍しい古泉の姿である。
今から少し専門的な説明に入るが、俺は四列目に飛車を振って戦う四間飛車という振り飛車戦法が得意なんだがこれが極端に古泉と相性が悪い。
古泉はどうやら振り飛車崩しの戦法を使っているらしいことが俺が大苦戦していることから推測できる。
じいさんに一通り振り飛車崩しの対処法は教えてもらった覚えがあるがどうも俺の知らないやつのようだ。最新のやつだろう。
やれやれ、時の流れに逆らうことは出来ないね。
何せ俺は一般人ですから。というわけで実に困った。
勝てる気がしないというのはこの場面のために昔の誰かさんが作ったとしか思えない。
結果俺の抵抗むなしく頭金という将棋中最も綺麗でやられた方は最も屈辱的な負け方をしてしまった。
こいつほんとはプロ棋士じゃないのか?いくら俺と相性がいいとはいえ序盤の駒組みから中盤の展開、終盤の詰めろまで鮮やかに決まりすぎだ。
俺がリベンジをしようかと思い始めたころ安っぽいドアが大きく開かれ団長様のご登場だ。
珍しく無言だったが・・・。
ハルヒは団長机に座りはしたが上の空で少し色づき始めた夕空を眺めている。
まったく、口さえ開かなきゃ長門や朝倉や朝比奈さんを凌駕するほどの逸材なのにな。もったいないような気もする。
三十分ほどの時が流れたか。不意にハルヒが「今日はもう終わりにするわ。」と明らかにメランコリーな声で宣言した。
おいおい。いつもの勢いを見せてくれよ。一体何があったんだ?
「別に。」明らかに普通ではない憂鬱を振りまくような声でハルヒは呟いた。
六人での集団下校が日課になろうとしているここ最近だが今日はSOS団の誇る美女軍団四人全員が無口キャラになっちまっている。
ハルヒが何やら叫んでいないとどうも調子が狂う俺の体はもう末期だということを告げようとしているのだろうか。
この集団で何とか沈黙の空気を破って俺に話しかけてくるのは古泉だけだ。
普段はこのニヤケ面が話しかけてくるとその場で耳が拒絶を始めるのだが今日ばかりはこの沈黙だ。ありがたく話の種を頂戴するとしよう。
「あなた涼宮さんに何かしましたか?」
ハルヒ関係の話か。まあいい。俺には胸を張って言えることが一つあるぞ。俺はハルヒに何にもしちゃいない。
「そうですか。そうだと思いましたけど。今日の涼宮さんはやけに不機嫌そうな感じに見えますのでね。
最も閉鎖空間は発生していませんから我々『機関』にとってさほど重要視するほどのことではないんですけどね。
まあ仮にも僕もSOS団副団長ですから団長の元気でない姿はあまり好ましくないわけですよ。」
お前はハルヒの精神的分野専門じゃなかったのか?
「それは光栄です。僕自身にそんな自覚はありませんが。」
なら今日のハルヒが不機嫌じゃなくて憂鬱じみた感じの何かを考えてるような状態だということぐらいはわかれ。俺でも分かるぞ。
「うらやましい限りです。」何がだ?
