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 (※ これは谷口探偵の事件簿の続きです)

 

 

古泉は店内をくまなく見回しつつ、カウンター席の椅子に足を組んで腰かけた。

俺はキザったらしいその仕草を横目で眺めつつ、古泉がここに現れた真意を推し量っていた。もしかしてこの国木田店ごと消失事件には、『機関』がからんでいるのか?

「不満げな顔ですね」

俺の脳内の混乱を見透かしているように、古泉はカウンターに肘をついて微笑んだ。

おい古泉。これはお前ら『機関』の仕業なのか? お前と国木田とが知り合いだったことは意外だったが。それはともかく、お前は分かってるんだろ。なぜ国木田が店ごと消えてしまったのか。

「『機関』の仕業ではありませんよ。ご心配なく。それと、僕は当事者ではありませんので詳しい事情までは分かりませんが、理由なら知っています」

教えてくれ。どうなっているんだ、これは。ワケが分からない。

古泉は足を崩し、笑顔のまま俺の顔を覗き込んできた。

「あなたは、いつだったか僕に言いましたよね。余計なことは知りたくない、立ち入った事情を聞いてしまったら面倒事に巻き込まれかねないと」

愉悦を感じているような表情で「知りたいんですか?」と言うと、古泉は再び足を組みなおして背筋を伸ばした。

やっぱりこれは『機関』関係の出来事だったのか。

「我々が直接関わっているわけではありませんよ。『機関』はあくまでも、当事者の関係者、という立場なだけです」

 

知りたいか知りたくないかと問われれば、その答えはとっくに出ている。あの日、涼宮ハルヒや古泉一樹と初めて出遭った時からずっと。俺は知りたいと思っていたんだ。何故こうも都合の良い偶然が起こるのか。

たとえば手品には必ずタネがあると知りつつも、観客はその仕掛けが理解できないから、まるでマジシャンが魔法を使っているかのように見える。魔法は不可思議で理解不能なものだ。理解できないものの原理を知りたいと思うのは人間の持つ当然の欲求だろ。

海で台風に巻き込まれた時、更にその欲求は強くなっていた。

大型台風に巻き込まれたのも高潮に呑まれたのも不幸な偶然だったね。まいったまいった。で納得できるほど俺のおつむは腐っていない。残念ながら魑や魅や魍や魎なんてものを信じるほどアニミズム信者でもないから、あの高潮が妖怪海坊主の仕業だなんて信じているわけでもない。

俺は余計なことを知って面倒に巻き込まれるのが嫌だったから、敢えて理性でそれを拒否していたのだ。探偵はいかに厄介事に巻き込まれないよう逃げおおせるかが腕の見せ所だしな。怪しい事には、興味本位で首をつっこんだりしないものなのさ。

だが今は違う。

国木田とはもう、10年近いつきあいだ。一番の親友ともいえるあいつが、突如として消えてしまった。探偵なんて肩書きでどうこう語るつもりはない。これは完全プライベートの問題だ。探偵という前提なしなら、俺の言うべきことは最初から決まっている。

教えてくれ、古泉。国木田に、何があったのか。

 

 

さて、と呟いて古泉はしばらく考え込むように構え、やがて俺を諭すように話し始めた。

「谷口さん。あなたは、運命というものを信じますか?」

運命? 唐突だな。どういう意味合いの運命だ?

「文字通りですよ。この世の森羅万象は、すべからく決まったシナリオ通りに時間軸上をトレースするように動いている、という意味です。あなたと僕がここで話をしているのも、あなたが明日のこの時間に何をしているのかも、すでに定まっている。運命論的に言えば、そうなりますね。偶然というものはこの世に存在せず、必然だけで宇宙は出来上がっているということです」

バカバカしい。俺は無神論者なんだ。宗教の話ならお断りだぜ。運命? 今の時代、そんなこと言うのは頭の煮えくり返ったバカップルだけで十分だ。

「宗教的な意味で言ったのではないのですが。まあいいでしょう。あなたのおっしゃる通りですよ。この世に運命なんていうものは存在しません。蓋然だの運命だのというものは、過去の事象を説明する上で都合がよいから使われているだけの言葉です。この世に存在する全てのものは、偶然が積み重なって出来上がっているのです」

おい、ちょっと待ってくれ。なんだか話が妙に方向に向かっていないか? 俺は国木田がどうしていなくなったのかを訊いているんだ。お前の形而上の屁理屈を尋ねているんじゃないんだぜ?

