終章 【快晴】
「遅いな」
 手元の時計を確認してから俺は思わず呟いた。約束の時間はとうに過ぎている。
 あの負けず嫌いなハルヒが俺に遅れをとるという事は酷く不吉な事に思える。
 ハルヒ絡みの有事は正直な話、この間の一件でもう十分だろうと思う俺だ。
 高校を乗っ取る秘密組織があったり、一介の男子高校生が拳銃をぶっ放したり、
 あげくの果てには宇宙人を相手に絶望的な決闘……。
 そりゃ、非日常が楽しくないと言ったら嘘になるが、限度があるだろう。
 何より、事の中心に居るとはいえハルヒを巻き込まないでもらいたい。
 厄介きわまりない力を持ってるし、
 それが一歩間違えれば世界を消し飛ばすなんざわけもないってのも知っている。
 だが、俺たちは――俺だけ、でも、あいつらだけ、でもないまさしく『俺たち』は――
 一年間をあのハルヒと大筋無事に過ごしたんだぜ?
 この先もそんな日々が続かないという保証はない。
 いや、続くと俺が保証しよう。
 きっと言葉少なに、でも他の誰より強く長門も、
 やけに遠回しで気取った言い方で古泉も、
 少し困ったように首を傾げながらも微笑みつつ朝比奈さんも、
 同意してくれる。それだけの確信を抱かせる物がハルヒにはあるんだ。
「どうしたんだよ……」
 ああ、ところで状況の説明がまだだったな。
 だいたい察しているだろうが、俺はハルヒを待っている。
 なんでそんな事をしているかと言うと、あのくそったれな事件の最中にした約束を果たすためである。
 時間もまだありそうだ。『あの』後の事を少し思い出してみよう。


