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○二章

「キョン、あたし今週一杯部室に行かないことにするわ。みんなによろしく言っといて」
 帰りのHR終了後、ハルヒはぶしつけにそれだけ言ってさっさと帰ってしまった。一日二日姿を見せないことはあったが、ここまで明確に欠席予定を告げられたことなんてなかったから、俺はそれにも動揺した。

 確実に何かが起こり出している……。

 俺は部室のドアを開け、先に長門を中に入れて自分も続いた。すでに古泉も朝比奈さんも来ている。
「おや、涼宮さんはご一緒でないのですか?」
 古泉がゲームを用意すべく席から立ち上がりながら尋ねた。
「今週一杯部室に来ないそうだ」
「えぇっ!?」
 驚いて振り向いたのは朝比奈さんである。すでにメイド服サマーバージョン第二弾をお召しになっており、わりあいシックで落ち着いたたたずまいがまた最上級生となった彼女にまことふさわしく……などとやってる場合じゃないな。
「そうですか。それは残念ですね」
 残念そうに聞こえないぞ。お前はフリでもいいからもっと感情を表に出せ。
「そう言われましてもね」
 古泉は人生ゲームの用意を淡々とこなしつつ、
「一度染み付いてしまった性質はなかなか拭い去れないものです。すでに一年以上が経過しているともなれば、なおさらね」

 さて、ハルヒがいないことを除けば普段どおりの放課後が過ぎていくようだったが、俺の心中は平静と程遠い。俺は自分の分身が人生を模した双六の上でアップダウンと右往左往を繰り返している最中、古泉に言った。
「お前の言ってた話だがな。転校生がどうこうって。どうやら本当らしいな」
 副団長はルーレットを回しながら、
「ええ。ここに来てなお、向こうの関心は涼宮さんに集まっているようですね」
 妙に冷静だな。焦っているお前なんてものをそういえば見たことがないが。
「僕にできることなど限られていますからね。超能力者ということを勘案しても、近頃はあなたより遥かに役目が少ないのではないかと思い始めています」
 古泉の笑いが自嘲しているように見えたのは気のせいだったろうか。何だろう。何か引っかかる。
「なぁ、閉鎖空間は発生してないんだよな? 今日のハルヒはやけに不機嫌に見えたが」
 古泉は駒を進めて子どものピンを車に乗せつつ、
「僕が何も感じないということは、涼宮さんの精神が落ち着いているということでしょう。そうでな
ければ、すでに彼女の力はなくなっているのかもしれない。これは昨日も言ったことでしたね」
 くすくす笑う古泉が何だか癪に障る。何だ。どうしてそんな他人行儀でいられるんだ、お前は。
「そう見えますか? 僕はこれまで通りですよ。当たり障りのない、無害な高校生。SOS団の副団長です」
 俺は何とはなしに古泉を見ることを避け、代わりに荒んだ心も一瞬で洗い流す天高い氷山から流れ出した純水のような朝比奈さんを見る。
 が、朝比奈さんは椅子に腰を下ろして、上の空という表現がぴったりな様子で窓の上の空を眺めていた。あのー、朝比奈さん?
「ふぇっ! ……あ、キョンくん。どうしました?」
 いえ、お茶のお代わりなんぞ所望したいところなのですが。
「あ、はい」
 ぽつんと言って朝比奈さんは湯飲みを受け取るが、明らかに笑みがいつもより三割ほど減じられている。何だ何だ。五月病はもうシーズンオフだろう。花嫁じゃないんだから六月に憂鬱になることもあるまい。

 何一つ分からないばかりか、謎が増えて放課後が過ぎた。ゲームのほうは珍しく俺が古泉に負けた。そんなことでクサクサしたりはせんが、団員の多くが心ここにあらずな風情であり、またその理由も何一つ俺には分からなかった。

「……何なんだ」
 梅雨を前に太陽がやる気を見せているのか、空だけは無駄なくらいに晴れ渡り、去年に負けないほどの熱量を大地に放射していたが、反作用のように部室内には湿った空気がはびこっていた。
 自転車をえっちら漕いで自宅前に着いた時、今日も出迎えの姿があった。

