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 『彼女』が涼宮ハルヒと朝比奈みくると共に騒いでいる。
 彼女がメイド服と称される服装をしていたのは、先々週までの事。
 先週は確か、一般的に看護士と呼ばれる職種のものが着る服装をしていた。
 本当の看護士が着るにしてはスカートが短すぎて機能的ではない。
 そのことを彼女に指摘したら
「コスプレ用だからな、これは」
 という返答を貰った。
 余り晴れやかとは言えない表情。
「コスプレ用?」
「あー、細かい事は気にするな、まあ、本物じゃないってことだ。私にナースのスキルはないしな」
「……そう」
 服を着ている事情は良く分からないが、本物ではないという事は理解できた。
 専門職の職業用の衣服に似せた、偽者の衣装。
 何の意味が有るのだろうか。
 わたしには分からない。
 今日の彼女達の服装は、チアガールと呼ばれるものらしい。
 わたしの知識にはないものだったが、彼女達の言葉から判断した。
 スポーツ選手などを応援する時に使うものらしいが、この団体の活動内容にそんなものが含まれているとでも言うのだろうか。
「よし、じゃあ、応援の練習に行ってきましょう!」
「はい!?」
「ほへ、この格好で部室の外に出るんですかぁ?」
「そうよ。だってせっかく着替えたんだもの、ちゃんと生かさないとね!」
 涼宮ハルヒが何かを言い出し、彼女と朝比奈みくるがその話に巻き込まれていく。
 わたしは既に何度か似たような光景を見ている。
 三日ほど前、三人は、ケーキ屋の開店祝いが有るからといって出て行ったきり、その日の内に部室に帰ってくることは無かった。
 わたしは彼女達の会話を聞きながらも、本を読み続ける。
 インターフェースの性能を持ってすれば、そのくらいの分業は容易い。
「んじゃ、行くわよ!」
「わ、バカ、引っ張るな」
「はわわわ~」
 そうして、三人が部室から消えていく。
 わたしは三人が出て行くときに扉の方まで移動し開かれたままになっていたドアを閉めたが、それ以上のことは何もしなかった。
 それ以上……、それ以上とは、何だろう。
 わからない。わたしには、わからない。
 わたしは観察者。彼女達の周囲を見るのが役目。
 巻き込まれたい? 違う。そうじゃない。
 観察者として、自主的についていくべきだったか? それも、違う気がする。
 ……では、何だろう。
 思索の途中、わたしは部室に近づく気配に気づく。ある程度接触のある人間なら、扉の向こうであっても、誰が来たか判別できる。
 彼が、扉の前に立ち、扉をノックする。
 わたしはただ、扉を見上げる。
 それ以上のことを、わたしは知らないから。
「……こんにちは、やっぱり長門さんだけでしたか」
 古泉一樹が扉を開け、部室に入ってくる。
 そのまま部室の中にあるパイプ椅子の一つにでも座るのかと思ったら、彼は、わたしの傍までやって来た。
 わたしは本から顔を上げ、彼の顔を見上げる。
 何時もながらの笑顔で、彼はわたしを見下ろしている。
「僕が貸した本、読んでくれているんですね」
「……そう」
 今わたしが読んでいる本は、彼に借りたもの。
 彼が、貸してくれたもの。
「面白いですか?」
「……ユニーク」
「それならよかった」
 彼はそう言うと、わたしの傍から離れ、部室に備え付けられた棚からチェス盤を取り出し、そのチェス盤を机の上に置き、チェスの駒を並べ始めた。
 長い指先がチェスの駒を並べている、ただ、それだけの光景。
 読書をするわたしと同じくらい、自然と、そこに溶け込んでしまえるような、日常的という単語に該当しそうな、彼の、彼だけの時間。

