冬休みも明けて、数週間が経った。
実力テストという忌ま忌ましい魔物から命からがら逃れた俺は、久々に平凡なる毎日を送っていた。
今日という日も、その例外に漏れずこれといった事件や異変などは起こらなかった。
空はすっかり夕時にさしかかっていて、少し積もった雪が茜色に染まっている。
あの急な坂道をここから上りきったら、赤い屋根が目印の我が家に到着するであろう。
ほとんど淀みない動作で靴箱から靴を取り出す俺の足元に、一通の手紙が落ちてきた。

「  今日の放課後 1年5組教室にて待つ  
                  長門有希  」

特徴のない、機械的な文字でそれは書かれていた。
……おかしい。いつもの長門なら、まずこんなことはしないだろう。
4月のあの日のように、あいつは本に挟んだ栞を使うはずだからだ。
といって、ほかに誰がこの手紙を書いたのかと問われると、とんと考え付かない。
以前朝倉にこんなことをされたが、その朝倉は長門によって消されている。
ハルヒや朝比奈さん、そして古泉はこんな字を書けるはずがない。
谷口の悪戯、ということも考えられるが、長門に成りすます必要性がない。
じゃあ手紙を書いた主は一体誰なのだろうか。
そんなことを考えつつも、俺の足は自然に教室へと向かっていた。

誰もいないはずの、夕方の教室。
俺がそのドアを開けると、すでに長門はそこにいた。
「よお。どうしたんだ、こんなところへ呼び出して」
「…あなたに、話がある」
「そうか。言ってみろ」
「……あなたは、ここで何を思い出す?」
「は?」
「あなたは、誰かにここへこの時間に呼び出されたことがあるはず」
「朝倉のことか?」
「そう。あなたはここで、朝倉涼子に何をされた?」
「えーっと、確かわけのわからないことを延々と聞かされて、それから突然ナイフを突きつけられて…」
いつの間にか、俺が長門に話をしてしまっている。
なんだって長門は、こんな話を俺にさせているのだろうか。
朝倉に殺されかけたことを二人で振り返って、そこから長門は何をしようというのか。
いまさらそんな出来事、おとぎ話にすらならないのに。

「…あなたから話を聞けたことに感謝する。では、そろそろ本題に入ろうと思う」
「本題?」
「最近、情報統合思念体の情勢が変わってきている。特に、急進派」
「急進派?」
「急進派が、最近急激に力をつけてきている。おそらく、これまでにないスピードで」
「というと、また朝倉みたいなやつが来るのか?」
「違う。彼らは、わたしたち主流派や穏健派を大量に寝返らせている」
「ん?どういうことだ?」
「つまり、情報統合思念体の中で急進派の割合が高くなっている」
「なるほど。しかし、どうして俺にこんな話を…」
「実は、……わたしもその中の一人」
「は?」
「突然、思念体からわたしは、あなたのことについて命令を受けた」
「……」
何故だか、奇妙な感覚に包まれるような感じがした。嫌な予感、と言うのだろうか。

「あなたを殺して、涼宮ハルヒの出方を見ろ、と」

嫌な予感が、確信と悪寒へと変わった。

次の瞬間、長門はいつの間にか右手に持っていたナイフを振りかざし、俺のところに走ってきた。
「うをっっっ!!」
日本語にならない声をわずかに上げて、何とかよけることはできた。
それにしてもこの急な展開はなんだ?なぜ長門が俺を殺そうとしているんだ?

教室のドアは4月のごとく、開けることはできなかった。
多分、この空間は長門の情報管理下におかれているのだろう。逃げ出すことはできない。
ナイフを持つ彼女から逃げる俺の脚も、次第に限界へ達しようとしていた。
息も荒くなり、とうとう俺は走るのをやめてしまった。
すると、長門も足を止めたらしく、俺はナイフが刺さる衝撃を感じなかった。

俺は長門のほうへ向き直り、話しかけた。
「な、なんで、お前は、お、俺のことを………」
「あなたにはすまないことをしたと思っている。でもわたしは、思念体の命令には従えない」
「俺を、殺す、以外に、方法は、ないのか?」
「涼宮ハルヒになにかしらの行動を起こさせるには、この方法しかない」

ふつふつと、怒りがこみ上げてきた。情報統合思念体に、そして長門にも。
八つ当たりだということは分かっているが、言葉に出さずにはいられなかった。
「俺は…ずっと、長門のことを信じていた。
 困ったことがあったら、いつでも長門に頼ればいい、そう思っていた。
 でもお前も所詮は、上司の命令ひとつで俺たちを裏切る、そんなやつだったんだな。
 ふざけんな長門!なぜ俺たちより思念体のほうに………」
「わたしだってあなたを殺したくはない!」

初めて長門が、大声を出した。
俺もびっくりしたが、当人は俺の数倍はびっくりしているようだ。
「……そう。結果的には確かにわたしはあなたを裏切った。
 対有機生命体用ヒューマノイド・インターフェースも、所詮はただの道具」
そして長門はうつむく。
「わたしには、有機生命体の死の概念は分からない。でも…、あなたを殺すことがわたしはつらい。
 本当に……ごめん……なさい……」
涙を流してまで謝る長門を、俺は直視できなかった。
こんなに俺のことを健気に思ってくれている人に、俺はなんたる暴言を吐いてしまったんだ……。

しばらくして、長門は顔を上げた。
「最後に聞いてほしいことがある」
「………」
「うまく言語化できない……けど、わたしはあなたを……愛してる」
長門はそう言うと、俺のところにナイフを突きつけて走ってきた。
この世の終わりを悟り、俺はゆっくりと目を閉じ―――

―――ドスンッ。
鈍い音とともに、なぜか背中からその衝撃は訪れた。
これが……死ぬというものか……。俺はゆっくりと目を開けた。
しかし、俺の目の前に広がった風景は三途の川などではなかった。
目線の真上には、この時間帯なら点灯してはいないであろう蛍光灯。
左を見ると、教科書や参考書などで少し散らかった勉強机。
そして右を見ると、部屋の数割のスペースをとっているシングルベッドがでかでかと………。

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