「あなたと涼宮さんの以心伝心が、です。あなたの気持ちは涼宮さんが一番よく知っています。涼宮さんの気持ちを一番知っているのは僕達『機関』でも長門さんでも朝比奈さんでもなくあなたですからね。」
お前の話なんかをありがたく頂戴しようと思った俺がおかしかったよ。
やっと話に区切りをつけたところで家の方向の関係で古泉、朝比奈さん、ハルヒはここいらで別れることになった。
朝比奈さんに別れを告げるのは名残惜しいがまた明日会えるじゃないかと自分に言い聞かせて別れを告げた。また明日会いましょう朝比奈さん。
「うん。またねキョン君。」
俺も帰途につこうとした瞬間つんつんと朝倉が完璧なまでの間のよさで肩をつついた。
「ちょっとこの後長門さんの部屋に来れる?」疑うわけじゃないがお前が俺に変なことをしなければな。
「そんなこと・・・するわけないじゃない。」顔を赤くするな。そっちの変なことじゃない。
「じゃあどっちの変なこと?」その、あれだ。うむ。言うと怒るだろうから言わないでおこう。
「そう。なら来てくれるのね。」じゃあ行きましょと俺と長門の手を掴み走り出した。歩いていっても長門のマンションは逃げんだろうに。
そんなに急ぎのようなのか?走ったせいもありハルヒたちと別れを告げてから十分もしないうちに長門の住むマンションに到着した。
暗証番号を入力している長門。この先便利になるだろうと横から暗証番号を覚えようとしていると朝倉の手が俺の両目を覆った。
まあ俺のことだから普通に見ても覚えられはしないだろうが。
三人が向かう先はもちろん俺としてももう行きなれている七階長門宅である。
何もない殺風景な部屋に入るや否や朝倉は何やら料理に取り掛かり始めた。
その間長門はだらだらと湯飲みに三人分のお茶を注いだ。十分ほど経っただろうか、朝倉がキッチンから大量の野菜炒めを持ってきた。
どう考えても事前に野菜を切っていたとしか思えんスピードだ。現在時刻六時十二分。
俺としては少し早いのだが一般の家庭ではもう夕食をとっている家も少なくはないだろう。ちょうど俺の胃袋も何か食いもんを求めていた頃合いだ。
全員の前にご飯、野菜炒め、お茶と、とりあえずの夕食が並び全員が座ったところで「食べながらでいいから長門さんの話を聞いてあげて。」と朝倉が俺に野菜炒めをすすめた。
すすめられたもんは頂くのが礼儀というものだろう。
何でもこなすあの朝倉だ。きっとこの野菜炒めもハルヒ特性料理や朝比奈印のサンドイッチと肩を並べるほどの代物のはずだ。
ネットオークションで売ったら五千円ぐらいはどっかのあほが支払うだろう。
早速一口頂くとしよう・・・・・・。うまい。これ以外のほめ言葉が見つからん。
よくグルメレポートとかで料理を褒めてるやつがいるが褒められる料理は普通の料理だ。
本当にうまい料理は感想も言えなくなるぞ。今の俺みたいに。
言えることは俺のオフクロが作ったものよりはうまいだろう事は確かだ。
長門も朝倉も一口食べたところでどうやら本題のようだ。
「私は今日の零時に消滅する。」
ここまで来てようやく冒頭の俺のセリフまで戻ることになる。
俺が今までいわれたことを脳内で音もなく整理しているとひとつの意見が浮かび上がった。
「バグだけを消してもらえるようにって頼むことは出来ないのか?」「できない。何度も統合思念体に連絡を取り意見を伝えているが聞き入れられない。」
ってことはどの道バグとともに長門の感情も消えちまうってことか。
長門は去年の一年間で相当変わったと思う。
自称長門の感情を読み取るエキスパートが言うのだから間違いない。
もし仮に長門の感情が消えちまったら去年のように俺は長門に感情をもたせることが出来るだろうか。おそらく難しいだろう。
俺はそんなに去年やったことを事細かく覚えているわけではなく一体俺の行動の何が長門に感情を芽生えさせたのか、
そもそも俺の行動によって長門に感情が芽生えたのかすらわからない。
「おそらく私に感情というプログラムが知らぬうちにアップロードされていたのはあなたが原因。」俺が原因か。
一体俺の行動の何が原因だというのだろう。図書館に連れて行ったことか、夏の合宿のときか、文化祭か、冬の合宿か、それともあのコンピ研との壮絶ゲームバトルか、あるいはあの世界が改変されたときか、文芸部廃部の危機に陥ったときか。
そのほかにもやったことが多々ありすぎて何が原因の種なのかさっぱりわからん。
もうちょいしぼることとかできねえのか?っていうか長門が消滅する理由ってのは結果報告が二時間三・・・ああもうめんどくせえ。二時間半でいいや。
二時間半遅れたから長門は消滅?どんなスパルタな教育母でもここまでしないだろう。んなもん俺が長門の親玉に抗議してやる。
長門を消さしてたまるものか。情報統合思念体ってのがどんだけすごい存在なのかは知らんが長門を消す権利なんて誰にもない。
長門は頼りになるSOS団員であり俺のかけがえのない仲間だからな。
くっくっくと朝倉が笑いをこらえるようにして笑っている。この緊急事態に何笑ってんだ。何かおかしいこといったか?