「おや、これは失礼しました。では前置きはとばして、単刀直入に結論だけ申し上げましょう」

国木田さんは、未来からきた未来人です。と言って古泉は笑顔で足を組み替えた。

 

 

一瞬、言葉につまった。未来人? はて? もしかして、筑波の未来市のことを言っているのか?

「あなたもドラえもんは知ってますよね。国民的な漫画ですから。あの作品に出てくるドラえもんは、22世紀からやってきたネコ型ロボット、という設定でしたっけ?」

ですよねって。まさかお前、国木田が未来の世界からやって来たヒューチャー人間だって言いたいのか? んな馬鹿な!

「馬鹿な? あなたは僕が、あなたをからかうために与太話をしていると、そう言いたいわけですか? ユーモアは大切だと思いますが、僕も冗談を言って良い時と悪い時の区別はつけられるつもりですよ」

そういうわけじゃないが。いきなり未来人とかドラちゃんとか言われても……。ねえ?

「あなたの気持ちはよく分かりますよ。突然、未来から過去の世界である現代へ人間がタイムトリップしてきたなんて言われても、常識人なら疑ってかかるのが当然です。僕があなたの立場だったとしても、同じことを言っていたでしょうね。しかしあなたは既に腹をくくっているはずです。そういう思惑があって、僕の話を訊く気になったのではないんですか?」

まあ、な……。既に俺は自分の理解を超えた出来事に巻き込まれ、それらの裏事実を知るために古泉に教えを乞うたんだ。

「僕の話を信じる信じないは、話を全部聞いた後で判断しても遅くはないんじゃないですか?」

悪かったよ。もうお前の話の腰を折ったりしない。最後まで話してくれ。

「分かりました。それでは、再開しましょう。国木田さんは未来から現代へ時間を遡ってきた未来人だと話しましたが、まずはその目的から話しましょうか。彼が未来からこの時代へやってきた目的は3つあります。一つは……ええと、あの人の名前はなんていいましたっけ。ニックネームはキョン、でしたか? 彼の動向の観察。二つ目は涼宮ハルヒの観察。そして三つ目は、朝比奈みくるの監視です」

俺が約25年間培っていた常識の範疇を大きく超える設定話が、古泉の口から次々とこぼれ出る。漫画か小説の話でもしてるんじゃないかと錯覚しそうになるが、これは100%純正の真実なんだ。たぶん。確証はないが。

ところで古泉。一つだけ訊きたいことがあるんだが、いいか? 素朴な細かい疑問だ。お前の口ぶりからするに、国木田はその3名の行動を見守るために未来からやってきたんだろうが、キョンとハルヒに対しては「観察」で、朝比奈さんに対しては「監視」なのか?

「そうです。監視です」

 

「話をここで一番最初に戻しましょう。運命は存在するかどうか、の話の続きです。あなたも僕も、この世に運命などというものは存在せず、世界の行く末は定まっていないという認識で一致しましたね」

もしかして、国木田が未来人であるということを前提に運命論から話を始めていたのか?

