第3話
False Happiness

 


「・・・は?」
 ちょっと待て。こいつ今・・・、何て言った?
「だから、好きよ、って。涼宮さんには悪いけれど」
 何でそこでハルヒの名が出てくるのかが分からない・・・。いや、それよりも。
「それとも・・・、私なんかじゃ、イヤ?」
「イヤもなにも、展開が急すぎる。せめてもう少しゆっくり・・・」
「それもそうね。じゃ、まずはお友達からって事で」
 頭が痛くなってきた。そういうことじゃなくてだな。
「返事、いつでもいいわよ。でもなるべく早めに。早くしないと時間が・・・」
「時間? 何のことだ」
「あ、いや、こっちの話。じゃね、キョン君。また明日学校で」

 一方的にまくし立てて走っていっちまった朝倉を見送った後、俺は考え込みながら家路についていた。
 何か妙だったな。好きだ何だのくだりもさることながら、何かこう・・・、焦っているような。
 とりあえず、明日この一部始終を誰かに目撃されて動物園のパンダ並みに見世物にされるのだけは避けてほしいところだ。
 物事を考えるのは後でも出来るからな。今考える必要はないだろう。

「よぉキョン、てめぇついに朝倉さんにまで手ェ出しやがったそうじゃねえか・・・」
 あぁくそ、どうして俺の祈りはこうもことごとく逆方向に働くんだ。
 翌日、登校した俺は、校門の影で待ち伏せしていた谷口に羽交い絞めにされ、こうして尋問を受けることとなった次第である。
 というか、どうしてお前が知ってるんだ、谷口。
「涼宮が落ち込んでてな、さすがに気になって聞いてみたら・・・。
 っておい、キョン?」
「涼宮が落ち込んでて」までしか聞いてなかったが、俺にはそれで充分だった。
 ヤバイことになってる気がする。

「でね、昨日キョンったらさ・・・」
 ヤバイことになっていた。別の意味で。
 朝倉が恥ずかしそうに顔を赤らめている横で、団長様が昨日のことをクラス中に言いふらしていたのである。
 どうやら全部見られてしまったらしい。
「おいハルヒ、何だこれ。どういうことだ」
 声をかける。俺に気がついたハルヒはほんの僅かな時間だけ硬直、複雑な感情が入り混じった(ような気がする)瞳で俺を見上げると、
「おめでとう、キョン。朝倉とお幸せに」
 張り付いたような笑みでそれだけ言って、また語りに戻ってしまった。
 ぜんぜん落ち込んでねぇじゃねえか。谷口は何を見たんだ? 幻覚か?
 ただ・・・。今日のハルヒは、何となく無理をしているような気がするが。

 SOS団の活動も終了した、放課後。
 自分の部屋で、俺は以前、ハルヒが言っていたことを思い出していた。
『あたしはね、キョン。恋愛なんて精神病の一種だと思ってるけど、だからって人の恋路を面白がって邪魔するようなことはしないわよ』
 朝のあれも、・・・ひょっとして、あいつなりの応援のつもりだったのだろうか。
 何て回りくどくて、一歩間違えば大惨事に発展しかねない危険な応援なのだろう。
 そこまで考えたとき、携帯が鳴った。ディスプレイに表示された名前は―――。
「・・・朝倉?」

『涼宮さんに番号を聞いたのよ』
そういや、今朝から何かはしゃいでたな。何がそんなに面白いのかね。
『面白いって・・・。ねぇキョン君、今日、涼宮さんと何かお話しした?』
そういえば。
「いいや、してないが。それがどうかしたか?」
『今すぐ、涼宮さんに電話して、できれば会ってきなさい』
「はあ? 今からか?」
『い・ま・す・ぐ!』
「何でだよ。またアレか、情報爆発がどうとかいうやつか?」
『いいえ、違うわ。
 情報統合思念体も情報爆発も進化の可能性もまるで関係ない。
 私は一人の女として、涼宮さんに会ってあげてほしいの。じゃね』
 電話が切れた。
 俺、何か悪いことしたか?

