第4話
a Farewell in the Worst Nightmare




 翌朝、強制ハイキングを乗り切って何とか校門まで辿り着き、下駄箱を開けた俺の目に飛び込んできたのは、

【放課後。一年五組の教室で待つ】

 見覚えのある、プリンタが吐き出したかのような明朝文字だった。
 …なぁ、長門。贅沢を言うつもりはないが、もう少し待ち合わせ場所は選べなかったのか?
 この間朝倉が帰ってきたばっかりだってのに、嫌でもあれを思い出しちまうじゃねーか。
 なんとなく展開が予想できてしまう自分を発見して切ない気分になりつつ、俺は教室へと鉛のごとく重くなってしまった足を向けた。

 …この時点で少しでも後の展開を予想できていれば、俺はあの悲劇を防げただろうか。
 この身を切り刻むような後悔など、せずに済んだのだろうか。
 今となってはもう、それを確かめる術はない―――。

§

 そして、放課後。
 一年五組の教室で俺を待っていたのは、やはりというか何というか、読書好きのSOS団員にして宇宙人だった。
「…よう、長門。待ったか?」
「………」
 ミリ単位の首肯。仕方ねぇだろ、ハルヒを説得するのに手間取ったんだよ。
「ちなみに…用件は、」
「……そこから、動かないで」
 俺、思わず固まる。
「…本題の前に」
 そんなビビリの俺に構わず、長門は話を続けてきた。
「わたしは、今回の情報統合思念体の作戦判断には反対していた」
「…はぁ?」
 いきなり何を言い出すのだろうか。
「…聞いて。今回の作戦において、あなたの役割は『餌』。よって、その位置から移動すると何らかの損害を負う確率が増大する」
 …餌?
「そう。今回の作戦は思念体に敵対する存在、便宜的呼称『天蓋領域』の地球付近の宙域からの撃退及び端末の掃討。彼らが所有する端末は一つしかない。その端末を破壊、または機能停止状態にできれば作戦は成功」
 …よく分からんが、その存在ってのはあれか、雪山の時の。
「そう。そして、彼らも涼宮ハルヒの能力に関心を持っている。彼女の『鍵』であるあなたにも」
 …やれやれ、こうまで次から次へ命を狙われ続けるとそういうのに耐性がつきそうだ。
 それじゃあ、朝倉が急に現れたのは。
「朝倉涼子の任務は、わたしのバックアップ兼あなたの護衛」
 ―――そうか。それならあいつの告白は、
「それは違う」
 俺を側に置いておくための口実じゃなかったのか?
「…え?」
「朝倉涼子はとても優秀。護衛程度の任務ならば、例え禁則プログラムが機能していても即座にわたしと連絡をとり、状況に対応して十秒以内にあなたのところまで到達することが可能」
 そんなにすごい奴だったのか、あいつ。
「……おそらく、朝倉涼子のそれは純粋な好意から取った行動だと思われる」
 絶句。
 どこか怒ったような―――そう、まるで親友をけなされて怒っているかのような長門の言葉と視線に、胸にこみ上げてくる罪悪感。
 朝倉の気持ちを一瞬でも疑ってしまった自分が、情けなくて仕方なかった。

 どんよりとした自虐思考の海に沈み込まんとする俺を現実に引き揚げたのは、
「……来た」
 長門の単純明快な開戦宣言だった。

§

 そこに現れた―――いや、『舞い降りた』のは、白磁の肌を備えた黒翼の堕天使。
 よくよく見ると、黒い翼に見えたのは異様なまでのボリュームを持ち、波涛のごとく波打つ長い長い黒髪だった。
 堕天使の少女は気だるげな視線をこちらに向けると、
「―――あぁ……あなたは、誰―――?」
 故障したオーディオ機器のように歪にひび割れた、声帯が腐敗したかのような声色で俺たちに問いを投げてきた。
 俺が戦慄のあまり反応できずにいると、
「…長門有希」
 そんなに律儀に答える必要もないんだぞ、長門。
「―――そう……私は…周防………九曜―――」
 …周防、九曜?
 苗字はどちらなのか、などと間抜けなことを考えている俺を尻目に、二人の異種宇宙人は互いを敵であると認識したようで、大した会話もないまま、ほぼ同時に戦闘体制をとった。

