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「最後の最後で、“ゴム”に穴が開いていたりしたら面白いと思ったんだが……何事もなかったね」

 毎度佐々木が寄越す皮肉めいた言葉を背中に受けながら、トランクス一丁の俺は部屋に放っておいたシャツを取る。
 否応になく目に入る絨毯、それから視線を泳がせて窓を閉め切っている厚めのカーテンも見ると、俺の部屋とは比べものにならないほど綺麗で高価なことが一目でわかる。家人のランクと、そこから派生するセンスが窺えるというものだ。これが生活格差というヤツかね。
 今日で、この部屋に来ることもないかと思うと、些か名残惜しいものを感じる。
 中3の身分で親の目を盗み、同級生と情事を繰り返して来た俺が今更片腹痛いと我ながら思うけどさ。
 俺は嘆息交じりの自嘲を伴い、シャツの次に、床に乱暴に投げ捨てていたYシャツの皺を気にしつつ袖に腕を通す。傍に落ちているシンプルな女性ものの下着が目に入る。

「おい、春めいた気候になって来たとはいえ、さっさと服着ないと、もうすぐ卒業式だってのに風邪を引くぞ」

 ベッドのほうへ振り返ると、佐々木が手慰みに、しぼんだゴム風船の成れの果てと言っても過言ではない物体の口を結わえ、それを指でつまんで、ぶらぶら揺らしている。……悪趣味としか言いようがないな。

「失敬だな。僕も最後の余韻に浸っているんだよ、これでもね」

 喉の奥を鳴らすような、いつもの低い笑い声を洩らす佐々木だが、すぐに終わる。
 佐々木の顔も、胸許もまだ微細な汗の玉を浮かべ上気している。その胸許から下を隠していた布団を、佐々木は無作法に蹴り退けて、ベッドから下りた。
 スレンダーな肢体が露わになる。前述した女性ものの下着は、言わずと知れたこいつのもの。すなわち、佐々木はまさしく生まれたまんまの姿でいる訳だ。
 ……ったく、こいつが指にぶら下げているゴムに、しこたま白濁液を吐き出したばかりにも関わらず、俺の“息子”がまた頭をもたげて来る。悲しいかな、男の習性……いい加減、見飽きても良さそうなもんなのにな。佐々木の挙措ひとつひとつが、今日はやけに扇情的に見えてたまらないせいか。

「まだまだいきり立っているじゃないか……君の“分身”は」

 くくっと声量を抑制した失笑を見せ付けて佐々木は、俺のYシャツの腕に、己が裸身の腕を絡め、更に、その手を俺のトランクスの膨らみへと伸ばす。
 だが、佐々木の手を俺は掴み、それ以上の侵入を禁じた。
 シャツ越しに密着されている佐々木の肌の体温が、俺の脳髄に官能的なパルスを断続的に送って来ているものの、俺は必死に抗った。

「……互いに熱に浮かれて身体を求めるのは終わりにするんだろ。今日で好き勝手にやるのは卒業だって言い出したのはお前だろうが。なら、もう終わりにしようぜ。自分の意志で我慢してみせて、綺麗に終わったほうが良くないか」

 これだけを腹の底から声にして搾り出すのに、俺はどれだけ臍の下に力を注いだことやら。直近から佐々木が俺を見上げているもんだから、極めて形勢は不利だった。
 体温の上昇によるものか、佐々木の瞳は若干潤んでいた。あの佐々木が、こんな目で見つめて来るんだ……少しでも気を緩めたら、すぐまた佐々木のか細くも熟れ始めた肉体を抱きすくめて貪りそうだった。
 このとき、少なくとも俺の視界のほうは佐々木に独占されていたから尚更だ。
 俺に手首を掴まれていた佐々木の腕から、不意に力が抜けた。その弛緩のついでとでも言うように佐々木の口許が微かに緩む。ただ、それは大変心許なく見えて……俺は佐々木の腕を手離せずにいた。
 けれど、佐々木はそんな俺など意に介さずに、苦笑を相貌に貼り付け言葉を紡ぐ。

