「隣、よろしいですか?」

 

 僕が声を掛けるまで、彼はどこか呆けた様子で、こちらの存在にも全く気付いていなかったようでした。はてさて、何をそんなに真剣に考え込んでいたのでしょうね。

 

 

「梅の花も香り始める頃だとは言え、まだまだ外の風は冷たいと思いますが。どうして部室に行かないんです? 朝比奈さんが美味しいお茶で出迎えてくれるでしょうに」

 

 

 自分で言うのも何ですが、少し芝居がかった僕の問い掛けに、彼はうさんくさい宗教勧誘でも見るようなジト目で答えます。

 

 

「たまには、こういうクドいのを飲みたい日もあるだろ」

 

 

 そうして、彼は紙コップのココアに口を付けました。ふむ、見た所、もうだいぶ冷めてしまっているみたいですけどね。
 同じテーブルに着いた僕も、自販機で購入したホットレモンを口に含みました。授業が終わってすぐですので、何人かの生徒が脇道を通り過ぎていきます。しかしこの寒い中、わざわざ野外テーブルに着く人はそうそういません。

 

 要するに、今ここには彼と僕の二人きりなのですが。こうして彼と差しで話すというのも、割と久しぶりですね。そんな事を考える僕に、彼は相変わらず、機嫌の悪そうな顔を向けていました。

 

「何か話でもあるのか、古泉」
「いいえ、僕の方からは特に何も」
「…………」
「ただ、あなたが何かお悩みならば相談に乗りますが?」

 

 

 答えて、僕は彼に微笑みかけました。僕本人としては親愛の情を込めているつもりなのですが、そうすると彼がいつも顔をしかめるのは何故なのでしょうね。とても不思議です。

 

 

「古泉。お前、知ってて訊いてんじゃないだろうな」
「その口振りからすると、どうやら涼宮さん関連のお話ですね」

 

 

 ほとんどこちらを睨みつけている彼の視線に、僕は大仰に肩をすくめてみせました。

 

 

「僕たち超能力者はある程度、涼宮さんの感情の起伏を知覚する事ができます。ですから、何かあったな、というのは察していますよ。
 が、込み入った事情までは知りません。本当ですよ」

 

 

 真顔でそう言う僕に、彼はしばらく無言でしたが、やがて、はぁ~っと大きな溜息をついて空を見上げ、そしてポツリとこう洩らしました。

 

 

「今日の昼休みにな、ハルヒに告白された」

 

「それはそれは。おめでとうございます、と言うべきでしょうか」
「イヤミかよ、それは」
「とんでもない。というより、あなたは嬉しくないんですか?」

 

 僕が率直な疑問を口にすると、彼は返す言葉に迷うような表情を見せました。

 

 

「嬉しいとか嬉しくないとか、そういう所まで頭が回らん。正直、困惑してるんだ。何というかその、いきなり過ぎてな」
「おかしな人ですねえ、あなたも」

 

 

 落ち着かない彼の様子に、僕は思わずそう呟いてしまいます。世界改変や時空間移動、閉鎖空間やら何やらの超常現象はありのまま受け入れられるのに、どうしてこの人はごくありきたりな恋愛感情にこれほど当惑するのでしょうね?

 

 

「慣れない物は慣れないんだから、仕方ないだろ。つか、何のきっかけも無しにハルヒがあんな行動に出たってのがどうも引っ掛かるというか、なあ」

 

 

 なるほど、涼宮さんの事だから何か裏があるのではないかと疑っている、と?

 

 

「そうは言わないが。何しろあいつは、ついこないだまで恋愛なんて精神病の一種だとか言ってたんだぞ? また何か妙ちきりんな存在に影響されちまったんじゃないかとか、どうしてもそういう事を考えちまうんだよな」
「この1年、いろいろと現実離れした事件が起こりましたからね。あなたがそう考えてしまうのも、まあ無理からぬ事かもしれませんが。

 

 そうですね、ではヒントを差し上げましょうか」
「ヒントだあ?」
「ええ。涼宮さんの感情が大きく動いたのは、実は昨日の夕方からの事です。さて、その時あなたは何をしましたか?」

 

