第6章・告白
 
「…あたし……あたし、キョンくんのことが…好きです。ずっと好きでした。でも、あたしがキョンくんにしたことがきっかけになって、涼宮さんが世界を作り替えようとしたときのこと…それに、キョンくんの未来は『禁則事項』だから…あたしはキョンくんと仲良くなったらいけないって。だから心にしまっていようと思ったけど…やっぱり忘れられなくて…。言っちゃえば『禁則事項』になっちゃうからって、ずっと涼宮さんを気にして…。お仕事だからって、我慢して…。昨日はね、お酒の勢いであんなことして、キョンくんに軽蔑されてないかなって考えたら、どんどん悲しくなっちゃって、泣いちゃったの。ごめんなさい、それで迷惑かけちゃって…。 鶴屋さんとたぶん未来の…いえ、言われたの。誰かに遠慮するのはやめなさい、後悔しないようにって。涼宮さんのことは判ってる。未来が変わっちゃうかもしれない。でも、後悔したくない、キョンくんを誰にも渡したくないの。たとえ未来がなくなっても、あたしの帰るべき未来がなくなっても……」
 朝比奈さんは、彼女らしくない長い台詞を一気にはき出して、涙をぽろぽろと流し始めた。
 
 えーっと、これって…。
 俺への告白だよな?
 それも朝比奈さんからの。
 そこらの陰から、プラカードを持ったハルヒか古泉が現れるんじゃないかと思ったが誰も現れない。どうやらドッキリではないらしい。
 自分のこめかみにデコピンを入れてみた。痛い。夢でもない。
 ……
これが朝比奈さんが言いたかったことなんですね、鶴屋さん。確かに聞かない方が良かったですよ。
 
未来のことが関わってくるためか、禁則事項で若干意味のわからないところはあるけれど、朝比奈さんにとっては言葉通り未来の自分を捨てる覚悟の上での告白だったに違いない。そのことだけは痛いくらいに伝わってきた。
こんなとき俺はどうすればいい?
古泉なら優しく肩を抱いてハンカチを差し出すのだろうか。
けどな、俺はこんな経験はしたことないんだ。中三のときのあの女とは、よくつるんでいただけだ。男子生徒とあまり長い接点を持たないやつだったから、単に周りが勘違いしてただけで、告白とかそういう間柄じゃなかったからな…。
ともかくだ、すべてが「優」評価の女性からこんな告白をされて嬉しくない奴がいたらそいつはホモに違いない。
ああ、俺もこのまま朝比奈さんを抱きしめて、「ええ、僕もです」と返して、取り囲んだ周りの人から拍手のエンディングを迎えたかったよ。
しかし、あいつの顔が頭に浮かんで動けない。
涼宮ハルヒ。
くそっ、あいつの周りにいると誰もが否応なしにあの迷惑な力の影響を受ける。識域下であれ、非識域下であれだ。恨めしくなってくるが、今考えることはあいつのことじゃない、目の前にいる朝比奈みくるさん、彼女のことだ。
俺はなんとかポケットから少し折れ曲がったハンカチを差し出すのが精一杯だった。
「これ…使ってください」
「うん…ありがとう」
 少し折れ曲がってはいるが、洗濯したハンカチをおろしといてよかった。いや、そんなことはどうでもいい。
「あの…少し場所変えましょうか?」
 実に周りの目が痛い。俺が別れ話を繰り出した酷い男のように見られるのも言われるのも別に構わん。
ただ朝比奈さんを好奇の目に晒すのがいたたまれなかった。
「…はい…」
朝比奈さんは弱々しく返事をして弱々しく立ち上がった。俺はさりげなく彼女の腰に手を廻して支えると、下りエレベーターの方向に誘導した。下っている間俺は一言も言えず、朝比奈さんはずっと涙を拭っていた。
 