「すいません、回りくどい説明で。とにかくこの世に定まった唯一の未来なんていうものはなく、未来というものは無限に変化する可能性があるということをまず伝えたかったものですから」

まあいいや。続きをたのむ。

「何度も言いますが、未来は何通りにも派生するものです。たとえばあなたが昨日、ここに財布を忘れなかったら。僕が気まぐれにここへ足を運ばなかったら。あなたや僕がここを訪れる時間がずれていても、あなたと僕がこうして出遭うことはなかった。こんな話をすることもなかった。つまり、そういう小さい偶然がいくつも積み重なって、今という現在が形成されているわけです」

シュレーディンガーの猫的な話で行くと、たとえば宝くじを買った場合に起こりうる未来としては、

 

 宝くじを買う → ① 当選していた→金融機関へ引き出しに行く→当選金GET!

        → ② 外れていた→「やっぱ当たるわけねえか」と呟いて券をゴミ箱へ捨てる

 

という感じか?

「そうですね。未来というのは、そこに到るまでのファクターによって千差万別に変容するのです。つまり何が言いたいかと言いますと、国木田さんが未来からやって来たといっても、彼がいた未来とは、今のこの世界と直結した、確定したものではないということです。なぜなら、未来というのは起こりうる些細な要因の一つ一つによって簡単に変化してしまうものだから」

ちょっと待て。国木田が未来から過去へきていたんだとしたら、俺たちが存在している今の時間と国木田のいた未来の世界の時間は今のところつながってるってことだろ。もしそのつながりが外れたら、どうなるんだ? 国木田のいた未来は消えてなくなってしまうのか?

「分かりません。僕はこの時代に生まれ育った人間で、時間の原理のことは未来人から小手先程度に聞きかじった知識しか持ち合わせていないものですから。ただ、未来自体が消滅することもあるし、何事もなく存続する場合もあるようですね」

何故だ? 未来ってのは過去があって初めて成立するものだろ。過去とのつながりが絶たれたら……

「未来には無限の可能性があると言いましたよね。未来は唯一絶対のものではない。あらゆる可能性が、並行世界という形で派生していくのです。同じく、我々が存在するこの世界にも、無限のパラレルワールドが存在するのです。ですから、我々の存在する時間との関わりが途切れたからと言って、未来世界が消滅するわけじゃないんですよ。それも場合によりけり、ですが」

ちょっと待ってくれ。頭が混乱してきた。小難しい話が続くからな……

「では、少し話を戻しましょうか。あなたの質問です。国木田さんが朝比奈さんを監視するためにこの時代に来ていたという件ですが、率直に返答しますと、朝比奈さんも国木田さんと同じく未来からきた未来人だからです」

少なからず俺は動揺した。朝比奈さんが、未来人?

「ややこしい話ですが、それも彼女は、国木田さんとは異なる未来からきた未来人です。いわば、国木田さんと朝比奈さんは互いに並行世界の住人同士、ということになりますね」

ははは、と古泉は控えめに笑った。え、どういうこと?

 

「国木田さんが生まれた世界。朝比奈さんが生まれた世界。両方の世界は交わることのない並行世界なのですが、この我々の時代において共通する重要な事項があります。それは、キョンというニックネームの彼と、涼宮ハルヒが結婚するということです」

はあ? なんだそりゃ? いきなり話がSFXから身近などうでもいいようなものに飛んだな。男と女が結婚することなんて、今も昔もこれからも普遍的にありえることで特筆することじゃないと思うんだが。

「そうです。彼と涼宮さんの入籍については何の問題もありません。世界中どこにでも一般的な事柄です。重要なのは、その後です。2人の間に一人の男の子が生まれます。その男性は大人になって博士号を修得するのですが、その男性によって、時間移動の原理が発見されるのです。されるというか、僕もそれは聞いた話ですから、あくまで伝聞であることを念頭においてくださいね」

なるほどね。それで国木田や朝比奈さんのタイムトリップが可能になってくるというわけか。

 

キョンとハルヒの子どもがねえ。ずいぶんとスケールの大きな話じゃないか。

キョンとハルヒ……?

じゃあ朝比奈さんは? キョンがつきあってるのは、ハルヒじゃなくて朝比奈さんだぜ? キョンは近い未来、朝比奈さんと別れるってことか?

