午後五時。部室にて。


「そろそろ来ると思ってたぞ」
呆然としている俺の顔が実に面白い。
紛らわしいので、この時間帯の俺は……キョンと呼ぼう。
……ついに自分で自分のことを「キョン」と呼んでしまった。悲しくなってきた。
キョンは真っ青な顔をして――ここは省略しよう。
物語は二日目へと進む。


二日目 午後四時七分。校舎裏にて。


で、死体はちゃんと処理されたのか?
「それを今から古泉に確認するんだよ」
キョンはポケットから携帯を取り出して、古泉の番号に掛けた。
そろそろ元の時間帯に帰れるはずだな。
ん? 元の時間帯?
元の時間帯って今から一時間後だろ? たった一時間、未来に行く必要があるのか?
そんな労力使う必要が無い。たとえ未来の技術を用いたとしても、時間を移動するのはかなりのコストがかかるはずだ。
じゃあ、なんで帰る必要があるんだ? いや、そもそも帰る必要なんてあるのか?
このまま帰らなければ、誰かのデメリットになるのか? それともこのまま帰れば誰かのメリットになるのか?
あるいはその両方か?
では、それは誰だろうか。
決まっている。朝比奈さんしかいない。これが可能な人間は彼女だけなのだから。
朝比奈さんにとって、どういうメリットとデメリットがあるんだ?
このまま俺を帰す……
あのとき「俺」はなんて言った?

 

『なんでここにいるんだ?』
『知らん。朝比奈さんに聞け』

 

 

……俺は一時間後には帰っていない?
そのまま再び昨日の午後三時四十分へ送られたのか?
なんでそんなことを……。
このまま昨日へ俺を送れば、俺はこのキョンに殺されるんじゃないか?

 

 

『長門と朝比奈さんにも注意するんだ。あの二人も同じ理由でハルヒを憎んでいるだろうからな。
機会があればすぐに殺すだろう。事情を知ってるお前もな』

 

 

『事情を知ってるお前もな』

 

 

まさか……な。考えすぎだよな。
キョンは電話を切ってポケットにしまった。

 

「これで一件落着か。やっとこれで未来に帰れる」俺は背伸びをした。
この後に、たしか「俺」が消えたんだよな。
「そろそろ時間だから俺は帰るな! じゃ、がんばれ」とキョンにひとこと声を掛けてから、俺はキョンの前から姿を消した。


一日目 午後三時四十分。部室にて。


この日のこの時間にここに来るのは二回目だ。
「な、な、な、なんで? 俺は授業を受けているはずだろ?」
おいおい、ちょっとオーバーリアクションだな。
ああ、確かに授業を受けてる。この時間帯の俺はな。でも、お前の時間帯からさらに未来の俺は、授業を受けてない。そして俺を殺した。
「つまりお前は……あの時、俺を殺して、翌日に俺の前で消えた「俺」か?」
そうだ
「じゃあ、これから俺を殺すのか?」
違う。俺はもう俺を殺した。死体を持ち上げるのは二回で十分だ。
キョンは俺を気に入らないような目で見た。
「じゃあ、なんでここにいるんだ?」
知らん。朝比奈さんに聞け。
「さっぱりわからない。朝比奈さんは何をしたいんだ? 未来に戻せばいいのに」
お前はまだ気づいてないだろ、矛盾点に
「なに? 矛盾点?」
たった一時間なら時間航行する必要はない。つまり、明日の午後四時に姿を消す理由が無い。
しかし、朝比奈さんは俺をこの時間帯に送った。
矛盾している。あれ? これって矛盾って言うよな?
まあ、今キョンに言う必要は無い。
「ああ、まあ後で気づくだろ」
「今、教えてくれてもいいじゃないか」
「それはできないな。あれだ、禁則事項とか言うやつだ」
「企業秘密」と言いたいところだったが、その言葉はあまり気に入っていないのでやめた。
「まあ、しばらくすれば元の時間帯に戻れるだろう。暇つぶしにオセロでもやるか?」

 

午後四時四十三分。部室にて。

 


