(※これは谷口探偵の事件簿の続きです)

 

 

表通りに飛び出して、さあこれからどこへ行こうかと考えあぐねていると、ズボンのポケットにつっこんでいた携帯電話がブルブルと震え始めた。取り出してディスプレイを確認すると、キョンからの連絡のようだ。

『谷口か!? 俺だ』

どちら様ですか? 私は谷口さんという名前ではございませんが。私、中山といいます。番号をお間違えになったのでは? 再度、そのマヌケ面で番号をお確かめの上ナンバープッシュすることをお薦めします。それでは聞いてください。歌います。昭和枯れすすき。

『谷口で間違いないようだな。そっちに朝比奈さん行ってないか? いや、見かけなかったか?』

ちょうど良かった。俺もお前にそのことで連絡しようとしてたところだったんだ。こっちには来ていない。

『そうか。今朝から朝比奈さんと連絡がつかなくてな。心配になってアパートまで行ってみたんだが、いつの間にか部屋を解約して消えてしまってたんだ』

落ち着きのないキョンの声を聞きながら、俺は軽く舌打ちをした。間に合わなかったのか?

『心当たりは全てあたってみたんだが、足取りがまったくつかめないんだ』

まあ一度、冷静になれ。彼女の最近の様子をよく考えてみろ。何か変わった事はなかったか? たとえば山に行きたいって言ってたとか、お前とケンカして北国へ傷心旅行したいと言ってたとか。

『いや、変わった点は何もなかった……はずだ。とにかく、俺はもう少し町の中を探してみる。お前も探してくれないか?』

朝比奈さんのこととあっては、協力しないわけにもいかないな。別にお前のためじゃないぞ。俺が捜したいから探すだけだ。

 

キョンとの通信を切って、俺は走り出した。あいつとの会話の中で、自分が行くべき場所が一つに絞り込めた。

キョンは朝比奈さんのアパートにも心当たりのあるところにも、隈無くあたったと言った。神経の細かいあいつのことだ。打ち漏らしはないだろう。そして朝比奈さんともっとも付き合いの長いキョンが見つけられなかった以上、俺が彼女の手がかりなどつかめるはずもない。

ただ一カ所を除いては。灯台もと暗しというか、鈍いキョンのことだ。その一カ所までは気が回っていないに違いない。

頼むぜ、朝比奈さん。まだこの時代に居てくれよ。最後にお別れの挨拶くらい言ったってバチは当たらないと思うからさ。

 

 

キョンのマンションにたどり着いた俺は、無言でエレベーターに乗り込む。相変わらず、果てしなく機械的で無機質なマンションだ。あたたかい白熱灯の光も、やけに寒々しく感じられる。

イライラしながらエレベーターが指定の階に到着するのを待っていた俺は、扉が開くや、すぐに駆けだした。

俺が思いつく場所はもうここしかない。自宅にもキョンの心当たりの場所にも不在だったのなら、彼女の行きそうなところはここだけだ。ロマンチストな朝比奈さんのことだから、最後に愛しの彼の家に赴くということは想像できる。

高鳴る胸を抑えつつ、俺はキョンの部屋の前に立つ。鍵がかかってたらどうしよう。その時は仕方ない。今は考えてたって埒があかない。半ばヤケに近い気持ちで俺はドアノブに手をかけた。

開いた。すんなりと回ったドアノブに拍子抜けしたが、ありがたい。誰か中にいるようだ。頼む、キョン妹じゃなくて朝比奈さんであってくれよ。

俺が玄関で靴を脱ぐと、部屋の中からオルゴールの音色が聞こえてきた。

 

白いカーテンの編み目から、部屋の中へしみこむように差す陽の光が、朝比奈さんの背中に降りそそいでいた。クッションの上に腰をかけて膝を抱き、物憂げな彼女は、眠るような瞳で机上のオルゴールを眺めている。

暑い夏の日なのに、やけに部屋の中には冷気が漂っているように感じられた。

遠くから聞こえてくる蝉の鳴き声と、名前も分からないオルゴールの曲が室内に低くひびき渡っていた。

こんにちは、朝比奈さん。ご機嫌麗しく……ないようですね。

「谷口くん……。よかった。キョンくんじゃなくて」

光栄ですね。

「部屋のドアが開いた時ね、ちょっと驚いたの。もしかして、キョンくんが帰ってきたんじゃないかと思って」

あいつなら今頃、煮えくりかえった頭で町中を走り回ってますよ。あなたが自宅に来ているとも知らずにね。

朝比奈さんは抱いた両膝に、顔をうずめた。

「キョンくんには悪いことしたな。でも、彼に会ったら決心が鈍りそうだったから」

背を丸めて膝の上にあごを載せ、かわいらしい未来人はこちらを一瞥した。

「谷口くんがここにいるということは、もう事情は知っているんですよね」

ええ。あなたが世界を救うために妖精の国からやってきた魔法少女っていうあたりまでは知ってます。

 

