「キョン君起きて……キョン君!」
 誰?
「ひぐっ……起きて……キョン君……」
 この麗しい涙声は、
「朝比奈さん?」
 ゆっくりと目を開けると、そこには涙でそのお美しいお顔を湿らせた朝比奈さんがいた。
「あっ……あっ……キョンくぅん!」
 朝比奈さんは俺が覚醒するや否や、凄まじいスピードでいつのまにかベッドの
上に横たわっていた俺の体に飛びついてきて、そのまま嗚咽をもらし始めた。
 朝比奈さんに俺の上着でその真珠の涙を思う存分拭い去って貰いたくもあったが、
如何せん、そうもいくまい。
「朝比奈さん。とりあえず落ち着いて下さい」
「あっ、すすすすみません! つい……」
 朝比奈さんは俺の言葉に反応しものすごい速度で顔を上げた。見ると、
その愛らしい両目は真っ赤になっている。とりあえず、状況確認をしなければならない。
「一体何があったんですか?」
「……長門さんが、いきなり倒れたんです。それなのに未来からの指示は何もなくて、
どうしたらいいのか分からなくて」
 朝比奈さんは赤くなった両目をこすりながら、舌足らずな言葉で懸命に説明してくれた。
「服、ごめんなさい、濡らしちゃって」
 いや、上着のことは全然構わないしどちらかといえば喜ばしいことだが、そんなことより、
「それより、長門は今何処に?」
「長門さんなら……」
 朝比奈さんはそう言いながらベッド脇の床を促す。俺はそれに従って体を起こす。
 そこには見慣れない寝顔を携えた長門がいた。
「倒れたのはいつですか?」
「ついさっきです」
「……そうですか」
 おそらく、あの時だ。あの時、あっちの世界の長門は力を失って、こっちの長門が倒れた。
原因はあいつがそう望んだからだろう。
情報統合思念体が消されたのか、長門との接続が断たれただけなのか。
いずれにせよ状況が最悪であることに変わりはない。
 不意に、明確な感情を主張していた長門がフラッシュバックする。
 しかし、何故俺だけが無事なのだろうか。
 &&まあ、考えても仕方がないか。そんなことよりも、今は現状を把握するのが先だ。
 俺は今一度朝比奈さんに質問をした。
「朝比奈さん、古泉はどうしたんですか?」
「そ、それが――」
 と、朝比奈さんの言葉を制するようにドアが開き男女二人組が部屋に乱入してきた。
はかったようなタイミングだ。
「やあ、どうも」
「こんにちは」
 前者は古泉、では後者は?
 というと、顔見知り程度に面識のある穏健派ヒューマノイド・インターフェース――喜緑江美里さん――がそこにいた。
 一体何故?
「あっ、古泉君&&と喜緑さん? 何でここにいるんですか?」
 どうやら朝比奈さんも知らなかったらしい。
「長門さんに呼ばれて来ました」
 喜緑さんは朗らかな笑みを朝比奈さんに投げかけつつそう答えた。
「古泉、お前何してたんだ?」
「ええちょっと。それも込みでいろいろとお話することがあります。
それより、長門さん。ご気分のほうはいかがですか?」
 おいおい長門は、
「問題ない」
 て、あれ?
 長門は何事もなかったかのように二本の足で堂々と直立していた。
 いつの間に目覚めたんだ?
「一分二十五秒前」
 ついさっきじゃねえか。ていうか秒数単位で言われてもいまいち分からん。
「正確に言えば、最初の十六秒間をインターフェースとの互換性の確認に使用、次の八秒間で」
「分かった。もういい」
 そんなやりとりを黙って眺めていた古泉だったが、
「時間もあまり残されていないので、説明させてもらいたいのですが……よろしいですか?」
 と、いつものアルカイックスマイルで俺に話しかけてきた。
「別に構わん」
 古泉はほんの少し間を置いて、
「では――」
 と、語り始めた。


