幼い子供はとても正直だ。だが、その正直さがときに仇となることもある。
俺はいま、SOS団の本拠地である文芸部室で、背後にハルヒの殺気を感じながら突っ立っている。
おそらく、俺が振り向けば、ハルヒの魔女裁判のような尋問が始まるだろう。
こういうときに、窮地から俺を救ってくれるSOS団のメンバー三人も、今日は頼りになりそうにない。
古泉は急なアルバイトが入って(たぶん)出て行ってしまったし、他の二人は………
とにかく、なぜ俺がこのような窮地に陥っているかは、時間を遡って説明せねばなるまい。
それは、春休みのなんでもない平日の昼下がりに起こった。



「キョンくんはねー、年上の女の人が好きなんだよー」
SOS団のいつものメンバー五人と俺の妹の合計六人が集う文芸部室で、どういう経緯でそういった話題になったのかはわからないが、
突然、いっしょにいた妹がこんなことを大きな声で宣言しやがった。
「な、いきなりなにを言い出すんだお前は!」
俺がそう言って妹を静止するも、時すでに遅かった。女性陣の視線が俺に集中する。
長門が少々不満そうな視線を俺にぶつけてくる。その視線を受けて、なぜか胃が痛くなってきた。
一方、朝比奈さんは嬉しそうに頬を赤らめながら
「え~、キョンくん、そうなんですかあ」
って、朝比奈さん、なんでひとりで照れていらっしゃるのですか。その照れた姿も麗しいのですが………
そして、肝心のハルヒは
「ふーん、あんた年上が好きなんだ」
興味無さ気に聞いてくるが、その表情からはありありと不満の色が窺える。
俺がどう返答しようか迷っていると、
「そのー、年上が好きというのは、単に年齢が上という事ではなく、しっかりした頼りになる、おしとやかな女性が好きということですよね」
ちらちらとハルヒの表情を窺いながら、古泉が助け舟を出してくれた。
「あ、ああ、そういうことだ」
俺は、戸惑いながらも、古泉の助け舟に乗ることにした。普段はいけ好かない奴だが、このときばかりは古泉に感謝した。
ハルヒと長門は俺の言葉を聞き、朝比奈さんを一瞥した後、「ふーん」といった感じで、それぞれの作業に戻った。
朝比奈さんは頬をぷーっとふくらませて、「それってどういう意味ですか!」と言いたそうに、古泉を睨んでいた。
古泉は少し戸惑いながらも、「まあまあ」と、たしなめるような視線を朝比奈さんに送っている。
そんなこんなで、いったんこの話題は終了した。
しばらく平穏な時間が過ぎた後、突然部室のドアが勢いよくドカンと開くと、髪の長い元気な先輩が入って来た。
「やっほー、ハルにゃんいるかい!」
SOS団の名誉顧問を務める、鶴屋さんだ。
「あら、鶴屋さん、久しぶりね」
「春休みだというのにみんな出てきてるにょろね」
「SOS団は年中無休よ。不思議はいつ訪れるかわからないからね」
ハルヒと鶴屋さんの他愛ない会話が、SOS団メンバーの前で、繰り広げられる。
そんなふたりのやりとりを眺めていた長門が一言ボソッとつぶやいた。
「年上のしっかりした頼りになる女性」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。鶴屋さんを除く、部屋にいた全員の視線が鶴屋さんに集中した後、女性陣の視線が俺に向けられる。
鶴屋さんはひとり事情を把握できておらず、ちょっとだけ驚いた表情で
「おやおや、みんなどうしたにょろか?」
と、あたりをきょろきょろと見回しながら、俺たちに問い掛けてくる。
気まずい空気が部室内に漂い、沈黙が室内を支配する中、最初に口を開いたのは古泉だった。
「ま、まあ、確かにしっかり者で頼りになりますが、おしとやかとはちょっと………」
古泉の声色からは明らかに動揺している様子が窺えた。古泉の言葉を聞いて、みんなが鶴屋さんの方を振り向く。
「おんや~、一樹くん、それはどういう意味にょろか」
鶴屋さんは、古泉のほうに近づきながら、悪戯っぽい笑顔で古泉を睨みつけ、発言の真意を尋ねている。
