結果から言うと、佐々木の部屋に仕掛けられた盗聴器に関しては、まったく情報が集まらないまま時間が経過していった。

マンションの住人に事情を聞いても、最近怪しい人物を見た覚えはないというし、管理人さんにしても怪しい人物が出入りしたことはないと言う。やはり佐々木の身近な人物が仕掛けたという線で考えた方が現実的かもしれない。

佐々木のゴシップ目当てのどっかの下劣記者が強硬な手段にうって出たのかもという考えもあったが、いろいろ法令規則が厳しくなった昨今、高いリスクを冒してまでこんなアホな手段を執ろうとする人間もいないだろう。可能性は低い。

俺とキョンは夕暮れ時の公園で、佐々木のマンションを眺めながらベンチに座ってパンを食べていた。

「盗聴器をしかけた一番の容疑者は、合鍵を持っていて佐々木のマンションに出入りしても怪しまれないマネージャーの周防九曜なんだが。佐々木はその可能性を否定しているし。今のところは進展なしか」

怪しい人物が佐々木をつけまわしているという話も聞いたが、今のところそういう気配もないしな。普通なら依頼主の勘違いかなんかで終わるところだが、盗聴器が実際に出てきちまったら、そうも言っていられない。

「俺たちが佐々木のところに来てから数日経つが、未だに不審な人物を見かけていない。ストーカーでもいたなら、おかしなサインのひとつやふたつ、あってもおかしくないんだが」

その方がいいさ。と言って俺は空になったパンの袋をゴミ箱に放り投げて立ち上がった。

犯罪者じみたヤツが現れたら、嫌でも警察のご厄介になっちまう。佐々木も極力、表沙汰にはしたくないというご意向だしな。なんとか内々で始末をつけたいところだ。

「最低でも盗聴器の犯人は見つけて……おっと、電話が」

携帯電話を耳にあてるキョンに背を向け、俺は再び佐々木のマンションに向き直る。最近のマンションは、やたらとセキュリティ重視になってるんだ。忍び込もうと思っても、簡単に忍び込めるものじゃないはずなんだが。

などとシリアスな顔で推理にふけっていた俺の後ろで、キョンが携帯にむかって小声で「本当だって」や「愛してるよ」とか「今度ケーキ買って行くから」などと囁いている。聞きたくもない会話の端々のキーワードが俺の耳を刺激する。

おいこら、キョン! 真面目に仕事やってる最中に、なにが愛してるぅだコノヤロー。お前はなんでそう、いつもいつも他人のやる気を奪い去るような行為ばかりするんだ? 狙ってるのか? 狙ってやっているというのかテメーコンニャロ。

「しかたないだろ。仕事も大事だが、プライベートも大事にするのが大人のたしなみってもんだぜ?」

何が大人のたしなみだ。それは俺に対する嫌味か? いいんだよ、男は仕事一本に打ち込んで生涯をささげるんだから。それもアットホームパパにはない、ひとつの男らしい生き様じゃないか。お前にはそういった物事を貫徹しようとする気概というか、意気込みが感じられない。だから俺のように渋みのある人間になれないんだよ。

「ふっ」

おい、ちょっと待て。お前さっき鼻で笑ったろ? 俺の人生縮図ともいうべき玉条を笑っただろ?

「笑ってないって。素晴らしいポリシーじゃないか。尊敬するよ。マジで。是非、生涯現役で頑張ってくれ」

おお、イヤだイヤだ! ちょっとプライベートが充実してるからって、それを鼻にかけて他人を高みから見下ろすような人間にはなりたくないね。人生の勝ち組気取りですか?

「お前ってあれだよな。被害妄想が強いよな」

うるせえコンナロ! なにが「あいしてる~」だ、欧米人気取りかよ!? ちくしょー、羨ましいじゃないかよ! いや待て、電話の相手はもしかして朝比奈さんなのか? オイそうなのか!? 頼む、妹だと言ってくれ!

「いや、妹相手に愛してるはないだろ…」

ウソだろ? ウソだと言ってくれよ! 嘘でもいいからウソだと言ってくれよ! そしたら俺、何とか自分を騙しすかして抑え込めそうな気がするから!