俺は床に胡坐をかき、依然オルゴールを見つめる朝比奈さんの横顔を見ていた。

「世界を救う、か。見方を変えれば確かにそうですね。でも、皮肉だよね。未来を変革して消滅させることでしか、私たちの生まれ育った世界は救えないんですもの」

しばらく朝比奈さんと俺は座り込んだまま身動きひとつせず、ただただ黙り込んでいた。時間の流れがひどく遅くなった。

一度あがっていた雨が、また降り始めたようだ。

「私ね、本当は国木田くんよりも先に未来へ帰る予定だったの」

悲しそうに微笑み、朝比奈さんは俺に語りかけた。

「でも。なかなか踏ん切りがつかなくて。私ってけっこう優柔不断なんだよ。昨日はね。何もなくなった自分の部屋で一晩中、こうやってキョンに買ってもらったオルゴールを聴きながら、膝を抱えて悩んでたの。夜が明ける前に未来へ帰ろうって。でも、気がついたらこうして夜が明けちゃってたんだ。意志薄弱だよね。最後に一度だけ、彼に逢いたくなって、我慢できずにここへ来ちゃった。でも、彼は留守だった。良かった。これで良かったのよ。もし彼と会ってたら、私、未来へ帰れなくなってたかもしれないから」

俺個人としては、帰らなくてもいいんじゃないかと思うけどね。部外者の単純な意見だけどさ、俺は朝比奈さんの悲しむ顔なんて見たくないよ。

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいです。でも、そうもいかないの。私が帰らないと、未来世界は本当に消滅してしまうかもしれないもの」

それが、朝比奈さんたちの未来世界の目的だったんじゃないですか?

膝を抱えたまま背筋をそらし、考え事をするように朝比奈さんは天井を見上げていた。

「私の目から見て、この時代はすごく幸せな世界だと思う。連日のように悲しいニュースとか社会問題とかが報じられているけど、豊かだし、平和だし。私、海外旅行とかしたことないから、この国に住んでいての意見ですけど」

まあ確かに現代は幸福な時代なのかもしれませんね。特に日本は。あまり意識しなくても食べ物は食べられるし、衣服も手に入る。よほどのことがない限り、生命の危機にさらされることもない。

それでもやっぱ、駄目な部分もたくさんありますよ。具体的にどうこうは言いませんが、恵まれた豊かさ自体が仇になっている面も、確実にあるわけだし。

「何でもそうですよ。長所があれば短所もある。短所があれば、長所もある」

 

 

よほどうぬぼれた人じゃない限り、人間は自分の長所よりも短所を挙げる方が得意だ。常に客観的に自分像を見ているわけじゃないから、自分のどんなところが良い点なのか判断つきづらいのだ。逆に他人のこととなると、短所も長所も大差なく見つけることができる。要は物事を客観的に見て、かつ相対的に判断しなけりゃ良いも悪いも分からないということだ。

「私はこの時代に来る前までは、自分の生まれ育った時代が嫌いでした。日々の生活を維持していくだけでも大変な毎日。過去の時代の話を聞くたびに、なんで今がこんな世界になっちゃったんだろうって思ってた。だから、困っているみんながこれ以上辛い思いをすることがないように、過去を変えようと決心してこの時代にきたの。でも、この時代で何年も生活しているうちに気づいたの。嫌いだ厭だと思っていたあの時代にも、やっぱり良いところはあったんだなって。辛いことが多すぎて見失いがちだったけど、楽しいこと嬉しかったこともあったことに気づいたの」

それで、未来へ帰ろうと決心したわけですね。

「そう。あんな世界でも、良いところもあるんだし。それを無視して全部無かったことにしたりしたら、悲しすぎるでしょ? 私を応援してくれたみんなには悪いけど。今はただ、あの世界が懐かしくて、恋しいと思えるようになったから。だから、私は決めたの。次にこのオルゴールが止まった時。私は未来へ帰るわ」

