翌朝。いよいよ明日日本ともお別れねって、連休終われば帰ってくるけど。
キョンはなんか浮かない顔でため息ばかりの上の空。どうしたってのかしらね。
昨日は昨日で珍しく電話切らせてくれなかったし。
お陰で寝不足よ。明日朝早いんだから、睡眠不足を補っておかないとね。
睡眠不足解消に努めてたら、もう授業全部終わっちゃった。早いものね。
さて部活に行きましょう。
キョンを従えて部室に向かう。いよいよ明日出発。ほんのすこしだけ日本を忘れて、遊べるわね。でも、すぐ戻ってくるけど。
隣のキョンはため息ばかりついてて、えらく憂鬱モードね。
ひょっとして里帰りがキャンセルになったとか?
「そうじゃねえ。まあなんとなくな」
「ふうん、そう」
「で、いつ帰ってくるんだ?」
「それ聞くの何度目? 土曜日の夜には帰ってくるって」
「ま、どうせ俺も土曜日までは里帰りの身だからな」
「もしかしてあんた寂しいの?」
「………」あっち向いて口笛吹く真似だけしても無駄ね。ちゃんと口笛吹け…違う、素直に寂しいって言えばいいのに。
「ふん、恥ずかしがり」
「しょうがねえだろう」キョンったら拗ねてやんの。こういうところは可愛いって思うわね。
「あんただって里帰りする予定だったんでしょ。同じことじゃない?」
「日本にいるんならいいが、海外じゃな」
「電話すればいいじゃない」つい言ってしまったけど、親父ならなんとかしてくれるわよね。どうにもならないか。
「声聞くと会いたくなる……こともなくはないしな」
「いいかげん、素直になりなさいよ」
キョンがあたしの指をそっと握り締めてきた。こんなところでキョンにしちゃ大胆じゃないの。どうしてくれようか。
『ちょっと放しなさいよ』って言ってみるとどうなるかしら。やめとこ。なんかケンカになりそうだし、それは後味悪いし。
でも、部室に近いし、誰かに見られたらとても恥ずかしい。
「部室までよ?」結局あたしはそう言った。「あと、部活終わったら、ね?」
「ああ」キョンはすこし元気になったように見えた。


行く場所をネットで検索して、時間までかたっぱしから見ていくのが、今日の部活になった。
完璧なほどに観光地で、買い物、食事、マリンスポーツが楽しめるってのが売りなんだ。
日本人が結構行くからか、日本語も結構通じるし、日本食も楽しめるのか。
まあ、あたしは別に日本食が恋しくなるタイプじゃないけどね。
風土病みたいなのは特にないみたいね。でも、世界の医療事情なんて見てると、日本って風土病が少ない土地なのね。ちょっと驚き。
15サイトぐらい覗いたところで、目的地のコテージ発見。一泊3万円かぁ、家族3人で3万円ってどうなのかしら。
一人一万は普通なのか高いのか、良く分からない。
「どこかいくんですかぁ?え、ひょっとして海外旅行?」みくるちゃんが声を掛けてきた。
振り返るとお茶を手に微笑んでいる。あたしはお茶を受け取った。
「まあね」
「え~ひょっとしてこのコテージに泊まるとか?」
「それはわかんないけど」
「いいなぁ、海外旅行って。わたしもしてみたいなぁ」
「お金とパスポートさえあれば、行けるわよ?」
「身も蓋も無いですぅ」みくるちゃんはつまらないそうに言った。
「まあ事実ですからね」古泉くんが優雅な笑みを浮かべながら言う。なんかキョンとへんなカードゲームで遊んでる。
キョンは広げたカードを前にうなっている。どうもキョンの番みたいね。
「みんなは、海外旅行行ったことあるの?」
「残念ながら」古泉くんが手を広げていった。
「わたしも行ったことないです」みくるちゃんはため息交じりの声で言う。よっぽど行きたいのかしら。
「有希は?」
さっきから部屋の定位置で寡黙な読書マシーンを演じてるけど、会話は全部聞いてるのはお見通しなんだからね。
「…行ったことない。行く気もあまりない」
なんかそんな暇があるなら、読書してた方がマシって感じね。なんか有希にとっての読書って、存在証明みたいなもん?
我読書すゆえに本ありなんて感じかな。
「俺もねえな」キョンはようやくカードを出してから言った。「ぜひ一度は夢の海外旅行にいってみたいもんさ」
「あんたは昭和30年代ぐらいからタイムスリップしてきたの?」
「嗚呼あこがれのカラーテレビ……って、時代あってるか?」
「多分、間違ってると思いますよ」みくるちゃんがやさしく言う。
「……間違ってる。それは60年代の話」
有希がなぜか冷たく言い放って、部屋に微妙な空気が流れた。有希ったら、一瞬しまったなんて表情浮かべて可愛いわね。
そんなのんびりムードで部活が終わった。