 

「なにが嘘なんだい? 周囲に人がいないとは言え、公共の場であまり穏やかとは言えない発言を繰り返されているようですが」

一触即発の危機に陥りかけていたその時、公園のそばに停まった車から佐々木と周防九曜が現われた。仕事帰りの佐々木は、人当たりの良い笑顔をうかべている。その後ろに隠れるように、今日はメガネを装着済みの周防女史が立っている。メガネがあれば血走った目で、血気盛んに見つめられることもないだろう。

「────なにか────進展は────」

佐々木の後ろに背後霊のように立つ周防女史だが、身体は隠しても隠し切れないその存在感。

「今のところ、特に進展はないですね」

電話を切ったキョンが俺を押しのけ、佐々木の前に立つ。

「こっちもだよ。今のところ、僕が怪しい人物に狙われているというような気配はない。といってもこれは僕が勝手にそう思い込んでいるだけであって、実際は不審な何者かがよからぬ事を画策していることに気づいていないだけかも知れないが。残念ながら僕は他人の思考を読むこともラムプレビューで観察することもできないんだ」

まだ言ってなかったけど、実は俺も読心術とかテレパシーとかできないんだ。俺たちって、けっこう似た者同士なのかもな。

「仕事帰りで疲れたでしょう。マンションに戻って休んでいてくれ。外は俺たちが見張っているから」

「ありがとう。とても心強いよ、探偵さん。お二人に来てもらってよかった」

なに。気にするな。仕事でやってるんだから。

「それじゃ、お言葉に甘えさせていただきましょう。僕と周防はマンションに帰っていますので」

軽く一礼すると、佐々木と周防は車に戻り、マンションの方へと消えていった。

 

 

あたりはすっかり暗くなり、夏の夜特有の、熱気を含んだ涼しさが公園にも訪れた。マンションやその周りのアパートなどにも明かりが灯り、すっかり時刻が夜更けになったことを知らせてくれる。

なあキョン。知ってるか?

「知らね」

女の人って、みんなきれいになろうと美白クリーム塗ったり化粧品に凝ってみたりしてるだろ。でも50年前の女性と比べて、今の女性は総じて美肌になったと思うか?

「さあな。俺、お前と違って50年も生きてないから」

今の女性より、50年前の女性の方がだんぜん肌がきれいだったそうだ。どっかの偉い人がそう言ったんだって。

「ふーん」

昔の人は乾燥肌になったりしなかったし、肌年齢が年相応だったそうだ。でも今の女性陣はどうだい。早ければ20代中盤あたりからお肌が荒れてきたりしてるだろ。あ、これ他の人に言うなよ。セクハラだって言われるから。

「言わないよ」

いろんな高品質の化粧品が山ほどある現代において、なぜ今の女性の方が肌が荒れる傾向にあるか知ってるか?

「食生活とかストレスとか紫外線じゃないの」

それもあるけど、大きな原因は化粧品に含まれる油分なんだってさ。肌の表面には体の垢で構成される、外から肌を守るためのバリアゾーンという名のバリケードがあるんだが、油はよごれを落とすからな。化粧品に含まれる油分がこのバリアゾーンの垢をきれいサッパリ洗い流してしまうんだと。そのせいでお肌は丸出し。いやん、見ないでバカンと言ってるうちに、そこへ紫外線がええやないか、ええやないかと言ってやってくる。抗う術を奪われたお肌は哀れ、紫外線のなすがまま。

「お前って、何か言うたびにセクハラっぽく聞こえるよな」

UVCに蹂躙されてしまったお肌だが、悲劇はそれでだけでは終わらない。化粧品の油分と紫外線が反応し、活性酸素は発生するわ、メラニン色素は発生するわ。驚異的な速度で、いやーやめてーとお肌の老化が促進されるんだとさ。

「だから、なに?」

だからこそ、朝比奈さんに伝えておいてくれ。化粧品はどんなに高価な物でも、油が入っていたら美容のためになどならないんだ。是非、ノンオイルの化粧品か、純石鹸のみを使っていただきたいと。日焼け止めクリームなんかもそうだな。