「なあどういうことだよ。『機関』がハルヒの抹殺? それは一部の派閥だけだろ? なあ!」
キョンは廊下に視線を向けたまま、俺を問い詰める。
このまま言えば、俺はキョンに殺される。しかし、今ここで言うしかない。コイツ、いや、俺には真実を知る権利がある。
「まあ、落ち着け。お前も『機関』の人間の立場になって考えてみろ。ある日突然、普通の人間じゃなくなる。
それがどんなに辛いか想像したことあるか? 俺自身はそんなこと体験したことは無いが、辛くないということは無いだろう。
まず例外なくいじめられるな。そして友人が近づかなくなる。会社をクビになる。最悪の場合、隔離される」
でも、それは能力のことを人に話した場合だろ? そんな人間は少ないんじゃないか?
「調べればいくらでも出てくるさ。三年前からそういう事件が相次いでる。それに人に話せないという辛さも尋常じゃないぞ?
自分がどんなに辛い思いをしていても、人に悩みを相談することができない。もしかしたら、自分の頭は変になっちまったんじゃないか、
と考える人間も少なくない。三年前から自殺者数が増加してるのもそのせいだ」
調べてないから自殺者数なんて知らないが、あの「俺」がそう言っていたのだから間違いないだろう。
「それだけじゃない。なんとかそれを乗り越えたとしても、最大の難関が待ち受けている。神のわがままを聞かなきゃならんからな。
神は機嫌が悪くなるとタチの悪い怪物を暴れさせる。それにやられて死んだ人間も山ほどいる。
SOS団ができてからは閉鎖空間が現れる頻度は減ったが、神のわがままはさらに無茶なものになった。
どれだけの金がかかってるか知ってるか? 日本の国家予算とたいして変わらないんだぞ? そんなに金をかけて、
多大な犠牲を出し、どんなに苦労しても、世界はいつ滅亡してもおかしくないんだ。こういうのなんて言うか知ってるか?
『骨折り損のくたびれもうけ』だ。自分たちにプラスになることは全くと言っていいほど無い。お前だったら、ハルヒのことどう思う?」
「……近くに鈍器があったら殴り殺してるだろうな」
「ああ。古泉を含めた機関の人間は、機関の仕事をする際にはここまで近づく必要は無いんだ。監視したいのなら、
遠隔操作ができる監視カメラでも使えば良いだけの話だからな。凸レンズのカメラのほうが人間より視界が広いし。
何の為に近づいてきたのかというと。ひとつしかないだろ? 暗殺だよ。証拠を一切残さない方法でな」
キョンは廊下の方を向いたままだ。
「古泉は危険だ。もうアイツには近づかないほうが身のためだ。長門と朝比奈さんにも注意するんだ。
あの二人も同じ理由でハルヒを憎んでいるだろうからな。機会があればすぐに殺すだろう。事情を知ってるお前もな」
俺が、このお経のように長い台詞を言い終えると、キョンは廊下に備え付けられている消火器を持ち上げた。
「……おい、お前。なにやってるんだ?」
「ん?」
キョンは消火器を手にしたまま扉を閉め、俺の方を向いた。
お、おい、ま、待て! 何考えてる!? 待て!
「待たない」
キョンは消火器を振り上げた。
ま、待て! 殺す気か!?
「よくわかったな」
キョンはそのまま消火器を真っ直ぐ振り下ろした。
消火器は俺の額に命中した。グラリと世界が傾く。俺はバランスを崩して床に倒れこんだ。
まだ意識はある。残った力でなんとか抵抗しようとした。でも無駄だ。
顔を動かさずに、そのまま視線を上のほうへ向けると、消火器が俺に向かって再び振り下ろされるのが見えた。
もう、痛みすら感じない。
目の前が真っ暗になった。

 

人間は自分たちが思っている以上に丈夫な生き物で、頭は頑丈な頭蓋骨で覆われている。
まあ、人間はパキケファロサウルスの親戚ではないので鈍器で殴られたらアウトだが、
俺が後頭骨や前頭骨を陥没させるほどの力で俺自身を殴ることなどできないし、
できたとしてもある程度の躊躇いがあるはずだ。
だから俺は俺は俺を殴っても致命傷と呼べる傷をつくることはできない。

 