「そこが問題なのです。国木田さんによれば、国木田さんのいた未来世界では、この時代に朝比奈みくるという人物が存在したという記録はないそうなのです。つまり国木田さん側の未来にとって、朝比奈みくるはイレギュラーということですね」

 

 

 

嫌な予感がよぎる。胸騒ぎを感じながら、キョンは朝比奈みくるのアパートの階段を駆け下りていた。

朝比奈みくるがいない。

携帯に電話しても、つながらないどころか「おかけになった番号は、現在使われておりません」とアナウンスが返ってくるだけだ。彼女の番号は携帯電話に登録しているし、記憶もしているから間違えてナンバーすることはありえない。メールを送っても返信はない。朝比奈みくるとつきあい始めてもう5年経つが、今までこんなことは一度もなかったことだ。家に行っても、朝比奈みくるは不在だった。

いや、居住者がいる証明の氏名プレート自体が無くなっていた。

つまり、答えは一つ。朝比奈みくるは、何も言わずキョンの前からひっそり消えてしまったということだ。

今まで隣に居て当然だった存在が、忽然と消えてしまったという事実にたとえようのない不安を感じ、キョンは流れる汗もぬぐわず、あてもなく走り続けていた。

「朝比奈さん、朝比奈さん! 朝比奈さん!」

もうつきあい始めて5年も経ってるいのに、恋人の名前を未だに敬称で呼んでいることが急に滑稽に思えてきた。

 

彼女の名前を呼びながら街路樹の並木通りを走り過ぎ、公園の噴水前でキョンは足をとめて荒い息を整えた。身体の動きを止めると、途端に心の内側の不安がそれをとがめるように湧き上がってくる。携帯を取り出して確認してみても、依然メールの返信はない。

心当たりのある場所は片っ端から回ってみた。しかしどこにも彼女はいない。

「どこに行っちまったんだよ……」

首を流れる汗を腕ではらい、これ以上行くべき場所が思い浮かばず、自分がどうすれば良いもかも分からず、キョンは蛇口の水で顔を洗った。熱をもった頭を冷水が流れ落ちるが、いい案はまったく思い浮かばない。

電話をしてもメールを送っても知り合いの家へ行ってみても、彼女はいない。執る行動がことごとく空振りに終わるたび、キョンの中の不安が身体中に電流を流すようにしびれを伴って肥大化する。

「どこにいるんだ、朝比奈さん。俺は、どうすれば……」

頭の水を振り払い、蛇口の水を止めて悄然と頭を上げると、目の前に見覚えのある女性が立っていた。

「ひさしぶりね。キョン」

「ハルヒじゃないか。どうしたんだ、こんなところで。今日は古泉は一緒じゃないのか。いや、そんなことはどうでもいい。朝比奈さんを見かけなかったか?」

薄い色合いのワンピースを着た涼宮ハルヒは、訝しげな表情でキョンの前まで歩み寄ってきた。「みくるちゃん? 見なかったけど、どうしたの?」と言ってキョンの湿った前髪をなでつけた。

「いや、なんでもない。知らないならいいんだ。邪魔したな。それじゃ俺、急ぐから」

ハルヒの肩に手を置き、その横を通り過ぎたキョンの腕をハルヒがつかむ。

「ちょっと待って。あの、私……その、あんたに言いたいことがあるのよ」

はっきりとしない口調の涼宮ハルヒにいつもと違った様子を感じ取り、キョンは不思議そうな顔つきで振り返った。

「あんたと私が初めて会ったのって、4年前のことよね。私が山の斜面から落っこちて、それを見つけたあんたが私を助けてくれた」

「そうだったっけか。……そうか。もう4年経つんだな。早いもんだ」

足にむず痒い痛みを感じながら、キョンは4年前のことを思い出していた。土まみれのファーストコンタクトだったのに、あの頃から涼宮ハルヒは傲慢な態度だったと記憶している。傲慢ではあったが、それでもハルヒなりに他人に対して気は遣っていたであろうことはキョンにもなんとなく分かっていた。他人に対して上手に自分を出すことに慣れていない子だったんだろう、と朝比奈みくると話していたこともある。

