0歳。あたしが生まれた。憶えているわけもない。
 3歳になったとき。まだ子供だったというのにその日のははっきりと覚えている。突然家を訪ねてきた男によって
両親が射殺された。どうやら反体制派との活動に関与していたためと思われる。ただ親によって身を隠されていたあたしは
難を逃れることができた。
 5歳のころ。政府直属の施設に放り込まれたあたしはいじめによる暴力を受け続ける日々だった。
 8歳になってから少し後。愚かな国の元首は隣国に攻め込んだ。ところがあっさり撃退されて、逆侵攻を受けた。
その時に施設が空爆され混乱状態に陥いる中、あたしはそこから逃げ出した。
 11歳になって。浮浪児としての暮らしに耐え続けていたとき、あたしのいた街が反政府勢力によって制圧された。
戦闘に巻き込まれて多数の仲間が死んでしまった。でも、反政府勢力から与えられた炊き出しのスープはとても美味しかった。
数年ぶりの暖かい食べ物に、あたしは仲間の死も忘れて貪りついていた。
 15歳。あたしはすっかり反政府勢力の戦闘員となっていた。最初こそ吐き気と頭痛に悩まされ続けた殺人行為だったが、
このころになるとそれにもすっかり慣れてしまっていた。
 22歳の誕生日。長年組織に忠誠を誓ったことが報われたのか、一つの小隊を任せられることになった。
本来階級が存在しないあたしたちの軍隊だったが、なぜか『三佐』と呼ばれるようになったのはこのころだったか?
 25歳の暮れ。一人の友人が戦死した。かつてない絶望と悲しみに陥ったとき、あたしが彼に恋をしていたことに
初めて気がついた。なぜもっと早く気がつけなかったのか、今でもこの後悔は頭にこびりついている。
 31歳になり、あたしは反政府勢力の特殊部隊を率いるまでになっていた。
 32歳。ついにあたしたちの組織があの腐った政府の首都を陥落させることに成功した。ようやく戦争が終わる。
ずっと待ち望んできた平和が手に入る。あたしが行ってきた努力の全てが実った――とこの時は思っていた。
 だが。
 それから一月もしないころに二人の男を捕らえた。身分証は全て偽物で素性がはっきりしない男たち。
あたしは外国のスパイか何かと思い、徹底的に情報を吐かせようとした。そして、彼らの口から飛び出てきた情報はこうだ。
 
 過去を改変することにより、この歴史――世界は抹消される。
 
 最初は言い逃れの戯れ言だろうと信じなかった。だが、その後に起こることをあっさり『予言』され、
それは全て現実のものとなった。監禁状態にあるそいつらが絶対に知るはずのない未来の出来事を知っている。
あたしはそこまで来てようやく彼らの言葉を信じた。
 信じたと同時に初恋の友人が死んだとき以上にあたしは絶望した。32年間、確かにろくでもない人生だったかもしれない。
それでもあたしは必死にもがきながら生き延び、どうすれば幸せになれるのか考え続けていたというのに、
この世界は間違っている、過去を改変するからお前は終わりだとあっさり言われて、おかしくならない方がどうかしている。
 その日以来、あたしはどうにかしてそれを回避できないか模索を続けていた。ようやく手に入った平穏を
どこの誰ともわからない奴らなんかに否定されたくはなかった。
 ある時、あたしの頭の中に何かが介入して来ている意思があることに気がついた。それはこういった。
 
 お前に時と階層を越える能力を与えてやる。お前がやりたいことをやれ。
 
 後にこの世界を否定しようとしている者が別の可能性のあたしであることを知らされたとき、つい声を上げて笑ってしまった。
まさかあたしの存在を否定したのが、あたし自身なんだから。だが――もう一方で妙に納得してしまう。
何度か遭遇したそいつは見るからにそれなりに平穏な人生を歩んでいたように見えたからな。
あたしのようなゴミあさりを繰り返していた未来なんてどんな手を使っても否定したいだろう。
 だが、それはあたしとて同じ事だ。あいつ自身へはうらやましいという気持ちはあるが、
あたしの全てを否定されるいわれはない。逆にあたしがおまえを否定してやる。
 ……そして、あたしは旅立った。自分の世界を守るために。
 
◇◇◇◇
 
 視界が明ける。視界に入ったのは高度数千メートルから眺める青空と海。あたしは障害物が何一つない圧倒的な空間の広がりに
思わず身震いをした。
 ここはどこだ? あたしは状況を確認しようとする。知らぬ間に握られている操縦桿。これは――航空機か?
あたしは今それに乗っているのか?
『三佐。左前方の海上に船が見えました。指示をお願いします』
 無線から流れてきたのは伍長の声だった。その方向を確認すると、海上を航行するタンカーらしき船が目に入る。
間違いない。あそこに奴らがいる。
 あたしは自らを含めて30機の攻撃機を率いていた。あたしの世界では貴重とされる航空戦力。
しかも、最新鋭の機体だ。あたしにささやく声もとんでもないサービスをしてくれたものだ。
これならばいくらTFEI――能力を制限されていることも併せて考えれば、確実に目標を仕留められる……
 ――あたしはいつから飛行機乗りになった……?
 強烈な違和感。あたしはその感覚が脳裏から全身を蝕むように走るのを感じた。
 航空機の操縦経験……記憶はある、経験もある。でなければとっくにパニックを起こして海上に墜落しているだろう。
だが、この薄っぺらい感覚はなんだ? まるであと付けで無理やり頭の中にすり込まれているようだ。
 もてあそばれている。これがあたしの率直な感想だ。よくわからない理由で時間を制限される一方、
今までも大量の武器を供与するなど協力を惜しまなかったあのささやく声。時間移動に関してはそいつの力なくしては
絶対に不可能だったのだから、信用してもいいと思う。だが、今までもまるで状況を演出しているような疑いを持ったことは
数多くある。今回も航空機を渡され、操縦技術まで渡された。そして、朝比奈みくるたちのいる場所まで教えてくれている。
だが――だったらどうして奴らを仕留めてくれない? 例えあたしたちがやらなくてはならないことだからというのならば、
なぜ『圧倒的な優位の状況』どまりで、『確実に朝比奈みくるを仕留められる状況』は与えてくれない?
ここまで来るとわざとやっているようにしか思えない。そう、戦ってもがくあたしたちの姿を見て楽しんでいるかのような――
『三佐。指示をお願いします』
 伍長の声。それを聞いてあたしははっと我に返った。
 バカバカしい。何を考えている。今は朝比奈みくると仕留めることに集中しろ。ささやく声の思惑など今考えることではない。
「全機に次ぐ。左前方のタンカーに目標はいる。あの船を沈めれば我々の勝利である」
 ――一呼吸置いて――
「全員に言いたい。今までずっとあたしに付いてきてくれたことに礼を言いたい。ありがとう」
『三佐……』
「今作戦があたしたちの最後のものとなる。ここでしくじれば次のチャンスはもうない。あたしたちの守るべき人民と
敬愛なる指導者の存亡は我々の肩に全て掛かっている。臆することなく奴らを仕留めるぞ。失敗は許されないんだからな!」
『――了解!』
 