いつもの帰り道。まあいろいろあって、ちょっと遅くに家についた。
玄関に入ると、リビングに明かりはまだ点いていて、TVの音もかすかに聞こえた。
門限何時って言われてるわけでもないから、平気は平気。でもちょっと後ろめたいわね。せっかく母さん晩ごはんつくってくれたのに。
意を決して、リビングへの扉を明けると、親父がお茶をすすっているところ。
はっと目があって、親父はとたんにニヤニヤ笑いを浮かべる。
「おやおや深夜のご帰還ですか。海外旅行の前日だというのにな。これが若さってやつか」
「遅くなってごめん」
「母さん、妙に素直なハルヒが帰ってきたぞ」親父は台所に声を掛けた。
タオルで手をふきながら、母さんが姿を見せた。
「あらハルヒ、お帰りなさい。てっきり今夜は帰ってこないんじゃないかって、父さんと言ってたんだけど」
「遅くなったのは悪かったと思ってる……ごめんなさい」
「本当に素直だな」親父がおもしろそうに茶々をいれてくる。「なんか変なものでも食ってきたのか? 彼氏と……いや、彼 氏 を か?」
「なにをバカなこと言ってんのよ」あたしは怒るより呆れてしまった。バカ負けってやつね。「いいかげんにして」
「やれやれ、父さんにはツンツン、母さんにはデレデレ。これも巷で流行りのツンデレってやつか?」親父は小首をひねりつつ、母さんに言った。
「違うんじゃないかしら? ハルヒは父さんに甘えてるだけでしょう?」
「んっもぅ………とにかく連絡もせずに遅くなって悪かった。ごめんなさい」
あたしは改めて二人に言った。

「ま、近所の沼よりは深く反省しとけ」親父は澄まし顔で言う。
「最近はなにかと物騒だし、『海外旅行前に悲劇』なんて見出しで三面記事に載りたくないなら、ちょっとは慎んでくれよな」
「はい……分かりました」
「よろしい。しかし、素直すぎると調子が狂うな」
「人をひねくれものみたいに言うな」
「違うのか、父さん驚きだな。まるでマジェステック12は存在しなかったと聞いた時のような驚きだ」
「それ、驚いてるの?」
「ほらほら喋ってないで、ハルヒはお風呂に入りなさい。あしたは早いんですからね。父さんもそろそろ寝たらどう?」
そこで母さんはハッと気が付いたようにあたしに言った。
「ひょっとしてどこかでお風呂入ってきた? それならお風呂はいいけど」
「な、なんて事を言うのよ!!!」
「こんな時間に大声だすな、ハルヒ。しかし、母さんもやるときはやるなぁ」親父がおもしろそうに言う。「母さんジージェイだ」
「ジージェイってなに?」母さんがキョトンとした表情で言った。
「グットジョブの略らしいな。ネットで知ったんだが」
略す必要あんの? まったく、呆れて言葉が出ないわ。


翌朝はすぐやってきた。薄暗いうちから家の中がごそごそ動き出している。
まだ鳴ってない目覚ましを止めてから起き出すと、親父がスーツケースを玄関に運び出していた。
「おはよう」
「おはよう。早いな、ハルヒ。朝飯できたら起こそうかと思ってたんだが」
「ごそごそやってれば目も覚めるわよ」家の中だと油断して大あくびもしちゃうわね。
「奥まで見えそうだな。ま、顔洗って母さん手伝ってやれ」
「言われなくとも」
「その意気だ」
そういって親父はまた二階に登っていった。あたしのスーツケースも降ろすつもりなのかしらね。ま、任せとけばいっか。