「で、言いたいことって何だ?」

なぜか怒ったようにそっぽ向いてぶつぶつ言っている涼宮ハルヒを眺めながら、キョンは彼女が何をもじもじしているのか考えていた。

「それは、あれよ。えと……その………」

涼宮ハルヒの登場からしばらく麻痺していたキョンの心の中の不安と焦燥感が、また少しづつ頭をもたげてきた。

「悪いハルヒ。俺、今急いでるんだった。また今度な」

申し訳なさそうに手を合わせ、キョンが涼宮ハルヒに背を向けた。まだ疲れの残る足で走り出そうした時、キョンの腕を再びハルヒがつかんだ。

さっきとは違い、はっきりと意思のこもった強い力でつかまれ、キョンは驚いて足をとめる。

「あの日から、ずっと好きだったの!」

肩越しに振り返ったキョンを、真剣な目つきの涼宮ハルヒが見上げていた。

 

「私ね、ずっと探してたんだよ。4年間」

ふるえる声で顔をうつ伏せ、涼宮ハルヒはキョンの腕を放し、肩を縮める。キョンには小さかったハルヒの身体が、更に一回り小さくなったように見えた。

「だから、あの日、あんたと4年ぶりに会えた時は、すごく嬉しかった。また会えたと思った。海で会った時もそう。走り回りたいくらい嬉しかったけど、なんでかな。足がふるえてたから。意地を張って立ってるだけで精一杯だったの」

まとまらない思考で、キョンはまたゆっくり振り返る。

「今日もね。道端でたまたまあんたが走ってるのを見かけて、走って追いかけてきたの」

両手を胸の前で組み、涼宮ハルヒは一歩踏み出して顔をあげた。叱られた猫のようにおどおどとした目だ、とキョンは思った。

「あなたにはみくるちゃんがいることは知ってる。だけど、ごめん。伝えたかったの。私があんたを……好きだったこと。うまく言葉にできないけど……それを、分かってもらいたかったから……」

 

キョンの耳に、先日古泉から聞いた話が蘇る。あれは、キョンが夏祭りの日に負傷を負い、入院することになった時のことだ。

見舞いに来た古泉とキョンが病室に2人きりになる時間があった。古泉は世間話でもするかのように、ぽつぽつと涼宮ハルヒのことを話していた。

 ───彼女は、涼宮さんは、非常に寂しがり屋なのですよ。

 ───孤独と言った方がいいかもしれません。彼女には親しい友人というものがいなかったし、唯一の肉親であった両親とも死別してしまった。

 ───彼女には、理解者がいないのです。

 ───だから涼宮さんは、他人に自分の存在を認識してもらうことに強い執着を持っています。

 ───僕も彼女の理解者となれるよう努力してきたつもりでしたが。いやはや。彼女は、僕のように理解者になろうとしかしない人間には、あまり興味を示してもらえませんでした。

 ───ですから、僕としてはあなたに期待したいと思っているのです。

あの時は古泉が何を言っているのか理解できなかったが、今は分かる気がする。

 

「俺も好きだよ。ハルヒのことは。お前となら、いい友達になれると思う」

心の中でキョンは頭を抱えていた。こういうとき、一体どんなことを言っていいのか分からない。俺に何を分かれって言うんだ、古泉? 俺にはなにも分からないぜ。

「違うの。私は、友情とかじゃなくて……迷惑な話かもしれないけど、恋愛感情としてあなたが好きなの」

かぶりをふりながら、涼宮ハルヒがキョンの腕に手をあてる。

 