「ああ。伝えておくよ。覚えてたらな」

絶対だぞ。絶対に伝えておくんだぞ。いいな、キョン。

ああ、それにしてもヒマだよな…。

 

監視の目を緩めることはないが、何も起こらないマンション前をじっと長い間見守り続けるというのもかなり辛いことだぜ。仕事は過労死するほど忙しい物がバッシングされるのは世の常だが、退屈すぎる仕事は、むしろ退屈してる人間の方がバッシングされかねない。理由は簡単だ。第三者の目から見れば、サボっているようにしか見えないからだ。不審者のようですらある。

まったく。こちとら体と精神を張った仕事をしているというのに、白い目で見られるんだから割に合わないよ。

「おい、谷口。あれ」

軽く俺の頭をこづくキョンが指差す方を見てみると、大きめのジャケットを着て帽子をかぶり、手提げ袋を持った小柄な人物がマンションから出てきたところだった。

あれは佐々木じゃないのか? 見え見えの変装して、どこ行くんだろう。トイレじゃないことは確かなようだが。

「やっぱりお前の言うことはセクハラっぽい」

憮然とした表情の俺とキョンはやおらベンチから立ち上がり、こっちを一瞥する佐々木の方へ歩いて行った。

 

これはこれは、男装のご麗人。こんな夜更けにどちらへ行かれるんでしょうか? なんなら、この私めが背をお貸しいたしましょうか?

「やっぱりバレしてしまったか。少しは変装に自信があったんだけれど。一般人相手ならともかく、そのスジの人が相手じゃ誤魔化しきれないか。残念」

そのスジの人を相手どって騙くらかそうとするなんて、勇気あるじゃないかお嬢さん。どういう目に遭わされるか、分かってるんだろうな? ん? 同行と尾行、どっちがいい?

「やれやれ。やはり単独行動はできないか。残念だ。同行にしておいてくたまえ。相手があなたたちと分かっていても、やはり後ろからこっそり尾行されるというのは、いい気持ちがしない」

賢明な判断ですよプリンセス。突発的な事故に巻き込まれる可能性を考えれば、距離は近い方がいい。ああ、近い方がいいとは言っても別に密着とかいう意味じゃないよ。念のため。

「そういう泥沼的な言い訳を……まあいい。こんな時間に、変装してまでどこへ行こうとしてたんですか? プライベートに口をはさむようなマネをして申し訳ないが、俺たちもこれが仕事なんでね」

「そのへんの事情は察しているつもりだよ。こんな時間にまでお仕事、お疲れ様。僕もたまに夜遅くまで拘束されることがあるが、長時間のお仕事はこたえるからね。精神的にも肉体的にも。つくづく因果な商売だね。業界の事情を知っている僕から言わせてもらえば、アイドルやタレント等志望の夢にあふれる人たちは皆、サラリーマンか公務員になって仕事とプライベートを両立できる生活を送った方がどれだけ幸せかわからないね。まあ、価値観というものは人それぞれ異なるものだけど」

その意見には非常に共感せざるをえないが、それでもいいじゃないか。どんなに厳しい道でも、自分がやりたいことを感じ取り、それにむかって進んでいけるってことはそれだけで十分幸せなことだと思うよ。それで苦労することになったらその時に悩めばいいんだし、辛いからって何もしないうちから諦めて楽な方へばかり進んでちゃ、人間大きくなれないぞ。

まさにキミの言う通りだね、と言って佐々木はくっくっと笑った。

「それで。どこへ行こうとしてたんだ?」

「特定の場所へ行こうとしたわけじゃないよ。どこでもよかったんだ。別に。ただ、僕が一人で、自分の自由意志で気の向くままに行動できたなら。それでいいんだ。これはあらゆる束縛を受ける者が誰しも抱く欲求さ。たとえば僕は日頃、有名人という立場上あらゆる規制を受けている。プロダクションの契約事項に違反する行動は制限されている。他人に体型や髪型までも決められているんだよ。おかしいよね」

だからさ。夜中の散歩くらいは、自分の意思で行動したいじゃないか。と言って佐々木は再び歩き出した。

 