 俺はハルヒを呼び出した。待ち合わせ場所はいつもの、長門のマンションの近くにある公園。
 俺にだって頭は人並みにあるんだからな。色々と考える事だってできるのさ。
 例えば―――。朝倉の言葉の、そして今朝からのハルヒの態度の意味を考えるくらいはな。
「なあにキョン。こんな時間に呼び出したりして」
 我に返る。目の前にハルヒが立っていた。
 とりあえず、横に座るように促す。
「なあハルヒ―――」
「あーあ、でもびっくりだなあ。まさか転校してきたばっかりの朝倉がキョンに告白するなんて」
「・・・ハルヒ?」
「やっぱり去年の春から好きだったのかしら? そうね、朝倉ならあり得るかも―――」
「・・・・・・おい!」
 強引に肩を掴み、振り向かせる。
 ハルヒはいつものように拒絶するでもなく、振り払うでもなく、・・・その綺麗な顔に、
「・・・なあに、キョン?」
 作り物のような、張り付いた笑みを浮かべていた。
 思わず、背筋が寒くなる。
「なあハルヒ。俺は朝倉とは―――」
「付き合ってるんでしょ?」
 やはり、俺の言葉を遮るように言う。俺は意を決した。
「・・・いや、ハルヒ。何でもない。それより―――」
 逆効果になるかもしれないが、これしかかける言葉が思いつかなかったから。
「無理、するなよ」
 変化は、劇的だった。
 ハルヒの笑みが消滅した。代わりに現れたのは、くしゃくしゃな泣き顔。
「ふえ・・・。ええぇ」
「ハルヒ・・・」
「バカッ・・・。ばかぁ・・・。あんた、ひっく、あた、あたしの気も、知らないで・・・」
「ハルヒ・・・、ごめんな」
「なんで・・・、あんたが、ぐすっ、あやまるのよぉっ、このばか、バカキョン、うっ・・・」
 限界が来たらしい。
「うわあぁぁん、ばか、ばかぁ、うえぇぇん」
 恐らく無意識に口をついて出ているであろう罵倒と、声にならない嗚咽と。
 初めて見た、子供のように俺の胸で泣きじゃくる団長を、俺はただ、抱きしめてやることしかできなかった。

 少し落ち着いてきたらしいハルヒは、小さめの声で静かに語りだした。
「あたしね、キョン。去年の5月頃から、ずっと、あんたが気になってた」
 真剣な、声。俺も、いつものように茶々を入れる気にはなれなかった。
「いっしょに映画を撮って、お祭りに行って、機関紙を書いて、夏と冬には旅行に出かけて・・・。
 同じ時間を過ごすうち、あたしは・・・、うん、あんたのことが好きになってた」
「ハルヒ・・・」
「あたしたちってさ、行く先々でハプニングとかトラブルがあったけど。
 ふふ、憶えてる? いつも、その度にあたしたちは乗り越えてきた」
 またも遮られる、俺の台詞。
 まるで、話し続けていなければまた、涙が溢れ出してしまうとでも言うかのように。
 俺の返事を聞いてしまうと、平静ではいられなくなるとでも言うかのように。
「あたしはね、キョン。自分のものを・・・、自分の大切なものを他人に奪られるのはイヤ。絶対にイヤ」
 急に話を変える。ふと、俺の心に一つの予感。
「・・・でも、でもね。そんなあたしのわがままで、その大切なものが、ひとが、傷ついてしまうのはもっとイヤ。
 大切なひとには、やっぱり幸せになってほしいから」
「ハルヒ、お前・・・」
「だからね、キョン。あたしは、今はあんたの一番には、なれないかもしれない。
 でも、あたし、がんばるから。がんばって、がんばって、いつかあんたに選んでもらえるようになるから。
 だからそれまでは・・・。あんたは、あんたの選んだ道を進んで、幸せになんなさい」
 それは決意。悲壮な、それ故に強固で美しい、決意。
「分かったらとっとと行きなさい。心配しなくても、帰りは一人で大丈夫だから。
 あ、それと、何があってもSOS団は辞めちゃダメだからね!」
 真っ赤に泣き腫らした目を擦りつつ、それでも綺麗に笑ってみせるハルヒ。
 分かったじゃあな、と言い残し、俺は逃げるようにベンチを後にした。
 背中ごしに再び嗚咽が聞こえてきても、俺はもう、振り返らなかった。

 公園を出て、空を見上げる。
 頭上に広がる満天の星空に向けて、俺はただ一言、呟いた。
「最低だな、俺・・・」

 

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最終更新:2020年06月23日 03:15