◇◇◇◇
 
「対空目標30機がこっちに向かってきていますっ!」
 朝比奈さんの緊迫感のこもった声。あの空中モニターには30点もの光点が輝いてこちらに向かってきていた。
これが全部敵だと? というか対空目標ってなんだ? 飛行機のことか?
 古泉はその空中モニターを睨みながら、
「朝比奈さん、敵影の姿は表示できませんか? このレーダー上だけでは一体何が近づいて来ているのかわかりませんので」
「え、えっとできるのかな……?」
 やり方がわからない朝比奈さんに長門がてきぱきと指示を行う。そして、空中モニターの一つに映し出された対空目標の姿は……
 えーとだな、どうやら俺はいつのまにやら朝比奈さんやら長門の仕業か知らないが過去に戻っていたらしい。
しかも3年以上前には戻れないという設定を無視して、60年以上前に戻ってしまったようだ。
何せそれに映されたものはあの――なんだったっけか、ああレシプロ機ってヤツだ。先頭にプロペラが付いて
ブオンブオン回転音をまき散らして飛んでくる戦闘機。映画とかNHKスペシャルで流し見していたような物体が
今目の前を飛んで俺たちに襲いかかろうとしているんだ。せっかくだから今の俺は第2次世界大戦中にタイムスリップしてしまった
という設定にしてくれてもいいだろ。
「これはこれは。今時レシプロ機ですか。彼らの未来では航空技術が著しく劣っているのでしょうか?
こちらへの攻撃に使用してきた武器も未来チックなSF的なものではありませんでしたし。意外に僕たちのいる時間から
そう離れていないのかもしれませんね」
 脳天気な解説をしている場合じゃねえぞ、古泉。旧式とはいえあんなものに攻撃されたらえらいことになる。
おまけに俺たちが今いるのは油タンカーの真上だ。爆弾の直撃でも受けてみろ、一発でおだぶつになるかもしれん。
「とにかく逃げよう。こんなでかいタンカーなんだから救命ボートとかあるだろ。それに乗ってとっとと逃げればいい」
 俺の提案にそばにいた森さんは首を振って、
「無理ですね。敵はすぐ近くにいますので、用意している間に攻撃をしてくるでしょう。それに今までの行動から考えて、
敵はわたしたちを正確に捕捉できる方法を保有していると見るべきです。小型のボートに逃げてもすぐに発見され、
その場で殺されるだけ」
 森さんの的確な反論に俺は最反論のしようもない。だが、このままでは襲われるのをひたすら待つだけだ。
どうすりゃいいんだ?
「全て撃ち落とすしかない」
 無機質な長門の声が飛んだ。確かに長門が作ったシステムとやらなら敵をあっという間に全滅に追い込めるかもしれない。
だが、漁船や自動車に追いかけられていたときとは違い、敵は飛行機なんていうものに乗っている。
それを撃ち落とせば確実に乗っている敵は――死ぬだろう。森さんや新川さんのようなプロフェッショナルな人ならば、
躊躇なくそれを実行できるかもしれないが、二人の持っている武器では飛行機を撃ち落とすなんて芸当は不可能。
唯一、その手段を持っているのは長門からシステムを供与された朝比奈さんだけだが……
「や、やりますっ! できますっ! あたしはみんなを守りたいんです! 大丈夫ですっ!」
 気丈に声を上げる朝比奈さんだが、やはり声は震えたままだ。例え実行できても彼女が負う心の傷は一生癒えないかもしれない。
くそっ、せっかくいつもの朝比奈さんに戻ったって言うのに、また変な負荷をかけておかしくなられてたまるか。
「長門。朝比奈さんが持っている攻撃方法なら、敵を圧倒できるのは確かなのか?」
「この時代の兵器を参考に構築したもの。あのような旧式機なら、2分もあれば全て撃ち落とすことが可能。
戦力は圧倒的にこちらの方が有利と断言できる。あとは引き金を引く決断をするだけ」
 長門の説明に俺はやるべき事が決まったと思った。勝とうと思えば、俺たちはあいつらを皆殺しにできる。
しかし、それは最後まで避けたい手段だ。だったら朝比奈(黒)に俺たちを攻撃しても無駄だと理解させればいい。
 俺は長門のそばに行き、
「向こうと話がしたいんだが可能か? できれば、朝比奈さんを名乗る奴と話がしたい」
「そのくらいならば可能。でも何をするつもり?」
「……降伏勧告をするだけさ」
 