ぶらぶらと夜道を歩いていると、いつの間にか川原の鉄橋の下まで来ていた。あたりに鳴る虫の音や川のせせらぎが心地よい。少なくとも公園にじっとしているよりは気がまぎれて救われる。

「これは、いわゆる有名人の持病のようなものだと周防が言っていた」

草むらの前で大きく背伸びをして、佐々木はそこへ座り込んだ。そして芝居じみた口調でしゃべり始めた。

「自分はなぜこんなところに在るのか。芸能界には僕のことを知る人間が山ほどいるが、僕の周りにいる人たちは、みんな僕のことを本当に知っているんだろうか。いや、知っているわけがない。プロダクションの社員にしても、こんなに近くで毎日顔を合わせていても、僕を数いるアイドルのひとりとしてしか見ていないに違いない。僕のデビュー曲の歌詞を即座に暗唱できても、僕という人間の長所と短所を5つ以上言える人は、周防以外に誰一人いまい」

僕は、孤独なんだ。そう言って、佐々木は膝を抱き寄せた。その瞳は、川面に映った月を眺めている。

「なんて。そう思ってしまう。それが、持病なんだって。職業病というのかな?」

鉄橋の上を、きしむような音をたてて列車が通り過ぎた。

言ってみれば職業病だろうね。普通の一般人はそんなこと考えたりしないだろうし。病的な哲学者みたいだ。でもいいじゃん。人気あるんだからさ。

「人気なんていうものはね。キミ。どうとでもなるのさ。僕は所属しているプロダクションに数々の制限を受けているんだよ。それこそ、一日の摂取カロリー量から運動量、どんなキャラでいるか、どんな内容の話をするべきか、そしてしないべきか。そりゃもう桎梏だらけでがんじがらめの生活だ。そんな中で、僕が自分の個性を120%アピールできると思うかい? テレビに映る僕の外見、内面、全てはプロダクションが作り上げた佐々木という名のプラモデルだよ。僕もプロダクションから様々な恩恵を受けて、その見返りという形でアイドル佐々木を表現しているわけだから、会社を悪く言うつもりはないけどね。それが普通なんだから。この世界の。ただ、そこに僕という個は介在していないんだ。ただそれだけのこと。しかしただそれだけのことが、僕の心を大きくゆさぶるんだ」

ズボンのポケットに手をつっこんで考え事をするような顔をしていたキョンの横を駆け抜け、佐々木は鉄橋の光の下を通り過ぎ、土手の中腹まで駆け上がった。

「しかしこうしている間は、僕は僕自身でいられるんだ。なあキミよ。そうだろう? 僕は誰かの指示を受けてここにいるわけじゃない。自分の意思でここに来たんだ。そういう意識は大事だよ。自分のアイデンティティを保つ方法がひとつでもある。これは非常にありがたいことだよ。でないと、僕は佐々木という個人ではなくアイドルとしての佐々木に埋没し、消えてしまいかねない」

 

そんなにアイドルなんてものがいいのかね。詭弁たらしいことを口にしなきゃいけないほど精神的に追い詰められてるんなら、辞めちまえばいいじゃないか。

俺のぼやきが聞こえていたのだろうか。佐々木はわずかに目を細め、くっくっと笑い、土手の上まで駆け上がった。

「確かにその通りだ。キミの言うことは、正しいよ」

帽子を脱ぎ捨て土手の上に立つ佐々木は、月の逆光でシルエットとなり、もうどんな顔をしているのかも分からなくなっていた。

けれど俺には、その姿はとても活き活きとして見えた。佐々木の言葉から引用するなら、自分の意思でそうしているから、なんだろうな。

ポーチと帽子を手に空を仰ぎ見る佐々木の顔が、月光を浴びて夜闇に白く浮かび上がった。

わずかに月がかげる。土手のむこうから一台の原付が徐行するようにゆっくり走ってくる。鉄橋の遠くむこうに、明るいネオンの光が点滅していた。そんなどこにでもある静かな日常風景の中に、佐々木の姿はすっかり溶け込んでいた。

こんなごくごく普通の日常生活が退屈でしかたないという人もいれば、普通の日常生活こそがもっとも必要なものだと言う人もいる。つくづく世の中というのはうまくいなかいもんだ。

