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6.世界のすべて

 冬の朝ってのがどうにも起きづらいものだというのは万人に共通する事実であろう。俺なんぞ春夏秋冬関係なくギリギリまでベッドの中にいるおかげで妹に叩き起こされるはめになるのだがね。しかしSOS団の俺以外の面々はどうやら体のつくりが違うらしく、それでも俺がいつもよりも早めに登校したのにも関わらず、既に部室に集まっていた。
「キョン、遅い! 男手が足りないと運べないでしょ!」
 他の三人ととりあえず挨拶を交わす俺に、ハルヒが腰に手を当ててがなりたてる。
 今日は生徒会と約束していた、会誌発行の締切日だ。製本は既に終わっている。昨日は全員かなり遅くまで部室に残って、さながら内職のように分厚い紙束を必死にホチキスで止めていた。いやあ、疲れるのなんのって。単調な作業ってのはどうしてああも退屈なのかね。
 ともあれ、俺たちは朝のうちから渡り廊下に会誌を置いておこうということで集まったわけだ。
「ドキドキしますねぇ」
 と少し不安げに言う朝比奈さんは、さすがにメイド服は着ていない。まあ、このあと授業に出るのだから当たり前だ。
 長門は相変わらず読書。今日の本は『論理哲学論考』である。俺にはそれが小説なのか評論なのかすら分からんがね。定位置に座る古泉も読書だ。いや正確に言うと、できあがった会誌を読んでいる。なにやら真剣な顔で読んでいたが、まあ、なんだかんだでかなり面白くなったからな。思った以上に上手くいったので感心でもしてるんだろう。
「じゃあさっさと運びましょ。キョンと古泉君はダンボール。あたしたちは長机を持っていくから。どっかの誰かさんのおかげで早くしないと遅刻しちゃうわ」
「まだぜんぜん余裕あるだろうが、大げさに言うな」
「うるさい!」
 相変わらずのハルヒといつも通りの応酬をかわしてから、言われたとおりに会誌の入ったダンボールを持ち上げる。結構重い。紙ってのは薄っぺらだけど、指も切れるし集まると重みもすごいしで意外とあなどれないんだな、なんてくだらないことを考えながら、古泉と肩を並べて廊下を歩く。女子三人は長机を持って前のほうをえっほえっほと進んでいる。
「お前さっき、みょうに真剣に読んでたな」
「会誌ですか」
 古泉が表情を崩さずに答える。
「ハルヒの論文か?」
「いえ。あれはあれで興味深いですがね。時間平面理論の基礎中の基礎……ですか。さすがは涼宮さんです」
 と首を振る。そういえば、こいつはタイムトラベルにやけに興味を持っていたな。まあ俺はもうあんな大変な思いはしたくないから、今後そういう機会があれば喜んで古泉に譲るが。
「そういう機会は、これからもあると思いますよ。あなたでないといけないようなね」
「俺はごめんこうむる」
 俺がむすっとして言うと、古泉が物言いたげな視線を投げかけてきた。お前だって経験すれば分かるぜ。アレがどんなにめんどくさくて精神的疲労を伴うものなのか。
 古泉はそういう意味ではないんですけどね、と肩をすくめてみせる。俺はそのにやけたツラを見たくはなかったので、視線をそらした。先頭で机の端を持って歩くハルヒがとても楽しそうに笑っているのが目に入った。
 さて、わりかし早く集まったものの会誌の設置なんてのはすぐに終わってしまった。机の上に会誌をぽんと乗せて、「文芸部会誌無料配布中」と書いてある紙をぺたんと貼っつければいいだけだ。ちなみに、最初はハルヒがSOS団による文芸誌などとでかでかと書きなぐった紙を用意していたのだが、俺が止めさせた。あくまでも文芸部の会誌とすることが重要なのだと言ってやると、ハルヒも簡単に納得した。まったく、この聞き分けのよさをいつも保っておいてもらいたいものだ。
「なんかさっさと終わっちゃったわね」
 ハルヒが少し拍子抜けしたような声で言った。たったこれだけのことに何を時間をかけることがあるのかと
逆に聞きたいくらいだが。
 俺がそんなことを考えていると、向こうから女子がひとり歩いてくるのが目に入った。あれは確か……。
「あ」
 ハルヒも俺と同じ事に気づいたのか、声を上げた。そうだ、あれはENOZのメンバーの、中西さんだ。
「おはよう」
「おはよう、どうしたの、早いじゃない」
