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「前回までの粗筋です。
とりあえずなんかそんな感じの展開を繰り広げた放課後、機関から定期報告の催促がありました。
………
…な、長門さんがいらっしゃらないので、必然的に独りボケ独りツッコミになりますが…
そしてこの前フリも全て僕の虚しい独り言になってしまうのですが…
とりあえずなんかそんな感じ、って粗いにも程があるでしょうが…
………
……えーと……
…だ、だめだ。僕一人では間が持たない…!………
……あ、じゃあ早口言葉を…
あかまきまみ…
………
あかまきがみあおまきがぎっ!うあっ!
………
し、舌噛んだ……
………
えーっと…
………
……あ、コンセントを差し込む穴って、右より左の方が少し大きいんですよ、ご存じでしたか?
………
…………
……花嫁修行危機一髪・完、スタート…」

 新川さんに電話を掛け、自分の今の居場所を伝える。
毎回のことで、森さんの送迎のついでに僕も拾ってもらう。
「その手は?」
到着したタクシーに乗り込んだ途端、後部座席に座った森さんに鋭い声で聞かれた。
彼女は、僕の右手の中指と手首に巻かれた包帯を睨むように見ていた。

「体育の授業がバスケでして。僕としたことが突き指をしてしまいました。
手首は、その時に床に手を付き損ねて捻ってしまいました」
本当のことを言ってもいいのか悪いのか、区別が咄嗟にできなかったのでそれらしい嘘をつく。
ひとりの少女を救ったはいいものの、詰めが甘くて負傷しました――
そう言えば森さんに小馬鹿にされるのは確実で、その少女がインターフェイス(機関で言う所のTFEI)の長門さんだと知られたら、
ああそうですか、とはなかなかいかなさそうである。
「鈍臭いわね」
「あはは…」
僕や長門さんの背景事情に複雑なものを覚えつつ、
新川さんがハンドルを握る車は無事に機関の一施設に到着した。
「それで?今日は何故床屋に迎えを呼んだのかしら。いつもは美容院ではなかった?」
会議室に向かう途中、僕の隣でフロアを闊歩する森さんに引き続いて尋問される。
「手を負傷したのは三日程前の事で、本日涼宮ハルヒに無精髭を指摘されまして、その処置をと」
カッターを持った長門さんに追いかけ回されたことは勿論伏せる。
彼女の行動は陰謀があっての物では無い、
といくら僕が主張しても、聞き入れて貰えないのは目に見えているからだ。

森さんが興味無さそうに答え、僕達の前を歩いていた新川さんが、
ある扉の前で立ち止まり、ノックをする。
「古泉一樹、森園生両名を連れて参りました」
部屋の入口に立ち、頭を下げる。
「お待たせ致しました。古泉一樹、只今参りました」
「同じく森園生。失礼致します」
指定された席に座り、近状報告スタート。
が、会議の内容をひとつひとつ書いてもしょうもないだろうから、
異変が起きた時間まで物語をすっ飛ばそうと思う。別に面倒臭がっている訳ではない。
「本日の涼宮ハルヒですが、特に変わった様子は――」
その時だった、先程僕が言った異変が起きたのは。
「ぱーんぱっかぱ~ん!ぱかぱっかぱっかっぱ~ん!!」
「!?」
椅子から飛び上がりそうになった。音の発信地を探すまでもなく、余りにも近い所からそれは鳴り響いている。
「めろんぱんなちゃんだよーっ!!」
びたっ、と会議室に充満していた空気が、元から固かったと言うのにますます固くなる。
ごほん、と一人がわざとらしく咳をする。
「…森、会議中は電源を切っておくように」
「わたくしでは御座いません」
ばしっ、と森さんは噛み付くように反論し、右隣の僕を睨み付けた。