 僕の問い掛けに、彼は腕組みをして真剣に考え始めました。

 

 

「昨日の夕方って、部室じゃいつも通りでハルヒとは特に何もしなかったよな? で、長門が本を閉じたからSOS団の全員で下校して…やっぱり何もなかったと思うが?」
「よく思い出してみてください。涼宮さんに、あなたは何かをしませんでしたか?」
「何かって、だから別に何も…あっ、まさかアレか!?」

 

 

 驚きの色もあらわにこちらへ振り向く彼に、僕は目を細めて頷きました。

 

 

「ええ、そのまさかですよ」

 


 そう、昨日の帰り道、僕と桂馬の使い方について談義をしながら歩いていた彼は、ふと前を歩く涼宮さんのコートの肩口に、糸クズが一本張り付いているのに気が付いたのです。

 

「ハルヒ、肩にゴミが付いてるぞ」
「えっ? あ、うん、ありがと…」

 

 

 言うなり糸クズを取ってあげた彼に、小さくお礼を述べた涼宮さん。“きっかけ”と言うなら、まさしくそれがきっかけだったのでしょう。

 

 

「アホか!? そんな事で告白する奴なんかいるかよ!」
「それだけ、とは言いません。コップに注いだ水がいつか溢れ出すように、これまでずっと積み重ねてきたものが昨日の一件を機に、ひとつの形になったのでしょう」
「それにしたって、なあ。その程度の事で…」

 

 

 どうやら彼は腑に落ちない様子でした。確かに彼にしてみれば親切と呼ぶほどでもない、自分がそんな事をしたとさえ憶えていない程度の、ほんのちょっとした行為だったでしょうからね。
 ですが。

 

 

「では、質問を変えましょう。
 あなたは確か、お昼はお弁当派でしたね?」

 

「ああ、そうだが?」
「そのお弁当を作ってくださっているのは、お母様ですか?」
「普通はそうだろ」
「ではあなたは昨日、お弁当を作ってくれるようにお母様にお願いしましたか?」
「いや? 別にそんな事は…」

 

 まだ質問の意図が分からず、当惑したままの彼に、僕はにっこり笑ってこう告げました。

 

 

「つまり、あなたが何も言わなくとも、お母様は当たり前のようにお弁当を作ってくださる、と。
 素晴らしい親子関係ですね。まさに無償の愛といった所でしょうか」

 

 

 途端、彼はハッとした表情を見せました。ふふ、さすがに飲み込みが早い。

 

 

「そういう事です。この場合、親切の度合いは関係ありません。
 あなたは涼宮さんに、小さな親切をした。見返りなど何も求めず、ごく自然な行為として。おそらく涼宮さんは、その事にいたく感じ入ったのですよ。あなたは自分に、当たり前のように親切にしてくれる人だと。自分の事をこの上なく大事にしてくれる人だと。
 その感激が、彼女をして告白という行動へ突き動かしたのだと僕は思います」

 

「いや…まあ、理屈としては分からなくもないが…」

 

 なぜだかこちらをまともに見れないようで、彼は視線を逸らしながら、ぼそぼそと言葉を続けました。

 

 

「けど、その程度の親切くらい普通にするだろ? お前だって」
「ええまあ、僕もそれなりにフェミニストのつもりですので。
 しかしながら僕は、朝比奈さんや長門さんもそうですが、立場的に涼宮さんに対する親切は自分の都合に関わる面があるので、厳密には何の見返りも無しに、とは言えません。涼宮さんは、無意識にその辺りを察知なさっているのではないかと」
「だったら俺だって、どんな下心を持ってるか分かったもんじゃないだろうが。あわよくば、とか良からぬ事を考えて親切にしてやったのかもしれないぞ?」
「おや。涼宮さんはあなたに愛の告白をされたのですよね?
 もしもあなたに下心があったなら、それは涼宮さんに好意があるという事なのですから、お互いにとって願ったり適ったりなのでは」

 

 

 僕の指摘に、彼はいかにも墓穴を掘っちまったという様子で頭を抱え込んでしまいました。そんな彼の態度を敢えて無視して、僕はまたそれとない風に口を開きます。

 

 