 古泉の話を要約すると、実はこいつら――古泉と喜緑さん――もあっちの世界に来ていたらしい。
それで、長門の力が消され、俺が危うく完全消滅するってときに、影で待機していたこいつらが何とかした。
 そして四人は無事に帰還した、ということなんだそうだ。
 しばらくの間、沈黙が部屋を支配していたが、
「これからどうしましょうか?」
 と、古泉の言葉によってそれは打ち崩された。
 ところで、それは俺に訊いてるのか?
「はい」
「そうか。それなら、そんなことは俺の知ったこっちゃない」
「……本気で仰っているんですか?」
「本気も何もないだろ」
 抗議せんと古泉は口を開きかけたが、俺はそれを制し、
「俺にできることは全てやり尽くした。これ以上何を俺から絞り出そうってんだ。
もうあいつに関わるのはこりごりなんだよ。世界の終焉くらい静かに迎えさせてくれ」
 俺は古泉の目を真っ直ぐに睨み付けながら一気にまくし立てた。
俺の言葉に場の空気がピンと張り詰めたのが分かる。
だが、それに反比例するかの如く古泉のニヤケ面はさらにニヤニヤ度を増していた。
 何だこいつは。気色悪い。
「ふふっ」
 かと思ったらいきなり笑い出しやがった。
 どうした? 気でもふれたのか?
「いえ、そういうわけではありません」
「だったらどういうわけなんだ?」
 古泉はニヤケ面を維持したまま何かを考える素振りをしてみせ、こう答えた。
「強いて言うならば、いつもは冷静であるあなたが珍しく感情的になったから、
とでも言えばいいでしょうか」
「何が言いたいんだ?」
 俺は依然として古泉の目を直視していたが、古泉はそれに怯むことなくニヤケ面を維持していた。
「ふふふっ」
 だからそこで何故笑う。気色悪い。
「もう少しだけ、お話しましょうか」
 古泉はゆったりとした口調と動作でそう述べる。
「何をだ? それに、これ以上話して何になる?」
「別にどうともなりません。まあ、だから話す、と言っても良いかもしれませんね」
 相変わらずのニヤケ面と回りくどい言い回しがうざったいね。
「そんな話をして何の意味があるんだ?」
 そうですねえ、と考える素振りを見せて、
「少なくとも、長門さんが抱いている疑問の答えにはなると思いますよ、おそらくはね」
 俺から長門へとその微笑を投げかける対象を変える古泉。それに対し、
「……」
 長門は沈黙を保ったままだ。
「……聴かせて」
 と、思いきやあの長門が古泉に話の続きを促しただと?
 長門、疑問って何のことなんだ?
「……」
 言葉を探すかのように長門は少しの間沈黙して、
「あなたのこと」
 と、捻り出すように言った。
「俺のこと?」
「どうやら、長門さんの聴きたいことと僕の話したいことは一致しているようですね」
 一人で納得している古泉を見ていたらなぜだか知らんが腹が立った。
「だったら、さっさと話したらどうなんだ? いい加減、お前の長ったらしい前フリにはうんざりなんだよ」
「ええ、それではそうさせてもらいましょう。単刀直入に言います。今日が何の日か、ご存知ですか?」
 何だ、あの事か。
「知ってるさ。去年俺があいつと二人で全く同じアホな夢を見た日だろ?
んで、話ってのはそれだけなのか? 長かった前フリにしてはつまらん話だったな」
 古泉は俺が知っていたという事実を知り一瞬だけ驚いた様な顔をした。
「ご存知でしたか。……ですがそれだけではありませんよ」
「まだあるのかよ」
「はい。今日の降水確率についてはご存知でしたか?」
 いきなり何言い出すんだこいつは?
「そんなの知るか。こんだけ降ってるんだからそれなりにあるんだろうよ。
で、それが俺とどう関係あるんだ?」
 今度は古泉の表情はそのニヤニヤ度を一層に高めた。気色悪い。
「実は今日の降水確率は午前午後ともに0%なんですよ。そうですよね、長門さん?」
 古泉に対して頷いて見せる長門。
「今日は移動性の高気圧に覆われて、日本列島は全国的に晴れの見込み&&だったんですが、」
 窓の外を促し、
「この雨です」
「そういうこともあるだろ」
「確かにそうかもしれませんが、今回の場合はそう単純なことではありません」
「……」
 古泉は俺の沈黙をどう受け取ったのか、嘲るような笑みを見せてから続けた。
「それではもう一つ質問します。降水確率が0%であるはずの今日、何故雨が降ったのでしょう?」
「……そんなの知らねえよ」
「ご冗談を」
「……」
「それは彼女が望んだからです。雨が降ることを。では一体何のために彼女はそう望んだのか?」
 古泉の一人舞台が続く。
「あんな手を思いついたあなたなら、分かりますよね?」
「……」
「この雨は涼宮さんの心の叫び、それを隠すための手段だったのです。
まあつまり、こう言って差し支えないでしょう」
「……」
「この雨は涼宮さんが流す涙と同義である。違いますか?」
「……俺に訊いてるのか?」
「はい、そうですよ」
「……そんなことはあいつに聞かなきゃ分からん」
「確かに、仰る通りです」
 相変わらずのニヤケ面。目に障る。
「……話はそれだけか?」
「いえ。まだあなたについての話があります」
「……俺について、ね」
「ここからは少し長くなりますよ。構いませんか?」
「俺は構わん。さっさと話せ」
 古泉は律儀なことに長門、朝比奈さん、喜緑さんへと目で確認を取ってから、最後にもう一度長門の目を見つめながら、
「長門さん。今から話すことが、この人の心です。まず――」


 まず、始めに言わせて貰います。僕はあなたがかなりの鈍感、もしくは素直に
なれずにいるだけだと思っていましたが、どうやらそうではなかったようですね。
あなたはただの臆病者でした。

 あなたは今日一日中意識的に涼宮さん避けていましたね。
いえ隠さなくても結構です。その兆候はいろいろな所から見受けられましたし、
そうでなければあなたの行動に辻褄をつけられません。
公園でのやり取りもそうですし、病院に着いたときのあなたの言葉からもそれは読みとれます。
覚えていませんか?あなたは僕に対してこう言いました。
『ハルヒはどこだ?』とね。
どこがひっかかるのかと言うと、そうですね。一般例を挙げてみましょうか。
普通、相手の安否が分からない場面で使用されるフレーズといったらこうなります。
『ハルヒは無事か!?』と、少し興奮しながらもまず相手の安否を訊くのが一般的だと思います。
それに対してあなたの言葉は冷静沈着以外の何物でもありませんでした。

 あなたは認めたくなかったのでしょう? 涼宮さんの気持ち、それと自分の気持ちを。
それを認めてしまい、その結果、いままでの関係が変わってしまうのが怖かった。
 だから、敢えて涼宮さんを避けるような行動、また言動をしていたのでしょう。
そうすることによってあなたは変化を防ぎ、自身の精神の安定を謀った。

 ですが、無理をすれば必ず他の所に歪みが生まれます。
そしてその歪みはいつまでも存在し続けるわけにはいきません。歪みは消えなければならない。
しかし、消えるためにはそれ相応の反動が必要になります。
今回の場合、その反動をもろに受け止めたのが、他でもない、涼宮さんです。
それも全て、あなたの策略じみた手によってね。

――ここまでで何か言いたいことはありますか?」
「……長いな」
「ふふっ。すみません。ですが、まだ続きがありますよ」
 まだあるのか。
「古泉一樹」
 ん? 長門?
「何ですか? 長門さん」
「早く続きが聴きたい」
 俺は一瞬耳を疑った。
「……長門」
「何?」
「いや、……何でもない」
「そう」
 長門の明確な自己主張。
 古泉は、変な顔をしているであろう俺を一瞥、次いで長門、朝比奈さん、喜緑さん、
と続けてから、
「それでは、そろそろ再開しましょう――」
 と、語り始めた。