次第に曲のテンポが緩慢になっていくオルゴール。朝比奈さんも俺も、オルゴールのネジの回転を眺めていた。

 

「うぬぼれるわけじゃないけど昔、谷口くん、私のこと好きだったでしょ?」

唐突な朝比奈さんの問いかけに鼻から何か吹き出しそうになった。

な、なにを突然おっしゃられる。いやだなあ、あはははは。実はその通りです。……昔の話ですよ。

朝比奈さんは、年齢を感じさせない穏やかな笑みを浮かべた。

「私がこの時代に普通の女の子として生まれてたら、どうなってたのかな。やっぱり谷口くんや国木田くんと出会って、キョンくんと恋人同士になれてたのかな。私にとって、そっちの方が幸せだったのかな。なんてね。こんなこと言っても仕方ないことだとは思うけど……つい、思っちゃうのよね」

オルゴールはさらにテンポを落とし、ゆっくり透き通った金属音を奏でていた。

 

「最後に谷口くんが来てくれてよかった。笑って未来へ帰れるんですもの。やっぱり誰かにお別れの挨拶が言えるって、気持ちの整理がついて大事なことですね」

そう言ってもらえると、雨上がりの道を濡れながら走ってきた甲斐がありましたよ。

でも、やっぱり朝比奈さんがお別れを言うべきは俺じゃないっスよ。そう言って、俺はポケットから携帯を取り出し、送信済みメールの内容を映したディスプレイを朝比奈さんの方へ差し出した。

 

『おい三流探偵。朝比奈さん見つけたぞ早く帰ってこいボケ』

 

大きな音と共に、部屋のドアが乱暴に開かれた。朝比奈さんと俺が、玄関の方へ視線をやる。

そこにはズブ濡れになった三流探偵が息を荒げながら立っていた。

「やっと……見つけた………」

「……キョンくん」

 

 

2人に背を向け、部屋から出た俺は静かに扉を閉めた。ずいぶんと気持ちは落ち着いていた。俺がやるべきことはもう無いんだ。これ以上、谷口さんを頼ってくれるなよ。

少し目眩がした。俺は軽くかぶりを振り、廊下の壁にもたれかかった。

部屋の中からは、もうオルゴールの音色は聞こえてこなかった。

 

 

 

 

 

俺は何を考えるでもなく、呆っとした頭で、夕暮れ過ぎの公園でベンチに座っていた。未だに国木田と朝比奈さんがいなくなってしまったという実感がない。当然だ。ご両人が消えた現場を目撃していないんだからな。明日か明後日あたりに2人がひょっこり顔を出してドッキリでした~、とおどけた調子で嘯いてもおかしくはない。そんな心境だ。

 

俺は何もする気にならないまま、ベンチに居座っていた。もうかれこれ1時間は経つだろうか。もうすぐ、朝倉涼子との待ち合わせの時間だ。

たとえ何を言われようと、俺は厳粛な気持ちで受け止めるつもりだ。

 

 

俺がベンチにもたれかかってうとうとし始めた20時頃。芝生の植え込みの脇道から、シャツの上にベストを着てドライジーンズを穿いた朝倉涼子が現れた。

「ごめんなさい。待った?」

いや全然。俺も今きたばかり……っていう気分だ。

俺の隣に腰を下ろした朝倉涼子は、しばらくうつむいたまま自分の指先を見つめていた。

「もう、朝比奈さんには会ってきたの?」

ああ。会ってきた。最後に谷口くんに会えてよかたってさ。

「古泉さんから私たちのことを聞いていると思うけど、どこまで聞いたの?」

キミが地球の破滅を救うため、大宇宙連合軍の銀輪サソリ部隊から派遣されてきた女軍人ってあたりまで。

そう。と息をもらすように呟き、朝倉涼子は俺の手をとり、ペンライトのような円柱形の物体を握らせた。

「これを受け取って」

俺は渡された白光りするペンライトを、訝しむ目つきであらゆる角度から観察してみた。しかしどう見てもペンライトはペンライトで、せいぜい円柱形の端っこにスイッチらしき突起物があるくらいのことしか分からない。100円ショップの店先に並べられていても違和感のない安っぽいシンプルな金属棒だ。

何スかこれ。犬笛?

