月曜日の教室は、こうなんというかけだるい空気というか、また始まっちまったよ今週というか、ああ来週試験だぜこんちくしょうという重い空気を感じるな。
「最後の感想はあんたと谷口とほか数名だけじゃないの? まあ、それ以外は同意してやってもいいけど」
とハルヒの言葉にはなにかしら毒が混じっている。こいつの半分は毒でできてるのかもしれんと
何人かのクラスメートと挨拶をかわす。最近のハルヒはちゃんと挨拶を返していて、一部ではハルヒにデレ期が来たと噂になっていたようだ。
だが、俺に対しては永遠にデレ期なるものは来そうにない。もっともデレ期とはなにかを俺は知らんのだが。
しばらくして岡部が登場し、朝のホームルームの始まり始まり。
来週試験ということもあり、授業にも熱が入る。のは教師ばかりなりで、俺としちゃ微速前進でしかない。いつもにも増して内容が頭に入らん。
右から左に聞き流しているつもりはないのだが、まったく頭に入ってこない。それもこれも月曜日のせいとしか思えねえ。
休み時間といえばハルヒはたいてい机をあけるのだが、今日のハルヒはマル秘ノートになにごとか書き連ねている。
覗こうと思ったら、顔を真っ赤にして大声で怒鳴られた。クラスの注目が一瞬俺たちに注目したが、なんだこいつらか。そんな目で見られて終わった。
これもまた月曜日のせいに違いない。

昼休み。いつも通り谷口と国木田と弁当を食うことになる。
「来週はとうとう試験期間かよ〜 なんか部屋の隅でガタガタ震えながら命乞いする準備はok?って言われてるような気がするぜ」
谷口はそう言いながら、世界の終わりが一週間後に来ると信じたいような顔で箸を動かしはじめた。
「月曜日ってだけで憂鬱なんだ。来週の話をすんじゃねえよ」俺はそう言いつつ、だし巻き卵を箸で摘んだ。
「あれだな、今日、夜にでもカラオケでいろいろ嫌なことを忘れちまうってのはどうだ?」谷口は妙案だろう?という顔をしながら言う。
「おまえにしちゃなかなかのアイディアだ。乗ったぜ」と俺は答えた。
「二人とも、いきなり現実逃避?」国木田がお茶を啜りながら言う。「もうちょっと前向きになれないの?」
「おめ〜はいいよなぁ」谷口が箸で国木田を指しながら言った。「期末だ中間だといちいち騒ぐ必要もねえ。この前の模試なんつーのも良かったんだろ?」
「順位はあがったけど、佐々木さんにその上いかれちゃったからね。プラマイゼロって感じだね。まあ次にこそはってところだけど」国木田が澄まし顔で言葉を返した。
「いいよなぁ〜前途有望な若人はさ。それに引き換え俺やキョンなんてもう人生終了ムードが漂ってるぜ」
「俺を勝手に混ぜるな」俺はそう言って、口に茶を運んだ。
「なんだよ、お前だって俺と似たようなもんじゃねえか? それともあれか? そろそろ涼宮に頭を下げて教えを請うのか?」
「ああそれがいいよ。キョンに地力はあると思うし、ちゃんとやれば僕ぐらいの成績出すことだって夢じゃないよ」
「いいよなぁ〜キョンは。涼宮の学力ならたいていの国公立行けるんじゃねえの? お前も涼宮に勉強教わりゃ一緒に国公立狙えるんじゃねえか? まったく羨ましい限りだぜ。
いや、まてよ……涼宮と違う勉強に精を出して、成績下がっちまうかもしれねえな」二ヒヒと谷口が笑った。

茶を吹き出しそうになったのは、内緒だぜ。
「谷口は下品だなあ」国木田はそう良いながら、澄まし顔で言葉を続けた。「でもうらやましいのは事実だね」
「だろう? 俺らも早いこと女捕まえて青春を謳歌したいもんだ。な、国木田」
「僕を勝手に混ぜないでよ。僕は女なら誰でもいいって訳じゃないよ」あからさまに迷惑だという表情を浮かべながら国木田が言った。
「俺だって女なら誰でもいいつー訳じゃねえよ」と谷口はぼやいているが、これまでを振り返るととてもそうは思えん。
「見境なく声かけているのは誰だよ。万が一うまくいっても、すぐ振られるし……もうちょっと相手を絞って、じっくり取り組んだ方がいいよ」
「ふん、彼女のいねえお前に言われても説得力つーもんがねえんだよ。お、この中で唯一彼女持ちといえばキョンだな。長続きするコツなんてあるのか?」
「ああ、あるぞ」俺は鳥の唐揚げを箸でつまんだ。「ひとつだけな」
「あるのか。意外だな。ぜひ教えてほしいもんだぜ」谷口が弁当を食う手を休めて俺に言った。
「僕もちょっと興味あるね」驚いたことに国木田まで身を乗り出してきた。
「なに、そんなに難しいことじゃねえよ」
「もったいぶらずに教えろよ」
「忍耐だ。耐え忍ぶことだ。それしかねえ」俺はそういって鳥の唐揚げを口に運ぶ。
谷口と国木田のがっかりした表情は、なかなか見応えがあったぜ。