 それでは先程少しだけ話に出した、あなたが涼宮さんをこちらに回帰させるために企て、
その結果、冷酷にも彼女を傷つけてしまったその策略の裏舞台について語らせてもらいます。
 あなたは涼宮さんの気持ちに今回の件よりもっと前から気づいていましたね。
おそらくは無意識的なものだったでしょうが、今回の件であなたはそれを明確に認めたはずです。
 そして、あなたが利用したのはまさにそれ。愛されるという幻をあなたは追いました。
つまり、涼宮さんの気持ちに甘えたということです。
 まずあなたは、涼宮さんを『どうすれば連れ戻せるか』を考えたでしょう。
あなたが考ええた方法は、おそらくこう――
涼宮さんに『自分の気持ちを伝え』『全てを理解させる』。
実際、この方法しか残されていなかったと僕も思います。それに、ほぼ間違いなく成功していたでしょう。
 しかしここで、あなたはこう考えました。
『ハルヒは俺のことが好きだ』『何だかんだ言っても俺の言うことを聞くだろう』
『だったら、わざわざ俺の気持ちを言わなくてもなんとかなるんじゃないか?』
とね。
 つまり、あなたは『自分の気持ちを伝える』という過程を省略して『全てを理解させる』
という行為に及びました。

 まず、『従姉妹が交通事故』という会話で涼宮さんが交通事故に会ったことを無意識的に思い出させ、
次に、『ジョン・スミス』の名で彼女の能力を自覚させた。そうすれば、頭の良い涼宮さん
のことですから、あちらの世界のカラクリに気づきます。造られた世界だということにね。
 そこであなたが『元の世界に帰ろう』と言って、涼宮さんがそれに頷き、万事解決。
 これがあなたのプランでした。
 ここまでは申し分ない。満点です。ですが、この後ですね。歯車が狂いだしたのは。
 涼宮さんはこの策略の唯一の急所、つけば九仞の功を一簣に虧きかねない致命的な
ウィークポイントに気づいてしまいました。
つまり、涼宮さんは舞台の裏側を覗いてしまったのです。
涼宮さんは何度も確認していましたよね? 『他に言うことはないのか?』と。
あなたの返事は煮え切らないどころか火に掛けられてすらいないものばかり。
 自分の好意を知りながらそれに答えず、それどころかそれを利用しようとしたあなたに対して、
涼宮さんは一体どう感じたでしょう。
 少なくとも僕がそのような扱いを誰よりも信頼する人物から受けたとしたら、
悲しみと怒りのあまりに何ヶ月も寝込んでしまうかもしれません。
 涼宮さんもおそらく似たような感情を抱いたことでしょう。
 いえ、きっとそれ以上に、一少女として、その傷は余りにも深い。
 あなたは我が身かわいさのあまりに涼宮さんが傷つくかもしれない手段を使った。
 そして傷つけた。

――ああそうだ。一つだけ訂正しなければならないことがあります。
 あなたは臆病者などではありませんでした。あなたは臆病者などではなく、ただの卑怯者です」
 言い聞かせるように古泉は言った。
「……それで?」
「僕の話はこれで終わりです」
「つまり、お前は俺が卑怯者だと言いたいんだな?」
「その通りです」
 古泉は俺に対してあまりよくない印象を抱いているらしい。
「それで長門」
「何?」
 冷たい瞳が俺を捉える。長門も同じ、か。
「こいつの話を信じるのか?」
 一応訊いてみた、が、
「……」
 長門は何も答えなかった。
「あ、あのぅ……よく分からなかったんですけど……」
 朝比奈さんがおずおずと自己主張する。
「それではもう一度説明しましょうか?」
「よせ」
 二人の会話に割ってはいる。
「ですが、朝比奈さんにもしっかりと理解して貰わないと」
「そんな必要はない」
 俺の言葉に空気が氷った。それに耐えきれないのか朝比奈さんは今にも泣き出しそうだ。
原因が自分にあると考えているのかもしれない。
「朝比奈さん」
 できるだけ穏やかな口調で言った。
「は、はい!」
「俺が説明します」
「え、あ、い、いいんです! 無理して聴きたいわけじゃないし、あたしなんか別に&&別に&&」
 朝比奈さんはそう言って視線を落とす。
 分かりやすい嘘だ。いつだって朝比奈さんは何も知らされず、何も知らず、
そしていつだってそれを嘆いていた。
「俺のことですから、俺が説明しますよ」
 古泉を一瞥すると少し複雑な顔をしていた。朝比奈さんはものすごくしどろもどろになっている。
「ただ、俺が、悪いんです」
 言い聞かせるように言った。朝比奈さんにも、長門にも、古泉にも、喜緑さんにも、そして俺自身にも。
「俺がハルヒを傷つけたんです。自分が可愛いいあまりに」
 朝比奈さんはあうあう言っているが、構わず続ける。
「俺はそういう男なんです。軽蔑しましたよね?」
 慌てながら、
「い、いいえ! そんなことないです!」
 と、大げさに首を横に振った。
「そうですか。でも……いえ、何でもないです」
 少なくとも長門と古泉にはそういった類の感情を抱かれているだろう。
 さて――
「どちらに行かれるんですか?」
「さあな」
「待ってください」
「何故だ?」
「涼宮さんを助けるにはあな」たの力が必要なんです、とでも言いたかったのだろうが、
俺は無視して病室を出た。