「ご無沙汰しております」

 森さんだった。二ヶ月前よろしく黒塗りのハイヤーの傍らに立ってお辞儀するその姿は、しかし以前と違ってスーツの上着を着ておらず、まぶしいワイシャツが夕暮れに映える夏服姿だった。
 ひさびさのエージェント気分で車に乗り込むと、同じく衣替えした新川さんがなじみの黙礼をした。
 しかしなぜ森さんと新川さんがまた俺に会いに来たのだろう。俺はもちろん『機関』の人員じゃないし、古泉はちゃんと戻ってきている。このままいけば夏に予定されている古城合宿まで会わないと思っていたのだが。
「今日は何の用事ですか?」
 俺は気持ちも落ち着いたところで森さんに訊いた。森さんはフロントガラスの向こうを見て、
「最近、古泉は学校でどうしていますか?」
 と言った。まるで小学生児童の担任教師か保護者のような言葉だが、森さんの眼差しはどちらかと言うと遠戚の姉が浮かベるような憂い方をしていた。
「どう、って。別にいつも通りに見えますけど」
「何か変わったところはありませんでしたか」
 古泉にも言われたな、この質問。機関で流行っている質問スタイルなんだろうか。
「いえ。むしろなさすぎて退屈そうにすら見えましたけど。……あぁ。そう言えば、学校で色々と事件が起きているんですが」
 森さんは俺の話を肯きながら聞きく。鷹揚に肯いて、
「それについてはわたくしどもも存じております。あちらの動向は気になるところですが、それはひとまず置いておきましょう。今日お伺いしたのは、他でない、古泉のことについてです」
 あいつがどうしたのだろう。まさか機関を裏切ってどこかの組織についたとか。
「いいえ。そうではないんですが……」
 森さんは否定しつつも言葉尻を濁した。何なのだろう。あまりに分からないことが山積していて、これ以上積まれると崩れてガレキに埋もれてしまいそうだ。
「古泉は涼宮ハルヒさんの状態について、何と言っています?」
 森さんは今度ははっきりと質問してきた。
 ハルヒの状態ですか。いつもと変わらないとか何とか。俺にはそうは見えないんですけどね。
「やはり……」
 ふたたび言葉をしぼませる森さん。さすがに気になる。どういうことなのだろう。
「もしかすると古泉は『このところ閉鎖空間が発生していない』と言っていませんでしたか?」
 またはっきりと、森さんはこちらを見て言った。
「えぇ、確かにそう言ってますよ。何でもこの二ヶ月ずっとで、拍子抜けするほど静かだとか何とかって」
「そうですか」
 森さんは顎を引いて、膝の上で合わせた両手に視線を落とした。どうしたことか。さっぱり分からない。かと言って黙考を続ける彼女を邪魔してはいけない気がして、俺はだんまりを続ける。

「閉鎖空間の発生は止んでなどいません」

 森さんがそのままの姿勢で告げた。車内の空気をピンと張るように、その言葉は鋭く反響した。
「そりゃほんとですか?」
 俺は思わず声のボリュームを上げる。んなバカな。確かに古泉はしばらく閉鎖空間が生まれていないと言っていた。ハルヒの力が消えたかもしれないとも。俺に曖昧な発言をする奴だが、意図的にウソをつくような奴でもない。どういうこった?
 森さんは目を閉じつつ肯いて、
「本当です。それどころか、二ヶ月前のあの一件以来、発生頻度が増大しています」
 初耳だった。だとすれば古泉は何を言っているのだろう。まるっきり真逆じゃないか。本来ならバイトだなんだと理由をつけて早退なり団活欠席なりしていないとおかしいのではないか?