◇◇◇◇
 
『朝比奈さん、聞こえるか?』
 ぼちぼち敵を捕らえようとしているときに、あたしの脳裏に声が飛び込んできた。いつものささやき声とは違う。
どうやら、ハイスクールで話した最初の男の声のようだ。どういう手段かわからないが、話がしたいらしい。
「なんだ? 今更朝比奈みくるを差し出すと言う気になったか?」
『違う。降伏勧告をしに来た』
 降伏――その言葉にあたしの身体が反応する。降伏だと? 気でも狂ったか。圧倒的にこちらが有利な状況だというのに。
『おまえらは今自分たちが俺たちよりも強いと思っているかもしれない。だが、それは大きな間違いだ。
こっちには長門――お前らの言うTFEIっていう仲間がいる。お前らなんて2分もあれば全滅にできるのさ』
 はったりだ。あたしは確信めいた考えを即座に導き出す。
「おかしいな。それだけの強さを持っているというのなら、あたしたちはとっくに全滅しているはず。そうでないのはなぜだ?」
『……決断していなかっただけだ。それに俺たちはお前らのように人殺しが平然とできる訳じゃない。
少しでも犠牲は少なくしたい――だからこうやって降伏を薦めているんだ』
「バカバカしい。この期に及んで善人気取りか。最初の交渉を蹴って一般人を多数巻き込んでおきながら、
大した偽善者ぶりだな」
 あたしが一喝すると、声の主は激高したらしく、
『ふざけるな! おまえらが――おまえらが無関係な人を襲ったんだろうが! お前らの責任だっ!』
「よく考えろ。お前は最初に朝比奈みくる・涼宮ハルヒと無関係な一般人どちらを取った? 答えは前者の二人だ。
その時にお前は選択したんだよ。二人を守るためなら他の人々を巻き込んでも良いとな」
『違う……違うっ……!』
 感情的な混乱ぶりを見事にさらけ出している。こいつの周りにはそれなりに優秀な人間がいるみたいだが、
肝心の本人がこの様か。
「ついでだから言っておいてやる。お前が本当にこちらを全て撃ち落とせるだけの能力があるとしても、
あたしたちは降伏勧告に応じるつもりは毛頭ない」
『……なぜだ』
「あたしたちの世界は勝たなければ消えてしまうからだ。お前が最初にやった選択と決断をあたしたちはとっくにしたのさ。
この世界よりも、あの忌々しい別のあたしの世界よりも、あたしがずっと生きてきた世界をな!
やっと平和を勝ち取ったんだ! そのあたしたちの生きてきた結果を否定されるいわれはない!」
『ぐっ……』
「お前の勧告はあたしたちに対する死刑宣告に等しいんだよ。気がついていない――いや気づこうとしていないだけだろうが、
あたしたちの世界を否定するって事は、そこにいる人間全部を殺すことと同義だ。あたしたちは人民2500万、
敵味方全てあわせるというなら30億の人間の命を背負って戦っている。それをよく理解しろ!」
『だったら! 俺にだって守りたい人は多くいる! そのためにはお前たちの世界を滅ぼしても良いという理屈になるぞ!
それでもいいのか!?」
「……ああ、それでいい」
 あたしの言葉が予想外のものだったのか、ぎょっとした吐息が聞こえた――
 
◇◇◇◇
 
 朝比奈(黒)の言葉に俺はぎょっとした。こういう悪役な連中の言うような台詞じゃないだろ。
おきまりのように自分たちは良い! お前らはダメ! そう言うと思っていたのに、まさか平然と受け入れるとは。
『勝った方の未来が決定される。実に単純明快なことじゃないか。だから、おまえもあたしたちと同じように
自分の守りたいものを守れ。それでいいんだ』
 淡々と――実に淡々とした口調だった。まるで全てわかっている、受け入れていると言っているように。
 それしかないのか? どっちかが消えるしかないのか!? それしかもう……
『正直な話だが、お前らがあたしたちの未来を否定したい気持ちはよくわかるよ。こんな平穏で美しい世界を見れば、
あたしのいた場所なんてゴミ溜めに見えるだろうからな。お前はお前の信じた道を行け』
 朝比奈(黒)の言葉に俺は脳天から刺激を受けた。なんだよ、俺は降伏勧告をするためにしゃべっているのに、
逆に説教されているじゃねえか。
『もうあたしが言うことはない。他に何かあるか?』
「…………」
 俺は何も言葉にすることができず、長門に通話をやめてもらった。
 ああそうかい……! そんなに死にたいならやってやるさ。お前らもそれで良いっていったんだからな。
間違っても恨んで枕元に立ったりするんじゃねえぞ。
 重苦しい雰囲気が俺たちを取り囲む。交渉は無駄だった。ならばやることはもう一つしかない。ならばせめて……
「長門。朝比奈さんに渡したシステムって奴の一部だけを俺に回せないか?」
「不可能。完全に朝比奈みくると情報連結状態になっているため、彼女自身でもそれはできない」
「……引き金を引くだけでも良いんだ」
 俺の言葉に長門はしばらく沈黙を続けたのに、
「方法はある。攻撃処理の実行キーをコンソールとの接触に移行すればいい。あなたはそれにふれるだけで攻撃を実行できる」
「ならそれができるようにしてくれ」
 だが長門は微動だにせずに、
「いいの?」
「構わない」
「本気で?」
「本気だ。かつてないほどにな」
「そう……」
 知らず知らずのうちに声に怒気がこもる。一方の長門が見せている感情のオーラは負のものだった。
心配するな、これは俺の本意なんだから。
 俺の申し出を受け入れた長門がその方法を朝比奈さんに指示し始めると、すぐに朝比奈さんは俺に振り返って、
「キョンくん! あたし――大丈夫ですから! できます! みんなを守って見せます! だから……」
「……違うんですよ。朝比奈さんのためじゃありません」
 俺は即座に否定し、空に見えつつある黒い点の大群を見つめながら、
「俺がやりたいんだ……」
 俺のただならぬ雰囲気に朝比奈さんはただ黙って頷くだけだった。
 ほどなくして、俺の前に一枚の空中モニターが表示された。その中心に四角い枠が浮かび上がっている。
「攻撃のタイミングになれば、その部分が発光する。あなたはそれを押せばいい。他の作業は全てわたしと朝比奈みくるが行う」
「すみません、キョンくん。お願いします
 そして、ついに奴らがその姿を現す。ドキュメンタリーとかで見かけるプロペラの飛行機の編隊。
あれを全部撃ち落とす。それで終わるんだ、それで。
「この距離まで近づきながら高度を落とす機が一機もいないようですな。どうやら全機が攻撃機なのかもしれません。
通常は雷撃機と組み合わせるものですが。しばらくすると一気に上空から降下して攻撃を開始してくるでしょう」
 新川さんのよくわからん解説。だったら降下してくるタイミングを狙えばいいのか? どのみち攻撃のタイミングは
長門の作ったシステムとやらが全部教えてくれる。それを待てばいい。
「対空目標を4つに分類する。各編隊をA/B/C/Dにマーキングして」
「は、はい!」
「攻撃は降下してくるタイミングを狙う。まずは主砲で。SAMはそのあと。わかる?」
「大丈夫です。ここをこうやって……」
 長門と朝比奈さんのやりとりが続く中、新川さんの言葉通り、数機がこちらに向かって急降下を開始した。
もうあと数秒で朝比奈(黒)との決戦が始まる。俺は無意識に首に下げたハルヒの眠る球体を握りしめた。
 すまんハルヒ。こんなとんでもないことだが、お前のポジティブさと強気を少しだけ貸してくれ……!
 
