あってはならない惨劇から半日もの間、俺は一歩も動けずただじっと座っていることしかできなかった。
 俺が読んでいた国木田のノートは全部偽物?
 それどころか、俺の妄想にすぎなかってのか?
 だが、あの正体不明のノートのおかげでそれが現実になり、古泉たちの存在まで書き換えてしまった。
 そして、俺が作り出した妄想で俺が悪の組織に仕立て上げた機関の人たちを俺の手で皆殺しにしてしまった。
「いつまでそうやっているつもり?」
 力なく自動車道の縁石に座り込んでいる俺の隣には、ずっと朝倉がいた。座りもせずにただただ優しげな笑みを浮かべ
俺をじっと見下ろしている。
 俺は力なく路面を見つめたまま、
「……何もする気が起きないんだよ」
「でも、何もしないからといってこの現実は変わらないわよ」
 朝倉の台詞は陳腐にすら思えるほど定番なものに感じた。その通りだ。何もしないからといって何が変わるわけもない。
 だが……
「どうしろってんだよ……! 死んだ人間はもう生き返らなねえんだぞ! こんな……こんなことをやらかして
どの面下げてハルヒたちのところにいけって言うんだ!」
 絞り上げれられたような声が口から吐き出た。そうだ。もうどうしようもない。どうにもならない……
「ごめんなさい……」
 ここに来て朝倉の声が変わった。今までのにこやかなものとはうってかわり、悲痛に満ちたものに変化している。
 俺はすっと頭を上げて、朝倉を見た。そこには初めて見るような悲しげな表情を浮かべた彼女の顔があった。
「さっきはごめんなさい」
 朝倉は謝罪を続けるが、なぜ謝る?
「思わずあなたが悪いように責めちゃったから。少し考えてみたけど、やっぱりあなたは悪くないわ」
「安っぽい同情なんて止めてくれ。そんなことをされても虚しくなるだけだ……」
「いいえ、これは重要なことなの」
 そう言うと朝倉はすっとしゃがみ込んで俺の背後に回り、ささやくように言葉を続ける。
「あなたは悪くないわ。やったのはあのノートをあなたに渡した人よ。何の目的があってやったのかは知らないけど、
あなたを陥れようとしていたことは確実だわ」
「だが、いくら誘導されても俺がみんなを信じ切れなかったことは確かなんだよ! あんな妄言なんて信じずに
まず古泉たちに一言相談すれば良かったんだ」
 俺は頭を埋め尽くす後悔の念に耐えられなくなり、手で顔を覆う。
 少し考えればわかったことだった。最初に機関にあのノートを見せるなというのは、
国木田に対する信頼もあったから否定することは難しかったかも知れない。だが、内容は今考えれば明らかにおかしい。
そもそもなぜ回想録のように今までのことを振り返る形式で書かれている? そんな重要な告発文なら
とっとと結論を書いておくはずだ。理由は簡単。あの時俺の頭には、国木田がどうして、どうやって機関に入ったのかを
知りたい願望があった。だから、あのノートの内容を裏で操作していた奴は、それを叶えるように回想録のような形式にした。
俺は自分が知りたいという願望が忠実に再現されていたため、その内容に全く違和感を憶えていなかった。
そして、次に決定的に不自然だったのがページからページに飛ぶ際だ。まれに続きが気になるような切れ方をしていたが、
その次のページには俺が望んだとおりの内容が書かれていた。あれが知りたい、これはこうだったんじゃないか――
そう言った要求や想像に的確に答えている。考えればすぐにわかったことだ。
それなのに俺はまるで何も考えず、その内容をただ受け入れた。
 その時は良いと思っても、あとで見返せばとんでもなく問題のある行為だった、なんていう話は日常ではよく見かける。
俺はこの重要な局面でそれを犯してしまったんだ。
「それは違うわ。そもそも、あんなノートを使ってあなたの猜疑心を煽るなんて言うことがなければ、
こんな事にはならなかったのよ? 色々条件が整えば、誰でもつい不安に思ったりしちゃう。
大抵の場合は、それは時間が進んで別の事実に付き合わせれば、ただの妄想に過ぎないって解消されるわ。
でもね、このノートは徹底的にあなたを煽り続けたの。不安に不安を募らせて、あまつさえ現実へ介入さえした。
だから、全てに置いて矛盾が発生しなかった。こんなことは第3者の悪意がなければ成り立たない話よ。
はっきりと言えるわ、あなたのせいじゃないって」
「だが……やっちまったことには変わりがないんだよ。もうどうしようも……」
 ここで朝倉はすっと俺の背中に抱きついてきた。そして、さらに耳元でささやき始める。
「自分のミスが許せないのね。でもね、こんな理不尽な話があると思う? 自分のせいじゃないのに、とんでもなく大きい罪を
着せられてしまう。やった本人に復讐はできるけど、だからといって起きてしまったことが変わる訳じゃない。
あなたはそんな不合理が許せる?」
「それが現実って奴だ。一度やってしまったことが消えるなんて言うことはあり得ない」
「でも、その方法が一つだけ存在していると言ったらどうする?」
 朝倉の言葉に、俺ははっと顔を上げた。俺のミスが全部無かったことになる? バカ言うな。そんなことがあるわけがない。
 だが、朝倉はしゃがんだまま俺の前に立ち、両手で俺の方をなでるようにつかむと、
「あるわ。一つだけね。そして、その方法をあなたは知っている……」
 俺を見つめている朝倉の瞳に吸い込まれそうな感覚に陥る。そんな方法が存在していて、俺が知っている?
