第3章・朝比奈さんのお誘い

 どうやら、どこかで何か情報の齟齬が発生しているらしい。さっきの二人の詰問内容から考えられる推論を出してみた。たぶん、大きくは間違ってないと思う。


朝比奈さんの体調を心配した鶴屋さんが電話をかけると朝比奈さんが泣いていた。

聞こえた俺の名前で、泣いているのは俺が原因と考えた。

そう思った鶴屋さんがハルヒになんかあったか聞いてみた。

俺が送って帰ったと聞いた。

どうやら俺が酔った朝比奈さんを手籠めにしたんじゃないかと早とちり。

二人して俺ん家に殴り込み。


…らしい。激怒するのも頷けないわけでもないが、間違ってるぞ。教室で長門を抱き起こす俺を見た谷口を俯瞰で見下ろすぐらい超越してる。早とちりが齟齬の原因なら俺のしなきゃいけないことはそんなにもないだろうし、難しいことでもないだろう。

朝比奈さんと話す>鶴屋さんの誤解を解いてもらう>ハルヒの誤解を解く、だ。

『>』の左項の人が少し口添えでもしてくれればあっさりと片はつく…はず。

明日にしようかとも思ったが、鶴屋さんの言う通りこういったことは早いほうがあらぬ詮索をされずに済むし、朝比奈さんさえ落ちつていれば問題はあるまい。それより、携帯をどこかに置き忘れたような妙な焦操感。落ち着かない。俺は早速携帯のメモリから朝比奈さんの番号を呼び出して発信した。

呼び出し音が続き、これは出ないかな? そう思ったころ、コールが止まる。

良かった。声も変わりないいつもの天使の声だし、もう落ち着いておられるようだ。

俺は深く息を吸い込んで深呼吸すると、とりあえず謝った。

「…あの、その…なんか、俺、朝比奈さんに失礼なことしちゃったみたいで…すみません。何をしたのか覚えてないんですけど、とにかく謝ろうと思って」

 何もしてないのに謝るってのもなんだかなとは思うものの、もしかすると何か情報操作でもされるなり、もしくは朝倉に刺された俺が階段から落ちたことになっていたように、今の俺の記憶と違う、朝比奈さんに何かした歴史に上書きでもされちまったのではないかと、急に不安になって歯切れが悪くなりながらも、いきなりと本意を伝えると電話の向こうの朝比奈さんはあっさりと許してくれた。

俺に対してじゃなくて、自分のことで泣いてたのに鶴屋さんが早とちりしただけだからと。

朝の二人の乱入の後、朝比奈さんと鶴屋さんは会って話をしたらしく、どうやら鶴屋さんの誤解はすでに解けた後らしい。ハルヒの方は鶴屋さんがフォローを入れてくれるとのこと。ハルヒが素直に人の話を聞くのはこの人ぐらいしか俺は知らんので、ありがたくお言葉に甘えることにした。

あっさりと用件が済んでしまいこのまま電話を切るのも名残惜しく、俺は朝比奈さんと当たり障りのない話しを続けた。彼女の笑い声も聞こえる。いつもの俺の朝比奈さんに戻ってくれたようでほっとした。一通り話すネタも尽きて電話を切ろうとしたら、朝比奈さんが引き留めた。

「あのぉ、キョンくん。明日、お時間ありますか?」

ミスキャンパスからのお誘いである。即答したね。俺にはこの申し出を断る意志など、テストの氏名欄に『キョン』と間違って書いてしまう確率ほどもない。

「はいっ、大丈夫ですよ。朝比奈さんのお誘いを断ったりしたら末期まで後悔しますから」

「うふふ、もう、キョンくんたら。何時頃ならいいですか?」

目の前で朝比奈さんが勝負服を着てウインクしている幻視が見える。

実際はお詫びかまた何か未来からの用事というところが真相だろう。でも期待するのは自由だよな?

「そうですね、ええと、あんまり朝早くは…11時ころとかどうですか? ランチでもどうでしょう? ハルヒに見つかるとやっかいなので、特に場所の問題がないんなら、ここからちょっと離れて四宮駅とかどうですか?」

「それなら、この前梅多のほうでいいお店見つけたの。そちらのほうに行ってみませんか? 電車降りたところの左側のLARGEMANのコインロッカーのあたりで待ち合わせで」

朝比奈さんの申し出である。反対する理由もない。ちなみにLARGEMANとは、神急電車梅多駅の改札出てすぐにある、情報用大型液晶ビジョンのことである。階段を挟んで左右二基あり、待ち合わせ場所の代名詞となっている。正確には左側はCO-LARGEMANといい、休日は人多すぎで『LARGEMANの前』だけではどこにいるのか判らんこともあるぐらいだ。

