※この作品はトラブルメーカーの続編に当たる作品です
 
 
俺はいま喜緑さんとふたりで生徒会室にいる。といっても別にやましいことをしているわけではない。
だいたい生徒会室の隣は職員室なので、よっぽどのアホでない限り、ここで何かしようなどという気にはならないはずだ。
なりゆきとはいえ、ハルヒの気まぐれのせいで、俺はどうやら今期の生徒会長に立候補せざるを得なくなった。
そのため、立候補の手続きなどを聞きに、生徒会室を訪れたのだが、どうやら生徒会長は不在だったようだ。
もちろん、ハルヒは生徒会をSOS団の敵と認識しているので、俺が生徒会室にいるのを目撃されるとかなりやばい状況に陥るのだが、
いまハルヒはネットサーフィンに夢中で、ここに来ることはないだろう。
「お茶でもいかがですか」
喜緑さんが、少し首を傾げて微笑みながら、俺の前にお茶の入った湯飲みを置いてくれた。
「あ、ありがとうございます」
そう言いながら、動揺を隠そうとして、俺はあわてて湯飲みに口をつけた。うーん、なぜか緊張する。
普段入りなれていない生徒会室にいるからだろうか。別に緊張する必要などないのだが……
なぜなら、生徒会長は古泉の傀儡だし、書記の喜緑さんは長門の仲間だ。
すなわち、ハルヒにとって生徒会は敵かもしれないが、俺に言わせれば生徒会はコンピ研と同じようにSOS団の支部のようなものだ。
だから俺が緊張する理由など何処にもないはずなのだが、なぜ俺はこんなに緊張しているのだろうか。
「で、先ほどの件ですけど、会長が不在のため、わたしでは何とお答えしてよいかわかりません。また、日をあらためて来られるのが良いかと思います」
「そうですか、わかりました。ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして」
ハルヒのおかげでまたひとつ面倒ごとを背負い込んだなと思いつつ、俺が椅子から立ち上がろうとしたとき、喜緑さんは、俺の顔の切り傷をなぞりながら、やさしく微笑んだ。
「知らぬこととはいえ、あなたにはご迷惑をおかけしました」
「え?」
「あなたが怪我をなさらないように、情報操作をさせていただきました。本来であれば長門さんがしなければならないのですが………」
喜緑さんの言葉を聞いて、あの部室での悪夢がよみがえる。
あの後、俺はハルヒ団長の見事な一本背負いで、部室の窓を突き破り、二階から外へと放り投げられた。
一瞬、死を覚悟したが、ちょうど落下地点に発泡スチロールが山積みになっていたため、軽傷で済んだ。
部室からは長門と朝比奈さんが、ハルヒをいさめる声が聞こえてくる。
「す、す、涼宮さん、や、やりすぎですよ! キョンくんが死んじゃうじゃないですか!」
「いまのあなたの行動は、彼の生命活動を停止させる可能性がある。あなたはこのような行動を慎むべき」
「に、こ、ここは二階だから死ぬことないんじゃないかしら」
ハルヒの動揺した声が聞こえた後、三人が部屋を出て、下に降りてくるのがわかった。
ハルヒは俺が無事なのを確認すると、
「な、あ、あんたねえ! 無事なら無事と言いなさいいよ! べ、別に心配したわけじゃないけど………と、とにかくこれで終わったわけじゃないからね!」
と、上ずった声で罰ゲームの継続を宣言したが、もうハルヒから例の殺人オーラは感じられなかったため、俺は心底胸を撫で下ろした。
このときほど神に感謝したことはない。
一応、ハルヒの怒りは収まったものの、俺の不幸はこれからが始まりだった。
この後、三人と街に出て、服やらアクセサリーやらを買わされた。朝比奈さん……このときばかりはあなたが悪魔に見えました。
そのうえ、食事代まで俺が全て支払わされた。長門が、あの小さな体の何処にこれだけ入るのか、というくらい食べていたのが、とても印象に残っている。
さらに、窓ガラスを割った責任を全面的に背負わされ、親と教師に滅茶苦茶に叱られた。反省文を原稿用紙に十枚も書かされたし、小遣いも減らされた。
こうして身も心もぼろぼろになったというのに、例のニヤケ面に、いかに閉鎖空間で苦労したかという話を、延々と愚痴られた。
このときばかりは古泉に軽く殺意を抱いた。古泉、お前にも責任があるんじゃないのか。
一刻も早く忘れてしまいたい苦い思い出だ。
「では、あの発砲スチロールの山は喜緑さんが………」
「はい、あなたが大怪我をするようなことになれば、涼宮さんに悪影響を及ぼすことが予想されましたから」
「しかし、俺を放り投げたのはハルヒですよ」
「だからこそです。あの直後、涼宮さんはご自分のなさったことを後悔してました。そしてあなたの身の安否を心配していました」
なるほど、だからあの後ハルヒの怒りが静まったのか。勢いで行動して、後で後悔するタイプだな。
しかし、あのハルヒでも後悔することがあるのか。入学当時では想像できないような気がする。成長したというべきか、なんと言うべきか………
「でも、ご無事でよかったですね。あのままだと首の骨を折る大怪我をしているところでしたよ」
