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 俺は相変わらずキザの入った副団長の到来に驚き、何か物を言うにもうまくいかなかない自分に内心焦っていた。言いたい言葉が喉元で詰まる。どうやら俺は本当に半泣きだったらしい。
「ほ、本当に古泉なのか。お前、今までどこにいたんだよ」
古泉は肩をすくめてみせる。…やっぱどう見ても本人だな。仕方が無い。今だけ喜んでやるよ。
「たった今です。本当にたった今ここに来ました。…どうやら、憔悴しきっている様ですね。この屋上という場所と状況を鑑みても」
ふん、その通りだよ。まあいい。この際、好きなだけお前の解説を聞いてやるさ。
「たった今?どういうことだ。お前からでいいから聞かせてくれ。そもそもここは何なんだ」
ふと奴の表情が険しくなる。今回の古泉はえらくマジな顔をしていた。
「僕にも詳しくは解りません。ここまで来れたのも僕の力ではないのでね。それに、そこまで時間があるかどうかも、今では何とも言えません」
「…またしてもどういうことだ。もしかしてまだ、俺の知ってる誰かがここにいるのか?」

「ええ勿論。あなたも待ちわびていたであろう人物ですよ」
古泉は後ろを振り返る。奴の視線の先から階段を上って来る音が聞こえた。

そのゆったりとした一定の機械的なリズム。俺はこいつを、当然知っている。
「空間座標の設定、突破口の確保、維持、外的な干渉は彼女に任せて、僕だけ先に屋上へ飛ばしてもらいました。まさに紙一重でしたね。あのままでは無事に済まなかったでしょう。どうやら到着したようですよ。」
そいつは階段を上り終えて入り口に立っている。そこにはいつものSOS団無口キャラ(ハルヒ談)、長門有希が立っていた。
「長門…」
長門はまっすぐこちらを見据えている。視点を決して逸らさない。
「無事?」
「ああ。…なんとかな。死ぬ寸前だったが」
長門は右手を差し出した。
「手、見せて」
「え、ああ」
さっきまで壁を殴り続けていた手だ。
長門がその手を握る。
正直痛みが走ったが、それ以上に温かみがあった。ここで初めて感じた、暖かいというもの。
…また涙が出てきそうだ。

「痛い?」
「いや、大丈夫だ」
長門は俺の手をじっと見ている。
「そう」
そしていつの間にか、痛みが消えていた。傷跡も完全に消えたようだ。
「…ありがとな、長門」
「……」
長門は何も答えない。一体何を考えてるのかすら定かでは無いが、それもいつものことなので放っておこう。
俺は古泉に向き直し、改めて尋ねてみる。
「で、説明してもらいたいんだが」
古泉はふと考えるように答えた。
「そうですね。何からお話すべきでしょうか」

俺は基本的に、こいつらの知能についていけない。でもいつまでもその様では癪なので、多少は知ったかぶる癖がいつの間にかついていた。

「まず、『ここは何だ?』からだ。できる限りシンプルにな」

古泉は軽く笑顔を見せる。その心情すらお見通しとも言いたげな表情が少し気に食わない。…まぁいい傾向さ。その感覚もいつもの俺に戻りかけている証拠だ。

「了解です。あなたのお察しの通り、ここは通常空間ではありません。詳しいことはやはり不明です。誰が作ったのか。具体的な仕組み。この空間の規模、組成物質も。何しろ言葉の通り計測不能ですからね、これは」

それでもこいつは笑顔を絶やさない。

「はっ、あてにならん、なんて言わないさ。それは俺だって身に沁みる程解っている」
軽くにやりと笑い返した。…ま、そんな上品なものじゃない。間違っても笑顔のキャッチボールなんて言わないでくれよ。

「現在、機関の方でも緊急会議やらてんやわんやで大騒ぎですよ。ひとつの結論には達したものの、それはまだ仮定の域を出ませんし、他の可能性も一山いくらで存在しています。ですが、先ほど僕らが潜入できたことで、やや正解のパーセンテージが上がったとは思われます。どうですか、長門さん」
長門は古泉に振り向くこともなく答えた。
「…やはりこの惑星の言語では正確に説明できない。通常空間から隔離されたものではあるが、従来とは全く異なるシステムを使っている。それは対象者の精神を利用し、媒体とシステムを溶け込ませるという表現が一番近しいと思われる。
そして、媒体や使用目的を重ね合わせ検討した上で、私たちに干渉する手段を模索している可能性が高い。これもその一つ。」
やっぱやめ。この時点で既に頭がついていかない。こんな会話に溶け込めるのはやはり古泉くらいしかいないだろうが。

「ほう、物事には流れがある。そしてこの空間も例外ではないというわけですね。だからそのシステムの潮流を利用することで我々も潜入を試みることが出来た、と」

「肯定」
「なるほど。ですがこちらとしては、それで要領を得るのはなんとも難しいようです。あの雪山の件に似たものであるということにしておいてよろしいですか?」
「構わない。」
なら最初からそう言ってくれ。
「しかし、こんなふざけたもん作りやがったのは一体誰なんだ?俺を追い詰めて何になる。普段は温厚な俺でも挨拶がてらぶっとばしてやりたい程だ」

ふと拳に力が入る。先程まで傷だらけだったとは思えない。

「その様子ですと大分お辛い目に遭われた様ですね。簡潔に説明して貰ってもよろしいですか?」
余り気は乗らなかったのだが、黙っておいても仕方が無いということで、俺は渋々と説明を開始した。早い話が俺のこれまでの恥ずかし武勇伝だ。帰宅するまでは普通だったこと。おそらく朝起床した時から始まっていたこと。知っている人間が誰もいなかったこと。視線を常に感じていたこと。そして気がついたらここにいたこと。

ま、俺が飛び降りようとしていたことは伏せておいたのだがな。
それを聞いた上で古泉は口を開く。
「なるほど。そういう手できましたか」
そういう手だと?いかにも見当が有り気だな。俺をこの空間に閉じ込めて蟲毒殺しでもしようとしていたのか。
「いえいえ、そうだとしたらまた興味深いんですけどね。あと、その『彼ら』の目的はおそらくあなたを殺すことではありませんよ」

何だって?ここまでしておいてか。意外と甘い連中なのか。
「いえ、とんでもございません。むしろ殺すより残酷と言えるでしょう」

……もうやめだ。ここで俺の理解というK点を少し超えた。ここからはこいつに任せるか。

「そして、あなたがこの空間でどうなろうと、こちら側であなたが死んだことにはなりえないんですよ。…そうですね。もっと突っ込んだ話をするならば、おそらくですが彼らの目的はあなたを『壊す』ことにあるのです」
壊す?おもちゃじゃないんだから。
「そう、その通り。まさしくほんの『実験』のつもりだったんじゃないですか?現にあなたはこちらの世界でも普通に出席していましたしね」

…なんだって?

古泉と長門が紡いでいく推論と分析の言葉に俺は戸惑いが隠せない。だがそんな俺の心情をよそに、古泉が淡々と解説を、長門が分析を紡いでいく。二人の息が非常に合っている様に見えるのは俺がこいつらを過剰に意識しているだけなのか。それとも長門も古泉も団員としての距離が近づいているのだ、と考えて良いのだろうか。

二人の理屈に耳を傾けるだけだった俺は、屋上から望める仄暗い曇り空の向こうで起こっている何かに、気づくことが出来なかった。

 

 


「俺がお前らのところでも普通に存在していた?本当かよそれ」
俺にはそんな自覚があるわけない。こいつらが現れるまでずっと俺はこの何もない世界に放り込まれていたんだ。
「ええ、本当です。ですが、ひどく体調が優れないのかと涼宮さんが心配していましたよ。彼女や国木田氏がクラスで何をたずねても空返事、生返事だったそうです。いつ彼女の鉄拳が降り注ぐかという修羅場を迎えていたそうですが、教室では国木田氏が必死に宥めていたと言っていましたね。そして驚いたのは部活中でした。国木田氏が止めきれず、涼宮さんがとうとう怒りの程を拳骨に込めてあなたの頭頂部に振り下ろした時です。実に綺麗に決まったと思ったのですが、あなたは衝撃を受けただけで殆ど反応すらせず席に戻っていました。
流石にあれには面食らいましたよ。まさしく心ここにあらず、でしたね」
そんなことをしていたのか現実の俺は。大したやつだ。
「あなたの隣の席で心配している国木田氏と、そのまた隣で彼を励ます様に笑いかけていた鶴屋さんの後ろから、長門さんがあなたを分析するように凝視していたので少し尋ねてみたんです。で、案の定だった。それを機関にも報告して、まぁ彼らもずいぶん慌ててましたよ。そして私と彼女二人、ここに入り込む隙を伺っていたんですよ。そして今に至ります」
「おそらく…」

長門が口を開いた。

古泉はそれに気づくと長門へ注視し始め、あいつの言葉を一言も漏らさない様にと集中し始めた。

「始まりはもう少し前。具体的な兆候が見え始めたのは帰宅途中。でも…私すら確信を持つことが出来なかった」

長門は俺を見ている。そしてそれに引き寄せられる様に俺もあいつから眼が離せない。

「あなたは気づいた?」

「一体何に?」

気づくわけがない。あいつが気づけなかった事に俺が気づけるわけがないだろう。

「元の世界の……薄さに」

俺の体が反応する。『薄さ』。そう、あの時感じた世界の薄さ。ハルヒの表情すらもうっすらと消えて行き、体の感覚が世界から抜き取られていくかの様な感覚…。

そうか、むしろ何故気づかなかったんだ。今となって考えてみれば、あれはこの世界に俺が呑まれていく影響に他ならない。

「始まりは、あれだったのか…」

「具体的には不明。この世界、似ているけど、何かが決定的に違う」

「そうか…。でもまだ解らないことが沢山ある。まず元の世界での俺だ。俺はずっとここにいたんだぜ。俺の意識は常にここに在った。なのに向こうにも俺がいて、ここは一体なんなんだ」
その時、古泉はようやく合点がいったという様な鋭い目つきになった。おそらく頭の中で整理がついたのだろう。