「これ、もらいに来たのよ」
 と、会誌を一部手に取る中西さん。ぱらぱらページをめくりながら、
「生徒会も横暴よねぇ。でもあたし、これ結構楽しみにしてたんだ。他のENOZの子らも、たぶん後でもらいに来ると思うよ」
「あったりまえじゃない! 文芸部史上最高の会誌になってるんだから」
 ハルヒが胸を張って答える。おまえは文芸部じゃないけどな。俺の当然のツッコミに、ハルヒが何よとかみついた。
 それを見ていた中西さんが、俺とハルヒを交互に見ながらニコッと笑う。
「あはは、相変わらず仲良さそうでよかった。じゃ、あたしは行くから。面白かったら友達にも宣伝しとくよ」
 相変わらずって何だ、相変わらずって。少し不機嫌そうに腕を組んで中西さんを見送ったハルヒが、俺をちらりと見上げた。何だよ。
「べっつに」
 言って、ぷいと横を向いてしまった。どうしたものかね。俺がため息をつくと、横から古泉が口を挟んだ。
「特に宣伝もしなかったのに、意外と知られているみたいですね。この分だったら案外早めに捌けるかもしれませんよ」
「そうね、あたしが走り回ったおかげかしら」
「その通りかと」
 古泉が完璧なイエスマンスマイルで答えた。いつもならその女を増長させるなとツッコミを入れたいところなのだが、今回に限っては俺も同意だ。まあ、ハルヒのおかげというか、ハルヒがあちこちを走り回っていたのが結果的に宣伝行為に繋がった、という感じではあるが。
 そんなことを中庭に目を向けつつ――さっき中西さんに会ったせいか、文化祭のあとのことを思い出した――少しぼんやりしながら考えていると、「それじゃ朝の活動はコレで終わり! 放課後は部室から渡り廊下を監視するのよ!」というハルヒの言によってSOS団は一旦解散することになった。
 ホームルームに遅刻しそう、なんてことはもちろんなく、俺たちは普通に、むしろいつもより早いくらいに教室に着いた。驚いたことに、いつもは俺と同じでギリギリに来るはずの谷口が既に席に着いている。
「よおキョン」
「どうした、今日は早いな。熱でもあるのか?」
「うるせーな! ……そうじゃねえよ」
 おや、様子が少しぎこちない。
「何だよ?」
「……おまえ、俺に渡すもんがあるだろ」
 渡すもの? はて、何のことだか。
 俺が思いをめぐらしてみていると、横からひょっこり国木田が顔を出した。
「文芸部の会誌だよ。谷口はこれでも楽しみにしてたんだから。僕もだけど」
「余計なこと言うな、っておまえいつ来たんだよ!」
「ん? 今だよ、ほら」
 と、国木田が差し出したのは会誌だ。
「これ。取ってきたんだ。谷口のぶんも」
「お、おお……。なんかスゲエ分厚いな」
 へーとか、ふーんとか言いながら、谷口が嬉しそうな、むずがゆいような顔で受け取った会誌をいじくる。なんだかんだ言って、こいつはSOS団の動向を気にしてるみたいだからな。今回なんてむしろ参加できて嬉しいと思ってるくらいなんじゃないか? 俺がニヤニヤしながら見ていると、谷口が何だよと眉根を寄せてみせた。ツンデレみたいな反応をするな。気持ち悪い。そういうのは外見の整った女子がやるからいいんだ。朝比奈さんみたいな。まあ、朝比奈さんはツンデレという感じではないが。

 さて、授業中である。
 そこまで気になるというほどでもないのだが、俺の席からは渡り廊下が実によく見えるので授業に集中しようと思ってもどうしてもそっちに意識が行ってしまう。後ろのハルヒはといえば、落ち着かないのかしきりに俺の背中にちょっかいをかけてくる。少しくらいなら軽く流してしまうのだが、今日はいつもよりかなりせわしなく背中に攻撃が加えられるので、俺はたまりかねて振り返った。
「おい、やめんか」
「何よ、あんたがちっとも集中してないから注意を促してあげたんでしょ。そんなに会誌が気になるの? 心配なんかしなくたってすぐ捌けちゃうわよ」
 と言いながらも、ハルヒの視線は窓の外に行っている。おい、言ってることとやってることが違うぞ。
「うるさい、前向けっ」
「言われなくたって向く。いいか、おかしな真似はするなよ」
