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§第六章§

――16――
翌朝、俺は意外にもすっきりした目覚めを向かえた。
ずいぶん長い夜だった。そういえば、長門はいつの間にか定位置だったあの壁からいなくなっていた。
ほんとにいつの間に退室したんだろうな。


「おはようキョン、ふあぁぁああっ」
伸びとあくびを同時にしつつ、ハルヒは寝巻き姿で居間に出てきた。何となく悪いことをしている気持ちになるのはさてどうしてだろう。誰か教えてくれ。
朝日が全面に射す長門の家はとても明るかった。それだけでここにいる全員の気持ちを晴らすのに十分なくらいだ。
この部屋には、俺たちが元いた時間にちらほらとあった家具やゲームの置き忘れ(どうせまた集まるからいいのよとハルヒがわざとそうした。長門に確認も取らず)やらがないのだが、さてハルヒはそれに気付いているのだろうか。
「おう、おはよう。どうだ、よく眠れたか」
ワンテンポ遅れた朝の挨拶を返す。
「え、うん。まぁね。有希の家に泊まるのもバレンタイン以来だったから、楽しかったわ」
はて。女子勢はどのような春の一夜を明かしたのだろうか。とりあえず長門は深夜には和室にいたはずだがな。

交替で顔を洗いに洗面所に行ったりしている間、かちゃりとドアを開ける音がして朝比奈さん(小)が出てきた。
「ふぁぁぁ。おはよーございまぁす」
やばい。これは卒倒できる。何せ寝起きで寝巻きの朝比奈さんだぜ。孤島や雪山でも目にすることはなかった。淡い色のパジャマを着て朝の光を受けている朝比奈さんは、この世の全ての争いが終わった後に舞い降りる新世界の女神そのもののような神々しさだった。俺的にはいまこそ記念撮影を敢行して何だかんだと残存しているmikuruフォルダに新規画像を増やしたい所存だったが、ここは脳内投影にて我慢いたす。うむ。いや、しかし和むね、この上なく。
「おはようございます、朝比奈さん」
今度は二拍ほど返事が遅れてしまったが、まぁ無理もないだろう。世の男性諸君ならよほどの朴念仁でもない限りは数秒間忘我に至ることうけあいだからな。
続けてがちゃんと玄関ドアの開く音がした。程なく眼鏡つきの長門がするりと入ってきた。……どこ行ってたんだ?
「散歩」
それだけをぶっきらぼうに答えて長門はキッチンへ向かう。昨日睨んでいたらしいレシピ本にふたたび目を通している。何だろう、何か刺激でも受けたのだろうか。つか、やっぱ制服なんだな。
朝食の支度はちゃきちゃきと身だしなみを整え着替えたハルヒと、寝巻きのまま舌ったらずな声を出している朝比奈さんも加わって行われた。その間に俺は下まで行ってゴミを出して、エントランスまわりの掃除をしていた管理人のじーさんと挨拶をした。「いや、気持ちいい朝すね」「まったくじゃのう少年」
……玄関に戻ってから気付いたのだが、四年前の時点で俺に管理人は会ってしまったことになる。
果たしてそれでよかったのかかなり疑問だったのだが、俺の知る三年後の管理人は覚えている風もなさそうだったし、強引によしと解釈しておこう。これ以上懸案事項が増えるのは避けたいしな。
さて朝食のメニューは目玉焼きとベーコン、ツナやトマト、タマネギ、コーン、レタスを使ったサラダ、トースト、昨日の野菜スープと残り物少しという、まぁこれもこれで充実した顔ぶれだった。

