情報統合思念体との定期的な交信で、わたしは意外なことを聞いた。それは……
『人並みに病気に感染すること』
 情報統合思念体によると、観察には『病気』という物が余計だが、『人間』として振る舞う以上、感染しないと不自然とのこと。
 わたしというインターフェースは体型的にも細いから特に、と。
 非効率的なことを排除してしまう情報統合思念体の考えらしくはないけど、一理ある。
 わたしはそれを受け入れた。今日の午前6時、起床時間に『風邪』にかかることになった。
 病気なんて初めてのことで、本で読んだことあるだけだから興味がある。
 辛いのか、痛いのか、きついのか。身体機能はどう変化するのか。
 全ては目が覚めてからわかること。少し……ワクワク。


 午前6時。わたしは目を開けて、いつものように洗顔をしようと立ち上がろうとした。……力が入らない。
 これが病気? これが風邪? 思った以上に辛くてきつい。
 歩けそうにない。今日は学校を休むべきだと自己判断をした。連絡をしなければ。
 それにしても、ここまで症状を酷くする必要はなかったのではないかと考えた。
 治ったらまず、そのことを情報統合思念体に抗議しようと思う。
 わたしは手近に置いた携帯電話を手に取り、アドレス帳を開いた。
 この携帯電話は、彼が持っていた方がいいと勧めてくれた物。探索の時に図書館に行く前に買いに行った。
 それからもけっこう熱心に教えてくれて、今では普通に使えるようになった物。
 アドレス帳に入っているのは数人だけ。涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹、そして……彼。
 学校の電話番号は知らないから誰かに伝言を頼むべきと判断した。

 アドレス帳から一人の番号を選び、その番号へと電話をかけた。
 1コール、2コール……8コール、ピッ。
「こんな朝早くに誰だよ。俺の貴重な睡眠時間が……」
「もしもし」
 自分の口から出て来たのは「彼が電話で話す時はまずこれを言え」と教えてくれた言葉だった。意外。
「……長門か? どうした?」
 彼はまだ眠そうな声をしながら、心配してくれた。
「今日、風邪で学校を休むから連絡を」
「……お前が風邪。何かの間違いか?」
「間違いではない」
 彼は電話の向こう側でひたすら沈黙していた。しばらくして咳払いの音が聞こえて、彼の声が耳に入ってきた。
「わかった、伝えておく。暖かくして寝とけよ」
「ありがとう」
 わたしは電話を切ってもう一度横になった。それと同時に身体に異常が蘇る。
 痛みを感じないはずなのに頭痛。平衡機関に異常は無いはずなのに回っているような感覚。
 とりあえず体温を……おかしい。計れない。わたしの機能低下も起こっているよう。
 情報操作もほとんど出来ない、ただの人間と同じような状態。これが……風邪。
 わたしは大きく息をして諦めて天井を見る事にした。動けないなら動かない。
 ……本が読みたい。でも、彼に「暖かくして寝とけ」と言われたから我慢する。
 口元まで布団を引っ張り上げて、目を瞑った。彼に言われた通りにすれば治るだろうか?
 これも実験する。彼はわたしにほとんど嘘をつかない。だから、言った通りにすれば治るはず。
「……おやすみなさい」
 誰にでもなく、わたしは呟いた。


「ちょっとキョン、早く水を持ってきなさい! みくるちゃんもお粥作って!」
「は、はいぃ!」
「わかってるから待ってろ」

 ……騒がしい。わたしが目を開くと、涼宮ハルヒの顔がそこにあった。
「起きた! 有希、大丈夫?」
「へいき」
 正直な所、平気ではない。まだ頭も痛いし、グルグルと回っている感覚もある。
 初めて彼に嘘をつかれた。少しだけ悲しい。
 その時、乱暴に濡れタオルを額に当てられ、枕に頭を乗せられた。
「そんなわけないだろ。熱が40度もあるんだ、黙って寝てろ」
 40度。それは人間の体温からするとかなり高く、とても辛い状態である。
 ……やはり、情報統合思念体に抗議が必要。
 玄関が開く音がして、古泉一樹が入ってきた。わたしは鍵を閉めていなかったようだ。
「お薬を買ってきました。長門さん、ゆっくり休んでください」
 みんなの好意は非常に助かる。だけど、みんな制服な上に……時間はまだ13時21分。
 学校のあっている時間のはず。
「そんなもん有希の方が心配に決まってるからサボりよ! ゆっくりしてていいからね。お粥が出来るまでこれでも食べてなさい」
 涼宮ハルヒは剥いたみかんをわたしに手渡した。白い筋まできれいに取って食べやすいようにしてある。
 口の中に入れると、ちょっと酸っぱい感じの味が口の中に広がった。
「でも、万能な有希でも風邪ひいちゃうのね。安心したわ」
 何に安心したのだろうか? よくわからない。
「お粥、出来ましたぁ」
 朝比奈みくるがお粥を熱そうに運んできて、それを受けとろうと手を出したが、わたしには届かなかった。
「あたしが食べさせてあげる。早く治すのよ。はい、あーん」
 いつもより、みんなが優しい。病気になるっていうのはこういうこと?
 それなら……ずっと病気でもいい。

