行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは 、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。


行く川の流れは、絶えることがなく、それでいて目の前を流れている水は もとの水では
ない。
流れのよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では できあがり、長くそのままの
状態であるということはない。
世の中に存在する 人も住まいも、またこのように変わりやすく儚いものである。



高校時代に古文の授業で習った「方丈記」の冒頭部分。
昔は特に感じ入ることもなく、和訳を暗記して定期テストを乗り越えれば忘却の彼方へと放り投げていたが、昔の人はよく言ったものである。
この世やそこで生きる人というのは存外にも儚いものなのだ。





一週間前、ハルヒはこの世を去った。




【ずっと一緒】


俺とハルヒは高校を卒業し、お互い素直になれなかったために相当な紆余曲折を経たが、なんとか永遠を約束し合った。
しかし、その後の俺達は幸せだったと思う。結婚からしばらくして娘も生まれ、俺が尻に敷かれることで家庭も平穏を保ち、気付けば高校卒業から半世紀以上が経っていたしな。
「いいわね?あんた、あたしより先に死んだら許さないわよ!」と言われた日が懐かしい。

ハルヒの死因は老衰、所謂寿命だった。
「お前のことだからな、てっきり200歳くらいまで生きるのかと思ってたんだが」
遺影に話しかける。もちろん返事は返ってこない、だが優しく微笑むハルヒを見ていると不思議と落ち着くのだ。今はこれでいい、ハルヒと再会する日はそう遠くないだろう。根拠があるわけではないが、何故かそれには確信を持てる。

暑くもなく寒くもなく、今日はいい天気だ。ハルヒ、お前の名前みたいによく晴れた日だぞ?いや、ハルヒはカンカン照りの真夏日がお似合いか。
しかし本当に良い日だ、こういう日は慣れないこともしてみたくなる。
「ハルヒ、お茶いれてやるよ」遺影に話しかける。当然ながら返事は無い。
二人分の湯飲みとハルヒの遺影を縁側に運んでいった、こんな良い日に外を見せてやらないなんて勿体ないってもんさ。だろう?

「雁音っていうんだけどな、上手くいれられたかどうかは自信ないぞ?」
朝比奈さんみたいに、と言おうかと思ったが止めておいた。お茶を湯飲みに注ぎ、ハルヒの遺影の前に置く。 立ち上っては消えていく湯気。暫くそれを眺めてから自分の湯飲みにお茶を注ぎ、口に含む。うん、我ながら上手くいれられたんじゃないだろうか。これならハルヒも文句あるまい、文句あるなら自分でやれよな?

柔らかな春の陽射しが降り注ぎ、小鳥がさえずる。草木が芽生え、緑の似合う季節となった。こういう日は往々にして昼寝がしたくなる。ほら見ろ、もう眠気が襲ってきやがった。仕方ない、少しだけ昼寝しよう




「…ョン……キョン…………キョン!!」
目が覚めた、というか瞼が無理に開かれた感じがして飛び起きた。
いつの間にか日は傾き、少し風も冷えてきている。

「もう、こんなところで昼寝したらダメじゃないの!」

「ハル…ナ?」
そこにいたのは頬を膨らませた娘の晴奈だった。
「あ、あぁ…暖かかったからついな」
晴奈は俺をキョンとは呼ばない、ならば今のは……

「それより、お父さんもロマンチストよね~わざわざお母さんの分までお茶入れるなんてさ」

「なんとなくそんな気分になってな、冷やかさんでくれ」

「違うわよ、こんなにお父さんに思われてるんだもん、お母さんが羨ましくなっちゃってね。お父さんには黙ってたかもしれないけどさ、お母さん、凄く感謝してるって言ってたのよ?」

「そう思ってたなら是非態度で表してほしかったものだね」

「素直じゃないわね~ でもお母さんの分まで飲んじゃうのはどうなのかしら?」


ふと目をやるとハルヒの湯飲みは空になっていた、言うまでもないが俺は飲んでなどいない。味に合格点が頂けていれば良いのだが………

「晴奈、旦那さんと未希はどうした?来るのは明日の予定だったろ?」

「あたし一人で来たの、なんか急に行かなきゃって気がしたからね」

「その決断力はハルヒ譲りだな」

「それ、もちろん褒めてるわよね?そんなことよりご飯作るから、そろそろ中に入ったら?」

「ん…出来たら呼んでくれ、もう少しここにいるよ。」


また昼寝しちゃだめよ?そう言って晴奈は台所へと消えていった。

「ハルヒ、お茶美味かったか?」
もちろん答えは返ってこない、その代わりに風が少しだけそよいだ。
今はこれでいい、寂しくなどない。いつか絶対にまた会えるから。






『もう少しここにいるよ』 それがお父さんの最期の言葉となった。

夕飯を支度し、私が縁側に呼びにいった時、お父さんは覚めることのない眠りについていた。
実のところあまり驚きはしなかった、なぜなら縁側にいたお父さんは亡くなる直前のお母さんと同じ柔らかい表情をしていたから。その時私は直感的に「あぁ、この時がきたんだな」と感じとっていた。せっかちなお母さんのことだから、もしかしたら待ち切れなくなったのかもしれない。そう思うとあの二人らしくて、少し笑えてきさえする。

お葬式をして、お父さんが小さな壷に居場所を移してから、普段から仲良くして下さっていた谷口さんと国木田さんがいらっしゃった。
国木田さんは静かに手を合わし、谷口さんはお父さんとお母さんの遺影を前にしてカップ酒を呑みながらあーだこーだと言っている。
不快に思う私の視線に気付いたのか、国木田さんが私に寄って来て「すまないね、今日は大目にみてあげてくれないかな」と深々と頭を下げておっしゃった。普段からお父さん達がお世話になっていた国木田さんに言われてはしょうがない。谷口さんには目をつぶることにしよう。

国木田さんが帰ってから暫くして、仏壇のある部屋から谷口さんの声がしなくなった。どうしたのだろうか、と思いながら部屋の前に行くと、戸が少し開いていた。好奇心を抑え切れず、失礼だと思いながらも覗いてみる。
そこにいた谷口さんは、お父さんとお母さんの遺影をぼうっと眺めているようだった。しかしその背中は、家に着た時からは想像も出来ないくらいに小さくなっていて、かすかに震えていた。なんだかんだ言ってお父さんとお母さんと仲の良かった谷口さんだから、やはり思うところがあったのだと思う。
半時ほどしてから谷口さんは「どうも酒がまずいな、家で呑み直さなきゃな」と言って笑いながら帰っていったが、頬に涙の後が残っているのを私は見逃さなかった。 死とはなんなのだろうか、暫く考えてみたが答えは出てこなかった。



今頃お母さんはご満悦でお父さんを引っ張り回し、ぼやきながらもお父さんはそれに付いていくのだろう。
お父さんとお母さんは再び一緒になった、今度こそ離れ離れになることはない。

「よかったね、二人とも」

遺影に話しかけてみた。
愛する者と永遠が約束されたのだから、今の二人は本当に幸せであるに違いない。


返事はなかったが、少しだけ風がそよいだ。

おわり


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