恋情と友情の間
「嘘の告白など、すぐに勘付かれてしまいますよ。お二人とも、そういうところだけは妙に鋭いですからね」
「ならば、本気で告白すればよいでしょう」
「……」
沈黙する古泉一樹に対して、森園生は平然と言い放った。
「私が気づいてないとでも思っていたのですか?」
「参りましたね。隠していたつもりだったんですが。それは、命令ですか?」
「命令です」
「ひとの恋心を策略に利用しようとは、酷い話ですね」
「『機関』はそういう組織です」
森園生は、冷酷にそう言い切った。
古泉一樹も分かってはいるから、それ以上文句はつけない。
「万が一にでも成功してしまったら、どうするのですか?」
「何も問題はないでしょう。彼女は安定し、監視もしやすくなる。『機関』にとって悪いことは何もありません」
古泉一樹に下された命令は、次のようなものであった。
涼宮ハルヒに告白して、キョンの出方を見る。
キョンが部室のドアを開けると、珍しいことに古泉一樹しかいなかった。
「おまえだけか。ちょうどいい。ハルヒに告白したなんて噂を聞いたんだが、本当か?」
「ええ。事実ですよ」
「ハルヒの退屈しのぎのイベントとかいうんじゃないだろうな?」
「僕は本気です」
キョンは、古泉一樹の目をじっと見た。
「そうか。がんばれよ。俺にできることは何もないけど、応援してるからな」
キョンのその言葉に、古泉一樹は意外そうな表情を浮かべた。
「あなたが応援してくれるとは意外ですね」
「おいおい。俺は、これでも友人思いな人間なんだぜ」
キョンは、いかにも心外だという表情でそう言った。
「おまえだってハルヒだって、俺にとっちゃ大事な友人なんだ。その友人同士がそういう関係になって幸せだってんなら、これ以上に喜ばしいことはないじゃないか」
「ありがとうございます」
古泉一樹は、そう答えつつも、内心ではかなり動揺していた。
涼宮ハルヒを友人だと言い切ったときのキョンには、微塵の迷いもなかったからだ。
これは、意外だった。
彼は、キョンが涼宮ハルヒに対して好意をもっているものと思っていた。ただ、それを素直に表に出せないだけなのだと。
しかし、キョンの今の発言からは、そういうものは何一つ感じられなかった。
そう。彼も「機関」も、キョンという人物を完全に読み誤っていたのだ。
一年以上にわたるSOS団をめぐる様々な出来事も、キョンの涼宮ハルヒへの恋情を強化するのではなく、SOS団の仲間への友情を強化する方向に作用していたのだった。
バン!
大きな音がしてドアが開け放たれ、涼宮ハルヒが現れた。
「キョン。ちょっと来なさい」
涼宮ハルヒは、キョンの腕をつかむと問答無用で引きずっていった。
キョンは、涼宮ハルヒに引きずられるままに屋上に到達した。
「いきなりこんなところに連れ出して、何の用だ?」
「あたしさ……」
涼宮ハルヒは、ためらうように間を置いた。
「古泉くんに告白されたのよ」
「さっき、古泉から聞いた」
「そう……ねぇ、あたし、どうしたらいいと思う?」
「そんなのは、自分で決めろよ。他人が口を出すようなことじゃない」
「あんたの意見が聞きたいの!」
こうなったら涼宮ハルヒがひかないのは、キョンも認識していた。
しぶしぶ意見を述べる。
「あえて、俺個人の意見を言うとすればだな。あいつは真剣だ。だから、おまえも真剣に考えて結論を出せ。安易な答えはあいつを傷つけるだけだ。まあ、こんなところか」
「あんたは、私が古泉くんと付き合うことになってもいいっていうの?」
「悪い理由なんかないだろ? あいつは、おまえのことをよく理解してる。性格だって悪かないだろ。おまけに、顔もよければ頭もいい。おまえにこれほどふさわしい男は、もう二度と現れんかもしれん。おまえは、SOS団の輪が崩れることを心配してるのかもしれんが、そんなことは気にするな。おまえと古泉が付き合ったって、SOS団はSOS団だ。それに、おまえが古泉を振ったとしても、それでおまえとの関係がギクシャクするほど古泉はやわじゃねぇよ。どちらにしても、問題はない。だから、おまえは、自分の本当の気持ちを伝えてやればいい」