「どうしてあんな言い方するんですか!?」
「……あんな言い方とは?」
「もうっ! 古泉君は肝心なことが分かってない!」
「朝比奈さん、とりあえず落ち着いてください」
 朝比奈みくるが古泉一樹に対し、彼に対する先程の古泉一樹の言動についての抗議をしている。
「長門さんだって、どうして何も答えてあげなかったんですか!?」
 私も抗議の対象になるらしい。
「彼の行為は許されることではなかった」
「確かにそうですけど……でも! キョン君は涼宮さんのことが!」
「そう、彼は涼宮ハルヒのことが好きだからああいう行為をした」
 そう、彼は涼宮ハルヒのことが、好きなのだ。
「分かってたならどうして!?」
 どうして……、どれを話せば良いのだろう。
彼に対する私の気持ちがたくさんありすぎてうまく表現できない。
そう、伝えたいことはたくさんあったように感じるのだけれど、そのどれも伝えることができなかった。
「……分からなかった」
「何がですか?」
 何が……、私の気持ち、彼の気持ち、……。
「朝比奈みくるさん、少しよろしいでしょうか?」
「な、なんでしょう?」
 喜緑江美里。
「長門有希は通常の状態ではありません。莫大な量のエラーを内包しています」
 エラー。
「本来ならば活動状態を維持できない、許容範囲を遥かに上回るエラーの量です」
 ……エラー。
「ですからあまり有希の情報処理能力に圧力をかけないでください。またバグを起こす可能性があります」
 バグ、エラー、……。
「意味が分かんないです。バグとかエラーとかなんの話をしてるんですか?」
 ……違う。
「ちょっといいですか?」
 古泉一樹。
「……なんですか?」
「長門さんについてです」
 私について?
「喜緑さんが言うエラーやバグ、しかし今の長門さんにとってはそれはエラーでもバグでもありません」
 ……。
「それは普通の人間だったら持ってて当たり前のものです」
 ……。
「何なんですか?」
 エラーでもない、バグでもない、
「感情です」
 感情、
「……これが感情……なの?」
「はい、おそらくは」
「……どうして、私が?」
「涼宮さんが望んだから、としか言い様がありませんね」
 涼宮ハルヒが望んだもの、あちらの世界の長門有希が持っていたもの、私は持っていなかったもの、
「朝比奈さん、先ほどは申し訳ありませんでした。僕は彼の涼宮さんに対する気持ちを抜きに考えていました。
涼宮さんが好きだから、ああいう行為をしたんですよね、彼は」
 これが、
「分かってくれたならいいんです……。私こそ怒鳴ったりしてすみませんでした」
 私がずっと求めてた、
「彼に謝らなければいけませんね……。ところで喜緑さん、準備のほうは整ってますか?」
 感情、
「はい、今すぐにでも呼び寄せれます」
 なの?
「大変なことになってるみたいね――」


 病院の廊下はかなり静かで暗い。常夜灯だけが行く先を照らす。

 長門も去年の今頃に比べ大分変わってきたが、古泉もそれなりに変わったもんだ。
去年の古泉なら「世界を救うには」とか言ってただろうね。
 朝比奈さんだって相当変わった。芯ができたというか、以前に比べればいろいろな面で強くなっている。
 あいつだって変わった。明らかに、去年の今頃のあいつと今のあいつは変わっている。
 俺はどうなんだろう。少なくとも、イレギュラー的な事への耐性は獲得できたような気はするが。

 待合室に着いた。誰もいないだろうと思っていたが、安っぽい革張りの長椅子に座り、
飲み物を啜る人物――おそらく男がいた。病院の薄暗さと自動販売機の逆光のせいで男の顔がよく分らないが、
体格や雰囲気から判断するに荒川さんではないだろう。
 なんだってこんな時間までこんな所にいるんだ?
 まあ、他人のことは言えないか。それに、今の俺には関係の無いことだ。
 構わず病院を出ようとしたが、
「おい」
 とんでもなく驚いたね。いや、いきなり話しかけてられたことにではない。
「様子はどうだった?」
 そいつが予想外の人物だったことにだ。
「まあ、訊くまでもないか。ただの貧血で検査入院だしな」
 そいつは紛れもなく、俺の親父だった。

「何してんだ?」
 親父は持っていた缶飲料を一飲みにしてから、
「見て分からないのか? コーヒー飲みながらたそがれてるんだよ」
 と答えた。
 缶コーヒーだったのか。いやそんなことはどうでもいい。
「なんでこんな時間までこんな所にいんのかっていうのを訊きたかったんだが」
「母さんのそばに居てやろうと思ってね。そんなことより、お前よくこの病院だって分かったな」
 あー、俺がお袋の見舞いに来たんだなと完全に勘違いしてる。
「いや、お袋の見舞いに来たわけじゃないんだ」
「ん、そうなのか。じゃあ何しに来てたんだ?」
 本当のことを言うべきか、言わないべきか。
「友達の見舞い」
「で、そいつは誰なんだ?」
「谷口ってやつ」
 まあ、無難な受け答えだろ。
「悲しいな。父さんに嘘つくなんて。そんな子に育てた覚えはないぞ」
「いや、嘘じゃないって」
 なんで嘘だってばれたんだ? カマかけてんのか?
「いいや、嘘だ。お前のその惨めぶった表情を見れば一目瞭然だぞ」
 何を言ってんだこの親父は。
「ちなみにこんなことも分かる」
 何を言い出すのかと思ったらこの親父とんでもないことを口にしやがった。
「お前が今日見舞いに来たのは……涼宮ハルヒちゃんだろ」
 なっ!?
「図星か」
 なんで知ってるんだ? この親父は。
「ちょっと横に座れ」
「カマかけたのか?」
「いいから横に座れって、話があるから」
 釈然としないが俺は黙って従うことにした。
「まず、そうだな……黒縄地獄って知ってるか?」
「こくじょうじごく? ……八大地獄の一つか何かか?」
「そうだ。んで、この黒縄地獄ってのは殺生の罪や盗みの罪を犯したやつが行くんだ」
 この親父は一体何が言いたいのだろうか。いきなり話があるとか言ってきて、
意味の分からんことを語り始めやがった。脈絡という言葉を知ってるかどうか問い詰めたい気分だ。
 親父は黙ってた俺にさらに言葉を付け足した。
「加えて、自殺したやつもこの地獄に行くことになってるんだ」
「……だからどうしたんだよ」
「いや、別にな。ただのトリビアだ」
「随分と回りくどく、それでいて勘の鋭いおっさんだ」
「褒めてるのか?」
「自分で判断しやがれ」
「そうかい」と吐き捨てる親父を見て、俺はどうすべきか全く分からなくなった。
「なあ親父」
「なんだ息子?」
 茶化したような台詞だったが、親父の目は真剣で俺にはそれがありがたく思えた。
「俺はどうすればいいんだ?」
「そうだな……自分で判断しやがれと言いたいところだが、まず何があったか訊いていいか?」
「……ああ」
 俺は事の顛末を親父に話した。
 ハルヒの能力などには触れず、俺の責任でハルヒを散々に、肉体的にも精神的にも傷つけてしまったこと。
そしてそれが取り返しがつかないということ。
それに加え、その責任を取るために――自殺しようと思っていたこと。
 俺は一通りのことを話して親父の言葉を待った。
「まず、最初に言っておく」
 そう言うとほぼ同時に、親父の拳が俺の頬を貫いた。
「自殺するなんて死んでも言うな。次言ったら殴るぞ」
「も、もう殴ってるじゃねぇか&&」
 床に踏ん反り返りながら抗議してやったが、この親父完全にシカトしてやがる。
「んで、お前はハルヒちゃんのことをどう思ってるんだ?」
「どうって……」
「好きかそうでないか、訊いてるんだよ」
 親父からこんな質問が飛び出てくるとは予想だにしなかったが、俺ははっきりと答えてやった。
「今なら……迷わずに言える。俺はあいつのことが――」


