第ニ章

銃声が屋上に響く。
背後から撃たれたみくるちゃんは、前に仰け反るように倒れた。キョンが驚愕の表情でこちらを睨んでいるのがわかった。
キョンの表情とは対称的に、古泉君の表情は、普段の笑みは浮かべていないものの、冷静そのものだった。
「古泉! 貴様」
キョンが古泉君に掴みかかる。
しかし、古泉君は見事な体裁きでキョンの攻撃をかわすと、反対にキョンの腕を掴み、地面にねじ伏せた。
「武道の心得も無い一般人のあなたでは、僕にかないっこありませんよ」
不適な笑みを浮かべ古泉君はキョンにそう言い放った。
キョンはあたしの方を睨みつけ
「ハルヒ!」
と怒りを込めて叫んだ。
「おやおや、あなたは涼宮さんではなく、朝比奈みくるを選んだのではないですか」
そう言いながら、古泉君はキョンの腕を離すと、あたしの方に歩み寄ってくる。
「なのに、朝比奈みくるがいなくなった途端にまた、涼宮さんに乗り換えるつもりですか」
あたしの横まで来ると、振り向いてキョンの方に視線をやる。
キョンを見下すその目は、いつもの古泉君からは想像できないほど、冷酷だった。
「あなたがどう思っていたかは知りませんが、長門有希や朝比奈みくるがあなたに好意を持っていたように、
僕も涼宮さんのことが好きなのです]
そこまで言うと、前髪を指ではじいてから、キョンを睨みつけ、少々怒気を孕んだ声で言葉を続けた。
「ですが、涼宮さんがあなたに好意をよせていることを知っていたので、僕は涼宮さんのことはあきらめ、
あなたと涼宮さんが結ばれるようにいままで努力してきたつもりです」
だんだんと古泉君の表情が、さっきのみくるちゃんとダブって見えてくる。
「だが! いま、あなたが涼宮さんに行った行為は、あきらかに涼宮さんと僕に対する背信行為です。
あなたは、朝比奈みくるの策略に騙されたとはいえ、涼宮さんではなく朝比奈みくるを選んだわけですからね」
古泉君は銃口をキョンの方に向けた。
「あなたが涼宮さん以外の者を選ぶのであれば、僕があなたの代わりとなってもいいはずです。
あなたには、自らが選んだ選択に対して、ここで責任をとってもらいましょうか」

「まって!」
あたしが静止すると、古泉君は普段の笑みを浮かべた表情であたしの方を向いた。
「どうしましたか、涼宮さん。あなたを裏切った彼を助けると言うのですか」
やさしい声でそう言われたが、その目や表情、仕草からは、先ほどの有希に見られたような、強い信念を感じる。
たとえ、あたしがここで助けを乞うたとしても、古泉君は決してキョンを許さないだろう。
あたしは俯いてほんの少し躊躇した後、小さな声で呟いた。
「あたしが……撃つ」
「なるほど、涼宮さんを裏切った不届き者は涼宮さん自身の手で罰を与えるというのですね。さすが涼宮さんです」
そう言うと、銃身のグリップをあたしの方に向けて、銃を差し出してきた。
「撃ち方はわかりますか」
「こんなに近いんだもん。はずすわけないよ」
「失礼しました。確かに涼宮さんの身体能力を持ってすれば、例え初めてであっても、この程度の距離では、はずす訳ありませんね」
古泉君は、銃を差し出したまま、キョンのほうに視線を向けてそう言った。
「古泉君!ごめん」
あたしは古泉君から差し出された銃を受け取ると、そのままトリガーをおこし、引き金をひいた。
銃声が響きわたり、銃弾が古泉君の心臓を貫く。
「す…涼宮…さん?」
古泉君は信じられないといった表情で、あたしを見ながら崩れ落ちた。
「ハルヒ!」
キョンが立ち上がってあたしの方に駆け寄ってこようとする。
「こないで!」
あたしはキョンの方を見ず、崩れ落ちた古泉君を見ながらそう叫んだ。
キョンはあたしの勢いに気圧されたのか、その場に立ち止まった。
「ハルヒ、お前いったいどうしたんだ。長門や朝比奈さん、古泉までも手にかけて、いったいお前は何がしたいんだ」
キョンが諭すようにあたしに声をかけてくる。
その声を聞いて、あたしは少し、ほんの少しだけ嬉しく思った。
他のみんなのようにあたしを見放して離れていくわけでもなく、
かといって古泉君のようにあたしの言うこと全てに賛成してくれるわけでもない。
あたしを諭し、時には叱り、けれど決して見捨てることの無い、そんなキョンのやさしさに包まれているような気がして………

