四章 【収束】
 女が包帯が巻かれた俺の足を見る。
「あら、その足……」
 女は分かっていたと言いたげな顔をして、やっぱりねと呟いた。
「あなたが涼宮ハルヒを撃てるはずがないわね」
「……」
「まずその物騒なものから手を離して」
 ひきつった笑みの谷口が視界の隅に写る。
 ……俺がここで扉を閉めたらどうなる? 谷口は殺されるのか?
 大人しくハルヒを連中の手に渡したらどうなる? 命の保証しかしてくれないだろうな。
 恐らくハルヒの能力が喪失する日までハルヒが笑うことはないだろう。
 ――さあどっちだ、俺。
 助けるのはハルヒか谷口か。いや、谷口じゃないな。……ハルヒかこの学校の生徒か、だ。
 俺の中の何かが囁く。


 ――いいじゃないか、扉を閉めちまえよ。
 ――『俺』はハルヒの為に体を張った。
 ――もしかしたらその手で人を殺めたかもしれない……ハルヒの為に。
 ――それくらいの覚悟をこの目の前で震えながら笑ってるアホに求めたっていいじゃないか。
 ――閉めてしまえばいい。
 ――学校の奴らが全員殺されるようが何されようが、生きたもん勝ちだろ?
 ――「人質」を殺せば殺すほどこいつらを守る盾は減っていくんだ。
 ――そんな事をすれば自分の首を絞める事になるくらいあいつらは分かるだろう。
 ――それに死んだってあれだ、ハルヒの力で全て『無かった事』に出来るかもしれないぞ?
 

 俺の中の何かが答える。


 ……そうだ。確かにそうだ。
 ……ハルヒの力で全て無かった事にすればいい。
 ……そうすりゃもう、こんな馬鹿な事をしないですむ。
 ……今一旦『死んだ』としても後で『無かった事』になれば皆、無事、万々歳だ。
 ……結果的に誰も傷付かない。
 ……簡単だ。身を翻して扉を閉めるだけだ。それだけだ。
 ……それだけで後は目と耳を塞いで耐えるだけでいい。
 ……後は真実を話してハルヒに何とかしてもらう。
 ……俺はもう苦労しないですむ。


 しかしやはり俺は、拳銃を放り投げた。
 ――すまん。
「随分悩んでたみたいね」
 女が笑いながら言うが、余計なお世話だ、くそったれ。
「さて、それじゃあ……」
 女は首を絞めて谷口の意識を落とした。
 床に谷口を案外乱暴に横たえ今度は俺に銃口を向け近付いてくる。
 俺はハルヒの息をのむような小さな叫び声を聞いた。
 こいつはまず何をするんだろうな。俺、無傷じゃすまねえよな。
 いや待てよ。もう足に怪我してんじゃないか。なんだとっくに無傷じゃなくなってるな。
 あー、すまないな、ハルヒ。こんな力のない永久下僕でよ。
 ついでに、古泉やら朝比奈さんやら長門やらにも謝ろう。
 すまんな。俺が不甲斐ないばっかりにSOS団は不本意な終りを向かえちまうらしい。
 もうボードゲームで古泉をのせないし、朝比奈印のお茶も飲めなくなる。
 長門が本を読む姿も拝めなくなるだろう。
 本当にすまん。