この俺の失態を無かったことにできる方法は一つ。死んだ古泉たちを生き返らせるぐらいしかないぞ。
そんなことはいくら望んでも適うわけが――いや、ある。確かにある。
「……あのノートだ! あそこに俺が殺してしまった人たちが生き返るように書けば――」
「それは無理。少なくともあなたが望むようなことにはならないわ」
「なんでだ! あそこに書いたものは全て現実になるんだろ? なら生き返れと書けば生き返るはずだっ!」
 つばを飛ばして力説する俺だったが、朝倉は顔を背けることもなく、ゆっくりと首を振って、
「有機生命体の生存活動を再開することは可能だと思う。でも、それでできあがるのはただ生きているだけで意思のかけらもない
ただのタンパク質の固まりのようなものだけよ。記憶、感情、身体的構造……あなたはそれを全て知っている?
それを事細かに表現して、ノートに記さなければ、あなたが望んだ人形ができあがるだけだわ」
「だったら全部元通りって書けばいいだろ!」
「それもどうかしら? 曖昧な記述では、どういう作用の仕方をするかわからないわよ? それにあのノートの背後に
あなたを誘導していた人がいることを忘れないで。そいつの意思で記述の内容をどうにでも書き換えられるんだから。
やってみる? うまくいくかも知れないし、失敗するかも知れない。あなたに任せるわ。でも、そんなリスクのある方法よりも
もっと確実な手段をあなたは知っているはずよ。よく考えてみて」
 朝倉の問いかけに、俺は再度思考をめぐらせる。確かにノートの使用にはリスクが生じる。
そもそも、あれは俺を陥れるために渡されたものだ。同じ事が再現するだけかも知れない。
そうなれば、もっと良い方法があるならそっちを選択するべきだな。他には――他に――
 次に脳裏に過ぎったのは、過去に遡ってとっととあのノートを破り捨ててしまう方法だ。
そうだ、過去を改ざんしてしまえば惨劇は全てなかったことにできる。それを可能にするためには
朝比奈さんのTPDDがあれば可能だ。そうだ、それでいい。
 だが、すぐに問題点が頭に浮かんだ。まず朝比奈さんがTPDDを使わせてくれるのだろうか?
いや、大体あれを使うかどうかは、過去の朝比奈さんの言葉から察するに彼女一人の判断ではできない。
未来側の許可がいることになっているようだ。俺のミスを帳消しにしたいから過去に戻りたいなんていって許可が下りるか?
到底、そんなことが認められるとは思えない。それに、過去を変えてしまったら、今こうやって自分の失態に苦しんで
打開策を悩んでいる俺自身はどうなる? 過去が帰られたが故に、俺のいる未来そのものがばっさりと切り捨てられることになる。
それでは何の意味もない。
「――涼宮ハルヒ」
 唐突に朝倉の口から飛び出してきた言葉。ハルヒ。長門曰く情報爆発であり、朝比奈さん曰く時間の断層、
古泉に至っては神と呼ぶ存在。そして、それが有している力は何でも作り出せる情報創造能力。
「……そうか。ハルヒか! 確かにこんな閉鎖空間を平気に作り出せる奴だ! あいつの能力をちょっとだけ使わせてもらえば、
こんなことは全部無かったことにできるかも知れない! そうだハルヒだ!」
 至った結論に俺は大きく笑い出してしまった。さっきまでの絶望感が嘘のように無くなり、閉鎖空間の灰色も
ずっと明るくなっているようにすら感じられる。
「そうよ、涼宮さんの力を使えば何でもできるわ。あなたの理想がすべて叶うのよ。それってすごく素敵な事じゃない?
そして、あなたは涼宮さんにとって大きな存在でもある。自覚さえしてくれれば、きっとあなたの言うことも叶えてくれるはずね」
「だが、どうすればいいんだ?」
 ここで朝倉は俺の頬から手を離し、立ち上がる。そして、すっと空を見上げると、
「実を言うとね、あたしは涼宮さんの居場所を知っているの。でも、頑固に閉じこもっちゃってて出てこないのよ。
だから、あなたに説得して欲しいのね」
「……わかった。すまないがハルヒのところまで案内してくれ」
「うん、そうする。でね、ちょっとお願いがあるんだけど……」
 朝倉はもじもじした仕草を見せつつ、
「あなたが涼宮さんにお願いするときに、あたしの願いも叶えて欲しいの」
「いいぞ、そのくらい。ハルヒに頼んでやるさ」
「ありがとう! じゃあ、これから涼宮さんのところに連れて行ってあげる♪」
 そう言って朝倉は軽い足取りで俺の手を引き始めた。そうだ、ハルヒのところへ行こう。そうすれば、全て終わるんだから――
 ――目を覚ませ! この大バカ野郎が!――
「いてっ!」
 耳に背後から聞いたことのあるような無いような声が届いたかと思ったら、頭の頂点分を何かで思いっきり殴られた痛みが走る。
ヘルメットを外していたおかげで、何かが頭を直撃したようだ。
 俺はあまりの痛みに頭をさすりながら、振り返る。せっかく気分が良くなったってのに、なんだ一体!
