ふと苦しくなったとき、僕は海辺へ行く。寄せては返す波をただずっと眺めるために。
そしていつしか波が僕の気持ちを洗い流してくれる。また明日から頑張れる。
その日も遠出して海に向かいました。特別何かがあったわけではない……と思うのですがね。
自分のことは自分自身では案外把握出来ないものだから、本当は何かあったのかもしれません。
「ふう」
潮風に溜め息のせ、いつものようにぼんやりと海を見つめました。
波が寄せては返し、砂浜に跡を残す。そしてまた新しい波がおとずれて新しい跡を描く。
未来永迎、繰り返されるだろう自然の営み。僕がここに居ても居なくても起こること。
しぶきが跳ね、波打ち際から離れて座ってる僕の服を濡らしました。
なんとはなしに砂浜に落ちた貝殻を拾い上げ沈み行く夕陽に放り投げてみました。
それは届く筈もなく失速し、海面に吸い込まれて――。
「……」
それでも一つ、また一つと太陽に向かって投げます。
当然一つ、また一つと海に落ちて行きます。
周りから投げる物が無くなるまでそれを続けました。
「ここにいましたか」
突然かけられた声は森さんのもの。
「ええ」
「何かあったの?」
彼女が固い口調を崩して僕の隣に腰掛けました。
「分からないです」
これは本当のこと。
それが分からないから僕はここに来るのかもしれない。
自分の小さな悩みなんかどうでもよくなる程に堂々とした静けさを感じるために。
あるいは――。
「……してみて」
「はい?」
思索の海に潜り込み過ぎたようで、彼女の言葉を聞き逃していました。
「学校で何があったか、話してみて」
もう一度繰り返して言ってくれる。メイド的でも般若のようでもない微笑。
つられて僕は喋りだしました。
「今日ですか。確か……
「いい、キョン? 人生は短くて、世界は広いのよ。
今できることを一秒後に回そうなんて論外だわ!」
部室に入る前から聞こえる涼宮さんの声。非難めいた響きは聞こえるけれど、そこに怒りはないようです。
「悪かったって。……ただ、三時間前からってのはどうかと思うぞ」
素直に謝らずに何で最後に余計な一言つけちゃうんでしょうか、この人は?
「だから、さっきから言ってるでしょ! 人間の時間は限られてるのよ!
一日八時間は睡眠に取られるでしょ。大人になれば仕事があるし、……」
「高校生にも授業があるぞ」
「じゃあもっと、自由に使える時間が減るじゃないの!
大体あんたは毎回毎回、遅刻して……」
何が原因で言い争いになったかだいたい予想がついたところで、僕は扉をノックしました。
これ以上やられると世界の危機ですから。やれやれ、……なんてね。
「どーぞ」
涼宮さんの不機嫌な声と、助かったと言いたげでありながら複雑な彼の表情がおでむかえです。
ちなみに朝比奈さんは今日もメイドのコスプレに身を包み、
普段は部室の端で本を読んでいる長門さんはまだ来ていないようす。
「こんにちは」
笑いながらそう挨拶した僕が彼の前の席に座るのとほぼ同時にお茶が運ばれてきます。
「ありがとうございます、朝比奈さん。いつもすいません」
「いいえ、いいんですよぅ」
ぴょこんとお辞儀をし、お盆を両手で抱えてイソイソと下がる朝比奈さん。
……『朝比奈さん』か。最初、彼女がいない所では『朝比奈みくる』と呼び捨てにして、
彼に咎められて形式上は『朝比奈さん』と呼び始めて、いつしか自分の中でも定着してしまった呼称。
そういう所を踏まえて考えるとやっぱりここが僕の居場所なのだろう。
彼に宣言したように最早僕は機関よりSOS団の一員になっているようで……。
ぼんやり物思いに耽っている僕の耳が再びお説教モードに入った涼宮さんの声をとらえます。
「人の一生はこの永ーい歴史に比べたらほんの一瞬で、
そこに名前を刻むには何かバーン、とどでかい事をしなきゃ駄目なのよ!」
にがむしを噛み潰したあとに青汁を飲み干したような顔の彼。
そんな「止めろ」って痛々しい視線は送らないで下さい。所詮人の身で神様には逆らえないんですよ。
……僕自身はその神様説は支持しませんけど。
「ただダラダラ生きてダラダラ死ぬなんて論外よ! 使える時間は一秒たりとも無駄にしちゃいけないのよ!」
「分かった。昨日は待たせて悪かった。だが、もう一度言わせてくれ。
俺は待ち合わせの一時間前に駅前に着いたんだ。
なのに何でその三時間前からお前が待ってたんだ?