「それに、先程あなたは『この程度の親切は当たり前』と言われましたが。こと涼宮さんに限っては、そうとも言えないかもしれませんよ」

 

「どういう事だ?」
「昨年末に、あなたが入院した時の事を思い出してください。涼宮さんはあなたが目覚めるまで、ずっと傍に付き添っていてくれました。それは、人並み外れた親切と呼べるでしょう。しかし」

 

 一呼吸置いて、僕は彼にこう切り出しました。

 

 

「あなたが目覚めた時、涼宮さんはこう言いましたよね。『団員の心配をするのは団長の務めだ』と。
 アレは明らかに照れ隠しの類だったと思います。が、事実として涼宮さんはあなたに無償の奉仕をする事を、良しとしなかった」
「何かしら理由を付けなけりゃ、ハルヒは人に親切をする事が出来ないって、そう言いたいのか?」

 

 

 僕が両手を広げて是認の意を示すと、彼はあご先に指を当て、ふむうと考え込みます。

 

 

「そういえば、文化祭の後でENOZの人たちにお礼言われてた時も、やけにきまりが悪そうな顔してたな、あいつ…」
「涼宮さんには、非常に負けず嫌いな面がありますからね。

 

 人に頭を下げるのが大嫌い!というタイプです。同様に何の理由も無く人に親切にするのも、媚びているように思われて抵抗があるのかもしれません。その逆も然りです」

 

 喋りながら、気が付くと僕は自分の前髪の先を指で弄んでいました。過去を振り返る際の、どうやらこれは僕の癖のようです。

 

 

「中学の頃は、今よりもっと酷かったですよ。何者にも負けるものかと、常にピリピリした精神状態でした。理由も無く人に親切にされると、なんとなく自分が負けたような気分になるのか、それだけで不機嫌になった程です」
「ああ、最初の頃のハルヒはそんな感じだったな。俺が普通に話しかけてんのに、やたらとガン飛ばしてきやがったし」
「それもまた、照れ隠しの一種だったかもしれませんけどね。
 考えてみれば、不思議探索の度にあなたに課せられる罰金、あれも涼宮さんの複雑怪奇な心情の現れだったのかもしれませんよ」

 

 

 そう、たぶん涼宮さんは彼に親切にして貰いたかった、けれども彼女の理屈では、何の理由も無しに彼が親切にしてくれるはずがない。
 だから涼宮さんは、彼に理由を与えた。こじつけでもいい、その理由があれば彼は涼宮さんに親切にしてくれるはず――

 

 

「なんつー傍迷惑な思い込みだ。身勝手にも程がある」
「そうですね。こう言っては何ですが、僕があなたの立場だったら、とっくに袂を分かっていたかもしれません」

 

 

 僕が少し本音を吐露すると、彼はまた驚いたように見開いた瞳をこちらに向けました。それに僕も再び肩をすくめて、飄々とした口調でこう続けます。

 

 

「いや、ifの話を考え詰めても詮ない事ですが。

 

 そう考えたとしても無理のない状況下で、しかし少なくともあなたは今日これまで、涼宮さんを無体に突き放しはしなかった。そうしてあなたと接し、あなたに親切にされている内に、涼宮さんはうっすらと考え始めたのでしょう。はたして、あなたは卑屈な敗北者だろうか、と。
 違いますね。むしろあなたの親切に触れる度、憧憬に似た感情を涼宮さんは抱くようになった。その想いが、次第次第に涼宮さんの言動を変えていったのです。
 客観的に見ても、涼宮さんはこの一年でだいぶ変わりましたよ。楽しそうに笑う事が増えましたし、理由付きとはいえ他人に対する気配りも見せるようになった。誰かに感化される形で、ね」

 

 そう言って、僕はその“誰か”に微笑みかけました。この遠回しな表現もまた彼の照れくささを軽減する心遣いのつもりだったのですが、やはり彼は顔をしかめるばかりでしたね。
 ふーむ、涼宮さんも相当なものですが、あなたの精神もかなり複雑怪奇ですねえ。だからこそお似合い、とも言えますが。

 

 

「いずれにせよ、告白を受けたのはあなたです。どう応えるかはあなたの良識にお任せしますよ。では、僕はこれで」

 

