困った。
 わたしにしては珍しく、そう思う。
 時刻は午後五時、場所はわたしの部屋。
 ここにいるのはわたしと古泉一樹。
 稀な組み合わせ。
 しかし彼は、
「うわー、広いー」
 ――七歳児。
「何もなくて、寂しくないですか?」
 彼は子供の様に無邪気に――実際にオツムも体も七歳児だけれど――言う。
 「カチンと来て」思わず呟く。
「……余計なお世話」


 困った。
 もう一度思って、溜め息をもらす。
 この状況下に置かれてから加速度的にエラーが増加している。
 このままではいつ暴走するか分からない。
 そうなる前に解決策を探さないといけない。けれど、
「ここ開けてもいい?」
 和室の扉を指差して首を傾けて、尋ねる。
 その「愛くるしい」様子に何とも言えないもの(これもエラー)を覚えた。
 認めざるをえない。わたしはこの状況を『楽しんで』いる。
「有希ねえ」
 と、何かに突き動かされるように言った。
「?」
 古泉一樹(七歳児)が不思議そうにわたしの目を見つめる。
「『有希ねえ』と、そう呼んで」
 作り物の体の奥からわき起こる『激情』に身を委ね言い切る。
「貴方はわたしより年下」
 古泉一樹はやはり幼少時代から理知的だったのだろうか、
 高校時代の雰囲気を見い出せる顔に理解の笑みを浮かべ、
「有希ねえ、ここ開けていい?」
 ……もしかしたらわたしにはこういう属性があるのかもしれない、心拍数が増加する。
 種類を問わずに本をあさって生まれた性癖だろうか。それとも思念体の趣味だろうか。
 自分が変態か、親が変態か、ある意味において究極の二択。
 しかし、出来れば後者であって欲しい。……「人」として。
 そんな苦悩の海を泳ぐわたしに彼は、
「大丈夫? 顔が赤いよ」
 顔と顔の距離、わずか十センチ。吐息のかかる距離。
「のーぷりょぶれむ」
 噛んだ。盛大に噛んだ。慣れない事はするものではない。
 格好つけて滑る事程格好がつかない物はない。
「大丈夫」
 仕方なく言い直した。「恥ずかしさ」で体温が上昇する。
 いけない。ビー・クール。ビー・クール、ユッキー。
 うん。何かの制汗剤のようなフレーズ。
 クールユッキー新発売。
 ……落ち着こう。
 その為にこの状況の原因を振り返るのは悪くないとわたしは信じる。
 それは遡ること一時間五十分前。

………
……



 わたしが本を読んでいると、機関の森を名乗る女性から電話がかかって来た。
 けれど、適当に相槌と沈黙を挟んでやりすごす事にした。
 普段からそんな感じ、慣れている
『突然のお電話すいません』
「……いい」
 ハラリとページを捲る。
『実は古泉が行方不明なのですが』
 ……なんだ、そんな事か。
 古泉一樹が何時、何処で、誰に、『ナニ』をして、捕まろうがわたしには関係ない。
 それより今は良いとこ。邪魔しないで。
 なんと、主人公が意を決してポニテ萌えをヒロインに伝達しているクライマックスのシーン。
『知りませんか』と彼女は尋ねる。
「知らない」と答えつつページをめくる。
「……」
 しかし、直後の挿絵のキスシーンにエラーを検出する。きっと何処かの二人に似ているからだろう。
 わたしは思わず本を壁に投げた。
 すると、本は壁を貫通し、穴を穿つ。いけない、慌てて壁を再構成する。
 ……ついでに自白すれば、この本はいつもこのシーンで諦めてしまう。
 きっと最後は無口な文芸部員の宇宙人と主人公が結ばれるはずだが、
 この心掻き乱す挿絵のせいで確認がとれていない。損をした心持だ。
 毎回毎回、壁に投げては穴を開けている。
 今月はもう十回目だ。ちなみに最高記録は一日に五回。
 あの「暴走」した冬の日だ。あの日はどうにも収まらなくて、結局世界を改変してしまった。
 どうすれば良いのか。無口読書キャラとして読めない本があっては女が廃る。
 わりと深刻に悩んでいたわたしは、森園生の抑えた「聞いてないですね」との問いに、
 「そう」と条件反射的に答えてしまい、下唇を噛んだ。
 この森園生、中々の策士である。喜緑江美里には劣るが。
『……』
「……」
 ああ、宅配便でも来ないだろうか。この沈黙はわたしには重い。……普段は何ともないけど。
 と、図ったようにインターフォンがなる。誰だか分からないけど、ぐっじょぶ。
「お客さん」
『はい?』
「しばらく待ってて」
『あ、ちょ――』
 わたしはゆっくりゆっくり歩を進める。そして、
「……」
『長門、俺だ』
「はいって」
 彼だった。声が裏返ってないといいけど。
 心情的にはエクスクラメーション・マークを六個程付けたかったが、キャラ的に慎んだ。
「お客さんが来た。切る」
『……そうですか』
 声に「もう頼んねーよ」な雰囲気が漂っていたので、遠慮なく切った。
 バイバイ。森っち。
「お邪魔します」
「……?」
 子供の声だ。不審に思いつつ玄関に向かった。そこでは彼が困ったように笑っていた。
「よう、長門」
 その横に小学校一年生くらいの見覚えのある男の子がいる。
「実はこいつ、古泉だ」