 ふん、ハルヒだって結局はちゃんと捌けるかどうかが気になって仕方ないのだ。だから落ち着きなく俺にちょっかいをかけてきたりしたんだろう。まったく、素直じゃないというか、なんというか。ちょっと上目遣いに「大丈夫かな?」と不安げな表情でもしてみせれば少しは気分が出るというのに。何の気分かは知らないが。
 黒板の前では国語教師が相変わらず眠い声で教科書の解説を行っている。聞いてるこっちは右から左だ。まったく興味の湧かない物語の主人公の気持ちを、とか言われても知らんがな。そういうわけで俺は、机の中から分厚い冊子を取り出した。言うまでもないだろうが、俺たちが苦労して作り上げた文芸部の会誌である。俺は最初から途中までを全部すっとばし、最後のほうにある(ハルヒいわく、「真打ちだからね!」とのことだ)、ハルヒの書いた論文を読み始めた。二回目だ。
 昨日読んだときは果てしなく混乱したものだが、朝比奈さんの言っていたことを念頭において読むと、なんとなく分かるような気がしないでもない、わけがなかった。ハルヒの頭の中がだだ漏れになっているようだという、最初に抱いた感想はまったく変わらない。でも、俺にはひとつだけ分かることがあった。それは、ハルヒができることならSOS団をずっと保っていたいと思っているということだ。まあこんなものを読まずとも分かりきっていることではあるのだが、それでも。
 明日に向かう、ね。結構なことじゃないか。いつまでも憂鬱や溜息や退屈を引きずってるよりは、そっちのほうが絶対いいに決まっている。ただ、ハルヒが楽しむぶん俺に災難が降りかかってくるのには違いないんだがね。

「これで部室も守られたし、SOS団の知名度も上がったしで一石二鳥ね!」
 ハルヒは上機嫌だ。
 というのも理由は簡単、会誌が即日完売御礼、いや無料だから完売とは言わないか。ともあれ。あの二百冊がこの一日で全部捌けてしまったからである。いやはや、確かになかなか出来はいいと思っていたが、まさか一日で全部出てしまうとは思いもよらなかった。
 結局放課後まで俺の背中に攻撃し続けていたハルヒの奴は、今ではすっかり100ワットだ。まったく現金なものだね。俺だって嬉しいことには変わりないから、人のことを言えたもんじゃないが。
 そうだよ、俺だって嬉しい。文化祭のときにハルヒが言っていた、「何かをやってるって感じがした」という言葉の意味を、今ようやく実感した気がする。そういう感じだ。
「ありがとうございます」
 ハルヒが生徒会室から帰ってきて朝比奈さんと勝利の踊りを踊っている時に、古泉がこそっと話しかけてきた。何に対してのありがとうか、なんてのは聞くだけ野暮だ。相変わらずこいつは――いや、やめよう。一応めでたい時だからな、今は。
「お前が礼を言うようなことじゃない」
「そう言われると思ってました。でも、そういう意味じゃないんですよ」
 何だって?
「楽しかったんです、とても。だから、そういう意味です」
 よくもあっさりそんなことが言えるな。恥ずかしくないのか。
「おや、ではあなたは楽しくなかったんですか?」
 俺はそれには答えなかった。
「大体今回のことはお前の自作自演だろ」
 自作自演、というところだけ小声で言った。古泉は笑って、でもあなたにお礼を言わなくてはならない気がしたんですと言った。訳が分からんな。むしろ、ハルヒが古泉に礼を言わなきゃならんくらいじゃないのか、と俺は思ったが、口には出さなかった。そんなことが起こるはずがないからだった。
 ひとしきり踊った後、ハルヒが解散命令を出した。
 いつかの不思議探索の時のように、古泉も長門も朝比奈さんも、他に用事があるだの約束があるだのコンピ研に顔を出すだのと、俺とハルヒだけを残してさっさと部室を去ってしまった。いらん気は利かせなくていいというのに。
 そんな俺の心の叫びはどこへやら、その流れで俺はハルヒと二人で帰路に付いた。
 その日のハルヒは、饒舌だった。いや饒舌なのはいつものことだが、いつも以上にやたらと語っていた。
 持ち主が力説するたびにぴょこぴょこ揺れる黄色いリボンを横目に、俺は何かいいことをしたときに頭を撫でてやると、とても喜んだ幼い頃の妹を思い出していた。もちろん話の内容なんてほとんど聞いちゃいない。
 その瞬間右手が無意識にぴくりと動いて、はっとする。今、俺の右手は何をしようとしてたんだ。危ない危ない。まさかここでハルヒの頭をくしゃくしゃっとしてやるとか、そういうベッタベタな展開を俺の右手は切り開こうとしていたのではあるまいな。そんなことは絶対にあってはならん。