「先ほどの長門さんの説明で納得がいきましたよ。つまり、ここはあなたの精神とリンクした世界なのです。あなたの肉体まで強制的に転移させたわけでは無い。だからあなたはまだ部室にいる。あなたの精神状態が作用することもある。砂上の楼閣よりも儚く安定しない…両立している世界同士の境界線が曖昧なのです。それが未完成故なのか狙いなのかは定かではありませんが…。
根拠はありませんが、あなたの心の揺れが、ここの現実に影響を与えると思われる何かがあるんじゃないんですか。
それを巧みに利用し、あなたを追い詰めるのがこの空間だと思われます。心当たりは?」
「……無いわけじゃない」

ひょっとすると…あの心寒い風か。なるほどな。ようやく俺にも理解が出来た。自身の不安が増大すると更に煽る様に強くなり、俺の心がいきり立った時には弱くなったりしていた。
「あなたの話を聞いた限りでは、おそらくこの空間のキーワードは不安と恐怖、そして嫌悪感です。それによりあなたを追い詰め、内側をつぶす。実に賢しい方法ですよ。詰めが甘かったですけどね」
内側を潰すと言われてもな。いまいち実感が沸かないし、それにもしそうだとしたら、俺がここで死んでも何とも無かったんじゃないか。
「そうとは一概に言い切れません。心と体は連結していますから。それがこの世界の最大の特徴です。エンピツと焼け火箸の話をご存知ですか?影響は必ず在ると思いますよ。そして心が潰れれば、肉体はおそらく考えることすらできないただの抜け殻にでもなるでしょう。植物状態です。
連中はそれを目論んでこの空間を製造したのでしょうね」

古泉は言葉も息も切らさないまま、顔を寄せて俺をねめつける様に言葉を重ねる。

「忘れないで下さい。あくまでも彼らの目的は涼宮さんですよ。あなたはその為のトリガーにされるところだったのです。強制的にね」
何のトリガーだよ。俺はあいつの付属品か。
「そうではありません。これはどちらかといえば涼宮さん寄りの事情なのでしょうか。僕にはそう思えませんが。…あぁ失礼。とにかく、今や涼宮さんはあなたを大切な拠り所にしているのですよ。ならば、あなたを失うことでどのような反応を得るのか。そういう風に考えている派閥も星の数いるということは知っていますよね。
失うと言っても殺してはいけません。…ここからは推測ですが、人の死による悲しみは一時的なものなのです。むしろ乗り越えるものでもあると考えることが出来ます。
ですがあなたが心を喪失し、永遠に只の器になってしまったらどうなるでしょう。
涼宮さんはあなたを元に戻すため、または守るため、何かを模索し、考え、実行に移すでしょう。それが死ぬまで続くのだとしたら……そう考えれば、彼らはあなたを内側から潰すという方法を選ぶに違いありません。なにせ涼宮さんの不可解な力を死ぬまで、もしくは果てまで研究し続けることが出来るのですから。
涼宮さんがとんでもないほどの現象を数々引き起こす。それはなんと言うんでしたっけ」
とめどなく喋り続ける古泉。そして今度は長門が口を開いた。お前ら打ち合わせでもしたのか。
「情報フレア。それを望み実行に移した何かがいる。おそらく複数の派閥が手を組んでいる状態」
「そうなのか。そんなふざけたことを考える連中がいたんだな。まったく誰なんだよそいつらは」
「おそらくですが、それは僕たちが潜入できた理由と関係しています。僕と長門さんがこの空間に入り込めた時、あなたは話に聞く程に絶望してるようにも見えませんでした。
それがキーになっているのではないのでしょうか」
あの時、声が聞こえた時…。あと確か勉強をしようとかそういうの。まさかあれだけでか。俺自身の精神性が小学生みたいで嫌になるが。

「そうだ長門!お前の声、聞こえたぞ」

珍しく長門は首を傾げる。

「私の声?」

「ああ、だから俺は…どうした古泉」

人差し指を額に押し当て、考えを巡らせながら口を開く。

「おそらくそれは違いますよ。長門さんはこの世界に声を発してなどはいない筈です」

…なんだと?

そして古泉は、何かを閃いたかの様に表情がささやかに明るくなり、俺に人差し指を突きつける。

「そう、それは恐らく、あなたの心の歌ですよ」

「心の…歌?」

ロマンティックなのは、今に始まったことではないのか…?

「ええ、そうです。心があなたに語りかけたのでしょう。きっと、あなたの琴線に触れるであろう『記憶』を」

「あ…」

俺はその時、長門があの時言っていた「忘れないで」という言葉を思い出した。
「多分、それでビンゴでしょうね」
古泉は名推理を披露した後の名探偵の様に物腰軽やかに腰に手をあて構えている。

だが俺はイマイチ実感が沸かないな。ピンと来ないというやつだ。
「いえ、そうでもありませんよ。声が聞こえたのでしょう?そしてあなた、勉強が嫌いでしょう。押し付けられたら嫌なものなんじゃないのですか?」
それはそうだが、でもいくらなんでも単純すぎないか?そんな簡単な感情でお前らがここに潜入できる程の隙が出来るものかよ。
「それはあなたの決意に関係しているのでしょう。この際、内容は問いません。何かか契機となり、あなたの中に強い想いが生じた。

それでこの空間に不具合が生じてしまったんです。『予想外』という名のバグですよ。その隙を突いて長門さんが空間をこじ開けてくれたんです。
おそらくあなたの感情の急激な変動に不意打ちを受けてしまったのではないのでしょうか。要するに、人間の感情の変化と吐露が、瞬間的に空間の構成枠を歪めてしまったんです。まさかあなたが自分から勉強したいと思うとは彼らも思わなかったのでしょう」
最後の下りは適当らしいが他はどうやら大真面目のようだ。
「しかしだな。そんな人の気持ちも考えられないようなやつがこんな空間作ったってのか。むしろ避けて然るべきだろう。どんだけ不器用なんだそいつは」

「……」

長門は黙っている。

きっとこいつは、心当たりがある。今の長門の沈黙には、そういう意味合いがあると俺の勘が言っていた。だが、あえて俺は突っ込まずに、その隣の古泉が発する理屈に耳を傾けた。

 

「身に覚えはありませんか。このようなシステムを作れるほどの力があり、涼宮さんに非常に関心を持つ。そして人間の感情というものに対してはそれほど明るくない存在です。あなたに心当たりは?」
「…よくわからないが……」

一体なんだそれは。……俺の知能は否定していたが、どうやら記憶が反応しているらしい。しきりに語りかける俺の本能が、俺はつくづく物覚えの悪い馬鹿である事を照明している。
考え直してその記憶を思い返そうと試みる。そして、全自動でぐるぐる巡り巡る記憶から一つだけ、とある記憶が浮かび上がった。

 


 あれは…そう、確か教室にいたんだっけ。そうだ、それで俺は誰かと教室で話をしていた。
まるで純粋な明るい笑顔。西日が教室に差し込み、割と弾んでいた会話がそれらしい雰囲気を醸しだしている。
「まあ、そういうこともあるんじゃないか?」
「でしょう」
何だろう。こいつは何かが違うと思わせる違和感。主題が明確にならないまま話が進んでいく。

そしてコイツは急に豹変したんだ。
セーラー服を着こなし、聡明さを思わせるゆったり落ち着いた笑顔。

 

右手にナイフ。

 

――わたしには有機生命体の死の概念がよく理解できないけど――

 


「……情報統合思念体か」
古泉はわかりやすく頷いた。
「機関の方でもその可能性が一番高いとしています。
おそらくは情報統合思念体のどこかの派閥が主導してこのような悪趣味なシステムを組んだのでしょう。ここが閉鎖空間ではない以上、僕単独の潜入は不可能でした。だから今回は長門さんにも協力してもらいました。なにより、長門さんも行きたそうにしてましたしね。」
今度は長門が頷いた。ゆっくりとちょっとだけ。慣れているやつが見ないとわからないんだろうが。

隣で長門がこういう時に限って軽快な口を開けた。

「でも辻褄が合わないことがある」

古泉が素早い反応を見せる。

「何です?」

古泉が興味を掻き立てられた様だ。表情が一瞬だけ変わる。これも慣れているやつが見ないと判らないんだろうな。

「本来なら、この様なシステムを情報統合思念体が組むことは考えられない。何より、この様な脆く不安定で荒れた空間など構成するはずが無い」

「そうなんですか。これは面白い話を聞けましたね。…まぁ、その黒幕はいずれ明らかになるのでしょう…。それを推理するのも面白いですが、とりあえずここを脱出することを考えましょう」

