3.BRAND NEW WORLD(告白)

 その日のSOS団は二手に分かれていた。涼宮ハルヒが言っていた、「放課後不思議探索」を実行していたのだ。休日に行うときと同じように、くじ引きで二手に分かれた。涼宮ハルヒと、彼女によって深いスリットの入った真っ赤なチャイナドレスを着せられた朝比奈みくると長門有希の三人と、彼と僕の二人。つまり、綺麗に男女に分かれた形になる。
 僕と彼はいつも通りにただあてどもなく校内をぶらぶらしているだけだったが、二人の間に漂う空気はどうにも重いもののように感じられた。それは言うまでもなく昨日の彼の突拍子もない行動によるものだった。
 あの後、自分が彼にいきなり胸倉を捕まれるような理由はなんなのかということについて考えをめぐらしてはみたものの、理由は見当たらなかった。昨日、僕が理由を聞いたとき、彼は何か言いかけていた。結局は涼宮ハルヒによって阻まれてしまったけれど。あのようなタイミングのいい「偶然」があると、これは彼女の力なのではないかとすぐに考えるクセが僕にはついている。それがいいことなのかどうかは、分からないけれど。
 気まずいまま歩いていると、渡り廊下に差し掛かった。僕の前を歩いている彼はふと立ち止まって、振り返った。やけに真剣な顔をしている。
「昨日のことなんだが」
「はい」
 僕は反射的に笑う。それを見て彼は不満そうに目を細めた。気持ちの悪い奴だとでも思っているんだろうか。仕方ないだろう、これが「僕」なんだから。
 彼は渡り廊下の手摺りに肘をついた。そして息を吸った。吐いた息は白く霧散していく。その向こうにある中庭は、緑がさっぱりなくて情緒がなかった。
「お前はハルヒが好きなのか」
 そう言われた瞬間、今度は反射でもなんでもなく、普通に声を出して笑ってしまった。彼がこっちを睨んでいるが、だってそんなことを真剣に聞いてくるなんて。昨日のあの態度も、それが理由だったんだろうか? だったらむしろ喜ばしいことじゃないか。
「俺は真面目に聞いてるんだ」
「何をおっしゃいますか」
「違うとは言わせないからな」
 どうやら彼は僕が涼宮ハルヒに恋愛感情を抱いていると思い込んでいるらしい。おかしなことを考えるものだ。
「しかし違うのだから仕方ないでしょう。その『好き』が友愛のそれならば僕もイエスと言いますが、違うのでしょう?」
 彼は押し黙る。
「昨日のことは気にしてませんよ」
 僕がそう言った瞬間、彼の肩がぴくりと動いた。横顔を見やると、複雑そうな顔をしている。僕の模範解答に、何か疑いでも持っているのだろうか。まあ、自分でも臭い演技だとは思うが仕方ない。
「それは、そうじゃない」
 わけのわからないことを言って、彼は体を起こした。僕に向き直る。
「お前はハルヒをなんだと思ってる?」
「なに……と言うと?」
 彼が何を言いたいのか図りかねて、僕は逆に聞き返した。
「だから」
 頭をかくしぐさ。
「お前は本気でハルヒを神様だと思っているのか」
「分かりませんね、そんなことを聞いてどうするんです?」
「いいから答えろ」
「……それに近い存在だと思っていますよ。これでいいですか」
 彼はそうか、と呟いて、また手摺りに寄りかかった。中庭を見る彼の顔は、どこか寂しそうに見えた。