喜緑さんの言葉を聞いて、背筋が寒くなるのを感じた。あ、あいつは手加減ができないのか。まあ、前からわかっていたことだが。
「キョン! あんたあたしに隠れて、なにこそこそしてるのよ!」
不意に背後からかけられた声に、俺は顔から血の気が引いていくのがわかった。な、なんでこんなところにハルヒが来るんだ。
どう言い訳しようかと考えながら、恐る恐る俺が振り向くと、そこには髪の長い先輩、SOS団の名誉顧問が立っていた。
「あははは、キョンくん慌てすぎにょろよ」
俺は、ケラケラ笑う鶴屋さんの無邪気な笑顔を見て、心の底から安堵した。もし、こんなところをハルヒに見られたら言い訳できない。
「つ、鶴屋さん! びっくりさせないでください!」
「ふふん、いいのかなキョンくん。こんなところで浮気してたら、またハルにゃんにお仕置きされるにょろよ」
「別に浮気などしてません」
そもそも誰とも付き合っていないのだから、浮気など物理的にできるわけがない。
谷口や国木田あたりは、俺とハルヒが付き合っていると勘違いしているようだが、まさか鶴屋さんにまでそう思われているとは………
「ふ~ん、じゃあ、ハルにゃんにキョンくんが生徒会室にいることを話してもいいにょろね」
「な、勘弁してください」
そう言いつつ、鶴屋さんが入って来たドアの方を見ると、阪中の姿がチラッと見えた気がした。
「ところで、キョンくんはこんなところで何をしているにょろか」
「実は、ハルヒの思いつきで、生徒会長選に立候補する羽目になりまして………」
「へ~、キョンくんが生徒会長に立候補するにょろか。ハルにゃんも見る目があるにょろね」
「からかわないでください。俺に生徒会長が務まるわけないじゃないですか」
「そんなことはないさ、案外向いてるかもしれないにょろよ」
そう言いながら、鶴屋さんはケラケラと笑っていたが、しばらくして笑い終えると、ちょっと真剣な顔で俺に話し掛けてきた。
「そういえばキョンくん、この前の話、みくるから聞いたにょろよ」
「え、この前の話とは」
「キョンくんの好みの女性の話にょろよ」
そう言うと、鶴屋さんは流し目で俺の方を見つめ、俺の顎の下に手をやり、俺の顔を鶴屋さんの方に向けて、色っぽく囁いた。
「あたしはおしとやかではないから、キョンくんのタイプではないらしいね」
あ、あれ、な、なんかいつもの鶴屋さんとは違うような感じがするのですが……言葉遣いもおかしいような………
「でもね、キョンくん。女は色んな顔を持ってるんだよ」
そう囁きながら、俺を見つめる鶴屋さんは、普段の彼女からは想像できないような、妖艶な雰囲気を纏っている。
正直、俺は、普段見せない鶴屋さんの一面を見て驚愕するとともに、引き込まれていきそうな魅力を感じた。
SOS団の女性陣三人の誰もが持っていない、妖しい大人の魅力というやつを、初めて見たような気がする。
「あら、あなたが彼を誘惑するのでしたら、わたしも参加してよろしいかしら」
不意に喜緑さんが意外なことを言い出したので、俺が喜緑さんの方を振り向くと、喜緑さんは真顔でまっすぐに俺を見つめてきた。
優しさの中にも一本芯の通った、凛とした雰囲気を漂わせる、大人の女性。そんな言葉がぴったり当てはまる喜緑さんの姿がそこにはあった。
ああ、さっきから緊張していたのはそういうわけか………
「さあ、キョンくん、もしあたしたちが付き合って欲しいといったら、君はどちらを選ぶ」
「え!」
俺は、ちょっと戸惑いながら、鶴屋さんの方に視線を向ける。
「感じたままで結構ですわ。もし選ばれなくても、わたしたちはあなたに危害を加えることはありませんわ」
喜緑さんのこの言葉を聞いて、ちょっとだけ嫌な思い出が頭をよぎった。この間のSOS団での思い出が………
まあ、おふたりは大人だし大丈夫だろう。
なんとなく、ふたりの間に火花のようなものが散っているように感じるが、おそらく気のせいだろう。
俺がどちらかを選んだからといって、社会的に抹殺されたり、この世から消されたり、存在自体なかったことになるなんてことはないだろう。
うん、たぶん大丈夫。いや、間違いない。ふたりともそんな大人気ない真似はしないはずだ。
それよりもどちらを選ぼうか。ふたりとも、タイプは違えども、十分大人の魅力を持った女性で甲乙つけがたい。
俺は腕組みをし、うーんとうなりながら考えていたが、ふと窓に目をやると、窓には八つの人影が映っている。
はて、人影が八つとはどういうことだ。この部屋には俺と喜緑さんと鶴屋さんの三人しかいないはずだが、残りの五つは………
最初、その人影を何の気なしに見ていたが、だんだん窓に八つの人影が映っていることの意味が理解できてきた。
それと同時に、いま俺の置かれている状況が最悪に近いということを把握し始めている自分に気付く。
俺が、神に祈るような気持ちで振り返ると………
そこには、怒りのオーラを纏っているSOS団の女性陣三人と、
青ざめた表情で、俺に文句を言いたそうに口をパクパクさせる古泉と、
申し訳無さそうに俯いている阪中の姿があった。
 
