平穏かつ憂鬱な世界

 何の変哲もない平日。学校の昼休み。
 俺の両隣には、ハルヒと佐々木が陣取り、手作り弁当を差し出して、俺に食えと強要する。
 俺には母上が作ってくれた弁当があるのだ。長門やハルヒじゃあるまいし、三人分も食えやしねぇよ。
 俺は、自分の弁当をさっさと食い終わると、さっさと教室を出た。ふと振り返ると、不機嫌な顔のハルヒと、やや寂しそうな佐々木の顔があった。後ろ髪引かれる思いがしないわけではないが、俺には確認しなければならないことがある。

 2年9組の教室をのぞくと、古泉と橘が向かい合って、弁当を食っていた。
 悔しいが実に絵になる光景だ。
 あのむかつくほどの無害スマイルを向けられる前に、俺はさっさと退散した。

 続いて、3年の朝比奈さんの教室に向かったのだが、途中で鶴屋さんと会った。
「やあやあ、キョンくん。みくるんに用かい?」
「いえ、別にそういうわけでは……」
「みくるんは藤原くんに手作り弁当の振舞っているところさ。用事がないなら、邪魔するのはよくないね。馬に蹴られるよっ!」
 相変わらず、勘の鋭いお方だ。この人だけは、何がどうなろうとも、決して変わらないのだろうな。
 鶴屋さんにこういわれては、俺も素直に退散するしかない。
 しかし、よりによって、なんで藤原なんだ?
 俺には到底納得がいかんね。

 最後に訪れたのは、文芸部室だった。
 長門と九曜が、仲良く並んで、本を読んでいる。
「よぉ。二人とも、読書仲間ができてよかったな」
 二人とも、黙ってうなずいた。

 昼休みは平穏に終わり、午後の授業が始まった。
 俺の両隣にハルヒと佐々木が陣取っている構図は変わらない。
 午前中もそうだったが、妙に落ち着かんな。

 その午後の授業も無事に終わり、放課後となった。
 文芸部室でたむろするのは、SOS団の面々だ。
 朝比奈さんと橘が、メイド服でお茶を配る。
 俺と古泉は、向かい合って将棋を指す。
 長門と九曜は、窓際で分厚いハードカバーを攻略する。
 藤原は始終イヤミを垂れ流し続け、朝比奈さんに諌められる。
 ハルヒと佐々木は、哲学的だか科学的だかよく解らん議論を戦わせ、そのとばっちりがなぜか俺の方に飛んできたりする。
 途中で、あの生徒会長がやってきて、藤原とイヤミ合戦。その会長閣下の後ろには、ぴたりと喜緑さんがついていた。
 まったくもって平和な光景だったさ。

 長門と九曜が本を閉じる音を合図に、団活は終了。
 出身中学が同じこともあって、俺と佐々木は帰る方角が一緒だった。
 佐々木が小難しい話を振ってくる。それは、俺に中学3年生のときを思い出させた。
 佐々木は妙に楽しそうだ。


 これがおまえの望みか、佐々木……。


 そう思うと、胸がちくりと痛んだ。



 佐々木と別れ、自宅に帰る。
 自分の部屋に入るころには、決心はもうついていた。


 この世界は確かに平穏無事で素晴らしいものなのかもしれない。
 宇宙の姿なき連中の好き勝手に悩まされることもなく、同級生の女子生徒からナイフで刺されることもないだろう。未来人にお使いを言いつけられることもなく、怪しげな組織の抗争に巻き込まれることもないのだろう。
 そして、何よりも、神様モドキの機嫌をとる必要もないのだ。
 まったくもって平和な世界だ。

