梅雨も明け夏休みも近い七月のある日のこと。朝比奈みくるは補習、観察対象である彼と涼宮ハルヒは
勉強会(彼の追試対策)でいないため、SOS団部室もとい文芸部室には特別な用事もない私と古泉一樹の二人しかいない。
彼はいつもの笑顔を張り付けたまま一人で詰め将棋をしている。私はいつものように窓辺で読書に専念している。
お互い何も話さない。沈黙に堪えかねたのか、彼は私に話しかけてきた。

私は顔を上げず黙って彼の言葉を聞いている。時折私に意見を求めたが、私は答えなかった。うまく言語化できなかったし、
無理に答える必要性を感じなかったから。暫くすると彼は困ったような笑みを浮かべ、また詰め将棋を始めた。
私はひたすら読書に専念した。
結局この日は私達以外の人間が来ることはなかった。なので必然的に私達は二人で帰ることになる。
「ちょっと寄って行きませんか?」
彼は氷と書かれた旗を指差した。断る理由もなかったので私は頷き、彼についていった。
「練乳いちごがお勧めなんですよ」
と言って私の分も奢ってくれた。
「かき氷は初めてですか?」
肯定の動作。
「お口に合うといいのですが…」
不安げにこちらを見る彼を一瞥し、私は一口食べてみた。冷たくて甘かった。
「おいしいですか?」
「わりと」
私が答えると、満足せうな笑みを浮かべ、優雅にスプーンを使って食べはじめた。
一方私は一分もしないうちに完食し、同じものを注文した。
「随分気に入ったようですね。お気に召されてよかったです。しかしあまり食べすぎるとお腹を壊してしまいすよ」
「その心配はいらない。私には調節が可能」
「ハハッ。そうでしたね。それにしてもやはりこのような暑い日に食べるかき氷は格別おいしいですね」
私はそうは思わない。気温によって味は左右されないはず。
「確かに真冬に食べたとしても味は変わらないでしょう。しかし、その日の気分や体調、
気温によっては普段美味しいと感じていたものも不味くなる場合もあります。例外もありますが、
あなただって暑い日にわざわざ熱々おでんを食べたいと思わないでしょう」
彼の言葉は一理あるかもしれない。私は体験したことがないからわからないけれど。
その後私は更に三杯お代わりして(店主はひどく驚いていた)彼は呆れるような、それでいて楽しそうな笑みを浮かべ私を見ていた。
私は不思議と居心地が良かった。この時は気付かなかったが、既にエラーは発生していたのもしれない。
私は次の日もまたあのかき氷屋に足を運んだ。ただし今日は一人で。昨日奢ってもらったお礼にと彼を誘おうとしたが、
できなかったのだ。今日の三時間は移動教室で丁度9組の前を通るので、その時に誘おうと休み時間に彼のクラスに顔を出した。
彼はすぐに見つかったが、その時彼は一人ではなく細身で黒髪の綺麗な女子生徒と何やら楽しそうに談笑していた。
ズキン。それを見た途端私の中にエラーが発生した。そのエラーは私の心に重くのしかかり鈍い痛みを伴った。
どうしていいかわからなくなり、何も言わず逃げるようにその場を去った。今考えても何故そのような行動に出たのかわからない。
別に彼でなくても、他の三人を誘うという手もあったが、私は何故か古泉一樹と二人だけの秘密にしておきたかった。
ちなみにこの日も五杯おかわりした。

次の日もまた次の日も私はあのかき氷屋に練乳いちごを食べに行った。彼を誘う機会はあったのだが、
その度得体の知れないエラーに妨害され何も言えなかった。
私はすっかり常連客になり、店主と仲良くなった。店主はよく声をかけてくれるし、たまに練乳を多めにサービスしてくれることもあった。
ある日、ふいに

「あの坊やとは一緒にこないのかい」

と聞いてきた。
返す言葉が見つからなかった。一般人にエラーについて話すわけにもいかない。と言うより、誰かに知られるのが嫌だった。
少し考えてから
「そのうち」
とだけ答えた。
帰り道、私は明日彼を誘ってみようと決めた。彼と会話をすればこのエラーについて何かわかるかもしれない。
それと、あることを試してみようと思った。

