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「あれー、キョンくん。今日は誰も待ってないのーっ?」
 玄関ドアを開けた妹が振り返って言った。
「あぁそうだな。さて、なぜだろうね……っと」
 靴を履いた俺は妹が不思議がるのを横目で見つつ、まだまだ続く冬空の下に出た。

「さ、学校に行きますか」


「ようキョン! って、あれ。お前今日は誰とも一緒じゃないのかよ」
 あんまり登り慣れて、今や目をつぶってでも制覇できそうな通学路の途中、谷口がぽんと肩を叩いてきた。
「あぁ、まぁな」
 俺がそう言うと、
「何だ、涼宮の言ってたゲームとやらはもう終わっちまったのか?」
 谷口は怪訝そうに片眉をひそめて訊いてくる。俺は肩をすくめて、
「さぁ、どうだろうな」
「はぁ? 何だよそれ。終わったんならぜひとも結果聞かせてくれよ」
 俺は肩をぶつけてくる友人の問いには答えず、逆にこう質問した。
「なぁ谷口。お前、宇宙人と超能力者の恋愛は成立すると思うか?」
 俺の問いに谷口はしばし足を止める。口がOの字になったままだ。
「きょ、キョン。お前ひさびさにアレか。定期的な症状がようやく落ち着いたと思ってたが、まだまだ涼宮の毒電波は猛威を振るってるらしいな。おーこわっ」
 寒がるジェスチャーをする谷口に構わず、俺は歩みを進める。
「早くしないと遅刻するぜ」


「キョン、いよいよね」
 首を傾げたままの谷口が席につくのを見届けつつ、俺は今年度ついぞ変わることのなかった馴染みの指定席に腰を下ろす。そこへかかったのが今のハルヒの声だ。
「そうだな」
「ねぇあんた。あの二人、両想いになれると思う?」
 両想い、か。またずいぶんと乙女チックな単語を使うじゃねぇか。
 そう言うとハルヒは片目をむっとさせて、
「茶化すんじゃないわよ。あたしはこれでも真剣に有希を応援してるんだから」
「分かってるさ」
 そう。今回の恋愛バトル。意外とマジになってる奴は多かったんだ。気付いてたか、団長様?
 ハルヒは俺の態度に動き出した腹の虫がおさまり切らないのか腕組みをしてむくれていた。俺はしばらくそんなハルヒを見ていたが、やがて始業のチャイムが鳴ると、授業に集中すべく教科書とノートにシャーペンを構えた。
 一度だけ、クラスの真ん中にいる大切な仲間に願いをこめて。


 さて、放課後がやって来る。
 昼食の席で国木田谷口コンビに話すことは今日に至っては何もなく、俺は腑に落ちない様子の谷口をよそにたわいない雑談に終始した。
 由梨は今日は円卓ならぬ角机を囲う会には参加しなかった。昼休みの間中、ハルヒと長門姉妹の三人は教室を留守にしていた。何となくだが、三人は同じ場所にいたんじゃないかと思う。

 歩き慣れた渡り廊下を抜けて階段を登りきると、部室はもう目の前だ。
 俺は由緒正しき良家の令嬢を案ずる父親ばりに厳格な面持ちで部室のドアを開けた。そこにいたのは古泉ただ一人だ。
「どうも」
 古泉は変わらぬ微笑みで他に誰もいない部室に座っていた。ゲームもテーブルには出ていない。俺は向かいに座って、窓の外を見るともなく眺めた。


 静かな時間が過ぎる。
 俺たちは会話もゲームもせず、互いに視線を交わすこともなかった。あとは時間が来るのを待つだけだ。一週間に渡る恋愛ゲームの真似事が、間もなく最終回を迎えようとしている。俺はいちおう主人公役その1になっていたが、どうもミスディレクションだったらしい。この話はダブルキャストではなくて、今俺の目の前に座ってる二枚目がただ一人の主役のようだ。そして、現時点で俺の役目はほぼすべて終了しているはずだ。最終話に脇役ができることなんて、そんなにないだろ?

