結論から言えば、その通りだった。

翌日、長門有希の机は空席のままで、教師から海外に転校したとの通達があった。
俺の耳はその情報を素通りさせた。
「キョン、どういうことよ」
ハルヒが珍しく神妙な調子で背中から声をかける。聞いたまんまだろ、長門は遠くに引っ越したんだ。……宇宙規模の遠いところにな。
「あんた、それでいいの? どうして、どうして有希を引き止めなかったのよ」
傷口に塩を塗ることを言うハルヒである。
「すまんハルヒ。今日だけはほっといてくれないか」

クラスの中央にほど近い長門有希の机は、春が来てあいつと同じクラスになってから、初めて空席になっていた。俺が始業ぎりぎりに来ると、いつだってそこには小柄なショートカット娘の姿があったのだ。今日だけいないのはどうしてだよ。

長門由梨も来ていなかった。あいつの話ではあと少し観測が続くとか言ってた気がするが。俺は午前中何も考えない代わりに授業に集中した。入学以来一番有意義に時間を使ったかもしれない。

谷口や国木田との昼食も断った。ずっと落ち込んでいるつもりはないが、今日だけはどうしても談笑できそうになかったからだ。
弁当箱を開けもせず、俺は校舎内を適当にほっつき歩いた。渡り廊下から見る窓の外は曇っていて、こんな時くらい晴れてろよなと俺は心中でつぶやいた。


「おおう、キョンくんじゃないかい」
ばったり出くわしたのは鶴屋さんだった。俺の気分や天気とは対照的に、晴れやかな表情。
「ども」
「んー? どしたい、何か元気ないねっ」
俺だってブルーになる日もあるんですよ。ハルヒといるとそうは見えないかもしれませんが。
「ははぁん、さては失恋したのかなっ?」
指先で俺の胸をつんと突っつく鶴屋さんだった。失恋ね。当たらずとも遠からずだな。
「そういう時はさ、思いっきり歌でも歌うといいよっ」
鶴屋さんはそう言うと、かつてハルヒがバンドで歌った歌にこぶしをつけつつ
「元気出すにょろよっ!」
と言って手を振った。本当にいつも快活な先輩だ。野球大会で初めて会ってからこっち、彼女がダウナーだったところを一度も見たことがない。

元気を出したいのは山々だったが、今度ばかりは簡単にギアがハイへとシフトしてくれない。
あっという間だった。それこそ止める間もなく、その場に居合わせることすらできなかった。

……。

だから何なのだろうか。俺の力不足で長門が消えたなら、それで俺は納得できていたのか?
そうじゃない。都合のいい舞台が用意されているように感じていたのは、これまでくしくも俺がいろいろなことに巻き込まれてきたからで、むしろ何もできないまま終わってしまうこちらのほうが、物事のありかたとしては当たり前なのかもしれない。

 


足の赴くままに歩いていると、いつしか部室にさしかかっていた。一年の時は、昼休みにここへ来ると必ずと言っていいほどあいつが窓辺で本読んでる姿を見ることができた。二年になってからは、あいつが部室に行く時に俺がたまについて行った。部室の方が落ち着いて本読めるとか言ってたっけ。
そんなことを考えつつ、俺はドアを開く。誰もいないと思っていたのだが、

「……」
「お前」

由梨だった。
かつて長門が本を読んでいたのと同じ位置に座っている。

「パーソナルネーム、長門有希の連結解除は終了した」
抑揚のない声で言った。
「もう戻ってこないのか」
俺の言葉に、由梨はしばし何も答えずにいたが、やがて、
「情報統合思念体は現在報告されたデータの解析を進めている」
そりゃよかったな。さぞ狂喜乱舞してるんだろう。
「有希が遂げた変化について、思念体は困惑している」
……なぜだ?
「単純な情報として処理できないデータが膨大な量に登っている」
親玉に処理できない情報なんてあるのかよ。
由梨は微動だにせず続ける。
「そうしたデータは、わたしが先日観測したエラーと同種のもの」
ここで俺は一度言葉を失った。

 

「お前……」
つまりそれは、お前にも処理できん情報が現れたってことか?
俺がようやくそう言うと、由梨は遠目からでは分からないような頷きを返した。
「情報統合思念体は現段階で一つの仮説を立てている」
仮説ね。いつからこの部室は学会になったんだろうな。
まぁいい、せっかくだし聞かせてくれるか。

「この情報は物理的な実体を持った存在にしか扱えない。つまり、人間やインターフェースでなければいかなる手段を持ってしても処理不可能」
今ごろそんなことに気がついたのか。叡智の極みが失笑もんだ。思索にだけふけってる連中にはそりゃ分からんだろう。

「人類が『感情』と呼称するこの概念について、情報統合思念体は興味を抱いた」
由梨は淡々と言う。俺はまた呆気にとられる。

……今、何て言った?