 

この谷口、一生の不覚だった。ついでにキョンもだが。土手の上をゆっくり法定速度を遵守して走っていた原付が、佐々木のそばを通りかけた瞬間、急激にエンジンをふかし、フルスロットルでスピードを上げた。

あっと言う間の出来事だった。反射的に土手を駆け上がり始めた俺とキョンだったが、時すでに遅かった。身を守るため体を丸める佐々木の腕からポーチを奪い取った原付のライダーは、佐々木をつき飛ばして大量の排気ガスとともに走り去る。
つき飛ばされた佐々木の体はバランスを失って土手へ倒れこむ。

「佐々木!」

キョンが滑り込むように、倒れた佐々木に近寄った。

くそ! なんてこった! 俺たちがついていながら…。失態だ。俺は土煙とともに去り行くバイクの後姿を苦々しい思いで睨んでいた。

あれは何だ? ただの引ったくりか? それとも、佐々木の部屋に盗聴器をしかけた不審者か?

とっ捕まえて尋問したいところだが、いくら陸上選手でも走って原付に追いつけるわけがない。どうする。周囲にタクシーもない状態で、どうやったら追いつける!?

その時だった。遠くから、鼓膜だけでなく身体全体をうち震わせる振動が体に伝わってきた。唐突のことだったので気づかなかったが、それが脳みそをシェイクするような重低音だと判明したのはすぐだった。

俺が異常な気配に緊張し後ろを振り向くと、目を焼くような強烈なハイビームが土手の上をこっちへ向かって走ってくる。破壊音波に近い爆音をひびかせ、ハイビームの元が俺たちの隣までやって来た。なんとなく予想はしていたが、それは巨大なバイクだった。

 

アメリカンオートバイク界が誇る驚異の巨大怪獣、ボスホスの502 BIG BLOCK。V6エンジンで8200ccの排気量を持つ悪魔のマシーンだ。こいつに比べたら2000ccの乗用車だって交通弱者といえる。ちなみに8200ccは四輪車輌に換算すると、4tトラックに相当する馬力を持つ。

「来てくれたんだね。周防」

キョンの肩を借りて上半身を起こした佐々木。微笑むその目元には、額から流れる一筋の血筋が残っていた。転んだ拍子に頭を切ったのか。

「─────しばし…お待ちを─────不届き者に─────しかるべき制裁を加えた後……病院へ─────」

カタギの人とは思えないナイフのように鋭い視線で俺たちを一瞥し、周防九曜はフルメットの風防を下ろし、スロットルを回した。そしていつローギアにシフトしたのかも分からぬまま、突風を巻き起こして消えていった。

気づくと、はるか遠くで周防の502 BIG BLOCKが、ひったくり犯の原付を蹴り倒しているのがかすかに目に入った。50cc対8200ccのバイク対決。あれじゃ、力士が小学生に張り手かましているみたいなもんじゃないか。

その圧倒的に納得のいかない胸のすく光景を見ていて、俺はふと思った。周防九曜の言っていた「不届き者」の中に、もしかして、身近にいながら佐々木を守りきれなかった俺とキョンもふくまれているんじゃないだろうな…。勘弁してくれよ。俺のVTRは250ccなんだ。ハイオクいれたって勝ち目はないよ。

 

 

 

結局、夕べの引ったくりの件は、警察へ届けられることはなかった。佐々木が頑としてそう主張したのだ。とられたポーチも返ってきたし、頭の傷も大したことがないから、わざわざ騒ぎを大きくすることはないだろう。というのが佐々木の言うところだ。口にも態度にも出さないが、おそらく佐々木は原付を蹴り倒して引ったくり犯に軽症を負わせてしまった周防をかばっているのだろう。

この前、初めて周防九曜に出会った時はその風体の異様さに度肝をぬかれて気づかなかったが、色眼鏡をはずして佐々木と周防を見てると、お互いが仕事関係を超えた付き合いをしているのがよく分かる。まるで親友のように仲がいい。

 

昨夜。引ったくり犯を解放すると言った佐々木。あれは佐々木の部屋に盗聴器を仕込んだ犯人か、それに通じる者かもしれないから捕まえて事情を聞くべきだと主張したが、佐々木はそれを「彼らは、盗聴器とは無関係だよ」と寂しげな笑顔で断った。