「私はこれをあなたに渡すため、過去のこの世界に来たの」

……朝倉さん。それで、この赤外線ポインターみたいな棒はなんなんですか。

「それは、アンチTPDDという装置よ。私たちが時間移動をする際に使用する装置をTPDDというんだけど、そのTPDDを中和して無効化する。それがアンチTPDD」

そのまんまですね。原理はよく分かりませんが、分かりました。で、なぜ俺にこれを?

「それが、私のいた未来での既定事項だから。国木田くんは知らされていなかったと思うけど、朝比奈みくるがこの時代に現れることは、私のいた未来では決定されていたことなの。そして、彼女が自発的に自分のいた未来世界へ帰還することも」

朝倉涼子は申し訳なさそうな表情で言葉を続ける。

「私たちの未来世界では、朝比奈さんたちの未来世界がそれ以上この時代に干渉することはなかった。しかし今、この時代には朝比奈みくるに続く未来人が訪れている」

古泉の話を思い出す。俺の記憶が正しければ、それが縁日の日に会った、鶴屋さん。

「私たちのいた未来世界にはその鶴屋という人物が現れた記録がないから、彼女がどんな行動に出るのか、まるで分からなかったの」

朝倉涼子の声が次第に小さくなって行く。

不安なのだろう。

 

仮に俺が戦国時代にタイムスリップしたとしよう。明智光秀の謀反により織田信長が本能寺で没するのは誰もが知る歴史上の出来事だが、もしもその蜂起を事前に察知していた織田信長がそれを逆手にとり、裏切り者の明智光秀を討ちとったとしたら。それを俺が目の当たりにしてしまったら。おそらく俺は 「日本史の時間に習ったことと違うじゃん! 日本の未来はどうなるの?」 と不安になるだろう。

あ、いや、ならないかも。「ま、いいや。どうせ他人事だし」 と冷めた目で見てるかも知れない……。大河ドラマ観てないし。

しかしバッチリ不安になった人たちがいる。朝倉涼子たち未来人だ。

「このアンチTPDDを使えば、TPDDにより時間移動している未来人を元いた時間平面まで強制帰還させることができます。これで、朝比奈さんの後にやってきた鶴屋という未来人を元の時代へ強制移送させてもらいたのです」

朝倉涼子が熱意のこもった眼差しを俺に向ける。やめてくれよ、俺そういうのに弱いんだ。

でも、なぜ俺なんだ? 俺なんかに頼んだって、任務をまっとうできるかどうかも怪しいぜ。どういう人がその頼みに適しているのかは知らないが、俺よりも警察とか軍隊とか、特殊な訓練を受けてる人に頼んだ方がいいんじゃないか?

「体さえ鍛えておけば誰でもいいって言うわけじゃないわ。いろいろとあるのよ」

そのいろいろの条件に、見事俺が合致したわけだ。光栄ですね。ただ俺が頼みやすかったから頼んだだけかと思ったよ。

「私たちの世界では、過去の歴史にできるだけ干渉しないのが時間移動の掟なの。それがまかり通ったら、未来世界は混乱の坩堝になってしまうから。だから、嫌な役かもしれないけど、ぜひ谷口くんにお願いしたいの」

今にも泣き出しそうな声で、朝倉涼子は顔を伏せた。

「……ごめんなさい。私、勝手なことばかり言ってるよね」

 

 

「最初から私が仕組んでいたことだったのよ。国木田くんを通してあなたに会ったのも、この時のため。この時代に協力者を作り、アンチTPDDを託すためだったの。その後、偶然を装ってあなたのところへ訪れたのも、あなたを仲良くしてこのアンチTPDDを受け取ってもらいやすくするため。全部、下心があってやってたことなの。……谷口くんのこと、騙してたんだよ」
顔を伏せたまま、朝倉涼子は低くすすり泣き始めていた。

「……最低でしょ。私……」

いつの間にかあたりはすっかり夜になっていた。俺たちをとり巻く宵闇が、奇妙に心寂しくよどんでいた。

 

街頭のたよりなげな明かりが降り注ぐ。俺はアンチTPDDとやらを懐にしまい、朝倉涼子の頭に手を載せた。

俺は別に騙されたなんて思っちゃいないよ。下心? けっこうじゃないか。バッグがほしい指輪がほしいと猫なで声でおねだりする女に比べれば、ポケットペンを受け取ってもらいたかったから近づいたなんて、実にかわいらしい下心じゃないか。