「……?」
 これは? ……ああ、俺は夢でも見ているらしい。
 俺に銃口を向けてる女の後ろに朝比奈さんの麗しい御姿が見える。
 もしかして、俺は死ぬんじゃなかろうか。痛みはないが実はとっくに拳銃で撃たれてるとかで。
 だが、朝比奈さんのあいくるしいお顔を拝みながら死ねるならば本望だ。
 ……あー、なんだ……、うん、古泉? お前はお呼びじゃないんだよ、ニヤケ面エスパーめ。
 走馬灯ぐらいいいものを見させてくれよ。
 朝比奈さんと微笑を浮かべる長門だけでいい。そこに百ワットの笑みのハルヒならいてもいい。
 ただ、ゼロ円スマイルのお前は見たくない。
 お前が迎えにくる天国なら、地獄に堕ちた方がましだっての。
 てか、少し顔が蒼いぞ。まるで乗り物酔いみたいだぜ。
 何を笑ってやがる。そんなに俺は滑稽か? 祟ってやるぞ?
 疲れた笑顔のまま古泉は大きく手を振り上げた。
「ガッ……!」
 容赦なく女の首の後ろに振り下ろされた手刀。奇妙なうめき声をあげて倒れる女。
「……は?」
 何が、どうなってやがる……? この目の前の古泉と朝比奈さんは幻覚じゃない?
 古泉の青ざめた顔を見て俺は閃いた。
 まさか……まさかとは思いますが、時間移動ですか、朝比奈さん?
 だから古泉があんな吐きそうな顔してるんですか? つまり、
「助かった……のか?」
「どうも、遅れてすいません。道が渋滞してまして」
 どんな冗談だ、この野郎。
「……! キョンくん、その足……!」
 朝比奈さんが大げさに飛び退く。
「大丈夫ですよ、このくらい」
 あなたに心配されたらこのくらい一瞬で治りますよ。
「……みくるちゃんに、古泉くん?」
 ハルヒが呆然と言う。
「詳しくは後程。とりあえず部室に入りましょう」
「おう」
 廊下に寝かせとくわけにもいかないので谷口も回収する。のんきな顔して気絶してやがる。
「ちょっと先に入っててもらっていいですか?」
 古泉が誘拐女を見下ろして言う。
「……ああ」
 俺、ハルヒ、朝比奈さん……とおまけの谷口が部室に収容されると扉が一旦閉ざされた。
 扉の向こうで鈍い音が二度、三度と響く。
「……」
「……」
 沈黙の帳が部室に下りる。
 いくら何でも殺しちゃいない、よな?
「お待たせしました」
 古泉が手足を縛った女を部室の角に転がす。手と足が不自然に曲がっている。
 俺の視線を追った古泉がまた言う。
「お気になさらず。ちょっとした保険ですから」
 ……うん、それ無理。
「……」
 ほら、あのハルヒすら少し引いて……なかった。
 むしろ目から怪光線が出てる。
「古泉くん、説明して」
 ヤバいオーラが漂ってます。そっと一メートルくらい後ずさる俺と朝比奈さん。
 それだけの威圧感があるハルヒの視線も軽く受け止めている古泉。
「あと、ほんの少し待って下さい。事が済んだら僕のお話しできる範囲だけお聞かせします」
「今、すぐに、よ。訳が分からないのはもう勘弁して!」
 首をぐるりとひねり俺に”視線”と書いて”レーザー”と読みそうな光を放つ目を向ける。
「キョン、あんたからも何とか言ってやりなさいよ!」
 ……俺に話を振るか。
「ハルヒ。今日ばかりは不本意ながら古泉に同意だ。後で必ず話すから。
それにお前も言っただろ、今だけは言わなくていいって」
「ダメよ」
 なんと理不尽……!
「そこをなんとか頼む」
「ダーメ」
「この通りだ」
 俺は手を合わせて頭まで下げた。
「ダメったらダメよ」
「あのぅ……涼宮、さん?」
 近所の怖いおじさんに話しかける気弱な小学生のような朝比奈さんの挙動。
「何よっ!?」
 ハルヒの目が狼の目だ。
「ぴぅ……」
 ……そこで縮こまらないで下さい。何か言いたい事があったんでしょう?
「そそそうでひ……っ」
 口を押さえて悶える朝比奈さん。舌、噛みましたね。
「うぅぅー……」
「何なの、みくるちゃん?」
 ハルヒの目は三角、唇は見事にヘの字を描き、眉の傾斜は六十度くらいである。
「ひっ……あの、あたしもキョンくん達の言う通り、だと」
「成程ねぇ……。みくるちゃんもそう言うのね」
 カクカクと頷く朝比奈さん。
「そう」
 穏やかな声のわりに強く机に拳をぶつけるハルヒ。
「ねえ、あたしはもう我慢の限界に来てるの。意味の分からない連中に狙われてるし、
古泉くんはあっさりと拳銃なんか調達出来ちゃうし、
キョンは自分を犠牲にしてまであたしを助けようとしてる」
 ハルヒの視線が俺達全員を撫でるように飛ぶ。
「あたしは何なの? 古泉くんは? みくるちゃんは? 有希は?キョンは?」
 ハルヒは息を深く吸った。
「一体何だっていうのよ」
 その小さな声は俺の深いところに触れた、というか、……えぐった。
 一瞬本気で何もかも喋ってやろうと思ったほどだ。
「ハルヒ――」
「……んあぁーあ、俺は?」
 この緊迫した部屋の真ん中で間抜けな声をだしながら緊張感のきの字もねえ男が起きた。
「よう、キョン」
 余裕たっぷりに片手をあげる谷口。……殴ってもいいか?
「いや、待て! 意味が分かんねえぞ、キョン! 話せば分かる!」
 そうかい。