午後の授業も上の空で進行していく。気がついたら休み時間で、気がついたらHRで、今やもう放課後だ。
まったくどうしちまったのかね、俺は。ここんとこなにもなかったからな。気が緩んでるのかもしれん。
でなければ、今日が月曜日だからとしか思えん。ま、部室にいって朝比奈さんの入れる茶でも飲んでリラックスするに限るな。
振り返るとすでにハルヒはいなかった。また瞬間移動を決めたのか。まあどうでもいい話だが。
谷口とカラオケ大会の段取りを決めてから、教室を出た。廊下をすれ違う下級生が軽く会釈してくる。それに会釈を返しつつ、目指すは部室だ。
渡り廊下をあるくと、すこしばかり蒸し暑い風にうんざりするな。もうじき梅雨明けか。梅雨明けすれば夏か。今年も夏合宿やるのかね。
もっとも夏休み前半は例年通り帰郷したいと思っているのだが、それは今度期末試験の結果次第だ。
結果が悪けりゃどっかの予備校に放り込まれ、夏期講習に参加しろって話になるだろう。そうなりゃ俺の夏休みはないも同然。
青春の甘酸っぱい記憶には無縁な夏になるかもしれん。まったく高二の夏は一度きりしかねえってのにな。
もっとも手がないわけではない。昼休みには口にしなかったが、今週末の日曜日はわが家にハルヒ大先生をお招きしての大勉強会が予定されている。
ハルヒは何故か使命感に燃えているようだし、俺の親が反対するわけもない。どうでもいい話ではあるが、妹は跳びはねて喜んでいたことを付け加えておこうか。