 俺は今、古泉、長門、朝比奈さん、喜緑さん、そしてハルヒのいる病室の前にいる。無駄に緊張するな。
 さて、そろそろ入ろうかとドアに手を掛けた時、病室の中から聞こえてきた声に耳を疑った。
 俺はつい勢いよくドアを開けてしまい、その音に反応した室内の全員が俺を見つめる。
 眠ったままの1人、驚きの表情を隠せない1人、喜びの表情を浮かべる1人、無表情な2人、
そしてやたらとニコニコする1人。
数えると俺を含めて7人いるわけなんだが、さておかしいね。俺の記憶違いでなければ明らかに1人多い。
「あら、久しぶりね。元気にしてた? この様子だと涼宮さんとはうまくいってないみたいだけど」
 ニコニコ顔が話しかけてきた。
「どうしたの? 黙っちゃって。具合でも悪いの?」
「非常に言いづらいんだが、お前の顔を見ると目眩がするね。それも強烈なやつが」
「失礼ね。今日はナイフなんか持ってきてないのに。ま、ナイフくらい簡単に作れるけどね」
 物騒なやつだ。俺はとりあえず無表情なままの長門に説明を求めた。
「長門、これは一体どういうことだ? なんでこいつがここにいる?」
「急進派に協力を要請した」
 相変わらず説明が少ない。俺が次の質問をしようとしたら喜緑さんが説明役を買って出てくれた。

 喜緑さんの説明によると、ハルヒの力のせいで情報なんたら体の主流派と穏健派の力がなくなってしまった
らしい。このままでは再度ハルヒの夢の中に潜入することが不可能なため急進派に脚光が浴びたそうだ。
 だからっていくらなんでもこいつを寄こさなくてもいいんじゃないのか?
「彼女はあの一件を除けばとても優秀なインターフェイスです」
 優秀と言われて嬉しいのか、破壊と殺戮の女神と称してもなんら違和感のない宇宙人少女――朝倉涼子は
ニコニコしながら、
「ま、そういうことね」
 と、無感動にそう言った。
 ちなみに、驚きを隠せていなかったのが古泉で、喜びの表情を浮かべていたのが朝比奈さんだ。
「先程はすみませんでした。少し感情的になりすぎてました」
「いや、別に気にしてない。お前の言っていたことはほとんどその通りだった。
それに謝るのはどちらかといえば俺のほうだろ。すまなかった」
 古泉はさらに驚きの表情を浮かべる。そこまでいけば逆に白々しいぞ。
「いえ、本当に驚いてるんです。あなたは先程までどちらにいらしたんですか?」
「ずっと病院にいた。親父はお前の差し金じゃなかったのか?」
 その一言で全てを理解したのか、
「なるほど、そういうことですか。いえ、あなたとあなたのお父さんとの会話に僕は関与していません」
 本当に察しのいいやつだ。
 インターフェイス3人組もこれだけの会話で何があったか理解できたようだったが、
1人だけそうではないお方がおられた。
「あのぉ、よく分らなかったんですけど……」
「朝比奈さん、心配かけてすみませんでした。俺はもう一度ハルヒ連れ戻しに行ってきます。
そして必ず連れ戻してきます、絶対に。分かりましたかね?」
 朝比奈さんはそのこじんまりとして可愛らしい瞳に涙をうるうるさせながら、
「はいっ!」
 と、いつになく力強い返事をしてくれた。
 さて、そろそろ行かなきゃ時間もまずいんじゃないか?
「そうですね、おそらく待ちくたびれてますよ」
「だといいんだがな」
 本当にそう思う。ハルヒは俺のことを待っててくれているのか、それとも&&。
「大丈夫だと思う」
「何がだ?」
「あなたの心配は杞憂」
 長門は俺の目を真っ直ぐに見つめながらそう言った。
「……なあ長門、一つ訊いていいか?」
「何?」
 戻って来てから、いや、あっちの世界にいた時から、何となくだけど感じていたことがある。
長門はもしかして――
「感情があるのか?」
 2回だけ小さく瞬きをしてから長門は確かにこう言った。
「ある」
 予想していたこととはいえ、改めて聞いて驚いた。しかし、驚いたのは俺だけのようで、
朝比奈さんを除いて他のみんなは「そんなこととっくの昔から知ってたぜ!」みたいな顔をしている。
「いつからなんだ? 俺があっちの世界に行った時からか?」
「それ以前。あなたがこの病院に来る前に私はあちらの世界の私と同期した。その際に獲得した」
 禍転じて福となすというか、塞翁が馬というか、なんにせよこれは良いことなんだよな、長門にとって。
 それにしたって口調が全く変わってないのは何故なんだろう。まあ、いきなり変られても焦るだけだが。
「ところで長門、俺のこと軽蔑してるか?」
「あなたはハルヒを傷つけ、なおかつその事実から逃げようとしていた。
私があなたを軽蔑するのは当然のこと」
 ははは、訊かなきゃよかったかな。こんな剛速球が来るとは。
「でも、あなたは戻ってきた。それが誰かの後押しによるものだとしても、
その決断はあなた自身のもの。だから、」
 だから?
「ほんのちょっとだけ見直した」
「ほんのちょっとだけかよ……」
 俺は大袈裟に肩を落として見せた。
そんな俺を見て2人が無機質な微笑み、1人が微笑み――というかニヤニヤしてるだけか、
1人が全世界の野郎どもを一撃で葬り去るだけの威力は確実に有しているであろう微笑み、
そしてもう1人が控えめだけど温かで一度見たら二度と忘れられない、そんな微笑みを浮かべていた。