 コンコン

 不意に室内に響くノックの音。一拍置いて扉が開く。現れたのは朝比奈みくるさんだ。
「え、えっと……。きょ、キョンくん、ついて来て下さい」
 朝比奈さんはうつむくと、目線を床の上にでたらめに泳がせてそう言った。俺は立ち上がると、一度だけ古泉を見た。穏やかに笑みをたたえた長身の男は、わずかに首を傾けて俺たちを見送った。

 コンコン

 やがて俺が戻ってくると、二度目のノックの音がする。
 かちゃりと開いた扉の向こうに、現れる二人目の人物。
「あの、古泉くん……。一緒に来て下さい」
 この時だけ殊勝なSOS団団長、涼宮ハルヒは、先ほどの朝比奈さんに負けないくらい健気な『演技』をして言った。古泉はやや苦笑気味に立ち上がり、
「行ってきます」
 と俺に言った。ああ。つうか省略して三秒で帰ってきても構わんぞ。
 ドアが閉まって間もなく、俺はこらえていた笑いを盛大に解き放った。あっはっはっは! やばい、今回一番面白い! いやはや、録画して取っておきたかったなぁ。馬子にも演技とか、そんな新しい慣用句を作ってどこかの辞典に追加しておきたいくらいである。普段のハルヒを知っている人間があれを見たら、俺のように爆笑するか鳥肌を立てるかのどっちかだろう。あぁ、今だけ谷口を呼んでおきたかったぜ。

 コンコン

 三回目のノック音。
 笑いも治まり、やがて古泉も帰って来ると、そこに長門由梨が現れる。
「来て」
 俺を漆黒の瞳で見つめて、ハルヒと対照的に演技も何もない棒読み口調で由梨は言った。いやしかし、この順番、どうやらハルヒの肝計によるものであることは間違いなさそうである。あいつめ、最後の最後まで抜かりないな。
「そんじゃ行って来る」
 俺は古泉に片手を上げた。古泉は笑ったまま、
「ええ、ごゆっくり」
 別にゆっくりしているつもりもないが、と思いつつ、俺は由梨と部室を出た。

 今回の俺は言ってみればついでであり、清涼飲料水に時たまついてくる粗品くらいの存在だ。それゆえに、俺が朝比奈さんと由梨のどちらを選んだのかということも含めて、今ここで多くを述べる必要はないだろう。


 コンコン

 四度目。最終のノック音だ。心なしか、これまでで一番小さな音に聞こえる。

 かちゃ。

 ゆっくりとドアが開いて、さきほどと同じ小柄な姿が部室に登場する。最後のヒロイン、長門有希の眼鏡をかけた姿がそこにあった。
 有希はわざわざ後ろを向いてドアを閉め、ゆっくりとこちらに向き直る。すると、一歩、また一歩と古泉の前に歩み寄り、その距離が半歩分に縮まるところまで進むと、立ち止まった。
 有希は片手をセーラー服のエンブレムに当てる。深呼吸のような一呼吸をして、
「古泉一樹」
 何も音がしていない部室の中でも、注意していないと聞き逃してしまいそうな小さな声で言った。
 古泉は真っすぐに長門の瞳を見つめて答える。
「はい」
 長門は一度だけ顎を引く。わずかな時間の後に顔を上げると、視線を背けない古泉を見て、言った。

「一緒に来て」

 古泉は今度は声を出さず、神妙に頷いて立ち上がる。長門はくるりと反対を向き、歩幅も小さく歩き出す。開けた扉から退室し、古泉が後に続く。ぱた。両名が静かに退室し、部室には俺だけが残る。


「……さて」
 ここからが本番である。

 バタァン!