明くる日。
私はいつものように支度をしてマンションを出た。蝉がせわしなく鳴いている。これもいつものことなのだが、
今日は妙に神経を逆撫で、暑さを助長しているように思える。家を出てから5分も経ってないのに、もう肌が汗で湿ってきた。
これが「暑い」ということなのか。はっきり言ってこれは不快の部類に入る。人間は夏が来る度これに耐えているのか。
学校に着く頃には私はもう疲れていた。汗もだいぶかいたので喉が渇いた。後で水分補給をしなければ。
それから半日、私は他の生徒同様夏の暑さを体感しながら過ごした。
昼食の時間になったが今日は食欲が湧かない。これも暑さの影響なのだろうか。いつもなら五重箱を平気でたいらげるのに、
今日は三段までしか食べられなかった。
やがて団員が集まり、団活が始まった。皆私が汗をかいてることに疑問を感じたらしく、尋ねてきた。その度私は
「夏だから」
と答えた。
そんな私を涼宮ハルヒは物珍しげに眺め、何故かカメラで撮り始め、朝比奈みくるは写メを撮り鶴屋という人物に送っていた。
キョンと呼ばれる彼は大きく頷いて
「長門も人間らしくなったんだな」
としみじみ呟いていた。
古泉一樹は何も言わず神妙な顔をしていたが、私と視線がぶつかるとふっと微笑んた。またエラー発生。
やがて彼女等は撮影に飽きたのか各々の席に着いた。私は読みかけのハードカバーを開き再び読書を始める。
が、暑さに気を取られ頭が朦朧とし、読書に集中出来ない。他の団員もぼーっとしているように見える。
「あ゛ーーあっつい!扇風機じゃぜんっぜん涼しくならないわ。今日はもう帰りましょ」
と言う涼宮ハルヒの一言で本日の団活はいつもより早めに終了となった。
午後3時。暑さも若干和らいできたが、。道路は蜃気楼で歪んで見える。そして前を歩く彼らの背中も歪む…
「あ、そうだ。いつも喫茶店に行きましょうよ。あそこなら涼しいし寛げるわ」
「それはいい考えですね。喉も渇いたことですし」
「もうへとへとですよ~」
「ハルヒにしてはいいアイデアだな。長門もそれでいいか…っておい長門!?」
「ちょっと!? 有希!」
「ふぇぇ長門さ~ん」
「長門さん!しっかりしだください。長門さん!!」
「………」
彼の声が遠くなっていく。私の意識はそのままシャットダウンした。



目を覚ますと私は自分のベッドの中にいた。首を傾けると、茶髪の背の高い青年の姿が視界に入った。
「気がつきましたか?いやあ驚きましたよ。突然倒れたんですから。いつぞやの雪山事件を思い出し肝を冷やしましたよ。
どうやら熱中症のようです。皆さんとても心配したんですよ。もちろん僕もですが。涼宮さんと朝比奈さんは台所で栄養のある料理を、
彼は足りない材料を買い出しに行っています。彼の慌てっぷりと言ったらもう…ビデオに撮ってお見せしたかったですよ。
ところで、どうしてこんなことになったのか説明して頂けますか?優秀なTFEIであるあなたが熱中症にかかるるはずありませんから」
…あなたが暑いと感じる日に食べるかき氷は格別と言ったので、それを体験するべく、今日はわざと体温調節を行わなかった。
慣れていないせいか身体が環境に馴染めずこのような結果になった。うかつ。
「なるほど、そうでしたか。すると、あなたが倒れてしまった責任は僕にあるようですね」
きっかけはあなたの言葉。しかし実行したのは私自身で決めたこと。あなたのせいではない。
「そうかもしれません。ですが僕の余計な一言がトリガーとなったのは事実です。その分の責任は取らなければ」
何故?そこまで拘る理由はないはず。
「何故と言われましても…理由なんてありません。何故でしょうね。そうしないと気がすまないんです」
………
「あなたにもそのうちわかると思いますよ」「…そう」
突然扉が開いた。
「有希!目を覚ましたのね。まったくだめじゃないの」
「長門さ~ん。心配しましたよ~。でもよかったですぅ」
涼宮ハルヒに抱き締められ髪をグシャグシャに撫でられた。特に不快ではなかったのでなすがままになった。
彼が戻ってきた。
涼宮ハルヒに遊ばれている私を見て、
「よかった」
と言ってその場に座り込んだ。やたら大きな袋を抱えて。
「ちょっとキョン!こんなに沢山何買ってきたのよ?」
「取りあえず薬局に売ってた薬を一通り…」
「買いすぎよ買いすぎ!てゆうか熱中症に薬なんていらないわよ…ってこれボラギノールじゃない!ばっかじゃないの。暑さで脳味噌溶けたんじゃないの?!」
「いや…すまん。必死だったから‥」
「あの~キョン君。これって‥その、もしかして…」
朝比奈みくるは頬を染め、おもむろにある箱を指差した。私の位置からは見ることはできない。
「っぬああああ!なななんでもないですよ朝比奈さん。な、何なんでしょうねぇこれは。ああきっと不慮の事故かなんかでこの袋にダイブイン」
「……このエロキョン!」
「断じてちっがーーーう!」
賑やかな彼らを、古泉一樹は楽しそうに眺めている。
「仲がよろしいですね」
「私もそう思う」
「お互い気持ちは同じなのに、何故素直になれないんでしょうね。じれったいものです」