 読書とチェス。
 切り離された時間の進行同士の距離は、どのくらいだろう。

「一緒にやりますか?」
 不意に、時間同士が途切れ、彼がわたしの方を見てそう言った。
「ルールを知らない」
「僕がお教えしますよ」
「……」
「それとも、僕ではお嫌、」
「違う」
 そういうわけではない、と思う。
 彼に、何かを教えてもらえる。
 わたしは、それが嫌だとは、思わない。
 思う……、という感覚自体が、未だにどこかあやふやな物であること自体は認めざる終えないけれども。
「じゃあ、こっちに来てください」
「……分かった」
 わたしは本に栞を挟み、彼の向かい側の席に移動した。
「良いですか、これは、」
 良く通る彼の声が、チェスのルールを説明してくれる。
 わたしは実際に駒を手に取り、それを動かしていく。
 彼の説明は、分かりやすかった。


 約一時間後。
「……参りました」
 わたし達は二度目のチェスの勝負を終えていた。結果、二回ともわたしの勝利。
 わたしは勝負の少し前にチェスを教えられた身で、当然、彼以外の人間のチェスの腕前など知らないわけだが、これは、彼が弱い、ということなのだろうか。
「長門さんは強いですね、僕には敵いそうにありません」
「……そう」
「これじゃ、勝負になりませんよね」
「……」
「すみません、あの、」
「気にしなくて良い」
「えっ、」
「気にしなくて良い……。わたしは、多分……『満足』という状態に有るから」
 自分の状態を定義する言葉は、どこか曖昧。
 充足、充実、満足……、端末に過ぎないわたしという個体に、そのような状態の定義が必要かどうかすら、わたしには分からない。
「そうですか、それは良かった。どうですか、出来たらもう一勝負」
 彼の提案、頷こうとするわたし。
 けれど、わたし達の意思伝達は、急速に現れた気配によって遮られることとなる。

「たっだいまー!」

 部室を出ていた三人が、戻ってきた。
 元気そうな涼宮ハルヒの後ろに、疲れた顔の彼女と朝比奈みくる。
「お帰りなさい」
「あら、古泉くんも来てたのね」
「ええ、一時間ほど前に」
「待たせちゃって悪かったわね。あ、これお土産だから食べてね」
 涼宮ハルヒがそう言って、近くのコンビニエンスストアのものらしい袋を彼に向かって差し出した。中に入っているのは、アイスクリームと呼ばれる氷菓子を始めとした菓子類。
「……お土産?」
 彼が困惑した顔をしている。
 チアガールと、お土産。……情報を解析、関連性が得られない。
 彼も、わたしと同じように考えているのだろうか。
 ……彼も。
「そ、お土産よ。応援する代わりに代金として頂いてきたってわけ」
「ああ、なるほど」
 涼宮ハルヒのその言葉だけで、彼は理解に達したらしい。
「奪って来たってのが正解だろうが」
「あら、これは正当な取引の結果よ。それにあたしとあんたとみくるちゃん三人分のチアガール姿に比べれば、全然安いくらいよ」
「あのなあ……」
 涼宮ハルヒは上機嫌、彼女は呆れ顔、彼は笑っていて、朝比奈みくるはほんのすこし困惑顔。
 わたしだけが、状況に着いていけないまま、ただ、取り残されている。
「とりあえず、いただきますね」
 彼はそう言って、ビニール袋の中からアイスを一つ手に取った。
 どこにでも売っているような、ただのバニラアイス。
「うんうん、食べちゃって良いわよ。あ、有希も食べなさいよ」
「……」
 涼宮ハルヒが、わたしにビニール袋を押し付ける。
 ビニール袋には、アイスが三つ。バニラアイスは……、無い。
 わたしは少し考えてから、イチゴ味を手に取った。
「んじゃあたしはこれ、はい、みくるちゃん」
「あ、はい、あれ、でも……」
 涼宮ハルヒがチョコ味を手に取り、朝比奈みくるがオレンジ味を手に取る。
 アイスは、これで終わり。
「おい、私の分が無いぞ!」
「あんたはサボっていたから無しよ!」
「なんだよそれ!」
「だってあんたの動き方、ぐだぐだ過ぎたじゃない」
「あのなあ、私はあれでも」
「まあまあ、お二人とも、落ち着いてください。……半分食べますか?」
 涼宮ハルヒと彼女の間に割って入った彼が、彼女の方を見て、そう言った。
 その手には、食べかけの、バニラアイス。
「……まあ、それで良い」
 すっと、彼女の表情から苛立ちの色が消える。
「古泉くんったら、キョンに甘いわね……。まあ、良いわ」
 その光景を見た涼宮ハルヒも、引き下がる。
 彼は、何も言わずただ曖昧な笑みを浮かべている。
 わたしには、その表情が表すものを解析することは不可能。
 わたしはただ、彼が食べかけのアイスを彼女に手渡す光景を、視線で追っていた。
 彼女の頬が、ほんの少しだけ高潮している。
 僅かな体温の上昇、それを見ても表情を変えない彼。
 彼女の表情が、元に戻る。
 彼女の手には、食べかけのバニラアイス。
 彼の、食べかけの。
「あ、有希、アイス溶けちゃうわよ」
「……」
 何時の間にか、わたしの手の中で、カップの中のアイスが少し溶けていた。
 端末とはいえわたしも有機生命体と同じ体温を持つもの。その手に触れていれば、冷却保存が前提のアイスが溶けるのは、当然のこと。
 そう、当然のこと。
「有希って結構とろいわよねえ、これじゃあ……」
「……食べる」
 わたしは涼宮ハルヒの指摘を受け流し、溶けかけのアイスを食べきった。