 なるほどね。
『閉鎖空間の存在を感知しているのですが、』
 さて、ここはあん時のバス停だよな。
『世界中どこを探しても』
 とりあえず山頂を目指すとするか。
『存在の確認ができないんです』
 やっぱり、灰色世界には慣れないな。もっと彩があってもいいと思うんだが。
 俺はまたしても、閉鎖空間の厄介になっていた。これで3回目だよな?
 とにかく、ハルヒのもとへ急ごう。

 今日歩いて上った坂道を、今度は走って上っている。
傾斜はそれほどではないとはいえ、日々運動部として体を動かしているわけでもないからさすがに息が
上がってくるし、足のほうもかなりきている。
だが、止まるわけにはいかない。少しでも早く、1秒でも早く。

 山頂に着いた。ハルヒは……いた。あの松の木の下に。そしてハルヒの傍らにはもう1人いる。
まあ、大体予想はしていたが。
 俺は息を整えながらハルヒとそいつのもとへ歩を進めた。

「今更何しにきたんだ?」
 開口一番、棘のある言葉だなあ、俺よ。
「ハルヒを連れ戻しにきた」
「だとよ、どうするハルヒ?」
「……」
「まあ、そういうこった。大人しく諦めるんだな」
 ハルヒは俺の言葉にも、もう1人の俺――以降、俺(偽)――の言葉にも反応せず、
自分の足元を見つめたままだ。さて、どうしたもんか。
「ハルヒ」
「……」
「おいハルヒ」
「……」
 ハルヒの様子は変わらない。
「お前は臆病で卑怯なうえに粘着質なやつだな。さっさと諦めたr」
「お前は黙ってろ。俺はハルヒに話しかけてんだ」
 癪に障ったのか、俺(偽)は多分に敵意を込めた眼差しを俺に向けてきた。
「お前忘れたのか? 俺とハルヒは付き合ってるんだぞ?」
「だったら、」
 俺(偽)の軽く100倍はあるだろう敵意を眼差しと言葉に込めて俺は言ってやった。
「奪い取るまでだ」
 俺は俺(偽)とガン比べをしていたわけだが、視界の隅でハルヒが俺の言葉にほんの少しだけ反応を示した
のを見逃さなかった。
「おいハルヒ」
「……」
「ハルヒ、聞こえてんのか?」
「だから無駄だって言ってんだろ? 丁重にお帰りになったらどうなんだ?」
 無駄なわけがない。現にこうして俺がここにいること、ハルヒが俺の目の前にいること、
それが何よりの証明だ。まあ、状況的には砂上の楼閣なんだが。
 失敗するわけにはいかない。いや、絶対に失敗したくない。
「ハルヒ、今から俺が話すことは全部俺の独り言だ」
「べただな」
 うるさい、そんなことは分かってる。
「俺がここへ来たのはお前を連れ戻すためだ」
 ……。俺(偽)がピーピー言ってるが無視。
「戻ろうハルヒ。あっちの世界でみんなが待ってる」
 ……。俺(偽)本当にしつこいな、このしつこさは明らかに俺以上だろ。
「お前の体は無傷だ。だから痛みとかは全然ない」
 ……。まあ、こいつも内心では焦ってんだろうね。なんせ俺だからな。
「俺と一緒に戻ろう」
 ……。……。
 ……通じるか? というかチャンスはまだあるのか? やっぱ駄目なのか?
ここまで来て残念でしたなんて耐えられn「……それで終わり?」
「!」
 あからさまに動揺する俺(偽)が愉快極まりないね。さて、九回裏の攻撃といこうか。
 俺は俯いたままのハルヒに独り言の続きを聞かせてやることにした。
「いいや、独り言にはまだ続きがある」
「おい、ハルヒ! こんなやつの言うこと聞いてどうすんだよ!?」
 俺(偽)がハルヒと俺の間に割って入る。
「こいつはお前のことを傷つけたんだぞ!? 自分が可愛いあまりに! こんなやつさっさと消しちm」
「黙ってて!」
 びっくりした。いきなり大声だすんじゃない。
「……ちょっとそこどいて」
 俺(偽)はあんなに必死だったのに素直にハルヒの言うことを聞いた。
「……続きは?」
 ハルヒは相変わらず俯いたままだが、そんなことは構わん。
 俺には他の何を犠牲にしてでも、何を放っといてでも、やらなければならないことがあるんだ。