顔洗って着替えて朝ごはん食べたら出発ね。Tシャツにハーフパンツって格好に、薄手のパーカーでも羽織っとこうかな。小さなショルダーバックを持ってと。
3年ぐらい前に親父が海外で買ってきたバッグ。あんまり見ない形だし、わりと使うほう。
玄関に降りて行くと、親父も母さんも準備万端って感じ。親父は自称ちょいオタ親父ファッションとやらで、母さんは優雅なワンピースに身を包んでいる。
「おまたせ。で、どうやって空港までいくの?」
「ん、タクシーで空港直通電車が停まる駅まで行って、そこからは一本さ」
「いっそタクシーで空港までいけばいいじゃない」
「どうせ使うなら買い物で使ったほうがいいじゃない」母さんがやさしく言った。「ご利用は計画的にって、TVでも言ってるしね」
「母さん、それ意味違う」
クラクションの音がして、あたしたちは家を出発した。


空港についたのは、出発の3時間も前。親父は旅行会社のカウンターでなにか手続きをしている。スーツケースを預けて身軽になった。
「ハルヒはあっちでなにがしたい?」母さんがたずねてきた。
「そうねえ、まず食べ物に期待ね。そして買い物。あとはビーチでぼけーっとしたいかな」
「十分できるわね」母さんは頷いた。「ちなみに父さんは向こうではまったく当てにしちゃだめよ」
「なんで?」
親父が澄まし顔で帰ってきた。
「OKだ。あとは手荷物検査と出国審査だな」
「じゃ、いきましょうか」と母さん。
親父は頷いて、そっとあたしの手を取った。昔とかわらない、大きく柔らかい手。
でもすぐ離した。
「あ、いかん。昔の癖でつい、な」親父は苦笑している。
そんな親父が可愛いとかそんなんじゃない。ただ、たまには喜ばせてやってもいいんじゃないかと思っただけ。
あたしは親父と腕を組んで歩きだした。

手荷物検査場は大混雑だった。みんなうんざりしたような顔で並んでいる。
「ハルヒ、こっちだ」
親父が指さしたのは、なんかのメンバー限定の優先検査場ってやつ。親父はそっちの列に並ぶと、係の人にカードを見せた。
すんなり手荷物検査完了。こんなんでいいのかしら。
「いいんだ。このためにカード作ったようなもんだし」
「そうなんだ」
「だが、出国審査はこういうわけにはいかんがな」
「パスポートにハンコ押すだけでしょう?」
「ハンコ押しちゃいかん奴がまざったりしてたらいかんからな」
「そか」
出国検査場はそんなに混んでなくて拍子抜け。一人づつパスポートを見せて、開いたページにハンコ押してもらえばOKね。
親父のパスポートはいくつものスタンプが押してあって、なんだか格好いい。本人は仕事で海外行くのはダサいと思ってるらしい。
「自分が行くより、誰か行かせる側になりたいもんだよな」なんて言ってた。

すんなりゲートを抜けると、もう日本じゃないのね、なんか変な感じ。
「浮かれるなよ、ハルヒ。こういう場所で、やれパスポートなくした、航空券なくしたとか、そういうくだらなすぎる悲劇が発生しがちだ」
親父がパスポートを慎重にカバンにしまいながら言った。あたしはすでにそういう大事なものは母さんに預けてある。
「母さんに預けとくから安心だもーん」
「まったく。それじゃ彼氏と海外旅行なんて夢の又夢だぞ」親父は呆れたように言った。
「ふん、あいつに全部任せちゃうからいいのよ」
「ま、ハルヒったら。あなたまだ高校生でしょ。母さん、海外に婚前旅行はどうかと思うの」母さんはたしなめるように言った。
「悪いこと言わないから、せいぜい一泊二日で…そうね、遊園地に行ったらうっかり終電逃しちゃったから仕方なくって程度がいいと思うの」
親父はゲラゲラ笑いだして、あたしはものすごく恥ずかしい。
誰も今行くなんていってないじゃない。
そもそも、そういうことを止めない親ってのもどうなのよ。

まだ時間があるっていうから、免税品をいろいろ見てまわった。へえ海外使用向けのCDウォークマンとかいろいろおもしろいもの売ってるのね。
ポータブルDVDプレーヤーか。あいつ欲しがってたわね。安かったら、買っていってやるのもいいかしら。
「リージョンコードに気をつけろ」親父がぼそりといった。
「なに、リージョンコードって」
「一言で言えば大人の事情、単純にいえばプロテクトだ。下手に海外でそんなの買っても、輸入DVDしか見れなくなるぞ」
「そうなんだ」