「いやね、もう。こんなに真剣に考えてくれるとは思わなかった。」ん?今聞きづてならない言葉が聞こえたぞ。
その言動からするとこれはドッキリってことか?おいおい。ってことは長門も共犯か。
「違うわ。零時に長門さんが消滅することは本当よ。」それじゃあ何も解決・・・
「でも理由が違うの。報告が一回遅れたくらいで自分の大切なインターフェースを消滅させるほど統合思念体は感情的じゃないわ。」
じゃあ何で長門まで一緒になって・・・さえぎるなよ朝倉。
朝倉が口を開きかけていたからほぼ反射的といっていいだろう。思わず俺の口から声が漏れ出すように出ていた。
じゃあ何で長門まで一緒になって嘘の理由を言ってたんだ?まさかこんなオチの地味なドッキリではあるまい。
「消滅理由が長門さんには言いづらい理由だったからよ。でもそろそろ言わなきゃね。」
長門のほうへパチリとウインクした朝倉。
長門は最初口ごもって言うのを拒絶している風だったがやがて意を決したのか目にわずかな決意の色を一滴程度だが混ぜつつ口を開いた。
「私はこのままではまた世界改変程ではなくても何らかの形でエラーの爆発を起こす。
それをどうにか元の空間座標に戻すことが出来ても少しづつエラーの爆発の間隔が狭くなっていくと思われそのうちどんな方法をとっても修正不可能なエラーの爆発を起こしてしまう。」
世界改変を起こしちまうってのは長門の中に何らかの形で蓄積したバグが溜まってるってことだよな。
「そう。私の能力内では処理し切れなかった情報が蓄積したものや人類のストレスというものと言語化するのが一番妥当だと思われる方法をとって私の中に蓄積したものもある。」
じゃあ何で朝倉は大丈夫なんだ?おっと、大丈夫だったんだ?
「今は情報処理をして無いからだけど情報処理量がまるで違うからだと思うわ。私ならあと六百年生きても今の長門さんほどバグが溜まったりはしないわ。」
長門の情報処理量はお前の何倍だ?
えーと、今日は四月十八日、長門が世界改変を起こしてからちょうど四ヶ月だな。
ということはえーと、一年は十二ヶ月だから長門の情報処理量は千八百倍だな。
朝倉の情報処理量もわかって無いから具体的には長門はすごいやつだってことぐらいしかわからん。俺の努力の意味が今にも消えそうだ。
人間がストレスを発散させるみたくエラーの爆発を起こして長門の中のエラーをなくしたらいいんじゃないのか?
前のことも踏まえりゃ今回は余裕で元の長門に戻せるはずだ。そうすればとりあえず約四ヶ月の対抗策考案期間は作れる。
そんときばかりはハルヒの命令は一切無視して考えれば何とかなるはずだ。
いくらハルヒといえども長門の危機に邪魔させたりはしねえ。
「脱出コードを毎回作れることも脱出方法が毎回同じだということも絶対の保証はない。結局脱出する方法が無くなってしまって元に戻せなくなることに変わりはない。」
脳細胞をさっきの野菜炒めと気合で限界まで活性化させて出した俺の結論とも言うべき提案は瞬く間に却下された。
まあ今まで長門の言ってることが間違っていたなんてことはなかった。今回も長門は正論を言っていると見て間違いないだろう。
だが何でバグがそんなに蓄積するんだ?それのそもそもの理由がわからんと今回を乗り切ってもその後の対処のしようがないじゃないか。
「あなたよ。」答えたのは長門ではなかった。
「ね?長門さん。」朝倉からの問いに少しの間の後長門は首を縦に数センチ動かして肯定の仕草をした。
「この一年間で私の中に一つの心というプログラムが生まれた。」何だ?