………
……


 ハルヒが眠りについた後のことである。
「さて、どうすっかな」
 思わず呟く俺に対し、古泉が顔を近づけつつ提案があると言い出した。
「顔が近いぞ」と、思わず体を反らしながら抗議する。
「失敬。もっともこれは我々だけでは実行できないのですが……」
「言うだけ言ってみろ」、一瞬で却下してやるから、と心のうちで続けておく。
 古泉は長門をちらりと見やってから、
「涼宮さんの記憶を――」
「却下だ」と、古泉の台詞を遮った。自分でもびっくりな反射速度だ。
 予想通りに来るとは思わなかった。回りくどいのがお前だろうに。
「結果が分かりきっていますから。ですが……」
 目が細められる。
「彼女にはどのように説明するつもりですか?」
 俺は幸せそうなハルヒの寝顔に視線を落としてから、また持ち上げた。
「一つ残らず。……たぶん、大丈夫だろうと思う」
 古泉が右手を伸ばし、俺の襟をつかみ、
 俺の口調そのままに「『たぶん』」と発し、そして唇をゆがめる。
「なんだよ?」
 その皮肉な笑顔はよ。俺は少々乱暴目に古泉の手を振り払う。
「そのような曖昧な確信で世界を混沌に陥れるつもりですか?」
 ああ、そうだったな。お前は世界の平和を守るヒーローだったな。
「なら、言い直そうか」
 俺が問うと、悪役のような笑顔が古泉の顔に浮かんだ。
「結構です。取り繕った言葉には何の意味もない。
僕が聞きたかったのはあなたからの『大丈夫』のただ一言です。
そしてそれをあなたに言わせた根拠です」
「そうか。……残念ながら確たる根拠はねえな」
「ならば僕がすべき事は一つです」
 古泉は笑んだ。思わず身震いするようなすごみのある顔だ。それでも俺は言う。
「俺には根拠のない自信と、奇妙な事だが、信頼しかないもんでな。
お前風に言うなら『分かってしまうならしょうがない』、ってやつだ。
何とでも言え、止めてみせろ。どうせなら機関総掛かりでもいいぜ?
だけど俺はこいつを訳の分からないままで、物事の中心に置いておくのはごめんだ」
 あまりに理不尽な出来事の中にいたハルヒは、とても弱々しく見えた。
 それが見たくない、……俺のわがままだろうか?
 その人物が普段は見せない表情を見たくないと願うのは?
 ……実際、わがままなのだろう。人に聞くまでもない。
「彼女の持つ力は人が自由にふるっていいものではない」
 わがままと気づいたなら、次に俺はどうすればいい?
「もし、世界が改変されるようになったら一体誰が責任を取るのですか?」
 ああ、そうか。随分簡単な事で話はすんでしまう。
「改変なんてさせないさ」と自信を持って言い切る。
 眉を持ち上げる古泉。理由を聞きたそうな顔をしてやがる。
「俺たちはSOS団だからな。
あいつを飽きさせなんてしない。この世界に絶望なんてさせやしないさ」
 わがままだと気づいたなら次は、そう言う事があるのを前提に生きていくしかない。
 ハルヒを傷つけるような物を事前に取り除いて、
 それがかなわなければせめて、そばに居て励ましてやる。
 それくらいの仕事はあんだろ、何せ俺はあいつの一生下僕らしいからな。
 いつか呼び名が変わる日が来……いや、妄言だ。忘れろ。
「責任を取れますか?」と古泉は言った。
 俺は唐突に気づいた。古泉の奴はいつもの安売りスマイルを浮かべていやがる。
「雑用係にそれを求めるのか、副団長殿?」
 俺は肩の力を抜いて聞き返した。
「僕はこの団の一番最後の団員ですから。
一番古い団員のあなたにそれを求めても問題ないでしょう。涼宮さんの理解者の役目を」
 冗談じゃない、あいつの感情を読むのはお前に任せる。
 俺が出来るのは「やれやれ」と呟きながら、
 あいつを背後からネズミみたいな力で引き止めるふりしてついていくだけだ。
「その『ネズミみたいな力』が重要なのですよ」
 そうとは思わないけどな。結果は同じさ、あいつが暴走して終わるんだ。
「まあ、それはそれとして、彼女にはいつ話しますか」
「今すぐってわけにもいかないから、今週末だろうな」
 古泉はあごに手を添えて考える仕草を見せた。
 しばらくしてから一人でうなずいている。……気持ち悪いな。
「ところで、この件を僕たち以外の人にとってなかった事にしたいのですが」
「なんでだ?」
「平穏な学校生活のためにですよ。彼らは涼宮さんの名前をだした。
それを聞いたこの学校の生徒は、もう涼宮さんと普通に接する事は出来ません」
 それは古泉一人あるいは機関だけで出来る物か?
「いえ、長門さんに協力してもらいたい。対外的、政治的な物は僕らがもみ消します。
長門さんにはこの学校の生徒の記憶を改ざんしてもらいたいのです。
特に涼宮さんの名前が出たあたりを」
 俺と古泉は長門に視線を移した。当の長門はどこか一ヶ所を睨んでいる。
 そして小さくうなずいた。古泉は一つ安堵の息をつき、
「それから後は全てあなたに任せますよ」と、言った。
 あからさまに放り投げやがったよ。……俺の仕事だけどさ。
 そして目の前に差し出されるお茶。お茶?
「どうぞ」と微笑むのは誰あろう、地上に舞い降りた天使、
 荒れた部室に咲く一輪の花、俺の心のオアシス、未来からの訪問者、朝比奈さんだ。
 俺は礼を言いつつお茶をすする。……そうだ、未来と言えば。
「古泉、時間移動の感想はあるか?」
 古泉が砂糖かと思ったら塩だった事に気づいて死にそうなアリの顔をした。
 そして顔に苦笑をにじませ、「なかなかきついですね」と言った。
 あと一つ疑問を解決しとこう。俺には理解できない物だろうけど。
「なあ、長門。お前が元に戻った何とか原理ってどんなのだ?」
 長門は全てを飲み込むような深い瞳で俺をじっと見つめた後、
「……循環可能な時間軸において、相対的な未来の出来事が過去に影響を及ぼし、
理論上始点が無限過去に設定されること」
 聞いといてなんだが、やっぱり全く分からん。
「たとえ話をしましょうか?」
 そう言って割り込む古泉は実に楽しそうだ。
「……半分以上忘れていいならな」
 俺の言葉を聞きながら説明を始めるあたり本当に解説が好きなんだな。
「タイムトラベルを思い浮かべて下さい。
ある少年がある男性からタイムマシンの発明方法を教わったとしましょう」
「その少年が大人になって、理論に従いタイムマシンを作ってふと気が付くのです。
あのときの男性が自分であった、とね。
そして彼は過去にもどり、少年時代の自分にタイムマシンの発明方法を教えるのです」
 そこで俺を向きながら軽く片目をつぶった。うえ……。
「では、問題です。一体誰が最初にタイムマシンを発明したのでしょうか」
 ……。考える気にもならん。
「そこで今回のケースに当てはめてみましょう」
「いや、いい」
 たった一つのことが分かった。それだけでいいんだ。それは、
『SOS団は無敵』
 ……おい、長門。被ったな?
「問題がある?」
 首の傾斜がいつも以上だが、いいや、全くないぜ。
「その通りだからな」
「そう」
 長門がうなずく、俺もうなずく。
『そうですね』
 今度は古泉と朝比奈さんが被った。
 それから俺たちは笑い出した。長門は普段より雰囲気が柔らかくなっただけだったが。
「んー……うるさいわね」
 そして俺たちの先導役、ハルヒが目を覚ました。
「なあ、ハルヒ。今度の土曜日は、暇か?」
 俺は勢いに任せて問いかけた。
「……暇なら、何よ?」
 俺は笑いを抑え、まじめな声で宣言した。
「全部、話す。だから、十時にいつもの場所に来てほしい」


……
………


 以上が、俺のここに居る理由の全てである。
 そして俺だけが、ここに居る。
 ……要するに他の三人はすっぽかしたわけだ。
 直前に三人から立て続けに電話が入って来たのだ。……やれやれ。
 ……しかし遅すぎる。


 もしかしたら。
 ハルヒは怖いのかもしれない。
 自分の知らない秘密を知るときの期待まじりの恐怖、
 そう言う物を感じているのかもしれない。
 あるいは、今までの『日常』が壊れる事への恐怖かもしれない。
 俺に思いつくのはそのくらいの理由だけだ。
 そんな迷っているハルヒに俺は一言だけ言いたい。
 「大丈夫」だと。
 誰もお前から離れないし、今までと態度が変わる事もない。
 もし、おびえてるんなら、俺に言ってくれ。
 普段はお前にリードされている俺だが、たまにはお前の手を取って引っ張ってもいい。
 ふと、強くそう思った。
 だから、お節介かもしれないが俺は歩き出した。
 たどり着いた先でハルヒがどんな顔をしているか分からない。
 けど、俺が帰る頃までには笑っていてほしい。
 この、久々に顔を見せた太陽のような笑顔を……。
Fin.

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