 やや昂ぶっている古泉を尻目に、俺はその事実を聞いて尚更気分が悪くなった。
「本当に悪趣味にも程があるぜ。神でも気取ってるつもりかよ」
その言葉に古泉が軽く反応する。何だろうか。流している目を更に細め、このおもっ苦しい世界を見渡しだした。
「ま、実際のところはよくわかっていません。ここはあくまで端末の一つですよ。内部まで入り込めるわけでもないんですしね」

「まぁ、そうか。少し悔しいがな」

「ええ、全く……」

「古泉……?」

古泉の言葉が一端途切れ、俺は古泉の表情の変化に気付いた。表情が複雑になり、読めないものになっていた。明るい笑顔の奥に燻っている何かが見える気がする。古泉の心情の変化に長門も気がつき、古泉から視線を逸らさない。…俺も、こいつのこんな表情は嘗て見たことが無かった。言葉か状況か、何かがこいつの琴線に触れた。
「神、ですか。涼宮さんはともかく、そうであると思い込んでいるものがいるとしたらなんとも性質の悪いものです。そしてその可能性も、今回ばかりは否定できない…」
そして不意に自分の右手を見つめながら呟いた。
「これは思い上がった自称『神』の用意した実験場なのか。それとも単なる遊び場なのか。…まぁそんなことを考えても何にもならないのですけどね。ですが、人は時に神の力を得る。そしてその代償として巻き込まれた神々のゲームからは、どうあがいても逃れることは出来ないのでしょうか……」
何言ってんだ?久々の毒電波か?
「いえ、僕は今の自身の身分、あり方を否定するつもりはありませんし、むしろありがたく思っています。ですが、ふと考えてしまう時があるのですよ。これは一体誰を中心に描かれたシナリオなんだろうとね。涼宮さんがその答えになってくれるのならばありがたいのですが…」

こいつの醸しだしている雰囲気の得体が知れない。こいつはこの言葉に一体どの様な意味を籠めて話しているのだろう。
「それでも我々機関の人間は、どちらかと言えば巻き込まれた側です。考えてもみてください。元々は全くの一般人だった我々が、突如涼宮さんの到来を皮切りにTFEIや未来人を相手にしなければならなくなったのです。
今だからこそ少々は安定してはいるものの、創設当初は困惑と恐怖に満ち溢れていたに相違ありません。事実、僕はこの力が芽生えたと同時に自分という存在に恐怖を感じたのを覚えています。我々は逃れられない。選択の余地は無い。そして与えられた力を使いこなして力を尽くすか…おとなしく消え失せるか……その果てにあるのは何なのか」
…そうか。こいつは三年前まで完全な一般人という話だったな。
確かに、不意打ちで当たりくじか貧乏くじかも判らない馬鹿げた何かを引かされたばかりに、超常現象の渦に呑まれてしまったんだ。目的は現状維持。この世の陰で働く一概に正義と言えるわけでもない奇妙な組織。
ある種不憫だといえるのだろうか。
そこで古泉が俺の思考を遮る。
「とりあえず、そこまでにしておきましょう。時間があるのか、ないのか。それもまだ明確になっていないのでね。元の世界に帰ろうではありませんか」
古泉の言葉で我に返った。

そうか、俺って追い詰められていたんだっけ。
この二人がいるだけで安心しきってしまうあたり、俺もまだまだ、なのかな。
「長門さんに感謝してください。彼女の力無しではここに来ることすらできませんでしたから」
「そっか。毎度毎度世話をかけるな、長門。ありがとう」
もう一度、長門は頷いた。
「情報統合思念体が他の生命体と手を組むことは考えられない。どれとも干渉を自分から持ち込むことは無い。
だが、誰かが情報統合思念体に近づき、エラーとなりうるものの存在を説いた者がいる。その可能性は、非常に高い」
「そいつが誰だかはまだわかっていないんだな」
長門は頷いた。
「我々の派閥ではない。だから具体的な情報も入ってきていないし判断も出来ない」
色々あるとしか言えないな。
「まぁいいさ。それより、本当に元の世界に帰れるのか?」
古泉と長門が同じタイミングで頷く。だからお前ら打ち合わせでもしたのか。
「勿論です。そのつもりでここに来ましたから。向こうに無事帰れるよう、長門さんが向こう側にいわゆるセーブポイントを作ってきました。そこがここと元の空間をつなげるワームホール…『虫喰い穴』になっています。そこへ向かいましょう」
そうか、元の空間に帰れるのか。頭が漠然としすぎていまいち実感が持てなかったが、どうやら危機を脱してはいるようだ。

「原理まで聞きますか?」

古泉の言葉に長門がほんの少しだけ反応を見せる。おそらく喋りたいのだろう。

「結構だ」

古泉は肩をすくめ長門の方を見る。長門はほんの少しだけ入れていたであろう肩の力を抜いた。
一安心…していいのだろうか。
「で、どこのことだ?」
長門が校舎の奥の方を指差した。渋々、といった感じなのは気のせいか。とにかく、屋上からそんな指されてもわかりませんって。
「…部室」

 

 

 俺はいざ征かんと足を踏み出す。古泉が隣で話かけてきた。

「余談ですが、こちら側でのあなたは部室で黙々と勉強している様です。不気味なほど黙々とね。ペンが動いていたかどうかは知りませんが。
朝比奈さんや涼宮さんは元より、国木田氏もずっと心配しておりましたし、鶴屋さんだってあなたに何度も話しかけたりしていたんですよ。
それでもあなたは曖昧な反応しか示しませんでした。その時はまさかここまで深刻な事態に陥っているとは露とも思ってもおりませんでしたよ」
俺の馬鹿野郎。流石に迷惑かけすぎだ。とりあえず無事に帰れたら謝っとくか。
「じゃあお前らは部活を抜け出してきたわけか?ハルヒが勉強しろと息巻いている中で?」
古泉は首を横に振った。なんか楽しそうだなお前。
「いえ、涼宮さんは席を外しています。ちょっと…生徒会長にお願いをして、涼宮さんの足を出来るだけ留めておくよう時間稼ぎをしてもらっていますから」
出た。生徒会長。彼もまた半ば強制的にハルヒの相手をしなければならなくなったわけだ。
あの御人はこの学校で数少ないハルヒと互角に渡り合える人物だろうからなんとか時間を稼いでくれるだろう。そして、いちいちちょっかいを出さなければならない彼の武運を異空間から祈っている。
ま、俺自身ハルヒをシカト扱いしたらしいし、帰ってからがちょっと怖いが、こんなところにいるよりよっぽどマシだ。

帰ろう。

「じゃあ、早く帰ろう。部室に行くか。」
古泉は俺に合わせて階段のほうに向かい始めていて、長門はもう階段に差し掛かっていり所だった。
「国木田や鶴屋さんはどうしたんだ?」
俺と古泉はちょうど入り口を通り過ぎていた。
「それは朝比奈さんに頼んできました。鶴屋さんは国木田氏の肩を掴んで一緒にそそくさと出て行きましたよ。どこか楽しそうでもありましたが。朝比奈さんからあなたを頼むとお願いされましてね。元の世界に戻ったら彼女にも礼を言ってあげてください」
解っているさそんなこと。あの人に礼を欠かそうとする輩が存在するならすぐさまそいつにデスペナルティを与えるね。
「ふ、そうですね。ではこんなところからは早いところ……」
ふと、古泉は足を止め、また屋上に出て街並みを見つめだした。
それと同じく、長門が屋上に出てきて空を見つめだした。
「おいおいどうした。二人で黄昏たいなら元の世界で二人っきりでやってくれ」
この二人にそんな甲斐性が無いことなどとっくに承知済みだが、そんな感じに見えてしまったので今すぐ止めていただきたい。
「それはそれで悪くはないのですが……来ましたよ」
「……来る」
一体何が、と思った瞬間だった。

 

ズンッ…!

 

大地が唸りを上げた。
「何だ!」
古泉がまだ街の方を見たまま言葉を発する。
「…どうやら始まったようですよ。悪意に満ちた幻影達の鬼ゴッコが」
そしてこちらに振り返る。
「もちろん、ターゲットは僕らでしょうね。いえ、僕と長門さんでしょう」
「どういうことだ?」
「簡単なことです。僕らは正常空間から無理矢理突入してきました。あなたを取り戻す為に。
つまりは招かれざる者です。空間内に入ってきた侵入者を排除しようと、空間の衛兵が動き出したのですよ。思った以上に対応が早かったですね」
何だろう。少し前まで満ちていた気味の悪さは感じられない。だが、俺みたいな平凡な人間にでも感じられる程の威圧感。一体何が起きている。更なる地鳴りが俺達を気圧しようとするかの様に鳴り響く。

「なんだ!」
「これは…」

「……」

突然空が夜のように暗く、そして地面が盛り上がったように見えた。
「急ぎましょう。一刻も早くここから出なければ」
と古泉が走り出そうとしたその時だった。長門が古泉の袖を掴む。

「長門さん…?」
「来た」
長門の一言が異様に響く。それは山が並ぶ一帯から現れた。


かつてないほどの巨大な、「神人」だった。

 


しかし、青くない。それはどす黒く、何よりそいつには俺でも感じられる程の畏怖を感じさせるプレッシャーがあった。
この神人は恐らくハルヒに関係が無い。ハルヒは流石にこんなものを作り出しはしないだろう。俺はそう思う。
「神人だと?」
古泉がすぐさま反論する。
「いえ、あれは神人ではありません。形だけを取り繕ったフェイクです。あの形状で収まったのはおそらくはあなたの心理の影響を受けているのでしょう。
…嫌なものですね。かつて無いほどの強大な悪意と敵意が迸っています」
俺の精神だと。何故神人なんだ。
「恐らく、あなたの中に存在する巨大で恐怖を感じさせる何か、のイメージに嵌る存在が神人だったのでしょう。あのカマドウマと同じですよ。規模も迸るエナジーも桁違いですが。
あれはこの空間に存在する全ての『悪意』を内包しています。おそらく、あれ以外この空間にはもう我々しか存在していない。
悪意と敵意、恐怖心。すべてを一つに集めあげたのです」