 ……しかし、振り返った瞬間、俺の身体が凍り付いた。なぜならそこには一瞬だけ『俺』がいたように見えたからだ。
 すぐに2,3度目をこすって見返す。すると、『俺』の姿はすでに消えていた。幻覚でも見たかと思ったが、
頭の痛みはそのままだ。なんだってんだ。
「どうかしたの?」
 俺の異変に気がついたのか、朝倉が不思議そうにこっちを見つめている。俺は痛みの残る部分をさすり、
特に怪我とかをしていないことを確認しつつ、
「いや……何でもねえよ。さあ、とっととハルヒのところへ行こうぜ」
「うん、わかった」
 そう言って俺たちはまた歩き出す。しかし、さっきのは何だったんだ? 一瞬俺の姿も見えた気がしたが、
それにその前に浴びせられた罵倒は俺の声じゃなかったか? まさかドッペルゲンガーじゃねえよな。
それとも俺の深層心理の部分で何か引っかかるものがあるとでも言うのだろうか。目を覚ませ。それがその時聞こえた言葉の一つ。
「……目を覚ませ――か」
 その台詞はあのノートに騙されている時にかけられるべき言葉だろ。俺の第六感ってのは反応まで半日以上かかるような
鈍い代物なのか? まあいい。もうそんなことなんてどうでもいいんだ。ハルヒの元に行けば全て解決するんだからな。
 ――騙されないでっ!――
 今度は可愛らしいが鼓膜が吹っ飛ぶぐらいの声が脳内に響く。
 ――お願いですっ! しっかりしてくださぁいっ!――
 しばらく声の音量がでかすぎて気がつかなかったが、ようやくわかった。
「……朝比奈さんですか!?」
 俺の頭の中の声は間違いなく朝比奈さんのものだった。ああ、2年近く聞いていなかったが、このエンジェルボイスだけは
どんなことがあってもわすれるつもりはねえぞ。
 ――キョンくんっキョンくんっ! 気を確かにしてくださいぃ! がんばって! しっかり!――
「いや朝比奈さん! 声をかけてくれるのは大変ありがたいんですが、もうちょっと音量を下げて……。
鼓膜がいかれるどころか、脳内の音声認識回路までふっとんじまいそうですよ!」
 ――あ、すみませんっ……ごめんなさいぃぃぃぃぃ――
 もうこのふにゃふにゃな対応は朝比奈さんそのものだ。これがまた朝倉のように脳内イメージから作り出されたっていう偽物なら
俺はもう何にも信じられなくなるぞ――
 ……唐突に。本当に唐突に気がついた。いや、気がついたと言うよりもあの『目を覚ませ』『しっかりしてくださぁい』の
意味がようやくわかったといった方がいいだろう。ちっ、何で今まで気がつかなかった?
「本当にどうしたの? 大丈夫?」
 また朝倉が不思議そうな顔+不安な顔を俺に向けてきていた、
 俺は立ち止まったまま朝倉を凝視し
「お前は誰だ?」
 その言葉に、朝倉の顔にわずかながら動揺が走った。まるで気が付かれたかと言いたげなように少しだけ引きつっている。
だが、すぐにいつもの柔らかい笑顔に戻ると、
「そんなこと知ってどうするの? あたしのことなんかより、今のあなたにはやらなければならないことがあるんじゃない?」
「そうだ。だからこそ、不安要素は全て消し去っておきたいんだよ」
 俺の返答に、朝倉は今度ははっきりと失望の表情を浮かべた。そして、視線を下げたまま俺の元に歩いてくる。
 ――キョンくん気をつけて。その人は……――
 ああ、朝比奈さん。今度は声が小さすぎて聞こえませんよ。何ですか?
 だが朝比奈さんが再び声をかけるまでに、朝倉が俺の前に立ち、とんでもないバカ力で俺の肩をつかんできた。
「良いから黙って付いてくればいいのよっ!」
 俺は驚愕する。今さっきまでは確かに俺の前にいたのは朝倉涼子だった。あの谷口はAA+評価を下すような完璧の美少女。
だが、今俺の肩をつかんでいるのは、全く見たことすらない中年女だった。浴びせてきた声も可愛らしいものとは正反対の
すり切れて低い声だ。
 ――その人はキョンくんの知っている人ではありません!――
「何で言うことを聞かない!?」
 朝倉――いや、中年女のどす黒い罵声が俺の身体を震わせる。その顔は怒りと悪意で醜くねじ曲がり、異様な殺気を
噴出していた。上から下まで見回しても見たことのない奴だ。俺が生まれてきてから見てきた人の中に
こんな奴は全く該当しない。誰なんだ。
「あんたは黙って言うことを聞けばいいっ! そうすれば、仲間を皆殺しにした罪は全部消えるんだよっ!
何の損がある!? まだ何か不満でもあるって言うのかいっ!?」
「――離せこの野郎!」
 俺は必死にその中年女引きはがそうとするが、化け物じみた力で俺を押さえつけているらしく全く微動だにしない。
 挙げ句の果てに、怒りにまかせて俺の身体を揺さぶり始めると、
「どうしてあたしの邪魔ばかりするっ! どいつもこいつも気にくわない! せっかく優しくしてやったのに、
平然と疑いやがって! 何様のつもりだ、このくそ男が!」
 あまりの罵倒ぶりに一瞬頭の中が空っぽになる。何だ、こいつは。今まで変な奴も見たことはあったが、
度を超して狂っているぞ、こいつは。
「ああそうかい! お前がそんな態度を取るってなら、こっちも情けなんてかけないよ!
今すぐお前の思考能力を奪ってあたしの人形に仕立て上げてやる――」
『そうはさせない』
 今度は長門の声が俺の頭の中に響いた。ほどなくして、中年女の表情が一変して俺から離れようとするが、
すぐに醜い悲鳴を上げて苦しみ始める。ああ、はっきりいって展開について行けてねえぞ俺は!
「ふざけやがって! 死ね! みんな死んじまえ! どいつもこいつも! みんな消えて無くなればいいのよ! 消えちまえっ!」
 そう最期まで汚らしい罵声を上げながら、その中年女の姿が原子分解でもされたかのように光の粉となって消えていく。
そう言えば、長門が朝倉を消滅させた時もあんな状態だったな……
『時間がない。すぐあなたを別の時間軸へ転移させる』
 いや、長門。少しは俺に説明してくれよ。はっきり言って訳がわからなくて、頭の中でA~Zまでの単語がバウンドして
暴れ回っているんだ。
『急がないと彼らがやってくる。すぐに行きたい場所を思い浮かべて』
 ああ、もうわかったよ。その代わりあとでゆっくりと事情を聞かせてもらうぞ。ところで、どうやって別の時間に行くんだ?
