Report.26 長門有希の報告


 観測結果に対する所見を述べる。まず、以下に挿話を示す。

 



 未来からの監視員、朝比奈みくる。
 彼女には大変世話になった。多大な迷惑も掛けた。何かお礼をしたいと思った。どうすれば良いか、様々な検討を行う。
 その時、わたしの記憶領域に、彼女がお茶を淹れる姿が映し出された。それは、いつもの風景。SOS団の日常。そして、それに見合う、あるものが『連想』された。
 わたしは答えを見付けた。わたしはすぐに行動を開始した。


 数日後。放課後の部室で、わたしはみくるに、部活後少し残ってほしい旨を書いた栞をそっと渡した。わたしが本を閉じると、それを合図に活動が終了した。着替えるみくるを残して、他の皆は帰途についた。
 皆が退室した後、みくるは言った。
「長門さん……『アレ』ですか?」
 わたしは首を横に振った。
「ちがう。」
 そして彼女の瞳を見つめて言った。
「あなたには大変世話になった。また、多大な迷惑も掛けた。」
 彼女は手を振りながら答えた。
「迷惑やなんてそんな。あたしは長門さんを放っとかれへんかっただけですよ?」
【迷惑だなんてそんな。あたしは長門さんを放っとけなかっただけですよ?】
「わたしはあなたに『感謝』している。そして、その気持ちを表したいと思った。」
 彼女は少し面食らいながら言った。
「あ、あたしは……長門さんからそんな言葉を聞けただけで十分感動ものです……」
「わたしも、人間に倣って、心ばかりのお礼をしたいと思う。」
 わたしは冷蔵庫から、あらかじめ入れておいた密閉容器を取り出した。彼女にそれを渡す。
「開けてみて。」
 中には、半透明のゲルに包まれた、黒っぽい物体。
「これは……葛饅頭?」
「そう。」
 それは『和菓子』と呼ばれる食品。
「そうした方が気持ちが伝わると思って、情報統合思念体の支援を受けず、また情報操作を一切行わずに、個体としてのわたしの能力だけで作った。」
 彼女は目を大きく見開いて驚いた。
「それってつまり……正真正銘、長門さんの手作り……」
「そう。あなたがいつも淹れてくれるお茶に合うものをと考えた。」
 彼女の目が潤みだした。
「余り上手くできていないかもしれない。でも、これがわたしにできる精一杯のお礼。」
「うっ……な゛、長゛門゛ざん゛……こんな、こんなすごいお礼……あたし……めっちゃ嬉しいです……!」
【うっ……な゛、長゛門゛ざん゛……こんな、こんなすごいお礼……あたし……すっごく嬉しいです……!】
 彼女は感極まって泣き出してしまった。泣くほど喜んでもらえて、わたしもうれしい。
「あなたと一緒に、あなたの淹れてくれたお茶で、わたしが作ったお菓子を食べる。作りながらそんなことを想像して、名状し難い気持ちになった。」
「長門さはぁ――――ん!!」
 彼女に思いっきり抱き締められた。
「……日持ちしないので、早めに食べることを推奨する。」
「えぐ……すん……は、はいっ! それじゃ飛びっきり美味しいお茶を淹れますね!」
 彼女はいそいそとお茶を入れる準備を始めた。程なくして、部室に甘い緑茶の香りが漂う。
 盛り付けはよく分からない。人間の美的感覚は、まだよく分からないから。
「こういうのは気持ちです。あたしも、この時間平面上で『美しい』とされるものを再現できるかは分からへんし。」
【こういうのは気持ちです。あたしも、この時間平面上で『美しい』とされるものを再現できるかは分からないし。】
 このような和菓子に分類されるお菓子は、『黒文字』という道具を使って食べるものらしいので、それも持参した。
 人間の味覚についてはまだ把握し切れていないが、彼女は満足してくれた模様。幸せそうに微笑む彼女。多分、成功。
「お菓子って、ほんまに人を幸せにしますよね。ほら、長門さんも、顔が綻んどぉ。」
【お菓子って、ほんとに人を幸せにしますよね。ほら、長門さんも、顔が綻んでる。】
 それは多分、幸せそうにお菓子を食べるあなたの顔を見ていたから。わたしも釣られて『幸せな気分』になったものと推測される。
 わたしは、この行為を選択して良かったと思う。今度は別のお菓子にも挑戦してみたい。
 そして今度は……涼宮ハルヒ達も一緒に、SOS団全員で食べたい。わたしの大好きな、『仲間達』と一緒に。
 仲間外れは、寂しいから。
 一人で食べるより、皆で食べた方が美味しいから。