俺もキョンも周防も、佐々木が引ったくり犯を盗聴器と無関係だと言い切った理由を問いただそうとしたが、なんだかんだではぐらかされて話は聞けなかった。結局、引ったくり犯が逃げ出した後で、佐々木は、今日は疲れたから明日、訳を話すと言って帰って行った。

そこで今日、俺とキョンは周防と一緒に佐々木宅にお邪魔することになった。公園のベンチで日焼け止めクリームに注意しろなどと話しながらキョンと2人きりで、ご近所の皆様の白い目にさらされずに済むかと思うと、大変ありがたい気分でいっぱいである。

「早速で悪いが、昨日のこと。バイクでキミの手提げ袋を奪い去ろうとした窃盗犯をそのまま逃がした件について、話してもらおうか? 俺たちはあれがキミの部屋に盗聴器を仕掛けた犯人かその関係者だと思っていたんだが、キミはそうではないと断言したね。その理由が知りたいんだ」

周防がのそのそとした動作で人数分のお茶を出した後、キョンが佐々木に問いかける。佐々木は湯気をたてるカップを眺めたままうつむいていたが、やがて覚悟を決めたように、そっと話し出した。

「簡単なことだよ。僕は、彼らが盗聴器等の件とは無関係だと知っていたから、昨夜ああ言ったんだ」

自嘲するようにニヒルな笑顔で佐々木は顔をあげた。

「盗聴器を部屋に仕掛けたのは、僕自身だよ」

 

がたんと椅子を蹴って周防が立ち上がったが、佐々木はかまわず話し続けた。

「僕はずっと、アイドル歌手を辞めたかった」

周防はまだ無言で佐々木を見ている。

「『そういう事情ならしかたない』。みんなにそう思ってもらえる、理由がほしかったんだ」

特に訳があったわけじゃないが、俺はビニール袋にまとめて入れていた盗聴器をテーブルの上に取り出した。

「周防は知っていたよね。僕がこの仕事を辞めたがっていたことを。探偵のお二人にも、夕べ話したでしょう。この世界でやっていくためには、様々な覚悟をしなければならないことを」

佐々木の横顔を眺めながら、俺は出された茶を口にした。佐々木の衝撃の告白を受けても、さほど驚いているわけじゃない。正直なところ、俺はこういう展開をわずかながら予想していたんだから。

 

それは別に難しい推理じゃない。このマンションはセキュリティがしっかりしている。部外者がおいそれ侵入できる場所じゃない。秘密裏に盗聴器を仕掛けられるとすれば、合鍵を持つ唯一の人物、周防九曜か、部屋の住人である佐々木本人の2人のうちどちらかと考えるのが普通だ。ただ、周防九曜が盗聴器を仕掛けた可能性は佐々木が完全否定した。佐々木本人が自分の部屋にわざわざ盗聴器を仕掛ける意味もない。だから2人のどちらかが犯人である可能性は低かった。しかし昨晩の佐々木の独白で、佐々木が自室に盗聴器を仕掛ける動機があることが見えてきた。だから、佐々木が自宅に盗聴器を仕掛けた犯人じゃないかと思った次第だ。オーバー。説明長い?サーセンwww

「僕は元々、自分から進んでこの業界に入ったわけじゃない。家族や友人たちに担がれ、気づいたらこうなっていたというのが正直な事情だ。文字通りね。しかし僕は未だに、この世界で生きていくための覚悟というものを持っていない。ただ波風を立てたくないから、言われるがまま諾々と行動していただけだ。けど、もうそれも限界なんだ。これ以上この世界にいたら、僕と言う人間は壊れてしまう。危機感を持ったんだ。だから、なるべく当たり障りのない方法で芸能人を辞めようと思ったんだ。口先の嘘八百よりも、自宅から盗聴器が出てきて、得体の知れない芸能界の圧力に耐え切れなくなった、と言った方がまだ、みんな僕が芸能界を引退しても納得してくれるんじゃないかと思ったんだ」