長門が古泉の発言一つ一つに注意を払っていた。おそらく、この様な感情に対する一つ一つの要素に対しては、発信も受信もあまり明るくない。それを自分で判っているのだろう。

「…なかなかやってくれますね。言わば侵入者阻止プログラム。相手も手を打ってきたという事でしょう」
どうすればいいんだ。俺は放って置いてさっさと部室へ向かうことを提案する。
「それでも構いませんが、あちらはちょっかい出してくるでしょうね。下手を打てば部室が破壊されかねません。むしろそれが狙いだとしたらなお一層危険です…。ならば、こちらから手を出すのも一興でしょう」
どうやってだよ。ゴジラに90式で立ち向かっても踏み潰されるだけだったろう。90式はなかなかのハイスペックだがさしもゴジラ相手では…ってそんなこと考えてる場合じゃないか。
その時、長門が一歩踏み出した。
だが、古泉が左手を長門の前に差し出しそれを止める。
「…私が」

長門が古泉を見据え、何かを訴えかけている様に見える。
「いえ、ここは僕に任せてください。あなたは僕らを元の空間に戻す必要があります。
敵に目をそらすことなく、彼と共に部室へ向かってくださいね。
相手を足止めするだけならおそらく僕だけでも可能でしょう。…大丈夫。きちんと合流しますから」
何を言ってるんだこいつは。
「お前忘れてないか。ここは閉鎖空間じゃないんだ。お前の超能力はここじゃ使えないだろう」
古泉はわざとらしく首を横に振る。…なんだよその余裕の表情は。
「あなたこそお忘れですか。僕の能力は涼宮さんから与えられたものであることを。
昔ならいざしらず、今の涼宮さんならあなたを助けるためであれば、決して出し惜しむことはない。必ず力を僕に分け与えてくれますよ。確信があります。安心してください」
俺とはまた違う信頼を、古泉はハルヒに寄せている。こいつなりのハルヒに対する想い入れを、俺はここで感じられた気がした。
そして、その古泉はいつも以上に自信に満ちている。
「わかるのか。何故だ」
古泉は目を閉じた。神人がこちらに向かっている。
「…ただわかる。それだけで十分ですよ。僕にはね」
そう言って古泉は赤い閃光に包まれる。見る見るうちに薄く赤い光が古泉を幾重にも包み、そこから強い威圧感が迸る。かつて見た光とは力強さが段違いだ。
そして易々と重力に反し、空中に浮かび上がった。
「やはり、力が溢れ出るようです。これならば、あれと対峙する程度ならば問題はありません。本気でいきます」

古泉は意を決し、あの巨人を睨みつける。

「しかし因果なものですね。中身はどうあれ姿形はまさしく神人。
色合いが若干異なるようですが、あれを相手に手を抜くつもりは毛頭ありません。そもそも出来そうにありませんし…。さぁ、先に行ってください長門さん。
この空間を形作る強大な悪意。僕が断ち切って見せましょう」
長門が俺の手を引っ張った。
確かに急がないとな。
「古泉。無理はするなよ!」
古泉は笑顔でこちらに手を振り、そして見えなくなった。

 

 ここからはこっちの番か。
俺と長門は階段を急ピッチで下りて、一直線で部室に向かった。
窓の外を見やると、グラウンドで神人らしきものの周りを赤い閃光が飛び回っていた。既に右手首が切り落とされている。
古泉は見事あいつの気を引いているようで、まだこちらにまで気が向いていない様に思える。
なるべく無茶するなよ。お前がどうにかなったら誰がSOS団の合宿を企画するんだ。
「長門」

俺は疑問をこいつに投げかける。

「何」

「あいつに勝算はあるのか」
少し考えこむ様子を見せてから長門は淡々を述べていく。
「あの未確認物体を完全に消滅させるのは難しい。だが、今回はその必要性はなく、私達が部室に到達するまでの時間を稼ぎ脱出するだけなら十分可能。
それでも互いに未知の部分がある以上、簡潔な結論は出せないといわざるを得ない」
…相変わらずの早口だが、今回は何とか付いていけた。走りながら頭を使うのって、本当面倒ね。
「互いに?古泉もか?」
長門は振り向くことのなくうなずく。
「古泉一樹の能力は涼宮ハルヒに与えられたもの。未知の部分が多すぎる」
…そう言われればそうか。あいつ自身も何なのか理解していない様だしな。
だが、あいつはそれで落ち着いているからそれで十分なのだろう。
「よし…!」

部室まではそこまで遠くない。俺のいまひとつ遅い全力疾走でもさして時間はかからない。
だけどこういう時って、いつもより遠く思えるものだよな。…いや、焦るな。古泉が気を引いてくれている。

そう思っていた俺の心情を読み取ったのであろうか。
「大丈夫。あと少し。」
長門は俺の手を引っ張って走り続ける。
…ああ、わかってるさ。
多分だが、ここまで来れたのはお前のおかげだよ。

お前が昨日、あの時に「忘れないで」と言ってくれたからかもしれないからな。

 

 

 

「ふぅ、何とか、ですね」

相手の右肩は削ぎ落とした。だが、これでも十分からは程遠い…。

しかも、先ほど攻撃して理解したが、あれに攻撃を加える度に、こちらの力が吸い取られていく気がする。

恐らくこれは、彼がこちら側に来る時に感じた「体が世界から抜けていく感覚」のもの。自分が今これを再現させられているわけではない。ということは、この世界は最初からその様な感情で溢れていたが、あれを創造する為に空間の機能を犠牲にしているということだ。そして、それを収束させた存在であるあれと接触することによって、自身に同等の効果が起こっている。それによって相手の希望を喰らう。だが…。

一端考えることを止めよう。とりあえず今は、あれの足を止めることに力を注がなければならない。これまでの動きで相手の攻撃パターンは大体理解した。全てを避け、反撃を行うことも不可能ではないことも理解した。…だが、相手のこの底無しを思わせる圧倒的なプレッシャーは何だ。

これまでで、これだけの大きさを誇る神人と対峙したことなんてあるわけが無い。嘗て無い威圧感。嘗て無い危機感。この様な化け物と一対一で対峙している自分自身が信じられない程に…。

「ですがね、ここで退く訳には行かないんですよ…!」

力を放出する。自分の体の中で尽きることの無い何かが迸っているのが感じられる。これがあれば…この力があるから……。そして脳内にあるヴィジョンが浮かび上がる。

自分がここまで尽くす理由?ええ、ありますよ。SOS団の副団長、機関の構成員、接触する為に与えられた様々な肩書き。そして現状維持という目的。ほんの少しの忠誠心と自分なりの誇りの為に。ですが、そんなものはあくまで建前に過ぎません。

「本来ならば、こんなものは、もう……」

緋色の力を身に纏い、覚悟を新たに空を駆ける。この、空を駆けられる力。この様な素晴らしくも『不安定』な力の……そして、護り、戦える力、それをくれたあの…。

「おっと。考える暇も無い、というわけですか」

神人の左腕が自分目掛けて強烈な威圧感と共に飛び込んでくる。軽くかわし、次はどこを狙うか、自分の中で照準を定める。

「そう焦らなくてもいいでしょう。わざわざ自分からやられにこなくとも、僕の力を尽くしてあなたの五体を削ぎ落としてくれます」

神人の左腕を見据え、突撃をかけようとしたその時、声にもならない唸りが世界に響いた。

「……っ!」

瞬時に相手を警戒し距離をとる。そして対峙し、互いに動くことをやめる。

そして、一瞬の内に相手の右肩からどす黒い腕が生える瞬間を目撃してしまった…!

「…まさに化け物、というわけですか。楽しいことになってきましたね」

さて…どうしたものか。

 

 

 旧館の校舎に入り、あと少しで部室に辿り着ける所まで来た。
奴がこちらに気づいたようで、俺が先程まで通っていた箇所にすさまじい一撃を入れた。
一発でバラバラ。おっそろしい化け物だ。
だがもう間も無く到着する。部室を捉えられるくらいにまで来た時、赤い閃光がこちらに近づいてきた。
「どうやら首尾は問題なく運べたようですね」
肯定だ。俺は既に息絶え絶えだったが。
「…様子は、どうだ」
「正直苦しいと言わざるを得ません。こっちに一直線に向かってきます。どうやら僕より長門さんを要注意人物に認定しているようですよ。当たり前ですけどね」
神人の顔に当たる部分が遠くから俺達を覗き込んだ。
まずくないか、これ。
急に長門が俺と古泉の手を引っ張った。
長門は俺達を部室の前に連れて行き、部室の扉を開けた。
そして両手をかざす。
何か聞き取れない、難解な外国語の様な響きを考えられない速さで呟いた。
だがそれを見逃す奴では無いのだろう。やばい。奴がこちらを見てるぞ。
奴の全貌が見えた。どうやらあいつは左肩から斜めにごっそり切り落とされている。
古泉、けっこう頑張ったんだな。
化け物が動き出した。古泉がそれに反応して赤い閃光を体に纏う。
そしてその時、拳でも投げかけてくるには遠いだろうと思いきや、奴の頭から一筋の光線が放たれた…!

