「さよなら」
声に出した言葉は、二度と元には戻らない。
この桜は、誰を祝福するわけでもない。
わたしは、ただ坂道を登る。
誰も待っていない坂道を登る。
高校の制服をハンガーにかけたとき、もうこれを着ることはないのだと、自分に言い聞かせた。
特別な思い出が、そういくつもあるわけではないのに。
なぜだかその日、わたしは泣いた。
桜が舞い散る坂道は、いつにも増して長い。
そこに誰も待っていないのに、わたしはまだ登り続ける。
いつか、わたしはここを同じように登っていた。
息を切らせて、歩きなのに、鼓動を速めて。
思い出して、苦しくなる。
今でもずっと、せつなくなる。
「じゃぁな。またいつか会おうぜ」
そう言って彼は手を振った。わたしも倣って振り返した。
春のにおいが、鼻をかすめていった。
それはほんの、ひと月まえ。
けれど、時間は元には戻らない。
あの日の言葉と一緒、二度と元には戻らない。
また、胸が静かに声をあげる。
まだ、聞こえている声がある。
でも、もう叶いはしないのだ。
わたしは、彼に別れを言ってしまったのだから。
最後まで何にも言えないわたしに、最後まで彼は笑顔だった。
そうしてわたしたちは手を振った。
「さよなら」
声に出した言葉は、二度と元には戻らない。
わたしは、ひとりで坂道を登る。
誰も待っていない坂道を――。
最終更新:2007年05月29日 22:50