歩いているうちに、ブランド品ストリートに出くわした。
「ハーミスとか、カーターとか、どんだけ~って感じだよな」親父が澄まし顔で言う。
「なによ、ハーミスとかカーターって」
「父さん、昔からブランド品を無理やり英語読みするのよねえ」母さんがため息交じりに言った。「格好悪いってなんべん言っても直さないの」
きらきらと輝くガラスケースの向こうで、数十万単位のカバンが鎮座している。ものによれば100万円超えるのもある。
あたしは別に欲しいとは思わない。価値観の違いってやつね。
「そうか。おまえが持ってるそのカバンも実はブランド品だぞ?」
「へえ、そうなんだ」
「ま、興味なければそんなもんだよな。しかし、高校生でもこういうのが欲しくてウリ始めるって子もいるらしいな」親父がこっそりと言った。
「みたいねえ~うちの学校にはいなさそうだけど」とあたし。
「真面目な子ほど怪しいんじゃないの?」母さんが怪訝そうに言った。
「確かに見た目ではわかんないわね。いかにも遊んでそうな子が実は真面目だったり、その逆もあるしね」
「あーこわいこわい」母さんはしかめっ面で言った。「そういう話は聞きたくないわねえ」
「さて。逃避行に出たくなるような話題はそれぐらいにして、なんか軽く食べるとしよう」
親父は肩をすくめて、歩きだした。

軽食を食べて、搭乗口に向かった。ありゃ、すごい人が待ってるわね。みんな同じところにいくのかな。ちょっと勘弁してほしいわ。
「結構人出が予想されますとかTVでいってたが、その通りだったな」
「そうね。でも、座るところあるかしら?」
「なければ、ぎりぎりまでラウンジに避難すればいいんじゃないか?」
などと親父と母さんが話している。
ポケットの携帯が鳴った。携帯見なくても、誰からの電話かなんとなく分かるのが、なんか恥ずかしい。
親父と母さんに背中をむけて電話をとった。
「もしもし」
「いま、大丈夫か?」
「うん、大丈夫よ。で、なに?」
「なにって……」電話の向こうでキョンが絶句してる。
「ふん、恥ずかしがり屋~」
「別にそういうんじゃない。まあ気をつけて行ってこい」
「うん。あんたもね」
「できたらでいいんだが、着いたら電話くれ」
「電話してあげるから、泣かないでね」
「泣かねえよ……気をつけてな」
「あんたもね」
「ああ。じゃあな」
「うん。またね」
電話が終わった。なんかいいわね、こういうのって。
振り向くと親父も母さんもいない。いきなり迷子? まったくどうなってんのよ、母さんの携帯に電話をかけようとしたら、手を振る親父が見えた。
ちゃっかり空いたソファに母さんと二人で腰掛けていた。
あたしは携帯をポケットに押し込むと、その場所に向かった。

搭乗開始を知らせるアナウンスが日本語と英語で流れた。搭乗口に人が集まるけれども、親父は動こうともせず、なにか文庫本を読んでいる。
「搭乗開始だってのに、なに読んでんのよ」
「ペンローズ先生の与太話。なんの役にも立たないが面白い」
「ペンローズって誰よ?」
「口で糞たれる前と後にサーと付けろっていわれそうな、とても偉い先生」
「下品ねえ。で、まだ行かないの?」
「まだ混んでるし、前の方の席だから迷惑になる」
「父さん、そういう本大好きなのよねえ」と母さん。
「面白いぞ。なーんの役にも立たないがな」
「どういう内容なのよ?」
「意識は量子論的なゆらぎによって起こり、その場所はかくかくしかじかって話さ。並の学者なら無視されるし、生理学的には駄法螺もいいところだが、ペンローズ先生ゆえに議論になったようだな」
「ふうん」
「こういうの読むと頭が良くなった気分に浸れるし、知的好奇心ってやつが満たされる。悪いもんじゃない」親父は文庫本をカバンにしまった。
「そろそろ行くか」
親父が立ち上がった。いよいよ、搭乗ね。
窓ガラスの向こう、どこにいくのかわからないけど飛行機が一機飛び立っていった。ぐんぐん高度をあげている。
あたしたちは、列にならび、航空券を機械に差し込んだ。


続く


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