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「キョン、話の途中で居眠りするなんて、君は失礼だと思わないのかい」
目を開けると、俺はいつもSOS団のメンバーが集う喫茶店の一席に座っていた。そして目の前には佐々木がいた。
唖然としてあたりを見回す俺を、佐々木は怪訝そうな目で見つめている。
「どうしたんだい、キョン。悪夢でも見たのかい。もしそうなら僕に話してくれないか。夢からその人の心理がわかるらしい。僕は君のことをもっとよく知りたいと思っているからね」
まるで当然のことのように、ごく自然に話し掛けてくる佐々木に、俺はいま自分の持っている疑問をぶつけた。
「佐々木、ここはいったいどこなんだ。いや、それ以前に、なんでお前がここにいるんだ。いまはいったい何時だ。なにより俺はどうしてこんなところにいるんだ」
混乱して何を聞けばよいのかわからない。とりあえず、頭に浮かんだ疑問を片っ端から佐々木に尋ねた。
佐々木はそんな俺を見て、最初はキョトンとしていたが、くっくっと喉の奥を鳴らして笑い出した。
「キョン、君はまだ目が覚めていないのかい。それとも、異世界から突然この世界に飛ばされて来たとでも言うつもりなのかな。
どちらにしても恋人同士の交わす会話にはあまりふさわしいとは思わないな。まあ、僕達にはお似合いなのかもしれないけどね」
「恋人? お前と俺が?」
「おいおい、まさか健忘症にかかったというんじゃないだろうね。まあ、君の夢の続きに付き合ってあげると、今日は君の高校の卒業式だ。
そして4月からは、僕と同じ東京の有名私立大学への進学が決定している。僕達は世間一般で言う彼氏彼女の関係で、ここは僕達がいつもデートに使う喫茶店さ。
そしていま、僕達は大学へ入学した後のことについて話し合っている最中というわけだ。思い出したかい。
それとも、僕達が彼氏彼女の関係になった馴れ初めの話までしなければならないかな」
佐々木は淡々とした口調で、俺の疑問に答えた。
なんでこうなったかはわからない。俺はハルヒに会っていなければ、佐々木とつきあうことになっていたということなのか。
では、ハルヒはどうなったのか。この世界に存在しているのか。俺は駄目元で佐々木に尋ねてみることにした。
「佐々木、ハルヒはどうなった。いや、涼宮ハルヒという人物に聞き覚えはないか?」
「涼宮ハルヒ? 知らないなあ。その人がどうかしたのかい?」
佐々木は、俺が予想してたとおりの返答を返してきた。だが、俺は質問に答える佐々木のちょっとした表情の変化を見逃さなかった。
「佐々木、ハルヒはどうなったんだ」
「キョン、いま言ったとおり、僕の知り合いに涼宮ハルヒという人物は存在しな――――――」
「佐々木!」
俺は佐々木の言葉を遮って再び尋ねる。
「佐々木、俺はお前とは中学の一年間の短いつきあいだったかもしれない。だが、俺はお前のことなら同級生の国木田や中河、須藤よりよく知っていると自負している。
だからわかるんだ。お前がいま俺に隠し事をしているということが。頼む、教えてくれ。ハルヒはいったいどうなったんだ」
佐々木は俺の言葉を聞くと、一瞬だけ驚いたような表情をしてから、視線をそらした。
俺が無言のままじっと佐々木を見つめていると、佐々木は観念したように、大きくため息をついて、こちらに視線を向ける。
「そうか、君がそうやって僕のことを気にかけてくれていたとは、ある意味、嬉しい誤算かもしれないな。キョン、君の言うとおりだよ。
僕はいま君に隠し事をしている。涼宮さんのことも知っている。だが、どこから話せばよいか、少々思案のしどころだな」
「最初から、お前の知っていることを全て話してくれないか」
佐々木はもう一度大きくため息をついてから「落ち着いて最後まで話を聞いてくれ」と前置きをした後、今回の真相を語りだした。
「キョン、君はいま今回の事件の発端は、君が涼宮さんの創造した閉鎖空間の中で、涼宮さんではなく、長門さんを選んだことにある、と考えているはずだ。
だから、君は涼宮さんが消失してしまったことに責任を感じ、まあそれだけが理由でないにしても、今回の行動にでた。違うかい」
「ああそうだ。それがどうかしたのか」
俺が尋ねると、佐々木は、少し曇った表情で、目の前にあったアールグレイティーを口につけてから、話を続けた。