いまの鶴屋さんの笑顔から、ちょっとだけ恐怖を感じたのは、おそらく俺だけではないだろう。
その証拠に、古泉も若干笑顔を引きつらせながら、後退りしている。古泉、よくやってくれた。骨は拾ってやるから安心しろ。
「い、いえ深い意味は……」
そう言いつつ、古泉は俺のほうに視線を向ける。
スマン。助けてもらってなんだが、俺はいまのお前を助けられるほど器用な人間じゃあないんだ。
鶴屋さんは古泉の視線に気付いたようで、俺と古泉を交互に見た後、ハルヒ、長門、朝比奈さん、と順々に視線を移し、
「ふ~ん、なるほどねえ。そういう意味にょろか」
と言いながら、俺を見てニヤリと笑った。勘のいい鶴屋さんのことだ、俺たちの顔を見て、全て悟ったのだろう。
「じゃあ、お邪魔虫は退散するさー」
そういい残して、鶴屋さんは部屋から走り去っていった。
ハルヒは俺の方をじっと見ていたが、俺がその視線に気付くと、ぷいっと顔を背け、ネットサーフィンを再開し始めた。
長門も、俺たちの様子を眺めていたが、とりあえず状況的には区切りがついたと判断したらしく、読書に戻った。
朝比奈さんは、不満と安堵のまじったような表情で、小さく息を吐いた後、近くのパイプ椅子に腰掛けた。
その様子を見て、俺と古泉は心底胸を撫で下ろし、大きなため息をついた。
さすがにもうこの話題は終了だよな。これ以上何かあったら、俺も古泉も身体がもたないだろうからな。
そんなことを思いながら、俺は古泉とのボードゲームを再開した。
しかし、俺と古泉の期待は見事に裏切られた。
ガチャ
ドアが開く音を聞いて、俺は嫌な予感を感じながら、入ってきた人物を見た。
俺やハルヒと同じクラスの阪中がそこに立っていた。
阪中がSOS団に何の用だ。いや、それ以前にいまは春休みのはずなのに、なんでみんな学校にいるんだ。宇宙人か未来人か超能力者の陰謀か。
阪中の顔を見ながらそんなことを考えていると、阪中はツカツカと俺のほうに歩み寄り、一冊の本を差し出した。
「あのう、これ、借りてた本なのね。近くまで来たので、ついでにって」
「あ、ああ」
俺が本を受け取ると、阪中は「じゃあ」と言って、部屋から出て行った。
その様子を見ていたハルヒが、不満気に俺を睨みつける。
「キョン、あんたの言う『おしとやか』っていうのは、『おとなしい』っていう意味なの」
ハルヒの問い掛けに、俺はすぐには答えられず、なんと言おうかと迷っていると、妹がとんでもない爆弾発言をしやがった。
「ねえねえキョンくん、キョンくんはおとなしい女の人が好きなの? SOS団でおとなしいといえば、有希だよね」
妹の発言を聞いて、SOS団三人娘の視線がまた俺に集中する。
なんで今日はこんなことばかり起こるんだ。女難の相でも出てるのか。
古泉に助けを乞う視線を送るが、コイツのん気に携帯からメールをしてやがる。
長門の様子を窺うと、無表情だが、嬉しそうに俺の方を見ている。視線も若干暖かく感じられる。正直、惚れてしまいそうだ。
一方、朝比奈さんはというと、ちょっと泣きそうになりながら、俺のほうをじっと見つめている。ああ、あなたにそんな顔をさせるなんて……
肝心のハルヒの様子を窺おうと、団長席のほうに視線を向けると同時に、
バンッ
と、机を叩く大きな音がして、ハルヒが立ち上がった。どうやら妹の発言は、ハルヒ団長の怒りの炎に油を注いだようだ。
「キョン! あんたなに恋愛禁止のSOS団でデレデレ鼻の下伸ばしてるのよ! あんたには団員としての自覚が足りないわ!」
「ちょ、ちょっとまってくれ。俺は別に何もしてないぞ」
ハルヒは、腕組みをしながら、鋭い視線で俺を睨みつけてくる。
「じゃ、じゃあ聞くけど、あんたもしこの三人の中で好きな娘を選べと言われたら、誰を選ぶ?」
「な、そりゃどういう意味だ。SOS団は恋愛禁止じゃなかったのか」
「あ、あんた何勘違いしてるのよ。あたしは別に恋人を選べとは言ってないわ。あんたの好みのタイプを聞いてるのよ」
「なんで俺がそんなことをお前に言わなきゃならないんだ」