 ……キョン……がんばれ……キョン……
 
 俺の頭の中にハルヒの声がはっきりと響いた。
 同時に長門が俺の服を指でつまむように触れ、
「大丈夫。みんなそばにいるから安心して」
 朝比奈さんも俺の手に触れ、
「そうです。あたしももう逃げ出したりしません……!」
 古泉は俺の肩に手を置き、
「……またみんなそろって部室に帰りましょう」
 さわやかなスマイルを浮かべた。そうだな。また帰って騒ぐぞ。ハルヒを含めてみんなでな!
 
 敵の航空機3機が俺たちに急降下してきている。いわゆる急降下爆撃って奴か? だが、こちらはその動きを全て捕らえている。
「右前方60度、標的グループA-5・8・9。捕捉は迎撃システムにより。ロック完了確認」
「目標三期確認しました。主砲、発射弾数3つ。準備よしです。キョンくん! 行けます!」
 長門と朝比奈さんの声に俺は目の前のコンソールの光点を三回押した。同時に三発の光弾が空に向かって撃ち上げられ、
降下してくる3機の航空機にそれぞれ命中した。各機体ともに爆発の衝撃で木っ端みじんになり、
残骸だけが虚しく海面へ落下していく。
 ……あっけない。
 それが俺の率直な感想だ。痛みもなにも感じない。ボタン一つで敵はバラバラだ。まるでゲームのワンシーンみたいに
無感動にその情景を眺める。
 だが、あの飛行機の中には確かに人がいた。そして、それを俺が撃ち落としたんだから当然死――
「考えないで。考えれば負ける」
 長門の言葉に俺は後一歩のところで立ち止まることができた。このまま考え続ければ、
俺は立っていることもできなくなっただろう。全身に浮かぶ気色の悪い冷や汗がそれを証明している。
「わかっているさ……!」
 俺はいらだちのこもった声を返した。そうだ、考えるな。終わってから考えれば良いんだ、終わってから……
「標的グループB-1・7・8、標的グループD-1・3・4、降下開始。捕捉完了」
「キョンくん! 撃って!」
「――行けっ!」
 上空に向けて計六発の光弾が発射される。それが一発も外れることなく命中する光景を目にすると
長門がとんでもなくすごいものを作ったと思い知らさせた。
 戦闘開始から一分もたたないうちに敵機を9機撃墜した。いわんこっちゃない。だから降伏勧告をしたのに……
犬死にになんの意味があるんだよ。
 正確無比な攻撃に恐れをなしたのか、敵の飛行機が散らばるように俺たちから離れていくのが目に入る。
わかっているさ、逃げるんじゃない。体勢を立て直すだけだろう。しばらくすればまた奴らは俺たちに襲いかかってくる。
「攻撃を続行すべき。遠距離も近距離も彼らに逃げ場がないことをわからせる必要がある」
「……言われんでも!」
 俺はまた空中モニターのボタンを押す。今度は発射された光弾がなめらかな動きで敵機に向かって飛び出した。
対空ミサイルの再現らしい。射程は数十キロにも及ぶものだ。これでも朝比奈(黒)はまだ降伏しないつもりか?
とっととしちまえよ。
 