「古泉は近頃、我々の集合指令に応じないのです」
 森さんは驚きの事実を次々知らせてくる。にわかには信じられない。古泉が機関の指令に応じないなんてことがあり得るのか?
 超能力に目覚めた直後や転入して間もない頃ならまだしも、あいつは今や機関にもSOS団にも慣れて、双方での役割を明確に把握して毎日を過ごしているのではなかったのか。
「それをあなたに知らせるべく、今日はおうかがいしました」
 確かに知らなかった。古泉自身に関する問題ならば、こうして機関の誰かから聞かされないと知りようもなかっただろう。あいつは、どういうわけか自分のことを積極的に話そうとしないからな。
「でもどうして俺に?」
 その問いに森さんは今一度視線をこちらへ向けて、
「あなたに古泉が機関の命に応じない理由を聞いていただきたいのです」
「俺に、ですか?」
 自分を指差す俺に、森さんは深く肯いた。


 夜。
 自室のベッドに寝転んで、天井を見つめながら俺は森さんの話を総ざらいしていた。

 閉鎖空間は古泉が帰ってきたあの日以来また発生件数を増加させている。
 古泉は『神人』退治におもむかない。
 理由は不明であり、それを俺があいつに聞く必要がある。

 俺は寝返って壁を見つめた。にゃうと鳴いて、シャミセンがわき腹のあたりに登ってくる。
 古泉の行動は理解不能だった。あいつは一年前にこう言っていた。
「放っておけば、世界は確実に消滅します。分かっている以上、食い止めようと思うのが自然ですよ」
 まさか気が変わったわけじゃないだろう。あいつが急に人生と世界をまるごと大海に投げ捨てるような真似をするとも思えない。

「こんなことは初めてです。古泉は『機関』の人員の中でも最も若いほうですが、他の者に負けないほど、これまで熱心に尽力してまいりました」

 別れ際に森さんが言った言葉だ。
 古泉がその物腰と裏腹に熱心だったことは、SOS団に接待のような合宿を持ちかけたり、学園陰謀まがいの生徒会組織をわざわざ用意したりすることからも明らかだ。
 だからこそ、突然世界の防衛を投げ出すような行動を取ることが理解できなかった。何考えてるんだあいつは。
 これまで、あいつの本心がどこにあるのかはっきりとは分からなかった。それでも、SOS団と世界への愛着とやらがウソじゃないらしいことくらいは分かる。