「団長として団員のことを把握しておくことは必要だわ」
「わけがわからん」
「いいから答えなさい!! それとも答えられない理由でもあるの!」
ハルヒは団長席から俺のほうにゆっくりと詰め寄って来た。
長門は無表情で、朝比奈さんは不安と期待の入り混じった表情で、古泉は青ざめた表情で俺たちのやりとりを見守っている。
もしかして、俺はものすごくやばい状況に陥っているのではないのだろうか。
ここで俺がおかしな返答をすれば、俺の人生が、いや世界そのものが終わってしまうかもしれない。
「ま、ま、まてハルヒ、ちょっと落ち着け」
俺は後退りしながらハルヒを静止しようとしたが、逆に壁際に追い詰められてしまった。まるで浮気が見つかった亭主のような状況だ。
「さあ、答えなさい!! あたしか、有希か、みくるちゃんか、三人のうち誰を選ぶの!」
ガチャ
俺がハルヒから詰問を受けている最中に、また誰かが部屋に入って来た。
「おいおい、いまは春休みだぞ」
そう思いながら、入ってきた人物の顔を窺うと、長身でハンサム顔の先輩、生徒会長だった。
「な、なんで生徒会長がこのタイミングでここに現れるんだ」
そう疑問に思っていると、横からボソッと声が聞こえた。
「今の状況を切り抜けるために、僕が彼を呼びました」
そう言った古泉の表情は、先ほどよりも若干、安堵の色が窺えた。まあ、正直俺も助かったわけだが………
ハルヒは生徒会長の顔を見るや否や、先ほどまでの俺とのやりとりなどすっかり忘れたかのように、くってかかる。
「なによあんた! あたしのSOS団に何の用事!」
「ふ、ここは文芸部の部室ではなかったのかな。SOS団なる組織はこの学校には存在しないと記憶していたのだが」
会長はくいっとメガネをずり上げながら、ハルヒの言葉の揚げ足をとる。
「春休みというのに全員が揃って活動している文芸部の姿勢だけは評価してやろう。だが、問題行動を起こすようでは元も子もないがな」
「あたし達がいつ問題行動を起こしたというのよ!」
「問題行動を起こさせないために、我々が見回りをしているのだよ」
いまにも飛びかかっていきそうな戦闘体制のハルヒを、会長は、メガネを光らせ、見下すように挑発している。
助けに来てくれたことは大いに感謝するが、それぐらいにしておいてくれないか。あまり挑発しすぎてハルヒの機嫌が悪くなると、それはそれで問題だ。
そんな俺の不安をよそに、ハルヒと会長の言語による応酬は続いている。
「ふん、春休みにわざわざ見回りなんかするなんてご苦労なことだわ。もしかして生徒会って暇人の集まりなのかしら」
「そう思うのなら君が会長職を務めてみてはどうかな。まあ、君ではそもそも選ばれることすらできないだろうがね」
「おあいにく様、あたしは生徒会長なんかに興味はないわ。そんなのうちの雑用でもできるわよ」
おいおい、なんか雲行きが怪しくなってきてないか。俺が古泉のほうに視線を向けると、古泉は苦笑しながら小さく首を振った。
「ふふふ、これは面白い冗談だ。まあ、口先だけなら何とでも言えるからな」
「なに言ってるのよ! SOS団は常に有限実行よ!」
「元気がいいのは大いに結構だが、あまり大きなことを言っていると、君自身が恥をかくことになるぞ」
会長はハルヒを散々挑発したまま出て行った。ってちょっと待て、この流れでは俺が会長選に立候補しなければならないじゃないか。
「お、おいハルヒ、まさか俺に生徒会長に立候補しろなんて言わないよな」
心配になって尋ねた俺に、ハルヒの怒声が飛ぶ。
「はあ、あんた何言ってんのよ! さっきのやりとりを聞いてなかったの! 立候補するに決まってるでしょ!」
「な、無茶苦茶だ」
「いい、絶対当選するのよ! あんたもSOS団の一員なんだからね! あんたの負けはSOS団の負けと同義よ! もし落選したら、屋上からプールに放り投げるからね!」
俺は、ハルヒの言葉を聞いて、古泉を睨みつける。これでは問題を先送りしたに過ぎないじゃないか。