◇◇◇◇
 
 戦闘開始から一分。あたしはその光景に愕然としていた。攻撃を仕掛けた9機の攻撃機が一瞬にして全滅。
あの少年が言っていた言葉に偽りはなかった。
「……くそっ!」
 汚らしい言葉が思わず口から飛び出る。なぜ今になってこんな反撃をしてきた? ただ逃げ回るだけだったというに。
『三佐! いったん距離を取りましょう! 近くにいては相手になりません!』
「わかった! 各機いったん距離をとれ!」
 あたしの指示の元、一斉に航空機が散らばって行く。あの正確無比な攻撃を避けるためには作戦を立て直さなければ。
 だが、奴らの攻撃能力はあたしの予想を遙かに上回っていた。あたしのすぐ目の前に一つの光球がかすめる。
それはまるで意思のあるかのように動き回り、航空機のうち一つめがけて飛んでいった。
あれは――対空ミサイルか? どこにそんなものを隠し持っていた?
 狙われた一機は必死に対空ミサイルから逃げようと飛ぶが、速度が桁外れに違うそれから逃げられるわけもなく、
程なくして背後に命中した。着弾と同時に発生した爆発はあたしたちの乗る航空機を完全に粉砕するには十分すぎる威力だ。
 何と言うことだ。一方的に押していたはずなのに、訳もわからず立場が逆転されている。
近づけばあの砲撃のような攻撃で木っ端みじんにされ、距離を取っても射程の長い対空ミサイルで撃ち落とされる。
遠距離も近距離も隙がない。これでは戦いようが……
『離れてください、三佐! 目標から一番近い位置にいます! 狙われます!』
 あたしははっと気がつく。だがもう遅かった。目の前にはあの光球があたしめがけて――飛んでこなかった。
こちらの機をまるで避けるようにかすめ、あたしの脇を飛んでいた航空機に命中する。
『ダメです! 距離を取れば一方的に叩かれるだけだ! 突っ込みます!』
『バカ待て! 三佐の指示を待つんだ!』
 圧倒的な差を見せつけられ、全兵士たちに混乱が蔓延してしまったようだ。部下があたしの指示を無視して行動したことなど、
今まで一度もなかったというのに。
 だが、距離を縮めた8機も瞬時に撃ち落とされる。同時に対空ミサイルらしき光球もそこら中を飛び交い、
次々と味方の航空機を撃墜していった。
『三佐! 後お願いします!』
『く、来るなぁ!』
『革命万歳っ!』
『三佐伝えてください、俺は――』
『こいつは……ダメだ!』
『ここまで来て……うわああああ!』
 部下たちの断末魔の叫びがこだまする。次々とあたしとともに戦ってくれた部下たちが死んでいくというのに、
あたしは何もできない。なんの手だてもない。
 気がつけば、こちらの航空機はあたしを含めて4機まで減っていた。戦闘開始から2分。
あの少年は降伏勧告のときに宣言したとおりあたしたちを壊滅状態に追い込んだ。
 判断ミスだったのか? あたしは今までの状況から今回以上のチャンスはないと確信していた。
だが、ふたを開けてみればどうだ? 朝比奈みくるたちからの反撃はあたしたちの戦力を遙かに上回り、
かけがえのない兵士たちを一瞬で葬り去っていった。しかも、あのささやき声の言葉を信じるならば、今回が最後のチャンスと
なっているのに。もう次はないというのに!
 ……ここに来て痛恨の判断ミスを犯してしまった……
 あたしの心に後悔が蔓延する。焦らずに次のチャンスを待てば良かった。そうすればきっと――
『――指示をください! 敵の攻撃が収まっています! 反撃の指示を!』
 伍長からの無線にあたしは我を取り戻した。まだやられたわけではない。勝機はどこかにあるはずだ、必ずどこかに……
 あたしはふと気がついた。残り4機になってから目標からの攻撃が完全に停止していることに。
あれだけ圧倒的だったというのになぜ攻撃をやめた? あの調子でやり続ければとっくにあたしたちを全滅に追い込めただろう。
「――そうか」
 すぐに疑問が解決した。そうか、あの少年は結局決断できなかったんだな……ならば勝てる!
「残った者に告ぐ。今から言う指示に従ってほしい。ただし、生きて帰ることができない指示だがな」
『水くさいですよ! この作戦が始まって以来ずっと三佐に命を預けていますから! 何でも命令してください! 従います!』
 伍長の言葉。他の2機からも同じコメントが返された。今更だが……あたしは本当に良い部下に支えられていたと心底思った。
「すまない。お前たちの命、あたしがもらうぞ。そして、奴らに思い知らせてやる! 覚悟も決意も連中よりも我々の方が
遙かに上だと言うことをな!」
 