「やれやれ……まさか、キョンに窘められる日が来ようとはね」
「最後ぐらいカッコつけて終わりたいからな、男として」

 やせ我慢は男の美学なんだよ。
 ここで逆に佐々木は我慢しかねたように噴き出した。
 俺の前で、ここまで佐々木が大っぴらに笑うなんて初めてだぞ。
 佐々木の家族が不在でよかった、いたら、この娘の馬鹿笑いに何事かと思って駆け込んで来ること請け合いだ。ま、いないからこそ、俺たちはついさっきまで性行為に盛んだった訳だがな。

「あはははは、君にもカッコつける甲斐性があったなんてね」

 気のせいか、えらく貶されているように思うのは。

「いや、すまない。悪気はないんだ。しかし、カッコつけて終わるのもいいが、笑って終われるというのも、いい〆方じゃないか」

 そう言いながら、佐々木は涙が出るくらい爆笑したらしく目をこすっている。
 それにしたって笑い過ぎだ。
 憮然としている俺に佐々木が声をかけて来る。

「ところで、キョン」
「何だ」
「そろそろ、僕の片腕を離してくれないかな。運動の後で身体があったまっているとはいえ、汗で冷えて体調を崩すことは、先の君の発言のとおり大いに有り得ることだからね。このまま風邪を引いたら君に医療費を全額負担してもらわないといけなそうだ」

 佐々木の長ったらしい言い回しが終わらぬ内に、俺は動転して諸手を挙げていた。
 とどのつまり、佐々木の手を離すのを俺はすっかり失念していた訳だ……何やってんだかなあ、俺は。口でカッコつけたこと言っても、内心佐々木の肉体に未練たらたらと思われても仕方ないぜ、これじゃ。


「そういえば、キョン、君は覚えているのかな? 最初の日を」

 ブラジャーのホックを留めるため両手を回している佐々木の背中を、何もすることがないのでベッドに腰掛けて眺めていた俺の手持ち無沙汰を気遣ってか、佐々木が話を振って来た。
 但し、本当に何もしてなかったのかと問い詰められれば、俺は「NO」と答えたに相違ない。
 佐々木が器用にホックを留める仕種は指先の動きをはじめとして、滑らかにしなう背中とか、何とも言えないそそられるものがあってだな……おまけに、肩に届かない程度に伸ばされた髪が中途半端に汗で貼り付いて邪魔臭いとか言って、あまり長くない髪をポニーテール気味にまとめてくれやがったから、なまめかしいうなじがホントいい眺めで、正直たまりません……つーことで一人鑑賞会を満喫していたところだったもんでな。
 いやはや、俺が妙なフェチズムに目覚めたとしたら、佐々木のせいに違いない……ほかの連中に口外して墓穴を掘るつもりは毛頭ないが。
 それに集中していたせいか、俺は間の抜けたことを訊き返していた。

「最初って、何の最初だ?」
「女のほうにそれを言わせるつもりかい? これじゃ男としてカッコつけるとか以前の問題だと“親友”として諌めておくよ、キョン」

 佐々木が呆れ顔で俺の顔を見つつ、一方で得意げに目を細めるという複雑な表情をひけらかす。さっき俺に窘められたことを忘れていなかったらしい、そんな些細なところもおろそかにしないのが佐々木らしいって言えば、それまでの話なんだけどさ。
 下着を装着完了した佐々木は手を当てた腰を折り曲げ、ベッドに座っている俺に視線を合わせる。
 そこまで言われりゃ、俺だって皆まで訊くほど野暮じゃないさ。
 あれは、もう1年ぐらい前になるよな。塾で一緒だったことをきっかけに、話す機会が増えて自然と行きと帰りも一緒になることが多くなり出した頃の話だ。あのときは面食らったぜ。塾の帰りに家までお前を送っていったら、両親が明日まで留守と来たもんだ。
 で、「年頃の少女ひとりで夜を過ごさせるなんて無用心だと思わないかい?」なんて、よく言ったもんだな、お前も。

「よく覚えているね、その記憶力を勉学に活かせればいいのに」

 佐々木は嬉々として俺を揶揄するが、俺だって常日頃から学習活動に役に立てばと切に願っているさ。しかし、悲しいかな……授業内容を1年も覚えていられた前例は未だ嘗てない。

