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5.目に見えるもの

 授業が終わるなり、ハルヒはまだ原稿をあげていない奴らを絞ってくるときんきん叫びながら教室を出て行った。まったく、と思ったが、別に憂鬱ではなかった。ああしてハルヒが色んな奴らのところを走り回っているのは、むしろ喜ばしいことに思えたからな。
 一人残された俺は、とりあえず部室へ向かった。もう原稿はあげてしまったし、特にやることはないが。つまりいつも通りというやつである。
 さて今日の部室には、既に俺とハルヒ以外の全員が勢ぞろいしていた。普段なら「お茶入れますね」とにっこり笑いながら言ってくれる朝比奈さんは、うんうん唸りながら挿絵を描いている。どうやら俺は挿絵以下らしい。
 長門は読書をしていて、古泉はチェスボードを前になにやら考えごとをしている。
「なんだ古泉、おまえ原稿書き終わったのか」
「あ、すみません、夢中だったので来たのに気づきませんでした。原稿なら終わりましたよ。なんなら読みますか?」
 どうやら詰めチェスをしていたらしい古泉ははっと顔を上げ、すぐに笑顔で答えた。
 こいつは俺の原稿にさんざん口を挟んできやがったからな。やられっぱなしってのは気分がよくない。読ませてもらおうじゃないか。
「どうぞ」
 とくに抵抗することもなく、古泉は俺に印刷された紙を差し出した。こうもあっさり読んでもいいといわれると何か複雑な気分だな。こいつには羞恥心がないのか?
 ともあれ、とりあえず俺は古泉の『ミステリー小説』とやらを読み出した。ふうむ、古ぼけた洋館、陸の孤島、芝居がかった犯行予告、傲慢な主人に女秘書。病弱な娘。執事とメイド。薀蓄をたれてばかりいる探偵。そして語り手の、ちょっと間の抜けた大学教授。
 古泉の小説は、枚数こそ多いものの、設定などはミステリで古くから使いまわされているものだし、トリックも別段珍しいものでもなかった。俺でも予想がついたくらいだからな。それに、なんというか人間の描写が足りないというか。みんな淡々としてんだよな。
「ひどい言われようですね」
 俺の批評を聞いた古泉はさわやかに笑った。俺だってこれでもちょっとは期待してたんだよ。あまりにも古泉がスラスラ執筆してるものだから。だからまあ、期待しすぎてた、ってのもあるかもな。
「そうですか? 自分で言うのもなんですが、高校生にしてはなかなかの本格ミステリぶりだと思いますよ」
 ああそうかい。
 ところで俺は、古泉が「何であろうと、文章にはその執筆者の内面がわずかでも含まれるものですからね」と言っていたことを忘れてはいなかった。ならば、古泉の小説には古泉の、まるで思いもよらない内面が出ているのではないかと思って、だから本当はそこに少し期待していたのだ。古泉との会話は、いつもどこか腹の探りあいのような表面的なものになってしまう。それが嫌だというんじゃないが、たまにはあいつという人間がどういう奴なのか、もう少し知ってみたいと思ったりするのだ。それでなくとも、古泉についてはひっかかっていることが多いからな。
「そういえば」
 古泉が茶碗を手に取った。あ、なんだこいつ朝比奈さんに入れてもらったというのか。許されざる狼藉としか言いようがないな。
「あなたの原稿を読んだ涼宮さんはなんと言っていました?」
「べつに」
「別にということはないでしょう」
「ふーんって感じだったよ」
「恋愛小説ではないのに?」
「だから、いいって言ってたんだよ」
 そこで、挿絵を描くのをいったん中断したらしい朝比奈さんが話に入った。
「えぇ、キョンくんの小説、恋愛小説になってないんですかあ?」
「えーと……」
「そうですね、どちらかというと、あれはミステリですよ」
「お前は余計なことを言うな」
「うぅーん。キョンくんの恋愛小説、ちょっと興味あったのに……」
 ん?