部室のドアをノックすれば、朝比奈さんのファンシーかつでメルヘンな声が返ってきた。
扉をあければ、ニヤケ顔の古泉がうなずき、エプロンドレス姿の朝比奈さんが笑顔で出迎えてくれる。
もちろん長門もいる。指定席にちょこんと座り、黙々と読書中だ。
俺は全員と挨拶を交わしつつ、カバンを置き、長テーブルの指定席に腰を降ろした。
すかさず朝比奈さんが煎れ立てのお茶を持ってきてくれた。
いやはやホッとするね。いつにもまして穏やかな空気というものがあるじゃないか。月曜日の放課後になってエンジンがかかってきたぜ。
「涼宮さんは?とお聞きにならないのですか」古泉が小癪な笑みを浮かべながら言った。「喧嘩でもしたんですか?」
「それならお前には分かるだろう」
「涼宮さんは気分も上々。譬るなら春の草原に吹く風と申しましょうか。多少寝不足気味のようですが、元気でいらっしゃいますね」
「月曜日からポエムを読むな。春先だけにしとけ」
古泉は肩をすくませて、苦笑いを浮かべた。が、すぐに表情を戻した。
「ひとつお聞きしたいことがあります」古泉は表情こそいつものにやけ顔だが、声には真剣さが滲み出ていた。
「なんだ。言ってみろ」
「涼宮さんが橘さんをSOS団に誘ったという話を知ったのですが、なにかご存知ですか?」
「ああ。なにを思ったのか、あいつ突然橘を誘いやがったんだ」
朝比奈さんが息を呑む声が聞こえた。お盆を胸に抱くように固まっている。やはりあのことを思い出しているのだろうか。
「やはり、ご存知でしたか……」古泉の目は笑っていなかった。「なぜそうなったのか、教えていただけますか?」
日曜日にホームセンターに出掛け、たまたま橘に会ってちょっと立ち話をしていたら、たまたまやってきたハルヒが橘の胸を揉みしだきやがって、それからあんたSOS団に入りたいんなら、古泉くん経由で連絡しろと言ったんだ。
まるでおかしな夢のような話に聞こえるだろうが、すべて事実だ。
「なるほど、まさにへんてこな夢を聞かされたようです。で、なぜ涼宮さんは橘さんをSOS団に誘ったんしょうか?その理由は聞いていませんか?」
「なんでも妄想ボイスCDなんてもんが売れてるらしくてな。SOS団でも出すために、橘を加えたいそうだ」
「それが理由とは思えませんが……まあいいでしょう。で、橘さんの反応はいかがですか?」
「驚いていたが、それ以上に俺が驚いた」
「でしょうね。僕も同感です」古泉は考えるような目をテーブルに向けた。「しかし、理由としては弱すぎますね。謝礼を弾めば済むことなのに」
「そこがいまいちわからんがな。しかし、橘がお前のメアドを知ってるとは思わなかったな」
「そうではありません。彼女たちの組織と僕の機関は対立関係にはありますが、まったく交流がない訳ではありません。窓口はお互いに用意されています。
彼女からのメールはその窓口経由で届きました。転送の転送のそのまた転送で、僕のところに届いたという次第です」
「そうか。で、この件ハルヒにはもう伝えたのか?」
「いえ、涼宮さんは来られてすぐ鞄を置いてどこかに行かれましたし、僕としてはまずあなたにお話をお聞きしたかったので」
「そうかよ。ところで、機関とやらはなにか言ってるのか?」
「メールが僕のところに届くぐらいですからね。機関として問題視はしていません。どういう理由かわかりませんが、対立組織側の動きは停止しています。
理由が不明なのが気に入らないところですが、妙な干渉がないというのは明るい材料です。
それに彼女一人でできることは限られているし、いざとなれば古泉が盾になるだろうと皆思っているようです」
古泉は苦笑いで言葉をいったん閉じた。
「そういうわけで、機関としてはこの件涼宮さんの意思にお任せしても良いという結論となっています」
「じゃあ、お前個人の意見はどうなんだ?」
「僕としては橘さんに恨みつらみはありません。頭を下げてこちらの軍門に下るというならば、悪いようにはしないというだけです。
入団試験の件、涼宮さんに伝えても構わないと考えています」
古泉はそう言って肩をすくめ、手のひらを上に挙げて降参のポーズを取った。
「長門はどう思う?」
長門がすっと顔を上げ、透明すぎる双眸が俺をしっかりと見つめていた。小さな唇が言葉を紡ぎはじめるのに、しばらく時間がかかった。
「・・・天蓋領域からの干渉は現時点で観測されず。橘京子なる個体がもつ潜在的危険性については許容範囲。
統合情報思念体は干渉する必要を感じていない」
「つまり問題ない好きにしろというところか」
長門はうなずくと、また読書に戻った。
「朝比奈さんはどう思われます?」
「ちょっと苦手なんですよね、橘さんって」心配そうな表情を浮かべながら、朝比奈さんが言った。「わたしが入れたお茶が口に合わなかったりして、なにこれ不味いわねもうちょっとおいしいお茶ないの?とか言われたらどうしようって、それが心配です」
さしあたって危険はなさげで、宇宙的超能力的勢力も静観の構えか。未来的勢力はといえば、なにか支障があれば、朝比奈さん(大)が降臨なさっていることだろう。
ここにいる朝比奈さんがあさっての方向を心配しているようならば、支障はないと見ていい筈だ。
「とにかくハルヒに伝えても問題ないってところか」
「そうですね」ため息交じりに古泉が言った。「どんな入団試験を用意すればいいのか、頭が痛いところですが」
「ま、それはあいつに決めさせるのが一番だ。実は最初から入れる気なんか、これっぽっちもないかもしれんしな……ところでハルヒはどこ行った?」
古泉は言葉なく首を振るだけだった。