長門は確か時間移動できないんじゃないのか?
『朝比奈みくるのTPDDを強制起動して使用する。今あなたを危険性のない空間に移動させるにはそれしかない。
同一時間平面上では彼らはすぐに追いかけてくる』
 ――ええっ!? ちょちょちょっと待ってくださぁいぃ!――
 朝比奈さんもパニックになっているぞ。やっぱりもうちょっと落ち着いてだな……
『来た』
「え――」
 長門の言葉に反応して、俺は辺りを見回して――腰を抜かした。いつの間二やら、俺の周りを大勢の人間が囲んでいた。
男女年齢性別に関わらず、一応に無表情な顔つきで俺を睨みつけている。明らかに敵意を感じるぞ。
『彼らにあなたを渡すわけにはいかない。彼らはあなたの外見と記憶だけが必要。一度捕まれば、あなたの自我意識は
修復不可能なレベルまで分解される。そうなれば、どれだけ情報操作を行っても元には戻せない』
「うわっわわわっ!」
 俺は長門の言葉も耳に入らず、腰を抜かして辺りを逃げ回った。だが、不思議なことにそいつらは立ち止まったまま、
一向に俺の方に近づいて来ようとしない。
 ――ほどなくして、まるでラジオの奥底からかすかに聞こえるような小さな物音が耳に届き始める。
じわりじわりとその音量が大きくなっていき、次第に耐えられないほどの騒音とかしてきた。
 俺は必死に耳を閉じてそれをシャットダウンしようとするが、直接脳が認識しているせいか全く効果がない。
 その騒音は最初はただの意味をなさない雑音だと思っていた。だが、たまに人間の言葉らしきものが混じっていることに
気が付く。それはさっきあの中年女が言っていたのと全く同じようなものだった。
 罵倒の応酬。今俺の頭にそんなものがぶつけられている。このままだと長持ちしねえぞ。
『彼らが互いを牽制している。今の内に、あなたを移動させる。早く行きたい場所を思い浮かべて』
 ええい、また説明もなく急転直下の展開か! だが、これ以上耳元で騒がれたら本当におかしくなる!
 やむ得ず、喧噪の中、俺はどこに行きたいか考え始める。色々頭に浮かぶが雑音が邪魔してまとまらねえ。
 行きたい場所――会いたい人。長門は完全ではないが、会った。朝比奈さんはさっきようやく声が聞けた。
なら、まだたった一人声を聞けていない人物……
 
 ……その時、俺はハルヒに会いたいと思った。
 
◇◇◇◇
 
 俺はいつの間にか閉じられていた目を開く。
 重力を失ったように、俺は暗闇の中を漂っていた。いや、薄暗いものの周りには何かが見える――
『ちょっとキョン。のどが乾いたからみんなにジュースを買ってきなさい。あ、当然あんたのおごりでね』
『何で俺が』
 耳に入ってきた会話。エコーがかかったようにぼやけたものだったが、はっきりと聞き覚えのあるものだった。
 俺は目をこすって辺りを確認する。薄暗く霞がかかったみたいに視界が悪い。それに光が屈折しているかのようにゆがんでいる。
 何とかそんな視界にようやく慣れてきたころ、俺は今目の前で何が起ころうとしているのか悟った。
 待て! そっちに行くな!
 必死に叫ぶが、声が出ない。
 視線の先には脳天気に自動販売機を目指して歩いている奴がいる。どっからどうみても俺だ。あの日――俺が事故にあった日。
今俺はその時間にいるんだ。だが、どうしてこんな中途半端な状態なんだ?
 必死に泳ぐように俺の後を追おうとするが、蹴るものが何もない状態では進みようがない。周りには俺の姿が見えていないのか、
誰一人こっちを気にかける人もいない。
 止めなきゃならん。俺が事故に遭うのを阻止できれば、その先に起こる悲劇は全部起きなくなるんだ。
今ここにいる俺が消えるかも知れない? 知ったことか! 目の前で起こることの結末を知っていながら見過ごすほど
落ちぶれちゃいねえ!
 すぐに身体中を手で探り、何か使えるものがないか探す。しかし、使えそうなものは何もなかった。
このままではあと数十秒で俺が盛大にはねられるというのに、何もできずにただ見ているだけなんてまっぴらゴメンだ。
 俺はふと思い出す。靴を脱ぎかけの状態にし、目の前を歩くの俺の反対方向へ蹴り飛ばした。すると思った通りに
反作用が発生して、ゆっくりと俺の身体が流れるように動き出す。よしいいぞ。このまま俺の背中を捕まえてやる。
 ゆっくりと移動し、俺の背中に迫る。幸いまだ信号待ちの状態だ。このまま手を伸ばせば――
『邪魔をするな』
 衝撃を伴った大勢の声が辺りに響く。俺は一瞬身構えて、辺りを見回した。
 誰もいない――いや違う! 俺の方を見つめている人たちがいる。歩道を歩いている老人、公園のベンチに座っている青年、
自動車に乗るOL、自転車に乗ったまま立ち止まっている女子学生……周りを歩く一般人たちの中にポツンポツンと
俺の存在に気が付いているように見ている人がいる。
 ――瞬間、俺は気が付いた。目の前にいた俺の背中が横断歩道を歩き始めていることに。
 待て! 進むな! それ以上進むと……
 そして、はっきりと目撃した。目の前で俺がトラックに轢かれる瞬間をだ。確かに一瞬俺の身体はバラバラになっていた。
しかし、すぐにビデオの逆再生のように復元される。振り返れば、ハルヒが手を伸ばしてこっちに走ってきていた。
やはり、ハルヒが俺の傷を癒していたのか? 