 

その光が古泉の全身を透過した。不意を打たれた様で、あいつは予想外と言わんばかりの表情を俺達に見せる。
いや、もうちょっと緊張感を持て。
「これはやられましたね。こんな手段も持っていたとは思いませんでした」
長門も古泉の方を見ていた。どうするか決めあぐねているようだ。
「準備はできましたか」
長門は頷く。
「それで十分ですよ」
「おい古泉!どうしたんだ」
古泉は俺の方に振り返る。
「どうやら少々油断していたようです。この光には近づかないでくださいね。
この光は僕自身を塵にでも分解するのでしょう。なんだか体が軽くなったようななってないような」

そう言いながら神人の方に人差し指を指す。
ちなみに見てください。これを照射している間はあれも動けないようです。
ですが、直接的に倒す方法は無い以上それも無意味ですね」
そんなこと関係あるか。
「それはどうでもいい。なんでそんなに余裕面かましてるんだよ。なんとか助かる方法はないのか」
古泉はこんなときになっても余裕の笑みを捨てなかった。
「おや、僕を心配してくれるのですか?」
「うるさい。茶化している場合かよ」
「大丈夫ですよ。長門さんも準備はできてるみたいですから。では…お願いします」
そういわれると長門は両手を上げた。そしてなにやら高速で呟く。古泉が別の白い光に包まれ、少しずつ光のかけらがこぼれていく。
それはまるであの朝倉涼子の時のように。……俺は何縁起でも無い事を思い出してんだ。

「おい、長門。いったい何を…」
「心配はいらない」
「そうです。僕を消滅させようとしているわけではありません。TFEIは空間を分子や素粒子のレベルまで操作することが出来ると伺っていたので、ここに来るまでにお願いしておいたんですよ。不測の事態に陥った時には、予断が許されなくなる前に元の空間に送ってくれ、とね。
本当なら送り先は未知数だったのですが、先程すべての準備が整った様なのでお願いしたという次第です。
では、僕は先にアウトします。元の部室で待ってますよ」
古泉は更に光に包まれこちらからは余り確認できない程になってしまっている。あの光の影響なのか、それとも長門の影響なのか。古泉の体から白いかけらが散っていく。頼む。間に合えよ古泉。
「長門さん。あなたも無事に帰ってきてくださいよ。お二人をみんなで待ってますから」
長門は古泉を見据えた。
「了解」
「では頼みます。…そうそう、長門さん。指きりって、わかります?昨日、彼と涼宮さんがやっていたことですよ」
こいつも見てたのかよ。
そう聞かれた長門は、昨日とは違い、はっきり「わかる」と答えた。古泉の笑顔が一層豊かになる。何だか、素の顔という物を俺は見た気がした。
中々消失しない古泉に苛立ったのか、神人から発せられる光が一層強くなる。
やばい。本当に予断を許さなくなってきたのか。
古泉が微笑みと若干の笑い声を漏らしながら言った。
「十分な答えです。このような状況でなければ、あなたと指きりをしてもよろしいんでしょうけどね。それも今回はお預けにしておきます。少し、残念ですがね」
もう古泉の姿がシルエット程度でしか捉えられない。
「では、お先に失礼したいと思います」
こんな状況でも楽しそうに言ってくれる。まったく、本心なんだかそうでないんだか。
長門が呟く。
「座標固定。誤差0.08%…修正完了。……転送開始」
無音の光の中から、古泉が消えた。

 

奴からの光線も止み、音もない残骸が残された。
「古泉は?」
「大丈夫。無事送ることができた」
淀みなく即答。
でもこっちもそれどころではない。やつが明らかにこちらを見ている。
そして、なにやら頭部周辺に光が集中し始める。
本格的にまずいな。
そして、俺達にむけて頭部から光が照射された。
やばい。これは本格的に危険だ。そう思って俺は反射的に目を瞑った。
こんなところで塵になって俺は御終いかよ。


「……あれ?」
しかし、どうやら体がどうにかなった感触は俺には無い様だ。
俺は疑問気味に目を開く。
目の前には、長門がいた。右手を前に突き出している。光がここまで届いていなかった。
「解析完了。この程度の構成ならば、破るのはたやすい」
光をはじいている。
長門を中心に光が割れているように見えた。


長門が前を向いたまま、淡々と言葉をつむいでいく。
「彼のおかげ。先に私が照射されていたら、勝機はその場でゼロになっていた」
古泉。なんか褒められてるぞお前。宇宙人に褒められるなんてそうそうあるもんじゃない。よかったな。
さらにもう一言。意外な言葉を口にした。
「古泉一樹と約束したから……あなたと無事にもとの世界に戻る」
「長門」
「情報統合思念体は、あなたが涼宮ハルヒの近くにいなければならないと判断した。
そして私自身にとっても、あなたは失われるべきではない。ならば、私のなすべきことは一つ」
長門は体制を崩すことなく、俺の顔を見た。
「あなたを守ること」
その言葉が聴けただけで十分だぜ長門。
「…頼む」
長門は光が照射されている方へ振り返った。
「任せて」
奴は俺達にそれが効いていないわかっているのかいないのか、ひたすらに照射し続けていた。
このままじゃどちらも身動きが取れないな。
その時、またもや長門が何かを呟き始めた。今日のこいつは凄いな。何というか、自分を出しまくりだ。
今度の言葉は俺にも聞き取れる。
「未確認生命体を敵性認定…解析率75%…発動を申請……了解。敵性生命体の連結を完全に解除する」
親玉の情報統合思念体とコンタクトを取っているようだ。
そして突然長門の体から、あの時生徒会長の前で見せたときより遥かに強いオーラのようなものが溢れ出た。

両手を上げる。高速でなにかを呟く。
そして長門の右手から何かが発射された。
その何かがあいつの胸に突き刺さる。釘の様な、針の様な、そんな尖ったものだ。
だがあいつは変わらず照射を続けている。効果は見受けられない。
「長門、あんまり効果が見られないようだが…」
「大丈夫。もう終った」
俺が言い終わる前に長門が口を開いた。
「種は直ぐに芽吹き始める。楔はすでに打ち込んだ。…決壊は……そこから始まる」
何かが弾けたような音が響き、俺は目の前の光景を見て、我が目を疑う。

 

 

俺達を中心に光が真っ二つ割れた。
そしてその先には、同じく真っ二つに裂けた神人がいた。

金色の壁が道を象っているかの様に、そして長門が何者の侵入をも拒絶している様に、割れた光は俺達の両脇に在った。
預言者モーセかお前は。そのとき俺は「十戒」っていうやつを思い出したね。聖書の再現をここで見られるとは思わなかったぜ。
「連結…解除」
割れた光は散り々りになり、俺の目の前に広がっていく。俺は眩しすぎて目を閉じた。
音は無い。あまりにも静かで、その光はこれまでの暗澹とした世界を浄化していく様だった。

 

俺が次に目を開けた時には、あの光も、あの神人も消えていた。
頭にはハテナマーク。長門はいつもの無表情。何が起きたのかはさっぱり解らない。
「あの、あれは?」
「分解した」
なんのこっちゃ。
「正確に言えばあの精神生命体を構成するあの…」
「いえ、もう結構です」
「…そう」
こういう分野になるとえらく饒舌になるからな。とりあえず、今すべきはそれを聞くことじゃなかった。

「…よし」

俺は深く深呼吸をする。

「帰ろう。元の世界に」

やっと俺の意思がはっきりとした言葉になった。
さっき吸った分もため息で全部漏らしちまった。ほんと常識を越えた経験をしちまったぜ。
ま、今更だけどな。
「手…出して」
ん、こうか?
そしたら、長門が俺の手をつかんだ。
「目を閉じて」
言われた通りに目を閉じた。
ここは言う事を聞いておこう。時間移動みたいに酔ったりしたくないし。俺が腹を括った時、冷たい風がまたもや俺達に吹き抜けた気がした。だが、それはこれまでと違う、どこか清々しさが混じっている気がする。そして、あの不安を煽る風ではなかった。
それはとても穏やかで、安らぐ。冬もそう悪くない。そう思えた一昨日の風だった。

なぜだろう俺の中に在ったはずの不安や恐怖は、まるで姿を潜めた様にとても小さくなっていた。
そう思いを馳せていた所で、長門の囁き声が聞こえてきた。
俺が目を閉じていたからだろうか。耳から通ってきたのではなく、俺の脳に直に響いている感じだった。
「あなたの心が落ち着いたから。もうあなたに潜むの者はいない」

そうか。俺は鵜呑みにして納得する。

ん?

 

そうか?