「ああ、すっかり思い出したぜ。……ホント、悪かった」
 心持ち顔が膨れた谷口が神妙に言う。
「だがよ、銃を向けられたらどうしょうもねぇだろ?」
 まあ、それを否定しようとは思わんがもう少し動揺した声色でも良かっただろう。
 すっかり安心しきっちまったじゃないか。
「実は俺、役者の才能あるのかもな」
 こんな状況にも関わらずにやける谷口。
「アホか。そんな無駄な才能をこんな場面で開花させるな」
「無駄ってのはなんだよ。この才能で俺のナンパ率もグーンとアップだぜ!」
 ほぼゼロが何を言うか。
「だが、キョン。ちょっと良いか?」
 真剣マジな顔で谷口は俺に言う。
「なぜそんな真面目な顔してるんだ。別に声を潜めて言うことでもないだろう」
 どうせ、とまでは言わずにおこう。
「……お前にしか訊けない話なんだよ」
 チラチラとハルヒを見ながら言う。
「……内容と聞き方によっては答えないぞ」
 そんなスゲー事は聞かねえとか呟きながら、
「ちょっと耳貸してくれ」
 気色わりいな。
「手短に頼む」
「おう」
 谷口がもったいぶった動作で俺に近づく。
「あのな……」
「キョン、離れて!」
 油断しきっていた俺がその一撃をかわせたのは、ひとえにハルヒの声のお陰だろう。
「なっ……」
 反射的に飛び退いた俺は、ついさっきま自分の首があったところを銀色の光が泳いだのを視認した。
「外したか……」
 いつの間に握っていたのかナイフを片手に呟く谷口。
「なにしやがる、谷口!」
「今度はうまくいくと思ったんだけどなぁ」
 女のような言葉遣いで谷口は言う。そしてどこかで見た事がある笑顔を浮かべた。
「なんであなた達はそう勘が鋭いのかしら」
 谷口の姿が歪み、一瞬光ったかと思えった次の瞬間、そこに朝倉が出現した。
「おひさしぶりね」
 マジかよ。
「……まずいですね」
「ひっ」
「朝倉? え、でも谷口が? 何これ? どうなってんの?」
 三者三様の反応。一人だけついていけないのはハルヒだが、多分それが正常な反応なんだろう。
「なぜお前がここに居る。消されたはずじゃなかったのか」
 朝倉の笑みが深まる。
「ええ、でもこの通りよ」
 再びナイフを構える。こいつに対抗できるのは長門くらいしかいないってのに。
「そうそう、長門さんは来ないわよ」実に的確に俺の心を読む朝倉。
 朝倉が『呪文』を唱える。
 それに連れて記憶から消されたはずの昨夜の情景がよみがえってくる。……くそったれどもが。
「仕方ありませんね。ここは僕が」
 一歩前に出る古泉。
「あなたが? ここは閉鎖空間でも何でもないのよ」
 古泉は顔に張り付いた笑顔をかき消した。その手にはいつか見たハンドボール大の赤球。
「そうです、ねっ!」
「な」
 朝倉に向かって一直線にのびる赤い軌跡。
「そん――」
 朝倉の叫びは爆発音でかき消される。
「どういうことだ」
「いつかお話しましたよね。この部室の状態の事を」
 飽和状態とやらか。例のカマドウマ事変のときに言ってた。
「その通り。その様々な力場の中に『彼女』の力場がある、僕が力を発揮するにはそれで十分です」
 全力とはいきませんが、と古泉は笑って付け足す。
「あなたは涼宮さんを見ていて下さい。彼女は今混乱状態です。
何がTFEIの目論見かは分かりませんが、間違いなく涼宮さん絡みですから」
 俺は言われて気づいた。ハルヒがうずくまって震えている事に。
 朝比奈さんがハルヒの後ろでおろおろしている。
「油断しちゃった。まさかこの部室が亜異空間化してるなんてね。道理で情報操作がやりづらいわけね」
「なぜわざわざご自分の弱点をお言いになるのですか?」
「決まってるじゃない」
 朝倉が前に飛び出る。古泉も合わせて前へ飛ぶ。
「あなたたち人間じゃ私には勝てないもの」
「やってみなければ分かりませんよ!」
 赤と銀の目が痛くなるような光のせめぎ合い。
 ……と、いかん、いかん。ほうけてる場合ではない。
「ハルヒ、大丈夫か?」
 何かぶつぶつ呟いているのは聞こえるが、俺の声にはちっとも反応しないハルヒ。
「駄目です。さっきから話しかけてもずーっと無反応なんです……」
 涙目で朝比奈さんが言う。
「でも、考えようによってはこれでいいって思ってる人もいるかも」
 どういう事ですか? いくら朝比奈さんでも怒りますよ。
「そんな怖い顔しないでください。わたし個人の意見じゃないですよぅ。
わたしの上の人たちとかの考えです。多分古泉君のところも同じ。
彼らは『周りで何が起きてるか認識しないから世界も変わらない』、そう考えてるの。
でも、キョン君。こんなに追い込まれてる涼宮さんを見てわたしが喜ぶって思ってるんですか?」
 ああ、いや、そんなわけないです。ほんと、すいません。
「もう」
 いじけたように頬を膨らませる朝比奈さん、実際いじけているのだろう。
 何か重量をもった物が俺たちの方まで飛んでくる。
「くそ」
 荒々しく呟きながら身を起こしたのは血まみれの古泉。
「大丈夫、じゃなさそうだな」
「さすがに身体能力の差はいかんともしがたいですね」
 俺たちの前に朝倉が立ちはだかる。
 俺たちの後ろで抱えた膝の間に頭を埋めているハルヒをみて初めて朝倉の笑みが消えた。
「あら、涼宮さんにはちゃんと見ててもらわないと困るんだけどな。わたしがみんなを殺す所を」
「そんなもん見せるわけないだろう」
「ええ。あなたに僕たちが勝ちます」
 さも愉快そうに笑いはじめる朝倉。
「くふふ……。精神論ではどうにもならないわよ? 現実を見た方がいいわ」
 現実? 俺にはお前が古泉を殺せずに四苦八苦してるように見えるぜ。
「減らない口ね。言ったでしょ、涼宮さんにはちゃんと見てもらわなきゃ困るって」
 また何事か唱えはじめる朝倉。
「何しやがる」
「あなたは体験しているはずよね。感情の操作」
 ……昨日な。ハルヒに何をした。
「ちょっと落ち着いてもらっただけよ。クライマックスに観客が寝てるのは最悪の気分だもの」
 その言葉に違わず、ハルヒが
「古泉君、どうしたのその怪我!?」
「いえ、気にしないで下さい。ちょっとしたものです」
 どう見てもちょっとじゃないけどな。
「あなたもどう?」
 朝倉が笑いながら地面に日本刀を突き刺す。
「……拒否権はないんだろうな」
「別にいいわよ。って言ってもあなたは拒否しないんでしょ」
 よく分かってるな。ん、手に取ると案外重いな、これ。
「ちょっと、キョン!」
 飛び出してこようとするハルヒに向けて朝倉が一言、
「涼宮さんと朝比奈さんは見てるだけね」
「え?」
「あれ、動きま――」
「さあ、始めましょうか」
 その台詞が死刑執行の合図に聞こえた自分が恨めしい。