 だが、エンターテーメント症候群患者の俺には、それでは物足りないのさ。
 憂鬱になるくらいにな。


 俺は、机の中から、便箋を取り出した。
 朝にも一度読んだが、再度読み直してみる。



親愛なるキョンへ

 この手紙を読んでいるときには、僕が涼宮さんから奪いとった力で、世界は既に変わってしまっているはずだ。君の記憶だけを残してね。
 僕が世界改変を望まないだろうと信じていた橘さんを裏切るようで心苦しいが、僕としてはこれだけはどうしてもやっておきたかったのでね。
 いきなり改変された世界に放り込まれては、君も混乱するだろうから、状況を説明しておこう。
 この改変の目的は、僕やキョン及びその友人たちの生命・身体を脅かしうる状況の排除、僕たちと涼宮さんたちのグループの友好関係の構築、僕と涼宮さんが対等に競い合える条件の確保、以上の三つだ。
 そのために、まず、情報統合思念体及び天蓋領域を消した。TPDDその他の時間跳躍技術も抹消し、未来からの介入を行なえないようにした。橘さんの組織も、古泉君の組織も、最初からないものとさせていただいた。
 ただし、長門さんも、九曜さんも、朝比奈さんも、藤原君も、古泉君も、橘さんも、そして、もちろん、僕も涼宮さんも、この世界には残っている。みんなの特殊な属性は消し去られたが、人格その他の部分は君が知っているとおりのままのはずだ。
 記憶は調整させてもらった。みんな、特殊な属性のことや超常現象のことは覚えていない。極々一般の高校生として自らを認識しているはずだ。
 そして、これら全員がSOS団のメンバーだ。古泉君や橘さんの人脈は残っているから、活動には支障はないと思うよ。
 ああ、そうだ。上には書き忘れていたが、あの喜緑さんも特殊属性を消去した上で残してある。あの生徒会長とはよいコンピのままさ。
 長門さんと九曜さんは、読書仲間としてよき友人関係。
 古泉君と橘さんは、恋仲だ。これには君は驚くかもしれないけどね。力を使って世界の構成情報を洗い出してみると、この方があるべき姿だったことが解ったんだ。涼宮さんと僕の存在が、あるべき姿を歪めていたのさ。
 あと、朝比奈さんと藤原君も、恋仲であることを告げておこう。君は納得いかないかもしれない。しかし、力を使えば、彼が彼女に恋していることはすぐに解った。そして、彼女も彼のような人を放っておけるような性格ではない。
 僕と涼宮さんは、よきライバルといったところか。何を競い合っているのかは君には秘密だ。君が自力で気づいてくれることを願っているよ。あまり期待はしてないけど。
 最後に、この手紙を君の元に送り込んだら、僕も自分の記憶を調整して、この力を封印する。僕は力をもっていたことも、この世界改変を行なったことも、覚えてはいないだろう。
 君だけに記憶を残しておいたのは、君に選択をしてほしいからだ。僕の改変によって創られた世界か、元の世界か。この二択だ。
 なぜ君だけに選択権を与えるのか、君は不思議に思うかもしれない。
 しかし、僕にとってはこれは当然のことなのだ。
 なぜなら、キョンが望まない世界なんて、僕にとっても価値がないからだ。
 よって、もし君がこの改変によって創られた世界が気に入らないというならば、元に戻してくれても構わない。
 鍵は、ある言葉だ。それを涼宮さんに告げるだけでいい。それで、世界復旧プログラムが作動することになっている。
 その言葉がなんなのかは、君には既に解っているはずだ。

君の親友、佐々木より



 俺は、その便箋を細かくちぎった。トイレにいって、便器に放り込み、水で流す。
 自室に戻って、携帯電話を取り出した。
 ハルヒの番号を呼び出す。
 告げるべき言葉はもう解っている。
 ハルヒとの何気ない日常会話で出てくるような言葉では、鍵が偶発的に発動しかねない。あの佐々木がそんな言葉を鍵に選ぶわけがない。
 俺がハルヒとの日常会話の中では絶対に口に出さないように心がけている言葉。それでいて鍵になりうる言葉。そんな言葉は、一つしかない。
 電話にハルヒが出た。
 俺は、ただ一つの言葉だけを口に出す。


 ジョン・スミス────


 そして、世界が暗転した。



 気が付いたときには、夜だった。
 携帯電話で現在日時を確認する。
 俺の認識では、それは昨日の日付だった。
 時刻は、おそらく、佐々木による改変が行なわれるはずだったまさにそのときなのだろう。
 つまり、改変前の世界に戻ったということだ。

 携帯電話が鳴り出した。
 すぐに出る。
「やあ、キョン。やっぱり、君は元に戻すことを選んだようだね。ああ、念のため言っておくが、君以外の人類全員が、改変後の世界の記憶を持ってはいない。この僕も含めてだ。僕が認識できるのは、改変が取り消されたという事実だけだ。僕のこの認識と君の記憶をのぞけば、何もかもが元のままだよ」
「なら、ハルヒの力は……」
「涼宮さんに戻っている。もちろん、彼女は何も知らないよ。僕たちがキョンたちと敵対関係にあるという事実もそのままさ。……君との友人関係も……もう終わりかもしれない」
 佐々木の声は、せつなげだった。
「佐々木」
 俺は、あの佐々木たちが加わったSOS団の光景を思い出しながら、静かに言葉をつむぎだした。
「おまえがSOS団に入りたいなら、橘たちを説得して、ハルヒに直談判でもしろよ。そうすりゃ、橘たちとの友情も、俺との友情も保てるだろうが。古泉たちの説得ぐらいは、俺が引き受けてやる。だから、神様もどきの力なんかに頼るな」
「キョン……」
「みんなで力を合わせれば、宇宙の何とか体だろうが、未来野郎だろうが、怪しい組織だろうが、渡り合っていけるさ」
「キョン……本当にいいのかい? 君は、僕のことをまだ親友だと認めてくれるのだろうか?」
「当たり前だ」
「そうか……」
 佐々木の声は、涙声になっていた。
「解った……僕の全身全霊をかけて、やってみるよ。ありがとう」

 こうして、俺はまた厄介事をかかえることになったわけだが、まあいいさ。
 この方が断然楽しいからな。
 この状況がいつまで続くか解らんが、可能な限り楽しみつくしてやる。


 「溜息二倍」に続く。


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