 さっきとは比べるのもおこがましいような、愛想もへったくれもない音を立てて部室のドアが開く。
「いよいよね!」
 ハルヒが朝比奈さんと由梨を引っ張って部室に入ってきたと思ったら、そのまま窓辺に急行、危うく俺が轢かれそうになる。おい、さっきまでの爆笑もののしおらしさはどこに行ったんだよ。
「いっでででで!」
 十分に間合いを取っていたと思っていたのが甘かった。身体のバネを存分に駆使し、気付けば俺の目の前に脅威の瞬発力で戻ってきたハルヒは、俺の頬をつまんで窓辺に引きずった。痛みを緩和すべく先鋭的ダンスのような小走りになる俺。離せ離せ離せっての!
「はい」
 突如解放されたがまだ痛い。わざわざ指先に力をこめていたとしか思えん。しかし楽しそうだなお前も。
「長門さんたち、うまくいくといいですねーっ」
 ほくほく顔がまた可愛らしい朝比奈さんが、由梨と並んで右の窓から中庭を見下ろしている。
「これでダメなんだったら、あたしは古泉くんを見損なうわね。こういう状況を用意されても腰を抜かすような男じゃないはずよ。誰かと違って……ね?」
 意味ありげに俺にあやかしの視線を送るハルヒだった。何が言いたい。つうかお前、さっきの演技マジで面白かったからもう一回やっ――
「いだだだだだ! 痛い! 痛いっれの!」
「ほら、有希と古泉くんが来たわっ!」
 右手に万力級の力をこめていたハルヒの合図に思わず腰を低くするSOS団残党四名。大佐、観察準備OKです。
「しかし、木の下に呼び出して告白させるってお前、どんだけ時代遅れなんだよ」
「うっさいわね! じゃぁ他にどこかいい場所があるっていうの?」
 そう、この一連のイベントの締めくくり。それは「中庭にある伝説の木(設定)に呼び出して意中の男性に想いを伝え、成就すれば晴れてハッピーエンド」という、今時どこの小説にも出てこないような安っぽい最終決戦地での告白ごっこだった。相変わらず予想の斜め上どころか、枠内からはみ出してまた戻ってくるところに線を引くやつである。

 すでに俺が二回、古泉が一回向かった木に、再び古泉がやって来た。後ろには長門有希。
 ハルヒと古泉が話してたのを見て、すでに確信していたことなのだが、ここからあの木まではそれなりに距離があり、姿は見えても会話は聞きとれない。ハルヒもそれは承知の上で、雰囲気から状況を察知しようと思っていたらしいのだが――、

「……いい天気ですね、今日は」
「あ、あれ?」
 聞こえてきた古泉の声にハルヒが驚く。代わりに声を出されてしまったが、俺も驚いていた。
「今古泉くんの声聞こえたわよね? 何で?」
 そう。確かに古泉と有希はあの木の下にいて、ここから向こうまでは何メートルかの距離がある。大声で叫んだのならまだしも、通常会話レベルのボリュームであれば、まずここまでは聞こえないはずだ。それなのに、まるで直接鼓膜に響いているかのように、古泉有希間の会話が実況中継されている。普通に考えてこんなのはありえ――、
「まさか」
 俺は右隣にいる由梨の肩をとんとんと叩いた。由梨は無表情にこちらを向いて、一度だけ、わずかに顎を引いた。
 なるほどな。つまりあれだ。宇宙パワーだ。会話で確認しちまうとハルヒに聞かれるかもしれんので遠慮しておくが、おそらくは由梨が俺たち四人にも古泉と有希の会話が聞こえるように、何か宇宙的なインチキを施したってことだろう。いや、ついインチキと言っちまったが、この場合は大歓迎さ。
むしろ、ビバ! 超越的テクノロジーである。……しかし、ここで驚嘆すべきは気を回してくれた由梨なのではないだろうか。などと考えていると、

「それで、何でしょうか。……お話、とは?」
「始まったわ!」
 古泉の声とハルヒの声が二元中継的に聞こえてきた。会話とも電話とも違う、妙な感じだ。ハルヒはハイテンションだからなのか、本来届かない距離の声が聞こえることなど瞬間的にどうでもよくなっているらしかった。
「長門さん、がんばって」
 朝比奈さんが敬虔に祈りを捧げる姿は、思わず画家に依頼して天使の翼を描き足してもらいたくなる。
 さて、ここで俺もそろそろ観戦ならぬ観覧に集中することとした。