それに、そういう女のわがままを許せてこその男の甲斐性なわけだが。

深い考えがあったわけじゃないが、俺は朝倉涼子の肩を抱き寄せた。驚いた様子で朝倉さんが顔をあげる。

もう何も言うな。このアンチPDFももらってやるから。ん? PDF? PPDF? なんだっていいや。もう返せって言ったって返さないからな。

「……ありがとう」

俺はしばらく朝倉涼子の肩を抱いていた。彼女もそのまま、身体を俺の腕にあずけていた。

アーミーナイフを扱うところを目撃したことがあるし、阪中邸の前で夜中にうろうろしている時に背中からフロントキックで吹っ飛ばされたこともあるから、もっとたくましいイメージだったんだが、彼女の身体は俺が思っていたよりもずっと小柄で、かよわかった。

やわらかいなぁ。いい香りもするし。クンクンしていいですか?

「バカ。いい雰囲気が台無しじゃない」

 

ところでもらったはいいけど、この棒、どうやって使うの? 鶴屋さんの近くでこの先のスイッチ押せばいいの?

「そのアンチTPDDは一番小さな物で、大した効力はないわ。そのアンチTPDDから10m以内の相手にしか効果が発揮されないし、5時間で電池が切れるわ」

10mって、全然意味ないじゃないか。しかも電池!? そんなん、あれだよ。鶴屋さんを無事に未来世界へ強制送還させられたとしても、TPDDですぐにまた過去へやって来るんじゃないの?

「そうよ。そのアンチTPDDはあくまでも子供だましの玩具にすぎないわ。でも、特定の条件下で使用すれば、その効力は全宇宙に広がり、数十年の間、維持され続けることになるの」

特定の条件下? 原発につっこめとか言うんじゃないでしょうね。

「そんなんじゃないわ。谷口くん、涼宮ハルヒと面識があるわよね。彼女の至近距離でそのアンチTPDDのスイッチを入れるの。そうすれば、涼宮ハルヒの力を利用し、全宇宙にアンチTPDDの効力が展開されることになるわ。そしてエネルギー源が涼宮ハルヒの能力にコネクトされれば、彼女の力が続く限りアンチTPDDは展開され続ける。つまり、未来からの干渉は一切なくなるということ」

そうだ。古泉に訊こうと思って、結局訊きそびれていたことがある。朝倉さん、涼宮ハルヒってのは一体何者なんだ? 古泉やキミの話を聞く限りでは、ただ者じゃないということは窺えるんだが。

「正確なことは、誰にもわからないわ。ただ、彼女には不思議な力が宿っているの。それは、偶然を呼び寄せる力」

偶然、か。最近やたらとよく聞くようになった単語だな。

「彼女の機嫌が悪くなると、なんの前触れもなく様々な事象が発生する。偶然としか思えないようなことがね。谷口くんも実際に経験済みでしょ? 未来の世界でも歴史の授業には冗談まじりに言われるのよ。涼宮ハルヒはフォルトゥナの化身なんだって」

まあ、確かに経験済みですけど。そんなワケの分からないエスパー漫画的パワーに地球の未来を賭けろといわれてもなあ……。しかもフォルトゥナって……。

「なによ。私の言うことが信じられないっていうの?」

俺の肩に頭をもたれかけていた朝倉さんが、憤然と眉をつりあげて俺の顔を見上げた。鼻先と鼻先がぶつかる距離だ。

そういうワケじゃないんですけどね。なんていうか、少女一人にそんな宇宙を牛耳るような能力があるとは思えないんですよね。そう思うのが、普通なんじゃない?

「それはそうだけど。ともかく、原理は分からなくてもいいじゃない。そういうもんだと割り切ってさ」

割り切るのは簡単だが、イマイチ納得できないんだよな……。納得もできないものに命運を預けるというのも、どうかと思うよ。

「責任転嫁だとなじられたら返す言葉もないけれど、私たちの世界の運命は、あなたとアンチTPDDに託したわ。後のことはお願いね、谷口くん」

目の前数センチでにこっと笑った朝倉涼子は、そっと俺に口づけした。

 

 

俺は朝倉さんの肩を強く抱いたままそっぽ向いた。赤くなんてなってないぞ。

「……ずっとこうしていたい気もするけど。私、そろそろ帰らなきゃ。するべきことは、全て終わったんだし」

朝倉涼子は、そっと俺の胸に手を置いた。

せめて、アンチTPDDがうまく発動するのを見届けてから帰る、ってワケにはいかないのか?