「私、家事とか得意なのよ。料理もけっこう評判いいし、掃除も上手ってみんな言ってくれるわ」

キョンの体に、ハルヒが身を寄せる。

「勉強もけっこう得意なの。コツがあるのよね。あれは。私、負けず嫌いだから、スポーツもなんだってできるわ。音楽も好きね。友達に、ギターを習ったこともあるの」

ハルヒはキョンの胸に顔をうづめていた。沈黙したまま、キョンはその様子を見守る。ハルヒの頭も、小柄な身体も、わずかにふるえる肩も、よく見える。こんなに近いんだから。

「ねえ。私あなたのためなら、何だってできるよ。キョンのこと、何でも理解してあげる。一緒にいて楽しいって思える女になるから。だから」

 ───私のことも理解して。

「………ごめん」

キョンは目を閉じてハルヒから身を離した。罪悪感がつのるが、そのまま目を開けずにハルヒに背を向ける。

「……どうして? 私、ぜったい、あなたに好きになってもらえる女になれるのに。自信あるのに……なんで? やっぱり、みくるちゃんの方がいいの?」

「いいとか、悪いとかの問題じゃない。俺は、ただ、朝比奈さんが好きなだけだ」

それだけ言うと、キョンは逃げるように駆け出した。本当に逃げてるのかもな。と少し心の底で自嘲気味に笑った。

 

 ───彼女には、理解者がいないのです。

 ───ですから、僕としてはあなたに期待したいと思っているのです。

 俺に期待するお前が間違ってるぜ、古泉。恋愛って、同情でするもんじゃないだろ?

背後でハルヒの声が聞こえた気がした。いや、実際聞こえたのだろう。しかし、それはキョンの頭までは届かなかった。

 

 ───朝比奈さん。

 

 

 

「朝比奈みくるは、未来を変えるために、朝比奈みくる側の未来世界がこの時代に送り込んできたエージェントなのです」

机に肘を立てたまま、古泉は体勢をかえた。カウンターに両肘を乗せ、考え込むように肩を落とす。

「朝比奈みくるの未来世界では、朝比奈みくるに彼を篭絡させ、涼宮ハルヒとの間に関係をもたせないようにしているのです。それが、朝比奈みくるがこの時代にいる理由です」

わずかに沈黙の時間が流れる。そこで俺の脳内に、ちょっとした疑問が浮上した。

国木田の未来でも朝比奈さんの未来でも、そこに辿りつくためには、キョンとハルヒの子どもがタイムトリップの原理を発明することが前提なんじゃなかったのか? 朝比奈さんとキョンが結婚してハルヒと縁がなかったら、そのタイムトリップとやらも発明されなくなって、未来世界の存在自体が危うくなるんじゃないか? 俺にはそれがよく分からないんだが。

「その通りです。彼と涼宮ハルヒの間に、時間移動の提唱者となる男性が生まれなければ、おそらく未来は変わってしまうでしょう。最悪の場合、国木田さんの未来世界も朝比奈さんの未来世界も、共に消滅しかねない」

何故だ? 何故、朝比奈さん側の未来世界は、自分たちの消滅の危険を冒してまでそんな訳の分からないことをするんだ。

「未来の消滅。それが、朝比奈みくるの未来世界の狙いだからですよ」

 

 

「国木田さんの未来世界は、聞いた話ではこの時代とさほど変わらない世界だそうです。変わらないと言っても、比較して多くの違いはありますが、人類が文明社会を営んでいく上での差に、さほど違いはないという意味です」

しかし、朝比奈さんたちの世界は違う。と古泉は苦々しげに呟いた。

「話として聞いただけでも、ぞっとしましたね。恵まれた時代に生きる我々の視点からの感想ですが、およそまともな世界とは言い難い。生物が生きていくこと自体に困難を伴うような、非常に厳しい世界です。イメージとしては、武装島田倉庫というSF小説の世界でしょうか。いや、違うかな」

なんだっていい。つまり、朝比奈さんサイドの未来人たちは、破滅した自分たちの世界をリセットするためにキョンとハルヒの仲を裂こうとしてるってことか?