 しかしまあ、今回一番「お疲れ様」なのは、多分ハルヒ自身だろう。あの会誌に関わった人数というのは結構多いはずだし、そいつら全員から期日までに原稿を取り立てるってのは、簡単なことではない。
 なので、俺は喋りまくっているハルヒをさえぎって申し出た。そう、だからつまり、家まで自転車に乗せて行ってやると。これでも割と譲歩したほうだ。俺の脳内人格会議において。

「来年度からSOS団の通常業務に組み込もうかしら」
 俺の後ろから、ハルヒの真面目くさった声が聞こえた。何のことかは質問するまでもないが、いちおう俺は聞いた。様式美ってやつだ。
「……何をだ」
「文芸誌発行に決まってるでしょ! 今回の件で生徒会漫研と美術部は完璧にSOS団の支配下に置いたし」
 生徒会は違うと思うのだが。
 俺は喜緑さんのあの感情がこもってるんだかこもってないんだか分からない笑顔を思い浮かべながら、
「支配はともかく、まあ文芸部への恩返しにもなるし、悪くはないんじゃないか」
 小説を書くのはもうごめんだけどな。しかし少なくともバニーガール姿で校内をうろついて訳の分からんビラをばらまいたりするよりはずっとマシな活動であることだけは確かだ。
「そういえば、あんた授業中、会誌読んでたでしょ」
「ん? ああ、まあな。寝てるよりはいいだろ」
「誰のを読んでたの?」
 お前の論文を読んでた、なんてあまり言いたくはないな。ちょっと言いよどんだ俺の気配を感じ取ったのか、ハルヒはしたり顔で笑った。いや笑ったかどうかは分からんが、俺はそういう気配を感じ取ったのさ。
「ははあん。さてはあたしのでしょ」
 うっ。なんと勘の鋭い女なんだ。
「まあ、あんたの頭じゃ理解できないだろうけどね。あれは、これからのSOS団に必要不可欠なものなのよ」
 その言葉を皮切りに、ハルヒがSOS団の未来予想図や将来設計について熱く語りだした。
 俺は目だけで空を見た。今日は快晴だ。水色の空に、白っぽい月がうっすら浮かんでいるのが見える。まだ夕焼けには程遠い。
「ちょっと聞いてるの、キョン!」
「えっ」
「やっぱり聞いてない」
「いてっ! いたたた! やめろ! 事故るぞ!」
「うるさい!」
 信じられるか? 走行中に運転手の脇腹をつねるなんて普通の神経じゃできないぜ。ハルヒの神経が普通ではないのは既に知っていることだが、まさか下手したら自分にも災いが降りかかるような状況でそのおかしな神経を発動させるとは。
「そんなことじゃ一生平団員のままよ」
「俺は一生SOS団にいるのか?」
 そんな気はしていたが。
 俺の質問に、ハルヒのめちゃくちゃ嬉しそうな声が耳元ではじける。
「そうよ、卒業した後も、もっとでっかいことをやってやるのよ! その時はちゃんと呼びつけてこき使ってあげるから感謝しなさい!」
「やめろ、これ以上俺に迷惑行為を働くな」
「何言ってるの!」
 ハルヒは今度は俺のコートのフードに手を思いっきり突っ込んで引っ張るという、危険な行動に及んだ。アホか、こいつは。
 あの論文を読んで俺の読み取ったことは、どうやら間違ってはいなかったらしい。明日に向かうというのは、SOS団のメンツで、ということなのだろう。このどうしようもない世界をどうにかして大いに盛り上げてやるためには、それは必要事項らしい。あくまでもハルヒの頭の中での話ではあるが。
 しかし本当のところ、それでいいのかもしれない。
 ハルヒへの抗議を口にしながら、俺は思う。
 後ろでわめいている奴のおかげで俺の世界は毎日新しく変わり続けていて、ということはつまり、今のままじゃいられないということだ。それはもう、いろんな意味で。
 でも今は、とりあえず、それでいいんだ。なあハルヒ、お前の変な力でつまらない世界をまるごと変えちまうくらいなら、とりあえず俺を呼べばいい。そこがどんなに遠い場所でも、むかえに行くくらいはしてやる。今うしろにお前を乗せてる、このなんでもないママチャリに乗って。なんなら、宇宙人と、未来人と、超能力者と一緒に。
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