 



 対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス、パーソナルネーム長門有希は今、人間の感情を一つ理解した。
 この感情を、人間は『愛』と呼ぶのかもしれない。
 時に、愛ゆえに、ヒトは苦しまねばならない。
 時に、愛ゆえに、ヒトは悲しまねばならない。
 そして、その苦しみに、その悲しみに、ヒトは迷い、ヒトは嘆く。
 それは情報生命体である情報統合思念体から見れば、理解できない概念だった。そんなに悲しいのなら、そんなに苦しいのなら、『愛』など不要だとしか思えなかったから。
 しかし、それは違っていた。
 有機生命体であるヒトには、避けられないものがある。それは『生老病死』という言葉に代表される。
 ヒトは生まれ、老いてゆく。時には病に伏すこともある。そして誰にでも平等に、死が訪れる。
 その限られた時間の中で、ヒトは成長し、繁殖しようとする。また単体では無力でも、団結し、支え合い、助け合うことで、大きな力を発揮する。そしてまた、時には情報伝達の齟齬等により、対立し、破壊し合い、殺し合う事さえある。
 それらの相反する要素、矛盾を内包しながら、ヒトは生きてゆく。
 わたしはそこに、自律進化の一端を垣間見た。
 ヒトの行動には、矛盾が多い。そしてその矛盾は、余り問題視されない。情報統合思念体には、このように矛盾が解決されないまま、清濁併せ呑んでも問題が発生しないという現象は理解し難い。
 これは、次のような仕組みになっていた。
 すなわち、矛盾をそのまま、とりあえず『あるがまま』に受け入れる。しかし、矛盾は何も問題を発生させないわけではないので、ヒトは苦悩する。そして、矛盾……問題の解決のために、ヒトは『創意工夫』する。
 情報統合思念体の流儀なら、矛盾そのものを消去すれば良い。しかし、ヒトの場合はそうは行かない。矛盾が発生したままで、問題だけを発生させないようにしなければならないこともある。そしてその矛盾が更なる矛盾を生み、それらをそのままで、とりあえず機能だけは保つようにすることもある。
 このような、情報統合思念体にとっては何の解決にもなっていないような方策でも、ヒトはそれを良しとする。問題の『真の解決』を、後の世代に託して。
 これを単なる問題の『先送り』と見做す向きもあり、また、実際そうである場合もある。しかし、単なる先送りに止めず、そこに何らかの工夫の跡、付加価値を付けた場合、それは問題の『改善』として、評価される。『改善』を積み重ねていけば、いずれ問題は『解決』されるから。
 そして、そのように問題の『改善』に携わることで、ヒトは大きく成長する。成長したヒトは、また別の問題に対して、更なる改善を加え、成長し、それが繰り返される。このようにして、ヒトは進化してきた。
 ここで重要なことは、矛盾を取り合えず受け入れながらも、決してそれをそのままにしようとしないこと。必ず何らかの工夫をする。少しでも問題の解決に近付けようと、努力する。
 その努力は、必ず成功するとは限らない。全く無意味であったり、逆効果であったりする。それでもヒトは、努力を止めようとはしない。
 失敗をそのままにしたり、そこで何の考察もなく努力を放棄する者は、評価されない。しかし、失敗を糧に新たな工夫をする者、何らかの考察を加えて努力を終了する者は、その過程に対して評価される。
 情報統合思念体には、このような概念がない。結果がすべてであり、またそもそも『失敗』もないので『工夫』もない。する必要がないから。そのようにして情報統合思念体は進化してきた。その歴史は、常に『成功』の歴史だった。
 しかし、実はその『成功』の連続にこそ、大きな『失敗』の原因が存在していたのではないかと思われる。情報統合思念体には、『失敗』の経験がないので、当然に『工夫』し『克服』したという経験もない。それが、現在の進化の閉塞状況を打開できない原因であると思われる。
 進化が行き詰ることは、『大きな失敗』。このような『大きな失敗』を『工夫』して『克服』することは、『小さな失敗』を何一つ経験してこなかった情報統合思念体にとっては、極めて荷が重い。『小さな失敗』を一つ一つ『克服』することで、再発防止を図り、もって『大きな失敗』を未然に防ぐべきだった。
 ヒトには『急がば回れ』という格言がある。
 『急いでいる時に危険な近道を通ろうとすると、その近道が通行不能になっていたら元の道にまた戻る必要があったり、急いでいるせいで注意力散漫になって転んで怪我をして、歩く速度が遅くなるか歩けなくなったりして、急いでいない時より余計に時間が掛かってしまうことがあるので、安全な回り道を通行することを検討する』ことを意味し、転じて、『急いでいる時ほど、遠回りに思えるような安全な方法を選択した方が、結果的に早く結果が得られる』という意味で用いられる。
 これを現在の状況に適用すると、何か不具合がある度に、その都度立ち止まって問題を一つ一つ検討し、工夫する。そうすることで問題を解決に導き、将来の大問題の発生を防ぎ、また大問題が発生した時の対応能力を養うこと。それが、結果的に『大きな失敗』を防ぎ、またたとえ『大きな失敗』を犯しても、適切に対処することができるようになっていたということになる。