「要するにそういうことです。僕も詳しい事情まで知りえていないのですが、乱暴な言い方をすれば、時間移動システムが出来て、良い方向に進んだ未来世界が国木田さんたちの世界。逆に悪い方向に進んだ未来世界が、朝比奈さんたちの世界ということです」

俺は言葉を失っていた。正直言って古泉の言うことを丸ごと信じる気にはなれないが、それでも信じる気持ちになっている部分も少なからずあることに違いはない。

涼宮ハルヒの起こしたと思われる偶然。国木田の理解不能な失踪。それらを解決するには、半信半疑だとしても古泉の言葉を聞くしかないからだ。

 

思えば、国木田と朝比奈さんとは学生時代からの同期だったが、2人がそんな経歴を持っていたなんてまったく気づかなかった。まあ気づけと言う方が無理だが。少なくとも、2人がそんな関係だなんていう素振りは一切なかったように思う。国木田も朝比奈さんも違和感なくクラスメイトとしてつきあっていたからな。

「朝比奈さんは、それでも穏健派ですからね。敵対しているというわけでもない国木田さんと険悪になることもないと思っていたのでしょう。それは国木田さんにしても同じことですが」

そう言われてみれば、よく思い返すと2人は仲が良さそうな割には一定の距離をおいてつきあっていたように思える。俺の思いすごしか?

「見事、朝比奈みくるはその任務を達成した。彼のハートを捉え、相思相愛の恋人同士の座を射止めたわけですから。傍から見ていても分かるでしょう。あの人は朝比奈みくるに首ったけですよ」

そうだな。もう痛くて見ていられないようなことも多々あるし。

「だがここで予定外のことが起こってしまった。朝比奈みくるも本気で彼のことを好きになってしまったのです。情が移ったのでしょう。本来なら涼宮ハルヒとのつながりを消した段階で彼女の任務は終了し未来へ帰還する予定だったけれど、そのため彼女はこの時代に居残ることになった。彼女側の未来世界的にもあの人と朝比奈みくるが結ばれることは願ったりかなったりのことですから、彼女をこの時代に残すことに同意した」

その、未来世界か? 未来がそこまで過去の現代に干渉しても、国木田は何もしなかったのか?

「国木田さんは聡明な方ですから。分かっていたのでしょう。朝比奈さんが本気で彼に惹かれてしまった段階で、朝比奈さんは任務を放棄するはずだ、と」

 

何故だ? キョンと朝比奈さんが両思いならなんの問題もなく2人は結ばれるんじゃないのか? そうなったら、国木田の未来世界も危なくなるじゃないか。

「先にも言いました通り、僕は彼らがここにいる理由は知っていても内情までは知らないのです。朝比奈さんが何を思ったのかは分かりません。しかし、彼女はさんざん思い悩んだ末、国木田さんの予想通り自分のいた未来へ帰る意思を固めたようです」

……朝比奈さんが、帰る? 自分のいた未来世界へ?

「そうです。だから、国木田さんも自分のいた世界へ帰還したのです」

俺はやおら取り出した携帯で、朝比奈さんに連絡を試みた。しかし携帯の登録データをたどっても、携帯を通して返ってくる電子音は、当該番号が使用されていないという旨の事務連絡だけだ。

朝比奈さんと連絡が取れない。デジャブに襲われる。今朝、国木田に連絡がつかなかった時に感じた違和感が背筋に忍び寄る。

「朝比奈さんは、彼の、キョンさんのことを想って未来へ帰ることを決めたのでしょう。彼が涼宮ハルヒとのつながりを完全に失ったなら、朝比奈みくるはその未来世界とともに消滅する可能性が高い。もしも最愛の人を突然失ったら、彼はどうなるでしょう? 朝比奈みくるはそれを考え、苦慮の末、まだ取り返しのつくうちに自分が身を引こうと決意した。全ては彼のためです。一途な女性じゃないですね。まあこれはあくまで僕の想像ですが」

朝比奈さんはどこにいるんだ? まだこの世界に残っているのか? 彼女はいつ未来へ帰るつもりなんだ?