「うん……。私たち未来人は、許可無く自己都合で過去の世界にとどまるわけにはいかないの」

それじゃ、今夜いっぱいだけでも。いい店みつけたんだ。おごるからさ。一晩つきあってくれよ。

「そうなんだ。行きたいな。でも、無理なの」

朝倉涼子は額を俺の肩におしつけ、風の流れのように囁いた。

俺もそれ以上は、何も言わなかった。自分の都合を相手に押し付けたりしない。大人ってのも、けっこう大変なんだ。

 

 

「ちゃんとしたご飯を食べないとダメだよ。インスタントや外食ばかりは身体に毒だから」

ああ。

「コーヒーもブラックばかり飲んでないで、少しは砂糖いれなきゃダメだよ。身体に悪いから」

ん。

「仕事仕事でがんばりすぎちゃダメだよ。休むべき時には、ちゃんと休まないと」

わかってるって。

「寝る時はちゃんとベッドでね。床で寝てたら、風邪ひく元だから」

心がけるよ。

「財布を落としても、曖昧に済ませちゃダメだよ」

善処するよ。

「ええと、それから後言っておくことは………なんて。長門さんがいれば、私が心配することなんてないわね」

そんなことないさ。あいつはあれで結構、ぬけているんだ。まだまだ一人前として認めてやるわけにはいかないな。

 

 

長いようで、短い時間だった。いや、短いようで長い時間だったのかもしれない。

スズムシの声を聞きながら、しばらく俺と朝倉涼子は互いの背に腕をまわして抱き合っていた。

朝倉涼子の髪からは、なんとも言えない快い、心穏やかになれる香りが漂っていた。

すとん、と俺の腕の中から、支えを失って急落下するように、朝倉涼子の存在が消えた感覚があった。

スズムシの音色が一段と大きくなった。目を開けると、周囲に人影はなく、ただ一人、俺だけが暗くなった公園のベンチに座って、宙へ腕を伸ばした格好で座っていた。

ポケットに手を入れて立ち上がる。そこには、しっかりとアンチTPDDの感触があった。

まだ、俺の鼻腔には朝倉涼子の髪の香りが残っていた。一体なんの匂いなんだろう。と考えた。

結局考えてみても、鼻からその匂いが消え去る前に香りの正体がつかめることはなかった。

それが無性に悲しかった。

 

 

 

翌日。

 

何故か俺の事務所に2人の男がやってきた。見たくもなかった面だ。遠まわしな言い方をせずストレートに言えば、要するにキョンと古泉だ。

おかしな話だが、俺たち3人には2つの共通点があった。1つは目がウサギさんかっていうくらいに真っ赤なこと。2つ目は、髪がボサボサの寝癖状態だってことだ。

よう、キョン。いい男になったじゃないか。ええ?

「お前こそ、更に二枚目に磨きがかかったんじゃないか?」

いつもならボロクソに互いの特徴につっこむところだが、いかんせん今日の俺とキョンはまったく同じ状態のいでたちだ。相手に対する嫌味はそのまま自分に返ってくるわけだから、それ以上なにも言えないわけで。

ちなみに何故俺とキョンの目が赤くて髪が皇帝ペンギンなみにボサボサなのかと言うと、徹夜で夜を泣き明かしたからに他ならない。口外はしていないが、暗黙の了解というやつだ。

「はっはっは。お二人とも純情ですね」

唯一状況が違うのはこの古泉一太郎だ。こいつの場合は泣いてたわけじゃなく、ただ単に徹夜で疲労してるだけだ。

 

どうやらキョンに対して古泉が全ての事情を語ったらしい。どこまで話したのかは知らないが、昨日目の前で消えた愛しの彼女が未来人だったことくらいはキョンも納得しているに違いない。

「俺はなあ。朝比奈さんをヨーロッパ旅行につれて行ってやろうと秘密裏で計画を立ててたところだったんだよ。おかげで来月、妹とヨーロッパに行くことになっちまったんだぞ」

んなこと知るかよ。俺なんて朝倉さんに告白しようと思ってムーディーな店を探してた矢先の出来事だったんだぞ。昨夜なんてその店でヤケ酒飲んでたら、朝倉さんが座るはずだった予定の俺の隣の席に古泉が座ってたんだぞ。この哀しみがお前に分かるか?

「いやあ、照れますね」

照れんでいいわ、このボケ! 本当にイラッとくるな、お前のそのしゃべり方。狙ってやってるだろ?