普通に考えたらおかしいだろ?」
「あーんーたーはー……」
僕の目がおかしくなったのでしょうかね、部室に鬼神がいらっしゃいます。
くわばら、くわばら。
不自然にならない範囲で最大限に僕は椅子を彼らから遠ざけます。朝比奈さんも同じ。
ああ、彼の言う昨日のこととは、客観的に見るとデートに分類されるものです。
お二人は断じて違う、不思議探索だと口を揃えて言うでしょうけれど。内心はともかくとして。
「言っとくけどあたしは生きてる限りは全力投球よ。
このあたしが確かにここに存在したって証を残さなきゃなんのための人生なのよ?
それなのにあんたって奴は……」
犬も食わない喧嘩をこれ以上紹介する必要もないでしょうから省略させて頂きます。
「それだけ?」
「ええ、これだけです」
でも僕が何を悩んでいたかはわかりました。多分それは『古泉一樹という人間』の存在理由。
「僕は機関の意向で北高に配属されました」
これを「機関」の森さんに話すのはご法度かもしれない。それでも……。
「涼宮さんは転校生というだけで僕をあの部室に連れ込んだんです。
つまり僕以外の人間が彼らと付き合った可能性だってある。きっとそれでも不具合はなかったはず。
僕があそこにいる必然性はどこにもないんですよ」
即座に森さんは言いました。
「確かに貴方である必然性はなかった。でも今はあるでしょう?」
僕も言い返していました。
「それは偶然の上に習慣が積もって出来たものでしかない」
あの場所に僕がいる『僕』から派生した必然性が欲しい。
『機関』なんか関係なしに僕はあそこにいるべきだと言える確固たる物が――。
「それは難しい話ですね」
溜め息とともに彼女が言う。
そう、とても難しい話。
「だから、困るんです」
「……」
「……」
黙って空を見上げてみる。もうすっかり暗くなっていて、星がチラチラと瞬く。
それでも僕らは動かなかった。何かを待ってるように身動き一つせずに。
「古泉」
「なんでしょうか?」
続く森さんの言葉に僕はキョトンとしました。
「海に入りなさい」
スッと彼女は立ち上がり、僕の右手をとって、海に投げ入れた。
ビチャッと音がして気付くと口の中にほんのり、いやかなり、塩味が広がる。
「いきなり何するんですか!?」
「なんとなくね」
「怒りますよ」
実は結構頭に来ています。
「そうすれば?」
からかうように森さんは言う。
「いつもそんな難しい事を考えて笑ってばかりでは疲れるからね。
怒ってみなさい。泣いてみなさい。たまにならいいと思うわ」
森さんは笑う。無邪気にってこんな感じでしょうかね。
「その気も失せてしまいましたよ」
反則な笑顔のまま森さんが視線を飛ばす。
「そう。……ああ、来ましたね」
視線の先には海岸を走る車が一台。……ってあれは機関のでは?
「夜の海と言えば花火ですな」
バケツを持った新川さんが車から降りてくる。
「冬ですが?」
呆れた声なのは僕。
「夏にやらなければならないってものでもないしね」
とは袋を両手に下げた圭一さん。
「懐かしいなあ。学生時代を思いだすよ」
と、裕さん。
「いいんですか?」
いつ何時『バイト』が入るかわからないのに。
「私たちだって人ですから」
そしてどこかズレた返答。
こうして、なぜだか分からぬままに冬の花火と洒落こむ機関の面々。
冬にも関わらず光っては消えていく花火たち。
「綺麗ですね……」
色とりどりの火の粉の華が咲いては散り、夜は更けていく。
今日は一体どんな日だったか。明日は一体どんな日か。
そんなことより、この一瞬。
FIN.
最終更新:2007年03月02日 20:53