ひさびさのオセロといえど、古泉に負ける俺ではなかった。
ハルヒがいてもいなくとも腕前が変わらないところからすれば、こいつはどうも下手の横好きという部類に入るのだろう。
朝比奈さんが腕によりをかけたというスイートポテトに舌鼓を打った。かなりおいしい。驚くほどおいしい。ほっぺが落ちて止まらないほどだ。
「さて、次はなにをするか?」
「こういうのはいかがですか?」古泉はいったんかがみ込み、足下から新しいボードゲームの箱をテーブルに置いた。「カタンというそうです」
「知らんな」
「わりと古典のようです。人間性が露骨に出ると噂のゲームです」古泉がボードゲームの箱を開けながら言った。「ルールはさほど難しくありませんし」
なるほどと俺がテーブルに身を乗り出した時だった。大きな音とともに部室の扉が開いた。
ハルヒが満面の笑みをたたえつつ、部室に入ってきた。手提げ袋を手にしているが、ケーブルやマイクらしきものが飛び出している。
そのままハルヒは何事もいわず部室を横切り、団長机に手提げ袋を置いた。そのまま腰に手を当てたまま、部屋にいる全員に視線を飛ばした。
「みんなそろってるわね」見たままのことを言った。
古泉はため息をついて、またボードゲームをしまい始めた。何事か始まる予感を察知したのだろう。ゲームどころではない何かを。
「なに始めようっていうんだ?」誰も何も発言しないので、俺が口火を切るしかない。
「萌え萌え妄想ボイスCDの作成よ! 一枚500円で売りさばいて夏合宿の足しにするわよ」
「……あれ、本気だったのか」
「古泉くんはいまから有希とみくるちゃんをイメージして、萌え萌えなセリフを考えてちょうだい。有希とみくるちゃんはいまからあたしについてきて。
ボイストレーニングしてくれるって人見つけたから、これから特訓。で、キョンはこの機材をあたしのパソコンにつないで使えるようにして頂戴」
手提げ袋からはうねうねとしたケーブルが覗いている。一体それをどうすれば何ができるんだ。
「パソコンで録音するための機材。マニュアルもあるからちゃんと読めば誰だってできるって」ハルヒは出来の悪い生徒に説明する先生のように言った。
「おいおい来週期末試験だってのに、そんなことやってる暇はねえだろう」やはり誰も何も発言しないので、俺が言うしかない。
「もちろん勉強も大事。だからといって団の活動をおろそかにはできないわ。文部両道がSOS団鉄の掟よ。覚えときなさい、キョン」
文部両道って意味が違うぞ、ハルヒ。つーか、なにもこの時期にやることはねえだろう。テスト開けでもいいじゃねえか。
「ほらほら有希もみくるちゃんも用意して。といってもすぐそこだから着替えとかいらないわ。基本の基本を覚えるのは難しくないって言ってたし」
ハルヒはまるっきり俺を無視して、長門と朝比奈さんをせき立てている。
「あと、一つ話があるんだが」
「え、なんなのこの忙しい時に?」ハルヒは嫌そうな表情を露骨に見せつつ言った。「なんなの手短にね」
「橘が入団試験、受けたいそうだ。古泉経由で連絡が入った」
「ふうん、そう。わかったわ」ハルヒはなぜか意外そうな表情をみせつつ言った。「試験日は追って知らせるって、古泉君から言っておいて」
そしてハルヒは長門と朝比奈さんをつれて、部室から出て行ってしまった。

「まさに台風みたいな人ですね」古泉は引きつった笑みを浮かべながら言った。「しかし、萌え萌え妄想ボイスCDの作成とはこれまた……」
「もえっていっても、燃え上がるほうの燃えだよな。燃え燃え暴走ボイスCDがハルヒにはお似合いだろうがな」
「そうですね……なんて同意していても始まりませんが」古泉は盛大にため息をついた。「困りました」
「一応、反対したつもりだったんだがな。あえなく玉砕しちまったのさ」
「それは言われずとも分かります。ま、こうなった以上、やむを得ませんね。しかし、困りました……萌えゼリフですか……」
苦悩する古泉から視線を外し、俺は団長席に置かれたケーブルの束を見ながらどうしたもんかと頭を掻いた。

別に設定などに悩む必要はなかった。単にしかるべきところにしかるべきケーブルを差し込めば準備はできた。
なんだかよくわからないソフトウェアが入ったCDをインストールするのも簡単だった。
マニュアルにしたがって録音ソースとやらをマイクに切り替えれば準備完了。
「あーあー本日は陰鬱な月曜日なり、月曜日なり」となどといったフレーズを録音して再生してしばらく遊んでみた。
しかし、結構キレイに録れるもんだ。これならギターの弾き語りなんてのも録れるかもしれん。

古泉はノートパソコンを広げ、深刻な顔でディスプレイを見つめている。
萌え萌えセリフを書けといわれて、ほいほい書ける人などいるのだろうか。それを専門としている業種もあるのだし、いるところにはいるのだろうな。
「どうだ? 進んでるようには見えないが……」俺は古泉に声をかけてみた。
「お察しの通り、一行たりとも進んではいません」古泉はこめかみの辺りを揉みながらいった。「専門分野とかけ離れすぎてますからね」
「まあミステリーに萌える展開ってのはなさそうだしな」
「そういうミステリーもなくはないのですよ」
「そういうのも読むのか?」
「ミステリーと名がつけば、つい読んでしまいます。まぁそういうものだと思えば、それなりに楽しめますよ」
「そうか?」
「不躾な質問をひとつ、よろしいですか?」
「あ、なんだ?」
「最近、涼宮さんに言われて萌えたセリフってのはありますか?」
「つい、火がついちまって燃えたセリフはあったがな」
「ほう。どんな状況でどんなセリフですか?」
「対戦ゲームやってストレート負けしたときに、『ふん、あたしには指一本触れられないわね!』ってセリフだ。つい勝つまでやっちまった」
「実にあなたらしいとは思いますが、まるで参考になりませんね……もうちょっと萌えるセリフはないのですか?」
「あのハルヒだぜ。萌えるセリフなんか言うわけねえだろう?」
「んー結構あなたになら言いそうな気がしますけどね……」古泉は思案顔で言った。「あなたが気がついていないだけかもしれませんよ」
「それは否定せんが、何一つ思いつかねえよ。お前はねえのか?」
「思いつかないので困ってるんですよ。そもそも萌えるセリフなんてのがピンとこないのです」
「そりゃそうだろうな。……そうだ。ネットで萌えるセリフって検索してみれば、いろいろ出てくるんじゃねえか?」
「その手がありましたね。それを改変すればなんとかなるかもしれません」
古泉は軽やかにキーボードを操り、そしてネットの海へと漕ぎだした。