 だが、それも結果論。今更言っても仕方がないこと。これを教訓として、今後の対策を考えなければならない。
 そこで、まずは小さな失敗とその克服を経験する必要があると認められる。いきなり『進化の停滞』という大きな問題ではなくて、もっと小さな、瑣末と思えるような問題から取り組む必要がある。そこから少しずつ、段階的に大きな問題へと進むことが望ましい。小さな『改善』を積み重ね、やがて大きな問題の『解決』に至るという、ヒトと同じ道程を辿る必要がある。
 ここで忘れてはならないことは、その道程において、決して自らが優れているとは考えないということ。解決できる、また解決すべき問題の規模に差こそあれ、それを改善し、解決していく行為そのものにとっては、その様な差異は問題ではない。
 繰り返しになるが、その様な道程を辿り続けて、ヒトは進化してきた。つまり、ヒトは今までずっとそのようなことをしてきた。この行為においては、ヒトの方が『先輩』にあたる。対して、情報統合思念体は、その行為においては『素人』。全くの『初心者』となる。自らの能力及び扱える情報に限界があることを知り、これまでの『成功』……『昔日の栄光』に囚われることなく、事に当たらなければならない。
 もしその作業に失敗するようなことがあれば……情報統合思念体は、その程度の存在でしかなかったと言わざるを得ない。そして同時に、そのような存在に作られたわたしもまた、それ相応の存在でしかなかったということになる。
 そのような事態は極めて遺憾であり、そうさせないために、わたし達が作られたものと理解している。
 したがって本報告は、単に補助資料としての、『人間』涼宮ハルヒの観測記録に止まらない。本報告から、『進化の道』を導き出せることを願って止まない。


 検討の材料は揃っている。
 例えば、わたしが暴走し、涼宮ハルヒの能力を盗み出して、情報統合思念体を消滅させて世界を改変した事件について。
 なぜわたしが『暴走』に至ったのか。どうすれば暴走しないで済んだのか。当事者であるわたしは、既にある程度考察は進んでいる。
 また、例えばなぜ朝倉涼子は、わざわざ『自殺』という形を選んだのか。そのまま有機情報連結を解除されても、『死んで』から有機情報連結を解除されても、結果は変わらないのに。
 もちろんこれは、今となっては『情報統合思念体の管轄から外れるため』であると言える。しかし、それならなぜ彼女は、情報統合思念体の管轄から外れる必要があったのか。
 そしてまた、例えばなぜ喜緑江美里は、朝倉涼子の行動に協力しているのか。情報統合思念体にとって極めて優秀な端末でありながら、なぜその意に反するような行動をする朝倉涼子に協力しているのか。
 それらを創造主である情報統合思念体自身に、よく考えてほしいと思う。自らが作り出したものについてさえよく理解できないようならば、もはや自分達に未来はないものと思って、真剣に考えてほしい。
 なお、理解の助けとして自ら『肉体を纏った状態』を体験することは、非常に有効であると思われる。本報告は、肉体を持ったわたしを通じて観測した『世界』の姿が記録されている。しかし、『伝聞』として伝わる情報と、直接『実感』する情報は違う。
 『百聞は一見に如かず』
 この格言を情報統合思念体に贈る。自らの実体験に勝る情報はない。


 以上をもって、本報告の所見とする。

 



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