 

 長門。人の心は一つの言葉で答えられ様なモノじゃないと俺は思うぞ。
怖さが消えたといわれりゃNOだし、落ち着いたと言われればYESとも言える。
人間の混沌とした何かの集大成なんだろうからな。
 俺の心が空間に影響を与える。言わば俺そのものとリンクした世界。これはこれで非現実的なものだが、非常によく出来てたもんだと思うのは確かだ。それこそ潜む何かが解らない、溶け込む事すらも解らないって程にな。

だけど、まだまだ不完全な代物なんだと思う。

ふと俺は思う。全てに精通したある種万能ともいえる情報統合思念体。そんな奴らでも理解できないものはあるのだろうかと。
いや、恐らく在る。…完璧なんて、あってほしくもないんだよ。

まぁでも今は、そんなことなんてどうでもいいんだろう。
「準備ができた。そっちは?」
「ああ、大丈夫だ。やってくれ」
名残惜しくは、無い。古泉と長門が来てくれた。朝比奈さんも心配してくれているという。
一刻も早く戻ろうじゃないか。誰かが俺を待ってくれているのなら。
……それじゃあさよならだ。もう二度と、ここに来ることも無いだろう。
冬の最後を締めくくる超常現象となるのだろうか。この穏やかとなった風が、俺達を元の居場所に導くことを祈って。


何かに吸い込まれていく。俺達は目を閉じたまま、空を飛んでいる気がした。

 

 

 

 


「うぐぉあっ!」
言葉にならない驚きと同時に、俺の椅子がガクンと揺れた。
目を開けると、そこはいつもの部室だった。
長門がいつも通り本を読んでいて、俺は自分の席で教科書を広げていた。
そして、横にはあんまり嬉しく無かったが古泉がいた。
「無事に帰ってこれてよかったですね」
部室にはこいつら二人しかいなかった。
「あんまり実感がわかないけどな」
ああ、本当に。朝比奈さんがいないからか?
「朝比奈さんはいないのか。ハルヒは?鶴屋さんは?」
…我ながら思った。
真っ先に出た言葉がこれか。
「さあ。もうじき戻ってくるのではないですか?国木田氏もですね。そろそろチャイムが鳴る頃です。けっこう時間がかかりましたね」
そうなのか。俺自身はよくわからないが。でもよ、これじゃ本当に…
「夢…だったみたいだな」
あの意味不明な空間あの空間にいたのは実質は一日程度だという。
しかし、俺にとっては何日も経ったと思える感覚だった。
誰もいないってだけで、人間あんなに変わるものなのか。
ついさっき屋上から飛び降りそうな状況にあった自分自身が、我ながら信じられなかった。

「そうですか?まあ、こちらから見るとさっきまでのあなたとは思えないですよ。まさに見違えたと言え…」
そのとき扉を開けた銃声の如き豪快な音が古泉の発言の邪魔をした。
「あんのヘボ生徒会長!なによ、とってつけた様にいちゃもんばっか言ってくれちゃって!」
「でも、あの、ちょっと落ち着いて…」
「何よみくるちゃん。あんたあいつの肩を持とうっての?」
「え、そんなことはないんですけど……」
涼宮ハルヒが入ってきた。
「ハルヒ…」
思わず久しぶりといいそうになったがその言葉はなんとか吸い込んだ。
実際は一日。そんなに経ってもいないし、こいつに脳みそがヨーグルトで出来てるとか思われたくもない。
ハルヒがこっちを向いた。
少し驚きがちにこっちを見た…と思ったのも束の間。

ガンッ!

ハルヒが俺の頭を殴る。
「いってぇ!いきなり何を…!」
邪悪な瞳が俺を捉えて離さない。
「あらキョン。ようやくお目覚め?あんた、あたし相手にシカト決め込むなんて中々いい度胸じゃない」
色々と複雑な事情があるんだよ。それもお前じゃ到底納得しえない事情がな。
「何か釈明でもある?聞いてやらないでもないわよ。拳骨のあとにね」
俺は閉口せずにはいられない。選択の余地はなしか。こいつのいぬ間に命の洗濯をしておけばってか。時既に遅しか。
説明してやりたいけど、説明でもしたら俺が不審者扱いされるだけだろうからしてやらない。
俺は縋るような気持ちで古泉を見た。頼む、助けてくれ。俺の視線を理解したのか。古泉が口を開いた。
「ところで、会長閣下はなんの用件で涼宮さんを呼びつけたんですか。」
ハルヒが古泉に反応した。会長への怒りか、奴の右手が光って唸る、のはさすがに冗談だ。
だがこのままでは東方が紅く燃えてしまいそうな感じではあった。
「ふん、あのヘボ会長。ひたすらいちゃもんばっかつけてくれちゃって、何が存在意義の見出せない不毛な空間よ。
あいつの頭の中だってどうせ似たようなもんに決まってるわ。
あいつと言い合いするだけでもほんと毎回頭にきちゃう。なんであんなやつが会長になったんだろ」
お前が望んだからだろ。引いては古泉達の裏工作の賜物だ。
ハルヒは会長に怒り膨らませていた。
相変わらずハルヒ相手に長時間渡り合う会長閣下の頭脳と機転、そして悲しき運命には感動を禁じえない。
だが今の状況はやはり妙に安心するぜ。知っている奴が周りにいるだけでな。

とても懐かしく感じられ、俺はふと笑顔にならずにはいられなかった。ハルヒは朝比奈さんにあれこれと愚痴をこぼしていた俺のその心情の変化に気づかないまま、もう一発の拳骨で事が終った。

ああ、あと古泉。ナイス横槍。

 


「やっともとの調子に戻ったのキョン」
「ふうん、へぇ、もういいみたい?にょろ?何はともあれ良かったさっ!」
ハルヒが部室の隅で愚痴りまくっているのを咎める人間はおらず、一緒に部室に戻ってきた鶴屋さんと国木田が話しかけてきた。
「それにしてもどうしたの。教室でもずっとボケッとしててさ。ろくな反応しないんだから心配したよ。大丈夫なの」
どうやら思った以上に心配をかけてしまったようだ。
「はるにゃんも国木田君も心配してたんだよっ。ついでに言うならあたしも心配しちゃったさ。女の子や友達に身の上の心配させちゃだめっさ。いいにょろ?」
はあ、申し訳ございません。

「わかればいいっさ!」
鶴屋さんの笑顔が眩しい。
そこには俺がいたいと思える日常があった。
微塵の違和感もない。あまりにも見慣れたもの。
ハルヒは団長席で愚痴をこぼしている。それに付き合わされる朝比奈さん。
古泉は含み笑いをしながら俺と談笑。
長門は読書。
鶴屋さんは国木田となにやら会話を楽しんでいた。
緊張感もまったくなく、少し馬鹿っぽいが、それくらいが俺に合うというものだ。
そして周囲を見回した。
誰にというつもりは無い。だが俺は誰かに、ただいまと言いたかった。


それから俺は数日間、ひたすらテスト勉強に追われながらも、この日常生活の素晴らしさを噛み締めていた。
朝の日差しが心地よく、昼日中の風が冷たく冴える。夜空の星がはっきりと見えた。

「お~よしよ…いってぇ!」
家には家族がいた。シャミに鼻を引っ掻かれた。

「はぁあ。……はぁぁぁぁぁぁ」
試験日が近づくたびにテンションが落ちていく谷口がいた。

「とりあえずは試験が終るまで部室に行くよ。折角頼まれたんだからね」

「そうか。ところで国木田」

「なに?」

「しょっちゅう鶴屋さんと喋ってたけど、一体どんな会話をしてたんだ?」

柔らかく笑う。

「え?…まぁ他愛も無い世間話だけど、折角だから、それは内緒」

「はっ、そうかい。ま、ありがとな」
自分もやらなきゃとか言いながら余裕丸出しで教えてくれる国木田がいた。

「ほぉぉ、やるやる。じゃあ次はこの問題だっ!」
「いや、もうほんと勘弁して下さい…」

教えるというより面白半分でちょっかい出してくる鶴屋さんがいた。

「はい、お茶です。がんばってね」

「どうも。試験では五位以内に入れそうですか?」

「……」             
部室にはいつもの面子がいた。

そして、後ろの席には涼宮ハルヒがいた。
その中で俺は教科書を手放さないまま、しきりにシャーペンを走らせている。

なぜか最近俺の頭はよく冴えていたようで、普段とは比べ物にならないほど勉強に身が入っていた。我ながら不思議なものだ。

「はーい今日はそこまで」

ハルヒの声で反射的にシャーペンを手放す。慣れないもんで手首が悲鳴をあげてるぜ。

気がつけばもう外は陽が沈みかけていた。空が赤と青で見事に調和している。だが、その澄んだ空もすぐに漆黒に染まってしまうのだろう。そう思わせる儚さを抱いていた。時計を見つめ、改めて勉強に実が入っている自分に驚く。

「さ、帰りましょ。」

なぜか上機嫌のあいつに続き、全員帰りの準備を済ませて学校を後にした。

もうあの時の様な心寒さは感じられない。家路を辿っている今も、それは平和そのもので、誰が見ても健全な、仲良しグループの帰宅に見えるだろう。重ね重ね言うが、肝心なのは不健全極まりないその中身である。

 

 


次の日もごくごく普通に俺は学生生活を送っていた。

教室では普通に授業を受け、普通に谷口や国木田と談笑し、適当にハルヒの無理難題をあしらう。

どうやらそれに耐えかねたのか、後ろの奴が俺にシャーペンをブスッと、突っついたのではなく刺してきた。
「あいてっ!」
俺は海老の如くのけぞったまま振り返る。
「誰に会いたいのよあんた」
「古典的な冗談ぬかしてんじゃねぇ。何だ。子どものいたずらって年でもないだろ」
ハルヒがむっとした表情になった。
「なによ。単に逆にしてしまっただけじゃない。器のちっこいやつね」
……俺が悪いのか。