 転瞬。

 朝倉の時の比ではない。
 机や椅子などはそのままに、教室は一瞬にして極彩色に明滅する異空間へと変貌した。

 先に仕掛けたのは堕天使。ものすごい速さで呪文(らしきもの)を詠唱、右手を翳すと、黒い半月状の刃が長門めがけて殺到した。
 跳躍してそれをかわし、負けじと高速詠唱。左手から直径3メートルはあろうかという巨大な水柱が発生し、堕天使を吹き飛ばす。
 その隙を突いてさらに詠唱を重ねる。右腕を振り上げると、何十万、何百万という刃の雨が九曜に降り注いだ。

「やったか…?」
 端のほうで情けなくもただ縮こまっていた俺は、おそるおそる長門に尋ねてみる。
 と、次の瞬間―――。

 突如として地を伝って現われた二条の十字架が、長門の両腕を肩口から切断した。

「……っ!」
「長門!?」
 肩だけではなかった。十字架は腹部にも掠ったらしく、裂け目からは内臓が零れている。
 傷口はまるで噴水のように、とめどなく鮮血を吐き出していた。
「―――あなたでは……恐らく、私には勝てない―――」
 気だるげに、しかし冷酷に告げて、砂煙の中から九曜が姿を現わした。
「…確かに、わたしだけではあなたには勝てない」
 そして、長門の珍しく弱気な台詞。
 俺が驚愕とともに絶望に呑まれかけていると、

「―――あくまで、長門さん一人なら…ね♪」

 瞬間、九曜の身体を褐色の槍が貫いた。

 蒼黒の髪をなびかせ、ごついアーミーナイフを携えて悠然と佇むそいつは、
「あ…朝倉!?」
 朝倉は俺に向かって微笑みかけると、いつかのように机を次々と槍に変えて堕天使に投擲した。
 5本、6本……。長門の仇とばかりに腕を、腹を、胸を貫く朝倉の槍。
 そして、止めに手にしたナイフを九曜の眉間に叩き込むと、朝倉はこちらに歩み寄ってきた。

§

「ゴメンね、キョン君。利用するような真似しちゃって」
 やはり微笑んで、顔の前で両掌を合わせる朝倉。
 その向こうでは、長門が何事もなかったかのように自らの身体を再構築していた。
「私も、今回の作戦には反対だったんだけど。…やっぱり、端末ごときの意見は通らないみたい」
 その顔で謝られても、全然申し訳なさそうには見えないのだが。
 そして、俺が憎まれ口の一つでも叩いてやろうと口を開きかけた、その時。

「―――自壊…プログラム……『ハルマゲドン』、―――発動」

 息絶えたと思っていた九曜のその言葉に、二人の思念体端末は硬直した。
 朝倉などは青ざめた顔で、へなへなとその場に崩れ落ちてしまっている。
 そして、あろう事か長門さえもが、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「『ハルマゲドン』…?」
 思わず俺の口をついて出た疑問形の言葉に、長門が解説を入れてくれる。
 それによると、
「自らの身体の構成物質の一部を反陽子に転換、周囲の空間を陽子崩壊による爆発に巻き込む自爆プログラム」
 …なんだそうだ。
 要するに、この空間内で核爆発のような現象が発生し、全て跡形もなく消し飛んでしまうらしい。
 大体予想はついていたが、念のために確認してみる。
「いつかみたいに、情報なんたらの解除とかはできないのか?」
「プログラム自体に強固なプロテクトがかけられている。解除は可能だが、実行中にプログラムが発動する可能性が大きい」
「じゃあ、この空間から逃げ出せば…」
「それも不可能。完全に封鎖されている。あの端末が機能を停止しない限り、この空間からは脱出することが出来ない」
 九曜のほうを見ると、全身に槍とナイフを突き立てられてなお、立ち上がって視線をこちらに固定している。
 ギリギリまで時間稼ぎをするつもりらしい。弁慶もびっくりである。
「諦めるしかない、ってことか…?」
 今度こそ絶望しかけた俺の耳に、