顔が否応なしに熱を持っていくのを感じながら、僕はそろそろと手を上げた。
会議室にある全ての目が僕に突き刺さる。目線がレーダー光線だとしたら、今の僕は間違いなく粉微塵だ。
「切りなさい」
「は、はい…」
タクシーから降りる際に電源は切っていたと言うのに、電話の着信音は始めから携帯に入っていた味気無い着信音2だったと言うのに、
こんなことを出来るのは、僕の知り合いにはせいぜいふたりしかいない。
重苦しい空気が肩に伸し掛かる中、僕は震える指で携帯を取り出し、
誰からの着信か確認もせずに、素早く電源を切ろうとした。
が、
「長門有希からです」
左隣の新川さんがそう言った瞬間、森さんに携帯を取り上げられていた。
相変わらずの視力とコンビネーションである。
やっぱり掛けてきたのは長門さんだったか。
「長門有希?TFEIの?」
訝し気に眉を寄せ、僕達の上司は、
「出なさい。音量をここにいる全員が聞こえる様、最大にする事」
と言った。
すかさず森さんが、ボリュームを限界まで上げた携帯を僕の前に置く。
全く、プライバシーなんてあったもんじゃない、と僕は半ば諦めの境地で、通話ボタンを押した。

耳に当てては鼓膜が痛いだろうから、携帯を近付けるのではなく、
僕が携帯に近付くために、体をテーブルに寄せる。
「もしもし、古泉です」
「こちら長門有希。応答せよ」
「してるじゃないですか。ご用件をどうぞ」
「今日は何時に帰って来るの?」
「すみません、今、会議…ではなくて、床屋が込んでいまして。終わり次第帰ります」
「そう。晩ご飯は何がいい?」
「あなたにお任せします」
「カレー」
「いや、それはちょっと。三日連続でカレーはキツ……!」
ヤバっ…!!
「そう。待ってる」
プチッ、ツーツーツー……
「……えと、その、あの、これは…」
椅子の上で縮こまる僕に集中する冷やかな目線に、
「今日は何時に帰って来るの?晩ご飯は何がいい?三日連続でカレーはキツい?」
森さんが見る者全てを凍らすような不敵な笑みを浮かべる。
そして、一言。
「説明して貰おうかしら、古泉?」

あはははは、実はですね、
森さん、あなたに言った、この右手のけがは体育の授業中のものではなくてですね、
実はその、長門さ…いえ、長門有希を庇った際に負傷しまして。
いえいえ、庇ったと言いましても、本棚の上から落ちてきたダンボールからです。
その時、その場には涼ハルヒも居まして、
長門有希は長門有希自身が持つ能力を使い、落下物から逃れる事は憚れた訳なのです。
涼宮ハルヒが目撃していましたから。
それを見た僕は、何故でしょうね、詳しくは僕自身解らないのですが、
とにかくダンボールと長門有希の間に割り込んでいました。気付いたら。

そして、その際ダンボールを背中に食らい、そのまま床に倒れたのですが、
床に手を付いたのは良いものの、些か失敗しましてこの通り…
え?そのまま倒れたのなら、長門有希を押し倒す体勢だっただろう?
えー、あー……全く、森さんもお人が悪い。
僕は前ではなく真横に倒れたのです。なので別に押し倒してなど…
何故、と言われましても、横に倒れたものは横に倒れたのです…
………。
………すみません嘘つきました……
…ええと、長門有希が尻餅を付いた状態で、そこに僕が屈むようにして庇ったので、
その際、倒れてきたパイプ椅子に、右手首を、あの、直撃、され、ました…
………。
……はい、ダサいですね、目茶苦茶ダサいですよね…
鈍臭いくせにフェミニスト気取ってんじゃねーよ…?
ちが、フェミニストじゃな…
鈍臭い、とろい、ダサいの三拍子…?
…うう……
え…新川さん?なんですか…?