ふと、長門のことを思い出した。最近のガキは妙に賢くて頭が切れるんだよな。

「─────佐々木さん─────そこまで…─────」

周防は小さく呟くと、テーブルに手をついた。

「そこまで思いつめて……どうして私に一言相談してくれなかったのですか!?」

うお、ビックリした! 周防さんまともにしゃべれたんですか。

「……ごめん。周防には、迷惑をかけさせたくなかったから」

「……あなたは周囲の人たちにどれだけ心配をかけたか分かっているんですか? 私に迷惑をかけさせたくなかったから? こんなことをして。たくさんの人に迷惑をかけておいて────」

次第に語気が落ち着いて行き、最後には開きかけた口を閉じて周防は椅子に座りなおしてしまった。無理するなよ。

「そうだね。……ごめん。言い訳がましいことばかり言ってしまって」

「────謝らないでください────」

互いに言いたいことはいろいろあるだろうが、その場の重い空気に佐々木も周防も黙り込んで顔をふせた。

 

まあそれはそうと。まずは建設的な話をしようじゃないか。部外者の俺が仕切るべきじゃないのかもしれないが、周防さんはどうしたいんだ? 佐々木は辞めたいって言ってるが。

「────本人の────意思を尊重しようと……思う────」

だそうだ。周防さんは佐々木の判断に任せるってよ。佐々木はやはり、歌手を辞めるつもりなのか?

それを聞きながら、キョンは腕を組んでうんうんと頷いていた。お前も何か言えよ。

「僕は、最初から辞めるつもりだったから。今もその気持ちは変わらない。精神的に不安定になっていて突拍子も無い手段に出てしまったことについては甚だ反省しているところだが」

周防は最初から分かっていただろう、僕がこの業界で長つづきしないだろうことは。佐々木の問いかけに、周防が遠慮がちにうなづいた。

「僕は生来、平穏無事に日々を生きて行きたい性質なんだ。人前に立って歌をうたったり踊ったりするのは苦手だ。同業者の方々がどうしてあそこまでの自己顕示欲を示せるのかがわからない。野心野望がないから、たとえ良い役を割り当てられても、それがストレスにしかならない。無理して女性を演じ続けることにも疲れた。そもそもこの業界に対して希求するものがないし、将来的な自分のビジョンも持ち得ない。そう。最初から分かっていたんだ。僕がアイドルなんてやっていける訳がないと」

盗聴器を持ち出してまでアイドル歌手を辞めようと画策した佐々木のやり方は決して褒められたものじゃないが、逆に言えば佐々木はそこまで追い込まれていたということだよな。たびたび部外者が口をはさんで申し訳ないが、本人がこう言っているんだ。しっかり情状を酌量してあげるのも、立派な大人の対応なんじゃないかな?

周防はゆっくりと佐々木の隣まで歩み寄り、そっとその肩を抱きしめた。

「────謝らなければいけないのは……私の方────あなたの葛藤を知りながら────私は何もしてあげられなかった────本当に。ごめんなさい────」

「……周防。いいんだよ。そんなこと。僕の方こそ。ごめんなさい……」

佐々木と周防は、仲の良い姉妹のように固く抱き合って小さく何事かを囁きあっていた。やれやれ、どうやらうまく事態が納まってきたようだな。

俺の隣では、キョンがまだ腕を組んだままうんうんと頷いていた。だからな何か喋れって。

ところで、訊きたいことがあるんだ。さっき佐々木くんが言っていたことだけどさ。女性を演じ続けることにも疲れたって、どういう意味? 佐々木は役者じゃないよね?