「君のその認識は間違ってはいないが、正確でもない。実は僕達、僕と橘さんと、九曜さんもあの場に居合わせていたのだよ。
そして彼女達の能力を借りて、君の深層心理をほんの少しだけ操作させてもらったんだ。あの時、君が長門さんを選んだのは純粋な君だけの意思ではない。
だから、今回の事件の原因は君にあるというよりも、むしろ僕達が引き起こしたと言った方が正しいだろうね」
佐々木の話を聞いて、俺は驚愕のあまり絶句した。そういえば長門がイレギュラーな因子が観測されたと言っていたがこのことだったのか。
佐々木はそこまで言うと、少し居心地が悪そうに、俺の表情を窺っていた。
しばらく沈黙が流れた後、俺は佐々木に当然の疑問をぶつけた。
「佐々木、なぜだ。どうしてそんなことをしたんだ」
佐々木は、しばらく教師に叱責された生徒のように俯いて黙っていたが、意を決したように顔をあげて、自分の心情を吐露し始めた。
「キョン、おそらく君の高校生活は涼宮さんといて充実したものだっただろう。でも、僕はそうじゃなかった。高校ではいつもひとりだったんだ。
一年の終わりの春休みだったかな。僕が君に声をかけたのは。でもね、僕はずっと前から君のことを、あの駅前で見かけていたんだよ。
でも、声はかけられなかった。君の傍にはいつもSOS団の仲間がいたからだ。正直、君が羨ましかったよ。充実した高校生活を謳歌している君が」
遠い目をしてそう語る佐々木を見ながら、俺はいままで知らなかった佐々木の別の一面を見たような感じがした。まるで、いま目の前にいる佐々木は、姿形のよく似た別人のように思えた。
「だから橘さんや九曜さん、藤原に会ったときには、僕は暗闇だった世界に光が差し込んだかのような気分になったよ。
でも、僕の期待は裏切られた。君のように充実した高校生活を謳歌することはできなかったんだ。で、僕は考えた。
君にあって、僕にないものはなんだろうってね。だがやがて、それが大きな間違いだったということに気づいたんだ」
そこまで言うと、佐々木はいったん間を置いて、アールグレイティーを三分の一ほど飲み干した。俺も佐々木に倣って、目の前にあったコーヒーに口をつける。
「僕は常に君ばかりを見ていた。そして君とばかり自分を比較していた。だがそうじゃない。僕が本当に比較しなければならない相手は君ではなく涼宮さんだったんだ。
聞けば、涼宮さんも中学時代は、いまの僕と同じように、日々の生活を苦痛に感じていたというじゃないか。だがいまは、君の隣で充実した学生生活を謳歌している。
涼宮さんにあって、僕にないものは何か。僕の傍には宇宙人も未来人も超能力者もいる。彼女と同じようにね。涼宮さんにあって、僕に唯一欠けているもの、それは………」
佐々木は息をのんでから、一言こう言い放った。
「キョン、君だ」
佐々木はじっと俺のほうを見つめた。俺は予想外の佐々木の告白に言葉を失っていた、しばらくして、再び佐々木が語りだした。
「僕はその認識に至ったことでようやく気がついた。君のことが好きだということに。それと同時に、涼宮さんが君のことを好きだということも知ってしまった。
恋愛など精神病の一種だと思っていた僕にとっては、相当なショックだったよ。君が傍にいたにもかかわらず、そのことに気がつかなかった自分自身の不甲斐なさにもね。
正直、涼宮さんが羨ましかった。まるで中学時代の自分を見ているようだった。そして、今にして思えば、君と過ごした中学時代の一年間はとても充実していたような気がするよ」
「佐々木………」
俺は佐々木の告白を聞いて驚きを隠せなかった。ハルヒが俺に恋愛感情を持ってくれているということは薄々感じていたし、
長門や朝比奈さんも、もしかしたら俺に好意を持ってくれているのでは、という思いがあったのも事実だ。
しかし、佐々木までもが俺にそのような感情を俺に抱いていたとは、正直、想像の範疇の外にあった。
自分がいかに女心に対して鈍感であったかを、あらためて痛感させられる衝撃的な告白だった。
「君達ふたりを見ているうちに、僕は涼宮ハルヒになりたいと思ってしまった。もちろん、この僕の願望が荒唐無稽なことは十分理解していた。
でも、僕のこの想いは、何もせずに諦めてしまうには、あまりにも重く大きかったんだ。そんな時、橘さんが僕の願いをかなえる方法があると持ちかけてきた。