「―――私がいくわ」

 朝倉の、断固たる決意を秘めた声が届いた。

§

「…朝倉?」
 ただならぬ気配を感じて、俺は思わず朝倉の方を見た。
 それに構わず、朝倉は一歩、また一歩、傷だらけの堕天使へと向かっていく。
「……―――!」
 九曜が残った右腕を刃物に変え、袈裟懸けに振り下ろす。
 その凶刃を左手で掴んで止めると、朝倉は詠唱を開始した。
 そして、

「―――パーソナルネーム周防九曜、およびパーソナルネーム朝倉涼子の構成情報の凍結を申請」

 ぴしり。
 硝子に亀裂が走るかのように。
 彫像に罅が入るかのように。
 あるいは―――水分ではない何かが、無理矢理凍らされるかのように。

 朝倉と九曜が触れ合う、刃の部分。
 そこから、互いの身体が結晶化を始めていた。

「―――!?」
「無駄なの」
 振り払おうともがく九曜に、わずかな憐憫を込めた声で朝倉は言う。
「今回は発動したが最後…。たとえ私が機能停止状態に陥っても、情報凍結は止まらないわ」
「あ、朝倉…?」
 結晶化は進む。
 朝倉の長い髪が堕天使に絡みつき、動きを封じ、そこからさらに結晶化を侵食させていく。
「…そんなことをしたら、あなたまで」
 長門が呆然とした様子で呟く。
「うん。まあ、確実に機能停止状態になるでしょうね」
「そんなっ!?」
 あっけらかんとして言う朝倉に、俺は半狂乱状態で、
「う…嘘だろ? 朝倉!?」
「嘘じゃないわよ? この場においては、これが最良の選択だもの。
 ここで皆死ぬのは論外、長門さんは大事なSOS団員。あなたを助けるにはこの方法しかないのよ」
「んなっ…! おい長門! どうにかならないのかよ!?」
「…無理。一度発動してしまえば、途中で止めることは不可能」
 一見、冷徹なように思える長門の様子。
 だが、長門は―――俺にしか分かるまい―――心の底から悔しそうな顔をしていた。
「…っ!! 朝倉! なぁ、やめろよこんなの! 発動者のお前なら取り消しもできるだろ!?」
 既に自分が何を言っているのかすら判然としない。
 もう肩まで侵食された朝倉に向かって、最後の望みをかけて叫ぶ。
 しかし―――。

「うん、それ無理」
 朝倉はにっこりと笑って。

「だって、私は本当に―――、あなた達に生きていてほしいんだもの」

「………涼子…!」
 長門の、悲痛な叫びを最後に。
 朝倉は、微笑みを浮かべたまま完全に結晶化した。

§

 氷のような水晶像が2つ。
 全てが終わった教室で、俺はただ呆然とそれらを眺めていた。
 動かない。返事をしない。表情を変えない。
 抜け殻のような氷の彫像に、抜け殻のようになった俺は視線を注ぐ。

 …俺は。
 あいつの告白に、返事もしていない。
 何も伝えられず、何も与えられず、あいつは俺の目の前で、俺を救うために犠牲になった。

「……朝倉涼子は」
 振り返る。
 長門が教室の情報を再構成し終えて、こちらに歩いてきた。
「あの場において最も正しい判断に基づいて行動した」
 あまりに無機質な物言い。
 思わずかっとなって、俺は長門の肩を掴んだ。
 そして、俺は程なく驚愕と後悔を同時に味わうこととなる。

 長門は、泣いていた。

「可能ならば、私があの作業を担当するべきだった。…涼子に、あなたに、負担を負わせたくなかった。
 それなのに……、思念体は許可を出してはくれなかった」
 嗚咽もなく、ただ涙を流す長門。
 いつの間にか、俺も泣いていた。
 こいつだって、もっと朝倉と一緒にいたかったのだろう。
 さっきとっさに『涼子』と呼んだときのように、もっと朝倉に甘えたかったのだろう。
 目の前で大切なものが失われていくとき、何も出来ずにいたという無力感。
 なまじ万能の力を持つがゆえに、長門が受けたその衝撃は、傷跡は、俺よりも大きいようだった。

 全てが終わった教室で。
 想い人を失くした無力な人間と、姉を失くした万能なる宇宙人は、
 いつまでも、泣きつづけていた。


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