余談だが、俺は今回、嘗て無い程勉強をした。
しかし、それとは別になぜか妙に頭が冴えてることに疑問を感じていた。
実際テストが始まったときもいつもと比べればやけにスラスラと理解できたし、
「あ、この問題ゼミで出た!」みたいなノリというべきか、やってもないのにやったような変なデジャヴを感じたりしていた。
それには古泉の解説を参照。読みたい人だけ読んでくれ。
「ああ、そのことですか。それはですね、おそらくあなたの精神とは別にあなたが勉強していたことが関係していると思われます。あなた自身はあの空間にいたのですが、その間におよそ形骸と化していた肉体のとっていた行動の残滓というべきでしょうか。
それが現実世界に戻ったあなたの脳裏に張り付いているというのが今回のそのあなたが言うデジャヴという現象にあてはまると思われ、またその際のあなたの行動と精神状態、また思考範囲を推測しての範囲ですけれどgあqwせdrftgyふじ……」

ごめん。俺の耳が聴講を放棄した。

それに関しては感謝すべきなのかいまいち複雑なところだが、俺をあんな目に遭わせやがったんだから、あの程度のオプションがついていても不思議じゃないと考えて俺は納得した。
自分自身終始まじめにテストを受けることができたし、これまでに無いくらいテストに安心感を得ることができた。
ここはもう素直に勉強会を組んでくれたハルヒ、教えてくれた国木田、この日を迎えさせてくれた古泉と長門に感謝しようと思う。
試験結果に期待があったのは多分これが始めてだっただろう。
だからといって勉強大好きっ子になることはまず無いが、だがやってよかったとは思っていた。


 そして数日後。
点数が刻まれた用紙が返ってくる。返ってきた解答用紙には見たこともない良い数字が並んでいたし(それでも当然ハルヒには負けていたが)、試験結果の通知表には学年30番というとんでもない数字が打ってあり、誰かと間違えたんじゃないかと担任岡部に聞きにいって岡部から「頑張ったな」と言われたのも今となってはいい思い出だ。
予備校に放り込もうとしていた母親が通知表を見て狂喜乱舞したのもいい思い出。ちなみに晩飯は焼肉だった。感謝感謝。
まぁ、どうやられ俺の学問的な位置づけはそういうものだったのだと改めて思い知らされ次第だった。
学年ツートップが長門とハルヒになってしまい、ハルヒが長門に「今度の模試で勝負よ!」と高らかに宣言していたのが耳に残っていた。
確かにこんな状況じゃ生徒会もウチの団に学問の面で口出しはできんだろう。
国木田も「それなりに頑張っただけだよ」と謙遜をかましていたが、こっそり見た順位の数字は一桁だった気がする。
古泉は何事も無いようにトップレベルの成績を修めていたし、朝比奈さんも同様でいつもどおり眩しいお姿でお茶を淹れてくれた。
鶴屋さんはこっちを見てやたらニヤついていただけだった。うむ。気になるな。国木田と会話をする頻度が増え、その内容も俺は非常に気になって仕方が無かった。
ちなみに谷口が負のオーラを纏って凹んでいたことは言うまでもない。



 チャイムも鳴り響き、見覚えのある数学教師が出て行って今は昼休み。
教室にハルヒはいなかった。テストも終わって、自分的には満足できる成績を修められ、もう一年次は残り少ない日数をゆったりと過ごすのみだった。
あのとんでもない空間に巻き込まれてからまだ一週間も経っていないが、なぜかもうだいぶ昔の事の様に感じられる、そんなノスタルジーに染まりつつあった俺だった。
もう春先。冷たい風に紛れて暖かい風が少しづつ吹き始めている。桜のつぼみも後少しだろうか、学校周辺が段々と色気づいていく。
暖かい日差しが降り注ぎつつも名残りの冷たい風が吹く。変わるようで、変わらないような、意味もなくなぜか慈しみ、懐かしみを抱いてしまう。
そんな春の浅い日だった。
ハルヒがいないのもいつものことだが、なんか今日はいつもと様子が違ったっけな。
「涼宮?中庭の方に歩いていったぜ?また何か企んでんのか?」
売店からパン袋を右手に戻ってきた谷口が俺に言った。
「仕方ない。行ってみるか。」
あそこはあいつの指定席だ。あの文化祭の時の様に、なんか落ち着かないのかね。
どうせ一人で寝っ転がっているんだろう。ちょっかい出しに行ってみるか。
「頑張れキョン。僕はとても手を出す気にはなれないけど」

何をどう頑張ればいいのやら。

右手に閉じた携帯を携え、国木田が妙ににやついている。こいつがそういう表情をするのも珍しい。

「どうしたんだ?お前」

「別に何もないよ。単に上機嫌なだけ。昼休みもそう長くないんだから早く行ってあげた方がいいんじゃないかな」

「そうだ、行って来い。そして頑張って来い」
だから、何をどう頑張れと言うんだ。
…ああ、それより言い忘れてたことがあったな。
「今回は助かったぜ国木田。ありがとよ」
「いいんだよ、僕も楽しかったからね。やればキョンもできるんだよ。谷口もやればいいのに」

愚痴を漏らしながら鼻を鳴らし、背中を反らす谷口。
それを見て俺は、テストが返ってきた時の俺に対するリアクションを思い出し、少しだけ吹き出しそうになった。
悪かったないい点とっちまって。俺は勉強したんだよ。あらゆる方面にな。



昇降口を出てそのまま勢い中庭へ向かった。
おそらくハルヒがいるであろう、あの木の下へ。
陽だまりが眩しく、冷めた風が心地いい。
なんとなく早足になって、俺はハルヒの元へと歩き出した。

中庭にぽつんと、制服姿が一つ。
案の定、思った通りの場所で、ハルヒは木に寄りかかって呆けていた。
そこそこ絵になるであろう情景と言えるだろうが、いかんせん相手はハルヒ。近づく人間は誰もいないのであった。

「あら、どうしたのあんた?なんで来たの?」
ハルヒが俺に気づいた。やはり少し変な感じだ。
俺はハルヒ隣で立ったまま木に寄りかかる。
「別に。来ちゃ悪いか?お前がなんかへこんでたからちょっかい出してやろうと思っただけさ」
ひっぱたかれる覚悟で言ったが、ハルヒはあまり気にかけていないようだ。
「うっさいわね。…まあちょうどいいわ。へこんでなんかいないわよ。でも、ただ…さぁ
そう言ってハルヒは腕を枕に寝転がる。いまいち要領を得ないな。なんだか調子狂うぞ。
「どうしたんだ。道端に落ちてたコロッケでも食べたのか?」
「あんたじゃあるまいし、そんなことするわけないでしょ」
俺でもそんなことしてたまるか。



ハルヒは俺のことを気にしているのかいないのか、
空を見上げ遠い目をしたまま言葉を発していく。
「あたしたちさ、これからどうなっちゃうんだろうね」
は?なんだそりゃ。
「何か悩みでもあんのかよ。お前みたいなやつでも」
今度こそ叫び倒すか?むしろそっちのほうがハルヒらしいと思う俺は末期なんだろうな。
「別に。一年最後のテストが終わっちゃったでしょ。そしたら、もうすぐあの教室ともお別れして、あたしたちは進級して、二年になって、みくるちゃんは三年生になって。
…そしたらさ、みんなもやりたいこととか、自分の夢とか、そういうのができちゃってたりして、
それでも、あたしたちはさ。今まで通りにみんなで遊んだり、笑ったりできるのかな、って…そう考えていたのよ」
その言葉を聞き、俺は何を言ってやればいいのか、まるでわからなくなってしまった。
ハルヒは今、何を考えているのだろう。
こいつの思考が全く読めなかった。
「どういう意味だ?進級くらいでそんなに焦る必要あるのか?」
ハルヒは上半身を起こし、俺は木のそばで隣に座り込んだ。
「なんだかね。最近、バラバラになっちゃったらどうしようって思っちゃったことがあるの。
あたしは今、この空間が好き。SOS団でみんなといるのも、遊ぶことも。
最近はクラスにいるのもそう悪くは無いと思えてきた。
あたしはいつの間にか誰かといることが億劫じゃなくなってきてたの。
だから、この空間がバラバラになっちゃうのが、嫌。
あたしは大して友達という友達もそんなに多くないし、二年になってみんなバラバラになったら、あたしはそのクラスで我慢できるのかな…って」
いつにもなく弱々しい声。何故だろう。とてもらしくない。
「大袈裟だ。たとえクラスが変わっても、俺はあの部室に行くし、長門も朝比奈さんも古泉もあそこにいるさ。
たまに鶴屋さんが乱入してきたり、おまえが国木田や谷口を巻き込んでくるかもしれない。それでいいじゃないか。お前は、どうしたいんだ」
ハルヒは少し顔を俯かせ、考えこんでいるようで、慎重に何かを呟いていた。
俺にもハルヒにも冷たい風が吹きつける。そして木陰を包んでいるようだった。
ま、今更俺は気にしないがな。