「くそっ!」
「外れよ」
 やたら滅法に振り回すがかすりもしねえ。対して古泉は10回に1回は当ててやがる。
 ……ちょっと語弊があるか、正しくは10回に1回はかすっているだな。
「一応武道の基礎は習いましたから」
 不気味なのは朝倉が反撃してこない所だ。
 たまにナイフを振り回すとしても俺でもよけきれる程度の物でしかない。
「なめられてますね……」
 赤い残像を残しながら動き回る古泉の両手。
「ちょっとスイッチが入ってしまいそうですよ」
 超能力者は背筋が凍るような笑みを浮かべる。
「無理を承知でお願いします。援護して下さい」
「きついな」
 なにぶん俺は一般人なもんでな。
「何なら拳銃でも何でも使って下さい。ともかく一瞬でいい、隙が欲しい」
 しょうがない。出来る限りの事はするさ。
 ……だから、期待してるぞ。
「お任せください」
 俺は自分で自分を打ち抜いた忌々しい銃器を取り出す。
「へぇ」
 感心したように朝倉が声を漏らす。それを銃声が吹き散らした。
 続けて撃つ俺の横を古泉が駆け抜ける。
「どうも」
 礼を言いながら朝倉に突撃する古泉。
 手の赤球の輝きが増している。直後、俺は古泉の
『スイッチが入ってしまいそう』発言の意味を悟る。
「死ねえぇっ!」
 古泉一樹が絶叫とともに吠えたその台詞を、我々は一生忘れないだろうバイ俺。
 ……何だ、バイ俺って。アホか。
 ともかくそして右手が朝倉に叩き付けられた。