自分の声を録音したり、再生したりして遊ぶにも飽きた。ぬるいシューティングゲームをせこせこやっていると、部室の扉が開いた。
自分でも驚くほどの速度でシューティングゲームを終了させた。
入ってきたのはげっそりした顔の朝比奈さんと、普段通りの長門、そして元気はつらつなハルヒの三人だった。
「ボイストレーニングとやらは終了か?」俺はハルヒに声をかけた。
「ボイストレーニングっていうよりも、筋トレに近かったけどね」ハルヒは賑やかな笑顔で答えた。「基本の基本は終了できたわ」
朝比奈さんは力なく長テーブル近くのパイプ椅子に腰掛けた。疲労困憊といった感じが見て取れる。
長門はトコトコと部室を横切り、指定席の上にある本を取り上げた。それをどうするかと思えば、そのまま鞄にしまった。
同時に下校を知らせるチャイムが鳴るのは、もはや既定事項でしかないな。

今日の集団下校はクラシカルな隊列で進んでいる。長門がわずかに先陣を切り、ハルヒと朝比奈さんが歩いている。
その後ろをすこし遅れて俺と古泉が歩いている。
「で、どうだ? セリフのほうは進んだか?」俺は古泉に話しかけた。
「ネットはあまり参考にならないということが分かりましたよ。まあそれでも方向性はつかめたのが収穫でしょうね」
「使えそうなセリフがなかったのか?」
「使えるのか使えないのか分からないセリフは、それこそザクザク発掘できましたけどね」
「なら、それを改変して使えばいいだろう」
「それが特定の状況や場所、そして人物に依存しているようなのですよ。まあ出典が恋愛ゲームに偏っているのも要因だと思いますが」
「となると、ターゲットをどこに置くかって話にもなりかねないな」
「おっしゃるとおりです。まあ遊びとはいえそれなりの結果を出さなければ涼宮さんは納得されません。今回の場合、なんとなくハードルが低いようにも思うのですが……
それはそれとして、努力はつづけます。しかし、まるで賽の河原で石を積むような気分ですよ」

カラオケ大会は夜6時に駅前集合というのが、谷口との話で決まっていた。時計を見れば、中途半端な時間だった。
30分程度ならば喫茶店で時間をつぶそう。これは当然の流れというやつだ。
そういう訳で俺とハルヒは駅前の喫茶店にいる。二人でフルーツパフェなどというちとこっぱ恥ずかしいものを口にしている。
断っておくが、二人で一つのパフェを食べている訳ではない。ちゃんと二人それぞれのパフェを食べている。万年氷河期の財布にもそれぐらいの余裕はある。
しかし、ハルヒも既に参加することになっていたのはちょっとした驚きだ。有無を言わさず連れて行くつもりだったが。
「谷口に誘われたのよ。『旦那も来るし、お前もこいよな』って」
「旦那?」
「あんたのことじゃないの? あまりにも子供っぽいし、いちいち訂正する気にもならなかったわ」
「そうか」
「来週、期末だからって、現実逃避にカラオケではしゃごうってのはどうかと思うけど、まあたまには歌でも歌うのもいいってことでね」
別に良い訳はしなくてもいい。健全な高校生たるもの、ときおりカラオケボックスで盛り上がるのも悪くはない。
「たまには行ったりしてんの? あいつらとカラオケ」
「たまにだけどな」
「男だけでカラオケ行って楽しい?」
「男同士なら気兼ねもいらんしな。いいストレス発散になる」
「たまには女の子もいたりするの?」ハルヒは探るような目で俺を見つめている。なんとなく落ち着かなくなるのは何故だ。
「谷口がナンパに成功したりするとな。まあ次の週には終わってるがな」
「あいつ、なんで長続きしないのかしらねえ」ハルヒは鼻で笑った。
「気移りしやすいのか、それとも浮かれちまって彼女を見てねえのか……ま、あいつなりには努力してるようだが」
「努力って、報われる努力とそうでない努力があるけど、どっちなのかしら?」
「いまのところ後者だな。なに、まだまだ青春真っ盛りだ。あいつにもいつかは春が来ることだろうさ」
「あらあら、余裕の発言じゃない」ハルヒはニヤニヤと笑みを浮かべた。「彼女居るからって慢心してたらイターイとばっちり来るかもよ?」
「脅かすなよ」
「脅かしてないわ、事実よ事実」ハルヒは口元をナプキンで拭いながら言った。
俺の携帯電話が鳴らなければ、そのままずっと話し込んでいたに違いなかった。