 全世界が停止したかに思われた。
 少なくともわたしはコンマ一秒の間それに反応が出来なかった。
「いや、それ普通やーん」
「何か言ったか」
 彼の問いに緩慢に首を横に振った。
 ……まさか口に出ているとは。セルフ・ノリ・ツッコミは危険だ。
「……」
 とりあえず誤魔化す為に彼の目をじっと覗いた。
 それから古泉一樹らしい少年を見た。
「ああ、そうだったな……つまり」
 それだけで通じるんだから素晴らしい。
 でも出来れば最初に込めた「だいすき」な視線にも気付いて欲しかった。
「今日、話があるってんで古泉に呼び出されたんだが――」
 本当は会話を省略するべきではないと思うけど、彼の言葉はわたしだけの物。
「――ってな訳だ」
 それに話の要旨は「突然古泉一樹が縮んだ、どうしよう」だけ。
「そう」と、とりあえず言った。
 言いつつ、頭の中ではこうなった原因を熟慮している。いや、考えるまでもない。
 原因はアポトキ――げふんげふん。涼宮ハルヒに違いない。
「だよな……」
 彼は物憂げに息を吐く。
「おそらく」
「何が不満なんだ、あいつは」
 分からない。
 ……どうせなら彼を小さくすれば良かったのに。
 きっと一目見ただけで失神できるほどに可愛いだろう。
 わたしなら即お持ち帰りする。
 そして抱き枕の様に腕の中に収めて一晩を明かしたい。
「……おい、長門大丈夫か? 顔が赤いぞ」
「だいじょうぶ」
 グイっと親指を立てて健康体アピール。でも、思うに……これは逆効果。
「ちょっとすまん」
 案の定、戸惑った彼の手が額に触れる。あったかい。
「熱はないみたいだが……」
 彼は顎に手を当て考え込む。
「今日はいったん古泉を連れて帰るよ。
機関の関係者に連絡がつけばそれが一番なんだがな」
 そう言って立ち去ろうとする彼。対して古泉一樹(七歳児)はわたしの袖を掴み、
「僕かえりたくない」
 ワガママを言わないで。
 本当はわたしだって彼の袖を掴んで「今夜は……かえさない」としたい所を、ぐっと堪えているのに。
 これだから子どもは……。
「おい、ワガママ言うんじゃない」と諭されると、
「僕、ださいからお兄ちゃん嫌い」


 ……うわ。
「は、ははは……長門、すまん、帰るわ」
 余程衝撃だったのか、わたしの返事も聞かず、古泉一樹を残し、出て行く彼。
 玄関の戸が寂しい音をたててしまる。
 取り合えず隣の残酷なまでに無邪気な少年に言っておいた。
「その生意気な口聞けなくすんぞ」と。