 ぐるぐると脳内回廊を堂々巡りし、新たに発生した問題を思い返したりしているうちに、俺はいつしか眠りに落ちていた。



「お前には世界を変えちまうほどのとんでもない力が秘められている」
 俺の言葉はその場の空気を固まらせるのに十分な効果を発揮した。
「えっ」
 ハルヒは今聞いた言葉が見知らぬ言語によるものだったかのように疑問符を浮かべた。
「……今、何て言ったの?」
「今までお前が遭遇してきたおかしな現象は、すべてお前自身の力によるものだったんだ」
 ハルヒは冷や汗を滲ませるようにして滅多にしない笑い方をする。
「キョン。そんなバカな話、あるわけないじゃない」
「本当にそうか? 実際、俺たちはタイムトラベルして四年前に来てるだろ」
 ハルヒは鳩が豆鉄砲食らったような表情をしているが、こいつがこんな顔することなんてそうそうない。
「俺だって初めは信じられなかった。だがな、証拠を立て続けに見せられた。実際ピンチになったりもした」
「でも、あたしにそんな力があるなんて思えない。それに、だったらどうして今まで不思議な現象に遭遇できなかったのよ」
 ハルヒの質問はもっともだった。が、今はそれで終わってはいけないのだ。
 俺は一呼吸置いて、
「遭遇できなかった、か。本当にそうか考えてみろ。今まで本当にひとつもおかしな事態に陥らなかったか? SOS団で活動する中で、普通に考えればどう見てもおかしいことがいくつかあったはずだぜ」
 あの時、閉鎖空間から帰ってきてすぐの市内探索第二回。あの場で俺はハルヒに古泉たちの正体をそのまんま喋った。が、ハルヒはものの見事に信じなかった。信じる理由がなかったからだ。
 しかし今ならどうか。これまで何とかごまかし続け、俺でさえそれでハルヒが納得してるかどうか怪しいくらいになってきている、今なら。
「映画撮影」
 ハルヒが最初に言ったのはそれだった。
「あの時、桜が咲いてた。……いくら異常気象でも、普通に考えて秋に桜なんて咲くはずない」
 俺は黙って肯き、
「まだあるはずだぜ。思いつくまま言ってみればいい」
 ハルヒはつぼの中を覗きこむようにテーブルを見つめ、
「雪山の合宿。古泉くんは集団催眠って言ってて、あの時はそんな気がしてたけど。帰ってきてから幻覚にしてはリアルすぎるって思った。もしかしたらあたしだけなのかもしれなかったし、言わずにいたけど」
「ああ」
 俺はハルヒの話に相槌を打った。
「あとは、そうね。最近だと阪中の家の犬。医者にも治せないようなJJの症状をどうして有希が治せたの? 陽猫病なんて病気、調べたけどどこにも載ってなかった」
 やっぱりチェックしてたのか。今まで言わずにいただけマシってものだろうか。古泉の後処理もいよいよもって限界に達してたのかもしれない。
「他にも……ああ、野球大会よ。はしゃぎっぱなしでしばらく全然気にしてなかったけど、ずっと後になってどうしてあの時勝てたのかしらって一回だけ思った。あんたの妹ちゃんまで大学生の球をホームランできるなんて普通じゃないわ」
 古泉はいつだか言っていた「涼宮さんはその実、まともな思考形態を保っている一般的な人種なのです」と。その通りだ。誰よりも非日常を追い求めてきたSOS団団長、涼宮ハルヒは反対に至極冷静に物事を考えられる思考力を持っている。
「これまで言わなかったのはどうしてだ?」
 俺は訊いた。まぐれじゃないくらいに疑問が積みあがっていれば、頭の中身を疑われても誰かに訊きたくなるだろう。
「そんなこと訊かなくても、あたしはこれまでが十分すぎるくらい面白かったからよ」
 ハルヒはすっぱりと断言した。続けて、
「もう不思議な現象が見つからなくてもかまわないって思うくらいだった。SOS団での活動そのものが、世界中どこを探してもないくらい普通じゃないって思ってたから」
 そりゃあんだけ自分でおかしなこと繰り広げてくればノーマルな団体にカテゴライズされるほうがおかしいだろうが、この際その辺のツッコミは抜きだ。
「本当なの?」
「ん?」
「あたしのその、説明できない力とかってのが、今までのおかしなことを全部起こしてたのって」
 俺は即答せずに一旦テーブルの中央を見つめた。それからふたたびハルヒの目を見て、
「全部がそうかは分からない。古泉たちもそれぞれ言ってることがバラバラだったからな。それに、少なくとも雪山のことに関しては直接お前の力で起こしたことじゃないらしい。長門の親玉の、そのまたライバルみたいなのがいて、そいつらがちょっかい出してきたとか何とかで」
「ずいぶん曖昧なのね」
 そう言われてもな。俺はあくまで普通の男子高校生なんだぜ。どういうわけかたまたまあらゆることに巻き込まれてここにまで来ちまってるが。
「それにしても」
 ここでハルヒは頬杖をついてじとっとした目を俺に向け、
「あんたがそんなにたくさんの秘密を知ってたなんてね。なんかズルイわ。あたしもあんたみたいな立場だったらよかったのに」
 何を言う。言っとくがマジで死にかけたんだぞ。お前も俺が階段から落ちたところは見たんだろ。
「あれはあんたがドジっただけなんじゃないの?」
 う。自ら墓穴を掘ってしまった。ま、まぁそうなんだがな。
「変な奴」
 さすがに世界がまるごと入れ替わってた話をするには時間も余裕も足りない。
「今のは冗談よ。あたしはこれまで、一日だって後悔するようなことがないように過ごしてきたからね」
 思い残しがあって夏休みを一万五千回近くループさせたのはどこのどいつだ、と思わず反射的ツッコミを入れそうになったがすんでのところでこらえた。
「キョン」
 ハルヒは突如えぐるような眼差しで、しかし何かを確実にためらっているように口の端をピクピクさせて俺を見ていた。
「何だよ」
 何も他に騒がすもののない、無機質なマンションの一室。
 続くハルヒの言葉は、俺の胸にじんわりと響いた。