「人間、どうでもいいことは覚えないものさ。残念ながら、キョン、君が今日まで受けて来た授業に君の関心を引くほどのものはなかったということだね」

 俺の都合9年に及ぶ勉強に費やして来た歳月をあっさり否定して、佐々木はくつくつと愉快そうにくぐもった笑い声を立てる。
 佐々木、お前が暗に仄めかしているとおり、お前との関係が、俺のこれまでの生涯で忘れ難い記憶ナンバー1にノミネートされていることは否定できやしないさ。多分、平均寿命以上生きたとしてもトップは変わらないことだろうよ。

「しかし、それで無警戒に僕の家に上がる君も君だと思うんだよ、キョン」
「警戒ってな、あのときの俺よりお前のほうが使うべき言葉だと思うが」
「僕を女として見ていなかったくせに……あれは些か女として傷付いたよ」

 佐々木はおどけた風に、口をアヒルのように尖らせた。
 それを言われると弱い。謝るしかない。
 ぶっちゃけ、あのときは性的な意味で佐々木を女として意識していなかったんだ、これっぽちも。小学校の頃とかは好き嫌いはあっても、そういう対象として異性の同級生を見たりしないだろ、その延長線上みたいなもんさ。ましてや、相手が一人称で「僕」を使うような風変わりな奴だったから、ますます女として見ていなかった。
 だから、油断があったんだな。
 佐々木を異性と見てはいなかったが、俺とて健全に思春期入りたての年頃になっていた訳で、親しい仲間たちと、それなりにそっち方面の話だってしていたものの……まさか、人生初の成人指定ビデオを、女の家で見ることになるとは思わなかったぜ。あのときは内心、「すまん、俺は一足先に大人になるぞ」って友に詫びること頻りだった。
 しかし、その後、ホントに“大人”になろうとは夢にも思わなかった。 そのうえ、佐々木を女として認識せざるを得ない羽目に陥ろうなんてな。

 ――僕もね、濡れて来ているんだ。僕の処理に付き合ってくれると有難い。
 ――発情するのは動物にとって、ごく普通のメカニズムだ。人間がおかしいのは、それが慢性的になっているからなのさ。だから、僕は『病』だと、“それ”を称する。
 ――無理強いはしない、君にとっちゃ騙し討ちに遭ったも同然だろうからね。でも、君の“分身”はもう収まりがつかないようだけど……。

 ……多くは語るまい。かくして、俺と佐々木は恋愛感情とか一切抜きに肉体関係を結ぶことになったってだけの話で、その後1年間も、佐々木曰く「肉体の相性がいい」らしい俺を佐々木が両親の不在の折につけて家に誘い、俺たちふたりは性欲を鎮静させる為の行為に精を出す関係へと至ったことは、現在の状況から容易に想像がつくだろう。恋人ができる前に童貞卒業なんて、あまり他人様に自慢できることじゃないね。

「君は今まで僕が処女じゃなかったことについて何も言わなかったが、正直、どう思っているんだい?」

 下着姿のまま上体を屈めていた佐々木は、俺を舐め上げるように見上げた。ちょっと挑発的な物腰だった。
 俺自身は、不思議と冷静で「あ、やっぱり処女じゃなかったんだ」とそれ以上もそれ以下の感想も浮かばなかった。友人たちの猥談から仕入れていた予備知識と照らし合わせて疑問に思っていたことは確かだが、破瓜の血で他人の家のベッドを汚さなくて良かったと最初に済ませたときは安心したもんだ。個人差があるというから、こんなもんなのかなと自身を納得させていたりもしていた。
 それよりも俺が質問したいのは――。
 いつも使用済みコンドームをどうやって始末しているんだ、とか。
 そもそも、以前の子供には見せちゃいけないようなビデオといい、どっから仕入れて来ているんだ、とかだな。
 そっちのほうが、よっぽど訊きたいね、俺は。
 俺は正直に自分が謎に思っていることを明かしたのだが、佐々木は勘繰るような目つきを俺に寄越す。

「僕は君以前に、少なくともひとり別の男性と寝ているんだよ。僕のことを淫乱と思ったり……君と付き合っている間にも、ほかの誰かとも関係を結んでいるとか疑ったりもしなかったのかい」
「ああ? そんな奴じゃないだろ、お前は。仮にそうだとしても、俺が疑ったところで尻尾出すヘマなんてしない奴だって俺は知ってる、なら、疑うより信じるさ、友人として」 