◇◇◇◇
 
 26機目を撃墜した時、俺は一息ついた。長門のシステムは完璧だった。遠近距離でも狙いを決して外すこともなく
確実に撃墜していく。
 俺は確信していた。いくら朝比奈(黒)がどれだけ決意していてもこれには耐えられまい。
今頃、自分の無力さに打ちのめされているんじゃないか? 今ならきっと俺の降伏勧告を受け入れてくれるはずだ。
 俺は長門に頼み、また朝比奈(黒)と話ができる状態にしてもらった。
「どうだ? 俺の降伏勧告が嘘じゃなかったということを信じてもらえたか?」
『どうやらはったりではなさそうだな』
 朝比奈(黒)の声はいらだちのこもった声を上げる。相当堪えているみたいだな。
「もう懲りただろ? いい加減あきらめて降伏しちまえよな。これ以上戦っても無駄死にするだけだぞ」
『…………』
 俺の通告に朝比奈(黒)は何も答えず無言でいた。
 ――だが、唐突に彼女は喉が張り裂けているじゃないかと思うほどに大きな笑い声を上げ始めた。
全く考えていなかった反応に俺は困惑してしまう。
 その馬鹿笑いはしばらく続いていたが、やがてそれを押さえつつ、
『バカかお前は』
 そう返してきた。バカ? どっちがバカだよ。お前はもう負けたんだ。認めたらどうだ?
『残念だったな。あたしが降伏することなどありえないんだよ。死んだら負けを認めてやるさ。もっとも死んでしまえば、
敗北を認める言葉も発せされなくなるが』
 まるで煽るように朝比奈(黒)はしゃべる。この期に及んでまだあきらめていないってのか?
『死ぬまで決してあきらめない。あたしの決意はそう言うものだとさっき言ったはずだ』
「いいのか? 俺は今すぐお前たちを殺せるんだぞ」
『だったらなぜ攻撃を停止した? 一体何を躊躇している?』
 逆に朝比奈(黒)から訪ねられる。なぜって……そういわれても……何と答えれば……
『答えづらそうだな。なら代わりにあたしが答えてやる。お前は言い訳がほしいだけだ。即座にあたしたちを皆殺しにできるが
それをやってしまえば、自分の良心が許してくれない。だから、一部の人間だけでも助けてなければならない。
自分が助かる代わりに相手を殺したんだという認識をある程度軽減できる。そうやって自分自身を満足させたいだけだ』
「それは……違う! 助けられる人がいるなら助けたい! それだけだ!」
『――あたしたちの姿を見ろ』
 俺の反論を無視するように朝比奈(黒)は上空からこちらに向かってくる航空機を誇示する。
まだ距離が遠いためにはっきりと姿を捕らえられないが、3機が寄り添うようにこちらに向かってきていた。
『あたしはあきらめるつもりはない。負ければ帰る場所もなくなるんだから。さあとっとと撃て!
さっきも言ったようにお前はお前の守りたいものを守ればいい! いつまでそうやって自分を正当化し続けるつもりだ!
覚悟なくして、大切なものは守れない! いい加減理解しろ!』
 このバカ――野郎が!
 俺はもう交渉は不可能だと悟った。奴らは死ぬまで戦いをやめない。現に今自殺行為同然の攻撃を仕掛けてきている。
正気の沙汰とは思えない。だったら――やってやるさ。望み通りにな!
 目の前に光る空中モニター上のスイッチ。俺は勢いよくそれを三回押した。同時に光弾が上空へ三発発射され、
向かってきていた飛行機を全て粉砕する。
 バラバラになって落ちてくる航空機の残骸を目に俺はやるせない気分になった。だから――だからいったじゃねえか!
こんな事で死んでなんの意味が――
「――キョンくん違うっ! 向かってきているのは3機じゃなくて4機です! 背後にもう1機いるんです!
レーダーの画面をよく見てっ!」
 朝比奈さんの叫び。俺ははっと空中モニターを見て気がつく。こちらに急接近してくる一つの機影。
撃墜したものは表示されないから、今映っているのは俺が撃ち漏らしたものだ。
 俺はあわてて最後の一発を放とうと再度スイッチに手を伸ばそうとして――
「敵弾投下されちゃいましたっ! このままだと確実にここに命中しますっ!」
 再度飛ぶ朝比奈さんの叫び声――
 やられた。完全にしてやられてしまった。
 俺は心のどこかで朝比奈(黒)がもうあきらめていると決めつけていたのだろう。
 だが、あいつらはまだあきらめていなかった。
 さっきの話の中で俺に肉眼で連中の飛行機を確認させたのは俺に近づいてきているのは3機であるということを
誤認させるため。そのためには空中モニターから目を離させる必要があったからだ。
 爆弾の投下を終えた飛行機が俺たちのすぐ頭上をかすめていく。とにかく奴を撃ち落とさないと――
「違う。今は投下された攻撃を迎撃する方が先。あれがここに落ちれば全員確実に生命停止状態に陥る」
 長門からの指示。一発爆弾が命中すれば俺たちの負け。朝比奈(黒)はそれを理解していた。だから、一度だけでもいいから
俺たちに急接近できればいいという方法を使った。味方を盾にしてまで。
 ほどなくして轟音とともに空に向かって小さな光弾が大量に撃ち上げられ始めた。朝比奈さんが落ちてくる爆弾を迎撃しようと、
機関砲らしきものを撃ち上げていた。だが、なかなかそれに命中しない。
「大丈夫なのか……!?」
「あの大きさの物体に命中できる確率は、航空機を撃ち落とす確率よりもかなり低下する」
 長門は声こそ平坦だが、焦りの感情を全身から発していた。まずい、まずいぞ。頼むから当たってくれ!
 俺は神でも仏でも何でも良いから祈り続ける。しかし、無情にもその爆弾はこちらに落下し続ける。
 朝比奈(黒)……なんて野郎だ。
 こんな状況下でもまだあきらめていなかった。
 自殺行為同然の攻撃? そんなんじゃない、最初から勝算があるからこっちに突っ込んできた。
 覚悟も能力も俺とは比較にならない。
 朝比奈さん……そこにいるあなたは一体どんな人生を歩んできたんですか?
 どうやったら、そんな姿に……
 ――呆然と立ちつくすことしかできない俺に、熱風と衝撃が襲いかかった。タンカーに直撃する寸前に
こちらが放った迎撃の弾が爆弾に命中したのだ。すさまじい衝撃波に俺の身体は吹き飛ばされ、船体の床を転がり回る。
同時に頭を何かにぶつけ、俺の意識は暗転していった……
 
 ……俺はゆっくりと目を開けて――すぐに立ち上がった。どうなったんだ!? 俺はどのくらい気を失っていた!?
 辺りを見回すと、すぐ近くに古泉が倒れていた。目を開けてこちらを見ているところを見ると、どうやら無事らしい。
そのそばには長門もいた。一方で俺たちから少し離れたところには森さんと新川さんコンビが物陰に隠れるように
うずくまっている。よかった。無事みたいだな。
 だが、俺は別の方向に倒れている朝比奈さんの姿を見て全身の血の気が引いた。船の何かの機材に寄りかかるように
倒れていた彼女の頭から出血が起こっていた。ぽたぽたとしたたる血が白っぽいセーラー服を汚していく。
「朝比奈さん!」
 即座に俺は彼女の元に駆け寄る。ああ――ちくしょう。なんてこった。ハルヒに続いて朝比奈さんまで。
 俺は朝比奈さんの身体を数度揺さぶってみるが、いっこうに意識は回復しない。打ち所が悪かったのか?
 ここで古泉が俺の元に駆け寄り、朝比奈さんの状態を確認し始める。そして、脈を取るなどしつつ、
「大丈夫です。気絶しているだけだと思います。出血も少量ですし、やがて停まるでしょう」
 その診断結果に俺はほっと胸をなで下ろす。ここに来て朝比奈(黒)の目的達成になんてごめんこうむりたいからな。
 だが、それで一安心できるわけがなかったことを思い出す。俺たちのすぐ上を最後の航空機が飛び去ったのを見て
現実を再認識する。朝比奈さんが気絶してしまったということは今の俺たちには反撃する手段が存在しない。
もう一発爆弾をここに落とされれば迎撃もできずに一巻の終わりだ。
 どうすりゃいい……!?