「今まで、ありがと」



 どうも最近寝つきがよろしくない。
 夜と朝の間に違和感のようなものが挟まっている気がする。
 かといって寝不足というわけでもなく、どちらかと言えば起きたままでも問題ない身体になってしまったような感覚だ。いっそ本当に徹夜してみようか。
 突発性の不眠症患者の気分を疑似体験しつつ、俺はいつもの坂道を登りきって学校に到着する。
 後ろの席にはすでにハルヒが座っていたが、露骨にむっつりして窓の外を見ている。その無愛想を見ていつだったかもこんなだったなと思い、閉鎖空間という四文字が脳裏に浮かんで昨日の森さんの話を思い出した。
 そう、閉鎖空間の発生は静まってなどいない。むしろ増えている。古泉は『神人』退治に長いこと出向いておらず、機関と連絡すらしていないって話だった。幼児退行じゃあるまいし、ダダをこねて世界を崩壊させるようなバカでもない、あいつは。
 ならばどうしてバイトに出向かないのかと考えるが、一般人波かそれ以下の思考回路しか持たない俺にはろくな理由の推測ができなかった。
 そういうわけで昼休み、今日まだ一言もしゃべっていないハルヒの横顔に一瞥を見舞いつつ、俺は二年九組の教室へ向かった。


 自ら古泉を訪ねることなど年末のハルヒ消失事件以来だが、あの時は教室そのものがなくなっていて訪問のしようがなかった。年度をまたいで進級し、二年生となった俺たちは、当然教室の位置もあの時とは違うわけだから、向かう場所も異なるわけで。
 今度は本人や教室が消えていたりなどという物騒なことはなく、知能指数の高い連中ひしめく特進クラスの二年九組に、何食わぬ顔でSOS団副団長は座っていた。俺は一人だけ小人になったような心境で中に入り、見知らぬ女子と話していた古泉の机まで来ると、
「よう」
「おや」

 それだけで挨拶になってしまうほどの付き合いということかもしれないが、そこから先は互いに話すこともなく連れ立って歩き、俺の足が自然と向いたのは部室ではなく、かつて古泉が俺に正体を打ち明けた時に使った屋外テーブルだった。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
 買ってきたコーヒーは、今回俺の奢りである。まぁこれから尋問まがいのことをするんだから、このくらいのことはな。
「そろそろあなたが見える頃合いかと思っていました」
 そうか。なら話は早いな。俺が今から訊こうとしていることの内容も察しがついてるんだろ。
 そう言うと古泉はクスリと笑って、
「えぇ。僕がどうして『機関』の呼びかけに応じないか。それを訊きに来たのでしょう?」
 言われて俺がしていることは『機関』のパシリ以外の何物でもないことに気づいたが、今さら引ける状況でもないので賭けに手持ちの金を全てベットしても平然としてるギャンブラーばりのポーカーフェイスを維持する。
「先に言っちまうとな、昨日森さんが俺の家に来た」
「なるほど」
「閉鎖空間の発生は、止まるどころか増えてるって話だったぜ」
 古泉は俺の言葉にも笑みを崩すことがなかった。しかしすぐには言葉を返さない。
 ゆえに俺は続けて、
「どういうことだ」
 古泉は一口コーヒーを飲んで、それから空を見上げる。