「いただきます」

しかるに俺は心身共に満たされていなければならないはずで、俺自身もそう望みたいところなのだが、昨晩の朝比奈さん(大)との打ち合わせを首尾よく進めることに俺は意識の大部分を奪われていて、自分の食事スピードや、今何を食べているかすら半ば混沌としているのだった。
「あたし思ったんだけどさ、こういう時こそみくるちゃんはメイド衣装を着ているべきよね。ここにないのが悔やまれるわ」
ハルヒの言葉が突如耳に飛び込んできて吹き出しそうになった。お前、滅多なことを言うもんじゃない。先ほどのパジャマ姿も十分にそそられるものがあったが、このシチュエーションでメイドと来た日には俺は即契約書を持って朝比奈さんを雇ってしまうに違いない。
「バカ。あんただけのためにみくるちゃんなんか勿体ないわよ。くだらない想像の中に登場させることすらおこがましいくらいだわ。みくるちゃんなら時給換算で数万円取ったって文句は来ないだろうしね」
食パンに止まらずロールパンをほおばるこいつのエンジンは朝っぱらからフル稼働である。
「思想の自由ってのは憲法で保障された国民の権利なんだぜ。それをお前に邪魔されるいわれなんかねーよ」
かく言う朝比奈さんは、どうやら自分の話題で盛り上がっているらしいことに気がつくやはっとして頬を赤らめ、俺とハルヒの間に視線を行ったり来たりさせておどおどしている。……かわいすぎます。グーですグー。
「鼻の下延びてるわよ」
鞭で打つようなハルヒの鋭い一言に、俺は慌てて鼻の下を押さえる。
「ウソよアホキョン」
こいつめ。いつもながら俺の扱いが上手いじゃねぇかはははなどと感心している場合じゃない。
唸りつつふと長門を見ると、一連のやり取りに委細構わず淡々と朝食を平らげることに終始している。マイペースでいいね。この長門はさすがに時間を遡りすぎていて懐かしんだりはできないが、こいつなりにこの限定生活を楽しんでくれればいい、と俺は勝手に思う。


「朝比奈さん、ちょいといいですか」
朝食の片づけやら何やらでばたばたしている隙をぬって俺は彼女に声をかけた。
「はい? なんでしょうか」
朝比奈さんは小首を傾げた。
場所を和室に移し、俺はできるだけ端的に要件を伝える。昨日の大人版朝比奈さんの話では、これから元の時代に戻ることだけは既にこの朝比奈さんも知っているはずだ。
「元の時代にこれから戻りますよね?」
朝比奈さんは今思い出したように、
「あ……あぁ、はい! えぇと、朝起きたら……えっと、その」
指令が来ていたんでしょう。今や俺と朝比奈さんの間に隠すこともそれほど多くはないと思うが。
「元の時間、あの朝倉が俺を襲った日づけの……」
「はい。えっと、午前七時ちょうどです」
「問題はハルヒですね……」
今回俺にとっては二度目の時間旅行のメンバーには、俺とこの朝比奈さんの他にハルヒも加わっているのだ。
さすがにまったく何の説明もなしにあの酩酊する時空転移を行うわけにもいかないだろう。昨晩、大人版朝比奈さんは言っていた。

……タイムトラベルそのものを涼宮さんに明かしてはいけません。ですが、元の場所に戻るために過去のわたしの力を使うということなら説明してかまいません。涼宮さんなら……たぶん、それでも分かってくれるはずです。

朝比奈さんの力をどこまで説明していいのか、その判断に俺は朝食の前半の時間を全て使って懊悩していた。今目の前にいる俺の朝比奈さんは、俺からハルヒに自分の異能力の説明がされるなんて夢にも思っていないはずだ。

これまで、あの閉鎖空間から帰って、ずっと包み隠していた非現実の一部を、ハルヒに見せることになる。

いくつかの感情が俺の胸中に渦巻いた。それは概ね不安とかためらいであったが、一縷の期待もあった。
俺はあることを信じていた。ハルヒが超常現象を知ってしまっても、それで現実そのものをまた作り変えたりはしないってことをだ。根拠は今までSOS団でやって来た不思議ともアホともトンデモとも言える様々な出来事の中で、ハルヒが見せてきたとびっきりの笑顔だ。

あたしはこの一年がすっごく楽しかったし、来年もそうなればいいなって思ってる。

そう言ってたのは雪の山荘だったか。あの時の言葉にウソがないのなら、ハルヒは変な世界を作ったりしないはずだ。

「あの……キョンくん?」
言われて気がつく。そうだ、モタモタしてちゃいけない。 
「朝比奈さん、俺がうまいこと元の時代に帰る状況に持っていきますから、時間跳躍のほうはよろしくお願いします」
俺はがっしと朝比奈さんの両肩をつかんで、自分では熱意があると思っている眼差しで彼女を見つめた。
朝比奈さんはしばしきょとんとしてお目々ぱちくりをしていたが、その時――、
「キョン? そこにいるの?」

