長門有希の憂鬱II外伝 ~おばあちゃんの憂鬱~


 

「おばあちゃんどうしたのさ、さっきからため息ばっかり」
「はあ。ねえナガル、キョンさんって、死んだおじいちゃんの若い頃にそっくりだねぇ……」
 言われて初めて僕は仏間にあった爺さんの遺影を見た。そういえばどことなく似てなくもない。髪はすっかりなくなっちまってるけど、顔の感じ、眉間のシワの寄り具合、雰囲気も似てる気がする。

 

 爺さんが死んだのは僕が五歳のときだ。三百六十五日フルスロットルなおばあちゃんに比べてもの静かで、けど怒ると怖い存在だった。たまにお小遣いをねだると、子供に金をやるとろくな育ち方をしない、とつっぱねられた。でもケチだったわけではなく、金はやるが働けと言われて庭の草取りやら障子貼りやらを手伝わされた。時給にして二百円くらいだったろうか。当時は金の価値なんか分からない僕だったので、給料という肩書きを持つ現金を持つことに無上の喜びを感じていた。
 そんな昔のことを思い出しつつ、もしかしたらキョン君のモデルは潜在的にこの人なのかもしれないと考えた。あるいは爺さんとほかの誰かの人格がミックスのがキョン君だとか。思い当たる人を知己録から探し出そうと頭をひねっていると、襖の向こうからまたため息が聞こえた。おばあちゃんが昔の写真を持ち出してめくっている。爺さんの若かりし姿、戦時中の凛々しい姿だった。ははぁ、乙女のメランコリーだなこれは。いや、元、乙女と言うべきか。

 

 離れには半地下の倉庫があって、先祖代々伝わる骨董品やらゴミやらが納められている。谷川家の代々が詰め込むだけ詰め込んで、誰も片付けようとはしなかったようだ。爺さんも常々、この倉庫をいつか誰かが片付けないとなぁと未来に託す独り言のように呟いてた。
 僕は懐中電灯を持って、記憶を頼りに倉庫の中を漁った。確かまだあったはずだが。僕は使われなくなったタンスの上に重なっている桐の箱を取り出した。積層したホコリの山が雪崩れを起こさないようにそっと持ち運んだ。おばあちゃんがいないことを確かめ、庭に持ち出してホコリを払う。桐の箱の正面に菊の紋が入っていた。

 

「キョン君、ちょっと折り入って頼みがあるんだけど」
「なんでしょう谷川さん。なんなりと」
居候の身分なら主の言うことは聞かないわけにはいくまいて。ヒッヒッヒと含み笑いをせずにはいられなかった。僕は箱を抱えて、キョン君を納戸に連れて行った。
「これ、なんですか」
「まあ見ててよ」
菊の紋の入ったフタをうやうやしく開けると、厳重に和紙に包まれた袋が出てきた。これまた和紙で作られた固い紐を解いて、ようやく中身と対面する。
「軍服ですかこれ……」
「そうだよ」
戦後六十年ずっと倉庫で眠っていた日本の記憶が、今目覚めた。真っ白な絹の海軍士官軍帽と軍衣。桐の箱の効果か、半世紀以上経っているにもかかわらず、金ボタンは当時のままの輝きで生地にはシミひとつない。
「ちょっと、着てみてもらえないかな」
「え、俺がですか」
「頼むよ」
まさか軍服でコスプレをさせられるとは思ってもいなかったようだ。キョン君はぎこちなく上着を着て、ズボンをはいた。僕の見立てどおり、サイズはぴったりだ。
「これ、名前が入ってますけど、本物ですか」
「そう。うちの爺さんが当時着てたやつでね。帽子、脇に抱えてみて」
「こうですか」
「そうそう。ホレボレするね。やっぱ日本男児は軍服だね」
僕はキョン君をひっぱってお披露目に回った。
「キョン、なによそのカッコ。戦争にでも行く気?」
ハルにゃんが笑い転げた。
「そんなに笑うこたないじゃないか」
キョン君が紅潮している。僕はけっこう似合ってると思うんだけどな。
「キョン君、とってもかっこいいですよぅ」
みくるちゃんが両手を合わせて瞳をうるうるさせている。やっぱり女の子には制服のオーラが効くらしい。
「……日本海軍士官第一種軍装。第三艦隊第五水雷戦隊所属。階級、少佐」
やたら詳しいな、有希ちゃんってミリタリオタだったのか。