◇◇◇◇

 部下を犠牲にしてまではなった一撃。だが、それもぎりぎりとのことで敵に迎撃されてしまった。
これで終わりかとあたしは奴らからの攻撃を覚悟したが、いっこうにその気配がない。
どうやら先ほどの一撃は命中しなかっとは言え、奴らに予想以上のダメージを与えられたようだ。
だったら次の一撃で終わりにしてやる。
 あたしはタンカーの周りを一蹴してから、再度突入進路に入る。そして、タンカーの真上に来たところで、
残り2発の爆弾を投下しようとするが――
「……なに!?」
 爆弾を投下できなかった。どこかの装置がいかれてしまったのか? このタイミングで故障するなんて……
 だが、まだ武装は残されている。あたしは数度タンカーの上を通り、朝比奈みくるらしき人物の姿を確認すると、
機首につけられた2つの固定機銃を放つ。だが、寸前のところで近くにいた男が彼女を抱えてかわした。
ちっ、もう少しだったというのに。
 すぐにタンカーに向けて発砲しようとするが――今度は機銃が故障してしまった。それも2つ同時にだ。
自動車や船で奴らを追跡している間中ずっとまとわりついてきたあの不自然な感覚。あれはまだ続いているのか?
「……だが、どこまでも詰めの甘い連中だ!」
 爆弾投下を阻止し、機銃を故障させた。それであたしの攻撃を阻止したつもりだろうが、機体自身を撃ち落とせないことが
お前らの弱点なのだ。
 あたしは機体を上昇させた後、また降下を開始する。言ったはずだ。あたしの命がある限り負けを認めるつもりはないとな。
 
◇◇◇◇
 
「敵機が真上から突っ込んでくる」
 空を見上げて長門がつぶやいた。見れば、最後の敵機が急降下して俺たちに向かってくる。だが、機銃も爆弾も落としてこない。
それどころかまるで体当たりをしようとしてくるかのように猛スピードでこちらに向かってきている。
 ここに来て、森さんと新川さんが突っ込んでくる飛行機に対して銃撃を始めた。あの程度の攻撃で撃ち落とせるわけがないが、
ただ黙ってみていることなんてできないのだろう。だが、敵機はそんな豆鉄砲など気にすることもなくこちらに落下してくる。
その姿はなぜか俺にはとてもゆっくりした動きに見えた。
 俺は朝比奈さんを抱きかかえながら思った。
 学校に攻撃が加えられてから俺はずっと他人よりも俺の守りたいものを優先してきた。
 ハルヒ・朝比奈さんと学校の生徒たち。
 ハルヒ・朝比奈さんと無関係な一般人。
 ハルヒ・朝比奈さんと多丸圭一さん。
 ハルヒ・朝比奈さんと多丸裕さん。
 これだけ犠牲を払って生き延びてきたというのに、その判断の意味するところを気がついたとたん怖じけついてしまった。
 俺が望む世界と朝比奈(黒)が望む世界。
 人数や規模の問題じゃない。俺は少しながら消えてしまった朝比奈(黒)の世界に同情してしまったのかもしれない。
 その思いにはなんの意味もないというのに。
 朝比奈(黒)はとっくにそんな同情心なんて乗り越えていたんだろう。
 自分の世界を守りたい。そのためにはどんな犠牲もいとわない。確固たる意思で決断をしていた。
 その差だ。
 それが俺と朝比奈(黒)の決定的な差。
 
 ――落下してくる飛行機が俺たちの目の前に迫る――
 
 怒りや恐怖、同情心、哀れみ……あいつらはとっくにそんなことを乗り越えていたんだ。
 それを理解するのが――今の今まで俺は理解できていなかった!
 