古泉は「まあまあ話の流れで仕方がないですよ」といった視線を送ってくる。言語を交えず会話できるとは、俺も超能力者になったのかもしれない。
「やれやれ」
目の前の危機を回避できたことと、やがてくる大きな災厄を天秤にかけながら、大きなため息をつくと、妹が横から口をはさんできた。
「ねえ、ねえ、キョンくん、生徒会長になるの」
元はといえばお前の発言が原因なんだぞ、と思いつつ
「ああ、なれるかどうかはわからんが、立候補はするらしい」
俺がなげやりに返答すると、妹は「ふーん」といった表情で、またまたとんでもないことを言い出した。
「会長さんの横にいた女の人、キョンくんの好みにぴったりだもんね。だから会長さんになりたいんだ」
おいおい、お前はさっきのやりとりを聞いてなかったのか。
一瞬そう思ったが、実はこの発言が最悪に空気を読めていない爆弾発言だと気づくのに、ほとんど時間はかからなかった。
「年上で、しっかりした頼りになる、おしとやかな女性」
ハルヒと長門と朝比奈さんが、考えるような仕草で、同時につぶやく。
しまった!!! ほとんど全て当てはまる。だんだんと部屋の空気が険悪になっていくのがわかる。
「ふーん、キョンくんあの女の人が好きなんだ。じゃあ、わたしが代わりに告白してきてあげる」
そう言って出て行こうとする妹を、俺が静止しようとした瞬間、古泉の携帯が鳴り出したため、それに気をとられて、妹を逃してしまった。
「ねえねえ、キョンくんがお姉さんのこと好きだって」
妹は、大きな声でそう叫びながら、廊下を走っていく。それと同時に古泉は携帯のディスプレイを見ながら、部屋から出て行った。
出て行き際に、一言ボソッとつぶやいた言葉が、さらに俺を絶望のどん底へと突き落とす。
「すみません、努力はしましたが力およびませんでした。なんとかあなたの機転でこの状況を切り抜けてください。無事を祈っています」
おいおい、なに無責任なこと言ってんだ。問題は全部俺に丸投げかよ。しかも、しっかりドアは閉めていくのか。
そんなことを思いながら、呆然と突っ立っていた。
―――――そして現在に至る。



体中から嫌な汗が噴出してくるのを感じながら、俺が覚悟を決めてゆっくりと振り向くと、長門と朝比奈さんが俺のほうをじっと見つめていた。
長門は、あのハルヒが消失した時のような、今にも消えそうな表情で俺を上目づかいに見つめてくる。
その目の色がとても悲しそうなもののように思える。正直、こんな長門を見ていると、俺自身が罪悪感に苛まれそうだ。
近いうちに、また長門が暴走して、世界が再び改変されるかもしれない。
一方、朝比奈さんはしっかりとお盆を抱きしめたままの状態で、目を涙で潤ませながら、俺を見つめている。今にも泣き崩れてしまいそうな表情だ。
朝比奈さんを泣かせたなどということが知れ渡ると、俺は全校生徒の半分を敵に回すことになる。後ろから谷口辺りに刺されるかもしれない。
まあ、だがいまのところ、それらはどうでもいいことだ。いまの俺には最優先に考えなければならないことがある。
ハルヒの表情は、顔がパソコンのディスプレイに隠れて、ここから窺い知ることができない。
だが、その背後に立ち上るオーラのようなものは、触れただけで人が死ぬぐらいやばいもののように思える。
「キョン、ひとまずそこに座りなさい」
そう言ったハルヒの声は、怒声ではなく、落ち着いた静かな声だった。逆にそれが怖い。なんとなく覚悟のようなものを感じる。
俺は、処刑台にあがる死刑囚のような気持ちで、ゆっくりと団長席の前にあるパイプ椅子に近づき、腰をおろした。
俺が最優先に考えなくてはならないこと、それは………
「キョン、さっきのことをあたしや、有希や、みくるちゃんにもわかるように説明しなさい」
ここからどうやって生きて出て行くかということだ。
 
 
 
~終わり~

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最終更新:2007年05月19日 09:21