 トラックはすぐにバランスを崩して、近くの電柱に突っ込んだ。激しい衝突音が耳を貫き、ほどなくしてクラクションの音が
虚しく鳴り続けるようになる。
『キョン! キョン!』
 ハルヒがすぐに路上に倒れたままぴくりとも動かない俺のそばに駆け寄った。続いて、朝比奈さん、長門、古泉も真っ青な顔で
俺の様子をうかがう。
 古泉は思い出したように携帯電話を取り出すと何やら話し始めた。おそらく救急車を呼んでいるんだろう。
朝比奈さんは泣きじゃくりながら俺への呼びかけを続けている。一方の長門は、俺の身体に何も異変がないことを察知したのだろう
少し安心したような――表情には出していないがそんな雰囲気を見せながら、辺りの様子をうかがっていた。
 そこで思い出す。さっき俺を見ていた連中を再度見回すと、今度は倒れている俺辺りを全員で見つめていた。
こいつらはいったい何なんだ? 一方の長門も全身のオーラを一変させて、強い警戒感をあらわにしている。
 と、そこで見つめたまま動かなかった自転車に乗った女子学生が無表情から心配そうな表情に変化させて、
俺のそばに寄ってきた。どうやら身を案じているようだったが、それをすぐに長門が遮る。
『近寄らないで。重傷のおそれがある。専門知識を持った人以外は触れない方がいい』
 その言葉に、女子学生は納得したような表情を浮かべたが、そいつが軽く舌打ちしたのを俺は見逃さなかった。
長門の言葉を聞いたのか、古泉がハルヒと朝比奈さんを俺から引き離し始める。二人は完全に腰を抜かしてしまっているようで、
もう何も言えずに路上に座り込んでいた。
 ほどなくして、救急車がたどり着き、救急隊員が俺の様態を調べ始める。一方の長門は、やはり殺気の連中が気になるのか、
俺から少し離れてその周りをグルグル回っていた。
 ――だが、長門の死角になったあたりで、あろうことか救急隊員の一人が妙な行動を取った。俺の額に手を当てて
何かをしている。明らかに医療行為とは違う。なぜなら、そいつの顔が狂気に染まった笑みを浮かべているからだ。
だが、長門は周りに警戒心を見せているために、それには気が付いていなかった。
 やがて、担架に乗せられた俺は救急車に運び込まれ、ハルヒたちも乗り込んだ。そのまま、病院に向けて走り出す。
野次馬がそのまま残って見ている中、俺たちを見ていた連中はまるで何も起きなかったように、その場を去っていった。
 ちくしょう……せっかく大チャンスだったってのに、何もできずに終わるなんて……!
 後悔と自分の無力さを嘆くが、どうにもならない。これからどうする? まだ別の場所に移動できるのか?
このまま浮遊したままなんてゴメンだ。
 俺はまた願い始める……

◇◇◇◇
 
「ぐはっ!」
 強烈な落下感とともに、俺の背中に強烈な刺激が展開した。一瞬呼吸が止まり、全身に震えが走る。
 俺はしばらくそれにもだえていたが、ほどなく寝ころんだまま手で周りを探り始めた。どうやら仰向けに倒れているらしい。
手のひらに床のような冷たい感触が感じられる。とりあえず、海の上とか水中とか火の中とか、地獄巡りな場所ではなさそうだ。
 ゆっくりと目を開けると、見覚えのある天井と蛍光灯が目に入った。いや、見覚えがあるどころか懐かしいと表現した方がいい。
 続いて身体を起こして、辺りを見回す。部屋の中央に置かれたテーブル、古めかしい黒板、脇には朝比奈さんのコスプレ衣装、
ノートパソコンの山……
 次に目に入ったものに、俺は目を疑った。『部室』にある窓、そしてその前に置かれている『団長席』とパソコン。
そして、そこに座って唖然とした表情を浮かべるSOS団団長の涼宮ハルヒの姿……
「キョン!?」
 ハルヒは俺の姿を見るや否や、椅子をけっ飛ばして俺の元に駆け寄る。ハルヒ? ハルヒなのか? 本当に?
「ちょっとどうしたのよ……っていうか、あんた病院で眠っているんじゃなかったの!? でも何よ、その軍隊みたいな格好は!」
「い、いや、ちょっと待て! 俺も何が何だかわからなくて混乱――」
 この時、俺の目がハルヒの視線に捕まった。まあ、眼力パワーはもの凄いハルヒなわけだから、ここで頬を赤らめて
視線を外したりはしないし、そもそもそんなことは期待していないんだが。代わりに俺の胃の辺りから
今までに感じたことの無いような感覚囲み上がってくる。
 我慢しておくべきか? 
 いや、周りには誰もいないしな、そんな必要はないだろ。
 だが、俺にだってプライドがあるんだ。相手はあのハルヒだぞ?
 いいのか? 自分の気持ちに素直になったって良いじゃないか。こんな時ぐらいは。
 えーと、何で俺は問答をしているんだ?
 いいじゃねえか。ここでやらなかったら、次にいつ逢えるか――
 いつ逢えるかわからないんだ!