「はい、わかりました。では、11時に…また、明日」

「うん、さようなら…」

言って、お互い先に切るのを待つ膠着状態に陥ったので、俺は後ろ髪を盛大に引かれながら切断ボタンを押した。

デートのお誘いと思っていいよな、これは。

登下校で一緒になったり団活の買い出しで二人出かけたりはするものの、特に目的も定めず二人だけで出かけるのはしばらくなかった。

二人きりのデート…なぜだが俺の頭には昨夜送っていったときの朝比奈さんの仕草が甦った。

止めどなく溢れる妄想。いやもう、エロい妄想をするなという方が無理だ。どんどん暴走していく俺の頭の中の朝比奈さん。下半身が何やら熱くなるのを感じながら、しかし頭の隅には、昨日の今日だきっと何かあるね、実はハルヒの仕組んだドッキリじゃないか、とか疑う俺がいるのも確かだった。何かうまく行きそうになると、かならずハルヒの邪魔が入る。変に勘ぐるのも忌々しいが身に染みついた因果な習性だ。

ま、せっかくだ、もう少し妄想していようや。俺は再び妄想の世界に耽溺を開始した。

「キョンくーん、ごはんだよー!」

中学生になったのにまだ小学生と見間違われる妹からの食事の呼び出しであっけなく妄想タイムは強制終了。当てつけにガシガシと指を立てて妹の頭をかき回し階段を降りた。



部屋に戻ってくると、ベッドの上に投げ出していた携帯電話の着信ランプが点滅している。着信履歴を確認すると鶴屋さんからだった。今朝のこともあるし、報告はしておいた方が良いだろう。俺はすぐに電話をかけた。

「やっ、キョンくん。いやー朝はごめんねーっ。おいらの早とちりだったさーっ。びっくりしたにょろ? 悪いことしちゃったね。はっはっはっはっは」

いつもの豪快ハイテンションである。今朝は、この人がハイテンションでない状態を見たわけだ。レアカード引いたようなもんだな。それ以上か。多分に恐ろしい思いもしたが。

「いえ、朝比奈さんとはさっき電話で話しました。ご心配ありがとうございました」

「ああ、ハルにゃんのことはあたしがうまくやっとくからさっ、言っちゃったのはあたしだしねっ。こっちは心配しなくていいにょろ。でさ、みくる、なんか言ってたかい?」

「ありがとうございます。ハルヒのほうはお願いします。あいつは俺が言ってもちゃんと聞いてくれませんから。えっと、実はですね、明日会うことになりました」

「おっ、さっそく仲直りのデートですかい? みくるもやるなぁー。うん、おねえさんは嬉しいぞっ」

妹を見守る姉、そんな感じの口調だ。なんかいいなあ。こちらの妹もそのうち男とデートの約束なんぞするんだろうか。想像したらなんだかやるせなくなった。先に断っておくが俺には妹属性はない。この心境は年頃の妹を持つ兄貴ならわかってもらえるだろうか。

「それでねっ、一つお願いがあるんだ。みくるがさっ、なんか言いたそうにしてたら、ちゃんと聞いてあげてくれないかなっ。話しやすい雰囲気を作ってあげるにょろ。それは男の子の仕事だぞっ。あと、返事はあんまり延ばさないであげてねっ。あの娘のかかってる魔法はシンデレラみたいなものだから」

なんですか魔法って…。あなたなら呪文の一つや二つ持ってても驚きはしませんが。

「何か知ってるんですね? 朝比奈さんが泣いてたのにも関係してるんですか?」

「ふっふっふ。それは女の子の秘密ってぇことだよっ。言うわけにはいかないねぇ。いやー、キョンくんも隅におけないねぇ」

いたずらっぽく言った。何かあるのだろう。明日になれば自ずと解るだろうし、ここでしつこく訊く必要はない。

「みくるのこと、よろしく頼んだよっ! じゃねー、おやすみっ!」

鶴屋さんらしくさっぱりと電話は切れた。

 こういうところが、鶴屋さんが誰からも愛される所以である。名誉顧問としてこれ以上の人材は宇宙人やら未来人やら超能力者並に存在しないだろう。これもハルヒの力…考えすぎか。

まだ寝るには早い時間だが、夕食で腹一杯になったこともあるだろうし、朝に予期せぬ出来事で起こされたこともあってか、もう睡魔が俺の上で寝袋を用意して待っている。明日は遅刻するわけにもいかないし今日は寝よう。そう決め込むと布団に潜り込み、皮算用になるだろう明日のデートの計画を練りつつ眠りに落ちた。



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