君達が今回とった行動は、全て僕達の練った計画の範囲内で行われたことなんだ。橘さんの目的は、涼宮さんが君と出会うのを阻止し、彼女の能力の覚醒を防ぐこと。
僕と橘さんはその一点において、利害関係が一致したんだよ。そしてこのような結末を迎えたわけだ」
佐々木はティーカップに手を伸ばし、紅茶を飲み干すと、ティーポットから紅茶をカップへと注いだ。
そんな佐々木の仕草を見ながら、俺の脳裏には部室での長門や、過去に遡ったときの朝比奈さんの姿が浮かんできた。
「じゃあお前は、俺や長門や朝比奈さんが、あの後どういう行動をするかを予め予測していたというわけか」
「ああ、そういうことになる。そして、涼宮さんがこの世界から消失することを選択するということも、僕たちは予測していた。
だから、僕達にとって、願いどおりの結果になったということになる」
佐々木がそういい終わった後、俺と佐々木の間に気まずい空気が流れた。
しばらくはどちらも言葉を発することができなかったが、その沈黙を破ったのは佐々木では無く俺だった。
「佐々木、俺はお前に対しては申し訳なく思っている。一年間いっしょにいて、高校の頃にも何度か出会っていたにもかかわらず、お前の気持ちに気づいてやれなかった。
だから俺のことを鈍感な奴だと罵ってくれるのは構わない。だが、俺の大事な仲間をこの世界から消失させてしまったことは許せない」
正直、こういうことを佐々木に言うのは心苦しかった。他人が聞けば、自分のことを棚に上げて何を言っているのだ、と思うだろう。
しかし、消失してしまったハルヒや長門、朝比奈さん、古泉のためにも、俺は佐々木にそう言わなければならない気がした。
だが、佐々木は、予想に反して、ちょっと慌てたように俺に反論してきた。その反論の内容は俺の予想外のものだった。
「まて、キョン、君は誤解をしているぞ。彼らはこの世界にいる。長門さんも朝比奈さんも古泉くんも、もちろん涼宮さんもだ。
君が涼宮さんと出会わなかったため、彼らはいま北高にいないだけで、この世界で、それぞれ、本来歩むべき人生を、歩んでいるはずだ」
俺は佐々木の言葉を聞いて、最初は少々驚いたが、しだいにじわじわと「よかった」という思いがこみ上げてきた。
無事だったんだ朝比奈さんも、長門も、古泉も、そしてハルヒも、この世界のどこかで生きているんだな、そう俺が感慨に耽っていると、佐々木は真剣な表情で俺を見つめた。
「キョン、僕は正直、いまの君の様子を見て自分の行動が浅はかだったと反省しているよ。どう言い繕おうと、僕は君の意思を無視したことは事実だ。
だが、後悔はしていない。僕はもう既に、君に対するこの想いを、この衝動を押さえることができないでいたんだ。
それに付け加えて言うなら、涼宮さんだって、中学のときの僕のように、高校卒業に至るいままで、自分の気持ちに素直になれないでいたはずだ。
この後、僕と同じように、君のことが好きだったと気づきながらも、離れてしまったが故に後悔する日々を送った可能性もあるわけだ。
でももし、涼宮さんが東中学校で君に出会わなければ、北高に進学することもないわけだから、君に好意を抱くことなく、本来の人生を歩むことになる。
そうすれば涼宮さんだって君のことを想いながら鬱々と大学生活を送ることもないだろうし、僕も君と、君の彼女として、つきあう事ができる。
君達の一派は、あの東中学での出来事が規定事項だと考えているようだけど、僕はそうは思わない。考えてみてくれ。
未来人に会うことそれ自体が、確率論を超えたイレギュラーな出来事なのだから、それが規定事項というのはおかしいと思わないかい。
だから僕は、いまの世界こそが、本来あるべき姿なのだと思っているよ。いままでの世界のほうが間違っていたんだ。
キョン、いまの僕はもう恋愛を精神病の一種だなんて思っていない。だから、もし君が僕を選んでくれるのであれば、僕は一生を懸けて君ひとりだけを愛すると誓うよ。
勝手なように聞こえるかもしれないが、これが僕の出した結論だ。僕はもう全てのカードを君にさらした。だから最後のカードを、いまこの場で切ってくれないか」
そう言うと、佐々木は俺の目をまっすぐに見つめて、静かな、しかしはっきりとした声で俺に問い掛けた。