ビルの周りに広がるフリースペース。その隅にあるベンチに朝比奈さんを座らせ、俺は彼女の前に跪いて目線を同じ高さにした。
まだうつむいて涙を拭っている。
慎重に言葉を選ぶ必要性を感じながら、俺は朝比奈さんが顔を上げるのを待った。
「少し、落ち着きましたか?」
 涙は止まっているが、少しでも刺激をすればきっとまた溢れ出すだろう。
さすがにこんな状況ではボケも突っ込みもできるまい。ただ誠実に言葉を紡ぐだけだ。
「朝比奈さん、正直言って俺、嬉しいです。俺も、朝比奈さんが彼女だったらって、数え切れないほど思ったこともあります。でも…ハルヒです。あいつがいる限りまたあんな状況になるかもしれないと思うと、考えることも多すぎます。不誠実かもしれないけど、少し時間を欲しい。ダメですか?」
 不機嫌未来人だろうが敵対機関だろうが広域帯宇宙存在なら来るなら来いというレベルまで到達したものの、さすがに世界と恋を天秤にかけられるほど俺にはまだ経験値が足りてない。そこまで度胸は据わってないね。
世界を構築し直す強力な閉鎖空間…ニキビどころか悪性腫瘍のように、発生させることすら許してはいけないものとして、俺を含む4人は考えていたわけだから。
いくら朝比奈さんが相手とはいえだ。俺はなんて根性なしなんだ。
「だ、ダメです…。あの、その、今日中に…聞かせてください」
 真摯な眼差しで俺を見る。何か訳がありそうだ。
「えらい急ですね…もしかして、未来に関わっているとか?」
朝比奈さんは首を横に振りかけてから、縦にうなずいた。
「どうしても、今日中じゃないと。ダメなの。24時まででないとあたし、あたし……。ごめんなさいっ、今日中なんてあたしの我が侭ですよね。忘れてください!」
 朝比奈さんはやおら立ち上がって走りだした。だがそこは朝比奈さんだ。ハルヒならそのまま逃走を許しただろうが、俺は10mも進まないうちに彼女の手を掴んだ。
「ちょっと待ってください! 我が侭とかそんなのわかんないし。とにかく訳を話してください」
 朝比奈さんの手を引いてさっきのベンチに座らせた。俺は彼女の手を握ったまま隣に座った。
「ごめ…、ごめんなさい…。禁則がかかっているから、たぶんちゃんとお話できません。でも、言わないとわからないですよね…」
 彼女はうつむいて握った手に向かって話しかけはじめた。伏せ字のように禁則事項が織り込まれるため、その部分は前後関係などから俺の推測で補ってみたが、まとめてみるとこういうことらしい。
・俺に告白することはとりあえず禁則事項ではない。
・彼女の知る規定事項では俺と朝比奈さんと結ばれることはない。
・もし、規定事項を変えて俺と結ばれれば未来が変わり、朝比奈さんはこの時間で過ごすことになる。変更された未来はどうなるかわからない。
・未来を変えることは駐在員にとって重罪であるため、もし告白したことが発覚するだけでも、処分を受けるかもしれない。彼女は記憶操作を受けるか未来へ強制帰還されてしまう。が、彼女が言うには、未来が変われば処分されないだろうこと。
・ただし、24時までの間は事情があって処分の手は及ぶことはない。だから告白をした。こんな機会はもう二度とないかもしれない…
 鶴屋さんの言った『シンデレラ』とは、彼女が24時までは未来の制約を受けずにいられるからということことなのかね。しかし、朝比奈さんの場合は魔法が解けたらそれで終わり…ガラスの靴も残らない。持ち主までいなくなってしまうかもしれないのだ。
「まったく、えらく急なことですね」
 本当にまったくだが、今の素直な感想だ。それ以外にかける言葉が見つからなかった。
「…ごめんなさい。こんなやり方って、ひどいですよね。あたしの都合だけだもの。キョンくんのこと考えてなくて…ぐしゅ…。でも、今しかなかったの。今日ももっと早く言えば良かったのに、拒絶されることを考えたら怖くて……」
肩を震わせて、また泣き虫朝比奈さんになった。
そんな彼女の手を強く握り直して、俺は言った。
「…少し、一人で考えさせてもらえませんか? 考えがまとまったら、電話かメールします。2~3時間ぐらいの間には」
 展開が急すぎて、妙な展開や理不尽慣れしている俺の頭もさすがに悲鳴をあげている。とにかく考えをまとめる時間が欲しい。昨日からいろいろありすぎた。
思い出せることは思い出して、考えることは考えてから、答えを出したい。もっと時間をくれよとは言いたいけどね。
「…はい、わたしもお化粧直したいし…。嬉しい返事が欲しいけど、ダメでもいいの。ダメなのが必然だし、それが規定事項だから…。でも今日中にお返事は聞かせてください…。お願いします…」
ぐすっぐすっっと鼻をすすりながら、涙を止めようとしている。今にも消えてなくなりそうなとてもいじらしくて儚げだった。問答無用で抱きしめたくなるね。今すべきことではないけどな。
「朝比奈さん…必ずお返事します。一人にさせてしまいますが、すみません」
その重みに答えるには、こちらも全精力を持って返事をする義務がある。ただ少しだけ待っていてください。
 
 少し距離を開けて歩く朝比奈さんと俺。
無言のまま、長い長いガードをくぐって、私鉄駅と隣接した私鉄系列の大きなホテルのロビーの喫茶店の前で、いったん俺達は別れた。
別れ際、彼女は俺の背中に顔を埋め、言った。
「待ってます…待ってますから……」
 背中に響く声が痛かった。

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最終更新:2020年04月13日 10:39