 古泉は梢の向こうに広がる青空を見上げている。
 有希はその背を見つめ、言うべき言葉に迷っているようだった。

 俺はカーディガンを着て、眼鏡をかけた小柄な人影に、あいつと出会った日から今までを思い出した。

 そうだよな。お前は自分の言葉を選ぶのがあんまり得意じゃないもんな。
 でも、大丈夫だ。もうお前は一人じゃない。
 みんなもここからお前を応援して、見守っている。

 がんばれ、長門。

 叫ぶわけにはいかないので、俺は心中でそう願った。
 長門は片手を胸に当てたまま、古泉の背を真っすぐに見ていた。こら古泉。お前も振り向いてやれ。

 ……とはいえ、たぶん古泉も緊張しているのだ。すぐに振り向けないのは、これまでの自分に踏ん切りをつけるために、助走しているからかもしれない。

 ならば、俺が願うことはただ一つだ。


 長門、古泉。ふたりともがんばれ!


 あぁ。こんなに手に汗握って応援してるのいつ以来だろうな。少なくとも中河のアメフト試合の三十倍は息を飲む光景である。

「古泉……一樹」
 有希は由梨の聴力補正をもってしても小さく聞こえる声で、やっとそれだけ言った。
 ちゃんと聞いていろよ、古泉。ちょっとでも聞き逃したら、聞き逃した字数分のジュースをここにいる全員に奢らせてやるからな。

 長門の呼びかけに、古泉は振り向いた。
 悔しいが、笑っちまうくらい絵になってやがる。文句無しに、お前は今、舞台の中央にいるぜ。表情までは遠すぎてはっきりと分からないが、その口調から笑顔の種類を想像するくらいのスキルは、ここにいる全員が持ってるはずだ。

「聞いて」
 長門の声が震えているように聞こえる。
「はい」
 古泉の声がいつになく柔らかく響く。

 長門と古泉は、シルエットのような木を挟んで向かい合っていた。
 今、二人は見つめあっている。

 俺は不意にハルヒを見た。さっきから静かだと思ったら、ハルヒは目を閉じて両手を組み、お祈りをするようにして二人の行方を案じていた。見てはいけないものを見てしまった気がして、俺はすぐさま元の位置へ視線を固定する。……。


「わたしは……」
 突如風が吹く。しかし、そんなのは何でもないかのように、二人は見つめあったままだった。

 風が一度だけ止んだ。
 辺りを驚くほどの静寂が包む。


 長門……行け!



「わたしは……、あなたが好き」



「やった!」
 そう言ったのが誰だったのか分からない。ひょっとしたら全員だったかもしれない。由梨が言っていたのだとしても俺はさほど驚かなかっただろう。それほどまでに、長門の言葉は感を極めていた。


「好き……、す」


 二度目の長門の言葉が途切れる。
 二つのシルエットの片方がもう片方に近付いて、唇と唇が重なった。


 長門の言葉は、古泉のキスに包まれた。
 古泉が、そっと長門の肩を抱きしめる。
 

「やった……有希、古泉くん。よかった……」
 声につられて横を見ると、ハルヒが目尻に手を当てていた。またも俺は見てはいけないものを見てしまった気がして、慌てて前を向いた。……。

 長門と古泉は、一度顔を離して見つめあい、それからもう一度。今度はゆっくりと、唇を重ねた。


「戦法は自由だけど許すのはキスまでね」


 本当によくできたゲームだったぜ、ハルヒ。お前の企画能力は、この二年ばかりで宇宙でもトップクラスになっちまったのかもしれん。とうとう人を幸せにするとこまで来ちまったんだからな。


 冬の空はどこまでもどこまでも晴れていた。
 その空に負けないほど大きな木に、二人の団員が、一足早い春を呼んだ。

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