 

「おばあちゃん、おばあちゃんいるかい」僕は台所に向かって叫んだ。
「なんだい。こりゃたまげた……」
おばあちゃんは大きくため息を漏らした。
「ま……マモルさん」
その名前を口にして、おばあちゃんはハッと我に返った。
「ご、ごめんよ。キョンさんだったね。めがっさ似てるんでついつい」
「キョン君、ちょっと敬礼してみてよ」
「こう、ですか」
「いやいや、海軍はもっとこう、手が額に近いんだ」
爺さんが言っていた。船は通路が狭いから肘を大きく張ってはいけないんだと。
「ちょっと言ってもらえない?」
「なにをですか?」
「こう、直立不動で。谷川守少佐、出征いたします」
「谷川守少佐、出征いたします!」
キョン君の出征姿は若かりし頃の爺さんを彷彿とさせた。軍刀でもあればよかったのだが、武器の類は戦後GHQに没収されて残ってないらしい。
 おばあちゃんが目頭をおさえて涙ぐんでいた。
「ご、ごめんよ。なんだか昔を思い出しちゃったのさ」
僕もキョン君もなぜか照れて、目を合わせたり他所を向いたり、金ボタンをかけなおしたりしていた。
「キョンさん、ちょっとお願いがあるんだけどね」
おばあちゃんが下を向いたまま言った。
「なんでしょう」
「そのへん、一緒に散歩してもらえないかなっ」
まるでデートに誘われた女子学生のような、ほんとは逆なんだろうけど、顔を真っ赤にしているおばあちゃんはかわいかった。好きな人と目も合わせられないってのは、こういうのを言うんだな。
「え、この格好のままですか」
「だめ、かなっ」
「いいですよ、おやすい御用です。なんとなく軍人の気持ちになってきましたから」
キョン君も悟ってきたじゃないか。キミも立派なコスプレイヤーだ。

 

 おばあちゃんは訪問着のキモノに着替え、キョン君と連れ立ってしゃなりしゃなり歩いていった。あの二人、歳が近かったらお似合いだったかもしれない。

 

 二時間くらいして帰ってきた二人は手を繋いでいた。こ、これってまさかフラグじゃないだろうね。僕が見咎めても手を放す様子はなかった。ああ、おばあちゃんと孫って感じだね。海軍将校コスプレした孫だけど。
 話を聞いてみると、二人は夙川公園まで行ったらしい。この時期だから桜なんて咲いてるはずもないし、吹きさらしだから寒いだろうとは思うのだけれど。

 

 おばあちゃんがなぜ夙川公園に行きたがったのかは知っている。ずいぶん昔、爺さんは桜の木の下でプロポーズしたんだそうだ。爺さんは広島の海軍兵学校を出たばかりの新米士官で、女子学生の憧れの的だったらしい。おばあちゃんとは幼馴染で、なんとなくまわりもこいつらくっ付くんだろうなという温かい目で見ていたらしい。まあ親同士の付き合いもあったし。
 プロポーズのセリフがこれまた古風で、「俺と所帯を持ってくれないか」だったか。おばあちゃんは心臓がフル回転してとても返事が出来る状態ではなく、ただ爺さんの手を握ったらしい。それが精一杯の承諾の合図だった。見合いが主流の当時としては珍しい、大恋愛の末に婚姻したとのことだった。

 

 古き良きおばあちゃんの青春。もうあの頃には戻れないけど、過去の時間は思い出の中にある。僕はおばあちゃんのはしゃぐ様子を見て、せめて今日だけでも乙女の頃にタイムトラベルできてよかったと思った。

 

END



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