 と思ったのは俺の錯覚だったらしい。
「ふふふ」
 傷一つないまま部室の真ん中に居るのは紛れもなく朝倉だった。
 その後ろに倒れているのは間違いなく古泉だ。うめいている所を見ると意識はあるらしい。
「彼も勇敢ね。当てられるはずがないと分かってたはずなのに」
 ……こいつ完全に手抜きしてやがったな。今のが本気かよ。
「どうする?」
 引くに引けないし、進んだ所で待っているのは最悪の結末だけだが、
「やってやるよ」
「そう来なくっちゃ」
 朝倉が朗らかに言うが、長門が来ないってのはそんなに心の余裕を生むものなのだろうか。
 だいたいハルヒを焚き付けて情報爆発とやらを起こすのが目的なら、
 こんな『お遊び』などする必要はない。ふと思ったのだが、もしかすると――。
「なあ。少し話をしないか」
 俺の見つけた一筋の光明、それは『朝倉に感情が芽生えてる』と言う酷く心細い可能性であった。
 そしたら泣き落としでも何でも……。
「駄目よ」
 結論。所詮俺の立てた策略、宇宙人に通じるはずもねえ。
 というかむしろこんなのに引っかかる奴の方が少ないか。多分俺の妹ぐらいだな。
 ちくしょう。やるよ、やってやるよ!
 素手で戦車と、いや特撮的合体ロボとやり合うような物だけどな!
 俺は精々カッコつけて刀を構えひと呼吸の後、朝倉に切り掛かった。