 当然、今のはスペースジョーク。ほんとは……
「古泉一樹」
「何?」
「その小生意気な口を聞けなくする」
「え、怖……あ、ちょ――」



……
………


 そんな訳である。
 大人に対する口のきき方を教えてからは、
 わたしの知っている古泉一樹の口調に微量近付いたようだ。
「有希ねえ」
 でも、破壊力抜群……。鼻血が。
「お腹が空いた」
 その主張に、
「……カレーは好き?」
 この少年、ほんの数瞬考えてから、「好きです」と答えた。
 ふふん。まだ、甘いな。
 真のカレー好きは訊かれるより先にカレー好きをアピールしなければいけない。
 早弁はカレーパン。
 弁当は当然カレー。
 香水の替わりにカレー粉を体に吹き付け、
 髪をカレー色に染め、
 懐にガラムマサラを常備っ。
 これぞ真のカレーラー……語呂が悪い。
 では、カレラー? 外人みたいだ。でもカラーだと意味が違う。
 よし、カレーフリーク略してカレフリ。……捕まりそう。取りあえず、
「夕飯はカレーにする」
「えー、でも今日は暑いで――」
 わたしは彼の頭を撫でつつ目を覗き込んで言った。
「カレーは好き?」
「はい」
「夕飯はカレー、文句は」
「ないです」
 よし、平和的に解決した。
 これは喜緑江美里に教わったやり方。
 しかし、彼女は笑んでるだけで話が進む。
 残念ながらわたしはまだその域に達していない。
 あ、でも、部費の調整会議の時は上手くいった。
 「笑い」ながらじっと目を見る。それだけがポイント。
 話が逸れた。
 夕飯の準備をしよう。わたしは冷蔵庫からキャベツを一つ取り出した。
「僕キャベ――」
 わたしは古泉一樹の頭を撫でつつ以下略。
 キャベツを刻み終えると、今度はレトルトパックを取り出した。
「それ手ぬ――」
 わたし以下略。
「出来上がり」
 いつかの食卓がそこにはあった。
 ふと考えればこの手料理(わたしは断固そう主張する)をもう三人に振る舞った事になる。
 となると残った一人――涼宮ハルヒもこれを食べる日が来るのだろうか?
 ……。
 ハバネロを買っておこう。
『いただきます』
 わたしたちは手を合わせ同時に言った。
 古泉一樹(七歳児)はそこら中に撒き散らかしながらカレーを頬張っている。
 後で掃除をするよう「交渉」しよう。


 「自主的」に古泉一樹が皿洗いをしてくれるので大助かりだ。
 将来はきっと良い旦那さんになるだろう。
「疲れた」
 乱暴に座布団に座る古泉一樹。
「有希ねえ人使い荒すぎます」
 そんな事はない。わたしの知り合いにもっとすごい人がいる。
 ところで、疲れた?
 古泉一樹は首を深く前後させる。しょうがない、労ってあげよう。
「来て。……違う、そう」
 身振り手振りでようやく意図した体制になる。いわゆる膝枕。
 耳が赤くなってる彼の頭を撫でながら、いつかどこかで聞いた「子守唄」をくちずさむ。
 すぐに小さな寝息をたて始めた。
 その幸福の音につられるように、いつしかわたしも夢の世界へ誘われ……。



……
………


「あの、長門さん」
 ふと、腹部の辺りから聞き知った声がする。
「戻った」
「ええ、戻りました。それで……」
 困ったような声が要求することをわたしは即座に実行した。
「どうも」
「いい」
 体を起こした古泉一樹と向き合う。
 ……さっきまでの自然な笑い顔の方が良いと思う。
「まあ、色々無理してますから」
「そう」
「それにしても幼児退向とは、涼宮さんも中々凄いことを考えましたね」
「原因は不明」
 わたしが言うと、更に不自然な笑みを浮かべた。
「心当たりはありますよ」
 ちょっと迷ってから、言う。
「聞かせて」
「実は先日涼宮さんから愚痴を聞かされたんです『彼』がノラリクラリとしてるのは、
僕みたいな『頼りになる』人が身近にいるからじゃないかとね」
 なるほど。原因は理解した、でも。
「なぜ戻った」
「さあ、こればかりは神のみぞ知る、ですね。あるいは彼が男を見せたのかもしれませんが」
「そう」
 それにしても残念だ。さっきまでの古泉一樹はだいぶ可愛げがあったのに。
「それで有希ね――」
 言い間違えて彼は赤面した。わたしは手元にあった文庫本で口を覆った。
 きっと今は口元が「にやりと」している。
「それで構わない」
 くぐもった声が言う。
「いや、長門さんがそうでも僕のほうに問題が……」
「なら返事しない」
 わたしはきっぱりと言った。
「へ? ……いや、あの長門さん」
 無視。
「長門さーん、長門有希さん、長門ちゃん、長門っち、戦艦、ゆきっこ、ちょうもん、ゆきりん、ゆきゆき……」
 余計な語句が混じっているから、わたしは彼を二、三発文庫ではたいた。
 ……ともかく、わたしは気付いたのだ。
 どうやらわたしは「そういう」趣味なのではなく、単に年上扱いされたかっただけなのだと。
 朝倉涼子然り、喜緑江美里然り、涼宮ハルヒ然り……。
 わたしの周りにはわたしより年上の様な人物ばかりいる。だから、少しは姉貴風を吹かしてみたい。


 結局、古泉一樹が折れるまでにもう三十分要した。
「有希ねえ、……これでいいんですよね?」
「そう」
 わたしは満足げにうなずいた。


終わってくれ。

|