男が泣いていいのは、両親が死んだ時とタンスの角に小指をぶつけた時だけだ…?
…そうですね、そうですよね。
…ん?あれ?と言うことは、
新川さん、あなたはタンスの角に小指をぶつけた時、泣いていらっしゃるのですか…?
わあああすみません!!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい落ち着いて下さい座って下さいっ!!
………。
はい、脱線しました、すみません。
それで、長門有希は僕に責任感を持った様で、
僕の右手が負傷してからここ三日、夕食を…
えと、彼女が彼女自身の家で調理を全て済ませ、僕の家に運んでいます。
はい、それだけです。それだけですよ。
………。
え?あ、あはは、嫌ですね。そんな、この真冬に汗なんてかく訳が…
あ……
…この部屋が暖房効き過ぎなのではないのでしょうか?
…一七度?
……ほら、最近エルニーニョ現象だとか地球温暖化だとか良く言われているではありませんか。
…とにかく、本日僕は床屋に寄ってから帰宅する旨を長門有希に伝えてここに来たので、
彼女は彼女の自宅で待機し、何時に料理を僕の家に運べばいいのか、それを先程の電話で聞いた訳なのです。
ご理解、して頂けましたでしょうか?


途中、何度も脱線しながらも、
長ったらしい説明を終え、僕はびくびくしながら会議室を見渡した。
「……えーと…」
「古泉」
「はっ、はいっ!なんでしょう!」
「何か、機関や君にとって不利益になるような事を長門有希にされたかね?」
はいっされましたー!!
鼻に栗を突っ込まれそうになったり、クラスで脱がされかけたり、
家に不法侵入されたり、完璧に脱がされたり、風呂に突っ込まれたり、
朝の五時に叩き起こされたり、愛人呼ばわりされたり、マル秘ノートを持ち出されたり、
尚且つそれをデパート全フロアに放送されたり、その他諸々!!
機関と言うか、もっぱら僕個人に不利益なことばかりが山のように!!
「いいえ。今の所は特に何も」
「そうか…」
少しの間考え込む素振りをが見られた。
「ならば、こちらからは何も能動的な行動は取らずとも良いだろう…」
森さんが発言したいのか、うずうずしている。
が、
「弱味を握られない様に気をつける事。もし弱点を突かれたら早急に報告せよ」
勇気イツキ伝説とか!日記とか!ポエムとか!もうばっちり握られちゃってます!!

機関と言うか、もっぱら僕個人の弱点が山のように!!
「はい、承知致しました」

「ただいま戻りましたー…」
くたくたになりながら、マンションの部屋の扉を開ける。つ、疲れた…
「お帰りなさい」
ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら、エプロンを装備した長門さんがお出迎えをしてくれた。
「遅かった」
「はは…予想以上に店が込んでまして…」
長門さんはお玉を持った右手とは反対の左手で、僕の髪を撫でた。
「髪、直った」
「はい」
「髭も」
「はい」
ちょっと気恥ずかしい。
長門さんが僕の頭から手を離したので、靴を脱いで部屋に上がろうとする。
「待って。やる事がある」
「?」
家に着いたと言うのに、靴も脱がずにすることとは?
僕が長門さんに言われた通り、玄関に突っ立っていると、
「ご飯にする?お風呂にする?それとも」
……待て待て待て待て待って!
「わ・た・し?」
新婚ジョーク!?
しかも、何ともご丁寧なことに「わ・た・し」の部分で長門さんは人差し指を左右に振り、
おまけに「?」の所で人差し指をそのまま唇に持って行っていらっしゃる。
大袈裟でもなんでもなく僕は、がくー、と脱力して玄関にへたり込んだ。

学校での僕なら、それではあなたプラスお風呂で、とかなんとか顔色ひとつ変えずに言ってのけ、
彼にど突かれるのだろうが、今はそのブレーキとなる人物の姿は見られない。
僕がうなだれていると不意に、ぼんっ、と白い煙が長門さんの両隣りから立ち込めた。
「有希もこう言ってるんだし、キスくらいならいいじゃない!減るもんじゃないもんね。
そろそろ有希にも教えてあげるべきだわ、
羊の顔していても心の中は狼が牙を向く、そういうものよ、って!」
僕から見て右の煙から、背中にコウモリの羽、頭に触角付きカチューシャ装備の涼宮さんが現れた。
「だっだだだだだめです!絶対絶対だめです!!
だって女の子にとってファーストキ…は、恥ずかしいのでここから先は言えません…
けど、こんな流れじゃ、だめですよう~!」
左からは、真っ白な翼を背負った朝比奈さんが――頭イカれたな、僕。
「いいじゃない!」
「だめですう!」
うるせー…
耳を押さえたい衝動に駆られていると、長門さんの真後ろでまた煙が上がった。
今度は誰だ…
いや、このメンバーで次に出て来る人物なんて、もう大方見当が付いているのだが。
…案の定、彼だった。