 

「ハルヒ、俺はお前のことが――」

『そうか、なら話は簡単だ』
『聞いて驚くなよ』
『お前がすべきことはただ一つ』
『責任を取って』
『ハルヒちゃんに』
『告白してこい!』
 理屈もなにもあったもんじゃないし、まったくもって意味が分からん。だが親父、ナイス後押し。

 俺はハルヒのことが誰よりも何よりも何があっても何時如何なるどんな場所でも、

 涼宮ハルヒのことが――


「――好きだ」
 
「……それで終わり?」
「ああ。終わりだ」
「そっか」
 そう言って、ハルヒはやっとこさ鉛のように重かった顔をあげたのだが、
「お、おいハルヒ!? どうしたんだ!?」
「……ようやく顔が見れたと思ったのにな」
 あからさまに慌てる俺(偽)、内心動揺する俺。
 これは……すごく微妙だ。
「なあ、ハルヒ」
「……何よ?」
「それはNOサインか、それともYESサインか? ……どっちなんだ?」
 ハルヒは頬を伝うそれを依然として流しながら、
「嬉し涙に決まってるじゃない! このアホキョン!」
 と、随分と久しぶりに俺のことをアホキョンと言いのけた。それもとびっきりの笑顔で。
「やれやれ、そうかい」
 この笑顔に惚れちまったのかもわからんね。

※以下微アナル注意※
「まあ、そういうことだ」
「……」
「文句はないな? ハルヒは頂いていく」
「……」
 今度はこいつにサイレスがかかっちまったみたいだな。
「おい、何とか言ったらどうなんだ?」
 まさかこんなことになるとはな……。何かのアクションは起こすだろうとは思っていたが……、
これじゃアクションヒーローの特撮かなにかじゃねえか。
せっかくシリアスな恋愛映画みたいな雰囲気だったてのに。
空気を読め、空気を、俺(偽)。
「おいハルヒ、あいつをどうにかできないのか?」
「無理よ、だってあいつもキョンなんだもん。
あのキョンを消そうとしたらあんただって消えちゃうかもしれない」
 なるほどね……などと感心している場合ではない。とにかく、あいつをなんとかしなけりゃ、
いろいろな面で非常に不味い。俺の体裁とか。
「あんたの外見なんか誰も気にしてないわよ」
「そうかい……、なあハルヒ」
「何よ?」
「この世界から脱出できないのか?」
「……できたらとっくにやってるわよ」
 万事休すとはまさにこのことを言うのかもな。
「こっち来たわ! 隠れるわよ!」
 4、5メートル離れた所にある木々がメリメリとへし折られていく。
あんなのに踏まれたら一巻の終わりだ。
 さて、どうしたもんかね。とりあえず、俺(偽)の言葉を思い出してみようか。

「おい、何とか言ったらどうなんだ?」
『……この閉鎖空間に』
 なんだいきなり。
『何故神人がいないか分かるか?』
「……何が言いたい?」
『……こういうことだ!』

 んで、巨大化と。
「ほんっと、バカみたいにデカイわね、あのキョン」
 俺とあのバカでかい俺(偽)を同一視するんじゃありません。
「ところでキョン? 神人って何なの?」
「神人ってのはな、去年のちょうど今日に見たあのバカみたいにデカイ巨人のことだ」
「ふーん……」
「……何、赤くなってんだ?」
「べ、別に赤くなってなんか……まあ、いいわ。ちょっとキョン、こっちきて」
「へいh!」
「……おかしいわね、うまくいくと思ったんだけど」
「お前なあ、もう少し恥じらいt」
 右ブローがみぞおちにクリーンヒット。
「……は、恥ずかしかったに……決まってるじゃない」
 うん、おかわり。

『お熱いね、お二人さん』
 しまった、こんなことしてる場合じゃなかった。
「こんなこととは何よ!」
「いいから、逃げるぞ、って危ね!」
 さっきまで俺が乗っかってた地面が俺(偽大)の鉄拳によってざっくり削り取られた。ユンボルかお前は。
 こんなのに当たったら一撃で三途の川だ。
「キョン! 大丈夫!?」
「ああ、なんとか」
「とにかく逃げるわよ!」
「ああ!」