「それはあなたを愛おしく思う心。」長門の頬が赤いのはこの際俺の気のせいということにしておいてだな。
それは、えーと、何だ。俺のことが好きってことなのか?
おいおいよせよ。冗談なんて長門らしくないじゃないか。こう思うのも仕方のないことだと思うね。
人間心の底から理解しがたいことに直面したときは無反応になるか冗談か夢落ちか何かだと思うのが正常心理ってもんだと俺は思っている。
北高の生徒のほとんどは記憶から抹消されているであろう事実だが一応俺も一般人に当たる類の人間なんでな。
SOS団の面子にそんな一般人の正常心理が通用するとは到底思えないことだが。
「冗談なんかじゃないわ。長門さんが消えるかどうかって時に冗談が言えるほど私たちに時間の余裕はないと思うけど?」
現在時刻は八時十分。こりゃあ確かにグズグズしてると何の打開策も浮かばんままに長門が消えちまうっていう最悪の事態になりかねん。
それだけは何があっても阻止する必要がある。
長門が俺のことを好きだと?
いつから?
俺のどんなところを?
というかそれは今言うべきことなのか?
いやそれよりも長門の親玉である情報統合思念体がそんなことを許すのか?
迷惑極まりなさそうな質問ラッシュに俺の幻覚ということにしている赤くなった長門は全く使い物にならない壊れた玩具のようにオーバーヒートしている。
これは回答を期待できそうにないな。
「いつからっていうのは」朝倉が長門の代弁役を買って出た。まあ朝倉しかいないわけだが。
「決定的にはわからないんだけどSOS団が涼宮ハルヒによって作られてあなたと出会ってから毎日を過ごしているうちにいつの間にか好きという感情が生まれてたそうよ。」
ね?と長門に付加疑問文を投げかけている朝倉。
何でそこまでお前と長門は以心伝心なんだ?もう同期とかいう能力は使えないだろうに。
数ミクロン単位の肯定を示しようやく普段の調子を取り戻しつつある長門が口を開いた。
「私はあなたの全てを愛おしいと思う。だが情報統合思念体は目的に支障が出るような感情の存在を許さない。
私は目的に支障が出るほど常にあなたのことを考えている。これらのことから私を消滅させることが決定している。
このことは今あなたに言わなければいけなかった。気付いているだろうが私には肉体の成長というものが無い。
このままあなただけが老いて死んでいくのを私は耐えられない。」
見事なまでの手際で俺の質問ラッシュに回答をよこしてくれた。
見ると朝比奈さんが窮地を迎えるたびにする半べそ状態と同じ状態に長門もなっていた。
そんな長門を見ていると朝比奈さんと肩を並べるかそれを凌駕するかぐらいの守ってやりたいという衝動に俺の理性が揺り動かされる。
せめてこの事件が終わるまでは耐えるんだ、俺の理性。
長門を守ってやりたいという衝動とともに消滅なんてさせるものかという意気込みなんかも入れつつさっきの質問の深部の答えを要求した。
何でバグがそんなに蓄積するんだ?