「ハルヒっ!」
 俺はハルヒに抱きついた。強く強く抱きしめる。
 唐突な行動に、ハルヒは当然ながら、
「ちょ、ちょっと何すんのよキョン! 放しなさいってば!」
「……すまん! 少しだけ! 少しだけこのままでいさせてくれ……!」
 懇願する俺にハルヒは観念したのか、代わりに俺の背中をなで始め、
「まあ……いいわ。何があったのか知らないけど、団員が辛いときは団長がそれを受け止めてあげなきゃね」
「すまねえ……すまねえ……」
 俺は謝罪の言葉を続けながら、ハルヒを抱きしめ続ける。離したくなかった。ずっとこのままつなぎ止めておきたかった。
 でなければ、次いつ逢えるかわからないから。
「ちょっと休みなさい。あんた、すごく疲れているみたいだからね。ふふっ、大丈夫よ。ずっとそばにいて上げるから……」
 ハルヒの言うとおり、俺には相当な疲労がたまっていたのだろう。ほどなくして俺は深い眠りに落ちていった。
 
◇◇◇◇
 
 どのくらい眠っただろうか。俺は自分が長時間眠っていたことを自覚したとたん、がばっと起き上がる。
そして、辺りをきょろきょろ見回し、状況確認に努める。
 辺りはすっかり暗くなり、月明かりだけがSOS団部室を照らしていた。そして、その中をハルヒは団長席に
突っ伏するようにすーすーと寝息を立てて眠っている。俺のためにずっと残っていてくれたのか?
 俺はとりあえずハルヒを起こさないように、状況確認を再開した。まず今の日付だ。カレンダーをのぞくと、
どうやら俺が事故に遭ってからちょうど14日目になる。ん、そういや、古泉から聞いた説明だと、
俺が昏睡状態になってから一週間後、ハルヒはSOS団の部室に閉じこもったと言っていた。ならハルヒはもうここにこもって
一週間が経過していると言うことになるが……。
 ちょっと待て。そして、ハルヒが閉じこもってから一週間後に確か全世界で神人が大量発生したはずじゃなかったか?
そうなるともうすぐそれが起きるということになる。
 俺は時計を見た。時刻は22時過ぎ。残念ながら神人発生の詳しい時刻までは聞いていなかったが、俺が昏睡状態になってから
2週間後に大惨事が発生したことは確実だ。そうなると、近々それが発生すると言うことになる。
 すぐにハルヒを起こそうとして、窓際に経って気が付く。外に誰かがいる。それも校庭、向かい側の校舎の廊下、屋上と
ありとあらゆる場所に人がいて、そこから不気味な視線を向けられている。なんだったんだ。
 とにかくハルヒを起こさなくてはならない。俺は軽くハルヒの背中を揺さぶる。
「……んあ?」
 間の抜けた声を上げるが、目の前に俺の顔があることがわかるとすぐに口に付いたよだれを拭いて、
「ちょっと! なに人の寝顔を見てんのよっ!」
「しっ! 静かにしろって!」
 俺は怒鳴り始めたハルヒの口を押さえる。しばらく抗議の声を上げて口をもぐもぐさせていたが、
窓の外を指さして外にいる連中の存在を知らせると、すぐに頷いて黙った。
 ハルヒが大人しくなったことを確認すると、俺は手をどけて、
「外にいる連中にも憶えがあるか?」
 そう俺たちを監視するように見ている連中を指さす。ハルヒはかなり不安そうな表情を浮かべて、
「……あんたが事故に遭ってから何度か見かけているわ。最初はあたしを遠くから眺めている程度だったけど、
一週間前ぐらいになるとエスカレートしてきて、自宅の部屋まで現れたわ。その時は叫んだらすぐに消えたけど、
それ以降ずっとあたしの周りをまとわりついてくるの。それも一人じゃない。すごく大勢」
「今、外にいる連中はそいつらってことか」
 ハルヒは恐る恐る外を見て、
「うん。あいつらどういうわけか部室の中には入ってこないの。だから、あたし一週間前からずっと閉じこもったっきり」
「長門や朝比奈さんも部室に入れていないのか?」
「あいつら、みんなの後ろにくっついて入ってこようとしたのよ」
 ぞっとする話だ。自宅の寝室まで上がり込んでくるなんてただの犯罪者のように見えるが、騒いだら消える?
まるで幽霊じゃないか。大体、何で教師たちは気が付いていない?
 ハルヒはふるふると首を振って、
「わかんない。何度も学校側や警察に訴えたわ。でも、あたしには見えるのに写真やカメラには全く写らないの。
みくるちゃんたちも気が付いていないみたい。そのせいで、幻覚を見ているんだろうと相手にしてくれなくて」
 そこでハルヒははっと気が付いたらしく、
「キョン! あんたにはあいつらが見えるの!?」
「ああ……不愉快だがばっちり視線に捉えている」
 そう言いながら、外を一瞥する。はっきりとはわからないが、あの棒立ちのような姿を見る限り、俺の事故現場にいたやつらと
同質の連中だろう。あの時は俺を見ているのかと思ったが、本当はハルヒを見ていたのか。だが目的は?