「それよりも2人とも。何故ここに集まってもらったのか、分かっているのですか? 説明は済ませているはずですよ。もっと危機感を持ってください」

珍しく古泉が真剣な顔つきでそう言った。お前が余計なことを言うからだ。

「言ったでしょう。昨日未明、涼宮ハルヒが何者かによって誘拐されてしまったと。我々『機関』の者の目撃談によれば、例の未来人、鶴屋という女性の外見と一致します。非常にまずい事態です」

半分無意識に、俺はズボンのポケットへ手を入れた。そこには、朝倉さんの置き土産がちゃんと入っていた。

「涼宮さんの能力は未来人にさえも未知数です。ヘタに刺激を加えれば、一体何が起こるのか想像もつきません。今までは『機関』が彼女を保護してきましたが、今回のことは我々の失態です。鶴屋さんが乱暴な手段に訴えなければ良いのですが……」

 

涼宮の腰ぎんちゃく古泉、涼宮の想い人キョン、そして世界の運命を握る兵器を持った俺、谷口。この3名が、さらわれた涼宮ハルヒを救出するために出動するレスキュー部隊だという。

『機関』が勢力をあげて救出に向かえばいいだろうと思うが、あまり鶴屋さんに対して刺激を与えたくないのだろう。なんでもいい。俺としては、アンチTPDD。こいつが使えれば文句はない。

「徹夜の作業で、ようやく『機関』が相手の潜伏場所をつきとめました。手遅れにならないうちに、救出に向かいましょう」

 

「俺は行かないぜ」

壁に背をあずけたまま、髪を手櫛でとかすキョンがそう言った。おい、空気読めよ。

「俺はそんな気分じゃないんだ。俺がいてもいなくても関係ないだろ」

「あなたは……。それでもいいんですか? このままだと、朝比奈みくるや国木田さんのいた未来世界が消滅してしまうかもしれないのですよ?」

「よせよ……」

「あなたも、分かっているんじゃないですか? 涼宮さんが、そばにいてもらいたいと願っている人が誰なのか」

「やめろって。俺になに期待してるんだよ。ハルヒを助けるアンチなんとかって機械は谷口が持っているんだろう。谷口が行けばそれでいいじゃないか」

「あなたは、何も分かっていない」

「放っておいてくれよ! もうどうでもいいんだよ、未来なんて!」

キョンのセリフが俺の脳天に突き刺さる。未来なんてどうでもいい?

一瞬にして頭に血が昇る。カッとした勢いで、俺は無意識のうちにキョンの頬に拳を打ちつけていた。

キョンの身体が机の上の新聞を撒き散らし、もんどりうって倒れこむ。

「谷口さん!」

おいキョン、この野郎。なんだと? もう一度言ってみろ。

何か言いた気な顔つきで、キョンは口元を押さえたまま立ち上がったが、結局何も言わず俺を睨みつけるだけだった。

こいつの言いたいことは俺にもよく分かる。こいつと俺は、同じ境遇なんだからな。そりゃ俺だってヤケになって自分の殻に閉じこもりたいよ。その方が楽だしな。でもな。それじゃ解決しない問題だってあるだろう。特に今回は時間がないんだ。ここでもたもたしてたら朝比奈さんや国木田、朝倉さんに怒られちまうぜ。ここが一番気張るべき場面なんだ。

本当はキョンだってそんなことは痛いほど分かってるんだ。

おいキョン! 朝比奈さんがいなくなって、そんなに悲しいか!?

「悲しいさ!」

だったら泣くな! 涙をふけ! お前の心の中にある、正しいと思うことを貫き通せ!

「偉そうなこと言いやがって。お前こそ泣いてるじゃないか!」

泣いてるもんか! これは胆汁が逆流して目から分泌されてるだけだ! 俺はそういう体質なんだ!

「谷口! 朝倉さんがいなくなって、悲しいか!?」

悲しいに決まってるだろバカヤロー!

「谷口、歯ぁくいしばれ!」

ばっちこ────い!

俺の頬に脳をゆさぶるほどの衝撃がはしる。壁に背をぶつけ、わずかに肺がつぶれる圧迫感に苛まれるが、不思議と気分が晴れた気がした。

「……行こうぜ、古泉、谷口。ハルヒを助け出すんだ」

ああ。気合も入ったところで、行こうか。

 

 

 

 

  ~つづく~


|