「私はあなたが私以外の女性という有機生命体区分に分類される人と近づくと原因不明のバグが大量に蓄積される。」
どういう意味だ?つくづく俺は鈍感だと自分自身でもよくわかっているが急に直せるもんじゃないんだ。
「嫉妬してるのね。じゃあこうしたら面白いことになるかも。」
悪戯っぽい表情を演出している朝倉が抱きついて目を閉じながら顔を近づけてきた。そんなに顔を近づけないでくれ。
俺は今ただでさえ・・・
一瞬の出来事だった。
さっきまで目の前にいた長門が消えたかと思うと俺に抱きついて何かを要求していた朝倉が二メートルほど後方に吹っ飛び俺の体にはまだ朝倉の重みが残っていたにも関わらずさっきまで朝倉がいたはずの場所には長門の雪の様な白い肌があった。
超高速移動したせいか制服のスカートがめくれて・・・今の俺にこれは相当きつい。
修正プログラムによるものだろうと思われる女の子らしい感情や仕草を持った長門、好きだと生まれて初めて告白された動揺、さっきの朝倉の行動、そして今俺の目の前にある光景。
これで長門がポニーテールだったら俺の理性の限界許容範囲を余裕で突破するだろう。
特にこのことに関しては触れていなかったが長門がショートカットでよかった。
「まあどうするかは二人で考えて、ね?」起き上がった朝倉が俺と長門に対してだろうことを言った。
じゃあねと朝倉は出て行った、そんな音がした。
さっきの野菜炒めをエネルギーに自分の脳細胞の限界に挑戦しつついい案はないかと脳内会議を繰り広げているそのときの時刻は九時十五分。
あと二時間四十五分だ。
考えるんだ。長門が消えなくてすむ方法を。
長門の中のバグを取り除く方法を。
カチャカチャと皿を洗うような音が遥か彼方のような所から聞こえんでもないが今はそんなことは関係ない。
そういうくだらない類の懸案事項はこの事件を解決してからゆっくりと考えさせていただくことにしよう。
考えるんだ・・・
ふと気付くと見覚えのある灰色の世界の中に俺は立っていた。
いつぞやのハルヒ特製閉鎖空間の類か?だとするとあいつが、いた。
視界にはっきりと映し出されているのは幻影か何かじゃない限り北高のセーラー服を着たハルヒ、じゃない?
小柄な体にちょうど首が隠れるくらいのショートカットのその姿は見間違えることは俺が死なない限りないだろうと思われるSOS団の頼りになる事件解決なんでも情報屋と俺が今決めた長門だ。
・・・・・・。
声が出せない。どんなに声帯を絞っても奇声の一つも漏れやしねえ。
こうなれば心の中で必死に長門の名前を呼ぶほか手段がなくなるのは当然の結果だといえるね。
それが届いたのか長門は振り向いてなにやら呪文のように呟いている。なかなか聞き取れなかったがかろうじて「一年前」「閉鎖空間」「Sleeping beauty」という単語が聞き取れた。
よくやった俺の鼓膜とそれを取り巻く周辺器官の皆様。
・・・ふと気付くと俺は長門の部屋にいた。
肩にはカーディガンがかけてある。今のは夢・・・か?
一年前見た閉鎖空間並のリアリティがあったぜ。夢?俺は重大なことに気付いた。
長門の姿が見えない。
気配すら感じられない、のはいつもだが。
What time is it now?というやつが俺の今一番聞きたいことだ。
起き上がって時計を見ると午後十一時五十九分。幸いというべきか不幸というべきか良い言い方をすれば後一分残っている。
寝過ごすなんてのよりは長門と朝倉の情報処理能力の対比並みの差がある。
だが悪い言い方をすれば後一分しか残っていない。
さっきの言葉の意味を深く考えている暇はなさそうだ。
「一年前」
「閉鎖空間」
「Sleeping beauty」
これらの単語から思い出されるのは一つしかない。
「白雪姫」もこれに当てはまるキーワードとして十分使えるだろう。
本当にこの方法しかないのか?それにはいやな思い出が凝縮凝固されているんだが。
部屋を見回すと長門は部室と同じく隅っこで本を読んでいるいつも通りの姿があった。
あと二十秒。
寝起きのせいか体が重く長門のいる場所までの距離を二十秒で進み決められていることをするほどの自信はないが長門の命にはかえられない。
明日俺の足がちょっとばかりおかしくなっていてもそのへんは大目に見てもらうことにしよう。
あと十秒。
間に合ってくれ!なんとか長門の場所までたどりつき小柄な長門の肩を掴んだ。
三、二、一、ピピピ。
俺の携帯がセットしておいたアラーム機能で午前零時を伝える。
「っ!」
驚きのあまり声が出ないのはこういうことを言うのだと思うね。
何せ長門の肩があるはずの俺の手には何もなくただ空気を掴もうと無駄なことをしているだけだったんだからな。
さっき掴んだはずだ。長門のあの小柄な肩を。
さっきやったはずだ。夢の中で見た俺のやるべきこと、長門を救う唯一の方法を。
失敗だと?・・・ははは。
「ざけんじゃねえ!!!」
俺はとてつもない喪失感と莫大な罪悪感に駆られていた。
長門が消滅した?