「キョン、僕では涼宮さんの代わりにならないかな」
俺を見つめるその眼差しには強い意志が宿っていた。長い沈黙がその場を支配し、俺は佐々木に答える。
「佐々木、お前は俺の親友だ。そしてそれは今でも変わらない。だが、お前は佐々木であってハルヒじゃあない。そしてハルヒになる必要もない。
お前にはお前のままでいて欲しい。だが……俺は…ハルヒのことが好きだ。だから、お前の気持ちに応えることはできない」
佐々木は拳をギュッと握り締め、下唇を噛んで、俯くと、消え入りそうな小さな声を搾り出した。
「キョン、ありがとう。君は僕をまだ親友と呼んでくれるんだね」
佐々木の身体は小刻みに震え、泣いているように見えた。その姿は見ていて痛々しかった。ほんの短い時間だったのだろうが、俺には永遠のように長い時間のように思えた。
ゆっくりと立ち上がると、一言「ゴメン」と言い残して、佐々木は俺の前から去って行った。
俺には佐々木にかけてやる言葉がなかった。どんな言葉をかけようとも、佐々木を傷つけることにしかならないと思ったからだ。
そして俺は、そんな無力な自分が、とても情けなく感じた。
俺がそのまま呆然と、佐々木の立ち去った後の席に座っていると、見覚えのあるひとりの少女が、俺に近づいてきた。
「あなたは酷い人ね。女の子を泣かすなんて」
不意にそう声をかけてきた人物の姿を見て、俺は一瞬にして頭に血が上った。
「な、お前は!」
古泉の所属する機関と対立している超能力者組織の幹部、橘京子の姿がそこにあった。俺は机を叩いて立ち上がる。
「お前がおかしなことを佐々木に吹き込んだおかげで、こんなことに――――」
パアン
怒鳴り散らそうとした俺の頬を、橘京子は思いっきりひっぱたいた。
「何しやがる!」
「それはこっちのセリフよ。今回の件は確かにあたし達に原因があるかもしれない。でも、根本的な原因はあなたにあるのよ。
あなたの優柔不断な態度が涼宮さんや、長門さん、朝比奈さん、そして佐々木さんを苦しめたわ。
なのにそれを棚に上げて、わたしや佐々木さんばかりを非難するなんて、あなたは卑怯者だわ」
俺は歯を食いしばって橘京子を睨みつけた。だが、反論はできなかった。確かにこの事態を招いた大本の原因は俺にあるからだ。
橘京子は「反論があるなら言ってみろ」と言わんばかりに俺を睨みつけていたが、俺が反論できないのを知ると、蔑んだ目で俺を見下した。
「あたしはあなたのことなんてどうでもいいと思っているわ。でも、佐々木さんの頼みだから、最後に一度だけ、あなたの願いを叶えるチャンスをあげるわ」
そう言いながら、俺の目の前のテーブルに見覚えのある銀の指輪を転がした。
「この指輪はこの世界には在り得ない物。これを使うかどうかはあなたの自由よ。どう使うかはその時が来ればわかるわ。じゃあ、さようなら。二度とあたし達の、佐々木さんの前に現れないで」
そう言い残して、橘京子は去って行った。
 
 
 
俺は暗澹たる気持ちで喫茶店を後にした。ただ唯一の希望は、ハルヒを始めとするSOS団のメンバーがこの世界に存在しているということだ。
もしかしたらどこかで偶然巡り会えるかもしれないという淡い期待と、例え再会できなくてもこの世界にいてくれるだけでいいという諦観にも似た感情が交錯する。
できることなら彼らに会いたい。せめてハルヒにだけでも会いたい。失って初めて、いかに自分が恵まれた環境にいたかということに気がついた。
手を伸ばせば届くところにハルヒはいた。だが俺は自分の置かれた環境に甘え、ハルヒに手を差し伸べようとはしなかった。そして、そのために俺はハルヒを失った。
おそらく、高校時代の佐々木も、いまの俺と同じ感情を抱いていたのだろう。だから俺は佐々木を責める気にはなれなかった。
そんなことを考えながら、俺は帰宅の途についたが、横断歩道まで来て、ふと顔をあげると、道を挟んだ向こう側に、見慣れた少女の姿があった。
俺はその光景を見て、自分の目を疑った。まちがいない。涼宮ハルヒだ。ハルヒは光陽園学院の制服を着て、道を挟んだ向こう側で信号待ちをしていた。
ハルヒと最後に別れてから、時間にして数日間しか経っていないにもかかわらず、懐かしさにも似た感慨が胸に込み上げてくる。
だが、どうやって声をかけよう。俺とハルヒは、少なくともハルヒにとっては今日が初対面ということになる。
