万有引力の法則が絶対であるように、俺が文芸部の部室にいるのも絶対である。
部屋にはまだあの長門すら来ておらず、珍しく一番乗りだ。
俺はすることもなく定位置である椅子に座り、ここ数日の出来事を何となく思い返していた。
色んなことがあったが、そう言えばまだ古泉に呼び出された日の事を話していなかったな。
忌々しいことこの上ないが、愚痴だと思って聞いてくれ。では回想編スタート。

団活終了後、俺は新川さんが運転する車に乗せられて古泉が住むマンションへと
連れて来られた。長門ほどではないにしろ、金がかかってそうな建物である。
通された部屋の中はこざっぱりしていて、必要最低限の家具しかない。
取り敢えずソファーにでも座ろうとしたところで、
奥の部屋から古泉が何やら白いものを持って現れた。
 「お待たせしました」
 「おお、何やって――なんだソレは」
おい古泉、お前が手に持ってる白くてふわふわした生地の服はなんだ。
 「何ってバスローブですよ?」
 「それはわかってるんだよ! 何でそんな物が必要なんだと聞いているんだ」
今後の対応策を話し合うんじゃなかったのか!
いや話し合うって聞いてないが、普通会議室で話し合うとか思うだろ。
大体バスローブなんて何に使う必要があるってんだ。
いや、本当はもう薄々気付いている。これから古泉がしようとしていることもな!
 「あなたがお湯を被ると女性に、水を被ると男性になるのは知っています。
  しかしどのくらいの温度で、量で、体のどの部分をかけると変化するのかは
  分かりません。また女性体のあなたがどのようなのかも我々は知りません。
  だからね、色々試してみようって事になったんですよ」
確かにお前らが言ってることは正論だ。情報がなければ動きようがないからな。
でもな、俺にだって心の準備ってものが必要なんだよ。
 「お前が言いたい事はわかった。でもちょっと待」
 「待ちませんよ? さぁさぁ着替えてくださいね~」
何楽しそうに笑いながらネクタイを外そうとしているんだお前は。
取り合えず落ち着け。ベルトに手を回さなくてもいい、ボタンを外しにかからなくてもいい。
自分で着替える、着替えるから今すぐ俺から半径1m以上離れろ!
 「では早速始めますか」
5分後、さっさとバスローブに着替えた俺は浴室へと連行された。
蓋が閉まった浴槽の上に腰掛けて、脚や腕にお湯をかけられていく。
本当は温度を測りながら、一々全身にかけていくようだったが、
俺が長門によって頭にお湯を被せられた時はぬるま湯だった事を伝えると
 「話を聞く限り、体温よりも上なら変化するのは間違いないようですね。
  正確な温度を知りたいところですが、今はやめておきましょう」
と言い、温度はぬるめの38度に設定して変化する箇所と量を調べる事になった。
 「ではかけていきますよー」
お前は何だか楽しそうだな。そんなに俺が女になるのが面白いのかね。
俺はお前の機嫌と反比例して鬱になっていくんだが。
足、太もも、腕、二の腕と次々にお湯がかけられていったが変化する様子は一向にない。
どうやら日常生活で変化することはそう無いようだ。
 「次は背中ですね。お手数ですが立って背中を向けてくれますか?」
へいへい。俺はバスローブが濡れないように背中を肌蹴させる。
もう袖や裾の部分は濡れてしまっていたが、全身ずぶ濡れになるよりは増しだからな。
かけますね、と古泉が断りを入れた後背中に心地よい雨が降り注いだ。
 「あ・・」
驚きに満ちた古泉の掠れた声が水音に混じって聞こえた。
自分の体を見てみると髪が腰辺りにまで伸び、胸には柔らかそうなおっぱいが出現している。
どうやら背中はNGみたいだな。このままの姿でいるのは精神衛生上よろしくないので、
さっさと古泉に水をかけてもらって男に戻るとしよう。
 「古泉、水かけてくれ」
しかし返答はない。不審に思って振り返ると、
古泉はまるで時間が止まったかのようにその場で呆然としていた。
「おーい、古泉ー?」
駄目だ、魂が抜けたように気付きやしない。
手に持っているシャワーでズボンが濡れてても気付かない。
どうでもいいがシャワーの出しっぱなしは経済的にも地球にも優しくないぞ。
やれやれ仕方無い。俺は額に思いっきりデコピンをしてやった。
 「あっ! え、なななな!」
気付いたと思ったら今度は顔を真っ赤にして俺に背を向けやがった。何なんだだから。
 「…ます」
 「は?」
聞こえねぇよ、シャワーの水音がただでさえうるせぇんだから。
 「む、胸が見えてますから隠してくらさい!」
言われて俺はようやく自分が上半身裸だったことに気付いた。
慌てて腰の辺りにぶら下がっていたバスローブを羽織る。
 「あなたは今女性なんですから気をつけてくださいよ」
消え入りそうな声で古泉が懇願する。お前も男だったんだな。
でも俺のおっぱいで興奮とかするのか? ちなみに俺は全くしない。
 「・・・僕だって健全な男子高校生ですから、異性の体を見れば動揺だってしますよ」
男子高校生な事はわかったからモジモジすんのは止めてくれ。きもいから。
 「で、これからどうすんだ?」
俺としては一秒でも早く元に戻りたいんだが。このままだと風邪引きそうだし。
古泉はまだ挙動不審に片手で顔を抑えて何やら呟いている。
いいからシャワー止めろよ。さもなくば俺に寄越せ、自分で戻るから。
 「わわわ駄目ですよ」
シャワーに手を伸ばそうとすると、古泉が勢いよく俺から遠ざけた。
ホワイ? 何故?
 「えーと、あっ、そうそう女性化した体に不調がないかどうか検査をしたいので、
  そのままで待っていてほしいと上から言われました。
  後ほど森さんがいらっしゃるそうです」
 「なんだと?」
それを先に言えよ。って事はなにか、俺にこのまま待ってろと言うのか?
 「そのままでは体に悪いですし、とりあえず僕の服を着てください。
  あ、タオル出してきますね!」
古泉はシャワーを止めると、急いで浴室から出て行った。
ズボンが濡れていることに気付いてないのかアイツは。
しかし水量も量ると言ってたくせにやらなくていいのかね。
森さんに報告するんじゃないのか?
 「ま、どうでもいいか」
少なくともこれ以上濡れることはないだろう。
 「タオルと、着替えはここに置いときますね」
 「ああ」
兎に角着替えよう。このままだとマジで風邪引く。
しかし古泉の服ってサイズが絶対合わない気がするんだが。