涼宮ハルヒは、沈黙してしまった。
微塵も動揺すらしていないキョンの様子に、かなりショックを受けていたのだった。
「……分かったわ。今日は、よく考えたいから、団活は休みね」
「分かった。みんなには俺から伝えておく」
涼宮ハルヒは、自宅に帰ると、ベッドの中に潜り込んだ。
古泉一樹のことについて考えなければならないのに、思い浮かぶのはキョンのことばかりであった。
「キョンにとって、あたしはお友達でしかないんだ……」
そう思うと、涙が出てきた。
自宅に帰った瞬間に、古泉一樹の携帯電話が鳴り出した。
「機関」からの指令が入る。
予想通り、アルバイトタイムだ。
閉鎖空間に突入すると、無数の神人が暴れまわることもなく、ただぼうっと空を見上げていた。
「やれやれ。今夜は徹夜ですかね」
翌日、昼休み。
古泉一樹と涼宮ハルヒは、屋上にいた。
お互い、徹夜していたため、表情が冴えない。
「古泉くんの気持ちは、嬉しいわ。でも、やっぱり、あたしはキョンのことが好きなの」
古泉一樹としては、その言葉を引き出せただけでも満足すべき成果であった。
「分かりました」
「ごめんなさいね」
「いえいえ。涼宮さんが謝るようなことではありません」
しばしの沈黙。
お互い、どう話を続けたら……いや、打ち切ったらいいのか、迷っていた。
そして……。
「これから僕が話すことは独り言です。聞き流してください」
古泉一樹が、語りだした。
「異性間の友情は成立しうるという命題に関しては、彼は絶対的な肯定論者です。彼は、中学時代に、数々の誤解を跳ね返して佐々木さんへの友情を維持し続けたという実績があります。それが自信ともなっている。時がたてばたつほど、彼のこの自信はより強固になっていくことでしょう」
キョンは、恋情を自覚することなく、それが友情に変化しても、その変化自体を自覚することはなかった。そして、異性間の友情に疑いなど持っていない。
この状況のもとでは、彼をいくらけしかけても無駄であるどころか、逆効果だ。けしかければけしかけるほど、彼は反発するように友情を強めることだろう。
「ですから、佐々木さんの二の舞になりたくないのであれば、今動くしかありません」
それをひっくり返すには、涼宮ハルヒの方から動くしか方法はありえなかった。
「では、失礼いたします」
背を向けて去っていく古泉一樹に、涼宮ハルヒはぽつりとつぶやいた。
「ありがとう」
放課後、キョンが部室が入ると、また古泉一樹ひとりだった。
「見事に玉砕いたしましたよ」
古泉一樹は、いつもの無害スマイルを浮かべて、そんなセリフを述べた。
「そうか。それは残念だったな。しかし、ハルヒももったいことをするもんだ」
キョンは心底残念そうな表情だった。
その後、コンピ研から長門有希が帰ってきて、朝比奈みくるもやってきて、そして、最後に涼宮ハルヒがやってきた。
そして、いつもどおりの団活だ。
そう。全くいつもどおり。
キョンがいうとおり、SOS団の輪が崩れるようなことはなかった。
所定の時間となり、長門有希が本を閉じた。
帰ろうとしたキョンを、涼宮ハルヒが引き止める。
「キョンは、少し残ってて」
「何か用か?」
「うん」
他の三人は、気にしないフリをして、ぞろぞろと帰っていった。
帰り道。
「涼宮ハルヒをけしかけたのは、『機関』の意向か?」
長門有希がそう尋ねてきた。
「いいえ。僕の独断です。失敗したら、懲罰ぐらいではすまないでしょうね」
「うまくいくといいですね」
朝比奈みくるが、祈るような口調でそういった。
「どうなろうとも、僕はアフターフォローに奔走するだけですよ」
そう言い切った古泉一樹の表情は、すべてが吹っ切れたようにさわやかであった。