襖、オープン。

母さん、こうしていると俺が朝っぱらからこのかわゆい天使に愛の告白をしていると思えなくもない光景なわけで。
「キョーーンーーー!?」

拳骨、襲来。

「あーーーーーーーーっ!」


「……」
俺は身支度を終えてたった今できたばかりのコブと青アザをさすっていた。くっそ、手加減なしかよ。何つう痛さだ。
「さ、みんな早く行くわよーっ」
全員が北高の制服に身を包み、しかし鞄は持っていないという異なスタイルで登校準備万端。
だがこの時代の北高に登校できるはずはないのである。

「ハルヒ、話がある」
唐突な俺の一言に、一瞬ハルヒの動きが止まる。たった今玄関に向けて一歩踏み出したところである。
「何よ?」
片眉を吊り上げて探る視線を向けてきたハルヒの表情は、数瞬の後に無表情へ変化する。たぶん、俺がいつになく真剣な顔をしていたからだろう。そう思いたい。

「これから、俺たちは元の場所に帰る」


――17――
俺の言葉は、思いのほか室内に反響した。朝比奈さんも長門もハルヒもそこにいたが、誰も静寂を乱すものはいなかった。
ハルヒは小さく口を開けたままで、今俺が言ったことの意味を考えている風だった。
「キョン……?」
ようやくそれだけを言った。
「何の話よ?」
まぁ普通の反応だ。俺だって逆の立場だったら相手の言葉の意味を測りかねるだろう。
「ハルヒ、お前は昨日俺に言ったよな。この場所は何か違う感じがする、って」
ハルヒはわずかに眉を上げてからまた戻して、
「えぇ、確かに言ったわ。今も、何となくだけど違和感が残ってる」
「その通りなんだ。ここは、俺たちが元いた場所とは違う場所だからな」
ハルヒと同時に朝比奈さんも驚いたように小声を漏らしたのを俺は聞き逃さなかった。
「キョンくん……あの……?」
「朝比奈さん。大丈夫ですから、少しだけ待っていてもらえますか」
朝比奈さんはこいつ何をするつもりだ的なニュアンスをわずかに込めた視線を俺に送った。
俺はハルヒに向き直る。緊張の一瞬ってやつだろうか? 別にビビったりはしていない。ただ、慎重になっているだけだ。
「どういうこと……?」
ハルヒはいつぞやの閉鎖空間で浮かべたような、不安と好奇とその他がブレンドされた表情をした。
「いいかハルヒ。俺たちは今まで世に転がる不思議を追い求めてきただろ。SOS団はそのためにお前が立ち上げた団体だった。だよな?」
この問いにハルヒは首を縦に振った。まだわけが分からないというような顔をしている。
「そしてお前は超常現象とか謎の出来事をずっと探し求めていた。だけど、これまでまだ見つかっていないだろ?」
「えぇ、そうね」
ハルヒはパチパチと瞬きをしていた。時間の流れがゆっくりになっているような感覚がする。

「どうしてだと思う?」

これは俺が昨日大人版朝比奈さんと別れてから寝るまでの間に練った質問だ。この答え次第で俺がこれからとるべき行動も変わってくる。
そう。涼宮ハルヒは中学時代からずっと不思議なことを追い求めてきた。情報爆発。謎のヘンテコパワーを目覚めさせてから、こいつのあずかり知らぬところでいくつもの超常現象が発生していたのだ。俺だって一年前までは何にも知らなかった。この世界は偉大なる物理法則や歴史によって成り立っていて、それは微塵も揺るがずに俺たちの前に広がっている。そう思っていた。そして、同時に俺は、そんな普通を超越してどこかに放り投げてしまうような、面白おかしい出来事がどこかにないものかと、またそんな事にちょっとでも関われないものかとも思っていた。高校に入った頃、ほとんど諦めかけていたが、まだわずかに、風前の灯のような危なっかしさでそんな気持ちは残っていた。
そこに現れたのが、ハルヒ、お前だった。お前は俺の何倍もそういったおかしな現象との邂逅を望んでいた。あくまでアグレッシブに、自分と自分を取巻く全てを変えてやろうと、お前はこれまでずっと行動してきた。
だからこそ俺はハルヒに訊くのだ。これまで、妙ちきりんな事件が起きなかったのはどうしてか、とな。
それはすなわちハルヒ自身の現実認識を本人から直接訊き出す行為だった。そこにSOS団がこの先も変わらずに毎日を過ごすための鍵がある。俺はそう思っていた。