 孤独じゃないのはうれしいこと。SOS団に入ってそのことを知った。
 そして病気になればみんなが構ってくれて、孤独じゃなくなる。
「どうしたの? 食欲無いの?」
 涼宮ハルヒがわたしの顔を心配そうに覗いてきたからわたしは首を少しだけ横に振った。
「たべる」
 口を開けてスプーンを受け入れると、薄味だけど美味しいお粥が舌に乗った。
 ……熱い。今は能力も制限されているから熱を冷ますことも出来ずに舌が火傷のような状態になる。
 だけど食べる。朝比奈みくるがわたしのために作ってくれたから。涼宮ハルヒがわたしのために口に入れてくれるから。
 不思議と食事は進み、食べ終わったところでもう一度寝かされた。
 食べて、薬を飲んで寝てれば治ると涼宮ハルヒに強く説得されたから。


「それじゃ有希、あたし達は帰るけどちゃんと寝とくのよ。キツくなったら電話しなさい、駆けつけてあげるから!」
「……ありがとう」
 わたしは返事をして目を瞑った。しばらくしてドアが閉まる音が聞こえて静かな時間が流れ出す。
 ひとりぼっち。不意にそんな言葉が頭に浮かんでくる。図書館で読んだ絵本に載っていた言葉。
 とっても寂しいこと。……つまりわたしは今、寂しいという感情を抱いている。
 このようなことは滅多にない。今までにあったこともない。だけど、今はとても寂しいと感じている。
 病気で機能が低下しているからだろうか? 今のわたしの思考は何かが違う。
『寂しくて、切ない』
 みんながいなくなったから。ひとりぼっちになったから。本当は誰かに側に居て欲しいから……。
「有希、起きてる?」

 暗闇の中から聞こえてくる一つの音。その音に反応してわたしは目を開けた。
 涼宮ハルヒ。わたしの観察対象がそこにいる。
「起きてるみたいね。あたし、今日はずっとここにいるから」
「どうして?」
 特に泊まる必要も無いはず。それに彼女は制服のままだし、親も心配する。
「あんたが心配だからよ。それにほら、一人暮らしだから心細いでしょ?」
 心配……してもらえる。それだけでわたしはうれしかった。
「……ありがとう」
 わたしは彼女の手を握って、そう呟いた。しかし、なぜ彼女の手を取ったのかはわからない。
 反射的にそうしてしまったのだ。不思議な感じ。
「有希……いつもほっといてごめんね。あんたが頼りになるし、何も反論しないからつい、ほっといちゃうの」
 これは涼宮ハルヒの本音……だと思う。能力が使えないから確かめる術はない。
 だけど、気持ちがこもっている……気がするから。
「だから今日は何でもワガママ言いなさい。全部聞いてあげるから」
 わたしは風邪をひいている。こんな時は無理をせずに甘えても構わないと本で読んだ。
 だから、少しだけ甘えてみたいと思う。
「喉が痛いから……水を」
「わかったわ。ちょっと待ってなさい」
 人に命令をする側の涼宮ハルヒがすぐに水を持ってきてくれた。すごく優しい。
「汗をかいて気持ち悪い」
「今、体を拭いてあげるから。着替えも持ってきてあげる」
 涼宮ハルヒは手際よく体を拭いて、着替えさせてくれた。すっきりした。
「さぁ、他には何もない? お腹すいたとか、部屋の掃除をしろとか!」
「……一緒に寝て」
「え……?」
 彼女は戸惑いの表情を見せている。それはそうだろう。わたしも戸惑っている。

 どうしてこんなことを口に出したのだろうか? ……やっぱり寂しいのだと思う。
 病気だから、そのような感情が出るように情報統合思念体が仕向けた。そう思う。
「しょうがないわね。伝染さないでよ、風邪」
 涼宮ハルヒはそう言うとわたしに向かい合うように布団に潜り込んできた。
 暖かい。人の温もりという物を感じたのは初めてかもしれない。
 少しずつ睡魔に襲われるのを感じる。
「寝てもいいわよ。あたしはどこにも行かないから」
 ……そんなに眠そうな顔をしていただろうか。確かに眠いけど。
「早く治して、部室で本を読みたいでしょ? そうしたいなら寝なさい!」
「……わかった。おやすみなさい」
 団長の言う事を聞くのが団員の仕事だと彼も言っている。だからわたしも言う通りに眠ることにした。
「有希、早く元気になってね……」
 彼女はわたしの頭を撫でながらそう呟いた。返事をしようと思ったけど、寝ているフリをしよう。
 もう0時。風邪は治っているはず。今しゃべったら声でバレてしまうから。
 だから代わりに情報統合思念体に通信を送った。
『あと一日、風邪でいさせて』、と。
 そうしたらもう一日だけ、涼宮ハルヒと近くにいれるから……。
 心配をかけてしまうけど、病人だから甘える。わがままも許される……と思う。
 情報統合思念体から許可がおりた。これであと一日だけ病気でいられる。
 わたしの横で寝息をたて始めた涼宮ハルヒに少しだけ体を近付けた。
「明日も一緒に……」


おわり


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