 とりあえず、また林の中に隠れることには成功したが、このままじゃ捕まるのも時間の問題だ。
俺(偽大)の野郎が片っぱしから環境破壊してやがるからな。
 やれやれ、何だって俺がこんな目に……、こういう肉弾戦的な役目は古泉の……ん? 古泉?
「なあハルヒ、長門と喜緑さんの規制を解除してくれないか?」
「え? どういうこと?」
「つまり、あいつらのことを許してやってくれってことだ、意識的にな」
「分かった」
「……どうだ?」
「もうやったわよ」
「よし、じゃあ次は古泉をここに呼び出せ」
「……なるほどね、古泉君の超能力であいつを倒そうってことね」
「まあそんなところだ」
「分かった、やってみる」
 ハルヒはそう言って、地面に奇妙奇天烈なサークルを描き出した。
 何してんだこいつは。
「よいしょ……これをこうして……よし、できた!」
 よく見るとSOS団のエンブレムとやらに似てなくもないが……、模様が若干異なるような……。
「んで、これは一体何なんだ? まさか、召喚用の魔方陣とか言わないよな」
「……契約者の名において命ずる! 出でよ! 古泉一樹!」
 図星だったみたいだ。しかもなんだその台詞は。
「別にいいじゃない。一度やってみたかったのよねこういうの。ほら、くるわよ」
 と、怪しげなサークルからさらに怪しげな光が渦巻き始めた。
 演出にこだわりすぎだろ……
「離れて!」
「へ? うおわっ!」
 ピシャーンというまぬけな擬音とともに落雷の中からそいつは現れた。
 もう一度言うが演出にこだわりすぎだ、こいつら。
「お呼びでしょうか、マスター」
 何片膝ついてマスターとか言ってんだよ、この変態超能力者。
「うん、さすが古泉君ね! いろいろと分かってるわ。
さっそくだけど、古泉君の超能力であのデカイやつをやっつけてちょうだい」
「畏まりました、マスター」
「おい、そんなわけのわからん主従関係見せつけてないでさっさと行ってこい。
さっきの無駄な雷のせいで俺たちがここにいることばれてるぞ」
「……」
「よし! 行ってきなさい古泉一樹!」
「はいマスター」
 俺の言うことは無視かよ!
「ふふっ、冗談ですよ。……上手くいったみたいでなによりです、それではそろそろ」
 と、言い残し古泉は単身俺(偽大)へと挑んでいった。
 ●一つでなんとかなるのか? と、どうやら杞憂だったようだ。
「ならダブルスで行くよ」
 分身しやがった。それもかなりの数。ダブルスなんてレベルじゃねえぞ!
『こうしてお前と戦うことになるとはな』
「ええ、驚きですね」
『お前一人で俺が倒せるのか?』
「ならダブルスで行くよ……ふんもっふ!」
『……卑怯じゃないか? それ』
「そんなことありません」
「おそらく、これくらいの力が無ければあなたに勝てないと涼宮さんが判断なさったのでしょう」
「もしくは、超能力だから分身くらいはできるのでは? と思ったのかもしれませんね」
「おっきいキョンタン! おっきいキョンタン!」
「おっしゃいくぜぇ! せかんどれいどぅおおおぉう!」
『同時に喋るな、しかも変なのが交じってるぞ』
「クズが! 微塵に砕けろ!」
「私の戦闘力は53万です」
「ワシのふんもっふは108式あるぞ」
「(キョンタンのアナルの中に体ごと入れるなんて! 夢みたい!)」
『くっ! こんなふざけたやつらに負けるわけには……』
「そろそろ、楽にしてあげますよ」
『こうなったら……、そぉい!』


「やっぱりうちの副団長は頼りになるわね! あんたと違って」
「そうだな」
 古泉VS俺(偽大)のバトルは古泉の圧倒的優勢で展開された。
5分もたってないだろうに俺(偽大)はすでにボロボロだ。
まあ、スピードも数も●に全然適っていないのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
 我ながら情けない気もするが。
『そぉい!』
 ん? なんだ? って、
「うわっ! あいつこっちに倒れてきやがった!」
「逃げてください! 僕にも防げません!」
「おいハルヒ、こっちだ!」
『逃がすか!』
 くそ……間に合わねえ!
 押しつぶされる瞬間、ハルヒは俺(偽大)に向かって何か叫んだがそれで止まるはずもなく、
俺は棒立ちするハルヒを庇うために地面に伏せさせその上に覆いかぶさった。
こんなんで助かるわけないだろうが、まあ何もしないよりはましだろ。
 さあ俺(偽大)、来るなら来い!
 ……。
 ……。
 ……て、あれ? なんで来ないんだ?
「ちょっとキョン、いつまで乗っかってんのよ」
「え? ああ……、こりゃいったい……」
「こ、ここどこですか? なんで私こんな所にいるんですか?」
「……」
 なるほど、そういうことか。
「う~ん、どちらかというとみくるちゃんの未来的パワーのほうに期待してたんだけど……。
まあいいわ、頑張って有希!」
「任せて、物理障壁は得意」
『くそ! 長門か!』
「古泉君! 今のうちに必殺技とかで倒しちゃって!」
「了解しました。いきますよ~……、ファイナル・テドドn(ry」
『ぐわあああああ』
 ……ははは、どこで道間違えたのかな。これじゃギャグにしか見えねえや。


 古泉との戦闘に敗れた俺(偽)はそのまま消滅するのかと思っていたが、
「ずい分と小さくなったな」
「……」
 まあ、小さくなったと言っても元の大きさに戻っただけなんだが。
「じゃあな、俺」
「……」
 最後の挨拶くらいしろよ、俺(偽)。
「行こうぜ、ハルヒ」
「……ええ」
 古泉が俺(偽大)を倒したことにより、元いた世界へ帰れるようになった。古泉曰く、
『おそらく、彼の神人としての力がなくなったおかげだと思います。
通常の閉鎖空間も神人の消滅とともに崩壊するものですからね』
 だそうだ。
 んで、その古泉たちは一足先に帰っちまった。例のへんてこりんな魔方陣を使って。
長門によるとこの魔方陣は相当ヤバいもんらしい。呼んではいけないものとか呼べたりするんだとさ。
 これでちゃんと戻れるのだろうか。多少心配だったが俺たちは魔方陣の上に乗った。
「……あとはあたしが念じるだけね」
「ああ」
 長い一日だったが、これでようやく終わりだ。布団が恋しいね。
「おい俺!」
「……どうした俺? 最後の挨拶をする気になったのか?」
 俺(偽)はズタボロの体でなんとか直立状態を維持している。
「ハルヒを」
 「返せ」とか言うんじゃないだろうなと俺は思ったが、俺(偽)の次の言葉を聞いて己の愚かさを呪ったね。
「幸せにしろよ!」
 はっとした。……終わりじゃない、始まりなんだ。俺はまだ、責任を果たしちゃいない。
「返事は?」
「……任せろ、ハルヒは俺が必ず幸せにする」
「よし……俺が望むのはそれだけだ。それじゃあな、俺」
「ああ、じゃあな、俺」
 ハルヒのためにも、俺のためにも、俺自身のためにも、俺はハルヒを――。
「キョン」
「なんだハルヒ?」
「……ごめん! さ――」
 え?

 魔方陣が発動した。俺一人だけを乗せて。
 

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