が、まさか閻魔大王の装束を着込んでの登場だとは思わなかった。
騒ぎ続ける悪魔涼宮さんと天使朝比奈さんを尻目に、彼は手にしたしゃくをくるくると弄び、
長門さんの背後で、座り込んだままの僕を見下ろしていた。
まるで、僕の行動如何によってはそのしゃくを地獄逝きの門に突き付けるのも辞さないかのように。
「どれにするの?」
長門さんにはこの三人が見えないのか、僕の前に屈んでそう聞いただけだった。
そうか、彼女に見えて無いのだから、これはただの僕の現実逃避の現れ…
彼が片方の眉をぴくりと持ち上げたのを見た途端、僕の背中に悪寒が走った。
声を張り上げる。
「ご飯で!!」
「ファイナルアンサー?」
と、長門さん。
「ファイナルアンサー!」
その場を、あのダラララララ…と焦らす音が駆け巡った。
はーい、一旦CMでーす。
「『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』DVD大好評発売中!
おまけ映像も付けてあげたんだから、サラ金に手え出してでも買いなさい!」
「ごっ、ご利用は計画的に…ふええ、恥ずかしいですよ~…」
……ダラララ
「あ、そうだ!
せっかくなんだし、この天使みくるちゃんのブロマイドを作って、
それ入れたのを初回限定版に…」

「おいハルヒ、もうCM開けたぞ」
「え!?ごっめーん!!」
ダラララララ……
「正解」
何故かそう言ったのは閻魔大王で、ふっ、と微笑んでから僕の脇をすり抜けて部屋から出て行った。
「まあね、古泉くんはそんなことしそうにないもんね」
「ああ、良かったあ~…あ、じゃあもうこれいらないから取っちゃいますね」
「みくるちゃん、まだ羽取っちゃ駄目よ。写真撮るんだから」
「ひょええー…」
涼宮さんと朝比奈さんも彼同様に部屋を出て、扉を閉めた。
玄関の向こうで声が聞こえる。
「じゃっ、キョン、みくるちゃん!今日はこれで解散よ」
「おう。俺はどっかそこらの物陰で着替えとくよ。じゃあな。朝比奈さん、さようなら」
「あ、はい、さようなら~」
「…ねえねえ、邪魔キョンも居なくなったことだし、
古泉くんの部屋に盗聴器と隠しカメラ付けない?」
「ふえええ、止めましょうよお。個人情報保護法が…」
「冗談よ冗談。それより、プリクラ撮りに行くわよー!!」
あれ!?幻じゃなかったの!?!?
ええええ!?どゆこと!?!?

「え、え?」
「わかった。ではお風呂と私はその後」
「え?……って、あなたは、一体、どこで、誰から、そんなことを…
とにかく、私、は要りません…」
「……そう…」
僕は立ち上がって、ズボンに付着した砂埃をはたいた。
「今晩はシチュー」
それって、カレーのルーを入れる所を、シチューのルーにしただけなのでは…とは言わない。
作って貰っている身だし、それに、長門さんが、どこと無く寂しげな雰囲気を纏わせていたからだ。
まあ、見間違いか自惚れなんだろうけれど。
「ところで」
シチューをすくって口に運びながら、僕は長門さんに聞くべきことを切り出した。
「携帯の着メロが覚えの無い曲に変わっていたんですが…」
「あなたの着信メロディーがつまらない物だったから」
いや、確かにつまらないけど…
あなたのだって、きっと着信音1とか2とかだと思うんですが…
「ロールパンナの方が良かった?」
「いえ…」
夕食も終え、またも風呂に突っ込まれ、
(情けなさの極みなので、この辺りの描写は例によって省かせて頂こう)
一段落ついて、ソファに倒れ込む。
すると、
「爪切り」
と風呂上りの長門さんが、僕の背中に飛び乗った。
「わ!」