「これまで、長門有希は『感情』が引き金となって様々な変化や、昨年十二月十八日のバグ放出をするに至った。ならば、その『感情』そのものについての理解が必要。思念体はそう考えている」
黒髪娘の発言に引き続き三点リーダを続けそうになっていた俺は、何とか気を取り直して言う。
「つまり、お前の親玉はその……人間の感情に興味を持っちまったってわけか?」
由梨はしばらく顔を上げたまま真っすぐ前を見ていたが、やがてこちらを向いて、
「そう」
と言った。何てこった。ハルヒの力を調べていただけだと思ったら、いつの間にハルヒパワー以外のことにまで興味を持つようになったんだ?

 

「おそらく」
と、由梨は言葉を区切って、
「有希がもたらした膨大な情報に処理不可能な領域があまりに多かったため。情報統合思念体の歴史において、こんなことは未だ一度もなかった」
「……な」
全米が泣いた。感動の大スペクタクル。広大な情報統合思念体の歴史を揺るがしたのは、ちっぽけな人間の『感情』だった――。
そんなアホくさい宣伝文句をつけてしまう俺であった。
由梨はだめ押しとばかりに仰天発言を続ける。

「情報統合思念体は、あらためてこの惑星にヒューマノイドインターフェースを派遣しなおす方向で審議を進めている」
「……」
とうとう俺の顎は重力に負けて床にストンと落ちそうなまでに垂れ下がった。
んなアホな。
「わたしも残る」
ついでのように重大事実を付け加える由梨。ちょっと待てい! 派遣しなおすってどういうこった?
「これまで地球に置いていたヒューマノイドインターフェースすべてを、可能な限り再構成して元の位置に配置する。それには長門有希、朝倉涼子、喜緑江美里も含まれる」

 

 俺は硬直していた。寒さのせいではない。年末にかまされたとびきりのジョーク。あの、長門妹さん? 初笑いにはまだ早いですことよ?
「問題はない」
涼やかな声で由梨は言った。いったい何がどう平気なのだろうか。

「情報操作は得意」

お前もかよっ!


「どうしたのよキョン、気持ち悪いくらいニッコニコしてるわよ、あんた」
え、そうかい? いやぁ、何でだろうねぇー。んふふふふふ。
しばらくニヤけて五限の数学を軽やかに聞き流していた俺だったが、やがてハルヒが分かるように事情を説明した。
「何よそれ? じゃぁ有希の転校は誤報で、短期間海外の両親の元に戻っただけだったっていうの?」
どうもそうらしいんだよ、うん。
唖然とするハルヒを見るのがまたえらい楽しく、ついでとばかり俺はもう一つ告げてやった。
「あ、それと。さっき話したんだがな。あの長門妹くんもSOS団に入りたいそうだぜ」
親指で示した先には、つまらなそうに授業を受ける由梨の姿があった。

 



さて放課後だ。思いもよらぬ知らせは引き続き俺に高揚感をもたらし、それが伝わったのか間もなくこんな言葉をかけられた。
「おや。スマイルは僕の専売特許だと思っていたのですが、今日はどうしましたか」
勝手に売りさばくな。それにハルヒや朝比奈さんだって笑顔は十八番だ。種類は違うけどな。と言って、さらに俺は羽振りよく、
「今日はじゃんじゃんゲームしよう。そうだ、お前が負けたら俺が奢ってやる」
手始めにオセロの用意にかかる。あ、何か鼻歌混じっちゃうなぁ、ふふふんふ~ん。
「キョンくんどうしたんでしょう……何か変です」
「さてね。何かよほど嬉しいことがあったんじゃないでしょうか」
朝比奈さんと古泉の会話を、ゴキゲンな背中で聞いた俺であった。
「はい、それじゃとりあえずここに座ってね! んー、有希が帰ってきたら六人になるわけか。……うん、悪くないわ。いろいろとできることも増えそうだしね!」
由梨を昼休みに座ってた椅子にあらためて案内しつつ、ハルヒが俺と同等のハツラツっぷりで言った。

「……」

俺は由梨と目が合った。由梨はどうすればいいのかよく分からないらしく、いちどパチリと瞬き
して小首を傾げた。俺は何も言わずにウィンクを飛ばした。古泉に見られた気がするが、今日に限っては何が起ころうとすべて許してやろうじゃないか。

 


だよな、新団員さん。


「それでは! これよりSOS団緊急ミーティングを開始します!」

ハルヒの大きな声が部室に響き渡る。
師走はまだ十日ばかり残っている。
俺たちが本気で走り回るのは、まだまだこれからのようだ。

 ・・・でも、ようやく一つの懸案事項はなくなった。

 これからもいろいろなことが起こるだろうけど、これからは団長を含む6人でやっていこうじゃないか。

 だよな、長門?

「はい、僕の勝ちです」
「えぇっ! 何で今日に限って負けるの俺!」



(おわり)


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