つまりここが、俺にとっての分岐点なのだ。

ハルヒは長い間何も言わなかった。かなり真面目に考えていることだけは見て取れる。俺がいつになく真剣だからかもしれん。こいつが何と答えるのか、正直に言ってまったく予想ができなかった。当然あらかじめ答えを用意しておくこともできない。そんなのは無駄だとも思う。だって相手は涼宮ハルヒだぞ。これまで一度だって予測どおりの行動を起こしたことがない、唯一無二のSOS団団長だぞ。

「ねぇ、キョン?」
「何だ?」
ハルヒは何かをためらっているような感じだった。自分の発言による相手の反応が不安なのか、それで変わる何かが心配なのかは分からない。
「それ……今正直に答えなきゃダメかしら?」

どういうことだろう。今度は俺が言葉の意味をつかめずにいる。俺はこれまで、誰かが言ったことの真意が分からずにいたことが何度もあった。言葉ってのは本当に厄介だ。伝えるための道具なのにそれが十分じゃない。長門は言っていた、言語では概念を伝達できない、理解もできない。だが今回はどうだろう。俺とハルヒはどこまで互いの思うところを分かってやれるのだろうか。

「あたし、あんたのその質問に答えると何か……何かよくないことが起こる気がして」
ハルヒは一瞬視線を伏せた。俺は長門と朝比奈さんを見た。長門はまたもあの立ったまま眠るような姿勢を取っている。まるで自ら入って来る情報を遮断している風である。朝比奈さんは居心地が悪そうにもじもじしている。……すみません。もう少しだけそのままでいてください。
よくないこと、か。こいつの直感はいつも抽象的に核心を突いてくる。おそらくハルヒはこの数日で自分の周囲や環境が大きく変わろうとしていることに気がついているのだ。それは古泉の急な欠席や、朝倉の転入、俺が凍りついちまったことなどの、複数の理由から来る心地の悪いわだかまり……。
俺は返すべき言葉に迷った。早速行き詰まってちゃ世話ないな。
「突然ですまないな。だが、俺だって戸惑ってるんだぜ。お前にこの質問をする日は、もうちょっと先になるんじゃないかと思ってたからさ」
しかし、やって来てしまった。こうして。
「キョン、あたしね」
ハルヒは一度言葉を切る。まだ躊躇が見える。
「あたしも、そうね……。あたしはこう思ってた。いつか、あんたにこんな風な質問をされるんじゃないか、って」
「…………」
そりゃ本当か。一体いつからそう思ってたんだ。
「うーんと、いつかしらね。いつの間にか。……そう、気がつけばあたしはあんたを何か、何か変な人間なんじゃないかって思ってた。あ、誤解しないでよ。変っていってもそういうことじゃなくって、何かこう、あたしの知らない世界を持っているって言うか。うまく言えないんだけど」
こんなに歯切れの悪いハルヒも滅多に見れるものではないが、驚くべきはそこではない。
ハルヒは、俺が何やらただならぬことをやっているのを見抜いていたのだ。それこそ舞台の裏方雑用をすべて引き受けたような俺の東奔西走っぷりを、感付いていたのだ。
「ほんとにいつからか分かんないの。そしてこうも思った。あたしはそれを知っちゃいけない……って。これまで、あんたに何度か問い正したくなることがあったけど、あたしはその度に予感めいた気持ちになって。これは訊いちゃいけない、って。変な話に聞こえるかもしれないけど。だからそうね、あたしはあんたに訊けなかったのよ」
古泉がこれを聞いていたらどんな表情をするだろう。あいつが一番関心を示しそうな気がする。だが俺だって引けを取っちゃいない。こいつは、ハルヒは、たぶん、無意識と呼べる部分で超常現象の存在をとっくに認識していたのだ。それと同時に予防線を張った。これも無意識に。思えばハルヒは危機的状況になるほど団長らしい振る舞いに終始していた気がする。いや、気のせいじゃない。こいつは超常現象をそっくり受け入れてしまわないように、SOS団の団長としてこれまでやってきたのだ。自ら不思議を追い求め、しかし最も不思議から遠い存在。それがハルヒだったのかもしれない。
「……あんた、聞いてる?」
「聞いてるとも」
俺は脊髄反射的に即答していた。ハルヒが驚く。
「そうだったんだな、ハルヒ。お前は……」

気がついていたんだ。

「それなら、どうして答えないんだ」
俺は言った。まだ質問の答えを聞いていない。
ハルヒはじっと黙っていた。言いたくないことをどうしても言わなきゃいけないような表情で。