 翌日、昼休み。
 何時ものように読書をしているわたしのところへ、来客が来た。
 少し、珍しいこと。
「やっぱり居ましたね。……はい、どうぞ」
 ノックをしてから入って来たのは、彼だった。
 彼が差し出して来たビニール袋に、バニラアイスが二つ。
「……」
 わたしは無言で、ビニール袋の中を見つめた。
 昨日見たのと同じ、バニラアイス。
 昨日と、同じ。
「昨日のあなたを見て、バニラアイスが食べたいのかなと思っていたのですが……、違いましたか?」
「……違わない」
 そう、違わない。
 昨日の私は、確かに、バニラアイスが食べたいと思っていた。
 昨日の時点では解析し切れなかったけれども、改めて振り返って行動を見直して見れば、そういう意味だと解釈することが出来る。
 端末に過ぎないわたしに味覚的な趣向が有るというのも、おかしな話だけれども。 
 でも、今は……、わたしは、本当に、バニラアイスが食べたいのだろうか?
 このビニール袋の中、二つのバニラアイスを見ても、食べかけのバニラアイスを見たときと同じような感覚には辿り着かない。
 一度理解できたはずのものが、また、手の中から滑り落ちるように、理解の外へと弾かれていく。
 ……何故?
「長門さん?」
「……」
「アイス、食べませんか? 溶かしてしまうのはもったいないですし」
「……」
 彼にアイスを手渡され、わたしがそれを受け取る。
 僅かに、手が触れ合う。
 伝わってくる、彼の体温。
「……」
 わたしは無言でバニラアイスを受け取り、それを食べ始める。
 彼もまた、自分の分のバニラアイスを食べ始める。
 今は、わたしと彼が、同じことをしている時間。
「長門さんは、食べるのが早いですね」
 わたしが食べ終わった時点で、彼はまだ食べかけだった。
 体格と食べる速度というものは、比例しないもののようだ。
「なんでしたら、僕のも食べますか?」
「貰う」
 彼が差し出した食べかけのアイスを、わたしは躊躇うことなく受け取った。
 他人が食べていたものは、衛生的に、などという常識が頭の中で巡る合間さえなかった。

 二つ目の、彼の食べかけだったバニラアイスが、一つ目のものより美味しい気がしたのは、どうしてだろうか。


 後編へ続く

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