 眼前数メートルまで敵機が接近したとき、俺はとっさに朝比奈さんをかばうように床に伏せた。
そして、来るであろう衝撃と痛みに身構える。
 ……だがいくら待ってもそれはやってこなかった。俺は恐る恐る目を開く。
 まず目に入ってきたのは長門の後ろ姿だった。そして、彼女の目の前ではタンカーの一歩手前の空で
赤い閃光とともに爆発が発生している。だが、爆音も熱もなにも感じない。程なくして煙が消え、敵機の残骸がばらばらと
海の中に落ちていった。何がどうなってんだ……? 長門が何かしてくれたのか……?
 俺は朝比奈さんの身体を近くにいた森さんに預けると、長門の元に駆け寄り、
「何かしてくれたのか?」
「わたしと情報統合思念体の情報連結を解除した」
 長門はとんでもないことを平然と言った。それって自分の親玉と決別したって事か?
だが、それでは下手をすれば長門の存在自体も消えてしまいかねないんじゃないのか?
「今のわたしは別のものと連結状態にある。だから、情報統合思念体からの制約は受けずに情報操作を可能にした。
そう――今わたしは、涼宮ハルヒと情報連結にある。この状況下ではそうするしか方法がなかった」
「そんなことが可能だったのか……?」
「涼宮ハルヒがそれを容認したからこそ可能になった。無意識化での判断だと思う」
 ……長門の言葉に俺は心が震える。ハルヒ。お前は本当にすごい奴だよ……。また自分のみが危なくなりかねない決断をした
長門にも感謝だ。
「動くな」
 だが、次に俺の耳に届いた声が再度絶望の淵に追い込む。振り返ってみれば背後からのど元に拳銃を突きつけられた古泉の姿。
そして、その後ろには朝比奈(黒)の姿もある。こいつ、まだ生きていたってのか!?
機体はバラバラになっているのに不死身かよ!
 だが、無傷というわけにはいかなかったらしい。額から血が流れ出しているし、右足が不自然な方向に曲がっている。
相当な重傷のはずなのに、こいつは全く意に介さないように古泉に銃を向けている。
「いいかそのまま動くなよ……。おまえらはとっととその銃を海に捨てろ。一歩でも動けばこいつの命はない」
「すみません……僕としたことが油断してしまいました」
 苦渋の声を上げる古泉。
 森さんたちは怒りを押し殺すかのように持っていた自動小銃を海に方に投げ込む。
 それに朝比奈(黒)は満足げな笑みを浮かべて、
「賢明な判断だ。感謝する。さて、交渉を再開しようか。この男と朝比奈みくる、どっちか選べ」
 そう俺たちに向かって言い放つ。今度は朝比奈さんと古泉だ。どちらか選べと? できるわけがないだろうが!
 俺は長門に声をかけようとするが、
「おっとTEFIに声をかけるな。それだけでも反抗したと見なして、こいつを撃ち殺す。あと、無駄な反撃は考えないことだ。
その超常的な能力であたしから銃を奪ったり、抹殺させようとしてもあたしが引き金を引く方が早いぞ。一瞬だからな」
 朝比奈(黒)の自信に満ちた声。長門の力ならなんとかできるかもしれない。だが、古泉が助かるかどうかは不明だ。
今までの見せつけてきた驚異的な身体能力を有するこいつなら、どんなことをされても古泉への引き金だけは引けるんじゃないかと
思ってしまいたくなる。
 一方の朝比奈さんは気を失ったまま森さんの腕に抱かれている。それが返っていい方向に動いているのかもしれない。
意識があればよろこんでその身を差しだしたかもしれないしな。
 森さんと新川さんも打開する手段が見いだせていないらしく、厳しい表情を朝比奈(黒)に向けているだけだ。
おそらく機関の数少ない超能力者である古泉と、守るように指示された朝比奈さんのどちらを取っていいのか
判断がつかないのだろう。
 誰かを犠牲にしてまで誰かを助けるのか。最初から最後までこの選択を迫られている。神か仏の仕業か知らないが、
この仕打ちはあんまりじゃないか? 苦労はした方がいいと言うが、苦痛を味わえなんていうのは乱暴すぎる。
 しばらく沈黙が続くが、やがて朝比奈(黒)はしびれを切らし、
「わかったよ、判断できないというならあたしの望みを優先させてもらう」
 ――一瞬だった。俺がなんの反応もできない中、朝比奈(黒)は朝比奈さんに銃を向ける……
 パンっ乾いた音が俺の鼓膜に届いた。
 しばしの静寂。俺は気がつかないうちに閉じていた目を恐る恐る開ける……
「あ……ああっ……」
 俺が目撃したものは、撃たれた朝比奈さんではなく、力の抜ける声を上げて床に崩れ落ちておく朝比奈(黒)の姿だった。
古泉は間髪入れずに彼女を突き飛ばし、俺たちの元に逃げ出す。
「やっぱりこの時代の武器は使いづらいですね。変な痕跡を残さないために仕方がないんですが」
 続いて俺の背後から声が来る。振り返ってみれば、そこには栗色の長い髪でサングラスに深い帽子をかぶった女性の姿が。
その伸ばした右腕には、拳銃が握られていた。これから発射された弾が朝比奈(黒)に当たったらしい。
 その女性は俺の横に立ち止まると、少しだけサングラスを下にずらして、
「キョンくん、こんにちわ。久しぶりですね」
 それは朝比奈さん(大)だった。今回の一連の事件の発端とも言える人。
 身体が震える。怒りか驚きか。俺にはどちらかわからなかった。ただ呆然と朝比奈さん(大)が朝比奈(黒)に
近づいていくのを見ていることしかできない。
「全く本当に手間をかけされてくれますね。でも、もう終わりです」
「また……おまえか……また……」
 二人の朝比奈さんの言葉が交錯する。朝比奈(黒)の方は致命傷を負ったらしい。息も絶え絶えになり、
血だまりが彼女の身体の周りを埋め尽くしていく。
 朝比奈さん(大)はすっとまた朝比奈(黒)の顔に銃口を突きつけると、
「眠ってください。永遠に。あなたは消えた世界の亡霊にすぎないんですから」
「その……どこまでも冷めた目つきが……あたしは大嫌いだ……」
「奇遇ですね。わたしもあなたは大嫌いです。どんな手段を用いても、わたしはあなたの未来へは進みたくありません。
ではさようなら」
 朝比奈さん(大)の引き金が引かれようとしていたとき、俺は自然と身体が動いていた。
そして、すんでの所で彼女の腕をつかみやめさせた。
「もう……いいだろ……? 立つことすらできないんだから……!」
 俺は朝比奈さん(大)をにらみつけた。そんな俺に彼女は少々驚きの表情を浮かべる。
「みんな……ごめん」
 とぎれとぎれの朝比奈(黒)の声。見れば、目からはあふれるように涙が頬を使って落ちて言っている。
「みんなごめん……助けられなくて……ごめん……」
 朝比奈(黒)のやったことは許せるものではなかった。多くの人を巻き込み、ハルヒを傷つけ、朝比奈さんを傷つけ、
多丸さんたちの命を奪った。だが、彼女は助けたかっただけだ。俺が同じ立場になったらどうだ?
例えばハルヒや朝比奈さん・長門・古泉・家族・世話になったたくさんの人たちが明日消されてしまうとわかっていたらどうだ?
朝比奈(黒)と同じ行動を取ったかもしれない。それが唯一救える手段だったならば。
なんでこんな事になるんだよ。どうしてこんなことに……
 やがて朝比奈(黒)の呼吸の間隔が長くなっていく。目からは光が失われ、ただ空を凝視するだけになった。
 俺はたまらない叫び声を上げる。意味を持たない声が大空に広がっていった……
 
 みんなに言いたい。俺は朝比奈(黒)の行動を決して理解しない。
 だけどな、頼むから同情することだけは許してくれ……
 
 
~~エピローグへ~~


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