「私もそう思う」
「…今日は珍しく意見が合いますね」
「合う」
彼は微笑みを崩し、一瞬きょとんとした表情になり、かと思えば急に笑い始めた。
「何?」
「いえ‥長門さんと普通にお話できるのが楽しいなと思いまして。無視されることが多いので余計に嬉しくて」


楽しい、と彼は言った。初めて言われた言葉に、私は少し戸惑いを覚えた。
「…私も似たような感情を認識した」
「あなたといるのは楽しい」

……

彼は言葉を失っている。何かおかしなことを言ったのだろうか。

騒がしかった三人はいつの間にやら静かになり、物珍しげにこちらを見ている。
突然涼宮ハルヒは、
「有希、倒れたあんたを古泉君が運んでくれたのよ。お礼ぐらい言ってあげなさい」
と言って、唖然としている古泉一樹を見ると、朝比奈みくるとクスクス笑い出した。異論はなかったので、彼女の意見に素直に従うことにした。彼の目を真っ直ぐ見て、
「ありがとう」
と言った。
「‥どう‥いたしまして」
彼の頬は桃色に染まり私と視線を合わせようとしない。何故?
他の三人も呆気にとられたようにぽかんとしている。
暫くして
「有希!あなたってばなんて可愛いの!」
涼宮ハルヒに抱きつかれ、頬擦りまでされた。
「もう一回言って下さい~」
朝比奈みくるはいそいそと携帯を取り出した。
「長門があんな可愛らしく『ありがとう』なんて…畜生!よりによって何で相手が古泉なんだ!無性に腹が立つ」
彼は古泉一樹にヘッドロックをかました。
「ちょっ…やめてください!ぐっ‥ぐるじい、ギブギブギブギブ!」
「それにしても、古泉君が動揺するなんて珍しいですよね~」
「そうねぇ。らしくないわね」
涼宮ハルヒはジロリと古泉一樹を睨んだ。
「はぁ…僕は至って普段通りですが」
口調こそ冷静だが、笑顔がだいぶひきつっている。
「怪しいわね」
「怪しいです」
「怪しいな」
息がぴったりの三人。むしろ彼らが一番怪しい。
「まさか古泉君、有希のことが好きなん…」
「あああああ!すき焼き!そうだすき焼きです!今日は皆ですき焼きにしましょう!長門さんの回復祝いということで!」
彼は勢いよく立ち上がり、その拍子にちゃぶ台にすねをぶつけた。
「っつぁ!!!!・・・・ちょっと僕材料買ってきますね」
古泉一樹なる人物は、スネを擦りながら慌てて部屋を飛び出した。
・・・
・・・
「…これで確定したわね」
「ええ。随分わかりやすい反応でしたね」
「クソっ古泉の分際で…」
何がわかったのだろう。
肩を寄せ合い何事か相談し始めた彼らを尻目に、私はこんなことを考えていた。


明日こそは、今はいない彼と二人でかき氷を食べに行こう。もちろん味は練乳いちごで。


|