「……こわいのよ」

「何がだ?」
俺が言うと、ハルヒは俺を睨みつけて、
「あたしは、SOS団がなくなっちゃうのが怖いの! あんたの質問に答えたら、もうみくるちゃんや有希や古泉くんや、あんたと会えなくなっちゃうんじゃないかって、ずっと……」
怒鳴るようにしてそう言うと、最後は言葉を途切れさせて顔を背けた。
「ハルヒ……?」
「あんたが遠くに行っちゃう気がして、あたしは……」
ハルヒは鼻をすするように息をした後、思い切り袖で目を拭った。
俺は咄嗟に言うべき言葉に迷った。
そんなことを考えていたのか……。まったく分からなかった。思えば、非日常たる出来事に俺が頭を抱えている間、ハルヒに対する注視が俺の中でおろそかになっていたことは否定できない。こいつは、俺の知らないうちに団員との間に距離を感じていたんだ。それはたぶん、ハルヒがまだ知らない団員の秘密エピソード。重大事項のせいだ。
皮肉にも、ハルヒは団員のことを知っても知らなくても距離を埋められないと思っていたことになる。
それは、思い込みと呼んでしまえばそれまでかもしれない。だが、ハルヒにとってSOS団がどういう存在だったのかを考えてみろ。そこでこいつがどれだけたくさんあの100Wスマイルを浮かべたか、俺には数え切れん。ハルヒが他の誰よりもSOS団を大事に思っていたことなど、今さら疑う余地もない。
俺が硬直したかのように動けないでいると、
「……もう、猶予はないのね」
ハルヒは俺をまた睨むようにした。目元が赤い。つかの間緩んだ感情を、それでも見せまいとして、精一杯作った表情という感じがした。俺は自分自身を叱咤激励して、こう言った。
「ハルヒ。俺たち団員はみんな離れないさ。何があっても、必ずあの部室に戻ってくる。俺を……いや、SOS団を、信じてくれ」
ハルヒはキッと挑む眼差しだったのを、不意にゆるめた。

「俺は、SOS団が好きだ」

何の用意も考えもなく、ごく自然に口から出た言葉だった。
「キョン……」
ハルヒはまた後ろを向いて顔を隠す。その肩に向けて俺は続ける。
「そうさ。さんざん回り道して、やっと気がついた。だから俺は今ここにいるんだもんな。だから……ハルヒ。安心してほしいし、同時に信じてほしい。俺たちと、俺たちのこれからを」
本当に、ここ数日の俺はどうかしてる。じゃなきゃ、こんな完熟トマトより赤くなるような台詞が言えるわけない。 
ハルヒはまだ俺に背を向けて、時折顔を上に向けてまた戻ししている。
「うぅ、ふぇぇぇぇ」
もらい泣きしてしまったのは朝比奈さんである。あなたは優しすぎますよ。……ほんと、SOS団の連中は互いを思いやりすぎるのかもしれない。かといって、今度は俺は泣くわけにはいかん。
まだ、終わってない。
俺がここで崩れちまったら、誰が誰を支えてやりゃいいのか、分からないじゃないか。
「す、すずみやさん、うぅぇぇえ」
「みくるちゃん、泣くんじゃないのよ。バカね……もう……」
俺は無粋なツッコミを封印した。そして同時に、SOS団は大丈夫だ、と思った。
そうさ。俺たちは、簡単には切れない五人六脚のスクラムを、自分たちでも知らない間に組んだんだ。
ある者は組まされたと後ろ指を指すかもしれん。人によっちゃ珍妙な電波集団だと思うかもしれん。
だが……