沈黙が生徒会室を支配する。
 
その沈黙を破り、最初に口を開いたのは鶴屋さんだった。
「み、みくる、ごめん、わ、悪気があったわけじゃないにょろ。た、ただ、キョンくんをちょっとからかってただけにょろよ」
朝比奈さんは、目を涙で潤ませながら、鶴屋さんを睨んでいる。今にも泣き出しそうな表情だ。
鶴屋さんは、朝比奈さんが泣き出さないように気遣いながら、朝比奈さんの肩に手を回して、ゆっくりと生徒会室から連れ出していった。
部屋を出て行く間、鶴屋さんが終始、朝比奈さんに言い訳をしていた。
微妙に引きつった笑顔の鶴屋さんを見て、「確かに色んな顔を持っているな」などと、一瞬だけのん気に考えてしまった。
とてもそんな状況ではないのに………
鶴屋さんと朝比奈さんが部屋から出て行った後、長門が一歩前に出て、俺たちの方を睨みつけてきた。
普段の長門からは感じられない感情が、滅茶苦茶にこもっている。正直、恐怖で体が動かない。
だが、その視線は俺のすぐ横にいる人物に向けられていた。もし、これが俺に対する視線だったら、俺はショック死していたかもしれない。
「喜緑江美里」
そう呼び捨てた長門の言葉には、明らかに怒気が、というよりもむしろ殺気がこもっている。
文芸部を廃止に追い込もうとした生徒会長に見せた怒りなど、いまの長門を見れば、幼馴染が照れ隠しにみせた怒りぐらいにしか感じられない。
長門の言葉を聞いて、一瞬だけ喜緑さんは動揺した表情を見せたが、すぐ元の表情に戻った。
「どうやら長門さんはわたしとお話があるようですわ。ですから今回はあなたをお助けすることはできそうにありませんわね」
そう言いながら、俺にペコリとお辞儀をすると、喜緑さんは長門の後について部屋から出て行った。
で、肝心のハルヒはというと………
ハルヒは俯いたまま怒りで体を震わせている。俯いているため、表情を窺い知ることはできない。
「キョン、あんた敵地の生徒会室でいったい何をしているの」
ドスのきいたその声からは、明らかに殺気が感じられる。
滝のように汗が吹き出してきた。ワイシャツが汗でベショベショになり、背中に引っ付いているのがとても気持ち悪く感じられる。
とても、この生徒会室から生きて出て行ける気がしない。ここで死ぬのが規定事項だ、と言われれば信じてしまいそうなほど、目の前にいるハルヒは怖かった。
古泉が阪中の背後から両肩に手を置いて話し掛ける。
「さあ、後はおふたりの問題ですから、僕達は外へ」
「で、でも、わたしのせいで………」
「いえ、あなたは何も悪くありません。だから、気になさらなくとも結構です」
そう言いながら、古泉は阪中を部屋の外へとエスコートしようとしている。
おい、行くな古泉、助けてくれ、頼む。俺はそう古泉に視線を送ったが、古泉は
「今回のことは全面的にあなたの落ち度でしょ」
といった視線で、俺を迷惑そうに見つめてきた。ちょっと怒っているようにも見える。
まあ、こいつにしてみれば、この後、神人との対決が待っているわけだからな。気持ちはわからなくもない。
だが、それを承知であえて頼む。見捨てないでくれ。ここでふたりきりになったら誰もハルヒを止められないだろうが。
長門も朝比奈さんも出て行って、おまえだけが頼りなんだ。
そんな俺の願いもむなしく、ふたりは退室し、非情にも生徒会室の扉は閉められた。
 
 
~終わり~


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