でも、でも、もうそんなキョンのやさしさに触れられるときが二度と来ないことを、あたしは理解していた。
だから、だから最後に聞いて欲しい、あたしの想いを。
あたしはキョンの方を振り向き、素直になれなかった気持ちを、胸に秘めた想いを告白する。
「みんな、みんな大切な仲間だった。あたしからあんたを盗ろうとした有希も、あたしを裏切ってあんたを奪おうとしたみくるちゃんも、
あんたを殺そうとした古泉君も、みんな、みんなあたしの大切な仲間だった」
あたしはキョンに向かって秘めていた想いを言葉にして叫んだ。
「でも、でもキョンは、あんたは特別なの! あたしは他の誰がいなくても、あんたさえ傍にいてくれれば生きていける。
毎日を笑って過ごしていくことができる。あんたはあたしにとって、かけがえの無い存在なの! 
だから、だから、あたしからあんたを奪おうとする者は、それがたとえ有希でも、みくるちゃんでも、古泉君でも許さない! 
これがあたしのあんたに対する想い、あんたに対する愛よ!」
後から、後から涙が溢れてくる。感情が高ぶって声が詰まる。でも、最後まで言わなきゃ。
いまを逃せばもうこんな機会は二度とないのだから。
あたしは顔をあげ、下唇を噛み、キッとキョンを見据えてから、告白を続けた。
「あたしが犯した罪を許して欲しいとは思わない! あたしの愛し方を理解して欲しいとも思わない!
ただ知っていて欲しい! あたしがどれだけあんたのことが好きかってことを!」
キョンはあたしの告白を黙って真剣に聞いてくれた。そのことが嬉しかった。
いままで、言いたくても言えなかったキョンに対する想いを、ようやく伝えることができた。
だからあたしは、この後どのような結末が待っていようとも、そのすべてを受け入れる覚悟でいた。
「ハルヒ…………長…門?」
ふいに、キョンはあたしからあたしの背後に視線を移した。
あたしが振り返るのと同時に、なにかがあたしの身体を通り抜け、キョンのほうに向かって行ったような感じがした。
驚いて、キョンの方を向くと、いつのまにかキョンがあたしの目の前に立っていて、声をあげる間もなく抱きすくめられた。
「いま、長門が全部教えてくれたよ。ここで起こったこと、おまえがどれだけ苦しんだか。
俺は気が動転していて、ここが閉鎖空間であることにすら、今の今まで気がついていなかったよ」
キョンはやさしい声でそう言って、あたしの背中をさすってくれた。見上げると、空はまだ完全に閉じ切っていなかった。
そうか、情報統合思念体がまだ完全に消滅していなかったんだ。だから、有希が最後のちからでキョンに全てを伝えてくれたんだ。
あたしはそのままキョンの胸に顔をうずめ、思いっきり泣いた。あたしが泣いている間、キョンは背中をさすりながら
「ごめんよハルヒ。おまえの気持ちに気づいてやれず、辛い思いをさせて……」
と囁いてくれた。どれぐらいそうしていただろう。