 結局、それで探索の前半は終わってしまった。一度部室に戻ると女子三人が既に着いていた。朝比奈みくるは真っ赤なチャイナドレスからレースクイーンになっていた。上からコートをはおっている。涼宮ハルヒは僕らが部屋に入るなり彼に歩み寄って、遅いこのバカキョンと騒ぎたてた。
 はたから見れば元気のいい彼女に振り回されている彼氏、というようにしか見えない。それなのに彼らの関係はいっこうに進歩しないし、いくら安定してきているとはいえ閉鎖空間も出るときは出る。
「じゃあ、くじびき!」
 涼宮ハルヒがくじを右手に持って突き出した。朝比奈みくるが引く。印がついている。長門有希、印なし。彼、印。そして僕が引いたのは印のないくじだった。涼宮ハルヒは、自分の手に残った印のついたくじを見て、妙な表情をした。彼と同じ班になったのが嬉しいものの、朝比奈みくるが一緒なのが少し複雑らしい。それでも彼女は嬉しそうに、さっそく彼にいちゃもんをつけている。
 大まかに行動範囲を二つに分けて、涼宮ハルヒは二人を引っ張って廊下の向こうに消えていった。僕は横に立っている長門有希を見る。
「部室にいるわけにいきませんし、図書室にでも行きますか」
 彼女はわずかに顔を傾けた。いいということなのだろう。
 さっきの渡り廊下を抜けてたどり着いた図書館は、暖房がよくきいていた。ききすぎて暑いくらいだったのでブレザーを脱いで椅子の背もたれに掛けた。隣では長門有希が江戸川乱歩を読んでいる。昨日の武者小路実篤といい、彼女の中では日本文学がブームなんだろうか。江戸川乱歩なら僕も好きだ。ミステリ好きなのは演技ではないから。
 何もすることがないので、僕は昨日からの彼の妙な態度について考えてみることにした。
 彼は否定、というか、考えないようにしているようではあるが、確実に涼宮ハルヒに恋愛感情を抱いている。どうみても両思いだ。そして、僕も彼女のことを好きなのだと思っている。ここまでは合っているはずだ。でも急に僕の胸倉を掴んだことは、それが理由なのではないと言っていた。ではなぜあんなことをしたのか。考えられるのは、実は「それは、そうじゃない」という彼の言は嘘で、いや嘘と言うか、無意識にあのようなことをしてしまったので、自分でもよく把握していないという案と、涼宮ハルヒが何らかの理由で彼がそうすることを望んだからという案。……よく分からない。
 体を起こして、すこし伸びをした。ふと気がつくと、長門有希がこちらを見ている。本を読むのを止めた気配はなかったので驚いた。
「な、何ですか?」
「昨日のこと」
「ああ……彼の」
「そう。もしあなたと彼の間に内面的な敵対関係ができているのであれば、それは涼宮ハルヒの精神に大きな影響を及ぼす。私はそれを懸念している。私が把握できていないところでそのようなことがあるのなら、教えて欲しい」
 彼女は珍しく長いセンテンスを話した。しかし、よりによって『内面的な敵対関係』とは。そのことについては心配する必要はないだろう。でも。
 僕は気まぐれのような気持ちで、彼女にこの件について相談してみようかと思った。いや、相談というよりは、こんなことを一人で考えていても疲れるだけだと思ったのだ。だからちょっと話してみようかと思ったというわけだ。
「僕が彼と敵対関係にあることはありません。でもひとつ相談に乗っていただきたいのですが」
「私に有機生命体の『感情』にまつわる相談を持ちかけられても答えることはできない」
「いえ、だから、聞いてくれるだけでいいんです。もし何か言うことがあれば言ってくれる程度で」
「……そう」
 わかった、ということなんだろうか。とりあえずここはそうとっておくことにして、僕は今日起こったことと(彼女は言うまでもなく把握しているんだろうけど)、僕が考えたことを話した。図書館には僕らのほかには貸し出し係がいる程度で、部屋の隅っこで交わされる会話に耳をそばだてるものはいない。
 すべて話し終えると、彼女はなにか思案するように前を向いた。話を聞いている間はずっと僕の顔を見ていたのだ。
「まあ、本人に直接聞くしかないんでしょうけどね」
 僕はそう肩をすくめてみせる。それを聞いた彼女はこちらに顔を向けた。
「古泉一樹。あなたは肝心な部分を話していない」
「そうですかね」
「そう。彼はあなたが涼宮ハルヒに対し恋愛感情を持っていると考えている、とあなたは言った。でもそれが真実なのかどうかを言っていない」
 そして、どうなんだとでも言うように、首をほんの少しかしげた。
 やっぱりTFEI端末に隠し事は通用しないようだった。僕は、ほんとうのところはどうなのか、それを彼女に洗いざらい吐いてしまってもいいのではないのかと思い始めていた。なんと言っても、口の堅さなら右に出るものはいない。それに今は二人きりだ。
「どうなの?」
 こう催促していることだし、話してしまおうか。どうしようか。
「……僕が今まで誰にも言ったことのない、感情的としか言いようのない、どうしようもない話になりますよ」
 口を開く前に決心がつかなかったので、判断を彼女に委ねるような言い方になってしまった。でも彼女はまっすぐに僕を見る顔を動かさなかった。
「かまわない。それに」
 大きくまばたき。
「興味がある」

