男女二人が夕食をともにしているという光景はまるでデートのようですが、私と彼女に限ってはそんなことはありえない話でした。
なぜなら、私と彼女は同い年の部下と上司という関係であって、決してそれ以外ではなかったからです。
ワイングラスを片手に外の夜景を眺める彼女は、41歳とは思えないほどの若さと美しさであり、彼女に惚れない男などこの世にいないのではないかと思えるほど。
ええ、私も彼女にはベタ惚れですよ。とっくの昔にフラれたにもかかわらず、いまだにね……。
彼女の副官という立場を利用して、ときどきこうして彼女を誘い出すわけですが、拒否されたことはありません。
彼女は、任務中はとても厳しい人ですが、プライベートでは誰に対しても優しい人です。だから、私だけが特別扱いというわけではありません。そこのところを勘違いするほど、私は愚かではないつもりです。
つまり、これは、彼女にとって、部下の慰労以外の意味合いを持つものではないということ。
上級工作員朝比奈みくる。
若くして「機関」時空工作部に所属。
十代半ばを時間常駐員としてすごし、その後は下級工作員を兼務。時間常駐員の任を解かれた後に、中級工作員に昇級。そして、上級工作員昇級の最年少記録を更新。
私が彼女の副官になったのも、そのころです。
その後まもなく、計画立案者兼最高実行責任者として、統合時空補正計画SOSを成功裏に終わらせ、組織におけるその地位を磐石なものとした。
経歴だけを見れば輝かしいばかりです。
でも、彼女は、統合時空補正計画SOSの遂行中は、いつも複雑な表情をしていました。見ているだけで胸が締め付けられそうな寂しげな雰囲気を漂わせていて……。
その理由を知りたくて、長門最高評議会評議員に頼み込んで、お話を聞かせていただきました。あの方は、朝比奈さんとは懇意ですからね。
長門評議員は、最初はしぶってましたが、やがて淡々と語ってくださいました。朝比奈さんの初恋の話を……。
その相手は、彼女の先祖であり、統合時空補正計画SOSの最重要工作対象でもあった人物。
通称、キョンと呼ばれていた男性。
その想いは、口に出すことすら許されぬものでした。なぜなら、先祖との恋愛等は、第一級禁則事項──永久に解かれることのない禁則──として禁じられていたからです。
そう。彼女は、まともに失恋することすら許されなかった。
そして、禁則に縛られたままの初恋が静かに終わりを告げたときには、彼女の恋愛感情は徐々に壊れ始めていたのでした。
彼女は、もう、まともに恋することすらできなくなってしまったのです。
小食の彼女に合わせて、頼んだ単品料理は2皿にすぎません。お酒も弱いため、1杯が限度。
ゆっくり食べても時間がもつはずもなく、食事を終えた私たちは、レストランのテラスに出ました。
季節は夏。夜の風は、肌に心地よいものでした。普段、衛星軌道の基地で暮らしている私たちには味わえない感覚です。
「気持ちいいわね」
風に髪をなびかせる彼女は、それはもう美しくて……。
私は、思わず彼女を抱きしめてしまいました。
直後に腹部に感じる違和感。それは間違いなく銃口でした。
これが任務中だったら、私はどてっぱらを撃ち抜かれていたことでしょう。
「今日は随分と大胆ね」
彼女の表情は、嫌悪でもなく、もちろん好意でもなくて、いつもと変わらぬ表情でした。
いっそ、はっきりと嫌ってくれれば、諦めもつくというのに……。
恋愛感情が壊れた彼女は、誰に対しても好意を抱くことがないのと同様に、誰に対しても嫌悪の情を抱くことはないのでした。
私は名残惜しむように体を離しました。
「私だって、理性がもたなくなることがあるんですよ」
「精神鍛錬が足りないわよ。まあ、いいわ。今のはなかったことにしといてあげる」
最高評議会に訴えれば、私を副官の地位から追放するのは容易であるにもかかわらず、彼女はそうしようとはしない。
居たければ居ればいいし、去りたければ去ればいい。それが、私に対する彼女のスタンスでした。
つまり、副官の地位にとどまるか否かについては、私の選択にまかせると。
私は、とどまる方を選択し続けています。
彼女に最も近いこのポジションを手放す気にはなれませんから。
「じゃあ、そろそろ帰えるわよ。次の任務のことであなたに相談したいことがあるから」
彼女のその言葉で、プライベートな時間は終わりを告げました。
私も、彼女の副官としての立場に戻ります。
「工作対象は?」
「森園生及び古泉一樹、あなたの御先祖様のお二人よ。規定事項管理局から気になる報告があがってきてるわ」
彼女の任務に対する真剣さは、組織の誰よりも勝っています。
ですから、彼女の恋人は誰かと訊かれれば、こう答えるのが最も適切なのでしょうね。
「規定事項」が彼女の恋人です。
終わり