慌てて駅前の待ち合わせ場所に向かえば、すでに8人のメンバーが集まっていた。男女比はキレイに5対5である。
みな私服姿であり、制服なのは俺とハルヒだけだった。
「なんだよおまえら、気が利かねえなあ」谷口がうんざりしたような表情で言う。「それじゃお楽しみが減っちまうだろう?」
「なによ、お楽しみって?」ハルヒがきょとんとした表情で言った。
「アル・コール様とのご対面だ。やっぱ多少は嗜んどかないと、大人になってから苦労するってうちの親父が言ってたしな」
ハルヒは谷口のIQが気温並みなのではないかと疑っているような表情をしているが、ため息をついただけでなにも言わなかった。
それだけでも十分成長したと思ってしまうのは、いかがなものかと自分で思うね。
「ま、いいじゃない。みんなそろったんだし、お店にいこうよ」国木田がやや苦笑いを浮かべながら谷口にいった。
「お、そうだそうだ。皆のもの、出陣じゃ出会え出会え〜」谷口は間違った時代劇調のセリフを口にしながら意気揚々と歩き出した。

顔なじみのカラオケボックスに行くのだから、そもそも酒はでてこねえだろう。と思った俺が間違いだった。
いや正確に言えば店が出す訳ではなく、持参してきている奴がいたのだが。量こそ少ないが、れっきとしたお酒、下町のナポレオンであった。
下手すりゃ警察に通報されかねんが、店としてはもめ事がおこらないかぎり、そのつもりはまるでないようだ。いやはや物わかりがいいというかなんというか。
かくしてウーロン茶がウーロンハイなり、ジュースがカクテルに変わるということになる。
もっとも量はわきまえている。ほとんど香り付け程度にしか入れないのは、持ち込んだ量が少ないこともあるが、そこらへんはさすがにわきまえているからでもある。
男子の暑苦しい合唱に熱唱する男子に釘付けの女子なんてシーンを挟みつつ、女子の可愛い合唱なんてのを経て宴は進んでいく。
最初のうちは男女それぞれに分かれて座っていたが、そのうち入り乱れ、手に手をとって熱くなにごとか語り合っている即席カップルもいる有様だ。
男子女子カップルだけでなく、男子男子カップルや、女子女子カップルなんてのができてしまうあたりが、酒が入っている何よりの証拠といえよう。
俺はといえば、両脇を谷口と国木田に挟まれ、料理に舌鼓をうち、ノンアルコールウーロンハイを嗜んでいる。
谷口と国木田のとなりには女子が座っているのだが、なぜか俺は二人にマークされているかのようだ。
ハルヒはというと、阪中とあともう一人の女子に挟まれ何事か話し込んでいるようだ。入れ替わり立ち替わり誰かしら歌っている状態なので、声までは聞こえない。
「ほら、嫁ばっかみてねえで、お前も歌えよ」谷口が俺に歌本を突きつけた。
「嫁じゃねえよ」俺は歌本を受け取りながら言った。
「涼宮は否定しなかったぜ?」谷口はポッキーを口にくわえながら行った。「旦那が来るからこいって誘ったときによ」
「あまりに子供っぽすぎて訂正する気にもならなかったとよ」ぺらぺらと歌本をめくった。どれ歌うかね。懐かしのアニメソングでも歌ってみるかね。
「涼宮流の強がりってやつじゃねえか?」谷口はスリッパを脱いで、ソファの上であぐらをかいていた。「まったく羨ましい限りだぜ」
「素直じゃねえってだけだろう?」
「どっちかというと涼宮さんより、キョンのほうがツンデレってやつに思えるよ」ほんのり頬を赤らめた国木田が言った。「素直にならないっていうかさ」
言うまでもないことだが、国木田は照れているのではなく、アルコール入りウーロン茶をちびちび飲んでいるためだ。
「そうそう。涼宮はツンデレっていうよりも、気が強いつーだけだからな。その癖お前は自分にもウソついてるだろう?」
冗談じゃねえよ。自分にウソついた記憶なんざ、生まれてこのかた一度もねえよ。どこに目をつけてんだ、お前は?
「まぁまぁ、押さえて押さえて。でも、涼宮さんだけじゃなくて、キョンも変わったよ。別に悪い意味じゃなくてね」国木田がやんわりとフォローに入った。
「そうか?」俺はリモコンに手を伸ばしつつ言った。「変わったか? 俺?」
「変わらねえ奴なんていねえのさ」谷口はなぜか醒めた目をしながら言った。「いつかはみんな変わっていく。大人になって否応無しにな」
「谷口って、お酒飲むとまともになるの?」国木田がきょとんとした表情で行った。「驚いたよ」
「バカ。親父の受け売りだ。ったく、悪かったな」谷口は照れくさそうにそっぽを向いた。
へそをまげた谷口がふんと鼻を鳴らし、国木田が必死にフォローを入れている声を聞きながら、俺はリモコンで懐かしのアニメソングを登録した。