「そりゃ、あたしはまだあそこにいたいわよ。周りに誰もいなかったらなんかそわそわするわ。キョンがまた馬鹿なことしてないかってさ」
心外だ。少なくとも自分の意思で馬鹿なことをしているつもりは無い。
「でもね。自分の中でもちゃんと分かってる。ずっと同じ時間、場所にいることはできないってこと。
遅かれ早かれ別れることになる、それは高校生活の中で起こるかもしれないし、ずっと先の将来かもしれない。
でもそれはきっと起こるの。
そのとき、あたしはどうするんだろう。みんはどうしてくれるんだろう。
気がついた時にはもう、あたしの目に映ってるのはみんながバラバラに歩いていく後姿だけだったら。
そう考えてたらなんか気分がどんどん憂鬱になってきてさ」
人との関係でこんなに悩むハルヒを見るのは初めてだった。
多分これは、ハルヒが人生で初めて思い当たった悩みなのだろう。
対人関係で悩むハルヒ。これはこいつもだいぶ変わってきた証なんだろうか。
「将来、あたしの近くには誰がいるんだろう」
暫くの間、沈黙が二人を包んだ。
風が草木をなびかせ、力の失くした雑草を軽やかに飛ばしている。
ハルヒは木に寄りかかり、何も考えてなさそうにただただ空を見上げていた。
そして俺はどう言葉を切り出していいか考えていた。
「お前はどうするんだ。……時間を巻き戻したいとか、思ったりするのか?」
「そんなことしないわ。でも、前のあたしだったらどうしていただろう。思ったことはあるのかも知れない。
でも今はそんなことしたって何にもならないってわかってるつもり。
あたしって、変わったと思う?あたしは…」
ハルヒが少しやさしげな顔を、いや、少し弱気なんだろうか。ますますらしくない顔をしている。
「あたしは置いてけぼりにされたりするのかな」
ハルヒはこっちを向いて、穏やかな声で訴えかけるというより、呟いていた。

脳内で考えを巡らせる。言葉を捻り出すのに、これほど苦労したのは初めてだ。
「…さあな。お前と違うクラスになろうが、俺はまだSOS団なんだろ。俺はそれで構わないし、あいつらもそうだろう。さっきも言ったろ。それでいいんじゃないか?」
ハルヒは空を見上げた。どんなリアクションをとってくれるだろう。
「それはそうだけど、でも」
掌をあいつの目の前に。俺は言葉を遮った。

「少なくとも俺は、置いてけぼりにしない」

時が止まった、気がした。
じゃあとりあえず動かそう。じゃないと話が進まない。
「じゃあこうしてくれ。俺がなんか馬鹿なことをしそうだったら、真っ先に俺を止めてくれよ。
その時だけなら俺をひっぱたいてくれてもいい。ぶん殴ったってかまわない。
俺を引きずって、お前の近くに連れてきてくればいい」
「え…それってあんた」
「いいかハルヒ。お前がそういう風に悩んでいてもはっきり言ってらしくない。
お前がいつも通りにして、いつも通り俺達を引きずってでもつれてってくれたら、今はそれで十分だぜ。
その代わり、お前が馬鹿なことをしそうになったら、俺がお前を引きずってでも止めてやる」

それを、あいつらもきっと望んでいる。俺も、望んでいるんだ。
ハルヒは呆気にとられていたのだろう。
口をポカンと開けて俺を見ていた。
「今の俺は、それでもいいと思ってるからな」
そして、ゆっくりと、笑った気がした。
その時、俺とハルヒの周囲を暖かい風が包んだ気がした。きっと気のせいなんだろうけどな。

「キョン」
ハルヒが今までとは違う表情でこちらを見た。
なんというか、なんとも捉えがたいものだった。
どんな表情かはみんなに任せるよ。たまにはこういうのもいいだろう。
と、俺がなんとなく心の中でまとめに入っていると

ガンッ!

ハルヒの右ストレートが俺の顎に直撃。思わず叫ぶ。
「いったいな!せっかく見直してもいいかと思ってたのにお前ってやつは…」
ハルヒが俺のネクタイをつかんだ。その時俺はテスト前国木田と一緒に連れまわされたことを思い出した。
だが、それはそれで別の話だ。
「うるっさいわね!そんな細かいこと気にしない!」
いつものこいつに戻っていた。…全く、やはりこいつに悩みなんて無用の代物か。
「それよりキョン。あんたお昼ご飯食べた?」
「あ?いやまだだ」
ハルヒはニヤリと邪悪な笑いを浮かべる。
嫌な予感。きわめていつもどおりだ。
そして後ろから、雑踏を踏む複数の人間の足音が聞こえてくる。
ハルヒがそいつらに反応する。

「遅いじゃない。連絡したでしょ。ちゃんと」
一人がさわやかにリアクションをとる。
「申し訳ありません。まあ、頃合を計っていたとでもいいますか」
一人がおずおずとリアクションをとる。
「ご、ごめんなさい。ちょっと色々あって」
一人が言うに足らずのリアクション。
「……」
それぞれ全く異なるキャラクターを以ってこっちに歩いてきている。
「ま、いいわ。キョンと時間潰しはできたしね。じゃ行く?」
それはそれはと言って古泉が俺にさりげなく近づいてきた。
「先ほどは名演でしたね……いや実に」
ぐはっ!
ごめんなさいと言って朝比奈さんが俺にすれ違い様に呟いた。
「ふふ。涼宮さんって本当にいい人達に囲まれてますね。見てました」
ごはっ!
無言を貫いていた長門が俺に近づいてきた。
「……面白い人」
俺は死んでしまった!

王様が俺を半ば貶し気味に嘆く姿が浮かんだが、現実的には死んでいないのでそちらの世界へ逝くわけにはいかない。
赤面で死んでしまいそうだったのでとりあえず話を逸らすことにした。

「で、どこに行くって?」
ハルヒがこっちを向いた。
「どこって、食堂よ」
食堂?なんでまた。
「ああ、あんたは連絡する前に来たもんね。テストも終わったし。たまにはみんなでお昼でも食べようってね。みんなに連絡したの。国木田は……ああ、キョンがそっちだから谷口と食べるってそういう意味だったの。やっぱあいつ言葉選ぶのが巧いわ」
なるほど。俺から向かわずともここに来る手筈になっていたわけだ。
愚かしくもとんだ早とちりをしてしまったわけだ。
そしてハルヒが悪意ある目つきで聞き捨てならぬことを俺に言い放った。
「もちろん、あんたの奢りでね」
はぁっ?
反射的に古泉を見る。なんとか言え。
「僕らもそう聞いていましたよ。いやぁ、あなたも中々懐がお広いですね」
マジか。その右にいた人を見る。
「え、はい。そう聞いてます」
朝比奈さんが快活に答える。さらにその右。
「……わかめ蕎麦」
長門がフライングをした。
「あんたねえ。約束、覚えてる?」
約束?なにそr…ごはぁっ!

何をされたのかは想像に難くないであろうことだから語るのはやめておきたいと思う。

俺にとっては不意打ちで、ハルヒはどっかで見たようなちょっと照れている表情をした。目線を若干逸らし、くぐもった声で言った。
「…指きりよ」
は?ああ。そういうこと。

――誓いを破ったら昼ごはん一週間おごりだからね!――

 

はあ、俺はなんてアホな約束したんだろうな。
よりにもよって一週間?アホか。
それでも一応反論はしてみる。
「なんで破ったことになるんだよ。自分的には大満足の成績だったぞ」
「何言ってんの。五番以内に入れなかったでしょ。なっさけない」
そんな異常者の集う競争に俺を巻き込むこと自体が過ちであると知れ。
と言う気にはならなかった。いい加減頭が叩かれすぎて以前より馬鹿になりそうだ。
「まったく、俺の馬鹿」
ハルヒがまたネクタイを掴んだ。
「そんなの知ってるわ。じゃ行くわよ」
俺のネクタイを引っ張り、ズカズカと歩きだす。
「わかったから離せ。苦しいって、首絞まるっておい」
「みんな何食べる?キョンの奢りも久しぶりねー」
相変わらず聞いていない。
…今に始まったことじゃない、がそれだけに少し情けない。
「では、僕はとりあえず缶コーヒーでいいですよ。ご心情お察しします。それからは着いたときに」
「ごちそうになります。ごぼう天うどんで」
「……あと親子丼」
こいつらに遠慮の二文字はないのか。特に長門。
そうして俺達は五人揃って歩き出した。

 



ま、いっか。今日くらいならなんとかなるだろう。その後の事は、できる限り交渉してみせるさ。
なんだかんだ言って楽しい。それを否定するつもりはなかった。
そしてハルヒはまさに今を楽しんでいると言わんばかりに通路を闊歩していた。
それぞれがそれぞれの歩調で。でも乱れてしまうことはない。
ここの居心地は最高だった。
最後尾で本を読む長門も。ハルヒと取り留めの無い話をする朝比奈さんも。俺の隣でオブザーバーを決め込んでいる古泉も。
そしてハルヒも、きっとそう思っているのだろう。
それでも、今のハルヒの頭の片隅にはさっき言っていた悩みが貼りついて離れないるのだろうか。
この五人で作ったサークル。これはいつまで続くのだろうと。
その気持ちは本当によくわかる。その位俺も思ったことはあるさ。
これがいつまで続くのか。それは誰にも解らない事なのだから。
俺達だっていつか散り散りになる時が来る。それは確かな事だろう。
いつになるかは解らない。でも、それはいつか必ず来るんだ。
どれだけこいつらがいいやつらだと言っても、いや、最高の仲間だからこそ、それは必ず訪れるのだろう。
誰だって、どんな奴だって、いつまでも同じ場所、同じ輪の中にいることは出来ないんだ。
だから、だから俺達にも、そんな時がきっと来るだろう。
でもな、そのとき俺達がすべき事は、時間を巻き戻すことでも、世界を再構築する事でも無い。


俺達がすべき事、それは……ま、その時が来たら考えるさ。


今はただ楽しむことを。それがベストと言えなくとも、ベターであると俺は思う。
浅い春の出迎えとともに、薄れる冬を五人で歩いていた。



そう、いつかその時が来たら。


                                 おわり。

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