三日目 午前十一時二十四分。A市の廃墟ビルの地下室にて。


ここは天国か?
それとも地獄か?
真っ暗だ。なにも見えない。
手探りで、何か明かりになるような物を探す。床はタイルだ。天国ではないようだ。
大きな木箱もある。一メートル四方の立方体だ。人間一人が入れる大きさだ。こんなもの何に使うんだ? 死体でも運ぶのか?
壁もどこかの大浴場のような感じのタイルだ。
なんで俺はこんなところにいるんだ? 死んだんじゃないのか?
照明が無いので真っ暗で何も見えない。窓も無いので一切の明かりが無い。
壁に沿って進むと、ドアノブのようなものに手が触れた。
回してもドアは開かない。鍵がかかってるのか?
どうやって俺はここに来たんだ?
ドアを通り過ぎて、また壁に沿って前に進む。
大浴場のような感じだが、ここにあるのは小さなバスタブとトイレだけ。このバスタブじゃ一人しか入れないな。
部屋を一周した結果、この部屋がどういう部屋なのかわかってきた。
部屋にあるものは次の通りだ。
ドア、木箱、木箱の蓋、バスタブ、トイレ。以上。
部屋の大きさは大体、5m×5mで25平米くらいだろうか。
窓は無いし、照明も無いので真っ暗だ。ドアを開ける鍵も無い。

 

……ここは密室だ。

 

 

SAWという映画を思い出した。こんな感じのバスルームに二人の男が閉じ込められるのだ。
木箱は無かったが、明かりはあった。二人の足は壁のパイプで繋がれており、2mくらいしか動くことができないのだ。
部屋の中央にはなぜかピストルで自らの頭を撃ち抜いた自殺死体があり、手にはピストルとテープレコーダーが握られている。
トイレのタンクには錆びたノコギリ。鎖を切ることはできないが、足なら切れる。
果たして二人をここに閉じ込めた犯人は誰なのか、二人はここから出ることができるのか、というストーリーだ。

 

俺は誰かによって閉じ込められたのか?
まさかSAWみたいに、足を切れ、とか言わないよな?
俺は部室で死んだはずだ。それから死体は……

 

 

 

『……A市に、人も寄り付かないような廃墟が幾つかあった筈です。そこはいかがです?』
『古泉、俺が隠したいものは死体ではないが、死体並みの重さと大きさがある。どうやってそこまで運べばいいんだ?』
『そうですね……箱を用意します。明日までにその箱に、それを入れてください。機関の者が適当な場所に隠しますから』

 

 

 

 

「はは……まさかな……」
口では否定していても、声は震えているし、心ではそのわずかな可能性を捨てきれない。

 

 

『機会があればすぐに殺すだろう。事情を知ってるお前もな』

 

 

一筋の汗が額から流れ落ちる。
「いやだ……それだけは……」
古泉は知っていたのか? 俺が俺を殺し、それを俺が目撃したことを。
いや、そんなはずは無い。朝比奈さんしか知らないはずだ。

 

 

『朝比奈さんにも注意するんだ』

 

 

絶叫したいほどの恐怖に襲われた。
逃げたい。でも逃げられない。
そうだ、携帯はどこだ!?
ズボンのポケットを触ってみると、わずかな膨らみがあった。やった! 携帯だ!
急いで携帯電話を取り出し、液晶画面を見る。
液晶画面の明るさによって、周りが少しばかり見えるようになった。
時刻は午前十一時二十五分。電波状況は……圏外だ。
無駄だとわかっているが、アドレス帳の画面を開き、SOS団員の電話番号を確認する。

 

 

[登録されているデータはありません]

 

 

一瞬、その文字が目に入っても、頭には入っていかなかった。意味がわからない。データが無い?
なんで? そんなはずは無い。確かにSOS団員の電話番号は登録した。それだけじゃない。
国木田や谷口、家族のも親戚のもあるし、他の男子生徒や一部の女子の番号もあったはずだ。
それがひとつ残らず消えた? そんなはずはない。壊れたのか? それとも……

 

 

 


消されたのか?

