冬のある日の公園で

 駅前公園。
 私はベンチに座って、本を読んでいた。
 冬の寒空のもとで、そんなことをしている存在は、私だけ。周囲には誰もいない。

 いつもなら、観測対象の現住所の近くにある図書館で司書として働いているか、あるいは、観測対象といっしょにお茶でも飲みながら取り留めのない話を聞き流している時間であった。
 しかし、今日だけは、特別な日だから。

 任務上の問題は特にない。
 観測対象を常に直接観測する必要性はないし、間接観測する手段はいくらでもある。
 観測対象に不測の危険が襲った場合には、空間移動で現場に駆けつければよい。申請などしなくてもそれぐらいは自由にできるだけの権限は与えられている。

 この日をこうして一人だけで静かに過ごす習慣になったのは、いつごろからだったろうか?
 記憶をたどれば、正確な年月を特定することは容易だが、そうしようとも思わない。意味がないから。

 今、私が読んでいるのは、恋愛小説というカテゴリーに属するもの。
 毎年、この日に読むものは、このカテゴリーに属するものと決めている。
 理由は特にない。強いて理由をあげろといわれれば、そういう気分だからとでもいうべきなのだろうか。



 私は、4時間14分23秒の間、ゆっくりと本を読んでいたのだが、近づいてくる生命体の存在を感知して顔を上げた。
 その生命体を視覚でとらえ、分析を完了する。
 「彼」だった。
 いわゆるサラリーマンである「彼」は、通常であれば、勤め先で勤務中の時間のはず。今日は休暇だろうか。
 いや、その前に疑問に思うべきことがある。


 なぜここに?


 「彼」は私に近づいて来ると、極めて自然に話しかけてきた。あのころと同じように。
(キョン)「よう、長門。久しぶりだな」
 私は、黙ってうなずいた。
(キョン)「なんかこう、懐かしい場所だな。ここにはよく来るのか?」
(長門有希)「特段の事情がない限りは、毎年この日にはここで過ごすことにしている。本当なら、北高周辺にしたいが、座る場所がない」
(キョン)「この日に北高周辺か……。いや、まあ、なんとなく意味は分かるが……」
 「彼」に理解してもらえるのは素直に嬉しい。


 しばらく、沈黙が続いた。


 「彼」の感情を分析する。分析結果は、「言いたいことがあるのだが言い出せない」というもの。
 ならば、こちらから促すべきだろうかと思ったところで、「彼」は口を開いた。

(キョン)「よりによってこの日にこの場所で長門にこんなことをいうのも気が引けるんだが……俺とハルヒは結婚することになった」
(長門有希)「知っている。四日前に涼宮ハルヒから聞いた」
(キョン)「なんだ。ハルヒが先に話してたか……」


 再び、沈黙……。


 「彼」は、質問したいけど言い出せない。そんな様子。
 それを分析できてしまう自分の能力が少し疎ましく思えてしまう。
 そう。「彼」が私に質問したいことは、四日前に涼宮ハルヒが私に質問したことと同じ。夫婦は似てくるものだという人類の一般的格言は、精度が高い経験則なのかもしれない。

 だから、私は「彼」が質問するであろうことに先回りして答えた。


(長門有希)「私のあなたに対する好意は消えてはいない」


(キョン)「……そうか。でもなぁ、長門。おまえは結構モテるんだぞ。いつまでも俺なんかに……」
 私は、「彼」の言葉をさえぎった。それ以上「彼」に言わせるのはつらいから。
(長門有希)「その可能性は考慮してみたことはある。そして、あなた以外に可能性があるとすれば、唯一、古泉一樹であるとの結論に達した。しかし、私は古泉一樹に好意をもつことはなかったし、古泉一樹もまた同様」
(キョン)「そういえば、古泉の奴も独身だったな。あいつも、もしかして、まだハルヒのことが……」
(長門有希)「それはない。古泉一樹の涼宮ハルヒに対する感情については既に整理がつけられている。古泉一樹が現在好意をよせている相手は、同じ組織に属する身近な女性」
(キョン)「森さんか。なるほど。まあ、順当なところだよな」
(長門有希)「ただし、現在は、古泉一樹の一方的な感情でしかない。森園生は『機関』に属する時点で恋愛については諦める覚悟を決めている。それを変化させるには、長い時間が必要」
(キョン)「あいつなら、何とかするだろうさ。それよりもおまえのことだ」

 話が振り出しに戻る。

 あのときとは違って、今は感情という情報構造をコントロールできる自信はある。あのときのような暴走は二度としない。
 だからこそ、この感情を捨てることは出来なかった。

(長門有希)「私の気持ちは変わらない。あなたがたに迷惑はかけないと約束する。あのときの暴走を二度と再現することはしない。だから……」
(キョン)「分かった。長門は頑固だからな。おまえがそこまでいうのなら、俺はもう何もいわん。すまなかったな」

 なぜ、「彼」は謝るのだろう?
 謝らなくてはならないのは、むしろ、私の方なのに。

 「彼」も涼宮ハルヒも、私がこの想いを抱き続けることを許してくれる。
 二人とも、あまりにも優しすぎる。

(長門有希)「ありがとう」

 私から漏れた言葉は、謝罪ではなく感謝の言葉。



 私は幸福なのだろう。
 古泉一樹のようにその感情に整理をつけて、森園生のように恋愛を諦める覚悟を固めてしまった、朝比奈みくるよりは……。
 禁則で縛り付けられた彼女は、その想いを口に出すことすら許されなかった。
 彼女は、「彼」に何一つ告げることはなく、この時代を去った。今でもときどき遭遇することはあるが、練達の時間工作員として振る舞う彼女は、どこか寂しげだ。
 それに比べれば、私ははるかにマシなのだと思う。


(キョン)「まあ、それはともかくとして、今日一日ぐらいは付き合ってやるよ」
 「彼」は、そういうと私の隣に座ろうとした。
(長門有希)「駄目」
 私は、それをさえぎる。
 私は、今は感情という情報構造をコントロールできる自信があるのだから。 
 「彼」の優しさに甘えるのもほどほどにしなければならない。
(長門有希)「あなたのその行為は、一般的にいうところの浮気というもの」
(キョン)「ハルヒだって理解はしてくれるさ」
(長門有希)「駄目。あなたはすぐに帰るべき。あなたは、涼宮ハルヒに対して嘘の口実を告げて、ここに来た。違う?」
(キョン)「その通りだ」
(長門有希)「ならば、すぐに帰って謝罪すべき」

 私は、じっと「彼」を見つめる。
 「彼」を説得するには、これが最も効果的であることを私は知っている。
 
(キョン)「……分かったよ。じゃあな」
 「彼」は、私から離れるように歩き始めた。

(長門有希)「待って」

 「彼」が振り向く。

 まだ言っていない、言うべき言葉を口に出す。
(長門有希)「おめでとう」

 彼は照れたような笑顔になった。
(キョン)「ありがとうな。結婚式、楽しみにしててくれよ。ハルヒの奴も妙に張り切ってやがるし」

 私は黙ってうなずいた。



 それは、ある年の12月18日のことだった。


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