 「うーん、小さめのを選んだつもりだったんですけど」
タオルで水分を拭き取り、借りた服に袖を通したわけだが・・・やっぱりでかかった。
袖は手がすっぽり隠れるほど長く、肩は抑えていなければズレ落ちそうで
古泉にとっては7分丈のズボンも俺にとっては裾が余るくらいである。
 「ところで森さんはいつ来るんだ?」
 「夜には来られるという話でしたが。あの方も何かと忙しいですからね」
合宿時に見たメイド姿と、朝比奈さんが誘拐された時に見たスーツ姿の森さんが
思い起こされる。メイド姿はともかくスーツ姿は様になっていた。もう怖いくらいに。
俺はソファーに座って手持ち無沙汰になっていると、古泉がコーヒーを持ってきた。
 「とにかくこれでも飲んで待っててください」
 「お、サンキュー」
すっかり冷えてしまった体には丁度良い暖かさだ。
ブラックってところが古泉にしては気が利いている。
 「あー生き返るわ」
一息ついたら何だか眠くなってきてしまった。瞼が少し重い。
森さんが来るって言うのに寝てたら失礼じゃないか。耐えるんだ俺。
ああ意識まで朦朧としてきやがった。古泉が何か言ってるみたいだが全く聞き取れん。
俺はソファーにあったクッションに凭れ掛かり、そのまま眠気に身を任せた。


目が覚めると、古泉が心配そうと言うよりは申し訳なさそう顔で俺を見ていた。
しまった、寝ちまったよ!
 「おい、森さんは?」
俺はソファーから起き上がる――はずだったのだが、何故かベットに寝かされていた。
そう言えば、声が女バージョン時のアルトではなく聞き馴れたテノールになっている。
嫌な予感を感じながら頭を摩ると、短い髪の毛が指の間を通り抜ける。
体にかけられていた毛布を退かすと、胸は平面になっていておっぱいは見当たらなかった。
男に戻ってる。
 「は? 何で?」
意味が分からないし笑えない。どういう事かきっちり説明しろ古泉!
 「実はあなたが変化する条件を調べるほかに、
  あなたの女体時の身体情報が必要だったんです。
  それで・・・あなたが寝ている間に調べさせて頂きました」
つまり俺が寝ているのをいい事にあれこれやったって事だな?
俺が睡魔に襲われたのも、コーヒーの中に睡眠薬でも混ぜておいたからだろ。
はっはっは、見損なったぞ古泉。殴っていいか?
 「もう・・・殴ってます。それに!勘違いされているようですが
  測定したのは森さんですよ! 僕は別室にいましたから見てません!」
腹に一発入れてやったがまだ足りないようだな。
だいたい森さんは此処にいねーじゃねぇか。俺が男に戻ってる理由も教えてもらいたいね。
 「あなたに水をかけたのも森さんですよ。
  年頃の男女が一つ屋根の下にいるのは道徳上よくないとかで。
  その後森さんは機関に呼び出されて帰られました。だから――」
必死に釈明を続ける古泉の目を見て、こいつのいう事は嘘じゃないと思えてきた。
いつもの笑顔仮面をつけることすら忘れて、自分の潔白を証明しようとしている。
マジになっている古泉というのは新鮮な感じで結構面白い。
だが、お前がやった事は断じて許せん!
 「もういい。寝る」
 「は? ちょっと!」
古泉が揺さぶってくるが無視だ無視。当分お前とは口を利かないから覚悟しとけ。
女の体だったとは言え森さんに裸を見られたんだぞ! 恥ずかしいに決まってるだろうが。
あーもう悪夢だ。これは夢なんだと思いたいだ。
だから寝かせてくれ。お前はその冷たい床にでも寝るがいい。
そして風邪でも引いて寝込んじまえ!


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