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 「日本史の教科書が、なくなった?! 長門さんのがですか?」

 僕の素っ頓狂な声がコンクリート地が見え隠れする廊下に響く。 ああ、いけない。 今まで築き上げたイメージが。 涼宮さんや彼が聞いてなきゃいいんだけど……。

「そう。 あなたに教科書を借りた翌日、もう忘れないように鞄に入れて登校し、ロッカーに入れた。 しかし、今より5分56秒前に廊下に固定してある生徒用ロッカーから日本史の教科書を取り出そうとしたら、教科書がなかった。 昨日、13時16分46秒に世界史の教科書を取り出した際には確かにあったにも拘らず。」

 相合傘事件が勃発した日の翌日。 長門さんは、再び9組の教室に現れた。 またよりにもよって廊下側の席の山田くんに僕を呼ばせて。 ああ、背中に刺さるニヤニヤとした視線。 昨日あれから散々からかわれたっけ……。 皆、口では羨ましいだの何だの言ってたけど、本当は慌てふためく僕を見て楽しんでいたに違いない。
  普段、涼宮さんが求めるイメージに沿った古泉一樹を徹底していると、どうしてもほころびが出来た際にこうやってからかわれる。 僕だって人間だ。 完璧な人間なんかいるもんか。 慌てる時は慌てるさ。 恥しい時は恥しい。

 いや、僕のことはどうでもいい。 長門さんが物を無くすなんてか考えられない。
そういうことに関しては、と、言うか、すべてのことに関してしっかりしていらっしゃる方だ。 そりゃ、ついこの間のようなついうっかりをしでかすことも無いとは言えないが、
しかし、そう簡単に、本人曰く、うかつ。な状況に陥ってしまう人ではないことを、僕が証明する。 必要ならば、〝彼〟や涼宮さん、朝比奈さんだって頷いてくれるだろう。
なのに、長門さんの北高指定の日本史の教科書が忽然と姿を消したというのである。
 

「次の授業は日本史。 また、教科書を貸して欲しい。 だめ?」

「教科書をお貸しするのは一向に構いませんが……。 どうしたのでしょう、教科書が急になくなるなんて。 教科書に足が生えるわけもありませんし……。」

「生やすことは、不可能ではない。 情……なんでもない、禁則事項。」

今明らかに、教科書に情報操作で脚を生やすことはたやすいって言おうとしましたね。   で、ちょうど僕たちを真横からニヤニヤした空気を纏いながら眺めている山田君の視線に気が付いて言うのをやめた。 さきほど、あなたをうかつな人ではないと言いましたが、前言撤回が必要なようです。 冗談を言うようになってから、少しずつではありますがお喋りになってきましたよね。 もちろん、以前の長門さんと比べたら、ですが。

 ちなみに、長門さんのジョークが山田くんの耳に入ったような気配は無く、相変わらず、彼はニヤニヤと僕たちを見つめている。 本人的には見守っているつもりなのだろう。 そしてそれは、僕の背中にニヤニヤした視線を突き刺す他のクラスメート達にも言える。 少々ウンザリした気持ちで山田くんの方をもう一度視線を移すと、彼は急にニヤニヤの顔を潜めて、ちょっと眉間に皺を寄せた。 〝彼〟といい、山田くんといい、眉間に出来た皺が似合う男というのは少し羨ましいものである。 いや、そんなことはどうでもいい。 問題は、その眉間に〝彼〟の様な皺を寄せた山田くんの次の一言だ。

「なぁ、それって盗まれたんじゃね?」

…………。 三点リーダ。  絶句というよりも、ぽかーんという方が正しい。 それは、長門さんも同じらしくあまりお見掛けすることのないぽかんとした表情をしている。
盗むって、皆持ってる教科書を、何故?

「いや、お前らみたいな真面目ちゃんには分からんかもしれんが、結構あるんだぞ。 教科書の盗難。 とにかく誰でもいいんだ。 困らせてやろうってやつ。 うちのロッカー、生徒が変なもん隠さないように鍵無いだろ。 誰でも簡単に空け閉め出来るから、盗みやすいんだ。 かと言ってロッカー使わないわけにもいかないから、学校側も放置だし。」

 僕が真面目ちゃんかどうかは疑わしいが、全くもって理解できない話である。 他人の教科書を盗んで一体何の役に立つというのだ? 困らせたところで、良心が痛むだけだろう。

「世の中にはな、悪いことと分かっていながら、そのスリルが忘れられない人間もいるんだよ。 それがいつしか、罪悪感が快感になるらしい。 俺にも理解は出来んがな。 もしかしたら、好きな子ほど虐めちゃうとかいう馬鹿がやったのかもしれんし。」

 好きな子ほど虐めちゃうって、小学生ですか。 

「盗まれたって、この学校の生徒にですか?」

「それしかいないだろ? センコーとかだったら問題だよな。 さすがに部外者ってことはないだろうし。 ま、まだ盗みと決まったわけじゃないけどな。 もしかしたら、誰かが勝手に借りてるとか、間違えて他の奴がもってっちゃったとか、そんなんじゃねーの?」

 さっきのシリアスムードはどこへやら、にっこりと軽口を叩く山田くんにいっしゅん唖然としながらも、僕は長門さんの方を見た。 僕をきょとんと見返す長門さんを見ていると、ほんのちょっとだけ、困った時はどんな顔をするんだろうな、などと考えてしまう。
はッ! だめだだめだ、それじゃいるかどうかすら怪しい馬鹿と同じじゃないか。
むしろ僕としては、困った顔より楽しそうな顔の方が……いや、それこそどうでもいい。

「長門さん。 これから、どうします? 教科書が無ければ不便でしょう?」

「暫く探して見つからなかったら、新しいものを購入しようと思う。 しかし、教科書自体の発行部数が限られているため、入手困難。 注文しても数週間は掛かるらしい。 もしよければ、新しい教科書が届くまで、私のクラスで日本史の授業がある際には教科書を貸して欲しい。」

 だめ? と、仰りながら首を傾げる長門さんにNO、と言える方がいたとしたら、ぜひお会いしたい。 勿論僕はそんな非情、もしくは下心の皆無な人間でもないので、ついつい頷いてしまった。 それが、クラスの人間の大半のニヤニヤを増大させるとも知らずに。

そして、この選択が、のちのち僕の高校時代の甘酸っぱい一ページに彩を添えると言うことにも、僕は考えもしなかった。

<続く>

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