 

 

嘘だ。そんなはずはない。古泉の機関の人間だって、そんな短時間で俺の携帯のパスワードを調べだして、全てを削除するなんて
できないだろう。特別な器具を使わなければ。見たところ、特殊な機械が使われた形跡は無い。
こんなことができるのは、この世にはアイツしか……

 

 

 

 

 

突然、目の前が明るくなった。照明が点いたのではない。ドアが開かれたのだ。
完全に暗闇に慣れてしまった俺の目は、突然明るくなった部屋に対応できず、一瞬視界が真っ白に覆われた。
「この三年間、これだけのために生きてきた」
聞き覚えのある静かな声が聞こえる。声の主は外からの逆光で影しか見えない。
「やっと全てが終わる」
「これは一体、どういうことだ!」俺は叫んだ。
「あなたはまだ気がついていない。彼女……朝比奈みくるが三年以上前に遡ることができなかった理由に」
何? それはこれとどう関係あるんだ!?
「これは貴方は知る必要は無い。貴方が知る権利を持っているのは、私が今から話すことだけ」
はあ!? どういうことだ! すべてを俺に聞かせてくれ! なんでお前が勝手に決める!
「今、ここで主導権を握っているのは私。私がこのドアを閉めれば、あなたはここで一生を終えることになる」
……くそ。コイツがここまで憎たらしく思えたのは初めてだ。
「あなたはこの三年間、情報統合思念体、古泉一樹の機関、朝比奈みくるの組織に騙されていた」
俺の予想は見事に的中したようだ。
「三年以上前に遡ることができない原因は、あなたが三年前に遡り、ジョン・スミスとして涼宮ハルヒと会ったこと。
その原因を削除すれば、時空航行に関する問題点は消える。
そして涼宮ハルヒは能力を失い、世界が崩壊する危険性は無くなる。
原因である貴方を殺害し、地球上の全ての人間の記憶から貴方に関する記憶を消去すれば、彼女の能力は消える。
この計画は三年前から行われていたが、涼宮ハルヒによるガードが固かったため、決行することができなかった。
そこで朝比奈みくるは、ガードを無くすために貴方を一日前に送り込み、貴方の異時間同位体をここに監禁した」
俺は何も言うことができなかった。
「私は、同じインターフェイスの朝倉涼子を操作して貴方を襲わせて、私が彼女を消去することによって貴方を信用させることに成功した。
他の二人も別々の方法で貴方を信用させることに成功している。お陰で計画は順調に進んだ」
……朝倉はただの被害者に過ぎないってことか。
「これがすべて」
……いままでの高校生活はなんだったんだ。SOS団はなんだったんだよ。
「……SOS団はどうなるんだ?」
「あなたがいなくなる。ただ、それだけ」
こいつ……今まで俺をずっと騙し続けてたのか。
激しい怒りが沸き起こったが、それ以上に悲しみのほうが大きかった。
涙が俺の頬の上を滑り落ちていった。
「最後に言い残すことは?」
話し終わった長門は、扉に手を掛けた。
「死にたくない! 嫌だ! 俺は生きる!」
俺は可能な限り大きな声を出した。俺の声が暗い部屋の中で何度も反響する。
「それは許されない。貴方はここで一生を終えるべき」
この残酷なインターフェイスは扉に手を掛けた。この扉が閉ざされれば、ここは完全な密室と化す。
「待て! 待ってくれ! 閉めないでくれ! うわああああああ!!!」
容赦なく扉は閉められ、部屋は真っ暗闇になった。
その瞬間、ここが俺の墓場になることが確定した。
絶望的だ。

 

 

 

 

 

 

 

先週、谷口に「お前、もうちょっと物事をポジティブに考えたほうがいいぜ」と言われたのを思い出した。
どういう話の流れでそんな台詞が出てきたのかは覚えていないが、「お前はネガティブになったほうがいい」と言い返したのは覚えている。
この状況を前向きに考えてみよう。
密室で、暗闇で、長門と古泉と朝比奈さんに見捨てられ、携帯は圏外。ここは人の寄り付かない廃墟。
これでポジティブに考えるのは、珪性肺塵症を何も見ずに英語で書くより難しい。
誰かこの状況をポジティブに考える事のできる人間がいれば、名乗り出てきてもらいたい。今すぐ。

 

 

 

 


第四章 ~堕ちていく鍵~

 

 

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最終更新:2020年06月28日 23:40