固く抱き合っていた2人が、俺の質問に顔を見合わせる。そして何ともいえない微妙な表情を浮かべる佐々木が何度か周防と俺の顔を目配せするように交互に見比べる。なんだこのアイコンタクトは。そして非常に言いづらいんですが、という感じでそっと佐々木が口を開いた。

「……あの、何て言うか……。その。僕、本当は………男なんです」

 

 

 

 

たまにテレビ番組で女装した男性、俗に言うニューハーフが登場したりする。しかしいくら男性だと言われてみても、その外見は女性そのものであり、人によっては女性よりも女性らしく、外見上はまったく男だと分からない人が多い。特に最近じゃメラニー法なんていうボイストレーニングで男でも高い声域を習得できるから、ますます外見で性別を見分けることが困難になっている。

男女の別を見分ける方法としては古来より、のど仏の凹凸がある。男は思春期に声変わりしてのど仏が出てくるから、のどが出ていれば男だ、とすぐ分かるわけである。

この生理現象は喉頭隆起と言い、要すると、のどの甲状軟骨等の部分が広がることで声域が変化することである。だがこれは男だけに起こる生理現象ではない。女性でも喉頭隆起は起こる。しかし男よりも女の方が喉頭隆起の変化が小さいため、女性の場合はその変化が外に出ないだけなのだ。この変化は個人差があるから、のど仏の凹凸が大きな人、小さな人、様々だ。女でも喉頭隆起が大きい場合は声域が下がるし、男でも喉頭隆起が小さければ声域は下がらない。

 

 

「僕はね。喉頭隆起が女性並に、いや、もしかするとそれ以上に、変化していないんだ。だからこの年になってものど仏が出ていないし、声域も下がらず、男性の声というより女性のものに近い声質なんだ」

俺とキョン、佐々木の3人が並んで朱に染まる夕焼け空の下を歩いていると、佐々木がそう言った。その声はやはり無理して作っているわけでもない地声だが、どう聞いても女性の声にしか聞こえない。今でもこうしていると、佐々木は本当は女で、俺たちを騙しているんじゃないかとさえ思えてくる。

しかし俺もキョンも、佐々木が男だと認めざるをえない状況にあった。ついさっきまで俺たち3人は、マンションの近くにある銭湯の男湯で同じ湯釜につかっていたのだから。

「あなたたちに退室してもらった後、僕と周防は2人で話したんだ。今後のことについて。それほどもめることはなかったよ。周防も、僕のアイドル歌手をやめたいという意思を尊重してくれていたから。その後、周防が携帯でプロダクションに事情を話してくれて、なんとか僕の希望に副える目処をたててくれたよ。今度予定を空けて2人で会社まで話し合いに行くことになったけれど、おそらく、今入っているスケジュールを消化すれば、僕ははれて自由の身になれるだろう」

「良かったじゃないか。社会に出れば多かれ少なかれストレスを感じるものだが、極度に自分を追い詰めるほどの負担を感じるのなら、さっさと辞めて新しい道を探した方がいいからな」

楕円にゆがんだ夕日を背に浴び、俺たち3人はお泊りセットの洗面器を脇に抱え、静謐な顔つきでマンションへの帰路を歩いていた。

「お二人にも、迷惑をかけたね。僕はただ、自分で仕掛けた盗聴器を見つけ出してくれることだけを期待して、キミたちに来てもらったんだ。僕の考えたシナリオの過程のひとつとしてだけのために。騙すような事をして、本当に悪かった」

いいさ。騙されたなんて思っちゃいない。なんせ金もらってやってるんだ。仕事を回してくれて感謝してるくらいさ。ただ惜しむらくは、お前が佐々木健介じゃなかったということだけだ。

くっくっ、と佐々木はまたあの笑い声を発した。この低い笑い声を聞いていると、こいつが男だと信じられるような気がしてくる。まあそれも先入観の問題だろうけど。

「明日で、キミたちの雇用期間が終了するね」

ああ。そういう契約だったからな。明日で、晴れて俺たちは依頼主と雇われ私立探偵という肩書きが解消され、赤の他人となるわけだ。

「それもちょっと寂しい気がするね。金の切れ目が縁の切れ目だと如実に言われているようで。僕としては、けっこうキミたちのことを気にいっていたんだけどな」

縁は切れないさ。同じ湯釜につかって将来のことを語り合った仲じゃないか。俺たちマシンガンブラザーズは永久不滅さ。

「そう言ってもらえると、なんだか嬉しいよ。ありがとう。それじゃ明日。もう一日だけ。よろしくお願いするよ、探偵さんたち」
ああ。もちろんだ。来るなって言われても行ってやるさ。

 

「明日来てくれるかな!?」

いいともー!

 

 

 

  ~完~


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