 冷たいと言われるかもしれんが、俺は佐々木の親友として、こいつが自分から話そうとしないプライベートに立ち入るつもりはなかった。佐々木が、ほかの人間には見られたくないだろう部分を、弱さを俺に曝け出したことに返せる、親しき友に対する俺流のせめてもの礼の尽くし方のつもりだ。
 佐々木は意表を突かれたようにポカンとしたあと、また哄笑に及ぶのをこらえるような表情になった。

「ふくくく……ホントに君はおかしなところで現実主義者になるんだな」

 佐々木はにやにやしながら先ほどの俺の疑問に応じる。

「僕は両親に信頼されているからね、あれこれ詮索されることも、とやかく言われることもないから、気軽なもんさ」

 誇って言えることじゃないだろう。

「そう言わないでくれよ。僕だって両親には後ろめたさぐらい感じる。けど、もう済んだことにくよくよしても始まらない」

 佐々木は大仰に肩を竦めた。こいつのことだから、口では飄々と言いながら、結構苦労しているのかもしれない。
 それはそうと、いい加減、服を着ろ。ホントに風邪を引くぞ。

「くくく、君がそういう奴だから、親友として道を踏み外すことなく節制できたと僕は思っているよ、キョン」

 学校帰りだったから、俺は制服だが、佐々木は自宅ということもあって私服へと着替えた。
 卒業式まで、もう佐々木の両親が家を空けたり、帰りが遅くなることはないそうだ。言い換えれば、佐々木と俺が行為に及ぶ機会はもうない。だから、区切りをつけるにはいい頃合だと思ったのは、俺と佐々木の共通の認識だった。
 健全な中学生には似つかわしくないことをやるだけやっておいて言うのもおかしな話だが、子供の火遊びで済ませられる年齢じゃないという節目が、俺と佐々木にとって中学卒業というイベントだったのだ。これからは、大人として自分の行動に責任を取ることを心がけなきゃいけない、だから、軽々しく身体を求める関係を終わりにしたいと先日佐々木から言い出されたとき、俺に異論はなかった。
 俺と佐々木の進学先が異なることも丁度いいと俺は思っていた。 こればっかりは佐々木に言えやしないけどな。
 何故なら、今暫くは我慢できていても、高校でも佐々木と顔を合わせる毎日を過ごしていたら、俺は低俗極まる衝動を抑え切れるか自信がなかったんだ。
 佐々木は俺のおかげで節度ある関係を維持できたという風なことを言ってくれたが、俺を過大評価し過ぎだ。俺は、そんな上等な奴じゃないんだよ。佐々木、友人としてのお前の信頼を俺が裏切らずにいれたのは奇跡的なことなんだ。

「馬鹿だな」

 胸中を見透かしたようなタイミングの発言だった。
 脱ぎ捨てていた制服を片付け終わった佐々木が、そう短くぽつりと言って俺の隣に座る。そのまま、その華奢な身体を俺にしなだれさせる。

「おい」
「せっかく笑って終わりにできるって言ったばかりなのに、辛気臭い顔をしてくれるなよ、キョン」

 俺の肩に体重を預けながら佐々木は告げた。
 その科白、そっくりそのままお前に返したいところだ。

「君は、もっととは言わないが、もう少し自分を評価すべきだ」
「そうか」
「そうだとも」

 それはいいが、肘に柔らかいものが当たっているんで、どうにかしてもらえないか。

「くくっ、当てているのさ、キョン」

 実に楽しそうな含み笑いを佐々木は無造作に閃かせた。1年前より順調に発育している胸をわざわざ擦り付けるこいつに対し、小悪魔って形容が俺の頭に降って湧いた。

「おい」

 思わず咎める俺に佐々木は一向に何食わぬ顔のまま言って見せる。

「ほら、君はこうして僕を大事にしてくれるじゃないか。“親友としてなら”、その美徳はいつまでも忘れて欲しくないものだと思うよ」

 押し倒してやろうかね、と一旦考えてみて俺は実感する。
 今の佐々木に対し、そんな無体をしでかす気がさらさら起きない自分を、だ。
 どうしてって?
 決まっている。俺にとっても、こいつが最も気の置けない大切な友人だからだ。
 結局、佐々木が見透かしているとおりってことか。
 そのことを俺はしみじみ思い知らされたものだった。

<完>

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