超能力者を訪ねてへ続きます
何故か小、中、高校における学校生活において、他クラスへの侵入というのは憚られ、
他クラスの人間に用がある場合は廊下側の人間に目的の人物を廊下まで呼んでもらうというのが暗黙のルールである。
そこには、おそらくクラス間の見えない縄張り意識のようなものがあり、 そこを侵略しないと言う言外の言及が含まれているのだろう。
そして、その暗黙のルールを順守した者は、客として丁重に迎えられるのである。
これは、とある僕への客人の訪問が招いたちょっとした事件とも言えない事件のお話。
「おーい! 古泉。 客だぞー! ……女の!」
三時間目と四時間目の間の休み時間。 廊下側に居たクラスメートの呼びかけに視線を移すと同時に、
問題の呼びかけの後半部分が、嫌に鋭く、また何かしらのいやらしさを孕んで教室内に響いた。 ニヤニヤ、といった雰囲気である。
そういえばよく、〝彼〟が僕の表情をそう揶揄することがあるが、 僕の立場で自分たちを見たことがないからそんなことが言えるんだと、ほとほと呆れかえる。
〝彼〟と涼宮さんの関係といったら、まるで小学生が互いのことが気になって仕方がないのに、
目が合うとつい悪口言っちゃうの! みたいなベタな小さな恋のメロディのにおいがぷんぷんしていて、
それを間近で見せ付けられてニヤニヤせずにいられる人がいるとしたら、ぜひお会いしたい。
いや、そんなことはどうでもよくて。 僕のクラスメートに客人として紹介される、僕に用のある女生徒というのに心当たりがない。
涼宮さんは、クラス間に浸透する暗黙のルールなど知ったことかと言わんばかりに、僕がこの高校に転校してきたあの日のリプレイ、ずかずかと僕の席へ一直線に赴くだろうし、三年生の朝比奈さんが二年生の僕に用があるとは思えない。 いや、涼宮さんがらみならあるかもしれないだろうが、
今現在の涼宮さんの機嫌は、最高に最初っから最後までクライマックスで幸せで幸せでしょうがないといった風であり、必殺技のパート5くらい出せそう勢いだ。 もちろん、閉鎖空間もなければ、未来に多大な影響を及ぼす心配も皆無で、あの愛らしい未来人の先輩が僕のところへ取り立ててくる理由が見当たらない。
無自覚な女神は、おそらくは〝彼〟に休日のデートのお誘いを受けてルンルンなのだろう。
涼宮さんが好きそうな映画のチケットを〝彼〟に提供して正解だった。
お2人とも見事、僕に釣られてくださったわけだ。 あ、あなたも僕に釣られて見ますか?
ああ、いけないいけない。 閑話休題、鶴屋さんのセンもない。 鶴屋さんが何かしら面白いことをSOS団に提供するとしたら、まず涼宮さんに話を持っていくだろう。
では、一体誰が? と、自分を呼んだ声の主の近くに視線をうろつかせると、
なんと一番ありえないだろうと思っていた人物の姿があった。 アッシュ系のショートカットに液体窒素のような涼しげな瞳、小柄な体格――長門さんだ。
「どうかされたのですか? 涼宮さんがらみで何か問題でも?」
「違う。 涼宮ハルヒは無関係。 今日は、長門有希個人として古泉一樹にお願いがあって来た。」
まず、仕事の話に頭が行ってしまう自分が情けない。 時々、自分が超能力者であると同時に、一高校生であることを忘れてしまいそうだ。 いや、しかし、長門さんが〝彼〟ではなく、僕にお願い事というのは珍しい。 一体、何の用なのだろう。
「お願い……ですか? 長門さんが僕を頼ってくれるというのは珍しいですね。 大変嬉しく感じますよ。 で、一体どのようなお願い事なのでしょう?