「えぇと、恋愛小説って、その人の恋愛観っていうか、そういうの出そうだから。キョンくんはあんまりそういう話しないから、ちょっと興味あったの」
 と、はにかむ朝比奈さん。なんて美しく笑う人なんだろう、こんな笑顔を向けてもらえるなんて俺はとんだ幸せ者だ、じゃなくて。意外と鋭いところをついてくる人だ。というか、普通はそう考えるってことなのか? 言われてみれば、もし恋愛小説の担当が朝比奈さんだとしたら、俺は出来上がった小説の内容をかなり勘ぐるだろう。そうか、そういうものなのか。まあ、俺は結局は上手く逃げちまったわけだが。
「そういえば古泉くんからもあんまりそんなお話し聞きませんねぇ」
「そうですか?」
「好きな人とか……」
「あいにく四年前からこっち、そんな暇はなかったもので。涼宮さんに対する嫌味ではなくてね」
「じゃあ、その前はどうなんだよ」
「そりゃあ、いないこともありませんでしたが」
「だからその話でいいんだよ」
 詰め寄る俺と朝比奈さんに、まいったなとでも言いたげに笑う古泉。朝比奈さんなんて目がきらきらしている。やっぱりこの人でも恋愛話になると気持ちが盛り上がったりするんだろうか。女子はそういうものに目がないからな。例外はいるが。ハルヒとか。
 まあともかく、と古泉が芝居じみたしぐさで両手を広げた。
「僕は今は好きな人はいないし、もしいたとしてもその人とどうにかなりたいとは思いませんから。僕の知らないところで幸せになっていてくれさえすればいいんです」
 俺はその時の古泉の顔を見ることができなかった。十中八九、ハルヒのことを言っているとしか思えなかったからだ。分かるか? こいつが好きなのは「涼宮ハルヒ」じゃないんだ。こいつはきっと、ハルヒに対して神様でもあがめるような気持ちでいやがるんだ。何故だかは知らないが、にわかには許しがたい気持ちだ。
 無意識のうちに体に力が入っていく俺の横で、朝比奈さんが楽しそうに古泉の今の発言を追及している。
 と、そこで携帯電話が鳴った。誰のだろうと思うまでもなく聞こえてきたのはオルゴール調のかわいらしいメロディーなので、きっと朝比奈さんだろう。と思っていたら、朝比奈さんがあわててハンガーにかけてある制服に駆け寄り、携帯を確認しはじめた。やっぱり。
「あぁ……ごめんなさい、私、今日は帰らなきゃ」
 一旦席を外そうとする俺と古泉に、トイレで着替えるから大丈夫とだけ言い、慌てた様子で朝比奈さんは部屋を出て行ってしまった。
 俺が少し唖然としてその後姿を見送っていると、古泉の「おや、どうしました?」という声が聞こえた。見ると長門が席を立っている。
「図書室」
 そう言って長門も部屋を出て行ってしまった。
 さて、残されたのは俺と古泉のふたりで、なんだか気まずい空気だ。気まずいといっても俺が一方的にそう感じているだけなのかもしれんが。
 人というのは不思議なもので、普段は別に会話のない時間が流れても平気なのに、気まずい空気になったとたん、なぜか「話さなければ」という義務感に駆られる。どうやら普通の高校生である俺も例外ではないらしく、頭の中で話題、話題……と、別に真剣に探しているわけでもないが、ずっとつぶやいている。
 あ、話題。
「お前、最近長門と仲いいな」
 口から出たのはそんな言葉だった。しまった。あまりその、なんというか、恋愛チックな話はこいつとしたくないのだが。
「そうですね、『仲がいい』……と言うと、少し語弊があるような気もしますが」
「どんな話をしてるんだ?」
「べつに、ただのたわいもない話ですよ」
 古泉は手の中でチェスの駒をくるくるもてあそびながら言った。やっぱりそこは「秘密」なんだろうか、と思っていると、古泉は顔を上げて俺と目を合わせた。
「それだけです」
 笑った顔は思ったよりもやわらかいものだったので、俺は合った目を思わず朝比奈さんが置きっぱなしにいていった描きかけの絵にやった。俺はそういう古泉の表情を見たのは初めてで、だからつまり俺が今見た古泉は、俺の知らない古泉だったのだ。
 ガタン、とドアの開く音がした。長門だ。えんじ色のハードカバーを手に持っている。背表紙に『孤島の鬼』と書いてあるのが、かろうじて読めた。
「あぁ」
 長門の持っている本を見て、古泉が理解したとでもいうようにまた笑った。長門は表情こそ変わらないものの、何かの合図のように古泉と目を合わせて、首をわずかに傾けた。
 それを見た俺は、長門の『友人』という言葉を思い出していた。何度も言っていることだが、長門はこの一年で本当に変わった。長門だけじゃなくて、俺もハルヒも朝比奈さんも、そして古泉だって少なからず変わったのに違いない。一年前の俺なら、長門が誰かと積極的に関わりを持ったり、特定の個人を『友人』と自ら呼ぶなど考えもしなかっただろう。そう、長門のそれは少し分かりにくいかもしれないが、確かに目に見える変化なのだ。
 そして古泉も。いつも同じ顔なのは長門と同じだが、こいつは意図的にやってるから表情が読み取りにくい。でも今長門と目を合わせた古泉は、俺の知っている古泉とは少し違った。それが長門と会話を続けた結果なのなら、俺はいいと思う。二人がお互いに抱いている感情は恋愛とは程遠いもののようではあるが、問題はそこではない。新しいものができるというのは、基本的にはそれだけで喜ばしいことなのだ。
「チェスでもやりますか?」
 古泉がチェスボードを机の中央に押しやりながら俺に聞いてきた。
「ああ」
 俺は白い駒を取る。
 世界なんていつ変わるか分からない。それは、ハルヒが簡単に世界を変えてしまえるからという意味ではない。知らないもの、新しい価値観に触れた時点で、もうそいつは新しい世界に足を踏み入れているのさ。だから、きっと古泉と長門もそうなんだろう。ハルヒを中心に回る古泉の世界だって、今この瞬間にも変わり続けているのかもしれない。
 新しい世界に。
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