宴はつづがなく終わった。便器を抱えて寝込むやつは出なかったが、即席カップルが何組か出来上がった。
まあ明日にはなかったことになってるかもしれんが、将来招待状が届く可能性も否定はできねえよな。
外に出れば、すこしだけ風が吹いていた。それが夏の匂いを運んできているような気がする。とっぷりと日の落ちた闇夜には月が顔を出し、遠慮がちに星がいくつか光ってみえる。いい夜だ。
ほろ酔いモードの谷口がなんとも締まらない閉会の挨拶を行い、カラオケ大会は幕を閉じた。みなそれぞれの家に散り始めた。
俺はハルヒを家まで送り届けてやらなきゃならん。そう二次会の誘いを断って、ハルヒの家に向かって歩き始めたところだ。
ハルヒも少なからず飲んだようだが、顔には出ていない。俺も少なからず飲んでしまったが、顔には出てないだろう?
「なにいってんのよ、顔赤いじゃない」そういってハルヒはへらへらと笑った。
「お前だってなんかおかしいぞ。禁酒してたんじゃなかったのか?」
「付き合い程度よ、付き合い程度」
ハルヒの口からそんな言葉がでるとは思わなかったね。
「あんただって飲んだんだし、おあいこじゃない」
商業地域を抜け、住宅街に入るととたんに闇が濃くなった。ところどころ街頭が照らす道を二人で歩いていく。
「即席カップルが何組かできてたな」と俺が話を切り出した。
「酒の勢いってすごいわね。つい思いあまって告白しちゃったらしいわ」ハルヒは上機嫌で答えた。
「そういや阪中たちとずっと一緒だったな、なに話してたんだ?」
「阪中さんの話すことといえば、ルソーのことじゃない。あと、古泉くん元気って。あの子、古泉くんに気があるのかしら?」
「かもしれんが、単なる社交辞令かもしれんぞ?」
「男って夢がないのねぇ。その癖、乙女チックな妄想はたくましいんだから。そもそも、なんでそう否定したがるの?」
「思わせぶりな女が多いからじゃねえか?」
「思わせぶりな男だっているけどね」ハルヒは嫌みたっぷりの口調で言った。「あんたのことよ、あんたの」
「おまえのセリフの半分は、嫌みでできてるのか」
「セリフで思い出したけど、古泉くんに頼んだのってどうなったか知ってる?」
「ずいぶん悩んでたぞ。ジャンルが違いすぎるってな」
「そう……でも古泉くんのことだからきっと結果出してくれるに違いないわ」
「ま、あんまりプレッシャーかけてやるなよ。あいつだっていろいろ大変なんだから」
「特別コースのこと? 数学なんて所詮、ルールにしたがって行うゲームにすぎないって、昔の人は言ったんだから」
「ほんとかよ、それ」
「ほんとよ。言葉は違うかもしんないけど、そういう意味のこと言った人がいたの」
「とても信じられん」
ハルヒはニコニコと笑顔を浮かべながら、俺に数学の歴史を話し始めた。ちんぷんかんぷんな話をな。

遠慮しがちなクラクションの音が聞こえた。反射的にハルヒの手をつかみ、手前にひっぱった。
一台の車がゆっくりとは俺たちを避けるように進み、すこしづつ加速していった。
「危ないわねえ」俺を見上げ、ハルヒはやんわりと抗議した。
素面なら罵詈雑言の一つでもとびだしてきそうな状況だったな。
「そんなことしないわよ。いつも、ありがとって優しくいってあげてるじゃない」
そんな言葉など、俺の記憶には痕跡一つのこっちゃいねえがな。
「あれ?そうだっけ?」ハルヒは、悪戯ざかりの子供のような視線を俺に向けた。「そんなことないんじゃない?」
「言ってろ。ところで、橘の入団試験はいつにするんだ? まあ、テスト明けがいいだろうがな」
「勝手に決めるなっ。団長はあたし」ハルヒはいつもより柔らかい口調でそう言った。
「分かってる。で、いつにするんだ?」
「善は急げっていうじゃない。そうねぇ……今度の土曜日にしましょう。これ、決定ね」
おいおい、急すぎねえか?燃え燃え暴走CDじゃねえ、萌え萌え妄想CDの作成もあるし、期末試験もある。ちょっと欲張りすぎてねえか?
「なにいってんのよ。これまで何もなかったのが不思議なくらい充実してるじゃない。それに、橘さんも萌え萌え妄想CDに参加してもらわなきゃじゃない。で、ぜーんぶ一気にこなして、すっきりした気分で夏休みを迎えるのよ」
それはお前の言い分であって、俺らの言い分はまた違うんだが。
そう言おうと思ったが、ハルヒの闇夜を照らすような表情を見ていると、言葉がため息になって漏れてしまった。
「なによ、お酒臭い」ハルヒはふいに真顔になって言う。「なにか言いたいことがあるんなら言ったら?」
「いや、そうじゃない」
「じゃなによ?」ハルヒはすこしだけ口を尖らせて言った。表情がだだっ子のようにも見える。
「ちょっと休んでかねえか?そう言おうと思ったんだ」
「もうちょっとあるけば、公園があるから、そこで休みましょ」
ハルヒは俺の腕にぶら下がるようにしながら、そう言った。