以前、長門が世界を改変したときのように、ジョン・スミスと名乗るべきだろうか。いや、それは駄目だ。
歴史を改竄したことにより、東中学で出会った出来事そのものが無かったことになっているため、いまのハルヒはジョン・スミスの名前は知らないだろう。
では、このまま声もかけずに別れてしまうのか。それは断固拒否する。
何より今日は卒業式だ。だから、今日を逃せばハルヒが何処に行ったかわからなくなる。こんな偶然はもう二度と訪れないだろう。
だが、どうすればいい。
その時、不意に橘京子の言葉が頭に浮かんだ。
「この指輪はこの世界には在り得ない物。これをどう使うかはあなたの自由よ。どう使うかはその時が来ればわかるわ」
そうだ、指輪だ。この指輪は歴史を改竄する前に、俺がハルヒにプレゼントしたものだ。つまり、いまのこの世界には存在するはずのないもの。
根拠は無いが確信を持っていえる。この指輪を見せれば、ハルヒはすべてを思い出すはずだと。そう、根拠は何も無くても、なぜか確信できるのだ。
俺はポケットの中にある指輪を握り締め、信号が青に変わるのを待った。このときほど信号が青になるのを待ち遠しく思ったことは無かった。
信号が青に変わり、ハルヒがこちらへと歩いてくる。そしてハルヒに指輪を見せようとしたその瞬間、周囲の時間が静止したような錯覚に陥った。
俺は、凍りついたように身動きできなくなって、その場に立ち竦んだ。俺の横を、ハルヒは何事も無かったかのように通り過ぎていく。
指輪を見せることができなかった。なぜなら俺は見てしまったからだ。ハルヒが隣の友人と笑顔で会話を交わす様子を。
俺は、無意識のうちに、いまのハルヒが現状に満足できず、憂鬱な気分で過ごしていると考えていた。しかし、実際は違っていた。
少なくとも、いま俺が見たハルヒは充実した日々を送り、この世界に不満など抱いていないように思えた。ハルヒは俺のいない世界で、自らの世界を築き上げていたのだ。
そのため、俺はハルヒに記憶を取り戻させることができなかった。ここで俺がこの指輪を見せることは、いまのハルヒの世界を壊すことになる。
それが本当にハルヒのためになるのだろうか。もしかしたら俺にひとりの自己満足のためにハルヒを巻き添えにすることにならないだろうか。
そう考えると、ハルヒに記憶を取り戻させることができなかった。
信号の青いランプが点滅しだし、俺は急いで横断歩道を渡った。振り返ると、ハルヒは人ごみの中に消えようとしていた。
踵を返し、俺は、その場から逃げるように、走り出した。涙が目から溢れてくるのがわかった。
もう一度、高校一年の頃に戻ってハルヒとめぐり会いたい。だが、その願いは決して叶う事は無いだろう。もう世界を改変できるような能力は、ハルヒには無いのだから。
俺は家にたどり着くと、一目散に自分の部屋に駆け込み、俺が自分のベッドに突っ伏した。
しばらくすると、隣の妹の部屋のラジオから、今週のオリコン第一位の曲が流れてきた。
その歌詞は、亡くなってしまった恋人を想い続けることにより、奇跡が起こり再びめぐり会えるというものだった。
いまの俺にとって、ハルヒは亡くなってしまったも同然だった。だからその歌は、まるでいまの俺の心情を歌っているようだった。
ベッドに突っ伏した俺の目からは、後から後から涙が溢れてきた。高校三年間の思い出が、SOS団での活動の日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
その時は気にも留めなかった何気ない日常が、ハルヒの我侭に振り回され煩わしいと嘆いた日々が、SOS団の部室で長門や朝比奈さん、古泉と当然のように過ごした思い出が、いまでは何物にも替え難い宝物のように思える。
だが、俺はそんな大事な宝物を、ほんの少しの勇気を持てなかったがために、すべて失ってしまったのだ。それはまるで、俺の高校生活三年間を全否定されたような気持ちだった。
ラジオから流れるその歌が終わったとき、俺はひとつの決心をした。俺も、この歌のように、ハルヒのこと想い続けることにしようと。
そうすればいつか、この歌詞のように奇跡が起こってハルヒにめぐり会える、そう信じて。
 
 

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