 

 残りのホットレモンを飲み干して、僕は立ち去ろうとしました。すると、それを遮るように。

 

 

「いいのか、古泉?」

 

 

 ぼそりと、彼が呟きます。端的なその一言に、僕は思わず微笑んでしまいました。

 

 

「それは『YESかNOかの選択権を自分に委ねていいのか』という事ですよね?
 確かに以前の僕なら、世界の安寧のために是が非でも涼宮さんとお付き合いしてください、くらいの事は言ったかもしれません。しかしまあ、“誰か”に感化されてしまったのは、どうも涼宮さんだけではないようで」

 

 

 ふふ、と僕は笑います。いえ、これはお為ごかしの笑いではないですよ。自分がより良い方向へ変われた事に対する、感謝と喜びの笑みです。

 

 

「いつかのコンピ研とのゲーム対決の時、あなたの口から聞いた言葉は、今でも憶えていますよ。そう、世の中全てが思い通りに運ぶはずがない。涼宮さんも時には、NOという返事を受け入れらなければならないのでしょう。
 その事は、涼宮さん本人も理解しているはずです。事実、今の涼宮さんが望んでいるのは自分の思い通りになるあなたではなく、あなたの本心からの答えのようですから」
「操作された言葉じゃなく…俺自身の言葉か…」
「そうして、あなたが最終的に選んだ答えがNOだったなら――
 僕は甘んじて、その結果を受け止めましょう。たとえ神人が大量発生しようとも、なに、全て倒し尽くせば済む事です。もとより、それが僕らの役割ですし」

 

 

 お気遣いなくと軽く笑って、それから僕は真面目な顔を彼に向けました。

 

 

「ですが、これだけは憶えておいてください。
 涼宮さんの今の精神状態は、閉鎖空間を生み出す際のそれに酷似しています。非常に緊張している状態です。けれども現在、閉鎖空間は発生してはいません。なぜなら彼女は現実を否定せず、むしろ積極的に肯定しようとしているからです」

 

 

 そう、NOと言われるリスクを承知した上で、涼宮さんは大きな挑戦に打って出た。自分がより望む世界に近づくために。不可思議な力に頼るでもなく、とても人間らしい方法で。

 

 

「願わくば、彼女のその覚悟に正面から応えてさしあげてください。あなたの優しさは感嘆に値しますが、しかし優しさが人を傷つける場合も、往々にしてありますからね。
 もし、もしも適当にお茶を濁して逃げるような真似をしたら――その時はあなたが泣くまで殴りますよ?」

 

 

 片目を瞑り、冗談めかしてそう言って、今度こそ僕は席を立ちました。と、去ろうとした僕の背中に、

 

 

「古泉!」

 

 

 彼が、唐突に声を張り上げます。

 

 

「一応、礼を言っとく。
 ありがとよ。なんだかんだで、俺は自分の都合しか考えてなかったみたいだ。今、ハルヒがどんな気分でいるかって所まで踏み込んで考える余裕がなかった」

 

「ふふ、それも仕方がないでしょう。自分の事だけで頭が一杯、それが青春というものです。
 どうぞ今は精一杯お悩みください。悩んで悩んで、少しでも自分らしい答えを導き出してください。人生にはそういう時期も必要なはずです」
「ったく、毎度ながら知った風な口を利きやがる」
「これは失敬。ですが、いずれ今日この時の事を甘酸っぱく思い返す日が来るかと思いますよ?
 その折はどうぞ後悔する事のないように。では」

 

 彼の憎まれ口を鷹揚に受け流して、僕はその場を去りました。
 ふと見上げれば、爽やかに晴れ渡った空を雲が西に流れていきます。梅の花が咲いたら、すぐに桜の季節ですね。そういえば、春は恋の季節、などと呼ばれていましたっけ。

 

 

「僕もそろそろ、青春でも謳歌してみましょうか――」

 

 

 なんとなく、誰かに小さな親切でもしてあげたいような気分になって、僕は青空にそう一人ごちたのでした。

 

 

 

 

小さな、親切   おわり

 

 

 

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年06月10日 02:41