「……いい天気ですね」
 何だろう。はぐらかしているつもりだろうか。もちろん俺自身は『機関』のエージェントでもなん
でもないから、古泉に答えさせる義務もないし、無理矢理聞きだすつもりもない。
 しかし、古泉は何か言うのを躊躇っているように見えた。こいつがそんな素振りを見せることなどこれまで滅多になく、だから俺は何事だろうと気になった。
 古泉はしばらくの間、さえずる鳥の声やちらほらと通りかかる他の生徒を眺めていた。
「あなたは、これまで楽しかったですか」
 突然口を開いて言ってきたのがそれだった。何だよぶしつけに。
「いえ、気になりましてね。あなたは、普通の男子高校生ではありますが、経験してきたことは必ずしもその範疇に含まれません。むしろ普通とはかけ離れている。だから思ったのです。あなたはそうした日々を、どれだけ楽しめていたのか。ね」
 古泉の眼差しは俺でもテーブルでもなく、過去を見ているように思えた。何だ急に。回想するにはまだ早いんじゃないのか? 未解決の事柄が現在進行形でいくつもあるぜ。それに、お前の役割だって終わっちゃいないだろ。
 そう言うと古泉は驚くほど柔らかく微笑んだ。
 気色悪いからやめろ。あらぬ疑いをかけられるぜ。
「失礼。ですが、最近よく思うんですよ。僕の進んできた道は本当にこれでよかったのだろうか、とね」
 急に思春期まっただ中の高校生らしいことを言う古泉だった。口調がどうかはともかくとして。
 さっきからこいつは何を言っているのだろう。回りくどいしゃべり方だけはいつもと変わらないが、明らかに様子がおかしい。
「そんなの迷うだけ無駄だろ。過ぎちまったもんはどうにもならん。時間遡行すればいいって話でもないし、まして世界の改変なんかもってのほかだ」
 俺が言うと古泉は笑みに困惑の色を混ぜ、
「これは手厳しいですね。しかし、あなたの言う通りです」
「今までが楽しかったかとお前は言ったな。なら答えてやるよ。一度しか言わないからよく聞け」
 俺の発言に古泉が肯く。
「楽しかったさ。『かった』なんて過去形じゃなく、今この瞬間も俺は楽しめてるぜ。こんな刺激的
な高校生活が送れるなんて思いもしなかったしな。誰に礼を言ったらいいかは分からないが」
 礼を言う相手が誰なのかも本当は分かっていた。
 ハルヒや古泉を含めたSOS団の全員と、俺の周囲にいる友人や先輩、谷口国木田に鶴屋さんを含めた
全ての人たちだ。よもやここまで思えるようになるとは自分でも驚きだが、紛れもない本心だ。
 古泉はまたさぶいぼが立つような温和な笑みに戻る。
「それはよかった。あなたがこの日常に不満を抱いていたらどうしようかと思いました」
 俺のこの毎日に不満を抱くような奴がいたら、それこそバツゲーム三十連発でもまだきかない。
「そう言うお前はどうなんだよ。お前だって十分に普通じゃない高校生活を過ごしてきただろ」
 不意に暮れに鶴屋さんの別荘で古泉が見せた困惑顔を思い出す。なぜそのシーンが浮かび上がってきたのかは分からない。
 予定では今年の夏休み、鶴屋さんプロデュース、古泉ディレクションの元で海外古城合宿が一週間がかりで開催されるはずである。今回は俺も監修役の一人に任命されてしまい、溜飲が下がる次第なのだが、それもひっくるめて期待数値の方が遥かに上回っているので全然苦にはならない。
 古泉はもはや表情筋を使わずとも作れそうな笑みで、
「えぇ。僕のほうも色々ありましたが、楽しかったですよ。本当にね。涼宮さんにもあなたにも、感謝しています」
 何だろう。こいつは定期的に懐古趣味に走るクセでも持ち合わせているのだろうか。ならばあらためて脳内プロフィール欄に変態属性を一つ書き加えてやらねばならないが。

「もしかしたら、僕の役目は終わってしまったのかもしれません」
 出し抜けに放たれた何でもないような一言の意味を俺はつかみかねる。
 俺がどんな表情で見ていたのか、古泉はふたたび苦笑に戻る。が、続く言葉はない。
「役目が終わった、ってどういうことだよ」
 ようやく漏れ出てきた台詞に、古泉は伏目がちに双眸を開いて一呼吸置き、

「僕の能力が消失しました」

 とだけ告げた。
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