あたしが若干落ち着きを取り戻し、キョンの顔を見上げると、キョンはとても悲しそうな顔をして、あたしを見守っていた。
いつのまにかあたしの持っていた銃をキョンが持っていた。あたしはキョンのその表情から贖罪の時が来たことを悟った。
不思議と恐怖や後悔といった感情はない。むしろ、罰を与えてくれるのがキョンであることがとても満足に思える。
あたしはキョンから離れると、5~6mほど距離をおいてキョンの方を振り返った。
「キョン………あんたの考えていることはわかるわ。あたしはあんたを奪われたくない一心で償いきれないほどの罪を犯してしまった。
だから、あたしが罰を受けるのは当然。その罰をあんたが与えてくれるのなら、あたしは満足よ」
そう言って、あたしは目をつむった。キョンがあたしを撃ちやすいように。
「ハルヒ……俺はお前を撃つつもりは無い」
「あたしが好きなキョンはこんなことを決して許しはしないわ」
「ハルヒ、お前は俺のことを誤解している」
「やめて! いまさら嘘を言わないで! じゃあ、じゃあなんであんたが銃を持ってるのよ。
あたしは、あたしは有希やみくるちゃんや古泉君を、大切な仲間を殺し――――――」
「ハルヒ!!」
キョンが声を荒げてあたしの言葉を遮る。
「ハルヒ、これから言う言葉は俺がお前に伝える最後の言葉だ。だから黙って聞いて欲しい」
キョンが真顔でそう言ってきたため、あたしは声を出せなくなり、黙って俯いた。
「俺はお前のことが好きだ。お前の俺に対する想いに負けないぐらい、俺はお前のことが好きなんだ。
だから、俺はお前がどれほどの罪を犯そうとお前を絶対に許さないということは無い。
お前がちゃんと自分の罪を認めて償うのなら、俺はいつでもお前を許すし、お前のすべてを受け入れるつもりだ」
あたしは正直キョンのこの言葉に驚いた。あたしは顔をあげてキョンの顔を見る。その表情は真剣そのものだった。
「だから、俺はお前を許す。たとえ俺以外の世界中の人々がお前を許さなかったとしても、俺はお前を許す」
正直、キョンの告白はあたしにはまったく予想外だった。でも、とても嬉しかった。
キョンはあたしのことを絶対に許してくれないと思っていたからだ。
だから、これがあたしを慮っての言葉であったとしても、あたしにとっては唯ひとつの希望と思えるほどの言葉だった。
「キョ、キョン……じゃあ………」
あたしは嬉しさで胸がいっぱいになり、また涙が溢れてきた。

でも、この後、キョンがあたしに告げた言葉は、あたしにとってなによりも残酷な告白だった。
「だが、ハルヒ。俺は長門や朝比奈さん、古泉の死と引き換えに、俺達だけが幸せになることはできない」
「え、でも……」
「今回のことはお前だけの責任じゃない。俺がもっと早く自分の気持ちに正直になっていれば、長門も
朝比奈さんも古泉もこんなことをすることはなかったし、お前がこれほど苦しむことも無かった」
キョンの言葉を聞いて、あたしの胸に不安がよぎる。まさか、まさか……
「今回のことは俺の責任でもある。だから、俺が罰を受ける」
そう言うと、キョンは持っていた銃の銃口を自分のこめかみにあてた。
「ちょ、ちょっと…、な…なに…やってんのよ…あんた。わ、わけがわかんないわよ。みんなを殺した
のはあたしよ。ど…どうしてあんたが責任をとって死ななきゃならないのよ」
あたしは、キョンの突然の告白と行動に、狼狽しながら答えた。しかし、キョンはまっすぐにあたしを見つめて言った。
「俺はお前を許す。だが、罪を犯した以上罰は必要だ。俺の曖昧な態度が、お前だけでなくみんなを苦しめた。
それが俺の罪。だから俺は、俺とお前の罪の両方を背負って、俺の命でみんなに償うよ。お前には生きていて欲しい。
俺の死を乗り越えて生きていくこと。それが、俺がお前に与える罰であり、お前に対する愛だ」
「あ、あんた何言ってんのよ! なんでもかんでもひとりで背負っているようなこと言わないでよ! 
そんなの全然あんたに似合わないんだから! まず、あんたの持っている銃をあたしに渡しなさい! いい、これは団長命令よ!!」
あたしは怒った顔を作って、必死で叫んだ。キョンは、そんなあたしの様子を見て、ほんの少し微笑んだように見えた。
そして次の瞬間、屋上に銃声が響き渡り、キョンの身体がその場に崩れ落ちた。
「キョン!!!」
キョンは側頭部から大量の血を流して、あたしの前方に倒れている。誰がどう見ても即死の状態だ。とても助かりはしないだろう。
「あ……あ……あ……」
言葉にならない呻き声をあげながら、よろよろと倒れたキョンに近づいていく。
そして、あたしがキョンの身体に触れようとした瞬間、周囲の風景に亀裂が生じた。
あたしが驚いて辺りを見回すと、亀裂の入った風景がまるでガラスが割れるように消滅した。
情報統合思念体が完全に消滅したため、それに伴い閉鎖空間も消滅したのだ。気が付くとあたしはひとり屋上にたたずんでいた。
「うわあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ……」
あたしはその場に膝をつき、屋上にこぶしを叩きつけて、叫ぶように泣いた。とめどなく涙が溢れてくる。
そこにはキョンの遺体も、みくるちゃんの遺体も、古泉君の遺体も無かった。
しかし、あたしにはわかっていた。いままでの出来事が夢や幻ではなく現実であることを。あたしはいつまでも、いつまでも屋上でひとり泣きつづけた。

 

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最終更新:2020年03月13日 00:13