 ふと、もう一つの事実に気が付く。少し混乱していたせいで記憶は定かではないが、あの棒立ちの様子は
過去にとばされる寸前に俺を囲っていた奴らに雰囲気がそっくりだ? 何モンなんだ一体。
「って、お前一週間もここに閉じこもっているのかよ。その間のメシとかはどうしたんだ?」
「古泉くんが持ってきてくれたわ。ドアの前に置いてもらって、あたしが隙を見て回収してた。トイレもたまにこっそりと出てね。
それでも最近はすぐ扉の前に立っていたりするからうかつに開けられなくて……」
 ホラー映画かよ。マジで勘弁してくれ。となると今もドアの外に立っている可能性があるって事だ。
それじゃ、うかつに出れやしねえ。
 俺は再度連中の姿を確認するべく、外を眺める。と、急にハルヒが俺の手を握ってきて、
「……キョン。あんたキョンよね? あたしにはわかる。別人じゃない。正真正銘のキョン本人だわ。でも、キョンは病院で
眠っているはずよ。どういう事か説明して」
 当然の疑問だな。一週間籠城していたハルヒの前に、病院で寝ているはずの俺が、迷彩服姿で出現したんだ。
おかしいと思わない方がどうかしている。
 俺は返答に困ってしまった。どう答えればいいのか、自分でもわからないんだからしょうがない。
あの閉鎖空間の一件、さらに今俺たちを囲んでいるの正体。何一つわかりゃしねえんだから。
「……わりい。俺も自分がどうしてここにいるのかさっぱりなんだ」
「そう……」
 ハルヒは俺から目をそらす。思えば、さっきからハルヒらしい傍若無人な姿は全く見せていない。外の連中に
よっぽど怖い目に遭わされたのだろう。そう思うと、俺に激しい怒りが立ちこめてくる。
「今俺がはっきりと断言できるのは、ハルヒ、俺はお前の味方だ。例えどんな状況になろうともな」
「…………!」
 そんな俺の言葉が予想外のものだったのか、ハルヒは何かこみ上げてくるものがあったらしく顔を紅潮させていた。
が、すぐに顔を振ってそれを振り払うように、
「当然よ当然! 団員は団長のためにきりきり働くの! それが社会や組織の原理ってもんだわ!」
 腕を組んでえらそうに言ってくれるよ全く。でも……その方がハルヒらしいけどな。
 
◇◇◇◇
 
 午前1時。0時に何かが起きるのではと緊迫していたが、一向にあの白い化け物が現れる気配はない。ハルヒに異常もない。
退屈そうにネットをやっているぐらいだ。
 ――気が付いたときには遅かった。異変はとっくに起こっていたのだ。
 俺がようやくそれに気が付いたのは、外の連中の様子をうかがった時だ。
「…………?」
 見れば、いつの間にやら取り囲んでいた連中の姿が無い。さっきまでが嘘のように無人になっている。
「――きゃあ!」
 次に起こったのはハルヒの悲鳴だ。俺があわてて駆け寄ると、パソコンの液晶ディスプレイの画面が渦を巻くように
ゆがんでいる。ただの故障かと思ったが、そんなものではないことがすぐにわかった。何せ、ディスプレイが盛り上がり、
そこから何かが出てこようとし始めたからだ。
 俺はすぐにディスプレイの電源を引っこ抜くが、一向に電源が落ちない。次第に盛り上がってくるディスプレイが
人の顔のようになってきていることに気が付いた。まさか、パソコンのネット回線を介して侵入してきやがったのか!?
 すぐにそのディスプレイを壁に叩きつけて破壊する。ぱちぱちとスパークする音がなり、ディスプレイの電源が落ちた。
盛りだしていた人の形をした物体も消えていく。
「今までネットをやっていて大丈夫だったのか!?」
「き、昨日までは何にも起きてなかった……ひっ!」
 ハルヒの短い悲鳴。今度はなんだと思えば、ホラー映画のワンシーンのように部室の扉がゆっくりと開き始めている。
バカな。ちゃんと鍵はかけておいたはずだぞ。
 しかし、そんな俺の抗議も無視して扉は完全に開いてしまった。そこには黒いセーラー服を纏った少女が一人立っている。
やはり見たことのない奴だ。
 俺は何か武器になるものはないかと辺りを回し、掃除用具入れからモップを取り出して構えた。
「来るな! 今すぐ出て行け! 怪我してもしらねえぞ!」
 そうモップを振り回して威嚇してみるが、完全にそれを無視してその少女は部屋の中に入ってきた。
さらにその後に続くように大勢の人――子供から老人まで様々――が部室内に入ってくる。
 多勢に無勢。俺は戦っても相手にならないと思い、ハルヒの手を引いて窓際まで下がる。仕方がない。ここは二階だが、
飛び降りれないこともない。一か八か飛び降りるしか……
 しかし、その考えはすぐに打ち砕かれた。バタバタ!と窓が揺さぶられ何事だと振り返ってみて、
 ――腰を抜かした。そこには獲物をほしがっている肉食動物のように、人間の顔が大量に窓に押しつけられている。
ぎしぎしと力を込めて今にも窓が破壊されそうだ。一方で出入り口の扉からは次々と連中が流れ込んで来ている。
囲まれちまったぞ。
「何の用だ! とっとと出て行きやがれ!」
 俺はモップを振り回して奴らを追い払おうとするが、全く連中は動じない。それどころか、一人の少年があっさりと
それを取り上げて部室の脇に投げ捨ててしまった。
 じりじりと狭まる包囲網。窓の外は奴らで埋め尽くされ、入り口も溢れかえっている。逃げ場がないのだ。
 が、奴らの動きが止まった。窓のきしむ音も聞こえなくなる。今度は何だ――
 ――突如上がる悲鳴。言葉に表現できないような絶望的な声を上げ始めたのはハルヒだ。頭を抱えて床を転がり周り
痛みにもだえるかのように泣き声を上げる。
「ハルヒ! どうしたハルヒ! しっかりしろ!」
 俺は必死にハルヒを抱きかかえ、落ち着かせようとするが、ハルヒは目もうつろに口からよだれを流して悲鳴を上げ続ける。
このままじゃハルヒがおかしくなっちまう。誰か! 頼む! 誰か助けてくれ!