「分かりません。僕もそこまでは。まだこの時代に残っているかもしれないし、もしかすると、すでに……」

俺は席を蹴って立ち上がった。行かないと。朝比奈さんに会いに。国木田との別れに立ち会えず、その上、朝比奈さんともこのまま挨拶もせずに会えなくなるなんて。

 

カウンターの上の財布を強引につかみ、俺は店の出口へ走った。ドアを開けると、外はいつの間にか雨模様だった。くそ、こんな時に限って雨かよ。今朝の天気予報じゃ今日は一日快晴だなんて言ってたくせに。やっぱ予報はあてにならないな。

「どこに行くんですか?」

決まってるだろ。朝比奈さんを探すんだ。もう会えないかもしれないけど、このままじっとしていられるわけがない。

仕方ない人ですね、と言って古泉も席から立ち上がった。

「僕からあなたに伝えたかったことの8割は伝えられましたが、最後に一つ忠告を聞いてください」

なんだ。俺は駆け込み乗車なみに急いでるんだぜ。話は手短にな。

「朝比奈さんが未来に帰るにあたり、その後任というか、代わりのエージェントがこの時代にやってきました。その人はすでにあなたとも接触していると思うのですが、記憶にありませんか? 髪の長い、鶴屋という女性です。僕はまだお会いしたことがないのですが」

またしても知った名前が登場したことで、俺の頭に夏祭りで出遭った髪の長い元気な姉さんの姿が浮かび上がる。

「彼女は朝比奈みくるのように穏やかな人物ではないと聞きます。目的を果たすためなら、なりふりを構わないとか。必要とあれば、危害を加えてくる可能性もあるでしょう。気をつけてください」

忠告ありがとうよ。覚えておくよ。悪そうな人には見えなかったけどな。

彼女にはまた、会えそうな気がするからな。それに、いろいろ訊きたいこともあるし。金魚の発育状態とかな。

「朝比奈みくるを監視するために国木田さんが現れたように、鶴屋という人物に対するため朝倉涼子という未来人がこの時代に来ていると聞いているのですが。果たして抑止力となってくれるのかどうかも怪しいところですし」

……おい、今お前、なんて言った?

「なんと言った、とは?」

その、鶴屋さんを監視するためにやってきたとかいう未来人の名前だよ。誰って言った?

「朝倉涼子、のことですか?」

俺は嘆息をついた。ああ。なんてこったい。

 

 

 

地面をうつ水滴が目に見えるほど、大粒の雨が静かに降り続いていた。

涼宮ハルヒは公園のベンチに座ったまま、呆けたように肩を落としていた。雨にぬれた髪は頬に張り付き、肌にはりついたワンピースの裾からは幾筋も水が間断なく流れ落ち続ける。

無機質な表情のまま、涼宮ハルヒは無言で、ベンチに深く腰を下ろしていた。

「どうしたの、お嬢さん? 雨にぬれたままじゃ、風邪ひくよ?」

そんなハルヒの様子を見かけた通りかかりの通行人が、さしていた傘をハルヒの上にかざす。

「何かあったのかい? 落ち込んでいるようだけど。う~ん。そうだ。そんなところに座ってないで、うちに来なよ」

傘を持つ女性が抱き起こすように、ハルヒの肩に手をやる。わずかにその感触に反応したハルヒは、うつろな瞳で立ち上がる。

「私は鶴屋って言うんだ。キミは?」

小さく口の中で何事かをつぶやいたハルヒに微笑みかけ、髪の長い未来人は水溜りの並木通りを歩き始めた。

 

 

 

  ~つづく~

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