 視界を朱色が埋め尽くす。その中に銀色の光が混じる。


 斬られたのは、朝倉だった。
「何だと……?」
 全く理解が出来ねえ。何が起きてる?
『ほら、涼宮さんを安心させてあげたら?』
 突如脳内で朝倉の声が響く。
「!」
『何を驚いてるのかしら? 私たちはこのくらいじゃ死なないのは知ってるでしょ』
 違う、そういう意味じゃねえ。なんでお前はこんな手の込んだ事をしてるんだ。
『ふふふ』
 くそ、全く訳が分からない。
「キョン君、どどどどうなったんですか?」
 完全に声が裏返っている。
「よくわからないですね」
 とりあえず倒れた古泉を引きづりながら朝比奈さんとハルヒの所に歩いていく。
「キョキョキョキョン君!」
「はい?」
「はい、じゃありません、血が、血が……」
 朝比奈さんに言われてようやく気づいたのだが、俺は血まみれだった。
「あっ」
 ハルヒが顔を上げた。そして小さく叫んだかと思うと朝比奈さんを突き飛ばした。
「痛ぁ」
 腰をさする朝比奈さん。
「ハルヒ?」
 おびえた目で後ずさるハルヒ。
「……ないで」
 最初の部分は聞こえなかったが十分わかってしまった。『来ないで』か。
「なんでだよ……」
『あなたは覚えてるんじゃないかしら。彼女、悪夢で眠れない時期があったでしょ。
さあ、その時どんな夢を彼女は見たでしょう?』
 知るかよ。
『ふふ。あなたも一度見たはずよ。あなたが涼宮さんを殺す、涼宮さんがあなたを殺す、そんな夢』
 あれはてめえの仕業だったのか。何のためだ。
『強いて言うなら涼宮さんにあなたへの恐怖を植え付けるためかしら。
一年前と違って涼宮さんのあなたへの想いは強くなってる。だからあなたをそのまま殺したんじゃ
世界が崩壊するかもしれないの。別にこの星が滅びるだけならいいんだけど、
思念体まで消されたら一大事だからこんな手の込んだ事をしたわけ。じゃあ』
 俺の脳内に響く声が途切れたとたんに朝倉の体が再構成される。


「終幕といきましょう」
 ガタガタと震えるハルヒと、あまりに壮大で自分勝手な思念体への怒りで
 目の前が真っ赤に染まっている俺を見ながら、朝倉が言う。
「終幕?」
「ええ。ふふ。あなたたちのよく知ってる人に最後を飾ってもらおうと思ってるの」
 酷く勘に触る口ぶりで朝倉はとある人物の名前を口にした。
「長門さん」
 その声に応えるように部室の扉が開いた。そこに立つ小柄な人物は間違いなく長門だった。
「ゆ……き?」とハルヒ。
 その声にも反応せず、キッチリとした歩き方で俺たちと朝倉の間まで来る長門。
「長門さん? ……まずいですね」
 倒れていたの古泉が立ち上がる。
「大丈夫なのか」
「いいえ。ただ、最悪の結末ならばたとえ負け犬の遠吠えであってもそれなりに格好つけたい物でして。
僕らが彼らの手のひらで踊らされているマリオネットがごとき存在であったとしても
最後くらいは自由意志で決めさせてもらいたい。……本当は笑顔で終わりにしたかった所でしたが」
 全くだ。俺はある種の悟りの境地に入っちまったらしい、
 無表情にナイフ構えてる長門見ても何の感情もわかねえよ。
「長かったな。もうあれから一年ね。やっと私たちは自律進化への糸口を得られる」
 夢見るような表情と口調で呟く朝倉。
 すまん、やっぱり前言撤回だ。これ以上ないほど悔しい。
「それにしても、覚えてますか。雪山での約束」
 訳の分からん事を言ってる場合か。ハルヒだってがたがた震えてるし、
 俺の対して上等じゃない人生のフィナーレが鮮血で飾られようとしているというのに。
 と俺が抗議すると古泉は薄く笑みを浮かべた。
「長門さんが窮地に追い込まれたときはあなたに味方すると言ったでしょう。
もし直接長門さんを助けると言っていたら僕は今あなたと向き合っていたかもしれませんね」
「下手な嘘だな」
 あれはSOS団へのお前の意思表明だと思っているんだ。
 もし違うというなら今すぐここから逃げればいいさ。
「まさか、個人的にも機関の一員としても逃げるわけにはいきません」
 古泉は笑顔をかき消した。それとタイミングを合わせるように朝倉は宣言した。
「じゃあ、死んで」
 長門の背中を軽く押した。


 だが、なぜか長門は動かない。そんな長門に焦れたのだろう、朝倉が言い放つ。
「長門さん!」
 しかし長門は俺たちに背を向けた。――つまり、朝倉と向き合った。
「今あなたの目の前にいるのは思念体の端末ではない」
 淡々と言い放ち、誇るように顔をあげ、背筋を伸ばし、朝倉を見つめる。朝倉の顔が歪む。
「わたしはSOS団の長門有希」


