キョンが近くからいなくなる。そんな知らせを聞いたのはもう一週間前。
「みんな、悪いな。俺はこっちの大学受からなかったから一つ隣りの県だ」
 その言葉を聞いた時、あたしは言葉を失った。キョンと毎日のように会えなくなる。今まで当たり前のようにしてた会話が出来なくなる。
 せっかく言えると思ったのに。あの日からずっと我慢してたのに。
 そんな言葉も言えなくなった。
「ふーん。そう。簡単に帰ってこないように頑張りなさいよ」
 どうしてもこんな言葉しか出ない。あたしは最低。
「あぁ。ありがとな、ハルヒ」
 皮肉をお礼で返されてさらに心が痛くなる。キョンは「来週には出発するから」と言葉を発した。
 もうヤダ。いなくなるまでみんなと会わない。悲しい。嫌だ。行かないでよ。
 あたしの決意はなんだったのよ。……何が送別会よ。絶対行かないんだから。
「あたし体調悪いから帰るわ」
 とりあえずみんなほっといてよ。一人にさせてよ。古泉くんとかあたしの気持ちに気付いてそうだけどほっといてよね。
 家に帰ってあたしは泣いた。次の日も泣いた。その次の日は涙も渇いて泣けなかったからずっと膝を抱えてた。
 それからの日々は出来るだけいつも通りを装った。ただし、家の中にずっといたけど。
 送別会……つまり、キョンの出発の前日。みんなからメールや電話がたくさんきたけど……あたしは出れない。
 キョンからってわかる着メロの違う電話やメールもたくさんきた。
 ……また、涙が溢れた。
 そして今日、あたしは駅に向かって急いでる。やっぱり会いたい。
 こんな別れ方嫌だ。出発の1時間前に気付いたのはバカらしいかも。
 だけど、どうせなら顔を見て、
『あんたはSOS団団員その1なんだから頑張りなさいよ!』
 くらいは言ってやりたい。最後に顔が見たい。
 でも距離が……間に合わないかも。それでも最後まで諦めないわ。
 あの優しい笑顔を最後にもう一回だけ見せなさいよ。……バカキョン。
 駅に駆け込んでホームに急ぐ。改札……邪魔! 早くしなさいよ!
 もう予定時間は過ぎてる。いるわけない、いるわけないのよ。
 だけど行かなきゃ。だって認めたく無いんだもん。キョンがいないなんて認めたくない!
 あたしがホームへの階段を上り終えると、そこには人の居なくなった景色だけがあった。
 ……間に合わなかった。こんなに後悔するなんて思わなかった。
 あの夢から覚めた日に告白すればよかった。他にもたくさんチャンスあったのに。
 送別会も出とけばよかったなぁ……。バカ……あたしのバカぁ……。
 どうしようも無く溢れる涙。こんなの初めて……。隅っこに行かないと邪魔よね。
 あたしが泣きながら迷惑のかからない場所に移動しようとしていると、肩を掴まれた。
「あ、すいませ……」
「なんで泣いてんだよ。カチューシャ付けて無いから別人かと思ったぞ」
 キョン。あたしが泣いてる原因のキョンがここにいる。なんでいるの?
 息が乱れてるわよ。走ってたの?
 聞きたいことが自分の嗚咽でかき消されてく。今はただ泣くしか出来ない。
 わがままな子どものように泣きながらお願いすることしか出来ない。
「キョっ……ぐすっ。い、行か……ひぐっ……」
「落ち着け。とりあえず移動するぞ」
 あたしは肩を抱かれたまま人の少ない物陰の方に連れて行かれた。
「やっぱり最後にお前に会いたくてな。探してたら駅に行ったって聞いて来た訳だ」
 そんなことある訳ない。キョンがあたしに会いに……あぁ、もうダメ。
 絶対言いたくなかったのに言っちゃう。ごめんごめんごめん。困らせてごめん。
「ダメ……言っちゃやだ。団長命令。行かないで」
 あたしはキョンから顔を隠してそう言った。卑怯でもいい。顔見られたらダメだもん。
「しょうがないんだよ。俺だって我慢してるんだ」
「もっと我慢してよ。行かないでよ。だってあたし……あたしぃ……」
 せっかく落ち着いたのにまた涙が出る。人生でこんなに涙を流したのは初めてかも。最初で最後かも。
 こんなにいやだと思ったのも初めて。こんなに悲しいのも初めて。だから行かないでよ……。
「だからな……やべ、電車が来る」
 ……やっぱり困らせたらダメよ。人生の分かれ目なんだもん。明るく笑って冗談よ! って言って送り出さなきゃ。
「…………よ」
「ん?」
「じょ、冗談……よ。バカ……キョン! ど、ドラマみた……な……わか、別れ……楽しめ……たで、しょ?」
 涙は無理矢理止めた。顔もグチャグチャだけど笑えてる。でも、声が震える。
「お前……」
 最後だから。キョンがいなくなれば泣いてもいいから我慢しなさいあたし!
「早く電車に乗りなさいっ! 週一で不思議があったか報告の電話しなさいよっ!」
 よく頑張ったわ、あたし。あと少し。キョンの背中を押して電車に押し込んで、見送ったら我慢はおわりなんだから。
「…………」
 キョンは無言でデッキから電車の席の方に移動して行った。
 ……おわり。さっきキョンが連れてってくれた端っこまで我慢したら……もういいよね。
「キョン、キョン……。好きだったのに、嫌だ。お別れなんてやだぁ……」
 今日一日泣いたら明日からはあたしに戻るから。だから今日だけはあたしじゃなくていいわよね。
「みんなが居てもあんたが居なかったら意味無いのよぉ……。行かないでよぉ……」
 発車のベルが鳴る。これで本当にさよなら。姿は見えないけどさよなら。
「キョン!」
 あたしは電車に向かって叫んだけど、電車はそのまま進んで行った。
 あたしの世界に色を付けてくれた人が居なくなった。また、色褪せて見えてくる。
 さっきまで赤いシャツを来てたあそこの人が、売店の青い看板が、全て色褪せて見える。
 こんな世界なら……こんな世界なら……いらな……えっ?
 なんでそこに居るのよ。どこまでが本当? あんたは本物なの?
 あたしの視界に唯一色がついて見えてる、そいつ。
「ハルヒ」
 本物。本物。本物のキョン。今すぐ近寄って問詰めたいけど……無理。足が動かない。
「……降りちまった。電車の中を通って次の車両から」
 こんなバカなことを言いながらあたしに近付いてくる。その度に少しずつ世界に色が戻ってく。
「最後の最後に涙なんか見せられたからな。3年間見たこと無かったのに」
 言い返したいけどもう声も出ない。涙を流して立ってるだけなんてどこの三流映画よ。ベタ過ぎる。
「泣かないでくれよ。残るから」
 そう言って、キョンに包まれた。その瞬間にあたしの世界に完全に色が戻った。
「好きな奴に泣かれたら安心して行けねーよ」
 好き? あたしを? じゃあ好きじゃなかったら行ってたのかしら。
「あーあ。こりゃ勘当されるかもな。金かかってるのにやっぱりやめた、だもんな」
 そうだ。あたしはわがまま言っただけだけど、キョンは……キョンは……。
「ま、しょうがないよな。お前に泣かれたらどうしようも無いし」
 ……神様。本当にいるなら聞いて。一回だけ、たった一回だけでいいから時間を戻して。
 あたし達が進路を決める前まで。お願いします。あたし、変わるから。
 ちゃんとキョンに想いを伝えるから。なんならあたしは居なくてもいい。
 キョンに迷惑かけるくらいなら居なくていい。だから時間を戻して。
「キョン……」
 あの夢の時みたいに何かを変えて。今度はあたしがキスしたら時間が戻っててもいいじゃない。
 実は今のこれは夢なのよ。たぶん、起きたらあたしはベッドから落ちてるの。
「ごめん。大好き……」
 グチャグチャの顔でキョンに口付けると、あたしの頭はグルグルと周り、意識が途切れた。