僕が出来る範囲でよろしければ全力を尽くしますが。」
「教科書を、貸して欲しい。」
「教科書……ですか?」
「そう。 私としたことが日本史の教科書を忘れてしまった。 おそらく、表紙が似ている世界史のものと混同してしまったものと思われる。 うかつ。」
「それで、僕に。」
「そう。 彼と、涼宮ハルヒの社会科選択教科は、世界史Bと日本史A。 私は、日本史Bと世界史A。
あなたは私と同じ日本史Bと世界史Aを選択していたと記憶している。 地歴系の選択授業の受講を終えた最上級生である朝比奈みくるが日本史の教科書を持っているとは考えにくい。」
「そうでしたか。 長門さんにも教科書を忘れてしまうことがあるんですね。 これまたちょっと意外ですが、これもあなたが普通の女子高生に近づいている証拠なのかもしれません。
喜ばしいことですよ。 ちょうど、うちのクラスは2時間目が日本史だったので教科書はあります。 と、言いますか、僕は見かけ以上に結構ズボラで、いつもロッカーに入れっぱなしなのですけどね。
今、取り出します。 少々お待ち下さい。
……大変お待たせいたしました。 どうぞ、お持ち下さい。 部活の際に返していただければ結構ですよ。 あ、資料集はご入用ですか?」
「そちらは、平気。 ロッカーに入っている。 ……ありがとう。」
「いえいえ。 お役に立てて光栄ですよ。」
久しぶりに、長門さんとちゃんと話が出来たような気がする。 何故か長門さんは僕の問いかけを無視してしまうことが多いから。 最近は、よく目が合うというのにすぐそらされてしまうし。
暫くのいつも以上に成り立った会話ののち、僕の日本史の教科書を大事そうに抱えていった長門さんを見送りながら、僕はほんの少し、溜息をついた。
……僕ってやっぱり嫌われているのかなぁ。
次の瞬間、耳元に大音量が響く。
「こーいっずみ! お前ってホントに隅に置けないよなぁ!!」
僕の耳元近くでニヤニヤとした笑みを称えている彼は、転校生である僕に真っ先に声をかけてくれたクラスのムードメーカー、山田くんであり、彼が僕を長門さんがいる廊下まで導いた声の主である。彼は、どこか下世話なニヤニヤとした笑みを保ったまま、僕の肩に肘をうりうりと言わんばかりに押し付けてきた。
「うわ、なんですか。 山田君。 隅に置けないってあなた、忘れた教科書を他クラスの知り合いに借りに行くのは到って普通のことでしょう?
僕と長門さんは同じ部活なんですから。 それに、さっき彼女が言ってた通り、僕のところに来たのは消去法で……」
「なーに言ってんだよ! うちの学校の日本史Bと日本史Aの教科書は同じなんだぜ!
だったら日本史Aを取ってる涼宮や、えーと、なんっだっけ? あいつ、ほら、お前以外の何とか団の男団員。 奴に借りればいいだろ?
長門のクラスからだと五組の涼宮たちの方が近いじゃないか。 なんせ、隣だかんな。
なのに、長門はわざわざ9組まで来て、俺にお前を呼ばせてまでお前に教科書を借りに来た!
いやー! この幸せ者!! 色男! いや、初めて転校してきたお前を見たときから知ってたけどな。
でも、お前そういうの点で興味ない、みたいな雰囲気出しててさ、ぶっちゃけあっち系の趣味かな?ってちょっと不安になって時期もあったんだけど。
今ので確信した! お前、やっぱノンケだわ。 だって、来たのが長門だって分かった瞬間、そのデフォルトスマイルがパワーアップしてたぜ。」
「マジですか。」
「マジマジ! 当社比2割り増しくらい。 なに、お前気づいてなかったの? なんだよ、涼宮たちと言い、お前らは鈍感の寄せ集めなのか?
ま、いーけどさ。 せいぜい頑張れよ! 脈はある! 俺が言うんだから間違いない!」
山田君が突きつけた「お前の答えは聞いてない!」と言わんばかりのハイテンションな新事実に、僕は呆然としっぱなしだ。 笑顔がパワーアップ? 当社比2割増し? そしてそもそも、長門さんがわざわざ僕のところに?
「大体、教科書忘れたって言うのもちょっと怪しいぞ。 普通、日本史の教科書なんか持って帰るか? 資料集といっしょにロッカーに入れんだろ。
そう考えると長門もかわいいよなー。 お前、ホント羨ましいわ! 代われ! 俺と代われ!」
山田君の話は途中から耳に入らなくなっていた。脳内で長門さんが僕の教科書を大事そうに抱えて去って行くビジョンが何度も繰り返しスローモーションで再生されていたからだ。なぜかしら、脳内編集で頬を染めていたというオプションまで付き始めている。
ああ、どうしよう。 可愛い。
ああ、どうしよう。 何も考えられない。
ああ、なんだこれ。
そんなこんなで四時間目の授業が始まる合図のチャイムが鳴っているのに気づくにも多少の時間がかかった。 おい、古泉、山田。 さっさと席もどれ、なんて物理教師のにらみを浴びて、慌てて席に着くと、クラスのメンバーの視線がいやに生暖かい、と言うか、今までのニヤニヤした雰囲気そのままで、雰囲気は生暖かいにもかかわらず、頭は沸騰しそうだった。
放課後、何食わぬ顔で日本史の教科書を差し出した長門さんの顔を真っ直ぐ見れなかったのは言うまでもない。
あ、そういえば落書き消し忘れてた。 恥しい。