んなわけ・・・今まで幾度となく俺やSOS団の窮地を救い続け勉強だろうが運動だろうがなんでも卒なくこなす頼れる存在のあの長門が?
んなわけ。
そうだ。まだ俺は夢を見ているはずだ。
そうに違いない。
その証拠に掌に爪を食い込ませても・・・痛ぇ。
くっ・・・そぉ。
俺は長門を消滅させちまった。
誰がなんと言おうと俺が消滅させちまったんだ。
あああああああああああ!
俺の目からは涙が無限の泉のように溢れ出ていた。
くそっ!くそっ!くそっ!何で俺はこんなに無力なんだ。ハルヒなら何とかしていただろう。
前の朝倉でもなんとかできたはずだ。
ひょっとすると朝比奈さんや古泉や鶴屋さん、下手したら谷口や国木田でも何とかしていたかもしれない。
俺だったから。
長門が頼ってきたのが俺だったから長門は消滅する道になっちまったんだ。
ぐぃっ。
俺の袖が引っ張られるような感じがした。
誰だ?こんなときに。
そうだ。俺が死ぬのを手伝ってくれるなら是非ともそうしてくれ。
俺は長門を殺しちまった。なら俺には死ぬ義務がある。
「私の中の大量のバグ情報が消滅した。何も問題はない。」
声を認識することは出来ないがこのしゃべり方。俺も今頃になって長門の幻聴が聞こえるようになったか。
俺もそろそろ末期かもしれない。いろんな意味でだが。
「大丈夫。私は長門有希。この銀河を統括する情報統合思念体に造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース。」
まだ聞こえる。
こりゃあ明日を迎える前にも死んでしまうかもな。
俺の死亡時刻と死亡原因はこの場合どうなるのだろうなどと考えていると俺の目の前に見覚えのあるセーラー服姿の小柄な少女が現れた。
長門有希だ。
本物か?幻影とかそんなんじゃないのか?
「私は私という個体。この世に私という個体は一つしか存在しない。」
俺はさっき長門を救うことに失敗したはずだ。そんで長門を掴んだ俺の手から長門は消えたはずだ。
「それは私が零時になる瞬間に強制空間軸転送を施しあなたの後ろに自らを転送した。」
う・・・む。何を言ってるかはよく分からんが要するに長門は消えてないってことか?
「そう。」じゃあ何で俺の後ろにその強制空間なんとかってやつをしたんだ?
「わからない。・・・ごめんなさい。」
あっけにとられた。長門からの謝罪を受けたのは初めてだ。
お礼を言われたことなら数えるほどだがあった。だが長門の口からごめんなさいと言う言葉が出ようとは一年前思っただろうか。
俺は長門を抱きしめていた。
「何?」
・・・・・・何もいうことが出来ない。ただ長門が消滅していない。この世界に長門有希が存在している。それだけで十分だ。俺にはお腹一杯すぎるくらいだ。
長門は理解したのか驚きのあまりか何も言わずに抵抗もしなかった。
数秒その体勢を保った後長門から離れるとそろそろ零時だし帰ろうかと復活しつつある思考回路で考えを巡らせていたところ珍しいことに長門からの提案だ。
「泊まる?」
そうだな。長門からの疑問詞は珍しいしそれを断る理由なんてのは・・・まあこれを知ったハルヒの俺に課す罰ゲームの恐怖ぐらいだ。
自分でも何でこんなにハルヒを恐れているような気にしているようななのかはわからないがそんなことはどうだっていいと胸を張って言えるね。
なぜって?
長門は消滅せずにここにいる。ハルヒだって自分の団員をなくすのは嫌だろう。そんなSOS団の頼れる団員を俺は救ったんだ。
しばらくはハルヒにとやかく言われる筋合いはないだろう。
まあ今日のことをハルヒに伝えるということが叶えばの話である限り俺は明日もいつもと同じSOS団雑用係として働くわけだ。
やれやれ。
今は布団に入って明日に備えるとしよう。
それが今俺に出来る最善のことだと信じつつ。