「ハルヒ」
「なによ、バカキョン」
 教室の中、あたしの目の前からキョンが体を捻ってこっちを向いていた。
「進路、決めたか?」
「進路なんて何処でも……」
 進路? なんかあった気がする。これだけは譲れない進路が。っていうか進路より大事なことが。
 あたしはキョンのネクタイを引っ張って外に出ようてした。
「バカ! やめろ、授業中だぞ!」
「関係ない!」
 そう関係ないのよ。なんだかよくわかんないけど今、言わなきゃいけないことがある。
 顔から火が出そうなくらい恥ずかしいこと。でも、あたしの中の一番信じなきゃいけない部分が言ってる。
 それをしなさいって。
「屋上なんか連れてきてなんなんだよ!」
 言いなさいよ、あたし。今さら冗談でしたじゃ済まされないわよ。
「あたしと……好き」
「は? あたしと好きってどんな日本語だよ」
 揚げ足取られたわね……。まぁ良いわ、ちょうどいい練習になったから。
「あたしは! キョンが! 好き! ……これなら日本語として分かるわよね?」
「……正気か?」
「そこは『本気か?』って言いなさいよ」
「悪い。本気か?」
 あたしはキョンのネクタイを引っ張った。でも、今度は移動するためじゃない。
 距離をゼロにするため。
「おわっ……ちょっ……は、ハルヒ!」
 暖かい。落ち着く。この距離は初めてなのに初めての気がしない。
「あんたがOKを出すならあたしを包みなさい。ダメなら突き放して」
 キョンは思ったよりも悩まずにあたしを包んでくれた。とても早く、そして優しく……。
「駅での再現……か?」
「何言ってんの? 駅? 気でも触れたの?」
 キョンが息を吐くとあたしに当たった。そして少し微笑んだ。
「なんでもない。ただの妄言だ」
 ほんとわかんない。でもね、告白に成功したらこれだけはって決めてたことはあるの。
「どした?」
「一緒に勉強して、同じ大学に行くわよっ!」


おわり


|