 俺の叫びが通じたのかはわからない。突然、部室の壁が吹っ飛んだ。衝撃にしばらく耐えていたが、
やがてそれが収まったことを感じ取ると、目を開く。
 そこには北高のセーラー服を着た長門の姿があった。すぐ横にはおびえる朝比奈さんの姿もある。
「遅くなった」
「だ、だいじょうぶですかぁ!?」
 二人の声。だが、久しぶりの再会に感動している場合ではない。ハルヒはもう声すら上げられない状態になっているんだ。
「長門! 朝比奈さん! 頼む――ハルヒを助けてくれ! お願いだ!」
 俺の言葉に反応するように、長門が手を振った。するとなんということか。連中の姿が全て消失する。助かった!
全く長門さまさまだ。
 が。
「遅かった」
 長門の言葉は絶望に満ちていたように感じる。なんだ? 長門が奴らを消し去ってくれたんじゃなかったのか――
『なぜだ!』
 突然起きる脳内ボイス。あの閉鎖空間や事故現場で聞こえたのと同じものだ。もの凄い圧力で俺の全身を揺さぶってくる。
『お前ら邪魔だ!』
『お前こそ邪魔だ!』
『うるさいわね! 無能な連中は消えてよ!』
『なんだとこの野郎!』
『邪魔しないでよ~! お願いだからぁ~』
『くそ野郎!』
『何なのあんたたちは!』
『お願いだ! 一つだけで良い! 頼む!』
『俺以外みんな消えろ!』
 洪水のように襲いかかる罵声の嵐。俺は耐えられなくなり床に倒れ込む。だが、そんなことをしている場合ではない。
口を開けたまま完全に意識を失っているハルヒが目の前にいるんだ。助けないと!
 そこの長門がやってきて、
「すでに涼宮ハルヒの意識の一部分が彼らに浸食された。このままでは全ての意識を奪われる可能性がある」
「何でも良いからハルヒを!」
「わかっている。すぐに自立防御を精神階層に張り巡らせ、これ以上の浸食を防ぐ」
 そう言って長門はハルヒの額に手を当ててあの高速呪文を唱え始めた。
 その時だった。俺の背中が月明かり以外の何かで照らされていることに気が付く。そして、窓の外にいたのは、
「神……人?」
 あの光の巨人。ハルヒのストレスが最高潮になったときに閉鎖空間内で暴れ回る怪物。そいつが閉鎖空間ではないのに
今目の前に生まれ出ようとしている。
「なん……で」
「彼らのストレスが最高潮に達した証。それを解消するべく発生させた」
 長門の淡々とした説明に俺は、
「ここは閉鎖空間じゃねえぞ! なんでだ!」
「涼宮ハルヒが閉鎖空間内であれを発生させていた理由は無用な被害を出さないため。だが、涼宮ハルヒの能力を一部奪った彼らは
そのような認識を持っていない。自ら以外の有機生命体の死を持ってそれを解消させようとしている」
「ば……!」
 冗談ではない。大量殺戮でストレス解消だと! ふざけんな! ハルヒの力をそんなふざけたことに使うんじゃねえ!
 だが、俺の抗議なんて通じるわけもなく、神人は破壊活動を開始した。俺が知っている神人発生と同じならば
奴らは全世界に発生して暴れているはずだ。
 と、長門が急に辺りを見回し始めた。
「これは」
「今度は何だ!?」
「閉鎖空間が発生した。発生させているのは涼宮ハルヒ本人」
「何だと……!?」
 最初は何が起きているのかわからなかったが、すぐに理解できた。ハルヒは神人の発生を感じ取り、あわてて閉鎖空間を
発生させて神人を閉じこめようとしているんだ。全ては被害を出さないために。
 なんて……奴だよ、ハルヒ。お前はそこまで……!
 長門は今度は俺の手を握り、
「あなたはここにいてはいけない。すぐにもとの時間軸へ戻るべき。危険。彼らに利用される」
「目の前でハルヒが苦しみながら戦っているのに、逃げ出せって言うのか!?」
「ここであなたができることは何もない。でも、あなたがいた時間にはできることがある。その時間上のわたしが言っている」
『一時的だが脅威は排除した。もう戻って問題ない』
 頭の中に響く長門の声。それは目の前でハルヒの手当をしている長門ではない。閉鎖空間の中で俺の身体を
乗っ取ったときと同じだ。何でここにいる?
『朝比奈みくるのTPDDを再度使用した。ここにも朝比奈みくるがいるので、同じ方法で戻れる』
「だがよ……世界がどうなるかわかっているのに……」
「自分の力を過信しないで」
 そう反論してきたのは、ハルヒの手当をしている長門だ。俺の方をじっと見つめている。
「できなくても誰もあなたを責めたりはしない。あなたはあなたができることを確実にするべき」
『そう。そして、元の時間ではあなたを信頼している人たちが待っている』
 まさか……古泉たちか!? だが、みんな俺の手で……
『それは全て欺瞞。全ては彼らがあなたを利用するために手段。全員の無事は確認している』
 ……そうか。よかった……よかった……! まだ俺はやり直せる……!
 俺はすっとハルヒの両手を握る。
「待っていてくれハルヒ。絶対に迎えに来るからな! 少しだけ――少しだけ辛抱してくれ……!」
 続いて、長門と朝比奈さんを交互に見回して、
「長門、朝比奈さん。ハルヒのこと……頼みます!」
「は、はい! がんばります!」
「あなたが来るまで全て対応する。任せて。必ず守ってみせる」
 俺はすっと立ち上がり、町を破壊している神人を睨み付ける。何だかしらねえが、これ以上好き放題させねえ。
「長門! 俺を元の時間にもどしてくれ!」
『わかった』
 長門の声と同時に、俺の意識が闇へと落ちた……
 
~~その5へ~~


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