「帰ってしまっていいのですか?」
隣のニヤケ顔が覗き込んできた。なんと返していいものか何故か言葉が見つからず、
しらばっくれるというよりも視線から逃れるように顔をそむける。
三月に入ったとはいってもまだそれなりに寒く、しかも日が沈んでから下る北高から
駅までの坂道はどことなく寂寥感を煽る。隣を歩く長門に一言ふたこと話しかけては
みるものの、会話が続かなくて困り顔を浮かべた朝比奈さんと、どこ吹く風で
無機質な表情のまま規則的な足音を響かせる長門が前を歩いているのが見るとも
なしに視界に入った。ハルヒはいない。本人の申告通りなら、部室で機関誌に載せる
論文を執筆しているはずである。なんでも筆がのってきたとかで、中断したくない
らしい。先に帰ってていいわよ! というありがたい団長のお言葉どおりに、俺たち
四人は肩を並べて下校中、という訳である。
「駅まで一本道、街灯があるとはいえ暗い。若い女性が一人で歩くには向いている
とは思えませんが」
古泉はしつこかった。放っておくといつまでも似非爽やかスマイルのままこちらを
見続けるような気がしたから、渋々相手をしてやることにする。
「あいつが先に帰れって言ったんだ。待つ道理はないんじゃないか?」
「それはあなたの意思とは無関係でしょう」
ハルヒを待たない正当な理由を述べたが、理屈とも屁理屈ともとれる言葉で
あっさりと返された。
 
 
ここだけの話ですが、ともったいぶった前置きをして、古泉はさらに顔をよせる。
近いぞ吐息を吹きかけるな。
「数日前からこのあたりに変質者が出る、という話を聞きます」
「俺は初耳だな」
「それはそれは、今知ることが出来て良かったじゃないですか」
だからなんだ。さっさと本題を言え。だいたい察しはついてるが。
「話が早くてなによりです。今からでも遅くない、涼宮さんと一緒に帰ったら
どうです? その件の変質者とやらはまだ捕まってはいないようですので、
万が一涼宮さんに被害が及んだら大変です」
「アルバイトとやらが増えるから、か?」
皮肉をこめて言ったつもりだったが、何をどうとらえたのか古泉は一瞬真顔になり、
それからふっと口元に片手をよせて笑った。
「口実が必要でしたら、そういうことにしておきましょうか。ええ、もしそんなことが
起こったりしたら、閉鎖空間の発生どころか、この世界がまるごと改変されても
おかしくはないでしょう」
「そうか」
それきり古泉は黙り込んだ。思春期真っ盛りの弟の初恋を眺めている兄のような、
ムカつく笑顔を浮かべたままだったが。
なまぬるい視線が右から飛んでくるのを無視しつつ、前を行く二人に声をかけた。
「長門、朝比奈さん。俺ちょっと忘れ物したんで戻ります」
 
 
「そう」
首だけ振り向いて簡潔な返事をしたのが長門で、
「忘れ物、ですかぁ。待ってましょうか?」
立ち止まってにこやかに片手をふって下さったのが朝比奈さんである。いえ、
俺ごとき待っていただかなくて結構ですよ、それより早く帰ったほうがいいと
思いますし俺の心臓にも優しいです。
「もう結構な時間です。お気をつけて」
古泉、お前には言ってない。
長門と朝比奈さんにまた明日と会釈して、お二人のことは僕が責任を持って
送りますので、などと続ける奴の表情をなるべく視野にいれないように踵を返して、
俺はたった今下ってきた坂道の頂上をにらみつけた。
こんな坂を上るのは朝に一回だけで充分なんだがな。
 
 

 
 
知り合いに遭遇して理由を聞かれたり下手に勘繰られたりしたらいろいろと面倒だ、
などと内心思いつつ来た道を戻ったが、幸いなことに見知った顔どころか下校する
生徒に出会うことなく昇降口にたどり着けた。放課になってからかなりの時間が
過ぎてはいるものの、部活終了時刻にはまだ若干早いというこの中途半端な時間が
よかったらしい。
誰もいない、電気もついていない昇降口で、下駄箱と廊下を結ぶスノコにやる気なく
座り込んで俺は忘れ物を待っていた。筆がのっているから、という理由で集団下校を
拒んだあいつのことだ、のこのこ文芸部室に戻っても追い返されるだけのような
気がしたし、かと言ってメールや電話で邪魔をするのも怒鳴られるだけだろう。
下駄箱の並ぶ玄関で人を待つという、出来損ないの中学生日記のような
シチュエーションになったのはそういうわけである。断っておくが、部室まで迎えに
行くのが気恥ずかしかったとか、そういうことでは決してない。そこ、笑うな。
立てていた足を下履きのままスノコの上に投げ出して、俺は腕時計で時刻を確認する。
もうそろそろ完全下校時刻になる。さすがに規則を破ってまで潜伏することは
ないだろう、とはアイツに限っては言い切れないが、少なくとも明かりをつけて
作業しているのなら見回りの教師にも注意されるはずだ。ハルヒは頭のネジこそ
数本飛んではいるが、説教されてまで続けるほど阿呆ではないだろう、と思う。
……同じか。
などとやくたいもないことを徒然に考えていると、暗い廊下を誰かが歩いてくる
のに気が付いて立ち上がる。暗さで顔は判別できないが、側頭部でリボンがはねる
シルエットは間違いなくハルヒだろう。
ようやくやってきた忘れ物の驚いたような怒ったような表情がだんだんと近づいて
くるのを見て、そういえば二人だけで帰るのは十一月の雨の日以来だったな、と
なんとなく思い出し、今更だが無意味に緊張した。
 
 


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