体が少しだけ跳ね上がり、またソファに突っ伏す。
重くは無いのだが、居心地が悪いので、
足を代わり番こにばたばたとさせていると、爪切りを手にした長門さんが背中から退いた。
「座って」
もう一度乗っかられるのは勘弁願いたいので、
言われた通りソファから起き上がり、そのまま腰掛ける。
すると、すとん、と長門さんが僕の足の間に座った。
「は…!?」
「手、出して」
包帯を解いた右手を前に引っ張られ、仰天しながら、
側にあったクッションを左手で鷲掴みにして、長門さんと僕の間に押し込む。
密着は黄色信号だ。
「向き合った体勢では切りにくい」
背中をクッションに預け、彼女はそれだけ言って、ぱちん、と爪を切った。
年頃になったなら慎みなさい、と言いたい所であるが、長門さんに通じるとも思えないので止めておく。
「終わり」
左手の爪も切り終えて、長門さんはそう言った。
「ありがとうございます」
足の爪も、なんて言い出したらどうしよう、とはらはらしていたので一安心だ。
そのままの体勢で、彼女は僕の右手に新しい包帯を巻いてくれた。
で、
「………」
「…あの、退いて下さい」
「…すー……」

「寝たフリですか…?」
僕が呟くと、長門さんは勢い良く立ち上がり、これもまた、同じような勢いでこちらを振り返った。
「歯磨き」
「…やっぱりフリだったんですね」
洗面所に向かう長門さんにそう言うと、戻ってきた彼女に歯ブラシを乱暴に突っ込まれた。
痛いって。

その日は寝物語もせず、長門さんはベッドに潜る際に、おやすみなさいも言わなかった。
怒らせた、かな…?
と僕が不安に思い、ベッドに近付くと、小さな寝息が聞こえてきた。
昨夜と違い、もう眠ってしまったらしい。
頬をつついてみたいような、いやしないけど。
彼女を起こしてしまって、僕の夢の中で暴れる機会を作る訳にはいかない。
おやすみなさい、と小声で言い、僕はソファに寝転んだ。

ぱーんぱっかぱ~ん!ぱかぱっか
体を反転させたせいで、ソファから転げ落ちながら、
テーブルに置いた携帯を引っ掴み、通話ボタンを押す。
どんなに深い眠りに就いていても飛び起きることが可能な着メロである。
案外いいかもしれない。
既に第六感がぴんときていたが、確認のために携帯を耳に押し当てる。
「仕事よ」
森さんのその一言と共に、僕は部屋を飛び出した。

本日二度目のタクシーに乗り込む。
閉鎖空間が発生した場所を感知したままに新川さんに告げ、
発車してから、ベッドで眠る長門さんの姿が脳内によぎった。
置き手紙なんてしている暇は無かったし、
今から彼女の携帯に電話を掛けてわざわざ起こすのも迷惑だろうし、
そもそも新川さんがいるので電話はまずい。
メールという手段もあったが、僕はどの連絡方も取らなかった。
彼女なら、涼宮さんや僕に何が起きたのか、直ぐに理解できるだけの能力がある。
ひょっとしたら、危険な分子は見られなくて、
彼女は僕達を心配するまでもなくそのまま眠りの世界にいるのかもしれない。
「到着しました。お気をつけて」
僕はドアを開き、深呼吸をして車から降りた。
いざ、閉鎖空間へ。

無意識の内に神人を暴れさせる程の悪夢とは、一体どのような内容なのだろうか、
と常々疑問に思うのだが、だからと言って翌日涼宮さんに、
今日は気分が優れていないようですね。昨晩悪い夢でも見ましたか?
などと聞いて、閉鎖空間を再び発生させる訳にはいかない。
今日は比較的大人しかった神人が破壊していた筈のいくつものビルを眺めながら、
僕は帰りのタクシーに揺られていた。窓に頭を預ける。