「ありえないわ。あなたの中のバグは完全に消去したはず」
 朝倉は見事なまでに真っ青な顔である。
「あなたはわたしに同期を許可した、それが間違い」
「でも過去に長門さんがこの時間の長門さんと同期した事はないはずよ」
 長門はいつもの涼しげな声で言う。
「わたしは未来のわたしと同期した。循環時間軸における原点の無限遠発散の利用」
 何言ってんだ、長門よ。
「つまり私が失敗するのは決まっていたとでも言うの!?」
 ヒステリックな朝倉を前にして長門は淡々とした物だった。
「わたしたちを相手にしたのだから当然」
 気負いも何もなく長門は言う。
「……でもまだ終わりじゃないわ。長門さん、覚悟して」
「長門っ!」
「大丈夫、あなたは涼宮ハルヒを」
 そう言って朝倉との宇宙的戦闘を終止有利に展開する長門。
 俺はハルヒのそばへ寄るのだが、
「来ないでっ!」
 腕一本分まで近づいた俺を渾身の力で突き飛ばすハルヒ。そのまま身を翻して走り出す。
「おい、待てよ!」
 俺はとっさに手を伸ばして、ハルヒの手首をつかんだ。ハルヒは泣き声で叫ぶ。
「嫌よ、どうせみんなしてあたしを蚊帳の外にしてるくせに!
あんたなんて、有希なんて、みくるちゃんなんて、古泉君なんて居なけりゃいいのよ!
どうしてあたしがこんな事に巻き込まれなきゃいけないのよ!
あたしが原因なら、理由くらい教えてくれてもいいじゃないの!
あたしが原因でこんな事になるくらいならあたしなんて――!」
 俺は渾身の力を振り絞りハルヒを抱き寄せた。……他にいい手段が思いつかなかったんだ。
「何すん――」
「お前が俺たちを悪く思うのは構わない、
実際そうされてもおかしくない事を俺たちはしてるかもしれない。
でもな、俺たちのうちの誰であろうとお前を恨んじゃいない。
お前が居なくなった方がいいとも思ってはいない、それだけは確かだ」
「……」
「だからな、ハルヒ」
 言うべき事の全体像も見えないまま感情に任せて続けようとした俺だったが、
「……ちょっと、キョン。痛い」
 指摘されて気づいた。確かにちょっと手に力がこもっているな。
「……」
「……放しなさいよ」
 そう言いながら俺の制服をつかむな。放して良いのか悪いのか判断がつかないじゃないか。
 だから俺はきっぱりと言ってやった。
「断る」
「エロキョン」
 ハルヒはぼそりと言う。
「なんとでも言え」
「じゃあ、一つだけ訊くわ。あんたにとってあたしは何なの?」
「団長?」
 いや、なんで疑問文かは訊かないでくれ。俺も分からないから。
「……」
 あ、きつい。この視線きついよ。穴があくって。
「あーつまりだな、」
「つまり?」
「すまん、よくわからん。ただ」
「ただ?」
 はい、恥ずかしい台詞投下五秒前。
 出来れば目をつぶって、耳をふさいで、息を止めて二時間ほど待っていてほしい。
「俺に取って特別な誰かだ」
「……」
 微妙な沈黙。


「……くさいわ。でも、今日はそれで勘弁してあげる」
「そうかい」
「終わった」
 長門!? 心臓に悪いからもうちょっとショックは少なめで頼む。
 長門は微妙に首を上下させた。
「一件落着ですね」
 学校の方はどうなってんだ?
「スネ……新川さんが鎮圧しました」
 ……そうか。
「で?」
「で、とは」
「いつになったら放すつもり?」
 しばらくこのままでいたいと思った俺はそろそろ精神科に行った方がいいのかもな。
「すまんな」
 努めて平静を装っていつの間にかハルヒの背中にまで達していた俺の手をほどく。
 ハルヒは伸びをしてからすとんと床に腰を下ろした。
「なんか疲れちゃったわ」
 そうか。
「ごめん。少し寝るね」
 小さくうなずく長門。
「どうぞごゆっくり」と古泉。
「枕ありますよ」となぜか用意のいい朝比奈さん。
 まあ、なんだ……いい夢見ろよ。
 ハルヒは一度微笑んでからまぶたを閉じた。

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最終更新:2007年04月13日 21:12