「僕が涼宮ハルヒという女性に対して抱いている感情は、大きく二つに分かれます。ひとつは、純粋な好意。正直なところ、僕も自分のこの感情が恋愛感情なのかそれとも友愛のそれなのか、判断がついていないんです。でも例えば、僕が彼女に出会う前に好きになった女の子たちのことを思い出してみると、彼女たちに抱いていた気持ちと、涼宮さんに対する気持ちは明らかに異なる。異なるんだけれども、共通する部分もある。お恥ずかしい話ですが、触れたいと思ったりとか、そういうことはありますよ。ごくたまにですけどね。でも僕は彼女と恋人同士になりたいとかそういう風に思ったことはないんです。その点では現状に満足しているんですよ」
「ふたつめは、こういうと齟齬がありそうなんですが、憎しみです。僕は彼女が憎い。……憎いんですよ。僕は彼女の幼い願いによって無差別に選ばれ、彼女のストレスと戦わされてきたわけです。しかも、肉体的疲労を伴って。最近はそうでもありませんが、SOS団ができるまでの彼女の精神状態といったら……。夜は眠れないし、学校も休みがちになりました。自然と友達もいなくなって、僕が普段コミュニケーションを取れる相手といったら、家族と『機関』の連中だけですよ。同い年の、というか、遊べる相手もいなくて。本当の事を言うと、すごく寂しかったです。だから北高に転入するのなんて、本当は嫌だったんですよ。涼宮ハルヒなんて異常な女と関わるのなんてまっぴらごめんだ、なんてね」
「僕のこの口調とか、表情とかも、まあ全部が全部というわけではありませんが、だいたいは演技です。彼女の言うことには基本的に賛同しなければなりませんし。疲れますよ、すごくね。でも彼女はそんなことを何も知らずに僕に頼ってきたりするんです。その瞬間、僕は彼女への優位性を獲得したような気持ちになります。嬉しくなるんです。でも本当は優位性の逆転なんて起こっていない。僕は、彼女の思うままの人生を歩んでいるんですからね。僕は彼女の望む通りの『古泉一樹』を演じ続けている。だからそういう時は、僕は嬉しさと同時に怒りを感じるんです」
「でも僕はこの約一年間、とても楽しかった……SOS団に入ってよかったと、彼女に出会えてよかったと思う気持ちも本当なんです。それは絶対に、本当に嘘じゃない。でもそれと同じくらいに彼女を憎く思う気持ちも確かにある。だから、僕は……」

 長門有希は、「会話をするときは相手の目を見て話しなさい」という、小学校の道徳で習うような教えを愚直に守る子供のように、視線をそらすことなく僕の話をただ聞き続けていた。
 僕はその後に言うべき言葉が見つからず、そのまま黙りこくった。暖房が効きすぎているからなのか、話しすぎたせいなのか、とにかく喉が渇いていた。疲れてしまって、そのまま机に突っ伏したかったが、彼女の唇がものをいう形に開いたので、僕は彼女がそうしていたように、その顔を見た。
「これから、あなたの話を私なりに要約する。いい?」
「かまいません」
「あなたは、四年前に涼宮ハルヒによって引き起こされた情報爆発の影響を受け身についた能力によって自らの生活が変化したことに不満を抱いていた。それは憎しみへと変わった。そしてそれと同時にあなたは涼宮ハルヒに対し好意を抱いている」
「まあ、そういうことになりますね」
「あなたの『感情』はとても矛盾している」
「分かっていますよ、もうずっと」
「あなたは私生活をすべて涼宮ハルヒに奪われてしまったと考えている」
「そう……ですね」
 彼女が何を言わんとしているのかがよく分からない。そういう風に理論的に整理されてしまうと、まるで自分の気持ちがなんでもないことのように思えた。だからと言って気分を悪くしたわけじゃないけど。
 僕は彼女から目をそらし、顔ごと窓の外を見た。古いし交通の便も悪いが、この学校は景色だけはいい。今度の休みにはどこかへ出かけようかなどとぼんやり考えていたら、古泉一樹とフルネームで名前を呼ばれた。
「あなたの『感情』は、私には完全に理解はできない。でも、努力をしてみることは可能」
 何を言っているのだろうか。
「私はSOS団を気に入っている。あなたは?」
 それは、全然長門有希らしくない言葉だった。僕は驚いたが、次に言うべきことは決まっていた。
「好きですよ、もちろん」
「そう」
 乾いていた空気が、少しうるおったような気がした。
「今後あなたが今回のようなことを望むことがあれば、私はまたそれに応ずる。あなたの私生活はそこで獲得される」
 相談に乗ると言いたいのだろうか。涼宮ハルヒのいない場所で、ほんとうの古泉一樹でいる為の時間を、彼女が提供してくれると。そう言いたいのだろうか。
 その申し出は、正直に言ってとても嬉しかった。同じ団員として、同じ友人としての言葉に聞こえたからだ。でもきっと、それによって僕の矛盾した感情が解消されることは永遠にないだろう。僕は涼宮ハルヒのことがずっと好きだし、涼宮ハルヒのことがずっと憎い。僕の世界はずっと涼宮ハルヒを中心にして回り続ける。彼女が神様だから。
 でも僕は笑った。一応言っておくと、それは演技ではなかった。
 そのあと僕は長門有希と短い時間の中で、いろいろなことを話した。僕が話しかけて彼女が答えるという感じではあったが、それは確かに会話という形のコミュニケーションだった。
 話しこんでいたら時間が過ぎてしまって、急いで部室に戻った。渡り廊下を通るとき、風がちょうどそこを通り抜けた。枯れ草がいっせいに舞い上がった中庭は、もうちっとも殺風景ではなかった。もっとよく見れば新しい中庭を発見できそうな気がしたけれど、部室で三人が待っているはずなので、やめた。そのうちの一人は、僕の神様だったからだ。

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