この時間帯に現れる閉鎖空間は、大体悪夢によるものだ。
まどろんでいると、車体が大きく揺れ、一瞬ガラスから離れた頭が、再び窓に当たった。
ごん、と音がして鈍い痛みが走る。
「あいた」
目が覚める。
ああ、もう、最近こんなのばっかりだ。

送って下さった新川さんの車を見送り、自宅の扉の前に立つ。
そーっと、扉を開いて中の様子を窺うと、思った通り長門さんは寝たまま――ではなかった。
彼女は、ソファの上で膝を抱えて座っていた。
僕が乱した、毛布と掛け布団にくるまって。
こちらに背を向けているので表情は全く見えないが、彼女の肩が落ちているのはわかった。
呆然として、それでも、僕はなんとか口を開こうとする。
が、長門さんが僕に気付く方が早かった。
布団の中から立ち上がり、裸足をひたひたと床につけ、彼女は僕の目の前で立ち止まった。
「ひとりは寂しいと言った筈」
それだけ言うと、長門さんは、きつく僕に抱き付いた。
肋骨が折れるのでは、と冷や汗をかく程力強く。
「…すみません……」
寂しい思いを彼女にさせてしまった僕には謝るくらいしか出来ず…
いや、違った、もうひとつ、謝ること以外にできることがあった。

彼女の後頭部に手を回し、ゆっくりと髪を撫でる。
もう片方の手はどこに持って行けばいいのかわからないので、そのままにしておく。
「閉鎖空間が発生しまして…」
「わかっている。けれど、何も言わずに出て行かないで欲しかった」
震えた、くぐもった声でそう言い、ますます強く顔を胸板に押しつけられる。
そうだ。彼女は理解こそできるけれど、それをそのまま、
無感情でいられるだなんて、繋げてはならなかったんだ。
「すみません、本当に、すみません…」
始めから独りで眠っていて、目が覚めてもやっぱり独りだと言うのと、
寝る前は確かにそこに自分以外の存在があったのに、目を覚ましたらいなくなっていたと言うのは、
独りだと言う点では同じでも、置いて行かれた方にとってはその意味が、全く、全然、違ってくる。
僕はそれを失念していた。
あの灰色の世界に久々に身を投じて精神が弱ったせいもあるだろうが、
決してそれだけでなく、彼女を安心させようと彼女の頭部を上下する僕の手までもが震えた。

この震えが、寒さからのものだとすれば、どれ程平穏だったのだろうか。
暫くそうして、ふたりとも足が冷えるのにも無頓着でいたが、長門さんが、
「あなたは睡眠を取った方がいい」
と言って僕を離したので、僕も彼女から手を離し、漸く靴を脱いだ。
長門さんに手を引っ張られ、ベッドに押し込まれた。
続いて彼女も布団に潜り込んでくる。
「あの、これは…」
「ひとりは寂しい」
彼女は一言だけ言い、僕の方を向いて詰め寄る。
対する僕も壁の方へ壁の方へと体をずらす。
長門さんが頭ひとつ分詰めれば、僕はふたつ分間を広げる。

しかしベッドの幅は当然無限ではなく、僕の背中が壁に接してしまったので、
後は長門さんが距離を縮めるだけになってしまった。
ゼロ距離になってから、彼女は、
「これで寂しくない」
と僕を見上げた。
「安心、できますか…?」
長門さんは僕の問いには答えず、代わりに僕の胸と彼女自身の額を触れ合わせた。
「あなたの、心臓の音が」
熱が凝縮されたような息が吐き出され、胸板に掛かる。熱い。
「うるさくて、眠れない」
確かに、さっきから胸が痛いくらいに、心臓がのた打ち回っている。
こんな状態なのだから、仕方無いと言えば仕方無い。
僕は一気に熱くなった顔を少し歪め、手を伸ばして枕を掴んだ。
彼女と僕の間にそれを押し込む。
「これで、うるさくない、かと」
良策だと思ったが、長門さんはそう思わなかったようで、
一回瞬きをしてから、枕を布団の外に放り投げてしまった。
「いい」
枕を入れたせいで、ほんの少しだけ開いた隙間を彼女は塞ぐ。
「うるさい方が、いい」
「あの、ですが、それでは眠れないのでは…」
「いい。あなたが寝るまで起きている」
いや、こんな至近距離で、顔を付き合わせて、そんなに直ぐには眠れない。