ひっそりと静まり返った住宅街にもうけられた児童公園。自販機でスポーツ飲料をふたつ買い求めた俺は、ハルヒが待つベンチへと戻った。
ハルヒは両手をお尻の下に入れて、夜空を眺めている。ここいらは街灯もすくなく、夜に浮かぶ星がそこそこキレイに見える場所だ。
「ほれ」
俺は冷たいスポーツ飲料をハルヒの頬にくっつけてやった。ぴょこんとハルヒがちいさくはねた。
「もう酔っぱらいなんだから」ハルヒは口をへの字に曲げながら言う。
「そんな酔ってねえぜ」俺はハルヒの隣に腰を下ろそうとした。しかし、いまだにどれぐらいの感覚で座れば良いのかわからん。たいてい拳一つ分あけて座るのだが
しかし、目測というのは誤るものである。
思いもかけずハルヒの膝の上に座っちまった。勘弁してくれ、ハルヒ。思ったより酔いが回っていたようだ。
「降りなさいよ、重いわねえ」ハルヒがぶすっとした声で言う。「いつまで座ってんのよ」
「悪い悪い」
「まったくスケベにもほどがあるわ。こんな場所でじゃれあおうなんて100年早いわよ」
などとハルヒはぶつぶつ文句を言っているが、取り合う気もない俺はスポーツドリンクのキャップを開けて、軽く喉を潤すことにした。
「結構酔ってるの?」今日初めてハルヒの心配そうな声が聞こえた。「気持ち悪くない?大丈夫?」
「ああ、別段そういうことはない。なんたって、最後の方はノンアルコールウーロンハイを飲んでいたからな」
「それ、単なるウーロン茶でしょうが。あんたの冗談はほんと面白くないわね」
そのあとはしばらく無口になった。別に不愉快な沈黙じゃない。お互いが隣にいるっていう安心感が含まれた静寂だ。
「古泉くんいまごろ頭かきむしってる頃かもね」ハルヒは面白そうに言った。
「かもしれん。でも、あいつノートパソコン持って帰ってはいなかったな」
「家にパソコンあるんじゃないかしら。そうそう、みくるちゃん、結構がんばってたのよ。声を出す練習って結構疲れるのね」
「長門はどうだったんだ?」
「ん?あの子、すごいわね。顔色一つ変えずによく声が出るのよ。普段、ぼそぼそしゃべるからてっきり声出せないんだと思ってたんだけど」
それはきっと人類には解明できない技術ゆえの出来事だろうな。
「みんながんばってるな」俺はただマイクをパソコンにつないで、自分の声を録音したり再生したりして遊んでいただけだが。
「それも大事な仕事よ」ハルヒは珍しく俺の仕事を評価することにしたようだ。「それがないと、CD作れないもの」
「お褒めに預かり光栄にございますよ、姫君」
「……なんかムカつく」ハルヒはペットボトルを加え、上目遣いで俺を見ている。「なんかバカにしてない?」
「してねえよ」
ハルヒがペットボトルを脇に置いた。俺を挑戦的な目で見上げている。その唇だけが妙に艶かしく感じて、胸が高鳴る。
ふいに肩に手が置かれた。俺の目をみつめながら、ハルヒが徐々に顔を近づけてくる。と同時にハルヒの吐息にかすかなアルコールを感じる。
「酒気帯びでつかまりそうだぜ」唇を動かすと、ハルヒの唇にすこし触れるほどの距離にだった。
「姫君からのご褒美はここまでよ。あとはあんたの次第……」そういってハルヒは瞳を閉じた。「好きにしなさい」
このセリフは萌えたね。俺にも萌えってもんが分かったような気がするぜ。だがな、このセリフは俺のもんだ。
古泉なんぞにくれてやる理由はないね。

おわり

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最終更新:2021年10月26日 18:46