俺たちは今、こんなに強い力でつながっているんだ。

それこそ宇宙存在だろうがタイムトラベラーだろうが謎の組織だろうが、誰も邪魔できやしないのだ。
涼宮ハルヒが団長をやっている限り、な。


「あたしの考えを言うわ。覚悟して聞きなさいよ」
数分後のことである。もう湿っぽいモードは終わりだ。これから取り戻す。あの日常をな。
俺はハルヒにうなずいた。

「不思議現象は確かにあるわ。けれど、それは何かの力によってあたしから遠ざけられている」

……ふう。
感嘆しちまうね。俺が教師でハルヒが生徒だったら、そんなミスキャストな関係があったとしたら、俺はハルヒに十分な合格点を出してあちこちの学校に推薦状を書くだろう。そのくらいにパーフェクトな回答だ。
「その通りだ」
俺は言った。ハルヒは真剣な眼差しで俺を見ている。
「古泉がいないのも、朝倉が帰ってきたのも、俺たちが今ここにいるのも、お前が存在を感じていた普通じゃない連中の仕業だ」
「正体を教えてもらうわけにはいかないの? あたしは」
よもやハルヒとこんな話をする日が来ようとはな。正直安心感と心強さのほうが大きい気がするのはどうしてだろう。
「すまないな。その判断は俺一人じゃできないんだ。だから、この場では保留させてほしい。……それでいいか?」
意外にもハルヒはあっさりと頷いた。もう少し何か言うかと思ったのだが。
「何よ。言ったでしょ。あたしはそういう線引きはしっかりしたいのよ。あぁ、でもねキョン」
何だ。
「反対にあたしに言わなきゃならないようなことがあったら、遠慮せずに言いなさいよ。無意味にためらったりしたら、それこそあたしは許さないわ。罰ゲーム百連発でも利かないわよ」
おうともよ。そう言ってくれてありがたい。目に見えない形で力がみなぎって来るようだぜ。
「バカ。さ、続きを話して」


俺たちは長門の家の布団のないコタツテーブルを囲んでいた。
俺の向かいにハルヒ、右に朝比奈さん。長門は自分の部屋に戻ったが、ハルヒは特に何も言わなかった。
「俺たちは今、元いた場所とは違う場所に来てる。それはお前が言った通りだ。そして、元の場所に戻るために」
俺は視線を朝比奈さんの方へ向けた。親指で彼女を示して、
「朝比奈さんに力を借りるってわけだ」
「えっ、あぁ……はい。……え?」
朝比奈さんは突然の指名にどうしようもないほど慌てふためいたが、俺が大丈夫ですと顔に貼り付けてテレパシーのような視線を送っていると、やがて落ち着いて、
「……はい」
と消え入りそうにつぶやいた。
「なるほどね」
ハルヒは言った。続けて、
「あの時の変な感じはみくるちゃんがやったことだったのね」
たぶんタイムトラベルに伴う空間把握能力の大回転を言っているのだろう。しかしズバズバ点と点をつなげていくなこいつは。余計な補足をしなくて済むからまぁ助かる。
「元の場所に戻ったら、また長門の家に行く必要がある」
これは朝比奈さん(大)に昨日受けた指示だった。あいつに朝倉が襲ってくることを知らせておく必要がある。
「そうしたらハルヒ、お前と朝比奈さんは長門の家で待っていてくれ」
「えっ」
それまで神妙に頷いていたハルヒが言った。
「あたしは行くわけにいかないの?」
「あぁ。ごめんな。その、お前に今まで隠していたことにもちゃんと理由があるんだよ。だから、そのな……」
言いよどむ俺にハルヒは、
「……分かったわ。それだけで十分よ。で、後は?」
何という飲み込みの良さだろうか。団発足から間もなく一年になるが、こいつにはあらためて驚かされる。
「とりあえずはそれだけだ」
「そう。それじゃ行きましょう! SOS団を元通りにする旅にね!」
ハルヒは両手の平をテーブルに打ち付けて立ち上がった。旅なんて大それたものでもないが、この際従っておこう。
「うし。それでは。えー、朝比奈さん、お願いいたします」
「は、はぁい……」
恐縮しまくりの朝比奈さんだが、四年先まで俺たちを導くことができるのは彼女しかいないのだ。
「ハルヒ、忘れ物はないか?」
「ないわよ。あたしはそんなマヌケじゃないし、第一みんな部室に置いてきちゃったしね」
やや矛盾した発言をして、ハルヒは不遜ないつもの態度を取り戻してきた。思わずニヤけてしまいそうになるな。
と、そこで俺は思い当たった。
「ちょっと待った。俺のほうが忘れてた」
「有希ね」
寸分の狂いもなく的の中央を射抜くハルヒである。
「ちゃんとよろしく言ってきなさいよ。あたしとみくるちゃんの分もね!」
こいつは、ここの長門が俺たちと同行しないこともお見通しらしいな。


俺は長門の部屋をノックする。
返答はない。俺はもう一度同じ流れを繰り返し、そっとドアを開けた。
長門は眼鏡を外し、ベッドに眠っていた。……待機モード。いつか言っていた言葉だ。
「長門」
長門は目を覚まさない。俺はその聴覚が働いていることを祈りつつ、
「ありがとな」
それから、
「また会おう、必ずだ」
部屋を出るまで、物音はひとつもなかった。


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