が、長門さんがずっとこちらを見続けているので、
目を逸らす代わりに、眠気は無いが僕はまぶたを下ろした。
「おやすみ」
囁くようにそう言われると不思議と緊張がほぐれて、
僕は神人退治で弱った体を深く、布団に沈めた。
「おやすみ…なさい」

次の日の朝、教室に行く前に保健室に寄った。
もう随分と、腫れも痛みも引いていたからだ。
保健教師は僕を椅子に座らせ、包帯を解き、指や手首を動かすように言った。
まだ少しぎこちなさが残っているが、それでも滞らずに動かされる右手を見て、
保健教師はもう包帯は必要無いと言った。
今日から体育の授業も、見学ではなく参加するように、と。
「ありがとうございます。失礼しました」
保健室から退室すると、廊下で通学鞄をふたつ持ち、待ってくれていた長門さんが僕に近寄った。
「完治しました」
「そう」
彼女の手にぶら下げられていた、自分の鞄を持つ。
「三日間、お世話になりました」
「いい」
僕の下がった頭を、彼女は両手で軽く掴んで上げさせた。
「いい花嫁修行になった」
花嫁修行って…脱がせたり、風呂に突っ込んだりが…?
「二年後、修行の成果を見せる」
「…え、と、その…」

「迷惑だった?」
はい、真正直に言うと、ほんの少し…
けれど、
「いいえ。密度の高いこの三日間、全く疲れなかったと言うと、それは嘘になってしまいます。が」
今の僕は、きっと締まらない笑顔なんだろう。
「これで終わりかと思うと、寂しくないと言っても嘘になってしまいます」
「…そう」
長門さんは暫くじっと僕を見つめ――その時だった。
びゅっ、と廊下に置いてある机に飾られていた植木鉢が、こちら目掛けて飛んで来たのは。
「!?」
「危ない」
僕に植木鉢が激突する直前、長門さんは右手でそれを叩き割った。
土と花と植木鉢の破片が足元に散らばる。
「痛い。骨が折れた」
「えええええ!!!」
校庭にいて、上の教室から植木鉢が落ちて来た、ピンチ!なら良く見掛けるが、
誰も触ってもいないのに、全く減速せずに真横に植木鉢が飛んで来た、ピンチ!なんて、聞いたことも無い。
そんなことができる人は、僕の知り合いには、せいぜいふたりくらいしかいない。
「これでは板書は不可能」
骨が折れた、と言ったのに、彼女の手は傷ひとつ無い。
その可能性を握るふたりの片割れは、目の前にある保健室の無視を決め込んで。

「あなたを守った事によって私は右手を負傷した」
「どええええ!?」
「よって、あなたも私と同じ様に、私の右手が完治するまで私の右手の役割を請け負うべき」
「でええええ!?」
「早速、一時間目の休み時間に私の教室に板書をしに来て」
「な、な………」
「それと、これでは筆記用具だけでなく、箸も持てない」
「………」
「よろしく、古泉一樹」
ぽん、と長門さんの左手が僕の肩に置かれたが、僕にとってそれは、
君明日から会社来なくていいよ、
と上司に言い渡された会社員の気分にさせるようなものだった。
………どうやら、次は僕の花『婿』修行の番、らしい……



「これにて花嫁修行危機一髪を終幕とさせて頂きます」
「気をつけ、礼」
「ありがとうございました」
「…あ」
「?」
「三時間目は体育。長距離走なので右手の負傷は見学にならない」
「え………」
「着替えを頼んだ」
「え、いや、でも、今、この物語は終わっ…」
「頼んだ」
「……うう…」
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